はてなキーワード: 内弁慶とは
アラフォー子持ち。
外でコミュ障なりにちゃんとするから疲れちゃって、暗闇で本当はポツンとしてたい。
一人部屋が与えられてからは部屋で過ごした。
繊細な子供として扱われてたと思われるが、妹がいたので家は平和だった。
大抵のことはすんなり出来たので育てやすい子として扱われた。
妹は幼少期は内弁慶で、高校ぐらいからはコミュ力が上がり家でも外でもよく喋り笑う子供だった。
母親とべったりで、正直助かってた。でも寂しかったんだと思う。
大人になり妹とは価値観の違いで、冠婚葬祭程度の付き合いとなった。
なんか会うと疲れる。コンプレックスが刺激される。
久しぶりにこの前母親と3人で食事をしたが相変わらずだった。どうやって会話に入ったらいいのかわからない。
母親は定期的にこっちに来るが、あっちから連絡が途絶えたら私から連絡することはないだろう。妹とも冠婚葬祭以外はやっぱりしんどい。
喋らないのは教育に悪いし、幼少期は頑張ったが、思春期を迎えると子供もあまり喋らなくなったので、こちらも遠慮なく無口復活させた。(ほどぼどに)
仮面ライダーが好きだった頃と違い、すきなものを一緒に楽しむことも少なくなり、家で何を話したらいいのか、どうやって接したらいいのかわからない。自分の子供なのに、一緒にいると疲れる人になりつつある。
うまく行かなくても血の繋がりを意識しなくていい。
友達は選べるけど家族は選べないという言葉を聞いたときに、青天の霹靂のようだった。
別に毒親でもないし、自分のコミュ障のせいなんだけど、血の繋がりが重い鎖のように感じる。
離れたら離れたできっとさみしいのに、一緒にいてもしんどくって、笑い方なんて忘れつつある。外みたいにすると休まる場所がなくてしんどいし。でも家族と接するたびに家族が苦手な自分がくるしい。一人で死にたい。
まだ先の話だが親が定年したら母にはiPadを、父にはSwitchを贈ろうと思っている。2人とも同い年なので同じ年に定年になるはずだ。
母は自分で楽しみを見つけるタイプなので50を過ぎてから2.5次元の舞台にハマったり女子向けソシャゲで遊んでたり趣味が多い。ソシャゲや動画を思い切り楽しんで欲しいので大きな画面のiPadを贈りたい。
父は若い頃こそゲームをしたり映画を観たり推理小説を読んだりしていたが今では休日は日がな一日テレビを観ている。映画もたまには嗜んでいるようだが、以前は難解なミステリやサスペンスを好んでいたのに今はなぜかJKが観るような少女漫画原作のイケメンラブコメ映画をよく観ているらしい。そして観たテレビや映画に「たいして面白くねえ」と不満を漏らしイライラしている。どうやら難しいことを考えるのが苦手になってしまったようで小説も読んでいない。ゲームも新しいものについていけずPS1のもので止まっている。最近はそのPS1も埃を被っている。もう動かないのかもしれない。
もともと内弁慶気質だった父がテレビとイケメンラブコメ漬けになってからモラハラや家族に対する配慮のなさが加速した。父と母の口論はしょっちゅう(だいたい父が癇癪を起こす)だし自分ももう長い間父とまともに会話をしていない。趣味や好きなことを持っていない人間は他人を攻撃することでしか面白さを感じられなくなるということを聞いたことがあるがまさにそんな感じだと思った。
そんなことをぼんやり考えている中、映画版の「光のお父さん」を観た。ブログ版やドラマ版をすでに観ていたのでエンタメに特化した光のお父さんだなぁ、という感想を抱いたが面白かった。
自分も幼い頃から父の影響でFFやDQを遊んでいた。今の父からは考えられないが自分がまだ字が読めない頃はスーファミのコントローラーだけ持たせてもらい、父が横でテキストを音読しながらゲームをしていた。今でいうフルボイス実況みたいなものだ。フルボイス実況全部父。
そんな思い出があるから今の父に失望しつつも「光のお父さん」のようにまた一緒にゲームをしたいという気持ちもある。自分はオンラインゲームは苦手だしきっと父もハマらないであろうから、父が定年したらSwitchとDQ11Sを贈りたい。DQ11は原点回帰というか昔のドラクエが好きな人にほど刺さる作品だと思う。父が定年する頃にはまた次世代機が出ているかもしれないが、ひと昔前のゲーム機が父には似合っていると思う。
またいつか父と冒険できる日が来るといいのだが。
はたから見てるとおそらくソーシャルスキルは軽く池沼入ってるレベル
発達を自覚して病院に通い専門家の指導を受けてほしいのだが、いかんせん本人にその気がない
もう60歳をすぎて今更自分が池沼でしたなんて認めることもできないだろうし、
かといって自分は年々目に見つくようになるポンコツぶりに面倒見る気が減退する一方だ
父は発達障害なんて概念すら存在しない時代に日本の片隅のど田舎で生まれ育ち、
壊滅的なソーシャルスキルで社会の日陰、会社では万年窓際として過ごしながらも、
高度経済成長と、残っていたお見合い制度に助けられてまあまあ普通の人生を送れてしまったが、
会話が成り立たない度合いは壊滅的だ
横断歩道は青信号を確認して渡りましょう。警察署は次の交差点を左に曲がったところです。
この程度の情報交換であれば理解可能なのだが、それ以上に複雑かつ情緒や時間の概念が登場してくると脳がパニックを起こすようだ
例えば、夕飯の席で仕事の話が出たとする。
自分の会社は事業は何をやっていて、それが社会的にどういう機能を持っているのか?なんて話を延々と続ける
そうではない。一日中デスクに座っているのだとか、営業でどこそこの街に行っているのだ、とか、普段昼飯は何を食べているのだ。とか、
そういうあなた個人が何を考えて何を見て何をしているのかを話題にしているのだが、それが理解できないようなのだ。
何か抽象的概念の意味や機能しか意識することができず、生きている自分個人の感覚や感情を感じていないのか、もしくはアウトプットできないようで、
ひたすら電車の時刻表を暗記しているサヴァン症候群の子どものようだ
"自分が"社会や会社の中で何を求められて何をすべきなのか、という視点が一切ないので会社でも入社から定年までずっと役立たずの窓際だったようだ。
さらに厄介な事に、外では非常に憶病で大人しい人間だが、家の中では粗暴な内弁慶なので、
脳みそがパニックを起こすとキレて怒鳴り散らすため、もう正直あんまり関わりたくないが、
自分としては今からでも少しづつ自分の障害を自覚して、ソーシャルスキルを身につけていって欲しいのだが、
いくらこっちが行ったところで自分の足で病院に行くことはないだろう
専門家が家庭訪問をしてくれるようなサービスはないだろうか?なんなら強制的に病院に連行してもらっても自分としては一向に構わないとすら思っている。
高校生のときに先生に言われた言葉をはっきり思い出せなくなった。
それは私がこれまでの人生で言われた中で、一番心に傷として残っていた言葉だった。
シチュエーションは今でも覚えている。
高3の夏休み、午前中から始まる夏期講習を前に早く登校し、私はいつも早朝から自習室で勉強をしていた。
早く来すぎると昇降口が空いていないので、偶然外にいる先生を呼んでくるか、昇降口前で待つことになる。
校庭にも先生は見当たらないので、私は待つことを選んだ。
先生は、鍵を開けると私に対してぶつぶつ言い始めた。
まず、呼びに来ればいいのに、と。
それから、私がずっとクラスに馴染めずにいることを、靴を履き替える私を背に話し続ける。
そして、私の将来について、人格否定のようなことを言われたと記憶している。
そのあと私は、誰もいない自習室で悔しくて小さく声を上げながら号泣したのを覚えている。
そりゃ10年もすれば忘れるかという思いと、10年もしないと忘れられなかったのかという思い。
はっきりとした言葉を思い出せなくなった。
それだけで私は心が軽くなり、ツイッターにも書きなぐれないこの思いを、勢いだけではてなにしたためることにした。
私が場面緘黙症かもしれないと思ったのは、今から5年ほど前だろうか。
自分が喋れないことはずっと引っかかっていたが、学生時代は、私は人見知りだ、社会不適合者なんだと単純な言葉で片付けていた。
自分と見つめ合うことが多くなった社会人数年目で、病気じゃないんだろうかと検索した先に、やっと見つけた答えだった。
正確に診断されたわけじゃない。
しかも、今となっては周囲との人間関係の築き方が学生時代とは異なるのもあって、うまく社内でやっていけている。
ただ、私は場面緘黙症のような症状に追加して、自己肯定感が低いという特徴もある。
自分が発する言葉は必ず誰かに否定される。自分の発した何かは周囲に受け入れられるはずがない。
自分の声が、体が嫌い。自分は周りより劣っている。自分の行動は相手にとって不快でしかない。
声を発する怖さ、体を動かす怖さ、学生時代は常にこうした劣等感と恐怖感が渦巻いていた。
その症状がいつからかと聞かれると、物覚えついたときからが答えになるかもしれない。
内弁慶ともいうかもしれない。
ただ、周りがいう、人見知り、恥ずかしがり屋、そんな言葉で片付けられるレベルではなかった。
とくに幼稚園、小学1,2年生のときは、先生とは首を縦か横にふるか、傾げるかのコミュニケーションしかとらなかった。
Whatで聞かれたときのみ、答えを言った。
人見知りの次元を超えていた、と思う。
小学6年生のときの担任に言われた「この中には、まだ殻を破れない人がいる」という言葉に対して、
あ、私かと思ったと同時に、殻をかぶっているつもりなんて毛頭ないのにと感じていた。
数人の友達がいることもあったが、高校までの学生時代の大半は1人で過ごしていた。
1人のほうが楽だったし、喋れない自分を否定する気分にならなくてすむから。
でも、症状が改善することはなかった。
それを一度も言われることはなかったし、真面目、大人しいの一言で、親にも伝えられていたと思う。
ただ、緘黙症状は、兄にも弟にもあったのを私は知っている。
兄は小学生のときはいつも1人だったし、クラスでも馴染めていないのを私は知っていた。
私と帰りが同じになっても、絶対に話さないのが暗黙のルールのようだった。
弟は友達ができることもあったようだが、学校から持ち帰ってきた紙には、「なんで喋らないの?」と書かれていた(クラスのみんなから言葉をもらう何かだったと思う)。
母親が数年前に正式にADHDであることが診断されたが、うちの血筋はどうやら精神疾患になりやすいらしい。
統失の話はまた別として、家庭内の環境が問題か、遺伝要因から緘黙症状が引き起こされたのかもしれない。
インスタグラムで、自分の子供が緘黙症であることを公表しているアカウントを見つけたが、
どうやら「普通」の家庭なようなので、もしかしたら要因はまた違うのかもしれないけれど。
幸い私は、大学生、社会人と成功体験を積み、周囲に自分の性格を理解してもらえる機会が増えたのもあって、
普通の「人見知り」くらいになったし、コミュニケーションも以前と比較してとれるようになった。
ネットでは普通にやり取りができていたし、中学生以降はネットを通じて日々の思いを発信していたので、その影響も大きいかもしれない。
緘黙症状は人によって違うし、その人それぞれで改善方法やきっかけも違うんだと思う。
子供を産む年頃になった今は、子供が場面緘黙症になったらと考えることもある。
でも、親や周囲が気づけなかったことを私は気付けるかもしれない。
それだけでよしとしよう。
小さいころから、我が家は特殊だった。幼児は自分の置かれた環境を「普通」だと思い込みがちだが、思い込めないほどよその家庭とはすべてが違っていた。
特殊な点その一。母の精神状態が悪く、常に暴力と暴言の嵐であった。
その二。私以外のきょうだいの仲も悪かった。私が生まれる前からいさかいは絶えなかったらしい。あるときなど喧嘩に包丁と金属バットを持ち出してきた。
この状況を「普通」と思い込めるほど、残念ながら私は愚かではなかった。
幼少期は夫婦喧嘩が多かった。そのたびに私はわざと泣き、二人の気をこちらにそらして仲裁の真似事をしていた。
きょうだいがなにか自慢げに「――はこれできるか?」と言いながらなにかを披露してきたときにはできないと答えた。やってみろと言われたらわざと下手に披露した。なにをきっかけに激昂されるかわからなかったからとにかくニコニコしながら過ごしていた。
怒鳴り声は嫌いだ。身体がすくんでしまう。腕を振り上げられるのも嫌い。咄嗟に顔をかばいながら縮こまってしまう。
きょうだいにはよく「――は人にかわいがられるのがうまい」と言われた。たぶん、本当にそうなのだろう。だが私が思うに、顔色を窺って相手の機嫌を損ねないような媚びたふるまいを自然とするようになったのは、絶対に家庭環境由来だ。
小学校の間は母の精神状態は治らなかった。時には下着姿で真冬のベランダに締め出され、時には土下座をさせられて背中を踏みつけられた。塾の成績が落ちた、口答えをした、単に虫の居所が悪かった……結局は暴力に理由なんてない。
その状況で父は特になにもしなかった。だが、私にとっては暴力をふるってこない、怒鳴らないという時点でプラスだと感じていたので父にはなついていた。父も私をかわいがった。遊びに連れて行ってもらったり、父自身の話をしたり。父は話すことが上手だったため楽しかった。母と居るよりは何百倍も。
中学にあがると母に腕力で勝てると思う瞬間が何度かあった。逆襲を察知したのか、母自身の精神状態が比較的落ち着いたのかはわからないが、暴力は減った。そのころにはきょうだいも進学等で家を離れ、両親と私の三人で暮らすこととなっていた。
大学に進学した。絶対に実家から離れたかったため遠方の大学を選んだ。喉元過ぎれば熱さを忘れる。「今回こそは大丈夫かもしれない」とうっすら期待をもって、たまの帰省に挑んでも、毎回実家に着いて1日もたてば「帰ってこなきゃよかった」と思った。このころにはなついていた父に対しても猜疑心が生まれていた。大学の学費を頻繁に滞納し、不必要な高級品はすぐに買う。支払いは父方の祖母がもっていたらしい。昔は母と比較してマシだから、暴力をふるわないから、味方になってくれるから、という理由で父のことが好きだったのだが、改めて思い返せば昔から父はずっと経済DVをしていたのだ。味方だったのは口先だけ。中高の学費すらも払われておらず、祖母が払っていた。本当はずっと見えていた事実だったが、父だけは味方だと信じたいあまりに私自身が見ないふりをしていたのだ。
そんなこんなで、今現在「家族」はバラバラだ。両親は同居しているが、子どもたちはそれぞれ実家から離れた場所に住んでいる。盆や正月でも集まることはない。単体で会うことはあるが、全員集合など冠婚葬祭以外ではありえない、という状況だ。
今まで書き連ねてきたことを読めば、わが「家族」は最初から機能不全状態だったことはよくわかるだろう。だからこそ憧れの「家族ごっこ」がしたいのかもしれない。白羽の矢が立つのは、なぜかいつも私だ。
きょうだいは私とは会いたがる。他のきょうだいとは絶対に会わないくせに。父は私と会うと酒を酌み交わしたがる。そして酒のつまみに他のきょうだいのことを「本番に弱い」「内弁慶」などと評し、嗤う。私のことは「本番に強い」「勢いがある」「いい性格をしている」と言い、ほめる。
みな私のことを「彼氏を尻にしいて振り回しているだろう」「仕事をバリバリやっているだろう」「仕事場でも一番美人だろう」と言う。「どの場所にいても一番強く美しい存在であること」を、なぜか期待されている。
一度酒の勢いで「なぜ母と結婚したのか」と父に聞いたことがあった。答えは「自分の優秀な遺伝子を残したかったから、遺伝的にも本人も優秀な母と結婚した」。グラスを落とすかと思った。「結果として子どもがみんな優秀に生まれたから成功」と笑っていた。幼少期の、あの辛い暴力の日々は父のエゴから生まれたのだ。だけど父は母の暴力にはほぼ無干渉だった。私を救ってくれなかった。ふざけるなと酒をぶっかけて暴れだしたかったが、20年以上培ってきた相手の機嫌を損ねないような媚びスキルが発揮され、笑ってその場をやりすごしてしまった。
父が私に固執する理由は、わかる。成功作であるきょうだいたちの中で、私が一番父の性格に近いのだ。自信家で、楽しいことが好きで、したたか。父は自分のクローンを作りたかった。厳選結果、私が6Vのうえに見事性格一致!厳選成功おめでとう。今までたくさん父の趣味の話も共有したし、私の媚びスキルも相まって父の好きなものは私も好きになったものね。糞くらえ。私は私だ。
きょうだいは父の毒性に気づいていない。単に向き合おうとしていないだけかもしれない。私自身「母よりマシ」という気持ちで長年覆い隠していたのだ、仕方ないという気もある。
父は話をするのが本当にうまい。実際、頭もよくて物知りだ。それに憧れを抱いてしまうのか、きょうだいは父の価値観を内在化しているように感じられる。だからこそ「父にそっくりで、父に愛されている私」を評価してしまうのだろう。私が評価されることできょうだいは確実に割を食っていたのに。そして父の思う「私」は現実の私とは若干の剥離があって、さながらファムファタルのような人物像となっている。甘えた、自由奔放、無邪気、魔性。なんと、この崩壊しきった「家族」を生きるための媚びスキルで覆われた状態こそが真の「私」だと思われているのだ。笑えてくる。わずかながら存在した、幼少期の楽しかった記憶すら今となってはむなしい。昔から、家族のだれも私のことを理解していなかったのだ。
家族にまつわるもの、全部気持ちが悪い。この人生は一体なんだったんだという気にすらなる。父、きょうだいは私に対する理想化をやめてほしい。母の精神性についてはいまだに何一つ理解できず、母自身どんな歪みを持っているのか底が見えなくて気持ち悪い。
極力実家には寄り付かないようにしている。きょうだいとも関わりを持っていない。現在の住所も誰にも教えていない。実質縁切り状態とも言えるかもしれないが、お前らの行動は最悪だった!二度と会わない!と宣言したわけでもなく、しれっと無言で距離を置いているだけにすぎない。なにかあったときには連絡が来るし、実家に帰らざるを得ないこともある。
いつまで媚びスキルでやりすごす段階にいるの?と自分自身に対して思うのだ。毒親、機能不全家族に対する勉強もした、今まで言語化できなかった苦しみをこうして文章化するまでに至れた。甘えたふりでかわす必要、もう無いんじゃないの?怒りの感情だって、泣いてわめいて拗ねたふりでごまかすんじゃなくて、言葉にして、ちゃんと伝えて、一回区切りをつけようよ。……そんなことはできるのだろうか。だが、家族との区切りをつけないと、私自身に成れないような気もするのだ。
家族は呪いだ。血のつながっているだけの他人なのに。「良い家庭」で育った子と会話すると否応なしに私の置かれた環境がどれだけ異常だったか実感させられ、みじめな気分になる。ふとしたときに自分の言動が父や母のそれと酷似していたことに気づき、ゾッとする。染みついたものは変えられない。でも変えていくしかない。
ジョブではないけど、「響けユーフォニアム」は身の回りの吹部経験者に愛されているように感じる。
俺個人としては、数人スタープレイヤーがいるくらいで全国行けるような土壌は北宇治にはないし、滝先生の指導もあまりにもあんまりなのに、つるっと全国行っちゃってなんだかなって感じちゃってるけどね。まあそれは俺の母校が内弁慶強豪の万年支部大会止まりで、全国の壁コンプだから余計にそう思っちゃうだけなんだろうな。
長い分を書くのが苦手だから変な文になるかもしれない。
私は交友関係が狭い。
ネットではツイッターのFFと絡むは絡むが空リプをちょっと飛ばすかたまにリプライするか、くらい。オフ会とかもしないし通話すらしない。ゲームも一緒にしない。ラインとかインスタの交換も全くしない。
アカウントも複数持つのが苦手だから2つほどしか持っていない。交友関係を増やすことなんて滅多にできない。
リアルでは人見知り、コミュ障、内弁慶ときて、仲良くなったと思ったら口が悪くなる。愚痴とかじゃなくてその子に意地悪を言ったりする。好きなのに。
こんなんだから自分が他の人には好かれてるって思えなくて仲良い人でも自分から壁を作ってしまったりする。
でも私は相手のことが好きだから「嫌われてるかも?」って思っただけですごい病んでしまうし、ずっとその子のことを考えてしまう。
カッとなったら自分のことを止められなくて、本人に見えるとこでわかるように文句を言ったりする。言ったあとでしばらくしてから冷静になった時、物凄く後悔する。
人間関係が下手だな・・・
ここからが本題?
リアルで仲良いって思った人のツイッターを調べてネト垢を見つけたら「私のことを話してないか、リアルの友人と繋がってないか、どんな人とリプをしているのか、どんな人と繋がっているのか、今どんなものが好きなのか、etc」これらを調べあげて把握しないと気が済まなくなる。アカウントを見つけたその時はどんなに数が多くても最初のつぶやきまで遡る。で、それをやったあと必ず罪悪感に苛まれる。
そこまで見つける能力が高いわけでは無いので運良く見つけることが出来たら、って感じになるけど。
リアルの人のネト垢を知ってしまい関係が悪くなってしまったリアルの友人もいる。
例として、言い合いになったことがあった。たまたまその子のネト垢を何個か知っていた私は言い合っている最中も複数のネト垢を何度も何度も更新して私のことを言ってないか?って確認した。
言い合いが少し落ち着いた頃にみたら、明らかに私の文句を言っていた。
それを見て怒りと悲しみが襲ってきて、カッとなって自己防衛するように本人に見えるところでそれに関係することを尖って言った。
それがきっかけでその後も色々あって関係が完全に悪化して今や絶交って感じ。
あとで物凄く後悔して「まだ仲良くしていたかった」「大好きな友達だった」って泣いた。今でも凄い後悔してる。
SNSはツイッターだけじゃない。インスタグラムもだ。インスタでは投稿もストーリーも監視。誰といつどこで遊んだのかもなんとなく把握してる。繋がってない別のアカウントもその子と仲良い他の子のフォロー欄とかを漁って見つける。
仲良い子が普通に他の子と遊んでたら勝手に嫉妬して「なんで私とじゃないんだろう?」って勝手に病んでる。
独占欲が強いんだと思う。私は相手を大好きだけど相手は私のことが好きかわからなくて不安になる。「私のことが嫌いで、あの子と遊んでるんだ」って被害妄想が爆発。
本当にそんな感じ
こんなことを続けてた日にふとネトストという単語が耳に入ってきた。意味は知っていたし怖いなって思ってた。
「私、ネトストしてない?」
気付いた・・・
今まではきもいおじさんとかが可愛い女の子のSNSとかを調べあげてたりして住所とかも特定する、そういう類のものだと思っていた。
途端に自分が物凄く恥ずかしくなった。恥ずかしくなって病んだ。
でもそれが習慣付いていて毎日SNSを監視している。数時間おきに。
リストにも入れているがリストを覗いた時いたアカウントのプロフィールの飛んでまた漁る。ずっと繰り返し。
罪悪感と恥ずかしさとネトストなんてもうやめたいという気持ちでいっぱいいっぱいになってるが、やめられない。
これはネットの友人にもだ。
ツイッターで知り合った人は他のアカウントを探し出したり、FFを確認したり、インスタのアカウントをみつけだしたり。そんなことの繰り返し。大して仲良くもないのに好きな人が私以外の人と仲良くしてると嫉妬している。たかがネットの人に何執着しているんだ、って感じ。
リアルの友人に比べたらまだ軽いけど。
そんなことを繰り返している自分が気持ち悪くて大嫌いだ。このままではだめだってわかってるけど止められない。罪悪感で泣く。
こうやってここで書き綴っても結局変わらなくて、また同じことを繰り返すんだと思う。
以上です。
父親はものすごい内弁慶で、人前に出たときは借りてきた猫のように大人しいが、
アルコールが入って家族しか周囲にいなくなると、人や物事をすぐにバカにしだす。
笑えたり個性的な視点がある毒舌ならまだ興味深いが、往々にして酷くつまらない。
少ない人生経験とネットでお手軽に接した情報から導き出された凡庸な偏見だ。
障害者なら障害者らしくハンデキャップを貰って生きていれば良かったのだが、
不幸なことに一応健常者としてラベリングされ、周囲もそう認識してしまったゆえに、
ノロマで頭が悪い上に性格も悪い人と認識されてしまったようで、これまで生きてきて他人との付き合いでは往々にしてひどい目にあってきたようだ
それもあって、年を取るごとにどんどん人付き合いを切っていき、今では家族ぐらいしか会話をしたがらない。
電話が鳴っていても出たがらないし、来客が来ても出たがらない。友人はいない。
それならそれで例えば電話に出ないなら契約解除すればいいと思うのだが、それは嫌がる。
使わないけど現状が変化するのが嫌いなようだ。発達障害者らしい。
人付き合いが嫌いで、性格も悪い父なので、喋る相手が家族しかいないわけだが、
なんせ口にする話題がテレビを見て、芸能人や知らない一般人の悪口なのだから、家族としても付き合ってはいられない
適当に流して黙殺するか、我慢できなくなったときは、反論したりお前の発言は気分が悪いから黙ってろと言ってみたりするのだが一向に治る気配がない。
まあとっくに定年引退するような年まできてしまったのだから、今更治るわけもないのだが。
そんなこんなで今の今まで続いてきたが、最近気がついたのは、おそらく毒舌は父親なりの一種のコミュニケーションの努力なのかもしれないと思い始めた。
出不精でコミュ障で頭が悪く性格もネガティブな父親は普通に話をしても話に中身がなくて家族であっても死ぬほどつまらない。
そんな父が人から反応をもらえる唯一の方法は、ひどい悪口を言うことなのかもしれない。
悪口を言ってる相手は、相手を不快にさせてもかまってもらえるからだ。
そう思ったからといって、これからは優しく接してあげようなどとは微塵も思わないのではあるが。
あーめんどうくさいなー。趣味でも作ってSNSで人と繋がって外に居場所作ればいいのにな。
自分もモテた試しはないがそこまで女に執着したことがないので、女に逆恨みする形で「俺を選ばない女が悪い」となる人の気持ちがわからなかったのだが
先日、岡村隆史氏が指摘されていた
という一連の流れを「この人とは友達になりたくないな…」と増田の文章を読んでいて思い出した。
熟年離婚で奥さんに逃げられた高齢男性と接していると、とても独り善がりな上にカーストを前提とした価値観で人と接しようとするせいで
人から煙たがられて避けられる…というパターンで孤立を深めていくのをよく見る。
実際には男性の役割を降りていない増田の文章からも「女(他者)は俺に●●するのが当然であり、俺の意のままに従わない奴が悪い!」という思考が見える。
とにかく私が男性の役割を降りて障害者になったことで良くなったことは何もない。収入が増える見込みはないし。世の女性たちが求めているのは強い男性だ。男性社会で勝てる男が求められている。
また、「年収の低さ」と「男性の役割を降りたかどうか」は無関係であることの証左になっているように思うのだが、
もう少し他者が自由に生きることに寛容になった方が周囲と折り合いを付けやすくなるんじゃないだろうか。
もちろん、岡村氏や増田が死ぬまで今のままでいることを止める権限は俺にはないし、
子供の頃近所の庭先になっているのをそこの奥さんが取ってくれたのを、怖くて食べられなかった事を思い出して
家に帰って2つ程食べて、種は食べるものなのかと疑問が湧いた(硬かったから吐き出したけど)
家のキッチンの目立つ所に置いておいたら母親も食べてくれたようで
私が種を食べるのかどうするのか分からなかったという話もした
母親が部屋に戻った後、その話を隣の部屋で盗み聞いていた父親が私に話かけてきた
「アケビは種は食べたら駄目」
毒でもあるかのような言い方だったので
「駄目なの?」
と驚いて聞き返すと
「駄目ではないけど、食べる人はいない!」
とまるで怒った風に言ってきた
でもいつの間にか父親より私の方が色んな事に対して深い知識を持っていた
それは幼少期に感じた父親の博識さへの憧れがそうさせた様に思う
私の色んな知識の、興味の元を辿るとその殆どが昔に父親が話してくれた事が発端だったりする
私がこんなふうにインターネットが大好きなのも理由の一つだと思う
だから別に父親よりも知識が多い事に関して私は悲しいとも思わないし、そのために父親を見下したり軽く見るような事は無い
アケビの種の話も、母親との会話の糸口の為にググらずに残しておいた疑問だったし
でも父親はこんな些細な事をまるで「知らないのは大人としておかしい」とでも言いたげな口調で私に言ってくる
なんかここまで書いて、父親はまだ私に子供でいてほしいんだろうなと思った
ただ私と、私の姉は父親にとって無条件に尊敬してくる、優越を感じる為の道具なんだろうなと、
今までも恐らくこれからも
母親も子供をアクセサリー的に見る人間だけど、子供の頃からコミュニケーションは良くとっていたからそれが分かりやすくて、私自身割り切れたし
母親の方も母親の方で最近は私が人間だという事に感付いてきたみたい
それを受け入れられず
今だに博識なスーパーお父さんとして見られたいが為に
アケビの種から芸能ゴシップまでをさも高尚な知識か、知らなければ恥ずかしい一般常識のように
私に説教をするように話してくるのがね
私は悲しい
昔は
ほろ酔になりながら
遅い時間まで私達姉妹に素敵な人生論とか映画のビッグフィッシュに負けずとも劣らない昔話を聴かせてくれたのに
それが私達は好きだったんだけど
今もそんな話できるだろうに
その突っ張った見栄に水を差さないように私達が気を使ってる事がね
そうやってストレスを自ら拵えてお前は一体何になりたいんだ
昔我々姉妹に言って聞かせた人生論や格言めいた言葉の内のどれ程をこれまでお前は実践してきて、実践しているのか
何もせずに適当に諦めて、適当に子供や結婚を諦めた理由に据えて
お前は一体何になるんだ
そのままで何も変わらない気なら
何も行動を起こさなないなら
今すぐ死ねばいい
父親は
高校時代に父親の話が終わったと思って自室に行ったら追いかけて来てベッドに寝転んだ私を足で何度も踏みつけて死ねと言った事は絶対に忘れないし
私が実家に帰ってきてから何度も私の入浴中にお風呂に入ろうとしてきた事も忘れないし
口答え以前に意見を言うのも許されないこの家と
友人が実母に向って「あんた」と言ってるのを、そう言っても怒られない関係性を羨ましく思ったこの悲しさと
でも、何だかんだ言って、この私の部屋の窓からは沢山家が見えるけども
実は普通な家なんて
何の問題も抱えていない絵に書いたような幸せな家なんて一つも無くて
家庭環境を少しでも打ち明けられる、気のおけない数人の仲間の話からも
その数人でさえも
明るく気丈に振る舞う仲間さえも
どこの家族関係も私の家とは違って特殊な風に見えるし、また逆もそうなんだろうし
色んな人がいるけども
何だかんだ生きてればみんな色々あるらしく
普通な人なんて誰もいなくて、普通に見えてもどこか普通じゃなくて
普通ってのは、アニメやドラマに出てくるモブ中のモブみたいな人だけども
そんな人はどこにもいなくて
多分、モブ中のモブでさえもスポットが当たると個性豊かなモブだろうし
故に
親は死ねとは思うけども
良いことは以下になる
清潔さに心がけ潔癖症だと言われる
挨拶やお礼を欠かさず行い冠婚葬祭は必ず参加し年賀状は老若男女全てに出す
人の目が気になるようなことは行わず建前で生き、家に戻ると本音になりグチグチ文句をいう内弁慶
素直さはバカ正直で1円を拾っても交番へ届ける。たとえ通勤途中であっても。
他人に気を使い、おもてなしの心などといって建前だけはしっかりとしており裏表のあるやつだと言われる
話し合いでしか解決できず閉鎖的な空間で命の危機がせまっても話し合いで!と一点張りでボコられる
ブッダ、キリストのような生き方をしているので尊敬できるが真似はできないなと言われ続ける
コンプレックスはない。