あいトリ少女像撤去のニュースを見て父親が言った一言を聞いて、もう駄目だと思った。
アートに造詣がなく、YAHOOニュースぐらいしかソースのない父親はこのニュースをテレビで見ながら「人の嫌がることはやっちゃダメだよ」と言った。
この父親はつぶれそうな中小企業(1社はつぶれた)で総務のおじさんしかやったことがない癖に、家では母親を使用人扱いで、娘にはモラハラばかりの男尊女卑的内弁慶男である(院卒大企業勤務の息子には何も言わない。スペックで敗北しているから)。
最近「父親がネトウヨになった話」がネット上でシェアされているが、うちもそうなのだ。
昔からこの父親のことは嫌っていたが、大人になって分かったのは、彼は、今時流行りの「おっさん叩き」で叩かれている「おっさん」像そのものであるからだということである。
特に個人的なかかわりもないのに中国や韓国をバカにし、男には勝てないから女をバカにし、仕事でも人間関係でも相手にされない自分の自尊心を満たそうとするしょうもない人間である。
あいトリに話を戻せば、両手足を切断された裸の少女がほほ笑む絵画を芸術とあがめ、性被害を訴える韓国の衣装を着た女の子の像を排除しようとする日本の「おっさん」たちが「娘」たちから嫌われても仕方がない、というか当然である。
近年の「おっさん叩き」と「#metoo」運動は、かなり密接な関係があるように思われる。これは、搾取され続けた娘たちの、父親殺しの物語のように思える。
今日も女は毒親叩き
差別正当化のテンプレ。
夫のほうが労働強度の高い仕事してたのに、妻は夫が家事をやらないとか言って被害者ぶってるクズで、妻の言い分にだけ間に受けて育ったのだろう。