はてなキーワード: ポリシーとは
実家は拡大方針を取らなかったので、作中の塾の発展とは異なりますが、
月としての教育インフラであった塾業界、そして受験ビジネス産業については
いろいろと父の話を思い出すこともありました。
そして私が学生だった20年以上前と比べて、塾の位置付けがこんなに変わっていること、
塾が悪いなんて言っている人みたことないと書いてあるブクマの意味がよくわかりました。
私自身が自分の経験のために、学生時代から塾のイメージをアップデートできていなかったのかもしれません。
いま、塾はこんなにポジティブに捉えられているのですね。
塾の子供たちのエピソードは昔を思い出しました。自分は蘭に一番似ていたと思います。
教師から目の敵にされていたのもあり、良い成績を取ってやるという気持ちもあり、
父親はそんなことを全然望んでいなかったと思いますが、自分は塾の広告塔だと思って、
良い成績を取って、生徒を集めて、家庭を助けたいとも思っていました。そんな大人びた子供でした。
逆に父は、生徒の進学結果などを公に公開することを反対で、良い中学・高校に進んだ学生は多いのに、
また、習熟度別クラスに反対で、同学年は成績に依らず一つの教室でした。それは父のポリシーだったと思います。
私は成績もよかったこともあり、たしかに学校の定期試験をなめていたこともありました。
歴史なんてただの暗記科目、子供の記憶力チェックをされているだけなので、
別にこれは日本の歴史じゃなくても、マイナーな外国の言葉のボキャブラリでもなんでも取り換え可能だ。
そのときは、明確に叱られました。歴史とは現在と地続きの人間の営みであって、
いまがどのようにつくられてきたのか、そして人間がこれまでどれほどの愚かなことをしてきたのか、
それを学ぶものだと。
私が、「いやいや、この似たような仏像の写真を並べて、名前を当てる問題なんて、ただの暗記&IQテストじゃん」
みたいなことを言った時に、いまはそう思えるかもしれないけど、いつかその違いを楽しめるようになる時が来る。
そういうのが教養なんだと教えてくれました。当時はただの屁理屈だと思いましたが、
今思えば、父の言葉は真実でした。橋本治のひらがな日本美術史は私の好きな本の一つです。
もちろん父を神格化していたわけではなく、はっきり言ってしまえば、
自分は普通の家の子どもに生まれたかったと反抗期には何度も言っていました。
同級生が自分の父親を知っている、同級生が自分の家にお金を払っている。
この居心地の悪さは、自営業の子にしかわからない感情かもしれません。
(塾は関係ないですが)
そういう感情もあり、作品中の一郎が教育業界と距離を置きたくなる気持ちがとてもわかります。
結果として、私は少なくとも現在は教育業界からは遠いところにいて、
(昔の)学校の教師が、塾の存在が、自分たちの仕事が不十分であると感じさせられるので敵視する一方、
作品中で吾郎が「塾の人間というものは、すべての子どもに等しく勉強を教えられていない現実に、
絶えずある種の鬱屈を抱いている、商売であることの限界が、喉に刺さった小骨のようにつきまとう」と語るように
大手を振って、すべての子どもたちに教育を無償で提供できる学校教員を、
ある意味で羨ましく思っていたところもあったのだろうなぁと思いました。
もう70になる父の語った賤業という自虐も、この辺りの感情が根っこにあるのではないかと思わされます。
最後の教育格差の問題へのアプローチも含めて、非常に良い作品でした。
二月の勝者も、作中で何度も匂わされているように、同じ問題意識があると思います。
父は、資源がない日本だからこそ、教育に力を入れるべきだと昔からずっと言っていました。
なんとも古臭い文言ですが、先進国トップの学力を誇った日本が、
いまや公教育がぐちゃぐちゃになり、そして富裕層・貧困層の教育格差が拡大し、
他の先進国から博士がいないとビジネスの場ですら、馬鹿にされている始末です。
教育の底上げもエリート層の教育もどちらもできていない現在の日本の教育ですが、
ポリシーっていうのは当たり判定なんだよ
まあね。
自分は就職氷河期の初期世代で、ものすごい理不尽な採用試験を経験したり、凄まじい方法で首切られた同僚をたくさんみてきた。
だから、新卒入社してからは、いつクビになるかビクビクして、さっさとスキルを養うために、めちゃくちゃ仕事した。
今の会社は、リーマンショックの時に潰れそうになったけど、社員をリストラせずに、いろいろな補助金使って生き延びた。
その話を聞いた時に、社員を守り切る会社もあるもんだなあって思ったよ。
代表が、全員正社員登用で首は切らないというポリシーの持ち主なので、社内はどこまでも平和だよ。
派閥もないし、個々には仲良い悪いはあるだろうけど、不思議と社員は仲が良くて穏やかな環境だ。
それを考えると、簡単にクビにできる環境って本当に良いものなんだろうか?って思うことがある。
いや、大変な目にあってる人なら「冗談じゃないよ!」って思うだろうけどさ。
社会人になって初めての切れ芸。
クライアントに迷惑かけるような危ない作業をしたので、かなり厳しく注意してたのだが、注意している最中に、突然キーボード叩き始めたので「聞いてんのか、こらーーー!!」って怒鳴った。
まだ、管理職じゃなくてリーダーの頃だったんだけど、管理職は「君ら技術職って言っても、自分たちとは違う技術なんでわかんない。あとは頼んだ」っていう感じの頃だった。
あの怒鳴り芸を愛の鞭だっていう人いるじゃない?
あれは嘘だよね。自分は少なくとも、愛なんて一欠片もなかった。
怒りだけですよ。怒りだけしかない。
うちの会社は「基本首は切るな。必ず正社員登用せよ。どうしてもと言う時は、やれることがなくなるまでやれ」っていうポリシーなので、現場は負担になるよね。
自分はリーダーが心配なので、半年くらい前から「そこまでやらなくてもいい」って指導してたんだけど、過去に指導のしなさすぎて退職者を出してしまったので、がんばってるようなんだ。
https://anond.hatelabo.jp/20191110173815
の続き
TwitterとYahoo!リアルタイム検索は想定通りのものができて概ね満足しています。問題はtogetterで…フィルタ機能入れてみましたがどうにもなりませんね。本当は作成者単位のまとめミュートもやりたかったのですが、作成者のアイコンしか表示されてなかったり(トップページ、まとめ内埋め込み)、そもそも表示がなかったり(ランキング)で誰が作ったまとめなのか判別できない。かといってまとめに割り振られたIDから概要を得るようなWebAPIが提供されているわけでもない。どうしてもというならまとめ自体にアクセスするしかなく、当然1ページ分まるまるhtmlを送ってくるので通信負荷が高すぎるうえ、View数にカウントされてしまって元も子もない。すぐに頓挫してしまいました。
コメントミュートにしても、もともとTwitterから来てるユーザ名なのにTwitterと連動しきれていないわけです。Twitter側で変更した後、togetterに再ログイン(再連携)しないと変更が反映されません。例えばAさんがhogehogeというユーザ名でtogetterと連携し、その後fugefugeに変える。togetter側がfugefugeに変わるのは再連携したタイミングです。ではAさんが再連携することなく、Bさんがhogehogeというユーザ名で(Twitter側ではぶつからないので使用できる)togetterと連携したらどうなるか?というと、Aさんに何の確認もなくfugefugeに変わり、Bさんは弾かれることなく連携できるという仕様です。もし古いユーザ名のままになっているtogetterアカウントを見かけたら同じユーザ名のTwitterアカウントを用意し連携することで勝手にユーザ名を更新することができます(特に意味はない。ちょっとした嫌がらせ?)。
また、Twitter側で凍結されたり削除したりしてもtogetter側は影響を受けません。当該アカウントのコメントは残り、作ったまとめもそのままです。それならばAさんがtogetterで古いユーザ名のままTwitterで凍結された場合、Bさんが同じユーザ名でtogetterに連携したらどうなるのでしょう?凍結アカウントにはアクセスできないのでAさんの現在のユーザ名を取得できず自動変更されないはず。そうするとBさんは連携できないのでしょうか?ぜひ、どなたか試してみてください。
おまけにtogetterはユーザIDを一切見せてくれないんですよ。DBには持ってるのでしょうがクライアント側に渡されるhtmlには書き込まれてない。ユーザ名が信用できない状態でも'アイコン経由'でユーザIDは取得する方法はありますが(コメント欄でもTwitterのアイコン画像を直リンしてるため)、それもアカウントが凍結されていれば破綻します。それなのにあそこのコメント欄、凍結アカウントが多い。やたらと多い。古いまとめになるとアカウント削除も多い。でもコメントだけは残ってる。これではまともにミュートが機能しない。という事情でコメントミュートはtogetterのユーザ名を使っているわけです。
togetterってつくりも思想もゆるふわですよね。Twitterと連携するだけでアカウントが作成されてしまうのに削除機能は公開されていない、反ワクチン・反標準医療・自殺関連のまとめでもなんの警告も出さない、著作権侵害による削除申請窓口どころかポリシーすら見当たらない等。個人的なことだけを言えば、はてぶ経由で見る(見てしまう)ことが大半なので各種フィルタを利用してtogetter.comを消してしまえば済む話です。でもね…と。
はてなNG代替品(はてぶフィルタ)に短縮URL展開機能を、Youtubeフィルタに右クリックメニューからの非表示登録機能を入れられたらいいなという気持ち
本日午前中から一連の増田が登録できずどハマリしてました。登録完了するのにどこにも日記がない。ネットワークを中心に散々疑ったものの全く関係なく、問題はtogetter。またおまえか。増田ってtogetterへのリンク貼れないんでしょうか?h抜いたら登録できました。エラーにならず警告も出ず単に無視されるって悲しいですね。あーもう時間無駄にした。
また、心を盗まれた。
言うまでもなく、ペルソナ5THE ROYALのことだ。
発売日が決定してすぐに有給を取得し、万全の体制で臨み、5連休が終わる直前にクリアした。(クリアできたのは八十稲羽の大神の力による所が大きかった)
あまりにも、あまりにも素晴らしかったので、2周目に突入する前に、作中の「怪盗信者」である三島のように、テキストエディタを立ち上げ、「僕らの光」を何度も流しながら、支離滅裂でキモいテキストを書き散らしている
ペルソナシリーズの存在を名前だけは知っていたが、普段ゲームなぞ殆どしない自分は、2016年の秋、8年ぶりに同シリーズの最新ナンバリングタイトルが出るという素晴らしいニュースがあったことすら露知らず、どうしてもやりたかったうたわれるもの二人の白皇の為に、PS4を購入して(こちらも言うまでもないほどのADVの大傑作だ)プレイし、Suaraが歌う、ボーカル付のシーンで涙を流していた。
それ以外やりたいソフトも無く、当時大学生で暇を持て余していた自分は、近場の家電量販店に行き、たまたま見つけた赤と黒のソフトを手に取っていた。
それがペルソナ5との、ひいてはペルソナシリーズの出会いだった。その世界にあまりにハマってしまったせいで、ペルソナ5を通算500時間ほどプレイした。そしてペルソナ3で命の答えにたどり着き、ペルソナ4ザ・ゴールデンで霧を晴らし真実を見つけ出した。それでも飽き足らず(無印と2はまだやっていないにわかにではあるが)アニメを見て映画を見て、アリーナで闘い、ダンスを踊った。
ペルソナ5は現実世界と認知世界(というもう一つの現実との)と東京という「現実」にある世界の3要素が絶妙にリンクしていて、ある意味残酷とすら思えるほどの没入感を与えることに成功している。
教室で自分の目の前に座っている杏、竜司とともに食べた荻窪のラーメン、真と共に闘ったパレス、双葉と共に食べたカレー、春と飲んだコーヒー…一緒に眠ったモルガナ…「痛み」を共有した仲間たちとの楽しくどこかくすぐったいような日々だけではない。無気力な大衆、どこにでもいそうなパレスの主たちまで、確かに存在する。
そして、プレイを終えたあと、自分は確かに怪盗団であったこと、しかしこの世界には怪盗団がいないということを実感せずにはいられない。
ペルソナ5の物語は、当事者になってしまった鴨志田事件から、真加入の前半は勧善懲悪的な物語であり、中盤は、大衆の期待に煽られていき、「人一倍許せないこと」があり、それを貫いていく、という怪盗団のポリシーがブレはじめ、絶頂と凋落を味わう。
終盤はその大衆の集合的無意識を切り口として、人々の世界のどこにでもありふれている閉塞と怠惰の中で、それでも人間には前進していく・立ち向かっていく意志と希望があり、(矛盾しているが)それらを自ら選択していくエンドである。
「人間の希望を集めて作られた」モルガナが「人間には、世界を変える力がある。今はそれをほんの少し忘れてしまっているだけ」という台詞であらわされるように、作中には「意志と選択」がありふれている。
その最たるものとして、主人公は獅童の事件の証言者として、警察に出頭し、少年院に入ってしまうことになるわけだが、「痛み」を共有した仲間たちが主人公の冤罪を証明する。
作品の答えが、そして作品のテーマであった「真なる更生」が果たされる。彼らの「意志」はわれわれの現実にも還元され、ありふれた怠惰と閉塞の世界で、「ほんの少し」忘れていた希望と意思を思い出す。
さて、ペルソナ5 THE ROYALでは、そんな「意志と選択」の物語であったペルソナ5から、今回の「ROYAL」な3学期では、異なるシチュエーションで「意志と選択」の物語が繰り広げられることになる
パーフェクトであった物語に、一学期から当然のように追加される新しい登場人物たち。
言うまでもなく、芳澤すみれと丸喜拓人のことだ。ネタバレになってしまうが、二人には共通点がある、「大切な人」を失ったという「痛み」を持っている点だ。丸喜拓人は恋人を、芳澤すみれは、姉であった「芳澤かすみ」と自分自身「芳澤すみれ」である。丸喜は恋人であった留美の家族が殺されたショックで、留美が廃人になる。
芳澤すみれは、世界を獲ると共に誓った姉を、自らの不注意で事故に遭わせてしまい、失う。
丸喜は「彼女を救いたい」という「願い」をもって、ペルソナを覚醒させ、留美を救った代償に、留美は丸喜のことを忘れる。
すみれは「かすみになりたい」という「願い」を持ち、それを丸喜が認知を「曲解」させることで、すみれは自身を「かすみ」と認識して生きていく。その代償にすみれはすみれ自身を失う。
3学期に解禁されるすみれコープにおいて、芳澤すみれは「かすみ」のように凛々とした少女ではなく、いつも姉の背中を追いかけている内気な少女として描かれる。
かすみの影から自ら脱却し自分の意志で歩み始める。彼女のコープで、下していた髪を再度括るシーンは、かすみの持っていた強い目が、すみれの中に宿っていた。
すみれの強さと脆さ、そして主人公や丸喜にすがってしまう点は「怪盗団」の女性にはない、どこかギャルゲーチックなトラウマの向き合い方で大変好みだっただけに、もう少し長く仲間として使いたかったという本音もある。
話しを怪盗団に戻そう。怪盗団が無意識にも願っていた願いが叶えられた世界。「幸福な幻想」の中にいる怪盗団は、自分たちが「現実にいない」ということにすら気が付かない。彼らが無意識にも願っていた願いが変えられた世界。モルガナは人間になり、竜司は陸上を続け、杏は志穂と共に過ごす。真や春には父がいて、双葉には母もいる。かすみはかすみとして、凛々とそこにいる。ただ、主人公だけであるジョーカーは違うかのように描かれる。現実が、現実ではない感覚。彼は同じようにここが現実ではないと気がついていた明智、そしてパレスを見つけていた芳澤と協力して、元の世界へ戻ろうと調査を始める。
パレスを発見したのち、戦力を増やすためにもまず、ジョーカーは一人一人一味を説得していくわけだが、改めてジョーカーの精神的な意志の強さには驚嘆する。彼は問いかける「これで本当に幸せか?」自ら痛みを乗り越え、選ばなければ意味がなかったんじゃないのか?
仲間たちは気がつく。竜司の言葉でいうなら「あいつの言葉が正しいと思ったからなのかも」
その瞬間、幻想は打ち砕かれる。
丸喜は「みんなが幸せに暮らす」世界を作りだすことによって全てを救おうとする。そのことに気がついた時、怪盗団は今まで考えていなかった、改心することの是非を問われる。という問いにぶつかる。しかし!目を覚ました怪盗団の答えは自明である。「幸福」よりも「意志と選択」を尊ぶのだ。例え、その現実が幸福なものでなかったとしても。
丸喜は叫ぶ「僕は君たちも救いたいんだ」そして、共闘している明智という存在が「ジョーカーがもう一度闘いたい」という願いに丸喜が応えたことによって生まれた存在だということを明す。そして、明智は自らの存在のことを知りながらも、主人公に、自らの「意志」を貫くよう勧める。明智らしい、突き放すような言い方で。
その時、私はそうか、と少し嬉しくと思う。ジョーカーにも、きちんと願いがあり、後悔があったのかと。あまりにも強靭な精神を持っているので忘れていた。私ははじめてジョーカーが真なる意味で「我々の仮面」になったような実感を得た。
そこから先はもう言うまでもなく、「歪んだ善意」と「まっすぐな意志」との対決である。本来怪盗団に改心することの是非や葛藤など必要ではない。大義名分を気にしてるようでは怪盗団なんかやってないからだ。確かに今回の丸喜は根っからの悪人ではないし、どこか衛宮士郎を彷彿とさせるような一種の正義の味方だと思う。それでも、怪盗団にとっては悪人なのだ、自分の力でまだ見ぬ未来を切り開いていく障害になるものは。
ラストバトルで、ジョーカーは仮面を外し、丸喜といかにも陰キャな殴り合いを行う。少し狙いすぎるきらいはあるが、その青臭さと眩しさを再度確認できただけでも、ペルソナ5THE ROYALは最高の物語であったと私は言える。
エンディングムービにおいて、丸喜はタクシー運転手として主人公を駅まで載せていくシーンがあり「大人になってから失敗しても、もう一度やり直せる。それが僕の復讐かな」(大意)丸喜も見事に未来をつかむことが出来たのだと思い、うれしくなる。
見送りの際にかすみが現れないのも、怪盗団の見送りがやけにあっさりしている所も、自らの「意志」によって、自分だけの道を歩みはじめたことの証左だろう。新幹線のホームで、「前を向いて歩けよ」という声がする。前を向くと、強い目をした「すみれ」がいる。「それでは」という挨拶だけを交わして、二人はすれ違っていく。前を向いて進む、だが、二人は同じ方向を向いていない。なんと素晴らしい別れ方だろうか。
かすみと、怪盗団と、もう一度会いたいと思わずにいられない。もう一度、ありふれた閉塞と怠惰から、未来を切り開くために。そして別れをする為に。その為に何度もペルソナ5THE ROYALを周回し、そのたびに、自分自身の心の中に怪盗団があることを確認するだろう。
人生三回目にしてようやくハプニングを体験した話をここに書き捨てる
週末の都内某所
これで三店目のハプニングバーだ
一店目は見学の気持ちで行き、置いてあったSM雑誌を心ゆくまで堪能して帰った
二店目ではベテラン男性や女性に膣フィストを堪能して貰い、その後飢えた単男から囲って守って貰えお互い楽しくまったり変態会話して過ごした
交わる事に興味はない
真性M女という言葉がある
色々性的経験を積み重ね、プロとしてM女もした結果、私はS性もしくは変態性を持った相手にしか体を使って欲しくという事が良く判った
相手が有段者な程、戦いは盛り上がる
この対戦相手は何処までの経験を持っていてまだ自分が知らない快楽を与えてくれるだろうか?
また、自分はこの対戦相手の欲望に応えられる経験を有しているだろうかと思い身震いがする
この間プライベートで出会った相手は一晩中アナルや性器をひたすら舐めたいと望む人だった
一晩舐められるなんて屈強な舌の持ち主だなぁと二穴を蕩かされながら考えていた
有段者に遭遇するとすぐに判る
彼らは性に対する余裕が違う
一般の相手は回転寿司で価格を気にしながらお腹を満たそうとしている感じがする
有段者の彼らは価格のない寿司屋で価格を気にせず好きな物を好きな分だけ食べる感じ
そのぐらい圧倒的に違う
誰が対戦相手になるか判らないのがハプニングバーで、今回訪れたハプニングバーには複数の有段者がいた
ポリシーとして避妊具無しで舐める事は通常滅多にしないのだが、この相手の要求には素直に従えた
交わろうとせず只々弄りあう事を求める相手だった
何と弄り合いだけで5時間以上経った
一回飲み物を取りに行った時もその後もずっと共にいた
口移しで飲み物を呑ませ合い、当たり前の様にキスをしてキスをされて
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我々が長い時間ソファで弄りあっている間、同じく隣で弄り合いだした女性と目があった
華奢で可愛らしい女性だ
彼女は夜の部開始と共にすぐ相手を決め、艷やかな声を響かせていた
その後も相手を取っ替え引っ替えし、空間にその嬌声を聞かせる様に響かせていた
彼女のお眼鏡にかなっただろう新しい相手を連れて隣に腰掛け、その相手に肌を貪られている彼女の目は爛々と燃えていた
こちらを見るその狂った目は白くてらてらとと輝いていた
まるで美しい女神を見ている様で弄られながらもずっと目が離せなかった
相手の愛撫を受けた後、嬉々としてまた個室へと消えていく彼女を自分の濡れた太もも越しに見ながら、私の目も彼女の灯りを反射して燃えられていただろうかなと思った
今回かなり満足いく経験が出来たので、ハプニングバーに行く事は今後もうないだろうなと思いながら、唾液の残り香と共に帰路についた夜だった
最近はネットでいろんな情報が手に入るので、共学や男子校出身の人でも知っている人は多いかもしれない。女子校は男性の三歩後ろを下がってついて行く淑女を養成する学校ではない。
1人でも社会の中を生きていく力のある、自立した人間を育てる学校だ。
少なくとも、私の通っていたところはそうだった。
フェミニズムは節度を持っていれば悪いことではないと思う。女性が優遇される必要はないが、冷遇されるいわれもない。男性と女性、同じ権利と義務を持っているべきだ。と考えるのは、学校の教えが染み込んでいるからか、はたまた近年の風潮のせいか。
多分、両方だと思う。
どんな出自であれ、この頃の若い女性は権利意識を強く持っている人が多いように感じる。有名人でいえばエマ・ワトソン、映画でいえばズートピアのジュディだ。
いまや男女ともに「ジェンダーレスな強い人」であることが求められる。
多様性が認められているようで、実際はそうでもない。「女の子はプリンセスじゃなくてもいい」のではなく、「女の子はプリンセスではいけない」になりがちだ。一億総活躍しなきゃならないのだから、当然かもしれない。
これは男の人も同じだと思う。「不器用な日本男児」は糾弾されがちで、「細やかな気配りのできるポリコレ意識のある男性」が求められるのではないだろうか。(これは完全に推測なので、違ったら申し訳ないです。小学校からずっと女子校で、就職先も女性ばかりの職場だったので、男性についての理解が低いです。)
これはとっても苦しいことなのではないだろうか。
女性の中には、女性の権利なんてどうでもいい人だって、内助の功を立てたい人だって居ると思う。
我々はサラダを取り分けたって、かまはトトからできているの?と尋ねたって構わないのだ。
それで馬鹿にされようが、考えの古い人間にこれだから女は思われても、誰からも責められる筋合いはない。女性だからといって、無理に戦わなくていいのだ。媚びたい人は媚びればいい。戦いたい人だけが戦う。すべての人間は自由なのだ。
私はよく何も分かっていないふりをして、相手の「自分は彼女の面倒をみてやっている」という充足感というか、優越感を満たす。こうして媚びへつらうと安全で楽だからだ。
一生懸命、戦わなきゃと思っている人、実際戦っている人、それは強制ではない。逃げちゃってもいいのだ。少しでも生きやすい場所を見つけられることを願います。
媚びるのは、誰にでも媚びます。男性にも女性にも。年上にも年下にも。
先生にも「そうやって(媚びへつらってい)ればどうにかなると思ってるでしょ」と言われたりしました。
職場は女性ばかりですが、男性が0ではありませんし、社外の方は男性が多いです。
それと、私は強い女です。別に誰に「媚びるな」「あなたみたいな人がいるから女は地位が低いままだ」と言われても、強い意志を持って太鼓を持ち続けます。そう、それにすら強さがいるのです。
これを書いたのは、社会人になった友達に辛そうな人がたくさんいて、遣る瀬無さが募ったからでした。強くなくてもいい社会になればいいのに、と。私は強くても、友達1人慰めることのできない無力な人間です。
アドミッションポリシーとか、それに類するものに「国際社会で活躍していく女性」みたいなことが明確に掲げられることが多いと思います。
身バレしたくないので詳細は省きますが、私は社会系を専攻していたので、特に昔の社会についてはそれなりに理解があるつもりです。その上で言いますが、鎌倉〜昭和の社会は女性にとって日本でもっとも悪い時代だったと思います。
私が思うのは、「女性はみんな強くあって権利を勝ち取っていかなければならない」というのが古いということです。これからは「男女平等であることが当然で、弱い人が弱いままで生きられる社会」を目指すべきです。理想論すぎますが、よりよい社会のために理想は必要です。今の社会は発展途中ですから。
あと、男の人のことをよく知らないので(母子家庭で本当に周りに男性がいなかった)、女性という表現で書いていますが、弱い男性だって生きやすい社会になるべきです。
どうして「若い女だから」特別に甘やかされなくてはならないんでしょう?「若い女」が「甘やかされる」のではなく、「弱い人」でも「受け入れられる」社会がいいと思います。もっと言えば、強い人、お姫様になりたい人、主夫になりたい人、王様になりたい人、みんなに居場所がある社会です。
》「女だからお茶を入れろ、サラダを取り分けろ」と戦うってこと…?
そういうことになるんですかね……
女でも男でもしたい人はお茶を入れてサラダを取り分ければいいと思うので。男女問わずというところでは「女だから」と戦うことになるのかもしれません。
私は空気を読んでやった方がいいなと思ったらやります。それは「女だから」ではなく、「場を円滑に進めたいから」です。
私は狡猾なので、女であるということを利用するときも、若さを利用する時も、愛嬌を利用することもあります。それをここでは「媚びる」と表現しています。多分、歳を取ったら別なことを利用していくと思います。
友達はこうした卑怯なこと(と私は思いませんが)をするのが後ろめたくて、「1人で頑張らなきゃ」と追い詰められているようです。人は助け合って生きていくものなのに。こう思ってしまう原因がフェミニズムなんじゃないかなぁ、というのが私の考察です。自立した強い女性という呪縛。
NHKのサイトでフローティング表示されたキズナアイ全身像は残念ながら現実なので
かわいそーだけど架空キャラだからオタクやNHKにもうやめてくださいもいえないね
※今みたらフローティングはさすがにやめたっぽい?けど全身はあるね
創作活動はしていないが、あれやこれやと設定や企画を考えるのが好きだ。
それはゲームとか漫画とかのコンセプトだったり、世界観を想像したり、古代文明の失われた機械だの霊能力だのと、介護保険を払う年齢になっても空想が好きなのだ。
漫画家のゆうきまさみ氏は、架空のアニメを企画するという遊びを仲間内でやってたらしい。そしてそこからパトレイバーが生まれたのは有名な話。
まさにそれ。気の合う仲間と、ありもしない世界をつくりたい。語りたい。
短編小説を書き上げる程の根性もなければ、味のある絵も描けるわけでもない。努力を惜しまない姿勢も含めて、自分にはそういう一種の才能が欠けているのは、専門学校生の時に気づかされた。夢から醒める瞬間だった。
それはもういい。ふるいにかけられ、クリエイターになれなくとも、年甲斐もなく創造するのが愉しみなのだ。
どこかにないのだろうか。そういう設定とかをシェアするようなサイトとかサークルは。
次第に著作権とかの問題も出てくるだろうが、ピュアに、もう一度、あの頃のように夢をみたいんだ.....!
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って、書き殴りしたが、ほんと、どこかにないですかねー。
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トラバ付けて頂いたりコメ頂きありがとうございます。はばかりながらも、追記します。
あれから、もし自分でサイトを立ち上げるなら、何が必要か、何が起こりそうか考えてます。もう既に想像中w
例えば男性キャラAの設定を投稿、それについてディスカッションが始まる。
みんなが色々考えるなか、誰かが「実は女にだらしないってのはどう?」と提案する。
でもその提案、ストーリーの作り次第では意外とイケるのでは?破棄はもったいない。
それならば、「標準」という設定から枝分かれさせたらどうだろう。プログラム開発でいうブランチを作る感じで。
また誰かが「それは生温い。ペドフィリアで行為の最中に『孕め、孕め』と叫ぶゲス野郎だ」と提案したら、どうしよう。
いくら投票で決める「標準」から枝分かれできるシステムでも、自分のポリシーに背く内容だ。
ある程度は公序良俗に沿うよう利用規約をつけても、逆に表現の自由を奪ってないだろうか?
そこでゾーニングだろうか。
例のポスターや乳袋の話を「男vs女」の話にするのは乱暴じゃないかしらん。
実際、以前過激すぎるラノベ表紙をなんとかしろ〜と言い出したのは男性だったわけで、
男女関係なく萌え絵に違和感を覚える人は居るってだけの話でしょう。
そもそもアニメーターや漫画家のアシスタントなどなんらかの創作活動に携わる人間は萌えやえっちいらすとに対して耐性があるし、なんなら「えっちで可愛い女の子を描きたい」とさえ思っている(個人差あり)ので「これは酷い!表現の自由を逸脱している!」とか「あまりにも女性軽視だ」とかの意見は出づらいんじゃなかろうか。
なんの創作者でもそうだろうけど、基本的には本人の好きな物、得意なものを描かせるのが一番輝くので進行管理のひとも本人のポリシーに反する仕事わざわざ任せないんじゃないんすかね。
ミクロな話でいえば、乳揺れの動かし方で揉めるとかはありそう。
でもそれってポリシー云々っていうよりは表現者としてのこだわりみたいなもんだしまあ何かどうでもよくなってきたわ、それじゃ。
https://ameblo.jp/kekkon-monogatari/entry-12535272522.html
あぁ……前に同人誌ソムリエと呼ばれる人と出会って色々あって別れたのを思い出して辛くなってきた……
だいたい壁なんて在庫あるから島中回ってから行くでしょコピ本こそ真っ先に押さえるだろとか海鮮10年選手としてはウザ絡みしたくもなるが
これ例える必要ある話かねというのもありつつ、自分も同人誌は一期一会をモットーにしているので多少思う所はあった
ただまぁこの界隈は男は誰でも若い子が好きという決めつけが強くてどうも
始発で行くのは壁や企業に並ぶためでなく、より多くのサークルを完売前に回るためだ
あとこういうポリシーだけど、こないだ仲人から「増田くんさぁ…お見合い受けるのはいいけどあからさまに交際成立率が低いよ?」と突っ込まれてしまった
お金が ないです。
食べログ有料会員だった店で働いたこともあり、現役レビュアーでもある自分から見て最近のSNSでの食べログへの言及には、勘違いやデマが看過出来ないぐらいにひどいものがあります。よく目に付く、気になった意見についてコメントを付したいと思います。
昔は知りませんが、ここ数年で削除などわたしは経験がありませんし、フォロワーさんからも聞いたことがありません。
修正対象にされるのは接客について、衛生についての否定的記述です。
食べログ曰く「お店に悪影響を与える可能性のある内容を確認も取れないのに書くのは~」。過去のいきさつから事なかれ主義になってしまったのでしょう。これにより多くのレビュアーは遠回しに書く技術を身につけていきます。
また、お店からのクレームで下書きに戻されてしまうこともあります。
これに関しては、証拠がなければ修正に応じるかレビューを封印するかしかありません。
わたしは証拠を突きつけて、相手を黙らしたことが何度かあります。
なお、味についての評価は酷評であっても一度も修正要求されたことがないです。
住所連絡先などの基本情報は、会員であれば誰にでも登録編集が出来ます。
レビュー内容に関しては前述の通り、事実と異なるのなら申請出来ます。会員店でないお店からも再三クレームを受けていますので、関係ないでしょう。
もし実際にそのようなやりとりがあったとしたら、代理店あたりが実績ほしさにふかしていたのでしょう。
有料会員店勤務だったころにもそんな話は聞いたことがありません。
レビュアーとしても、有料会員店に厳しいレビューをしても消されたことはありません。
可能性としては、上記のように修正要求を厳しめに行って都合の悪い記述を潰すことでしょう。
ステマではないのかもしれませんが、目立たんが為にやたら高評価連発している人もいますし、「悪い評価のレビューは書かない」というわたしからしてみれば意味不明なポリシーをお持ちのレビュアーもいます。
使い方は自由ですが、基本情報が間違っていることも多々あります。閉店したお店がそのまま掲載されていることもざら。
公式情報ですら最初に登録してから変更があるのにいじっていない店もありますので、参考程度でしょう。
Googleは検閲がないので包み隠さず書きたいことがかけるのは事実です。
ただし、Googleアカウントは無料でいくらでも作れますが、食べログは携帯電話番号の登録が必要です。これについてはこれ以上説明する必要もないでしょう。
なお、Googleの点数は単純な平均点ですが、食べログはレビュアーの影響力を考慮した独自アルゴリズムによる算出ですので、点数に関しては単純比較は出来ません。さらにいえばレビュアーの層も違うでしょう。
公正取引委員会が調査に乗り出しているようなので成り行きを見守りましょう。
レビューの登録は新しい順ですが、「ピックアップ」とされるレビューは先頭に乗ります。このピックアップは4.0以上の評価のレビューから選ばれますが、それ以外の基準は不明。ときどき入れ替わります。
一方、評価が低い(おそらく2.9以下は)レビューは登録順無視で後ろに回されます。これに関してはレビュアーでも気付いていない人は結構いそうです。