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はてなキーワード: パチンコとは

2020-08-17

昨日の夜くらいから「月曜の昼飯はつけ麺にしよう」と決めていた

会社のすぐ近くにあるおいしいつけ麺屋 暑い夏場にはぴったりのメニューで週に1回は必ず食べたくなる

そう思っていたところ、出社時に店の前を通ると「13~18日までお盆休みを頂きます」の貼り紙

「盆休み長すぎだろ 4日で我慢しとけ」と思ったものの、休みと言われてはどうしようもない

既に気分はつけ麺なので今更変更したくはないが、近くには美味しいつけ麺屋は無い

から一生懸命つけ麺屋を探したところ、車で40分ほどの場所に1軒良さそうなお店を発見

自家製麺」「営業は昼のみ 麺がなくなり次第終了」 なるほど、これは当たりかもしれないな

取引先に訪問するフリをして車を走らせること35分で店に到着

開店直後にも関わらず店内はほぼ一杯 カウンター席が1つだけ空いていたのですかさず確保

つけ麺大盛り美味しゅうございました こんなの食べたらいつもの店とかいけねーわというくらいの美味しさ

ただ周りの人たちはみんなラーメン食っててそれがまた美味そうなのね

しかも「麺食い終わったあとに白ご飯ぶちこんで食べる」ってのがこの店のルールらしくて、メニューにもそうしろと書いてある

次回来店時はラーメン定食を頼むことに決めたところで本日業務は終了

パチンコ屋の駐車場で昼寝してからスーパー銭湯行って直帰しま

ビットコイン10万くらい買っておくのをお勧め

ホットエントリに来てる記事仮想通貨パチンコと評されてるけど、10万なら半額になっても5万の損失だし、数倍になったら数十万じゃん。

自分ポートフォリオ1%ビットコインにして、10年以上キープするつもり。(2-3%まで増やすかも)

FRBが2年間金利ゼロにすると言っていて、少なくともその間は大幅に崩れることはないと思うからビットコイン半信半疑の人も、10万くらい買って2年くらい様子見すればいいと思う。

2020-08-11

anond:20200811195545

そんな貯金するなんてパチンコ行けなくるからイラには無理だお\(^ω^)/

パチンコ行ってなくても無理

千日参りってどういう仕組みなんだろう

昨日、千日参りに行ってきた。

コロナもあり、出店もなく大盛況とまではいかないものの入れ替わり立ち替わり人が来て、決して都会ではないたまにいっても静かな空間の寺がかなりの賑わいを見せていた。

いや、だってすごい。一日参れば「四千六百日のお参り」と同等の価値がある、とかもうサ終するソシャゲも真っ青のサービスっぷり。だって四千六百日って126年毎日かかさず365日毎日参ったのと同じ分ってことになるんだよ。私は中学生の時も一回千日参りに行ってるから倍ですよ。252年?分ですよ。

一体どうしてこんなことになってんだろうかって参拝待ちしながらぼんやり妄想ちゃう

ここからはもう本当にただの妄想の垂れ流しで独り言みたいなもんなんだけども、

もしかして、こうやって押し掛けることでサマーウォーズみたいに一種サーバー落ちさせて、バグ起こしてんのかなぁとか。

パチンコサービス日みたいにやっぱりご利益の倍率?を操作して、実質200日程度と同等レベル、とかだったら面白いな~とか。

もし私が死んで、閻魔さまの前で最後の審判を受けるとき千日参り二回も行ったんだよ、功徳結構積んでるよ、ってアピールしたとき閻魔さまのスタッフみたいな人に「あー……千日参りはね、そこまで功徳の功績にはならないように500年ほど前に変わったんですよ~ 不公平って意見もありますし、まずあのイベント自体ちょっと公式との見解が違いまして……」とか説明されたりして。

そこで泣きつく人もいたり、「あっ、そうなんすか~ じゃあ実態は何日分くらいのご利益になるんすか?」って聞いたら地獄謹製コンピューターそろばんみたいなガジェットをぱちぱち弾きながら「えーっと……行かれたのは四天王寺と…葛井寺…で間違いないですか?でしたら合わせて482日分になりますね。」とか教えてくれたりして。

なんでそんなガセ誰が流したんでしょうねぇ~!よく考えたらさすがに一日の120ウンネンの価値とかすごいインフレですもんね、でもほんとだったら嬉しいし参拝しますもんね、はじめは何だったんでしょうねぇ~とか聞くと「たぶん1000年くらい前に九死に一生を得た者がここでの功徳換算を中途半端に聞いて広めたのかも知れないですねぇ…当時はもっとここ(閻魔さまの裁き)もどんぶり勘定でしたしこれ(功徳演算ガジェット)もなかったですし……」とか言って苦笑いしたりするんだろうか…って考えたらなんか萌えるエモい。全部妄想だけど。

てゆうかもう「鬼灯の冷徹」らへんでネタにされてそう。

とにかく何らかの功徳サービスデーのはずなんで行けてよかったし、帰りも寝る前も妄想であれこれ考えて楽しかった。

anond:20200811091607

さて、パチンコ店が軒並み閉鎖なんだが

さて、パチンコ店が、助成金が出ているこの状況下で自粛に応じて

どうやったら、赤字になれるのか?

 

よくて、コロナ対策機材を新規導入したとして、単年度赤字にはなれるだろうが

10年計画で10で割って按分して赤くなるかどうか?

いまパチンコを、制限無しであけるとどうなるか?

2020-08-09

anond:20200809093816

男だけど、労働以外にもパチンコと車の改造と風俗の話は普段からよくするよ

あと街でヤリマンを見つけるにはどうするのかの話とか

2020-08-03

そもそも日本観光立国を目指そうって時点で間違えてる

観光産業なんてあくまでおまけであってメインの産業にはなりえない

一時は客が来たとして10年後20年後観光客を安定して呼べるの?無理ありすぎじゃない?

例えるなら風力発電とか太陽光発電を主電源にしましょうっていってるようなもんだよ 不安定すぎてあくまでサブにしかならないでしょう

観光関連業種で働いてる人たちもそういう不安定な業種だと分かってて就職したんだろうから今になって支援しろとか言われても困る

JTBとかJAL就職人気ランキングで上位に居るのを見て「やっぱ学生は何も分かってねえなあ」って思ったもの

からとりあえずそういう企業資金繰り行き詰まったり冬のボーナスゼロとかっていうニュースを見るととても楽しくなる

旅行に行く金があったらパチンコでも行くわ」と言いながらぼくは今日売れ残りの半額弁当つまみに酒を飲んで寝るのだ

2020-08-01

痴漢に遭った日から20年経っても好きな人ができない

小6の時に痴漢に遭った。

夏休みの早朝、飼育当番のために学校に向かう途中だった。

静かな住宅街で人通りはない。

蝉の声に混じって、背後からバイクのドッドッドッという音が聞こえてくる。

私の歩く速度と同じぐらいの速度のバイク

近くでバイクを停めようとしているのかな?と思っていたが、視界の左端にバイクが入りこんできた。

さすがに違和感を覚えて隣を見たら、バイクに乗った20代と思しき男性が私の左胸をもみゅっと揉んだ。

驚きのあまり声も出ず、バイクが前方のY字路の右の方に走り去っていくのを呆然と眺める。

とにかく学校に行かなくては、と歩き始めてしばらくすると、今度はY字路の左の方から痴漢こちらへ向かってくるのが見えた。

走って逃げても追いつかれるしどうしようどうすればと考えているうちに、痴漢は私の真正面にバイクを停め、私の胸にまたしても手を伸ばしてきた。

私はその手を払う。痴漢はまた手を伸ばしてくる。また払う、払う、払う、払う、払う…それを何度繰り返したかからない。

鋼の錬金術師で、真理の扉から這い出てくる無数の手に”持っていかれる”シーンがあるけれど、この時の痴漢の手はまさにそんな感じだった。

どうしてそんなに胸が揉みたいのか、訳が分からなかった。

執着心が怖かった。

ハァハァという痴漢の荒い呼吸が気持ち悪い。

手が汗ばんでいる。

日差しがきつい。

木陰の葉っぱの模様が手の甲に浮かぶ

蝉の声がうるさい。

痴漢の真っ黒な瞳に白いTシャツが映る。

一瞬にも永遠にも思える時間

震えながらも「やめろ!」と大きな声で叫んだら、痴漢はY字路の下の方へと逃げ去っていった。

痴漢のことを親や学校先生には言えなかった。

中1の時は好きな子いじめに遭った。

机の上に置いてあった筆箱をわざと落とされたり、貸した消しゴムを全部使っちゃったと言って返してくれなかったり、通りすがりに肩をぶつけてきたり。

半年が過ぎたあたりで席替えがあり、彼の隣の席になってしまった。

の子と席をトレードしているところを見かけたから、偶然ではない。

授業中もしつこく絡まれて最悪だったが、近くの席の女子が彼の発言に本気で怒ってくれて、その後彼は担任先生にも叱られていた。

それからは関わることがほぼなくなったが、また別の男子による好きな子いじめに遭った。

ひとつひとつ些細なことだったが、さすがに半年以上続くと心がじわじわやられていく。

これが好きという感情によるものなら、一生誰にも好きになってほしくないと心の底から思った。

学年が変わる頃には、男性性的感情はおろか恋愛感情を抱かれることすら嫌になってしまっていた。

それから男性への嫌悪感は募るばかりだった。

学校の近くによく出没した、携帯電話を耳に当てながら自分性器をいじっていたお兄さん。

電車で隣に座って寝たふりをしながら、膝上の鞄の下から手を伸ばして私の太腿を触ったおじさん。

自転車に乗って、下半身露出させながら話しかけてきたお兄さん。

久々に会った時に急に胸を触ってきて、「小さいな」と言った親戚のおじさん。

男性けが死ぬウイルスや毒が発明されないかなとか、男性全員の性器を刈り取って回りたいとか、とにかくこの世の男性全員死ねと思っていた。

父親には悪いけど犠牲になってもらおう、なんて考えて。

男性に好かれないための弛まぬ努力を続け、私の中学高校生活は終わった。

大学に入ってからは、なんと10年ぶりに男友達ができた。

当時の私は人間がこの世をどう解釈してきたのかに興味があり、哲学宗教、その他ジャンルわずいろんな本を読みあさっていた。

友達ができた要因はいくつかあるが、仏教思想に触れて精神的に落ち着いたことが大きい。

因果応報という言葉は私にとって解毒剤だった。

私に痴漢してきた男が、実際にその報いを受けるかどうかは重要ではない。

そう信じることで、自分以外の何かに託すことで、憎しみを手元に置いておかなくても済むのだ。

(※個人解釈であり、解釈違いです)

自分で裁かなくてもいいと気付いてからは、男性攻撃する気持ちが薄れていった。

そして男友達のおかげで、私は男性に対する偏見固定観念を少しずつ捨てることができた。

男性男性である以前に人間なんだと、そう思うことができた。

彼と将来の夢を語り合ったことを今でも覚えている。

それでも、駄目だった。

季節が一巡して、彼が私に恋愛感情を抱いていると知ってからの、拒絶反応はすさまじかった。

ぬいぐるみペニス案件どころではない。

彼と姿かたちが似ている人を見かけるだけで、怖くて気持ち悪くて息が止まる。

これは男嫌いじゃなくて男性恐怖症なんだ、とその時になってやっと気付いた。

彼と直接話をすることはとてもできなかったので、手紙をしたためた。

痴漢に遭ったこと、男性恋愛対象として見られることが怖いこと、これは私の問題で彼は何も悪くないこと、彼の幸せを願っていること、これから私は1人で生きていくだろうこと。

そうしたら手紙でお返事が来た。

私を責める言葉ひとつもなく、最初から最後まで優しさにあふれていた。

私の過去現在を受け止めて、真っ暗な未来蝋燭を灯してくれるような。

『これから先、笑って、泣いて、怒って、楽しんで、可能性は誰にでも平等だと思う。現実はこんなだけど、先は分からないよ。』

本当に誰よりも、私自身よりも信頼できる人だった。

からこそ、それでも駄目だった、という事実が重くのしかかった。

大学卒業してからは、夢だった職に就いて仕事に没頭している。

今では性別に囚われずに、人と関われるようになったと思う。

初対面の男性に対しては目が泳ぐこともあるけれど。

恋愛感情を抱かれても告白されても、もう男性に対して気持ち悪いとは感じない。

同じ気持ちになれなくてただ申し訳ないと思う、自分の変化に驚いた。

つの間にかあの夏の日から20年も経っていた。

今でも、背後からバイクのドッドッドッという音が聞こえてくると、呼吸が乱れる

自動販売機ポスト、誰かの家の前を通りがかる時などに、極稀にそういう場面に遭遇する。

その度に鞄を胸に抱えてやり過ごしては、私はまだ大丈夫ではないと思い知るのだ。

痴漢に遭うよりも前、好きな男の子ポケモン交換をして笑っていた私は、どこに行ってしまったのだろう。

私の中にあるはずの恋愛感情は、眠っているのか壊れてしまったのか、分からない。

結婚して子供を作っている人がただただまぶしい。

それを自然なことだと信じて疑わない人たちは、さも不思議そうな顔で「結婚する気はないの?」と聞いてくる。

それ以前の段階で躓いてしまった私には、その選択肢すら頭に浮かぶことはない。

あなたあなたの子供が性犯罪に遭わないことを願う。

性犯罪を犯さないことを願う。

人生はいとも容易く狂ってしまうから

胸を揉まれたぐらいで大げさじゃないか

胸ぐらい揉ましてあげればいいじゃないか

男女問わずそう言う人をこの目で見てきた。

TV痴漢報道を見ながら、母親も昔そう呟いていた。

それが生きる知恵だとでも言いたいのだろうか?

ただただ痴漢にとって都合がいいだけで、私やあなたを救いもしないのに。

これは胸とか尻とか、体の部位の問題ではない。

被害の大小の問題でもない。

許可なく体を触ってもいい、自分の好きにしてもいい存在と見なされることが、どうしようもなく耐えがたいだけだ。

私はあなたにとって人間ではないのか?

不特定多数の人が、今日もどこかで誰かに痴漢をしている。

その手が今、偶然にも私に伸ばされていないだけだ。

自分で選んだ覚えもない人間という種に生まれて、人間扱いをされたりされなかったりする。

こんな馬鹿げた話があるか。

あなた人間だ。

私も人間だ。

それだけのことがどうして難しい。

いっそ心ない畜生ならよかった。

命すらなくてもよかった。

私が痴漢に遭ったことも、私が生まれたことも、この世に溢れるたくさんの嘘のひとつなら、どんなにかよかっただろうに。

---

この文章性犯罪被害者へのセカンドレイプが、今ほど問題視されていない頃(とはいっても数年前)に書きました。

当時投稿しなかった理由は、エイプリルフール投稿しようと思っていたのに、エイプリルフールまでに書き終わらなかったからです。

次の年にはすっかり忘れていて、最近蝉の声を聞いて存在を思い出しました。

読み直していたら涙が出てきたので、もうこのまま当時の文章のまま、えいやっと投稿します。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

---

追記

結局この人はどうしたいんだろう?どうなりたいんだろう?

この文章のゴールは、私が現実を受け入れることでした。

どんな人にも、あの時こうしていたら、あの時ああしていなければ、などの過去のたらればがある(あった)と思います

私の場合、最も頭の中で繰り返したたらればが、小6の時に痴漢に遭わなければ、だったのです。

でも時間は不可逆で、その願いが叶うことはないのだから、どこかで現実を受け入れる必要があります

そのための行為文章一切合切吐き出すというもので、内容は自分が思っていた以上にどろどろしたものでした。

こんなの毒状態で生きてきたようなものじゃないか?と半ば呆れました。

増田投稿したのは、客観的意見を聞いてみたかたからです。

この文章は私にとっては私の半生ですが、結局主観しかありません。

結果としていろんなコメントをいただけて、自分を見つめ直す良い機会になりました。

私は穏やかに暮らしていきたいです。そう言葉にした時に、今の暮らしはまさに穏やかじゃないか?と思いました。

今日観葉植物の植え替えをして、ちょっと掃除機をかけて、ごはんを食べながら姫様拷問時間です(ギャグ漫画です)の最新話を読んで、昼寝をして、仕事関係勉強をして、この追記を書いています

最後以外穏やかすぎて何だか笑えてきました。

今は自粛中なので、時機を見てカウンセリングに行ってみようかなと思います

学生の頃はお金がなくて、その選択肢が浮かんでは消えていました。

まずは良さそうな病院を探してみます

無邪気な父親子供気持ち共感できない母親のせいだ。

そうかもしれません。いえ、もしかしたら元凶かもしれません。

私には姉がいて、父が男の子を欲しがってできた子供が私です。

2人目も女の子だったから、増田ちゃんが生まれた時お父さんはパチンコに行っていた、と母から何回か恨み言を聞かされていました。

二次性徴が始まった頃、自分が父の望んだ男の子ではなく女の子であるという現実を突きつけられ、自分性別をうまく受け入れられませんでした。

そんな折に痴漢に遭ったので、余計にショックが大きかったのでしょう。

余談ですが、私が高校生の頃、姉からブスというあだ名で呼ばれていました。おい、ブス!みたいな感じです。

からお見合いの打診を受けたことをきっかけに家を出ましたが、まず家に問題があったなと今改めて思います

仏教はそういうものじゃないと思う・・・

因果応報でググってみましたが、確かに自分の都合のいいように独自解釈して歪めていますね。

少なくとも自己責任と同じように、他人に対して向ける言葉ではないと思いました。

誤認されるのは本意ではないので注釈を追加しました。

ご指摘ありがとうございました!

クズにやられたダメージを他の善良な男に返したのね

私に痴漢した男性も、誰かにやられたダメージを私に返したのでしょうね。

友達が私を許してくれた時に、私も私に痴漢した男性のことを許そうと思えました。

でも本当に許せているのか、今も自信はありません。

ちなみに、男友達は善良で可愛くて聡明女性(私も知り合い)と5年前ぐらいに結婚しました。

あの2人なら仲良く幸せ暮らしていけるだろうな、と思えるようなお似合いのカップルです。本当によかったです。

ボディビルダーの軟弱な精神――西成公園バンカラ精神との比較――

ボディビルダー筋肉が実戦的であるか否かという論議があるが、左様な些細な事はどちらでも結構だ。私が主張したいのは、ボディビルダー精神生き様の軟弱さだ。金になる訳でも無しに、心疾患や脳卒中など健康を害する危険を負ってまでして肉体に過負荷を掛けて常に筋肉痛で体を弱らせている。其の上普段生活では、米飯菓子の類は炭水化物が多いから食えないだの、氷水は体を冷やすから飲めないだの、酒も煙草健康に悪いから呑めないだのと、できないこと尽くしだ。何らかの宗教的信仰心を持っている訳でもないのに、身体の見栄えを良くしたいというナルシシズム的な自己陶酔で、人生を棒に振っている。これが軟弱でなくて一体何が軟弱と言えようか。別段健康の為の体操趣味スポーツ否定する訳ではないし、体力仕事によって自然と付いた筋肉ならば寧ろ良いとさえ思っている。ただただ、人生の貴重な時間ボディビルディングに空費する軟弱者が増加していることに私は辟易としているだけだ。

ボディビルダーなどに比べて、大阪市西成区西成公園に屯している男共の方がよっぽど精神的に頑強であると言いたい。人目を憚ることなくその場で食って飲んで寝てと欲望の赴くままにバンカラ人生を歩んでいる。金が無ければ日雇い仕事へ出向き、稼いだ金は酒・パチンコ飛田新地でパーっと豪勢に使う。飲む・打つ・買うの三拍子揃った男らしい男だ。外見を気にしている女々しいボディビルダーなどとは真逆精神を持っている。ボディビルダーよ、筋肉を鍛えることなどもう止めよ。貴君が鍛えるべきは筋肉ではなく精神だ。西成公園の男共が持つバンカラ精神を見習うべきだ。

2020-07-31

たった今、俺が思いついた感染症対策経済との両立→「人が多いところで極力しゃべるな・もっとうがいしろ」これだけ

満員電車はなぜクラスターになったという証拠が出てこないのか?

ずっと考えていたところ。

3密、ソーシャルディスタンスといわれながら

満員電車規制されないのは、本当に不可思議

3密状態なのに、感染が広がりにくい理由として、車内の沈黙がしばしば指摘されている。

これって、事実検証されていないものの、本当だとすれば、実は相当、本質的な話じゃないかとふと思った。

「3密、ソーシャルディスタンス」これらは、物理的な距離しか表現されていないが、

感染リスクは、物理的な距離だけでは表現できないことを示しているからだ。

直感的な結論は、「飲食店・車内他、3密が避けがたい空間での会話を自粛する」「私語厳禁の名曲喫茶並みの自粛を求める」

「1時間に一度、客にうがいタイムをつくってもらう」これだけで十分な対策になりうるんじゃないか

パチンコ屋をみてみろ。

あいつらは、あれだけ批判を浴びながら、一度もクラスターを発生させていない。

なぜなら、客は終始無言だからだ。黙ってパチンコ真摯に向き合っているからだ。

カラオケ屋はどうだ。

なぜあんなにクラスターが?

喉を枯らして、ウイルスへの暴露を増やしてしまうからではないのか?

今日マスク着用を拒む高齢感染者を説得しようとした看護師感染したというニュースが。

説得という喉を使う行為が影響したかもしれない。

喉?ということで、もう一歩進んで考えてみた。

ウイルスの防御は、およそ3段階ある。

ひとつマスク、手洗いなど衛生活動による身体への付着リスクの軽減だ。

次が、万が一付着してしまったとしても、粘膜には侵入防御の機能がある。

最後に、残念ながら粘膜も突破されてしまってウイルスが体内に潜りんでしまったとしても体内で作られる免疫で守る仕組みになっている。

この3つのステップというのは、もう少し考え直したほうがいいのでは。

今、世間では、身体への付着リスク免疫の二つの段階しか議論していないようにみえるが、本当に重要なのは中間の防御である「粘膜」じゃないだろうか。

第1の防御であるマスク・手洗いなどがよくいわれるが、うがいはもっと強調されていい。

政府が率先して小さな布切れを配っているくらいだからマスクによる予防を真剣に考えてくれているとはとても思えないし、

正直、マスクウイルスの付着を防いでいる、というのは実態とは異なるんじゃないかと思っている。

口鼻だけ守ったってどうなの?と。外出したら、そこら中、触り放題で帰宅するわけでしょ。マスク役割限界ないですか?

帰宅したら即シャワーだ!くらいのことをしないと。

そういってみて、思い出したのが夜に入浴する習慣の乏しい欧米

一日に二度三度入浴するタイベトナム

一方、ウイルスが本格的に体に侵入するモーメントを考えてみると、ウイルスへの次の防御は粘膜だ。

ウイルスは粘膜から侵入するといわれる。皮膚から侵入しない。

外気にさらされている粘膜は体中にたくさんあるが、目、鼻、喉が普通生活では重要とされる。

耳や肛門まで警戒する必要はない様子。目もこすらなければいい程度の注意にとどまっている。

もっと感染エントリーポイントになりやすいとされているのは、鼻、喉だ。

から侵入メカニズム自分なりにイメージしてみた。

粘膜はそもそもウイルス防御機能がある。

しかし、乾燥していたり、喉が渇いていたり、しゃべる、歌うなど喉を使うとき、喉の粘膜が

ウイルス防御の機能を弱め、無防備に曝されるのではないか。緊張したり、興奮したり、運動することでも喉の粘膜は脆弱になるように思う。

マスクは実は、ウイルス侵入を防いでいる効果はそれほどでもなくて、鼻やのどを保湿することで粘膜への刺激を和らげる効果を発揮しているのでは?

だとすればアベノ布切れでも、そこそこ効果は期待できるかもしれない。

これは本当にしょうもない仮説だけど、誰か実証実験してもらえないかな。

人と接することがやむを得ない職業への対策としては、

マスク・手洗いうがいのほか、飴をなめる、というのを推奨できないか。1時間に1個くらい。

飴は、うがいほどではないかもしれないけれど、唾液で粘膜を洗い流す作用がある。

それにしてもうがいはもう少し再評価されてもいいのでは。

anond:20200731085918

その昔「CR世界名作劇場」というパチンコ台があったんだが、フランダースの犬ネロ昇天リーチ結構アツくてネロが無事に死ぬと大当たりなので

そのリーチがかかるたびにおっさんが「死ねっ ネロ死ねっ」って言いながらボタン連打しててなんか色々と地獄絵図だったわ

2020-07-30

絶対に男にビタ一文たりとも金を使わない女

知人なんだけど、「わたし、付き合ってる人に誕生日プレゼントクリスマスもあげないんだよね」と自分で言ってて、話を聞いてみたら男に金を使ったら死ぬ宗教でも信仰してるのか?ってレベルだったのでおもしろかった

もちろんデート代も絶対に出さない。でもプレゼントは貰う。むしろどんどん貢いでほしい。貢がれると愛されているなと実感できる。などなど。漫画キャラにいそうだなーという徹底ぶり。だからなのか、容姿レベルが5段階くらい下の(というのは写真を見た感想派遣男性と付き合ってるらしい。

彼女いわく、金持ちは意外とケチでギブアンドテイクとか言ってきてウザい。お金のない自信のない人ほどよいそうだ。金もないのに彼女貢ぐ派遣男のストーリーリアルだ。貧困によくある話で、対象パチンコガチャ恋人バリエーションがあるだけ。

彼女の夢は家事をしない専業主婦だそうだ。ADHDで働くことに向いてないと言っていた。でも子供はほしいそうなのだ。もし彼女がうまく結婚して子供を授かったとして、子供はいびつな両親の関係をどう見るだろう。

とか思っていた。

2020-07-29

anond:20200729233808

元増田だけどなんでその話したのかよくわかんないな。文脈関係あるのかな?全然わかんないかちょっと教えて欲しいな。もしかしてフェミっぽそうだからなんでも叩くと思うのかな?うんうん、競馬パチンコエロ本も大好きだし、パチンコしないけどどうでもいいから叩かないよ。うんうん、それでなんで叩くと思ったの?教えて欲しいなあ。

2020-07-28

父が死んで良かった

実家燃えてなくなった。

母の話によると父はタバコの吸い殻をダンボールにためていたらしい。なぜ父はそんなことをしていたのかは分からないし、なぜ母もそれを危険視しなかったのかはわからないが、とにかくそのせいで燃えた。

僕の昔住んでいた田舎実家はそうやってなくなった。次に見た時には簡単に整地されており、何を入れているかはわからないが小さな物置だけが建てられていてぽつんと建っていた。整地するためにお金が足りないということで僕も30万円を母に渡していた。

その後、父と母と、一緒に住んでいた次男一時的市営住宅のようなところに住んだ。向かいの家ではうさぎ放し飼いにされていた。しかしボロすぎて辛かったらしく、最終的に家を買った。今もそこに住んでいる。その家は2階建てで部屋もたくさんある広々とした家だが、前の住人が物置で首を吊って亡くなったため1千万円弱で購入できたらしい。

父はぶっ壊れていた。

僕が小さい頃の記憶を思い出してみると、父と一緒にファミコンの難しいステージ試行錯誤しながら一緒に攻略したり、将棋で対戦したりしていた。父の仕事場が家から歩いていける距離にあったため、小さな僕はたまに仕事場まで歩いていき、父が仕事が終わった時に一緒に原付きに乗せてもらって家まで帰ったりしたこともあった。

しかし父は脳に異常があった。その関係で度々入院したり、手術を行ったりしていた。何度も仕事を辞め、何度も新しい仕事をしていた。

そのためうちは母がメインで働いている。働きに出ている母のかわりに家事はおじいちゃんがメインで行っていた。食事洗濯や、子ども病気になった時に病院に連れて行ったり、雪で学校へ行けそうにない時は車で送って行ったり。

父は特に前頭葉に異常があり、理性を保てずふとした拍子に豹変することがあった。僕らがゲームをしていたら急に部屋に入ってきて怒り出したり、部屋で普通に過ごしていただけなのにちょっとした発言で急に説教をはじめたりしだした。

一時期はおじいちゃんが目の敵にされていて、おじいちゃんのやることなすこと全てに文句をつけて自分のやり方を強要したり嫌がらせをしたりしていた。ある日次男は父に「殺いたる!」と言われながら追いかけ回されてトイレに閉じこもって避難したりしていたこともある。僕もある日「ボケてるんじゃないの?」と父にいったらそれは禁句だったらしく、急に後ろから思い切り殴られ、しばらくの間耳が内出血した状態で過ごしていたことがあった。

あとは理性が効かないためパチンコにもハマっていた。生活費ほとんど持ち出してしまたこともあるらしい。そのため家族は色々と対策をしていたようだ。とにかく数え上げればきりがない。家族みんなが何度もひどい目にあっていた。いつ何で発狂するかわからない父と過ごす毎日地獄だった。僕は本当に父のことが大嫌いだった。

中学高校の頃は僕も思春期を迎え、なぜ僕だけそんな境遇なのかと自分人生を呪った。特に僕は人と接するのが不得意だったこともあり、なぜみんな日々学校あんなに楽しそうにすごしているのに僕は何もうまくいかないのだろうかと感じていた。そして僕はきっと父親のせいでこんな風になってしまったのだろうから全てが父のせいだと思っていた。

高校で1日が終わったあと、僕は毎日夕方遅くまで部室でだらだらとすごしていた。やることがあったわけではないが家で父と顔を合わせたくなかったからなんとかむりやり時間を潰していた。そうして父がご飯を食べ終えて2階の自分の部屋に閉じこもるあたりの時刻に帰宅するようになっていた。たしかそのあたりでは父に話しかけられても全て無視するようになっていたと思う。正直、早く父がこの世から消えてほしいと思っていた。

進学は田舎から遠い関東大学を目指した。高校での人間関係は何一つうまくいかないし、家に帰っても狂った父親が家にいることが耐えられなかった。とにかく全てを捨てて新たな地で心機一転新しい生活をはじめたかった。

結局僕は関東大学合格し、そっちで一人暮らしをはじめた。自分以外誰もいない家。好きなことを好きなだけでき、誰からも急に理不尽文句を言われることが決してない、人生ではじめての心から落ち着け空間だった。

外での人間関係が決して完璧にうまくいくわけではなく苦悩も多くしていたが、それでも大学サークルに入ってみんなと普段から活動し、その中でいつも遊べる友達も出来てそれなりに充実はしていた。

そんな4年間を過ごし色々なことを経験する中で、僕の心も徐々に溶けていった。

色んな失敗をした。失敗をする中でなぜ僕はこうもうまく行かないんだろう? と考えた。一生このままで生きていかなければならないのだろうかと思った。そんな人生に何の意味があるのだろうかと思った。何もないのであれば死んだほうが良いのではないかとも思った。何かある度にすぐ父のせいだ、と思った。しかし、父のせいにすることは何の意味もないことにある日気づいた。たとえ本当に父のせいだったとしても、この先幸せになりたいのであれば、僕自信が変わっていくしかないのではないかということに、運良くたまたま気づくことが出来た。

それに気づいてからは父のことが頭によぎることがなくなった。自分にとって重要なことは、今後自分がどうしていくか、ということだけとなった。過去は何も関係ない。ただひたすら未来を描いて進むことだけが重要なこと。ひたすら考えて、考えて、考えるようになった。

そうやって過ごしているうちに、いつの間にか父のことを許していた。正確には、父に対しての興味を一切失った自分がいた。

僕は性格的に、一つのことに極端に集中してしまう傾向がある。大切な物は愛おしい。しか自分に全く関わらないものには興味が無い。ちゃんと考えて話している人の言葉は気になる。しか思考停止で人を傷つけるだけの言葉には全く興味が無い。嫌悪ではない。そんな人は世の中にたくさんいることが当たり前だからどうでもよすぎて興味が持てない。だから父のことも興味が持てない。しかし形はどうあれ、許すことも興味を失うことも同列だったため、僕の中で父のことは全てが解決した。

その後の父

僕は自分普段生活のことばかりを優先して考えていて、あまり実家にも帰らなかった。たまに帰った時やたまたまから電話が来た時に話をするのだが、父は窃盗もするようになっていた。窃盗と言っても数千円を盗むくらいだったらしいが。

とはいえ特に意外性はなかったし、その後どうなったのかなども興味はなかった。しかし一緒に住んでいる母としては大問題だった。家族が盗みを繰り返すのを放置してはおけない。

結局そのあたりから、母は自分が不在の時は時々父を介護施設に入れるようになった。もちろんはたから見れば早くそうしとけばよかったじゃん、みたいな話だろうと思う。事実母も父と離れる時間が増えることで精神的にはかなり楽になっていたのではないかと思う。

しかし、施設費用はそんな安いものではない。時々だけとはいえそれなりの費用がかかる。家のローンに加え、介護費用。そのころ母はもう60近かったがとにかく定年まで働かねばと嘆いていた。

そしてなんだかんだで月日が過ぎ、父はどこかの溝に落ちて負傷してしまったらしく、自分で体を動かせなくなってしまった。完全な要介護者となった。

僕はといえば、そんな話を聞いても全く興味が持てず、帰省したときにも特に会いに行こうとは思えなかった。というかそういった発想すら出てこなかった。もう僕の中では全てが終わったことだったため、このままもう二度と会わなくても別にいいと思っていた。会ったほうがいいんじゃないかと兄弟に言われたりすることもあったが断っていた。

終わりが近づく

それから数年が経った2019年年末ちょっと前に母から連絡が来た。父がもうそろそろ長くないとの話だった。丁度正月前後に亡くなるかもしれないということだったため、喪服などを購入して準備をした。

しかし、年末近くになり、再度連絡が来た。どうも結局峠を超えて今のところ問題ないということだった。

年末になり、実家帰省した。正月はだいたいいつも帰省し、子どもたちを妹の子どもたちと遊ばせたりしている。

さすがに状況が状況だったため、自然と父のところへ行く流れとなった。僕は別に行かなくてもいいと思っていたが、妻が子どもたちと父を合わせてあげたいという事を言っていたため、それもまあ子どもたちにとって何かの意味があるだろうと思い、特に拒否もせず行くことにした。

母と僕の兄弟とその家族でそれぞれ数台の車に乗り、大人数でぞろぞろと介護施設へ行った。

部屋に入るとベッドに横たわっている父がいた。父はもう当然自分では動けない状態で、しゃべることもできないため、うー、うー、とずっと唸ったりしていた。目が合うような気もするが特に変わった反応もなく、何を考えているのかは分からないし、そもそも何かを考えることが出来ているのかもわからない。結構多い人数で来たためぐるっとみんなでベッドを囲み、ぎゅうぎゅう詰めとなる。みんなで父の様子を見て、きっと大勢来ているから父もびっくりしているだろう、とか、喜んでいるときの声だわ、みたいな話をしていた。

父はたしかの子たちを見たことがなかっただろうと思うので、子どもをそれぞれ抱きかかえて父の目線の先に連れて行った。特に反応もなく、自分の孫だと分かっているのだろうか、分かっていないのだろうかもよく分からなかった。

そんなこんなでそこで少し過ごし、写真を撮ったりして帰ることになった。

最後大人たちがうちの子に「早く元気になってね」と言ってあげて、と促した。7歳の長男と5歳の次男がそれぞれ父に、まだ幼い可愛らしい声で「早くおもちゃ買ってね」「早く元気になってね」と一生懸命伝えた。すると突然、父が今までと違うかなり大きな声であー、あー、と言った。みんなびっくりしていた。一応子どもたちの言葉は伝わったのだろうか。詳しくはわからないがそれっぽかった。

父が死んだ

それから半年ほど経った。コロナ流行し、緊急事態宣言が発令されて終了した頃。2020年6月29日、朝起きたら妹からLINEで父が3時頃に亡くなったという連絡が来ていた。月曜日

妹に電話してみたところ、コロナのこともあるし別に来なくてもいいよ、ということを母が言っているとのことだったため、僕は葬儀には行かないことにした。僕も正直葬儀には興味が無いし、それよりも子どもたちに学校に行かせたり普段生活をおくらせてあげたかった。

しかし妻が不安になって再度母に連絡をとってみたところ、そんなことは言っていないらしく、来いと言われた。一体なんなんだ。

とはいえコロナのこともあるし、妻もちょっと体調的にウロウロできる状況ではないため、僕一人だけ行くことにした。

葬儀は7/1。朝からだったため前日に仕事を終えたあと実家に帰った。弟や甥っ子たちも実家に来ていた。大切な父……というわけでもなかったため、みんな普通に過ごしており明日告別式ということも忘れそうだった。

次の日、起きて甥っ子たちはフォーナイトをしたり、みんなでだらだらと朝ごはんを食べたりしていた。そうこうしているうちに時間になり、葬儀場へ向かう。

葬儀

葬儀場は宿泊できる部屋があり、実家にいなかったメンバーはそこにいた。しばらくすると大阪のおじちゃんとおばちゃんがきた。それぞれ父の兄弟で、夏休み冬休みには僕の兄弟と同じくらいの子どもたちをつれて実家に遊びに来ていた。大勢マリオカートをして遊んだりしていた。おじちゃんはいつも海につれていってもらっていたし、おばちゃんは逆に夏休み大阪に泊まらせてもらっていたため二人とも馴染み深い。

おじちゃんによると、父は子どもの頃に事故で頭をうったという。当時は額あたりの怪我治療前頭葉があるため、簡単はいじれず、医師にも難しかったという。誰もしっかりとした治療はできなかったらしい。その後父は元気にスポーツをしたりしていたらしいが、大人になって障害が出始めたのはもしかしたらそのあたりが原因だったのかも、という話をしてくれた。とはいえ母も僕の夜泣きが原因だったのでは、と言っていたりするので何が原因かはよくわからず、おじちゃんの話も懐疑的だった。

しばらくして葬儀が始まった。みんなが部屋に集まる。何もよくわからない状態だったが言われるがままに並んで椅子に座った。部屋が暗くなる。導師さんが念仏を唱え、みんなで繰り返す。

その後も式が進行し、導師さんが話を始めたりした。誰なのかもよくわからないし、何を話していたかももう忘れてしまった。

導師さんの話が終わると、今度は親族代表ということでおじちゃんが話をすることになった。おじちゃんは前に出てきたのだが、マイク全然違うところで話をし始めた。式場のスタッフを見るとあわてておじちゃんのところに駆け寄ってマイクのところに連れて行こうとするところだった。おじちゃんはいわれるがままにマイクのところまで行ったのだが、なぜかマイクを背にしてマイクがない状態で話し始めたので再度スタッフ誘導したのがおかしかった。

おじちゃんはおじぎをしたあと、先程のように事故の話をし始めた。頭をうち、前頭葉があるため治療もできず、でもスポーツをしたりしていた、ということ。

そのあと、父が大勢の人に迷惑をかけるようになってしまたこと、そして、その父のことを母が最後まで面倒を見てくれたことを話した。すると突然、何か急にこみ上げてきたものがあったらしくウッと声を止めて泣き始めた。それを見て母も泣いた。なんとなく空気が変わった。

元々そんな雰囲気はなかったためびっくりした。僕はもらい泣きもしなかったし悲しくもなかった。ただ、みんな何かしらそれぞれ思うところがあるのだなと思った。おじちゃんからすれば身内がとんでもない状態になってしまって、父が元々赤の他人である母にひどい仕打ちをたくさんしてしまたことに申し訳ないという気持ちが非常に大きいのだろう。

母は実際にひどいめにたくさんあい、この年までずっと働き詰めで大変な思いを今もしている。しかし、お見合い結婚だったとはいえ、楽しく幸せな時期も経験し、僕らがまだ生きて経験したことのない年数を父と一緒に過ごしてきた。詳しいことはわからないが、そこには本人にしかからない無数の思いがあるのだろう。自分と妻も一緒に生きてきているが、子どもたちはそこであった多くのことを何も知らない。当たり前のことなのだが、不思議なことだ。

そして、ここにそれぞれの思いを抱えた色々な人が集まったことも不思議に感じた。みんな何を思ってここにいるのか。僕には分からないが、何かを思っている。

その後告別式は終わり、父の棺にみんなで草花を詰めた。父の顔は処理を施されてつやつやしており、蝋人形のようだった。

その後棺を閉じ、それを男たちで車へ運んだ。そしてみんながそれぞれの車で焼却場の方へ向かう。

焼却場は僕が今まで行ったことがあるような汚い場所ではなく、きれいな施設だった。コロナの影響で焼却場には15人だけが入れるということらしい。父に近い15人が部屋に入る。部屋の中にある等間隔に並んだ足のマークの上にそれぞれが立った。

次に、父が入った棺が焼却する空間に納められた。スタッフボタン類をアルコール消毒したあと、閉じるボタンを押した。機械により扉が閉じられる。

そしてどのボタンを押すと焼却が始まるかの説明を受け、準備が出来たら押すように説明があった。しかし誰も反応しないため僕が母に押しなよと促した。しかし、どうも嫌だったらしく、いやいやという手振りをしたので僕が押した。

その後は1,2時間ほど時間がかかるということで休憩の時間となった。密をさけるため、どの部屋も人数制限があり適当バラけることとなった。弁当が用意されていたためそれを食べて過ごした。

しばらくするとスタッフから声がかかったためみんなで部屋に集まった。中央には棺の台を収めるスペースがあり、今は空いている。そのそばに長い箸がたくさんあり、それぞれがその箸を手にした。

しばらくして台が運ばれてきた。まだ熱く、気をつけるよう注意があった。その上には骨が置かれている。葬儀は何度か経験したことがあるため特に新たになにか思うということはなかった。そういえば昔妻が飼っていたうさぎを看取ったのだが、その時に焼却されて出てきた骨を見た時はとても悲しくて泣きそうになった。

スタッフ説明されながら、足から順に骨を入れ物に詰めていく。みんなで行ったり来たりしながらそれぞれ骨を詰めていった。思ったよりもポロポロともろい。頭の方になると、大きすぎるため箸で割って詰めていく。頭には手術の跡の金具がついていたりした。それも母が詰めていた。

そして一通り詰め終わり、葬儀の全ての工程が終わりとなった。皆それぞれ準備をし、帰宅した。僕も一度実家に帰って着替えをして荷物を整理し、車で帰路についた。

思うこと

僕は仕事もあったし、あまり車で長距離移動をするのは事故死ぬ可能性もあるし好きではない。そのためとにかく早く全てを終わらせたいと思っていた。なんとか生きて帰ってくることができたが、かなり疲れ果てていた。とにかくいつ始まるのか分からなかった大変な出来事が一つ終わり安堵した。

父が亡くなったが、母は元々次男と一緒に住んでいる。近くには妹の家族もおり、しょっちゅう甥っ子や姪っ子たちと遊んだりしている。三男もわりと話が好きで母によく電話をかけているらしい。僕は離れていて長期休み以外は音沙汰も無いが、それでも母はみんなのおかげで楽しく暮らしているように見えるため特に心配はしていない。

父がいなくなったことで母は父の介護費用を払う必要がなくなった。だいぶ生活も楽になるのではないかと思う。僕は本当に良かったなと思っている。

昔「家、ついて行ってイイですか?」という番組を見ている時に、一人の若い女性の家に行く回があった。

その女性の家には父親がいるのだが、要介護のため自分では動けない。女性はその父親介護をしていた。自分では動けないため、あらゆる事を補助してあげなければならない。朝起きてから、昼食、夕食、風呂トイレ、あらゆることだ。もちろん生活のため仕事もしている。ヘルパーさんがいたのかもしれないが、それでも何もなく普通生活をしている僕らには想像できないレベルの大変な毎日であることは間違いない。

女性はまだ若く、色々なことがしたい年頃だろう。彼氏を作ってデートをしたり、友達ショッピングに行ったり。インドア派であればゲームをしたり、ゲームキャラにハマって腐女子をしたり、好きなアイドルライブにも行ったりしていたのかもしれない。しかし、全て介護のためできない。ただひたすら介護をしなければならない。夢もあったのかもしれない。でももう諦めてしまったのかもしれない。

父のため仕方がない、と思いながらも、女性毎日どれだけ苦しいか想像をするだけでも苦しくなる。

その父はどう思うだろうか。自分の娘が自分介護のために全てを犠牲にし、尽くしてくれている。ありがたいと思うだろうか? 僕だったら死にたいと思う。一生懸命育てた自分娘。さなから育てながら思うことは、この子楽しいことも辛いことも含め色んな事を経験し、苦悩しながらもそれでもたくさんの素晴らしいことを経験しながら歩んでいき、やりたいことをやって自分未来を掴んで幸せになってくれればいいなということ。どんな未来でも自分が進みたい方向に進んでいってほしい。

しかしその全ての未来自分の手で摘み取ってしまう事になったとしたら。耐えられる自信はない。すぐに死に、失いかけていた大切な未来を与えてあげたいと思う。若い娘がそのような境遇さらされて多くの時間を失ってしまうことは世界にとっても大きな損失だ。

でも、死ぬということは難しい。自分死ぬ覚悟ができるものかどうかは全くわからない。さら介護されている状態自分死ぬこと自体そもそもできない場合もあるだろう。

この世には安楽死必要だと思う。死にたくても死ねない人を助ける制度必要綺麗事だけでは救われない人達がいる。その人達が救われる世界になってくれればいいと思う。しかしどうすればそういう世界にできるのかは壮大すぎて僕にはわからない。とにかく僕にはこうやって苦しむ人達がいるということを文字にして発することしか出来ない。

とにかく、その一つとして父が死んで本当に良かったと思う。

2020-07-27

anond:20200724163613

ホットエントリに入っている増田を読んで、自分の事のように胸が痛くなったので、増田意見を書く。なぜ君は素直な感情吐露しただけなのにクソ味噌マウントをとられるのか。私も若い頃に散々悩んだが、答えはシンプルで、恋愛が「Easy game」だからだ。

パートナー暴力を振るう人の痛みがわからない人、職場にいる刺激臭のする不潔なおじさん、約束時間に毎回遅れてくる良い加減な男、ギャンブル狂いで金銭感覚麻痺してるヤツ。第三者が見れば君より外見、内面共に「下等な」タイプの人でさえ、なぜかパートナーがいたり、結婚していたりする。

そんな「Easy game」だから世間の人はパートナーを見つけられない人のことを、分数がわからなかったり、自転車に乗れない人と同レベルの下等生物と見なしてしまう。君に対してつまらない奴だとか、性欲ギラついていてキモいとかあらんかぎりの罵声安全地帯から投げるのはそんな見下しからだろう。だけど悲観しなくていい。君の人間性パートナーがいる人たちに決して劣るものじゃないと私は思う。たった一つの人間心理、「誰か孤独を埋められる存在になれるか」というポイントもっと言えば、「相手孤独定義は何か」ということさえ注意深く観察できればすぐにでもパートナーができると思うのだ。

少し寄り道的な話をしよう。私は技術者として生計を立てており好奇心旺盛な性格だったので、文系の人やお年寄りの「メカハイテクが怖い」という感情理解することができなかった。両親に外国人の友人が多く、子供の頃から海外に行ったことがあったので、「外国人が怖い」という感情理解できない。そう言う世間から感覚のズレが多々あり、ずいぶんと変人扱いされて苦労した。

人付き合いの距離感でもマジョリティと異なっていた。一人っ子として生まれ、進学で親元を離れ就職後も転勤続きで1人暮らしに慣れていたためか、「孤独でさみしい」という感情がどうやらずれていたのだ。長期休みにに1人で地球の裏側までバックパック1つで旅しても「孤独」とは感じなかったが、大勢飲み会パチンコ風俗と言った男性的なゲス話題で盛り上がっているのに、全然共感できない時の方が「孤独」を感じたのだ。

そんな世間ずれした私に偶然にもパートナーができたのは「孤独」という感情をお互いにピタリと埋めあえる相手が見つかったからだが、「孤独」と一口に言っても捉え方は本当に人それぞれらしい。例えば飲み会ゲス話題にはイマイチ乗れないけれど、露骨距離を置いてハブられるのはもっと嫌だという人は、私と価値観が似ているようで全然違う。暴力を振るうパートナー食事をすることさえ、1人で家で過ごすよりマシだという女性も山ほどいる。そんな些細な違いだが、日常生活を共にする上では居心地の良さに大きく響いてくるものだ。恋愛においてはなおさら孤独」の捉え方のウェイトが重くなるだろうし、この感覚マジョリティに近ければ近いほどパートナーは見つかりやすいのだと思う。

個人的体感だが、「孤独」をどう埋めるかは外見や内面年収なんかすっ飛ばすくらいの強いファクターだと思ってる。なんていうかゲームバグ技級の強いファクター。君は大学生になって初めて一人暮らしをするような真面目な女の子、それも「ワキ毛」くらいの単語を聞くだけで顔を赤らめるような子が、留年を繰り返し、半分社会からドロップアウトしてるような遊び人にコロっとやられて、あっと言う間に同棲を初めて気がつけば喜んで男性器を加えこむようになるという、まるでAVエロゲかというような衝撃的な場面を見聞きしたことは無いだろうか。私はある。

孤独」への共感はそんな悪夢現実にしてしまう強力なバグなのだ確信は無いけども、ナンパ師や恋愛工学の技術非難の声を浴びながらも、時として効果を発揮してしまうのは、意図的に「孤独」を埋めにいっているからだろうし、ろくでなしでもパートナーを見つけられているのは、「孤独」の感覚マジョリティ側なので、努力せずとも共感出来る相手の母数が多いかなのだろう。多くの人がMサイズTシャツを着るのに努力を要しないのと同じように。

さて、いろいろ話が脱線して長くなってしまったが、私が言いたいことは2つ。

あなたは決して外見、内面共に劣る存在ではない。そして、あなた努力が出来る人だと思うので、パートナーにしたい女性の「孤独」を埋めるにはどうすれば良いかをよく観察して、自分の無理のない範囲で合わせられれば問題なくパートナーができるはず。必要以上に悩まなくても良いと思う。(最後に余談だが無理のない範囲で合わせるというのは本当に重要。これを無視するとパートナーシップは長続きしない。)

2020-07-26

親の世代の頭が悪すぎてつらい

最初にいっておくとサンブル数=4だ。自分の両親と奥さんの両親。

親の世代の頭が悪すぎてつらい。

自分たちが親のときはさんざん親(=祖父母)の悪口改善してほしい点を言っていたくせに、まったく自分たちは同じようなことをしている。

奥さん家事に小言を言っては、孫たちは放置。両親(自分奥さん)は超疲弊お金はないので子供たち(自分奥さん)に奨学金という借金を背負わせて、自分たちはバカなので固定費無駄お金を費やしている。意見をしても聞く耳を持たない

コーヒー毎日何杯も飲んでいて不眠になっているので、カフェイン依存症なのではないかと言っても、自分は違うの一点張り。頭がおかしいのではないかと思う。

そもそもバブルの時代に働いていた世代なのに、自分たちが普通に暮らしていくほどの資産も残せていなかったなんて唖然とする。パチンコしている場合じゃないだろ。

自分たちは、自分たちの奨学金を返済しながら子供たちに借金を負わせないよう、一生懸命働き一生懸命切り詰め、挙句の果てに親たちの面倒を見させらている。それなのに親の世代は「年金が少なくてつらい」などとバカみたいなことをのたまっている。

自分たちの世代は完全に上の世代バカのつけを払わされている。これは自分たち夫婦ふたり我慢すればいいという問題なのか?

デモでも裁判でも政権交代でもいい。自分たちの親の世代が、生きている間に世代でツケを返済してほしいと切に願っている。

anond:20200726132021

ブコメ売買春は法的には禁止されてるはずなんだけどなあ。

成人になってソープ意味を知って驚いたよ。パチンコといい、なんで明らかに違法ものがまかり通ってるんだ?

2020-07-25

民主党の子供手当って言うほど全否定されてたかな?

かに一部の人は「パチンコに使う親がいる」とネガキャンしてたけど

大多数の人の意見は、外国人お金を流すのさえ止めればいいかなってところじゃなかった?

外国人にまであげちゃうと、全く日本関係ない母国の何人いるかも分からない子供の取り分に回って主旨が壊れるから

安楽死絶対に認めてはならない。国民馬鹿から

安楽死を認めた後、何が起きると思う?

重病の患者安楽死を勧める死の商人が増える、だよ

安楽死してもいい、から、「安楽死するべきだ」までの距離はお前らが考えてるよりも短い

考えすぎ?透析必要患者に対して医療費無駄だって言ってる奴らはどこのどいつらだ?

自粛警察」とか言って法律違反でもないパチンコ営業に抗議してた「善意市民」が、「安楽死警察」にならない保証がどこにある?

国民成熟しきってない上に、国民感情で判決出す裁判所であるこの国で、権利など認めてはならない。

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