はてなキーワード: ドッジボールとは
小さい頃から、どこか周りから浮いている、人をイラつかせてしまう子供だった。
大人たちに、「変わっている」とか「ちょっとおかしい」と言われてきた。
人と話すのも、頓珍漢だったり幼かったり、独りよがりな受け答えをしていたようだった。
なぜだかわからないけれど、バカにされていじめられることが多かった。
今になって思うと、あの子と遊んじゃいけませんと言われるタイプだったと思う。
学校に行くようになっても変わらなかった。
同級生たちからはからかわれ、先生には妙に嫌われたり目をつけられて、スケープゴートのように大勢の前で説教されることが多かった。
たまにこんな自分でも一緒にいてくれて、バカにするのではなく面白がってくれる人たちがいて、そういう奇特な人たちと仲よくなったけど、環境が変わると、その人たちとの距離感がわからなくなり、疎遠になる、ということを繰り返していた。
体育は大の苦手で、球技は特にダメだった。ドッジボールで最後まで残り、恐怖で逃げ惑う姿を笑われながらボールを投げつけられた。
でも数学や物理は、概念が全然わからなくて雲をつかむようだった。
だから、苦手な数学や物理は、たくさんたくさん問題を解いて、解法をたくさん記憶して、なんとか受験を乗り切った。
大学でも人とは仲よくなれなかった。大学受験で燃え尽きてしまったのもあり、人と仲よくするパワーも残っていなくて、家賃と生活費のためになんとかバイトして、あとは引きこもっていた。
就活はもちろんうまく行かなかった。一次面接でどの会社でも落とされた。面接では大人たちが自分の顔や受け答えを見て、渋い顔をしたり、首をひねったりしていた。
そろそろ、社会から必要とされないダメな存在だということに気づき始めていた。
自分の何がダメだかわからないけれど、自分は何かが他の人たちと違う。自分の判断はいつも間違っている。自分は宇宙人のようだった。
けれど、本当にラッキーなことに、一社だけ縁があった会社があって、宇宙人である自分は、なんとかそこに職を得ることができた。
その会社の中で、優しい人たちに見守られながら、それでも必死に、「普通の人らしい振る舞い」「常識」を身につけた。
あからさまに自分をからかったりいじめる人はいなくなった。眉をひそめられることも減った。
自分はおかしいんだな、と最も実感する時は、会話の中で妙な空気になった時だ。
自分は、会話で何を話したらいいかわからず、例文を読み上げるように会話をする。
自分の心に浮かんだことは基本的には話さない。膨大な例文集の中から、今自分がいるシチュエーションに合っていそうな会話文を持ってくるのだ。
どうやらそれを間違えたらしい、と気づいた時、いつも絶望する。
また失敗した。
こんな、言葉も習慣もわからないままの宇宙人の状態で、周りに合わせて生きていくことをまだまだ続けなければならないのか。
でも、型にはまるふりをしなければ終わりだ。
変わった、頭のおかしいやつ、として、また、いじめられるのかもしれない。
一人では生きられない。
宇宙人でも、一人では生きられない。
「うーん、ちょっと遠いなあ。弟の姿が見えない」
「ああ、そういえばそんな改造したことあったっけ」
母が首にコードを刺すと、備え付けのモニターに弟が奮闘している姿がはっきりと映し出される。
他にベターな方法があったと思うが、俺たちはそのモニターを眺める。
だが、ロープの本数は少なく、先行する人間が非常に有利になってしまうアトラクションだ。
弟はそれを理解しており、後半バテること覚悟でそのロープアトラクションへ最初にたどり着いたようだ。
最大速度で劣ることを理解していたタオナケは、ここで超能力を使う。
ロープは次々と引きちぎれ、登ろうとしていた参加者たちは戸惑いを隠せない。
弟はまだ千切れていないロープに飛び移って落とされないようにするが、それによる負担は大きく、登るスピードが見る見る遅くなる。
その隙を突いて悠々と向かうタオナケだったが、ここで笛が鳴る。
それでも納得がいかないタオナケが審判と押し問答をしている間に弟は登りきり、それに他の参加者たちが続く。
一見すると、ちょっと走りにくいだけの障害だが、このアトラクションの本質はボールの使用だ。
出遅れた参加者はここでボールを拾うと、先行者にぶつけて妨害する。
これはルール上認められている、というかイベント考案者もそれ込みで作っている節がある。
以前のイベントで泥沼になりかけた妨害合戦が、意外にもウケがよかったらしい。
「私、失格になりそうだけど、あの妨害がありなら超能力の妨害もありにすべき!」
何とか起き上がっていたミミセンも、よろめきながら歩みを進めている。
正直、ここから追いつくのは無理だと思うが、プレゼントをそう簡単に諦められないのは誰だって同じだということだ。
そして、ボールの海はというと、セーフもアウトもないドッジボールになりつつあり、背を向けていた先行者たちも応戦するためにボールを投げる。
弟もたまらず応戦しようと振り向いたとき、思わぬ光景を目にする。
ドッペルが弟の姿に変装し、応戦していたのだ。
先行する弟の姿を真似たところで、ボールが集中するだけで何の得もない。
つまり、集中するボールを弟から分散させるため、矛先をわざと自分に向けさせていたのだ。
「なぜだ、ドッペル。今この場では俺たちは敵同士だろ!?」
このときドッペルは微笑を浮かべる。
「え? ああ……よく分からないけれども、分かった」
後に弟にそう聞かされたが、俺にもよく分からなかった。
ひょっとするとサンタからのプレゼントは諦め、弟に恩を売ることで俺から貰う計画にシフトしたと考えもしたが、俺にそういう温情があるなら弟はそもそもこのイベントに出る必要がないのは容易に想像がつくことなので、ドッペルの思惑は結局謎のままである。
こうして、飛び交うボールの勢いが弱まったおかげで、弟は先行の有利を保ったまま次のアトラクションへとスムーズに移行していく。
のび太だった僕が、ジャイアンになっても、のび太を救っても、結局出木杉だった話
のび太だった人間からすればジャイアンだった僕は相当不幸になってなければ腑に落ちないだろうけど、僕は実際こんなものです。
のび太からすればジャイアンにされた事は一生ものだけど、ジャイアンは若気の至りとか胸糞悪い言葉を便利に使って片付けるよ。
のび太だったり、ジャイアンだった僕は結局、友達も恋人も居ない出木杉だけど後悔はしてないよ。
のび太の僕は、ひどい目に合えば、あえてへらへら笑って強がって、親に心配かけないようにって、健気な自分に陶酔してたよ。
そんなもの何の解決にもならなかったよ。
自分にはできない理由や言い訳、人の性にするのばかり上手なのび太もいるだろうけど
○夕食:カツ丼、豚汁
○調子
むきゅー!
お掃除と洗濯を午前中に済ませて、午後からはゆっくり読書かゲームかなあ、と思っていたら。
近所に住んでいる伯母さんが遊びにきてくれた。
なので、その人と買い物にいったり、喫茶店でお茶したりしていた。
その伯母さんはお笑いマニアなんだけど、彼女が最近オススメの芸人さんが出演しているテレビを独自に編集したDVDを貸してくれた。
僕はこの日記にもたまにDVDの感想を書いてる東京03とか、バカリズムみたいな、ネタを作り込んでる系っていうのかな? ああいう感じのが好きなんだけど、
滅茶苦茶面白いから単独ライブとかしてDVD化されないかなあ。
ダークライのステージが難しくて、なんかぐちゃぐちゃになっちゃったので途中で諦めた。
20かける15はシンドイけど、プレイ中の脳汁出る感ぱないね。
それにしても楽しいゲームだなあ、ステージ30まであるけど、ミッションとかアナザーモードとかもあるから、まだまだ遊べそうだ。
頼むから走れ「ぽんこつ車」、壊れかけの車を修理したりメンテしながら走る車旅シミュレーションゲーム『Jalopy』が開発中
http://jp.automaton.am/articles/iotw/indie-pick-222-jalopy/
なにこれ、超楽しそう!
想像でしか語れないけど、ローグをより落とし込んだゲーム性のような感じがするなあ。
うーむ、先日のミュージカルアクションゲーといい、なんか最近の海外インディーは面白そうなのが多いなあ、Windowsが欲しいなあ。
ボールをぶつけて相手をK.O.!近未来が舞台のドッジボール×シミュレーションRPG「コズミックボールGT」を遊んでみました
http://www.gamer.ne.jp/news/201602060007/
なんか雰囲気いい感じ。
WiiUとPS4に欲しいソフトが続々とそろってきているので、ちょっと自分用に整理。
現行機はXboxOneしか持ってないので、どっちを買うか悩み中なのです。
僕の大好きなポケモンシリーズのかなり本格的な対人系アクション。
ゲーセンでマニューラを使っていたんだけど、財布ごとカードを無くしてからご無沙汰。
でも、対人ゲーはXboxOneのキラーインスティンクトのシーズン3が待ってるんだよなあ。
(KIは2D格闘で、ポッ拳は3D格闘だからちょっとノリが違うけどね)
マニューラも大好きなんだけど、アービターはもっと好きなんだよなあ。
ノベルゲ。
ってあれ? よく調べたらこれiOSでプレイできる上に、なぜか購入済みじゃないか!
うん、iPad miniでやるよ。
ってあれあれ、これもiOS版あるし、購入済みだった……
なんじゃそら。
WiiUじゃなくてWiiのソフトだけど、WiiUでも遊べるのでチョイス。(Wiiは実家に置いてきたので今手元にないんだよなあ)
発売当時はポケモンは本編の対戦一辺倒だったんだけど、最近ポケモン全体が好きなので、改めてプレイしたい所存。
特にポケパーク2は愛してるダークライが大活躍らしいので興味津々。
対人アクションゲー。
3DSあるんだからそっち買えばいい感もあるんだけど、僕の3DSは旧Verなのでアミーボを使った遊びが出来ないんだよなあ。
僕の愛してる悪ポケの一人ゲッコウガのアミーボを育てる遊びがしたいので、WiiU版が欲しい感じです。
なんか動画とか説明を見ても、ジャンルがよくわからないけど、雰囲気が楽しそう。
ADV。
MOBA。
最近、MOBA系のプレイ動画をよく見るので自分でもプレイしたい感じ。
なんだけど、まだハピヲぐらいしかやったことがないから、自分がどんなのが好きなのかわかんないんだよなあ。
なら同じようなジャンルのXboxOneのギガンテックでもいいかなーって感じ。
ノベルゲ。
外伝三部作は持ってるからゲームはいいかなーってスルーしてるけど、ハード買うなら買いたいかも。
僕がXboxOneを買った理由は、科学ADVが出ることってのがかなりの割合をしめていたので、
ゼロがXboxOneで出なかった時点で、正直XboxOneへの愛着はかなり落ちてるんだよなあ。
ノベルゲ。
なんだけど、これもVitaで出るのかあ、じゃあVitaでいいかなあ。
ノベルゲ。
リメイクだからどうするか悩み中なんだけど、良い感じに内容を忘れてるので気にせず遊べそう。
あ、あれ、WiiUはポケモン系ばっかりだし、PS4はVitaとマルチのソフトばっかりじゃん。
そんなに欲しくないのかなあ。
Windowsにも欲しいゲームがあるので、いつかそっちもまとめようと思う。
AoE2HDでしょ、AoE3でしょ、えーっと、あと、えーと、えーーーと。
http://anond.hatelabo.jp/20151109230301を踏まえて考えると、
ゴール系。相手のゴールに入れれば得点。サッカー、バスケ、ホッケーなど。
ラリー系。相手がボールを返せなければ得点。テニス、卓球、バレーなど。
コントロール系。操作の精度が求められるような課題を達成すれば得点。ゴルフ、ビリヤード、ボウリングなど。
に加えて、
ラン系。自分がボールを保持しているあいだ、あるいは相手がボールを保持していないあいだに、決められた距離を走れば得点。野球、クリケット、ラグビーなど。
を設ければ説明ができそうだ。
もちろん、サッカーにだってラン要素はあるし、ラグビーにもゴール要素はあるが。
また、野球において「手でボールを操作する」のが認められているのは守備側のみであって、そこだけを見て「野球は自由」と言うのは間違っている。
http://anond.hatelabo.jp/20151108234357
1)ゴール系球技
敵味方に分かれて、方形や円形に仕切られた空間にボールを通すことを目的にする球技。
たまに線上をボール保持した選手が通過しただけで点になるヤツもあるが、あれも元は「通過することでボールを通す権利を得る」ことだった。
ボールを通すことを妨害するために強力なコンタクトが発生するのが特徴で(例外として、相互コンタクトを一切禁止するゴール系球技も存在する。競技名は「玉入れ」という)、その派手さとチーム戦術のダイナミックさゆえに最も人気のある球技。
相手方の対応可能な範囲に、ボールを空中に浮かせて送り込み、それを相互に返し続けることを目的にする球技。
勝敗を絡める場合は、対応可能なボールを送れなかった、対応可能な範囲のボールを処理できなかった、一定の高さを越えられなかった(この定義のためにネットが競技場に存在する場合が多いが、例外として「羽子板」というネットの無いラリー系球技もある)、という失策に対するペナルティを得点として換算するので「相手に打たせない」ことが目的に見えるが、本質的にはラリーが続くことを理想状態とするのが、ゴール系球技との大きな差異である。また、1対1でも試合形式を行うことが可能で趣味として簡便だが、見世物としてはゴール系より若干地味。
ボールに対する操作をルールとして定義し、それを達成することに対して相応のポイントを獲得することを目的にする球技。
時に達成の定義として円形に仕切られた空間にボールを入れることを伴うが、手球へのコンタクトは競技者間で完全に独立してかつ止まった状態からの操作に限定され、ボールを争うことはなく、むしろ精密性が問われる、かなり地味な競技である。その他、ボールを当てる数のみを競うパターン、ボールを特定エリアに置く数を競うパターンなど競技バリエーションは割と多い。対人ルールで行われる際は、精密さと同時に駆け引きが重要となり、チェスに擬せられることもある。
傾向として(ラリー系競技とは逆に)ボールを転がすものが多いが、例えば大玉転がしのように浮かせるプロセスが入ったりゴルフのように長距離の場合はボールを飛翔させることもある。
相手方に対して狙撃としてボールを射出し、殲滅したり敵の数を減らしたところで旗を奪ったりすることを目的にする球技。
遊戯としては戦闘行為としてプリミティブなきらいがあるため、メジャー競技であることは少ないが、単純明快遊戯として子供を中心に楽しまれる。
ドッジボールと雪合戦が代表的だが、ある意味ペイントボール辺りも有資格者ではあるか。
これらの球技はある意味、鬼ごっこという余りボールと関係のない遊戯にラリー系球技の要素を付加したものとは言えよう。
しかし、上にラリー系球技の特徴として「相互に返し続ける」ことを目的にしていると書いたが、これらの競技では投球に対する打撃という形で、非対称な形態を取るので「ラリー」にはならない辺りが、根本的に逆行している。にもかかわらず、ある種の「打ち返せなかったペナルティ」としてのアウトや、「打球を処理できなかったペナルティ」としてのヒットにより試合が進むという点では、ラリー系球技の得点パターンを踏襲している面もあるのだ。
また、例えば校庭で女子中学生が輪を作ってバレーボールのトス上げたり、蹴鞠で貴族がボールを蹴り合ったりするようなものと近い感じで、野球ではキャッチボールなどが「ラリー的なもの」として基礎練習において尊重されるのは、こうしたラリー系の精神を引き継いだものではあるのだろう。
その意味では、広義のラリー系球技に野球は含まれるべきなのだが、一方で完全に「ラリー系球技の鬼子」と言うべき立場であるのが、特異性であるとは言える。
ただ、その特異性ゆえに、多くの球技において禁じ手となっているところの「手でボールを操作する」行為に対して非常に自由度が高いのも特徴であろう。この手のまだるっこしさを排除したスポーツとしてはアメリカンフットボールも相当に自由度が高いが、あれはあれで前パスは各ダウン1回しか出来ないし未登録レシーバーがダウンフィールドでボールを獲れないとか制約はあり、野球の自由度よりは低い。
その「投げる」自由さの代償として、その自由さを定義する中での競技者の関係の特殊性やルールの複雑さが存在する訳だが、ともかくも手という最も人間が頼りにする部位でボールを掴んでプレーしたりそれを相手に走り回ったりすることが、野球の「球技」としてのエッセンスではあろうな、とも。
小さい頃から、まったく運動のセンスがなかった。友だちと鬼ごっこをすれば、すぐに捕まって鬼になってしまったし、一度鬼になったが最後、いつまで経っても他の人を捕まえることができなかった。結局、そんな僕を見かねた友だちがわざと近くまで捕まりに来たり、僕だけ有利になるようなハンデをつけてもらったりしていた。
小学校の授業でドッジボールをしたときは、最後の方まで残ることが多かったように思う。僕はほとんど戦力になっていないので、ボールを当てるのは後回しにして構わないからだ。運動が得意な子たち同士の激しい応酬が一段落した頃合いに、遠慮がちに投げられたボールを避けそこねてコート外へ出るのが僕の日常だった。野球やキックベースをしたときも、僕は守備の役には立たなかったし、打者になったときには投手がかなり手加減をしてくれていた。
男の子にとって、運動が上手にできないというのは、人間としての価値がほとんどないのに等しい。そんな空気を感じ取っていた幼い頃の僕は、自分はみんなよりも劣った存在なのだと信じて疑わなかった。
そんな自分自身のことが恥ずかしすぎて、特別親しい相手以外とはコミュニケーションを取るのが苦痛だった。できる限り他人との関わりを避けているうちに、自然と、社交性に欠ける今の人格が形成されていったのだと思う。
こんな僕だけれど、勉強だけはすごく良くできた。授業を聞いて理解できないという経験は一度も無かったし、大して勉強をしなくても試験ではいつも上位に入っていた。受験でもまったく苦労をせず、地元で一番の進学校へ入学し、日本の誰もが知っているようなトップレベルの大学に合格した。
いまの歳になるとこういう話は自慢だと受け止められるけれど、思春期の頃の僕にとっては、勉強ができることなんて自慢でもなんでもなかった。勉強ができたって、世の中の役には立たないし、かっこよくは無いし、女の子にはモテない。そう思っていた。
もし、できることならば、あの頃の僕に言ってあげたい。
近い将来、学ぶことが楽しくてたまらない毎日が訪れること。研究という、かけがえのない仕事に出会うこと。昼ごはんを食べるのも忘れて、海外の数学書を読みふけるような大人になること。まる一日、方程式と向き合って、解けるまで家に帰らないと意地を張ったりすること。客員研究員という肩書きをもらって、ヨーロッパの大学に滞在すること。研究でいろいろな賞を貰ったりすること。周りの人たちから期待され、また、尊敬の眼差しで見られること。
なにより、もうすぐ童貞のまま30歳を迎えるということ。
大半が同年代の子もちでいつも大人数で遊んでいた、5才くらい年上の世帯の兄さん姉さん達は可愛がってくれていた。
老人夫婦の世帯は庭の柿を取らせてくれたり、お菓子をくれたりした。
いつも学校から帰ると友達の家の前で○ちゃんあそびましょーと大声で呼び、道路でドッジボールやゴムとびや花いちもんめやかごめかごめや缶けりやじゅんどろをこれまた大声でやっていた。
時には自転車で鬼ごっこやろうぜーとバカが言い出して、自転車で暴走したあげくに捕まえようとしたら2台ともこけるので中止したりもした。今から思うと事故にならなくて良かった。
いつも遊んでる十字路の前にいつも雨戸を閉めている家があった。
めったに顔を見ることもなく、たまに見かけると睨み付けてきた。
その人の家の裏は川があって、横に土手がありそこではつくしや野イチゴが取れるので子供達はよく収穫に行っていた。
そこで私がまだ園に通ってない頃に事件を起こした。
近所の小さい子達と一緒に野イチゴを摘みに行って、子なしの家の裏でイチゴを見つけたのだ。
凄い本物のイチゴがある!とたらふく食べて子供達はそれぞれ家族にイチゴを土産に持ち帰った。
母は特大雷を落として謝りにいったが子なしは非常に怒っていた。
母も凄い剣幕で怒り家の前で私の尻を叩いた。
近所の婆さんが出てきて取り成してくれて、やっと尻叩きがやんだ。
後から聞いた話によると子なしは愛想が悪く近所の付き合いもなく会うと嫌みを言う変人的な位置付けだったらしく、やっかいな事をしてくれたと思っていたらしい。
そしてイチゴ泥棒家庭の母への嫌みは私が中学に行っても続いていたらしい。
今から思うと外でみたら睨み付けてくる程度で子供に直接来なかったのは不思議な感じだ。
私は子供の遊び声好きだけどあの人は嫌いだったろうに、毎日夕御飯まで家の前で大音量で遊ばれるのも辛かったろう。
あの頃に匿名掲示板があれば近所の子供達を悪し様に書いたりして子なし仲間とつるんだりもできてたんだろうな。
久しぶりに昔の家の前を通るついでに見ると相変わらず雨戸を閉じて庭も荒れ果てて住んでるかどうか解らない家だったのを見て思い出したのでメモ。
医学部なら四諦の例えは聞いたことがあるだろうが、俺は患者の言葉は信用しないようにしている。参考にしたらアレだから言葉半分で聞きなよ。
まず前提として、大学の友人か高校の友人以外は全員信頼できない。信頼できる人数は世界全体で0だ。
0.1とかじゃなく、0だ。
信頼は会話の絶対条件ではない。
全く信頼しなくたって会話は普通にできる。
その後の検査でだいたいわかるわけだし。
ただ、好き放題喋らせるだけ。
一応それらしい会話はしておくが、実際は聞いていない。
相手の話を真面目に聞いていると、
例えば相手が胸がズーンと押さえつけるような痛みがあると言ってきたとする。もしかして狭心症かな?と思う。
心拍数を測定したら、狭心症か不整脈かのどっちかに絞り込まれた。
どっちで判断を下すべきか?ここで患者の話を参考にすると、誤った判断を下してしまう。
患者がセカンドオピニオンで不整脈だったと言ってきて、責任追求されたら?
いやこんなこと言っちゃダメだけどさ。
信頼するという行為は、常に期待した結果を運んでくるとは限らない。
ならば、期待値を下げて下げて下げまくって、「信頼」という不確かなものが不要になるところまで行為を洗練すれば、信頼に惑わされることはないはずだ。
人の命を預かってるんだ。信頼なんて神頼みみたいなもんじゃないか。
それは患者のほうはしてもいいが、医者のほうはしてはならないことだ。
最近、ドッジボールが野蛮だから禁止すべきだ、とか、ドローンが危ないから規制すべきだ、とかいうネタをよく見る。
何だかすぐに規制・禁止の方向に持っていく考えには自分は反対なんだが。
そんな事言うんだったら、よくアクセルとブレーキを踏み間違って店に突っ込んだりしているオートマチック車の方がよっぽど危険だ。規制・禁止すべきだ!
左手・左足での操作が不要で、運転に集中するどころか、携帯・スマホ・化粧(←通勤中見てると結構いる)をしながら運転も多いから、オートマチック車は規制・禁止すべきだ!
アレだろ? オートマチック限定免許ってのは「動き出すための動作=右足を踏み込む」のと「停止させるための動作=右足を踏み込む」という相反する動作をさせるために同じ操作をさせる安全上おかしい動作を状況に応じ完璧に使い分け、間違わないよう特別な訓練を受けた者が所持出来る免許なんだよね?
上から期待してる順。
「やれやれ系主人公がなりゆきでお悩み相談部に入ってストイックな対応で解決するラノベ原作」
としてはここ10年で最高の出来。
原作1話をとくにカットせず無理に3分アニメにするため声優に早口で言わせてる。
アニメでは聞き取れなかったセリフを原作で読もう、とCMで言うレベルで早い。
ヤクザお頭の息子の俺が、なりゆきでマフィアのボスの娘の彼女のふりをすることになったぜ!
なラブコメ。
とにかくかわいいキャラがシャフトの謎の演出で大げさに繊細に暴れ回る。
勝率100%の最強主人公が熱い戦いを繰り広げる、っておもしろいのかそれ?
アニメの尺的に5分10分で決着が可能なスピーディーな戦いのおかげでスムースにトーナメント戦もできる販促にすぐれた競技。
主人公はエースを狙う野球部員!ライバルの同級生に負けないぜ!
2004年開始のジャンプ原作。ゼロ年代後半のジャンプをリボーンやDグレと支えてきた苦労人。
ハイテンションでセリフ長くてシモネタ多めのギャグと、長編での熱さのギャップよ。
Webコミック原作!オタクヒッキーなダンナと働き者の嫁のドタバタ日常。散りばめられたネタに追いつかねえよ!
魂を狩るのに奮戦する
TCGにも進出しているサンライズのアイドルアニメと言えばバトスピ!
ペンデュラム、レギオン、アルティメットなどで大混乱に陥ったTCG業界で唯一アニメを一旦やめて力を蓄え再始動したシリーズ。
サンライズの技術でカードゲームでも最高のCGがみどころだじぇ!
コロコロらしい激しく熱かりし戦いが繰り広げられる。
背後霊のような不思議な能力、スタンドを駆使する能力バトル物。ジャンプ原作。
セリフ回しが有名で実況が熱い。
異世界から敵が侵攻してきた!特殊な武器を手にして戦うぜ!平凡、異世界人の戦闘の達人、エネルギーはすごい新米スナイパー、なんかすごい天才の中村の4人の主人公ががんばるぜ!
独特な戦闘方法で頭を使って敵兵、ときには上層部と戦うのがおもしろい。
2クール続くよね?
多くのTCGアニメは実際のカードの動きをアニメで再現して販促するのだけど、ヴァンガードはそれをほとんどしない。
対戦描写を大きくカットして物語だけで、カードの能力を知りたい勢としては物足りなかったけど、最近ちょいちょい能力見せるし展開もシリアスでよくなってきた。
熱い決闘と異世界人との会話のドッジボールと顔芸がみどころのTCGアニメ。
アイドルになれるテーマパークみたいなところプリパラで、今日も3人組でアイドル活動してるぞ!
世界征服を目論む鷹の爪団。実際は探偵ナイトスクープ+ドラえもんみたいなことをやってる。
ガンダムVSシリーズで二落ちしたとき、MOBAでfeedしたとき、ふと体育の授業でサッカーや野球をした記憶が蘇る。
運動が苦手だからスポーツが嫌いなのか、スポーツが嫌いだから運動が苦手なのかは分からないが、
とにかくスポーツが苦手で運動が嫌いな子供、いうなれば天性のインドア気質。今でもそれは変わらない。
当然そんな自分が体育の授業を好きなわけがなく、中でも集団競技は大嫌いだった。
サッカー、野球、バスケ、ドッジボール、得意なスポーツは1つもなく、いつだってチームの足を引っ張り続ける。
そんな時間が自分はたまらなく嫌いで、かといって自分を鍛えようという気にはなれないでいた。
それは面倒くさかったのもあるし、鍛えてる姿を人に見られたくなかったのもあるし、
体育の授業の中で一番嫌いだった競技はサッカーで間違いない。
サッカー部にいじめっ子気質の人間が大勢いたのも嫌だったし、変にルールが複雑なのも勘弁し欲しかった。
オフサイドの条件なんてサッカー部ぐらいしかしらないから、それこそ奴らの言ったもんがちにしか見えなかった。
授業開始前のチーム分けで、多くの生徒は上手いプレイヤーと組みたがっていたが自分は全くの逆。
下手なプレイヤーと組んで「みんなして下手だから勝てなくて当然」という空気の中でダラダラ時間の経過を待つ事を理想とした。
味方が本当に強いメンバーの集まりだとしてもそれは実はそんなに悪くはない、
例えば味方の戦力の合計を1000とした時に自分が1になるのならば、誤差が碌な結果を出さなくても大抵は気にされないからだ。
一番悪いのは一人そこそこ強い奴がいて、残りがそれなりの場合だ。
自分は誤差になりきれず、試合は勝つか負けるか分からない微妙なバランスで終始進む。
その状況で負けるとどうしても「アイツのせいで負けた」と言われることになる。
自分だってやる気がないなりにやる気を出していても、「もっと出来るだろ」と平気で叫ぶバカが出てくる。
やめてくれ、俺は誰とも競り合わなくいい状況でボールを拾ってインサイドキックのヘロヘロパスを出すのが精一杯だ。
そう思いながら罵声を授業中浴び続ける。本当に、本当に嫌な思い出だ。サッカーが好きな奴なんてみんな死ねばいい。
そういった罵声の中でのチームプレイはサッカーが一番印象に残っているが、
もちろん他のあらゆる集団戦スポーツでソレがあった事を記憶している。セパタクローのような体育でやらない競技は別だが。
そういった目にあうのは高校を卒業した時に最後にすることが出来た。
大学では筋トレだの座学だのでチマチマと体育の単位を取る事が出来たおかげである。
そうしてもう遊びで味方の足を引っ張っては怒鳴られる事とは一生おさらばだと思っていた。
だが、それは自分たちインドアの格好の遊び場であるゲームの中にも存在した。
多人数プレイゲーム、多人数VS多人数のプレイヤー同士の試合の中でそれは起きていた。
味方プレイヤーが弱い事を絶対に許せないプレイヤーが一定数そこにはいる。
味方のせいで負けるのは確かに気分が悪い。裏切られたような気分になる。
だが、自分が常に完璧なプレイを出来ていると思い込んでいないのでなければ、それは口にだすべきじゃない。
○○「□□テメーのせいで負けてんだよ」→□□さんが退室しました→○○「はっ、味方減ったせいで負けてんだけど」
ネットゲームを遊べば100試合に一度はこういった光景を見ることが出来る。
ただそういった罵倒を言いたくなる気持ちが分かることはある。
こっちが3で向こうが1だから力を合わせれば絶対勝てる、
そう思って進んでいったら味方は二人とも後ろのほうで引きこもっていて自分だけが死んだ。
「信じた俺が馬鹿なのか」、そんなフレーズが浮かぶようなシチュエーションが定期的に訪れる。
そんな時そっとリスポーンを待ちながら「お前ら馬鹿じゃねーの?」と言いたくなる自分を抑えるのはほんの少しだが苦労する。
そして、自分が誰かに「お前わざと足引っ張ってんの?」と言われてしまいそうなほどコテンパンに負ける日もある。
0キル7デスのような数字を見ると自分でも何が起きてるのかと困惑してしまう。
正直文句を言われても仕方がないと思いながら、チャット欄が無言なのを見て「良い奴だな」と感じたり、
チャット欄に飛び交う罵声や試合後に来るファンメール(罵倒メールの隠語)を見ながらそっとミュートボタンに手を伸ばす。
そんな時にふと体育の授業であった嫌な記憶を思い起こし、実に、嫌な気持ちになる。
コンピューターは人間の遊び相手としてまだまだ二流なのだから仕方ない。
エイムやコンボはやたらと完璧なくせに試合運びの事は全然考えていなかったり、
まともに思考を競い合ったら勝てないからか資源や視界でイカサマしてきたりする相手との遊びはやはり今ひとつだ。
低年齢向けには悪くないんじゃない。
6月が終わる。
今まで文武両道でそれなりに努力して成績を残してきた。全国1位になった特技もある。
性格は少し人見知りするけど、明るくて元気だと思う。
沢山の企業がイベントのブースやオファーメールで声をかけてくる。「うちに来ませんか?」
で、実際にエントリーシートやら面接やらし始めるとあっさりお祈り。
エントリーシートはそれなりに通るけど
面接が苦手。上手く話せない。
ああ、やっぱり落とされた。ってメールを見て呟く。
受ける。落とされる。受ける。落とされる。
それを2月からずっと続けてきた。
「○○は早く決まると思ってた」
「気晴らしに飲みに行こうよ」
そんな言葉をまわりは投げてくる。
相手は優しさだろうに、ドッジボールのように
強く投げられてる気がして、痛い。
説明会をさぼってしまった日もある。
外に出るのがいやになる。
なにもしたくない。
部屋が散らかっていく。
環境が、乱れていく。
たまに帰省をして、両親と話をする。
おいしいご飯を用意してくれる。
そんな、今まで大事に育ててくれた両親が
心配している姿を見るのが辛い。
優しい言葉をかけてくれるのも辛い。
「どうして決まらないんだろうね」
お父さん、お母さんごめんなさい。。。
俺は物語を書くのが好きだ。
初めて物語を書いたのは幼稚園児のとき、大好きだった絵本を真似て色鉛筆と画用紙で小さな冊子を作った。
キャラクターから筋書きまでその絵本丸パクリで、とてもじゃないが創作と呼べる代物ではなかった。
でも俺にはそれが楽しかったんだ。
それからずっと、小学生時代も中学生時代も、小説を書き続けた。
休み時間、校庭でドッジボールに励む同級生を尻目に、俺は教室で執筆を続けた。
小学校高学年になるとさすがに恥ずかしくなって、学校では構想を練るだけにし、執筆するのは毎日家に帰るまで我慢した。
中学生時代は漠然と重たい気分に付きまとわれて、その暗い情念を精一杯創作にぶつけた。
まあそれだけ書いてれば少しは成長するが、自分の書くものにセンスを感じたことは一度もない。
語彙が増えて長い文章を書くことを覚えたくらいで、空想の中では傑作だったはずの物語も、完成してみればいつも支離滅裂な駄作だった。
作文の授業で褒められたことなんてないし(むしろ国語の点数はずっと悪かった)、意を決して自分の書いたものを友達に読ませてみても、手応えのある反応は返って来なかった。
ずっと自分の世界に閉じこもっているから友人も恋人もできなかったが、それでも俺は自分の人生に満足していた。
だが高校に入学して、俺の人生は大きくカーブを切ることになる。
俺が待ち時間に読んでいたドストエフスキーの文庫本を見て、彼は声をかけてきた。
「僕はスヴィドリガイロフの儚い美学に共感するよ。彼は豊かに暮らしているように見えてその実、生の孤独を見つめているんだ」
美化されているけど初対面からこういう感じの奴だった。
「ふぅん、俺はラスコーリニコフがいいと思うけどね」
そう俺が言うと、彼は眩しいくらいにニコッと笑った。
そのうえ創作もするという。
そうして彼と仲良くするうちに、なりゆきで文芸部に入部することになる。
考えてみれば自分からコミュニティに参加することなんて人生で初めてだったが、やはり自分と似た人が多かったのか、自然と馴染んでしまった。
何といっても生まれて初めて友達ができたのだ。楽しくないわけがない。
一緒に入部した一年生は例の文学少年以外にもう一人女の子がいて、彼女も小説に熱い思いをもっている娘だった。
三人で互いにお薦めの本を紹介しあったり、俺の家に集まってだらだらくだらない話をした。
美術展に行っては批評家ぶって論評して、ときには高校生らしくカラオケやボーリングもした。
そして新たな刺激を得た俺は、これまで以上に執筆に熱を入れるようになっていた。
友人の影響でシュルレアリスムの真似事をしたのは失敗だったが、それを除いても短期間にこれほど成長したことはなかったと思う。
事実、俺は高校一年生の冬、公募の新人賞で念願の一次選考を通過することができた。
そう、たったの一次選考だ。笑ってくれてもいい。
これまで両手では数えられないくらい投稿してきて、初めてまともに読んでもらったのだ。
次の日、友人たちにそのことを伝えるのが楽しみだった。
というのも、俺は自分の成長は彼らのおかげだと思っていたからだ。
殻に閉じこもって書いていた中学時代の俺は自家中毒に陥っていたと今になってわかる。
でも高校生になって、文芸部に入って、彼らに出会って俺は殻を破れたのだ。
俺の中には彼らへの感謝の気持ちが溢れていた。
だが、俺の報告を聞いた彼らの反応は冷たいものだった。
へぇ、ふぅーん、そう、とか冷たい目をして言う。
ちっとも興味を示さず、退屈そうだった。
きっと新人賞には関心がないのだろうと思って自分を納得させようとした。
でも違った。
「創作に一生懸命になっているのは惨めだよ。世界はこんなにも素晴らしい書物で満ちているのに」
「えっ、お前何言ってんの……」
「つまりね、僕が創作をするのは、読む活動の一環なんだ。自分の書いたものなんてどうでもいい」
「じゃああのとき俺に語ってくれた創作へのこだわりは何だったんだよ! 一緒に頑張ろうって言ってくれたよな?」
するとずっと横で黙って聞いていた例の女の子が、
「あんたに合わせてあげてたに決まってるでしょ! そういえばあたしたち付き合ってるから! じゃ!」
と言って彼の手を引いて去ってゆく。
創作は惨めだって? 一緒に夢を語り合ったのは嘘で、自分の創作物なんてどうでもいいってどういうことだろう。というかそもそも付き合ってるってなんだよ。普通の高校生かよ。文学に身を捧げるんじゃなかったのか?
俺は現実を受け入れられず、思考はぐるぐると同じ所を巡った。
やがて俺は気づいたのだ。彼はファッションワナビという生き物だったことに。
一読して意味がとれないタイプの作品の価値なんて、素人にはわからない。
彼はそれをコミュニケーションに利用していたのだ。
本当はミステリアスな文学少年キャラを利用して女の子を捕まえるだけの、平凡な高校生だったのだ。
そう思ってひとまず落ち着いたものの、いまだにひとつだけ気になっていることがある。
彼は女の子に手を引かれながら、俺の方を見て、目で何かを訴えかけていた。
そしてあの、入学式の日に見せたのと同じ、眩しいくらいの笑顔をしてみせた。
あれは何だったのだろう。ただ俺を馬鹿にしていたようにも思える。しかし……。
俺の身体が疼く。
彼をあのビッチから取り戻さなければいけない。俺はそう決意している。
何かがおかしいと思う冷静な思考はあっという間に駆逐され、彼を助けなければという強烈な義務感が俺の脳を支配していく。