のび太だった僕が、ジャイアンになっても、のび太を救っても、結局出木杉だった話
のび太だった人間からすればジャイアンだった僕は相当不幸になってなければ腑に落ちないだろうけど、僕は実際こんなものです。
のび太からすればジャイアンにされた事は一生ものだけど、ジャイアンは若気の至りとか胸糞悪い言葉を便利に使って片付けるよ。
のび太だったり、ジャイアンだった僕は結局、友達も恋人も居ない出木杉だけど後悔はしてないよ。
のび太の僕は、ひどい目に合えば、あえてへらへら笑って強がって、親に心配かけないようにって、健気な自分に陶酔してたよ。
そんなもの何の解決にもならなかったよ。
自分にはできない理由や言い訳、人の性にするのばかり上手なのび太もいるだろうけど
出来杉がぼっちという風潮やめろよ
スネ夫になる道も、ドラえもんになる道もあるんじゃないのか?
高校進学者の割合が少ない中学校ってことは恐ろしく治安の悪い学区じゃないの? それで出木杉を自称するところにお山の大将っぽさを感じる
アラサーにもなってこんなにも詳細に小中学校時代を覚えているのにびっくり どうせ記憶を定着させるなら勉強とか役に立つことを復習すればいいのに