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2019-03-01

anond:20190301152130

ショーペンハウアー

世界には喜びより苦しみの方が多い。数千人の幸福と喜びは、一人の人間苦痛を補う事はできない。そして全体的に考えると生命は生まれない方がより良いだろう。


ネタ

ネターは人口爆発問題について言及している。ベネターは地球上の理想人口ゼロであるとしている。


カブレラ

Julio Cabrera は出産人間危険で痛みに満ちた場所に送り込む行為だと述べている。生まれた瞬間から死に至るプロセスが開始される。Cabreraは出産において我々は生まれてくる子供同意を得ておらず、子供は痛みと死を避けるために生まれてくる事を望んでいないかも知れないと主張している


アケルマ

カリム・アケルマは、人生の中で起きうる最良のことは最悪なこと―激痛、怪我病気、死による苦しみ―を相殺せず、出生を控えるべきであると主張している。



ザッフェ

我々は満足させる事ができない欲望精神的な要求を持っている。人類がまだ存続しているのはこの現実の前に思考停止しているからに他ならない。 Zapffeによると人間はこの自己欺瞞をやめ、その帰結として出産を止めることによって存続を終わらせる必要がある


てめえが名前を挙げた学者の中に出産肯定してるやつはいないんだが?




四諦

ハリ・シン・ガウルによるブッダ解釈

Hari Singh Gourは彼の本The Spirit of Buddhismの中で、とりわけ四諦とパーリ律の始まり考慮し、以下のようにブッダの教えを解釈している。

ブッダ曰く、人生が苦しみである事は忘れられがちである。人が子供を作る。従ってそれが老いと死の原因である。彼らが苦しみの原因がその行いにあると気付いたならば、彼らは子供を作るのを止めるだろう。そうして老いと死のプロセスを止めるべし。

四諦のものは反出生主義とは関係ない上に、この解釈すら、出生否定してる。


マニ教

マニは悪から逃れることを説き、そのためには人間繁殖までをも否定した



キリスト教 マルキオン派

wikiのマルキオンに反出生主とあるだけで、実態に関するちゃんとした情報がわからなかった、あるんなら出してくれや

キリスト教 禁欲

これを反出生主義と結びつけて考えるような記述はどこにも見当たらなかった、が、

そもそも禁欲って、基本性交とかそこらへんに関するものであって、出生は関係ないだろ

ボゴミル派

マニ教的な善悪二元論を説く。人間の魂は、悪しき肉体に拘束されている、この世の物質的なものは全て悪魔(サタナ、ギリシア語サタンの意)の手で作られたものである、救いのためには全ての物質的なもの否定せねばならない。


カタリ派

おめでとう、これが唯一の反証だよ、つってもこれも、死ぬ間際に(生殖含む)禁欲すれば、天国行けるっていう

まれてくる子供の苦しみとかも関係ない、俺からしたら反出生主義って言っていいのかかなり怪しい代物だけどな


まあ、つまり現在生きてる学者でてめえの言うような

出産を控えるべきなのか?

出産を完全にやめるべきなのか?

問題となるのは出産かそれとも性交か?

みたいなこと言ってるやつは居ねえんだよ

つか、おまえ書き方からして、内容が少々違うってだけで、多様な解釈があるって捉えてんだろ。

恣意的解釈してんのはどっちだよ



まあ、カタリ派の例だけ持ってきて、ほら!条件付きで子供産める反出生主義者もいるじゃん!って言ってもいいけどな、まあ、そう言うなら、俺の負けでいいよ、俺はカタリ派が反出生主義だとは思わんし

もうカタリ派滅んでるけどな

anond:20190301133900

Wikipediaだけでも見ればいいじゃん。

たとえば、仏教四諦マニ教キリスト教マルキオン派、キリスト教禁欲派、キリスト教ボゴミル派キリスト教カタリ派あたりが挙げられていて、これらの教義は少しずつ違う。

ショーペンハウアーやベネター、カブレラ、アケルマ、ザッフェ、その他諸々の主張もそれぞれ異なる。

すなわち、

出産を控えるべきなのか?

出産を完全にやめるべきなのか?

問題となるのは出産かそれとも性交か?

既に生まれている人は自殺すべきなのか?

人生に喜びを感じている人も死ぬべきなのか?

出生を否定する理由宗教哲学環境問題か?

これ、同じ反出生主義でも答えはバラバラだと思うよ。

当然ながら「全人類出産しないこと=反出生主義」は共通理解ではないということになる。

出産は罪だが現実的に生まれてくるのは仕方がないので神に救済してもらおう」から

ヒャッハー人類絶滅しろ!」まで、いろいろいるわけだからね。

ま、どうせ増田は「いやこれは反出生主義じゃないだろ」とか恣意的に分類するんだろうが。

2017-12-30

釈迦様が2500年前くらいに通った道かな?

anond:20171230111228

こういうのに西洋人が嵌まるのは仏教がまだ浸透してないから仕方ないとして、

アジア人がまだこの理解度なのは残念です。

さて、この反出生主義の課題は、

苦痛を無批判に避けるべきものと捕らえるにとどまっている点で

そもそも苦痛とは何か、なぜ存在するのかまで

考察が行き届いていない所にある

仏教によると苦痛の原因は執着にあり、

執着は人が自由意思を持っているという幻想により発生していると解く。

まり反出生主義の問題自由意思問題で、人は何のインプットにも影響されず論理によって最適な行動をすると信じているから発生するのだ。要は本能を全て拭い去ると人は死ぬしかないよね?

因みに仏教におけるこの手の問題点解決策は四諦八正道となる。興味あるかたはこちらも。

2017-11-03

anond:20171103211247

そもそも宗教メンタルケア役割も担ってるわけなのですが、、、、。

から仏教古典由来のメンタルケア知識豊富。ちゃんとやってるお坊さんであれば。

四諦とか。

2015-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20150614010522

なお、元増田四諦の例えってなんだ?ポリクリが始まったら習うのか?と思ってググっていた件。

http://anond.hatelabo.jp/20150614003059

医学部なら四諦の例えは聞いたことがあるだろうが、俺は患者言葉は信用しないようにしている。参考にしたらアレだから言葉半分で聞きなよ。

まず前提として、大学の友人か高校の友人以外は全員信頼できない。信頼できる人数は世界全体で0だ。

0.1とかじゃなく、0だ。

信頼は会話の絶対条件ではない。

全く信頼しなくたって会話は普通にできる。

俺は問診で患者の話を聞くとき、正直ほとんど話を聞いてない。

その後の検査でだいたいわかるわけだし。

ただ、好き放題喋らせるだけ。

一通り喋ったら彼らは満足してリラックスするから

会話というか、言葉ドッジボールだ。俺は的だ。

一応それらしい会話はしておくが、実際は聞いていない。

相手の話を真面目に聞いていると、

先入観が入って誤った判断を下すことがあるからだ。

例えば相手が胸がズーンと押さえつけるような痛みがあると言ってきたとする。もしかして狭心症かな?と思う。

心拍数を測定したら、狭心症不整脈かのどっちかに絞り込まれた。

どっちで判断を下すべきか?ここで患者の話を参考にすると、誤った判断を下してしまう。

仮に本当は不整脈なのに、狭心症判断してしまったら?

患者セカンドオピニオン不整脈だったと言ってきて、責任追求されたら?

まあ別にこのケースの場合はそんなにどうってことないけどさ。

いやこんなこと言っちゃダメだけどさ。

信頼するという行為は、常に期待した結果を運んでくるとは限らない。

ならば、期待値を下げて下げて下げまくって、「信頼」という不確かなもの不要になるところまで行為を洗練すれば、信頼に惑わされることはないはずだ。

人の命を預かってるんだ。信頼なんて神頼みみたいなもんじゃないか。

それは患者のほうはしてもいいが、医者のほうはしてはならないことだ。

医者判断ミスは許されない。許される判断ミスは0だ。0.1ではなく、0だ。

信頼できる仲間がほしいという気持ちはよくわかるが、信頼する場面を選ぶことも、医学部の子なら必要だと俺は思うね。

2015-06-01

http://anond.hatelabo.jp/20150601112712

  • そもそも「幸せ」という言葉定義曖昧であまりにもその場その場で都合よく使われすぎなので気に食わない
    • みんなが「幸せになることが究極目標である」という前提を何も考えずに仮定して話を始める奴が多すぎる(しかもその「幸せ」はそいつ勝手にその場で定義した都合の良いもの)のも気に食わない
    • 個人的には、他の増田の言うような「「他人の役に立っている」という貢献感が幸福の源泉」とは思わない
    • 仏教等では、幸福自体も空であるとされるのだろうが、精神の究極の安定を得て悟りに至る(これは都合よく「幸せ」を定義する連中の言う「幸せ」に当てはまる事が多い)には、諦念が重要だとか言われる。これを連中は都合よく解釈し「今あるもので満足しよう。それに感謝しよう」とか言い出す。集諦滅諦は都合よく取り入れる癖に、「手元にある幸福」が空であるという原理は受け入れない様が気に入らない。
    • 一方で、仏教的な四苦八苦を完全に消したいとも思わないし、そのための四諦も気に入らないので受け入れたくない。
  • 結論としてはお前らの言う「幸せ」を俺は求めていないし、「人間はみんな幸せになるために生れてきた」などとは思わないし、人に優しくするかどうか、誰に優しくするかは俺が決めるっつー話で、お前の思想勝手絶対視してんじゃねーって感じ。
    • お前らみたいな連中に言いたいのは、見たいものけが存在する脳内お花畑世界ホルホルしてんじゃねーよクソカス、ってこと。本当に見たくないもの肥溜めに突っ込んで無理矢理蓋をして「そんな現実がこの国にあるとは知りませんでした…」とかほざいて悲痛っぽい顔をするだけ。その場だけ。アホか。

2012-12-13

濱野智史前田敦子はキリストを超えた」と上祐史浩の話

[書評]浜野『なんとかはキリストを超えた』:あきれた。

http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20121210/1355153569

を読んで色々調べたらこんなのあった。

政権時代の変化、新しい思想・宗教

http://ameblo.jp/joyufumihiro/entry-11001677436.html

また、途中で話が脱線し、濱野氏が最近「はまり気味」のAKB48について言及されたので、私が、自分の持論として、AKB48とは、その数字と言い、グループの構成の仕方と言い、仏陀とその教えに「深い縁」があり、その人気の裏側には、仏の守護があるのでは!という話しをさせていただきました(笑)

 仏陀は、日本仏教では4月8日生まれ、その中核の教えは、四諦八正道。有名な無我の教えの本質は、「私」とか、「彼」といった、(そして「AKB48」といった、)名前によって一つの存在のように見えているものが、それを構成する様々な要素が無常に移り変わっており、実体がないというもので、メンバー総選挙で変わるAKBとよくシンクロした教えなのです(笑)

 記事は、9月18日発売の月刊サイゾーに掲載される予定です。

 
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