はてなキーワード: ゾーニングとは
普段ひとりのときに酒なんて滅多に飲まないが、今日は「子供なんて作らなくて本当に良かった。やっぱり女が子供なんか作るとろくな事はないな」という思いを胸に酒を飲みながらこの増田を書いている。
妊娠中の酒を我慢できないで、月2回ほど1〜2杯飲んでしまう酒好きの妻の方が、妻の妊娠中どころか婚姻中にやってはならない禁忌を犯している浮気ゴミの亭主より世の中じゃ罪深いんだってよ。笑っちゃうね。(※男性様にセックスして差し上げられない)妊娠中なんだからそのくらい我慢しろとか書いてあるブコメもあってもう噴飯物でしたわ。
いや女マジ産む機械。酒も茶も夜更かしも娯楽も亭主の浮気も嫁いびりもみんなみんな我慢して奴隷みたいに耐え忍ばなきゃクズ女。そんな思いまでして、出産時にはガチで死ぬ思いして便所ブラシの遺伝子残すとか何の罰ゲームよ。もう大爆笑。
この増田保健体育の教科書に載せたら良いんじゃねって思うわ。男はこんなアル中の糞嫁と結婚しないように気をつけようと能天気に増田に腹立てて、半数の女は妊娠するとこんな酷い目に遭うから絶対子供作るのやめようと認識を新たにして、もう半数の女はこんなアル中の糞嫁にならないように気をつけようと一層奴隷精神をたくましく育てるだろうからきれいなゾーニングができることだろう。後者の奴隷女だけ産む機械になって勝手に我慢してればみんな幸せで問題解決だ(妊娠中の嫁にこんな風にひどい仕打ちをする男にはならないように気をつけようと思う男? いるかそんな聖人)。
我慢も痛い思いもしないでノーリスクで子供得られる身分の分際で、結婚したらやっちゃならないアウト行為に足突っ込んでても許してもらえる甘やかされ放題の生物に関わると本当にろくな事ないな。
いやいや、こないだまでロリに関しては
大体、ゾーニング程度なら「ヘイトスピーチ」とか持ち出すまでもなく
すごいアクロバティックな論理だな
~という面もあるって言えば大体OKみたいな感覚なのか
バカなのか
http://anond.hatelabo.jp/20140714150652
その後も様々な議論が出ているようなので、簡単にチャートにしてみた。交通整理の一助になれば。
頭の体操を兼ねて、少し極端な意見も混ぜているので、批判的に読むことを推奨。
逮捕反対派 ─┬─ わいせつ表現の自由は無制約にすべきだよ派
│ ├─ AVのモザイクが許せないよ派
│
│ │ ├─問題になったのは可愛いキャラだよね派(事実取り違え派)
|
├─ なし子と「出資者」の大半にはわいせつの意図はないよ派(伊東良徳弁護士派)※追記参照
│ ←反論:女性器の生データを授受しておいて「わいせつの意図はない」は無理じゃね派
│
│
│ │ (両方取り締るなら反対しないよ派)
│ ├─ 男性器の型取りバイブは野放しで、女性器のデータだけ取り締まるのは女性差別だよ派(フェミ派)
│ │ ←再反論:実際は型なんて取ってないから。いい加減に目を覚ませよ派
│ │
│
│ └─本人が芸術だと言えばそれでいいんじゃね派(投げやり派)
│
│ (なし子は興味ないよ派vs北原みのりだけは許さないよ派)
│
└─ 自分の身体を撮っただけならいいだろ派
│ ├─ 性器丸出しはさすがに取り締まるべきだよ派
│ └─ 見たくない人の自由も尊重すべきだよ派
│
├─ 悪法でも法は法だよ派
│ ├─ 政治参加は大切だよ派
│ ├─ 新しい判例が出そうで楽しみだよ派
│ └─ 成人漫画規制のときには賛成しただろお前派(江戸の敵@長崎派)
│
│
└─ なし子はセンスないよ派
=========================
追記:tatsunop氏からのコメントを受けて、以下を追記しました。
・なし子と「出資者」の大半にはわいせつの意図はないよ派(伊東良徳弁護士派)※追記参照
←反論:女性器の生データを授受しておいて「わいせつの意図はない」は無理じゃね派
伊東弁護士のブログでの主張(http://b.hatena.ne.jp/entry/www.shomin-law.com/essayRokudenashikotaiho.html)には、価値判断として共感するところはあるものの、
故意の有無を争っているのか、授受されたデータ自体のわいせつ性の有無を争っているのか、
芸術活動の一環だと認められるから、仮にデータ自体にわいせつ性があったとしても違法でない
(以下のPDFの考え方に照らせば「わいせつ性阻却事由がある」→http://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/file/48617/olj_060_1_161_165.pdf)
と主張しているのか、法的な主張の位置づけは、いまいち明確でないように感じます。
そのため、このツリーのどこに入れていいか分からなかったので、仮で上記のとおり区分しました。
ここでアマゾンで販売されているアレをみてみましょう。
http://www.amazon.co.jp/dp/B00EDDPOHE/ref=cm_sw_r_tw_dp_kD5Wtb17BT9T46WH
http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/select/news/20140714k0000e040217000c.html
上の事件と集まったブコメを読んで、色々と考えさせられたので、自分なりに簡単に書いてみる。
本人のウェブサイト中の以下のページによると、彼女は自分の女性器をスキャンして「プッシーボート」を作るためという名目でクラウドファンディングを募り、
出資者(又は募金者)に対して、貢献額に応じて、自分の女性器のスキャンデータを送付すると約束している。
その結果、以下のページによると、100万円が集まったそうだ。毎日新聞の記事によれば、30人以上が「出資」に応じたという。
(1)送付された女性器のデータは生データであり、特にアートとして加工・デフォルメされたものではない
(2)行為の全体を通じてみると、対価性のある形で(お金を貰って)女性器のデータを送付していたと判断される。
■2.ブコメで気になった点
・「どの程度リアルなだったんだろ?サイト見るとかなりデフォルメされたキャラみたいだけど」、
「バイブやオナホの図面とか仕様書をメールすると逮捕ってことにな」る、
「次はフィギュアの造形データで神奈川県警か京都府警によるタイーホだな」、
等のコメントについて。
今回の件では、デフォルメなしの生データが送付されている点が問題とされているので、
サイト上のデフォルメされたキャラや、バイブ・オナホ・フィギュアのように人の手で加工されたデータの問題とは、
一応切り離して考えるべきだろう。
また、「神社とかで御神体とかが性器型どったものとかあるけど、あの辺もアウトなんだろうか?」というコメントもあった。
もし、本物の男性器を勃起した状態で3Dスキャンし、それをご神体としてかついで回ったら、さすがにアウトだろう。
公衆の面前に晒され、ゾーニングができていないだけ、むしろこの件よりひどいとすらいえる。
ご神体の類は、生々しさを感じない程度にまでデフォルメされているから、問題とされていないのだと思う。
この点を考えていくと、では、解像度の低い3Dスキャンだったら違法にならなかったのか、という疑問が浮かぶだろう。
この解像度の程度については、結局、AV等に対する運用に照らして、モザイク程度まで解像度が粗ければ違法にならず、
それを超えて鮮明な解像度になれば違法だ、ということになるのだろう。
・「自分の体の一部を自分の意志で希望者にのみ公開することが違法なのは異常だと思う。」
しかし、このコメントをした人は、AV女優が無修正写真を自分の意志で希望者にのみ販売した場合にも違法とすべきでないと考えているのだろうか。
今回の件では、上述のように、対価性のある形で自分の身体のデータを配布していると考えられ、その意味では無修正ビデオの販売と同じ行為類型に区別されうる。
勿論、ゾーニングさえきちんとすれば、どれだけ猥褻でも規制すべきではないというのはひとつの見識であり、
私自身もその考え方にある程度共感するが、ブコメ者がそう思っているかはよく分からなかった。
・名前や年齢が出るのは可哀想という意見には、心から共感する。
今回の女性は、ネットベースで広く自分の活動を発信していたが、自分の実名や年齢は公表していなかった。
この件を機に、彼女の名前・年齢は広く世界へ公表され、しかも半永久的にネットの空間を漂うことになってしまった。
他方で、今回の犯罪は、被害者のいない類型の犯罪であり、事件の凶悪さというより物珍しさから報道されてしまったケースだと思われる。
これで実名・年齢が公表されてしまうのは、やや酷だなと感じる。
他方で、同じ理由で、私は、芸能人が実名・年齢を非公表にしていた場合は、軽微な犯罪で逮捕されたときにこれを報じるべきではないと思う。この点は議論があるところかもしれない。
とりあえず、思いついた点を挙げてみた。
他にも考えさせられるコメント等があったら、追記するかも。
■追記1:
3Dプリンタで性器の造形を出力できるデータ配布 漫画家「ろくでなし子」逮捕
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1407/14/news072.html
こちらは実名・年齢は報道されていない。記者の判断を全面的に支持する。
しかし毎日新聞が既に報道してしまった今、実名・年齢はネットに漂い続け、報道前の状態に彼女を戻すことは不可能に近い。
報道機関は、ネット社会の下で実名報道が昔よりも格段の不利益をもたらしうることを踏まえて、必要性の高くない案件では実名報道を控えるべきだと思う。
と言ってみつつも、共有地の悲劇問題の典型例のような状況であり、自主的な取り組みを求めてみても問題が解決する気もしない。悩ましい。
■追記2:
「ご神体は結構生々しいぞ」とのコメントを貰ったので、いくつか画像を見てみたところ、結構激しいのも中にはあった。
これは確かに生々しい。→http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-c1-61/ueda9162/folder/1500365/02/67093802/img_7?1401355162
自分が昔見たものは、左右対称にデザインされているなど形が「綺麗」に整えられ、膨張時に血管が浮き出る様やエラが張り出るような「生々しさ」はないものだったが、
世の中は広いなと改めて感じさせられた。コメントに感謝したい。
いただいたコメントを受けて若干補足しておくと、日本の判例におけるわいせつ性の有無の判断基準は、性的表現の内容や手法そのものだけでなく、
性器の表現が表現全体の中でどのような位置づけ・意味づけをされているかや、「芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度」、
受け手の好色的興味に訴えるものであるかという点をも、あわせて考慮することとされている。
そして、例えば性器そのものを写真で撮ったケースでも、メイプルソープの写真集のように、全体として芸術的表現の一部であると判断されれば、わいせつ性はないと判断されることになる。
(参考→http://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/file/48617/olj_060_1_161_165.pdf)
ただ、性器を直接撮ったようなケースでは、芸術性が高いと認められないかぎりわいせつ性ありと認められるように思われる。
(上記の参考PDFでは、芸術性があることがわいせつ性該当阻却事由になると考えられると指摘している。)
この考え方からすると、メイプルソープ写真集のように高い芸術性が認められる場合や、道祖神信仰の対象であると認められる場合には、例外的にわいせつ性が阻却されうるものの、
今回のように、単に自分の性器のスキャンデータを送付した場合には、芸術性はないとして、わいせつ性を否定する理由なしと判断される可能性が高いように思う。
「ろくでなし子」氏としては、性器をかたどったゴムボートの制作資金を集めるために性器のデータを配布する、その一連の行為が全体としてアートなのだ、
と主張することもできるかもしれない。作品だけでなく、その制作過程をも公表することで、活動全体をアートとして位置づけるという理屈だ。
増田の規約に納得できないなら別のサービス使えばいいと思うよ。
個人的にはaukusoeさんの消されたエントリ嫌いじゃないけど(ちゃんと釣りと分かりやすく配慮してるのが偉いね)
過激なエロ単語とか、実践したら危険な行為を促すような内容は、それが認められてる場所でやればいいんじゃないかな。
Google叩いてる人もいるけど、はてなだって無償でサービス提供するためにGoogleと取引してるんだよ。
取引先の意向に沿わないような内容まで守れるわけがない。それは利用者のワガママ。
Googleにしたって、きちんとゾーニングしてるサイトには何も言わないだろうさ。
増田は年齢制限も何もないから18禁カテゴリのある2chより気を使うべき場所。小学生でも見られるんだから。
おっぱいだの何だのいう内容が毎日のようにホッテントリに上がる状態のほうがおかしい。
ブコメでも性的なことを何の迷いもなく書き込む人いるけど、それで盛り上がってるのは一部だけって気づいてほしい。
今回も運営が強権発動して検閲したというより、他の利用者から通報があったと考えるべきじゃないかと。
aukusoeさんに対してというより、ブコメで吹き上がってる人たちに向けて書きました。
ちなみにウンコ増田は好きなので、みんな超えちゃいけないライン考えて増田のウンコ文学の伝統を守りましょう。
ははーん、見えてきた。
里親の情報を施設長に渡し、「これは本来違法なんだけどな」と咎められるシーンがある。
(実際ダメらしい)
それに対し、女性職員は「子供が親を選べない現在の仕組みに問題があると思います」と答える。
この辺の情報のやりとりは、
1話の「裕福だけど、ガイキチ妻に不倫夫」という里親候補もそうだけど、
「子供は親を選べない」って、「実親を選べない」と「里親を選べない」ってダブルミーニングなのかも。
俺みたいな視聴者は「養子縁組」と「里親制度」が全然違うとは知らなかったし、
「里親」に手当が出るなんてことも知らないから見逃してしまう。
そこら辺を触れられたくないからここまでいろいろな団体が圧力をかけてきていると。
おいおい、「このドラマは取材されていない」とかとんでもないぞ。
深く考えたりまとめたりする頭があるわけでもないので、頭の中でもやもやしていることをとりとめのない感じに並べるだけ。割と長い。いろんなところで見たものの寄せ集めかも。
人工知能学会誌の表紙絵で一騒動あったが、その批判に対して言いがかりだという感じの反応が多く見られた。
些細なことで差別のレッテルを貼られることへの怒り、反発、表現をする側が批判を恐れ、政治的に正しい表現へと漂白されていくのではないかという危機感を強く感じる。
今回の件に限ったことではなく、特に"政治的に正しい"というのにものすごく反発がある様子。
自分もそういう反発心がないわけでもないし、表現の自由度が下がるのは避けたいとも思っている。
ただこうした反応を見ていて、自分は反対の方向に危機感を覚えたりする。表現に対して批判をしたり嫌悪感を表明することが封じられてしまうんじゃないかと。
批判のために攻撃的な言葉が使われる問題。それこそ差別的だという指摘がある。
もちろんどの立場であっても攻撃的な言葉を使うのはよろしくない。しかし多数派の罵倒はスルーされやすく、少数派の罵倒は目立って大きな憎しみを買いやすい。それがまた一層激しい罵りに繋がる気もしている。
ゾーニング、住み分けもかなり重要ではあるが、住み分ければいいだけの話、というのも個人的にはあんまりいい流れではないと感じている。分断する方向へ向かっているような。そこへ至るにはある程度のプロセスが必要ではないかな…
批判や議論も重要だし、嫌悪感の表明も自由だと思う。しかしそれによって簡単に表現が規制されたりすることはない方がいい。批判があったらダメというわけではない。批判があるからといって規制する必要はない。
表現規制の問題があるからか、批判というとすぐ規制に繋げてしまう傾向がある。
と言っても激しく批判する方もそれに激しく反発する方も、落としどころを見つけようとか意見を聞こうとか、おそらく思ってはいないんだよな…。相手を叩きのめそうという力が大きく働いている感じがある…。またそればかりが目立つために類似の意見すべて感情的に受け入れられなくなる、といったこともあるようだ。
自分としてはあの表紙絵が特別差別的だとは思わないし、些細なことではある。些細なことであるから問題であるとも思う。生贄的な側面は確実にある。意味のない指摘とは思っていない。
今回の件では、人工知能学会をどう見るかによっても意見が分かれたようだ。学会誌は内向けではあるだろうが、趣味を共有する目的のものではないだろうし、実用に目を向けているからこそ表現に気を遣う必要はあるかと思う。
人工知能を愛でる学会であればおそらくそんなに問題にはならない。
女性は家事とかそんなステロタイプは今時ほとんどねーよという反応も結構あった。これは、観測範囲に単身世帯が多いのではないかなあと思っている。単身なら性別関係なく家事をする。自分の観測範囲では所帯を持った人が多いが、女性が家事のほとんどをやっていて共働きというのが圧倒的に多いように見える。
労働環境の都合上そうなるしかないというのもある。田舎に住んでいるというのもあるだろう。実際全体ではどうなのか…ステロタイプから脱却するべきという認識は主に若い世代に広く共有されているが、状況はそれほど大きく改善されたわけではないってとこかな。
まあ観測範囲が狭いのでなんとも。
一番気にしているのは、批判の声が大きくなった場合、表現をする側の心が折れる問題。
批判や議論はあった方がいいと思いつつ、それらを受け止められる表現者がそんなにいるとは思えない。今回騒動になった絵を描いた人の心が折れていないか正直心配である。絵が悪いわけでも描いた人が悪いわけでもない。
ステロタイプな表現は社会の鏡であり、表現そのもの以前に社会環境の方に問題があるのは確か。
表現の影響を過大に見る向きがあると感じる一方で、それに反発して過小に見る向きもあるように感じる。ひとつの表現が社会に与える影響は大きくはないし、大抵の場合劇的な何かをもたらしたりはしないと思うが、多くの表現が少しずつ既成概念を作り上げているところはあると思う。
表現が個人に与える影響は多分かなり大きい。
海外を引き合いに出さずとも多様な立場にいる人が声を出すようになれば、批判される割合はどんどん高くなっていき、面倒なことは増えていくと思われる。声が出ることを歓迎する反面、何らかの表現をする者にとって背負いきれない重荷であるとも感じている。
間違った表現、正しい表現があるわけではない。漂白する方向へ向かうよりは、多様化する方向へ向かった方がいいと思う。向かって欲しい。
で、結局どうしたらいいのか、自分には分からない。真摯に考えた人もたくさんいたと思うし、記事も色々読めたことは自分としてはよかった。議論が起こるのは意義のあることだと思う。一方で溝が深まっただけという気もしている。
SF的にこれからの表現のあり方や人工知能、アンドロイドのあり方なんかに議論が広がっていったら主に自分が喜んだのだが。表現が差別であるかどうかで泥仕合になってしまったのは残念だった。いや、これにも意義はあるのかもしれない。わからない。
結論はない。頭いたい
1/3追記
id:hal9009 表現が既成概念を作ってるってのは多分幻想なんだよな~。実利があれば表現が追い付かないほどの勢いで世の中変わるので。変わらないのは構造的にではあれその現実を支える確かな「利益」が存在しちまってるんだよ
これなんだけど、自分が感じてるのはもうちょい小さいことで、情報の少ないことや些細なことについての既成概念。
些細な認識の穴埋めとして物語などで得た情報が結構使われている気がする。
現実に色々な情報が入ってくるようなことだと頻繁に上書きされるので表現は表現という認識にとどまる気がする。
実際には違うという認識が共有されつつお約束とされている表現があって、何らかの理由で共有されていた認識が薄らいでお約束の表現だけ残ったら、割と面白…面倒くさいことになるかもしれない、などと思うこともあり。
情報が少ないことであったり取るに足らないような些細なことであったりすると、なんとなくそのまま表現のイメージを引きずってしまう感があるということ。
些細なことなので問題ないといえば問題ないかもしれないが、些細であるだけになかなか更新されないなど。
それがよくないと思っているわけでもなく、既成概念も物事を見るのには必要だが、面倒な問題を起こすこともある、と思っている。
頭の中でもやっと考えているだけで自分でもまとめられないので具体例を出せといわれるとよく分からなかったりする。
あんまり多くの方向にアンテナ張って本当に些細なところにも配慮しつつなにか表現しようとすると死んでしまうが、些細なことに突っ込む意義もまたあるということ。
http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/20131118/1384775000
人を傷つけ不幸にして誰かの溜飲を下げるだけの風刺サイトなんか誰も求めてねえんだよ。 え? 求めてる人もいるって? 馬鹿野郎、そういうのはヒトデナシってんだ。よく覚えとけ。
これみて驚愕した。彼は自分のサイトを公正明大な立場から批判を行う正義サイトとでも思っていたのか?
彼のサイトをちょっと見れば分かるが「アホ」とか「馬鹿」とか見るに耐えない直接的な罵倒だらけの(と言うかそれしかない)コンテンツなのだ。
自分の気に入らない対象を叩いて支援者と一緒に悦に浸るのは、はっきりいって「虚構新聞」と何の違いもない。違いといえば虚構新聞は作り話で当て擦るが「今日も得る物なし」というサイトは直接、アホ馬鹿いって直接叩くのが違いだ。
上記の発言をみて今までその自覚がなかったのかと愕然とした。
自分も虚構新聞は不快だし、クソだとおもう。ただそれはアホ馬鹿いってる「今日も得る物なし」も見ると不快になる。どっちかのサイトを褒めてる人間はどうかしてるとも思う。
それから「今日も得る物なし」では自分が不快と感じるものに対しては平気でやめろとか言ってるので驚く。自分のサイトにあるアホとかバカという言葉が不快な人間がいないと思っているいるのだろうか?
自分が人にとって不快な事を書くのは言論の自由に保証されたことで問題ないが、自分が不快に感じるものは言論の自由に当たらないのでなくなるべきとか本気でかんがえてるのだろうか?
もし、誰かにとって不快な表現が含まれるならば、削除すべきと考えているならば、「今日も得る物なし」は罵倒表現だらけで不快なので削除すべきである。少なくとも私は不快だ。
だが私は削除すべきであるとは思わない。自分の言論の自由を訴えるには他人の言論の自由を認める必要があると思うからだ。
そもそも、私は万人にとって不快でない表現は存在しないと思っている。たとえば世の中には「子供が生まれた」という表現すら不快に思う人物が存在するのだ。
自分の不快という感覚が他の人感覚より優先されるとは私は思わないのだが、「今日も得る物なし」の作者は自分のコンテンツは削除されるべきではなく、自分の不快という感覚は他人の権利よりも無条件で優先されるべきだと本気で思っているのだろうか?だとしたら恐ろしく傲慢だと思うのだが。
全ての人間の権利が平等であると考えるのならば、自分が自由に表現を行う事を肯定するためには、自分にとって不快な表現を受け入れなければならない。
なぜなら、万人とって不快でない表現が出来無い以上、不快であるという表明で表現が出来なくならば、全ての表現はできない。
「虚構新聞」は建前上、虚構つまりフィクションだから、一応アニメや小説と同じ部類にはいる。この削除という表現規制の前例を認めるのなら、「今日も得る物なし」の作者はユニセフはアニメ・ゲーム表現規制に賛成するのだろうか?ユニセフの表現規制はゾーニングすればOKという話ではないようだが。
もっともこの作者はアニメ・ゲームが大好きで規制しようとするのは白痴みたいなこというのだが。(ちなみに白痴という単語は出版社の自主規制で出版物には使用できない)
あと、大衆を愚民だと思ってよくわからない選民を抱いているの一緒だ。「虚構新聞」は騙される人間を「釣ってる」事で間接的に馬鹿にしてる。
「今日も得る物なし」というサイトはやっぱり直接的にアホ馬鹿言ってるんだけど、このあたり同属嫌悪のように見える。
P.S
ブクマコメント一同おまえら三行以上本文読まずにタイトルぐらいしか見てないだろ。
文章の扱ってるテーマは3つくらいにわかれているがみんな最初のテーマにしか反応しない。
あと、彼自身が人を傷つける事を文章で批判しているのに、彼がそのような言動を行うの許容するのはダブルスタンダードにみえる。
内容の正しさと人格批判はわけて考えるべきというのはたしかにそう。だからこそ、内容が正しいからといって人格批判を行って意味なく傷つけていいとは思わない。内容が正しいという事はエクスキューズにはならない。
するとそれに嫌悪感を持つ人が出てきたり、社会を乱すと考える人が出てくる。
(それはたいてい権力者側自身じゃなく、エスタブリッシュメントだったり影響力を持つ個人だったりする)
ここは現状認識としてかなり的を射てると思う。
これ、同人ソフト界隈には既にあるよね。
1.「ゾーニングさえすればとやかく言われない」という状況が文化の多様性を生む
2.事情をよく知らない人が、ゾーニングの内部に変な規律を作る
3.行き場を失った制作者が表舞台でなんとか生き残ろうとし、やがてゾーニング議論が再燃する
こういうことだと思ってるんだけど、違うかな。
実際に、結構評判のあったメーカーがこの流れで見事に瓦解したのでよく覚えてる。
確かにコミケとか同人ショップは多きなウェイトがあるだろうけど、
ここまで社会運動的に盛り上げようとしていながら、今まで一度も集会やデモが計画されたと聞かないのも疑問だ。
そうすれば、普段デモの常連連中の協力が得られる可能性もある。
問題に関心を持っている層が、票にならない限りは無視される。
重要なのは、活動家や、政治家、クリエイターだけの問題ではなく、普段政治に興味のない層へ「このような運動がある」と認知させることだ。
リボンやバッジ、標語などを使い、普遍的でカジュアルな活動としてアピールするのもよい。
これは現実感をもたせ、身近な問題だと感じてもらうにも有効な手段だろう。
逆に、最もまずい事態は、「規制反対派は現実の性被害容認派」のように取られることだ(既に喧伝されかかってるが)。
そのためには、性に関する規制全般に言及するのではなく、「今回の改正で創作物を対象とすること」への批判に絞り、他分野へ話を広げないことだ。
話を広げすぎると、運動理解や参加への敷居はどんどん上がり、普段関心のない層ほど離れていく。
創作物を対象から外すことのみを目的とし、合わせて現実での被害への規制強化案・被害者救済案や、創作におけるゾーニング議論なども合わせて提示するのが効果的だろう。
どうも、お久しぶりです。
今月はじめに、「日経新聞で紹介された小学校のネット教育」について、「このネット授業に賛成する人の意見が聞きたい。」という増田記事でみなさんにコメントを求め、基本全レスしてた元増田です。
あの記事中にも書いたけど、このネット教育について件の小学校に問合せた。するとなんと、この授業を行い、なおかつ教材の開発者でもある、岐阜聖徳学園大学の石原教授ご本人より、返信のメールをいただいた。
はてな匿名ダイアリーへお名前を出して掲載する旨も了承を得ているので、ここでそのメールを紹介する。
このメールは9/5にいただいたが、ひとえに私の怠慢により3週間後のこのタイミングとなったことを石原教授にお詫びします。きっと少なからず気をもんでおられたと思います。申し訳ありませんでした。
《問題となった日経記事》
岐阜聖徳学園大学付属小学校(岐阜市)の6年生の授業をのぞくと、児童たちがタブレット(多機能携帯端末)のチャット機能でコメントをやりとりしていた。匿名なので書き込みは徐々にエスカレート。5分ほどで相手を誹謗(ひぼう)中傷する言葉が増え始めた。そこで教師が手元のボタンを1つ押す。するとチャット画面上に実名が表示され、楽しそうに騒いでいた声がやんで気まずい空気が流れた――。
なお、URLとタイトルは9月上旬に私が初めて見た時から変更されているので参考までに載せておく。引用部分については変更されていない。
《ネット上の反応》
この授業のやり方に対して、2ちゃん、2ちゃんまとめサイト、はてブ、ツイッターなどで散々な批判が浴びせられた。まとめサイトは400以上のブックマーク、2000のツイート、800のFacebook「いいね」を集め、私の増田投稿も100以上のブクマがついた。Googleの検索結果を見ても日経記事を発端に、この授業が批判混じりに面白おかしく取り上げられている様子がわかる。
主な論調は「匿名と言ってチャットさせて後から実名さらすのは酷い」といったものだ。私も記事を読み、そう思った。
思っただけでなく、「どうなのこの授業?」という主旨で増田に投稿し、授業に賛成する人(・・・も約半数みられた)の意見を聞かせてもらった。冒頭で「全レス」したと書いたのはこのときの話だ。
その中で、やはりどうしてもこの授業について当事者の話を聞いてみたいという思いにかられ、問合せをしたところ返ってきたのが、これから紹介する返信ということになる。
とにもかくにもメールをご紹介します。メールの改行されてしまったところの調整等をのぞき、そのまま貼り付けています。
岐阜聖徳学園大学附属小学校の情報モラルの授業に関して、多くの関心が寄せられておりますが、スレッドを拝見しますとその中にはいくつか誤解も含まれているようですので、教材の開発者として、また今回話題になっている授業を行った授業者として実際の話をさせていただきます。
実はこのスレッドの元になった日経新聞の記事は実際の授業の様子を正確には伝えておりません。
記事を書かれた記者の方は、実際に授業をご覧になったわけではないからです。
記事では実際にご覧になったような臨場感を感じられますが、教材の開発に関わった企業の広報や授業の一部のビデオ映像などを取材されて書かれたものです。
そして記事の内容は、私が授業で意図したものと全く異なります。この点について説明させてください。
記事では「5分ほどで相手を誹謗中傷する言葉が増え始めた。」とありますがこれは事実に反しています。
実際の授業でも実名と匿名でそれぞれ5分間書き込みをさせたのですが、匿名のチャットでは一部の児童が意味不明の文字を連打したり、少し乱暴な言葉を使ったりしただけで、相手を名指しして中傷したり、誹謗するような書き込みをした児童は一人もおりませんでした。「・・楽しそうに騒いでいた声がやんで気まずい空気が流れたーー。」も実際の授業を見られたわけではないので記者が想像して書かれたものです。気まずい空気が流れたわけではありません。
実際の授業を想像してください。担任が見守る中でクラス全員でチャットを行って、わずか5分で相手を誹謗中傷する書き込みをする児童が現れることは常識的にあり得ないことです。
もしそのような状態であれば、情報モラル以前のクラスだといえるでしょう。
端的に言えば、私の行った授業は、「児童にわざと誹謗中傷の書き込みをさせたうえで、見せしめのために実名をさらす」というものではなく、実名と匿名の違いを理解させ、匿名でも実際には本人を特定できることを体験的に知らせることがねらいです。
児童の人権に関わることなので、チャットを始める前に「相手を傷つけること」、「意味の分からないこと」、「乱暴な言葉遣い」、「汚い言葉を使うこと」はやめようと、それぞれ実例を示して指導しました。また、匿名の書き込みを実名に変換する前に、児童に「実名に書き換えてもかまわないか」と確認を取り、もしひとりでも「いやだ」と言う児童がいれば実名には書き換えないつもりで授業に臨んでいます。
日経新聞の記事が一人歩きして、教師による児童へのだまし討ちの授業のような印象を与えてしまって多くの方に心配をおかけしましたが、実際にはそのようなことはありません。この授業のせいで学級内でいじめが起きたり、人間不信が生まれたりするようなこともありません。附属小学校のスタッフの皆様や何より子どもたちや保護者の皆様の名誉のために、あえてこのような場で実名で発言させていただきました。
読んでいただくとわかるように、2ちゃん、まとめサイト、私の増田などを大いに騒がせたような「事実」はほぼ無かったと、日経記事での報道内容をほぼ全面的に否定している。具体的に、記事と異なる点をあげると下記のとおりだ。
記事の引用箇所たった185文字の中に、当事者の話と異なる点がこれだけあることが驚きだ。
このお返事をいただいてすぐ記事の内容について日経に問合せたが「新聞社の原則として、特定の記事に関して個別に見解を表明するというようなことは致しかねます」ということで、返事は得られなかった。
ここまでが一連の流れである。よければもう少しお付き合いください。
そしてもし気が向けば、この増田をブクマしていただけると嬉しいです。
《本授業について現状での自分の考え》
ここで「日経記事は間違いだった!」と短絡するつもりはない。
しかしながら、石原教授の主張には、名前を出して掲載することを許可いただいた時点で一定の信頼性が担保されていると考えてよいだろう。
もし主張に間違いがあれば、もっともダメージを受けるのは石原教授だからだ。
元増田で「日経記事をうけてJ-CASTが小学校の教頭にインタビューした記事がある」ことをブコメで示唆してくれた人がいた。
そのとき私はJ-CASTの記事は、授業の具体的内容や日経記事の誤りについて指摘していなかったし、学校を代表して教頭が当たり障りのないコメントをしているのかな?程度の印象しかもたず、判断保留としながらも、日経記事に重きをおきたい旨を書いた。
しかし上のような状況で、明確に日経記事を否定された今となっては、まったく逆の心証を抱いている。
仮に記事中に事実と異なる記述がなかったとしても、それでもまだ問題がある。つまり、チャットで児童の実名を出す前に確認をとったことを書かず、事前に説明や指導がなされたことも書かず、私も含め多くの人に授業方法に問題があるかのように錯覚させる記事となった。
まとめるとこうだ。日経はこの授業を実際に記者が見て取材することをせず、事実ではないことを書いた可能性がある。また、授業の説明として必要と思われることを書いていない。その結果、岐阜聖徳学園大学附属小学校の指導者、児童はじめ、関係者の名誉を損ねたおそれがある。
石原教授には、上に紹介したメールはもちろんのこと、その前後のやりとりにおいても真摯に対応していただき、大変感謝しています。にも関わらず、この投稿が遅くなってしまったことをあらためて、お詫びします。
なお、この増田記事自体が「石原教授」自身が自演で書いているのではないかという勘ぐりもあろうが、冒頭の元増田にこの記事へのリンクを貼ることでその可能性は排除できると考えている。
《あの記事が出た時点でなにができたのか?どうすべきだったのか?》
例によって長くなったがここまでで書くべきことは書いた。
ここからはおまけみたいなものだが、自分にとって必要なことなので書いてみる。
まずは結果として事実でないかもしれない記事を元に増田に投稿したことについて。
一般的に、新聞記事を元にネットであれこれ議論するのは、それが匿名の増田のような場所であっても、それほど不当なことではないだろう。
もちろん誹謗中傷が含まれるのは論外だが、そうでなければ一次情報に当たらなかったからといって非難されることはないように思う。
その上で書くが、もうすこし慎重になることはできた。
実は投稿する前に、記事の真偽について吟味する手間を省いたことを認めないといけない。
俺はあの日経記事には、そのまま鵜呑みにしてはいけないサインがあったと思ってて、俺はそのサインに気づかないふりをして増田を書いた。そこを今反省している。
サインというのは石原教授も触れている「5分で誹謗中傷が増え始めた」というくだり。ここはブコメで指摘している人もいたが不自然だ。普通に考えると5分で誹謗中傷が「増え始めた」と表現できるような状態になるとは想像しづらくて、記事の表現に無理があるように思える。
だからといって他の部分まで「嘘」とはいえないが、記事の信憑性に疑問を持つことはできたかもしれない。そして増田への投稿をやめようかとブレーキをかけるくらいのことはできたかもしれない(ただそうすると小学校に問い合わせることもしなかっただろうし、結果としてこの記事の信憑性についてより深く疑問をいだくこともできなかった)。
次に、やはり避けて通れない日経の取材について。これはちょっと分からないところがあるので、もし知っていたら教えて下さい。
石原教授の言葉が事実だとした場合、今回の記事がこの記者の個人的な失策で、かつ、普通ならまず起こりえない失策あることを願います。
さらに余談を重ねる。
事実ではないかもしれない記事をベースに騒いでしまったという反省はありつつも、今回の件を通して自分なりに子どものネット教育について考えを深めることができた。俺自身は教育者ではないが、親としての意見だ。書いてあることはたぶん色々なところで言われていることの焼き直しみたいな内容になっていると思うのであしからず・・・。自分の考えを整理するために書いています。
このような状況下で「失敗を通して学ばせる」というのは少々乱暴な話で、失敗の程度は大人が積極的にコントロールすべきだろう。いくら野球が大好きでも、小学生をメジャーリーグの試合に出場させたら命の危険にさらされる。成長度合いに応じてステップアップさせるのが最善なのは言うまでもないことだが、なぜかネットの話になると「とりあえず放り込んどけ」みたいな論がまかり通る。それは大人が責任放棄していることだと気が付かないといけない。
などなど、個々の家庭レベルでもやれることはたくさんある。
ちなみに中学生(高校生、大学生)になるまではスマホもケータイもPCも触れさせないという選択もありそうだし、実際やっている家庭もあるだろうが、それだと子どもにネットとのつきあい方を教える機会を持てないし、やっぱりネットを正しく使って欲しいという気持ちがあるので、小学生のうちでもどんどん使えばいいと思っている。
《日本経済新聞社へ》
返事ください。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1773671.html
これなんだが。
俺はこの記事を読んで、こんなネット教育はまったく論外だしとんでもないやり方だと思った。
ところがはてブコメントを見ると、約半数が賛成しててびっくりした。あまりにも意外だったので、ぜひ賛成している人たちの考えを聞いてみたいと思い、この増田エントリーを書いている。
《はてなブックマークの現状》
まずはどんな具合に約半数が「賛成」なのか現状をざっとまとめる。
現状といいつつトップ10コメントだけだが、はてブページは 2013/9/3 12:40 時点でこんな感じ。順番もはてブページの通り。
賛成か反対かは俺の独断で分けてみた。
一部のユーザが大量スターしてるため(見たところ賛成派、反対派ともに各1名かな)、スター数と順番の関係がおかしなことになってたりするが、大多数のユーザは1スター、たまに2スター3スターといった感じなので、状況としては、賛成・反対でまっぷたつと言っていいのではないかと思う。
あらためて賛成コメントを抜き出してみると、「この程度の」「体験させる」「経験しといた方が良い」「一つの試みとしてあり」といった言葉から、コメントした人やスターをつけた人が、この授業での経験を軽くて大したことじゃないものと考えていることがわかる。同様に「試行錯誤」や「体験」「経験」「試み」といった言葉からは、やり直しのきくものだとも捉えているのだろう。
ほんとうにそうだろうか。「誹謗中傷したら実名さらされちゃう経験」って軽いものだろうか。その後の学校生活にたいした影響を及ぼさない経験?
そうじゃないだろう。自分が誰かの悪口を書いたら、それが自分の名前付きで相手に伝わってしまうのだ。そうやって損ねた友人関係は簡単にやり直し修復がきくものだろうか?
大人でも大変なことなのに、学校が世界のすべてというような子どもにとっていかに重大なことか。
「誹謗中傷してはいけない」ということを伝えるのに、このような過大なコストを子どもに強いるのが適切だとは、俺にはどうしても思えない。
反対コメントでも指摘されてるように、別のメッセージが伝わってしまう可能性すらある。対人関係を教育するのに隣の席の児童の悪口を言わせて「ほら、○○君は嫌な顔をしただろう?誹謗中傷したらいけないよ」なんて教育はしない。別の方法がいくらだってあるだろう。
教師が実名ボタンを押す頃合いをちゃんと見てるからそこまで大変なことにはならないはず、とか、ネットでの失敗は結果が取り返しがつかないからこの程度の体験をさせることは必要、とか、そもそも誹謗中傷のような負の感情をもっている本人が悪いから自業自得だ、とか、そういう反論を受けるだろうか。
大変なことになるかならないかは属人的な要素が強すぎて、授業手法として一般化するには危険すぎるし、ネットでの失敗が取り返しがつかないことを伝えるという使命があるにしても、それと子どもの学校生活を引き換えにしてよいものではない。自業自得論については敢えてコメントすることもないだろう。
「この授業で伝えたいことは『誹謗中傷してはいけない』ではなくて『ネットが匿名だと思って調子に乗っているとひどい目に会う』ということだから、この手法で問題ない」
この意見は賛成する理由として少しは有望な気もするが、やはり子どもに負わせるコストが過大だという反論を覆すには至らないのではないか。
《まとめ》
当り前だが、俺はものごとには色んな意見があってしかるべきだと思っている。問題が複雑であればあるほど、正誤を判断するのは難しいし、そもそも何が正しく何が間違っているか確かなことは誰にもわからないことだってたくさんある。
消費税増税のタイミング、TPPの参加可否、移民受け入れ問題、原発再稼働か電気代値上げか、解雇規制緩和か派遣労働の拡大か、きのこの山かたけのこの里か・・・。
こういった複雑な問題は人によって意見が違うのは当然だし、さまざまな意見がぶつかりながら社会的コンセンサスを形成していけばよいと思う。
繰り返すが色んな意見はあるだろうとは思う。この授業のやり方にしたって一部の教育関係者が考えつくこととしては想定の範囲内かもしれない。考えついたことを実際に提案し、なんちゃら会議に諮り、そこで働くべきブレーキ機能が働かず実現に至ってしまった。今回の授業はおおかたそんな経緯かな?・・・そう思っていた。
それがたまたまメディアの目にとまり報道されたが、きっと世論でもはてブでも盛大な批判を浴びて、このような授業は二度と行われないに違いない。そんなことを考えながらはてブコメントを開いてみたわけだが、予想は大幅に裏切られ、約半数が賛成を表明していた。
俺が驚いたのはこのような授業が行われたことそのものではなくて、はてブの約半数の人間が賛成を表明していたことだ。
ごくごく少数ならば「えーーありえねーー」で済ますこともできるが半数だと理由を知りたくなる。こんな授業が当り前のように全国の小中学校で行われるような世の中にはなって欲しくないし、自分の子どもをそんな学校に通わせたくないからだ。
だからブコメ書いた人でもスターつけた人でもそれ以外の人でも構わない。
上の反対意見を見てもなお賛成なのか、俺が書いたことに対してどういう反論が成り立つのか、読んだ人、どうかよろしくお願いします。
id:salvatore8 「反対のトップは賛成意見」
反対のトップはid:nakex1氏のコメントことですね。このコメントは「全員に公開して相互不信のタネをまいてしまうのはやり方が雑」と書いており、この授業のポイントである「実名を公開すること」には明確にノーと言っており、俺の意見と近いという点で「反対」に分類しました。もっとも賛成反対は便宜上のものなので、異論があるのは理解します。
id:ktasaka 「誰に対するどういう方向の批判なのか不明。教師の学級経営がここまで信頼されていないものなの?自分でも簡単にできると思ってる?」
→わかりにくくてすみません。この授業手法の是非を「子どもに負わせるコストが過大だ」という俺の批判意見を読んでもらった上で、あらためて問いたいということです。教師の学級経営が信頼できるかどうかという属人的かつ大きな主語の話をするつもりはなく、あくまで今回の授業手法の是非の話です。どんな授業手法であっても結局は教師次第じゃないかと言うかもしれませんが、であればなおのこと、わざわざこのようなリスキーな方法をとらなくても、他にいくらでもやり方はあるんじゃないかという話をしています。「自分でも簡単にできると思ってる?」については「ネットリテラシー教育を自分でも簡単にできると思ってる?」という意味かな?「親として子どもにすべきことをしっかりしたい」と考えていますが、それはこの増田の主旨ではないです。
id:mizunons 「この人は、いったいどういうパーソナリティ傾向の人が「この学習で、うっかり他人を批判してひどいめに会う」と想定しているんだろう。その想定と、この懸案内容は一致していて妥当なんだろうか。」
→小学生くらいの年代であれば「この学習で、うっかり他人を批判してひどいめに会う」のは誰にでも起こりうることではないでしょうか。どのようなパーソナリティの子どもであれ、人を傷つける発言をしてしまうことはあるでしょうし(記事にも5分ほどで誹謗中傷が増え始めたと書かれています)、そうやって言われたことに傷つくこともあるでしょう。それが原因で当人同士の、あるいは友人まで巻き込んだ人間関係が壊れてしまうこともあるでしょう。もちろん全員がそうだという話ではありません。一般的に起こりうることとして想定可能な事態だと俺は考えてます。
Twitter @coneko 「匿名チャット実名表示授業への意見。締めに「自分の子どもをそんな学校に通わせたくない」と言っているんだけど、こういう状況になっても悪口を書かないような子供を育てる、という気にはならないのかな。」
→ここは誤解されているようなので補足します。俺も3人の子の親として、自分の子が匿名であれ実名であれ、事実であれ妄想であれ、悪口を安易に外に吐き出すような子になって欲しくないと思ってます。嫌いとか気に入らないという感情そのものは人として誰しも持ちうるもので悪いことではないけれども、それを外向けに表現するには配慮が必要だという、当り前のことを当り前に学んで育って欲しいと思ってます。この授業で問題なのは、そういうことを率先して教えるべき立場の大人が、チャットで実際に誹謗中傷が増えてきたのを確認してから実名ボタンを押し「ほーらみろ悪口なんてめったに書くもんじゃないぞ」という、俺から見れば最悪の方法で教えようとしているという点です。親としてなすべきこととは別に、こんな授業がまかり通ってしかも賛同を得ている事実に、俺は驚きを感じています。
なんか全レスに近いかたちになってきた。暇だなー俺。まあ誰に迷惑かける話でもないし「なげーよ」という批判には「ああなげーよ!」で返したいと思います。レスしてないブコメについては基本同意だったり、レスを必要としないブコメだったり・・・そんな感じです。同意してくれてるブコメにこそうんうんと頷いてレスしたいんだけど気持ちだけにしておきます。
トラバ「賛成: HNの相手に悪口いうことあっても名前だしていわないだろ」
http://anond.hatelabo.jp/20130903210843
→ブコメとトラバありがとう。そうだね。チャット上のやりとりまですべて匿名ならば少しはリスクは減ると思う。ちなみにどういったルール、どういった運用でやっているかは予測であれこれ書いてもしかたないと思ったので、実はいま岐阜聖徳学園大学附属小学校に問合せてる。まあ匿名ダイアリーの記事ごときで回答が得られるとは思ってないけどね(問合せは実名でやったよ)。
id:uduki_45 「万が一のシミュレーションにもなるし、何より問題を表面化させることが大事だと思う いじめに関しては手遅れになってから解決なんてまず無理な話なんだし」
→誹謗中傷はシミュレーションではないよ。そして、いじめの表面化の大切さについてはネット教育とはまた別の議論だよ。
id:kanjin30203 「小学生くらいの人間関係って陰口言っててもちゃんとゴメンナサイすれば大概元に戻る。中学生以上にやらせるのは確かに危なそうと思うけどね。先生の技量に大きく左右されるから全国でやるべきとは思わない。」
→「大概元に戻る」のが本当だとしても、この授業を実施する積極的な理由にはならないよね。
id:rx7502 「授業の手法にこだわってるけど、そんな小手先ではなくて、主眼が達成できているかや主眼が発達段階を鑑みて適切なのかで、授業を見るべき。成長させる上で、失敗させることも大切。」
→うーん、その失敗の重大さ、取り返しのつかなさを問題にしてるんだけどな。それからもうひとつは失敗のさせ方。友達との喧嘩やトラブルを通して子どもは人付き合いを学んでいくものだけど、だからといって大人が意図的に喧嘩やトラブルを発生させようとするのは無しでしょう。実名さらされてさ。自分がそういう目にあったらと思うと俺は笑えないよ。
id:akikan2 「少し関連記事を探せば、「特定のテーマ上で、特定の個人を誹謗中傷しないルール」で授業が行われたことが分かる。大して調べずに匿名ブログで物事を語る大人を産まないためにもこの授業は必要なのでは。」
→これかな。情報ありがとう。http://www.j-cast.com/2013/09/03182883.html?p=all ここには「特定の個人攻撃につながるものではありません」とはっきり書いてるね。いっぽうで日経記事には「5分ほどで相手を誹謗(ひぼう)中傷する言葉が増え始めた」と書いてあり、両者の記事は互いに矛盾してるよね。あなたは、なぜJ-CASTの記事が正しくて日経の記事が間違っていると判断したのだろうか。J-CASTの方が新しいから?でもこれは日経記事への反響をうけて教頭がインタビューに答えたものだよね。日経の記事は第三者である記者が授業を取材した事実が書かれており、J-CASTのニュースは当事者である教頭のコメントを紹介しているという点で、両者の言い分が矛盾しているならどちらを信じるかという問題だな。俺なら、第三者の日経の方に若干重きをおきつつ、予断ははさまずに態度保留するけどな。少なくとも後者を無条件に信じるのは少々危ういと思う。あとさ、具体的なテーマを与えるとなぜ特定の個人攻撃につながらないと言い切れるのか。俺にはなんの因果関係も感じられないよ。
id:QJV97FCr 「て言うか、あなたが何でこの授業に反対なのか書いてないよね」
→上記本文からコピペします。これが俺の反対理由→【「誹謗中傷してはいけない」ということを伝えるのに、このような過大なコストを子どもに強いるのが適切だとは、俺にはどうしても思えない。反対コメントでも指摘されてるように、別のメッセージが伝わってしまう可能性すらある。対人関係を教育するのに隣の席の児童の悪口を言わせて「ほら、○○君は嫌な顔をしただろう?誹謗中傷したらいけないよ」なんて教育はしない。別の方法がいくらだってあるだろう。】
id:tonapa 「多分に囮捜査的な手法だが、悪口はダメと理解していて当然の小六児童の間ですら、実際に「匿名前提の誹謗中傷が起きた」時点で意義ある授業だと思う。机上の知識だけで感情や悪意を抑え込める子供は意外と少ないよ。」
→その囮捜査は本職の警察ですら是非が問われてる(というか禁止されてなかった?)というのに、「机上の知識だけだと効果が少ないから」という理由だけで、その囮捜査を子どもにしかけるとは、それこそ問題では?
id:blue1st 「この人の論点とはちょっとズレるけど、「バレる可能性があるからダメだよ」的な方向での啓蒙は果たして正しいのかな、と疑問には思った。」
→コンビニ店長も同じ主旨のコメントしてたね。その通りだと思う。
id:kotetsu306 「"自分が誰かの悪口を書いたら、それが自分の名前付きで相手に伝わってしまう" ←「陰口たたいてたら『帰りの会』で晒し挙げ」なんて何十年も前からあるけど…?」
→ならやってOKということにはならないし、それを「大人が後出しで」やるのがどうなんって話よ。まったく別の問題です。
id:alph29 「そりゃベストではないけど、ただ「インターネットで人の悪口を書いてはいけません」と言う授業よりは(どうして駄目かを理解するためには)ベターだとは思うよ」
→ベターかな。どうだろう。そうは思えない理由は本文に書いたつもり。そこに同意してもらえないなら仕方ないな。俺の思い込みが強すぎる面もあるのかもしれない。実際にはそんな心配することじゃねーだろ、こんなんで壊れる人間関係なんてないよ・・・てことかな。
id:kain397 「例えば、生徒全員に対して個人面談を行うみたいな指導方法もアリだと思う」
→多いにありだよ。ただ学校にいる教師だけでは時間がとても・・・という話になって、結局は教育予算の話になる。この記事では私立小学校の話だけど、それでも予算ありきで動くのは変わらないし、なによりこの問題は最終的には私立公立関係なく、すべての子どもに共通する問題だからね。
ちょっと脱線するけど、現状では教育カリキュラムがネット社会に対応したものにないというのは、親として俺が日々痛感していることで、それ抜きにしても、親が子どものネットとの接触、エログロとの接触やゾーニングについて積極的に動かなければいけないと思ってる。だってさ、ファミコンしかなかった時代と、スマホやタブレットで隠れていくらでもSNSやエログロに接触できる時代とは、気を配らなきゃいけないレベルがまったく違うんだよ。小学低学年の娘に見せたくないコンテンツがいっぱいある。大げさな話じゃなくてさ、仮に積極的に見ようと思わなくたってスマホでウェブ閲覧すると下の方にアンアン言ってる広告がすぐ出てるよね。
もうここまで書いちゃうと何書いても嫌われるパターンかもな。俺ネットリテラシーなさすぎ。ごめんなさい。
id:fiiguy 載せたでー!
その2はこちら → http://anond.hatelabo.jp/20130904124430
このところあまりに頻繁に見かけるので雑感。
結論から先に言うと
「生モノは本人が許可していない限りは目に付く場所でやって叩かれても甘んじて受けろ」
「半生は作品のキャラクターとしての取扱いである限りは通常の二次創作と代わりはない」
「いずれにせよ性的表現が存在しているのならゾーニングは必要だろう。これはルールというよりは礼儀や行儀の話」
である。
これをごちゃまぜにして話をするとややこしくなる。
1 いわゆる二次創作をすること、発表する事は、著作権者あるいは権利者が禁じていない限り自由である
2 いわゆる同人誌即売会で有償で二次創作作品を頒布することと二次創作を行うことは当然だがイコールではない
3 生モノと呼ばれる「ジャンル」が人目に晒されるのを恐れるのはモデルとなる人物及びモデルとなる人物を知る人々にとって不快感を与える恐れがあるからだ。これもルールというよりは礼儀や行儀や思いやりという話
さて、まず1だ。
たとえばあなたが読み、あるいは見たなんらかの作品について、「もしこれがこうだったら」「もしこの登場人物がこうだったら」と考える事は自由だ。
同時に、それを書き記し、公表する事も自由だ。
だが、明確に「原作」が存在し、その原作なくしてはありえない内容である限り、「原作」の権利を侵害する事はもちろん許されない。現状、明確に禁じられている場合を除き、概ね世界的な傾向として、これらは「ファン活動」として黙認されている。
黙認されている限り、節度を守ってどこでどのように「ぼくのかんがえたさいきょうの○○」を語ろうと自由である。それは自分のサイト、タンブラー、ピクシブ、ツイッターなどのあらゆるツールを含めて自由だ。
これは誰はばかることなくやればいい、自由に。
例外は、ここに年齢制限要素があるかどうかである。年齢制限要素は、それがオリジナルであろうと妄想であろうと二次創作であろうといずれにせよゾーニングされるべきだろう。これは「二次創作」であるか否かとは別問題として存在する。
では性的表現、いわゆる同性カップリングについてと言われれば、現状ではこれもまたルールというよりは礼儀/行儀の話。端的に言えば上品であるか下品であるか程度の問題ではある。
では2になるとどうか。
現状、日本国内を見回す限り、いわゆる同人誌即売会において有償頒布をする事は、「黙認」されている。
これは「ファン活動」の範疇に収まっている限りの話であり、どこから範疇を超えるかは権利者による。
「黙認」されている以上、「許可」ではないので堂々とおおっぴらにする事はともかく、こっそり楽しむ分には一応文句は出ない、ことになっている。
よって「こっそり楽しみましょう」という大前提の下に、これらは全て動いている。
ところが、これが海外になると、「頒布」であろうが「販売」であろうが、金銭を得た時点で権利は侵害されたとみなす権利者のほうが圧倒的に多い。
無償で楽しんでいる分には日本以上に野放図であり自由であり文句を言わない権利者が、金銭が絡めば即座に侵害とみなすのは、原則的に「ルール」で動く西洋的な価値観の中では当然ではある。
ではそれらは有償頒布出来ないのか、というと、それこそ程度問題だろう。
儲けが出るほど大々的にやるのは完全にルール違反だし、わずかな同志間で楽しむ分にはかろうじてお目こぼしはしていただける可能性が高い「ので」こっそりやる、という話になる。
グッズのように「原作の原型を留めていなければ求められるはずもないもの」を作ろうとするなら、これは権利侵害以外の何者でもない。ただ、極度に手を加えられ、作り手の能力によってしかなしえない表現をされている、となると若干はなしはかわるかもしれないが、「原作」から逸脱しない以上はやはりこれもアウトなので「こっそり」やるか許可を求めるべきではある。
日本での「同人誌即売会文化」とでも呼ぶべき市場については、これは「印刷その他、掛かった金銭の分だけを負担していただいている=頒布である」という理屈で成立しており、原則的には「儲けは出ない」建前になっている。
これが建前で実際がどうかという話はここでは置いておくが、それでもこの「建前」は海外の権利者には通用しない。従って、「自分は悪い事はしていないが、見つかると禁じられて楽しい遊び場が崩壊するから隠れる」というのは当然の流れだろう。ワールドワイドに「宣伝する」などもってのほか、という事になる。(つまり少なくとも検索にひっかかるような場所でおおっぴらに語ったり披露したりすべきではない、ということになる)
3と、それに付随する半生については、これこそ「礼儀」の話でしかない。問題は一つずつ切り離して整理し、考えるべきことだろう。ただし、個人的には半生については個別の「作品に登場するキャラクター」を使っているという時点で特に「中の人」に対する遠慮が必要だとは考えない。何故なら彼らは「その作品の中ではその世界に実在する」からだ。
もしそれを「申し訳ない」と言い出すならそもそも二次元のキャラクターであっても「その世界に実在する」んだから申し訳ないという話になる。
以上、書き連ねたが、「ルール」と声高に喚き散らす状況には違和感しか覚えない。
原作ありきの二次創作に存在しているのは、許可されていない限り全て「こっそりやるべきもの」には違いないのだ。
その上で、そもそも創作自体は自由だ。
ここには自由しかなく、誰もルールなど作らない。ただ、個々人が自分の倫理観に従って存在するだけである。
いわゆる学級会の「隠れろ!」という「命令」は、それに従う従わないではなく、個々人が自分で判断して自分で何をするか決めれば良いだけだ。
もし、自分で考えられず決められないというのなら、その時にこそ、いうべきだろう。