はてなキーワード: 自己完結とは
自分もフィクトセクシャルと呼ばれる偶像性愛のセクシュアリティを自覚してるんだけど、他サイトとか見てると私は相手のことが見えます!相手とお付き合いしてます!って主張してる人がほとんどでなんだかなぁと思うのと同時に羨ましい。
見えてる見えてない、付き合ってるとかはその人の価値観とかその人なりの相手との同意の取り方があるんでしょうね。フィクトセクシャルってどのみち自己完結だし。
私は相手のことは見えない。見えないっていうか普通に画面の向こう側にいる人だって思ってる。私にとっての好きな人は概念としてはキャラクターでしかない。
だから画面の向こう側の人と付き合ってるってなんなんだろうな〜って。理解できないと同時に羨ましいんだよ。
毎夜毎夜布団で寝転がって相手と付き合ってたらとか相手が自分のこと認知してたらどうなんだろうとか考えてる自分あまりにも虚しい。私だって付き合いたかったぞ。
「貧困の男性は友人関係も、同じ貧困の女性と比較して半分くらい」これを差し置いてなぜフェミニズムに責任を負わせるんだろう。結局は女性にケア役割を押し付けようとしてる。男性も対男性ケアを分担すべきでは。
まず「誰かと愛し合いたい」と「モテたい」は違うと思うのだけど。誰からも愛されなかった絶望の先が、飢え? 食べ物の話なら飢餓のあとに絶望がくると思うけど性は違う?/非モテが性的指向?(追記しまくり)
「女性が家父長に指図されず好きな人と結婚したいのは支配欲でしょうか?」愛するパートナーが欲しいという欲求と”女を獲得したことで社会への承認欲求を満たしたい”という欲求をすり替えて議論を進めてる
子供が産めないという一点で「なら無理」って散々男性に言われてきた経験から、非モテ男性も女性を選択してるのでは?って思うんだけどなあ、非モテの男性とも複数つきあったけど非モテの人ほど子供欲しがったよ
ここまで考えてるのに何で以前からある男性学を無視し続けるのだろう。なぜ男性学には興味を持たないのだろう。男性学ではだめな理由を今度書いてください
弱者男性が生きづらいのは女性のせいでなく社会のせい。なぜか社会を叩かずに女性を叩く。ここまで執着するのは異様。その社会形成には自身に巣食うマチズモも関わっているから社会批判を避けたいのだろうが。
この人のいう「モテ」とはなんなのか。一般的な女性が考えるモテとは異なっている可能性があるのでは。正社員の席と比較しているが、その「モテ」を女性は本当に必要としているだろうか。
すごい全く理解できない何が言いたいのかもわからない。。非モテ男性は責任転嫁する(容姿や環境のせいにしやすい)、他人と比べやすい、ってことだけは何となくわかった。男性の方が競争心強いからかなぁ。
私、非モテのデブスなんだけど、セクハラには結構な頻度で遭うわけ。それを「求められている」と言われても。あと「モテ」≒「愛されたい!」だと、他者の関与がいる。愛したい、なら、まあ自己完結できるよ。
「擁護ではありません」と念入りに前置きして長文で煙に巻けば誤魔化せると思っているのかもしれないが、フェミサイドの原因を女性/フェミニストに押し付ける非道な言い分でしかない。
誰からも愛されないってそんな特別なこと?なぜそれを受け入れられないの?自分が愛されないことはおかしい!という前提があるんじゃないかと思ってしまう。
筆者の書くとおりに加害がなくなったとしても「モテ」というものから自身が自身を解き放てないとこれらの問題は終わらないと思う。
大変なこともあるだろうけど男性同士でどうにかしてねという感想しかない。女性は女性で自分たちをケアしたり身を守るので精一杯なので。
わかるとこもあるけど、並べ立てた「女性が性的に求められやすい」証拠は、「女性は性だけを目的に人格を無視する侮辱を受けやすい」証拠にもなりうる。非モテが喉の渇いた人なら、泥水を始終かけられてる人もいる
弱者男性が傷ついた妖精みたいな言い方してるけど、彼らが持つ加害性をないことにしてないか?あいつらが女にTwitterではものすごいセクハラパワハラ嫌がらせグロ画像送ってるの皆知らないんだな…
女性の容姿についてさんざん好き勝手をいっておいて、自分が容姿のことをいわれると死ぬほど傷ついてしまう人たちが「非モテ」の多数派と認識している。よってまるで支持できない。
「恋愛」の「権力勾配」を直視できないフェミニズムって存在価値ないよね。というかフェミニズムが最も逃げている部分。提示されると男性性とかホモソを言い訳にして責任から逃避する。
女性の恋愛は妊娠や一度受け入れた後の暴力、別れに逆上され殺される等身体的なリスクが高いことも踏まえて考えてほしい 侮蔑や嘲笑は止めるべきだけど、普通に接すると恋愛と勘違いされてリスク上昇する難しさも
女性が受けている不平等な扱いや蔑視、現実に起こった暴力を、男性の「モテナイ」と同格に語るのはなんで?「モテたら」男女平等で公正だ、という話なの?ジェンダーによらない平等な権利の話をしてるんだけど...
女性に相手にされない医者が集団強姦した事件あったけど、セックス以外に楽しいと思える趣味を見つける努力してくださいね。オツムが弱いからセックス以外に楽しいと思える趣味が見つからないのかな?
「相手を人として敬意を払う」というのは他人と親しくなる(相手に理解してもらう)ための本当に最低のラインなんだけど、最後まで読んでも女性に対する敬意が微塵も感じられないよねこの文章。
モテたがるのは別に良いが非モテは差別!女は特権階級!という言説は在特会と同レベル。ストーカー被害者も強者になる弱者男性論はカルトだね。非モテ女性を晒してこき下ろす男性がいる以上、彼女らにも救済はない
「フェミが力を持つ前インセルは静かだった」んな訳ない、普通のマチズモ同様女性を見下して当然の世情では区別つかなかったに過ぎない。事件に抗議するのを弱者男性差別扱いしてる層が多いのに"中立になれ"っても…
私は今人生の帰路にいる。
悪く言えば一度決めたらそれしか見えなくなる、かなり視野の狭い人間だ。
ここは重要なのでどうか忘れずに以下を読み進めてほしい。
26歳という年齢をむかえ、私は残りの20代をどう過ごすべきなのか悩んでいる。
シェイプアップのためジムにも通い、より完璧なスタイルに仕上げる。そのあとはありとあらゆる方法を使って男を探すだろう。
次に勉強。
仕事以外の時間はその勉強に費やしているが、なにせそこそこブラックな会社で時間がない上理解力があまりよくないので20代で合格にもっていけるか怪しいなと思い始めている。
私は学生時代にほぼ帰宅部で、人との関わりをほぼ避けて生きてきた。故にコミュニケーション能力が皆無で、営業をやっているが会社では干され気味で仕事も全然できない。なぜ営業職に受かったのかといえば、私は学生時代少しだけだが声劇部に所属しており、明朗快活な陽キャの演技で面接官を騙したからだ。
就活の仕方とか全然分からなかったので、受けたのはここ一社のみ。役作りと同じ要領で設定シートをつくり演技をしたらなぜか受かってしまった。詐欺まがいの演技にだまされガチのクズを採用してしまい、人事はさぞかし怒られたのではないだろうか。なにせ所属していた部活もやっていたバイトも創作なのだから。
唯一好きなことといえば勉強だが、根があまり頭が良くない(親戚も両親も頭が悪く従兄弟は中卒)
そもそも勉強が好きな理由も、一人でできてそこそこ達成感があるからで、ほかに大きな理由はあまりない。
今後の人生を考えた時、婚活か勉強か、どちらに邁進したほうが食いっぱぐれずにすむだろうか。
とりあえず現会社で一生過ごすにはあまりにも人間関係が宜しくないのでどちらにしろ転職は視野に入れている。また、かなりのコミュ障で人に嫌われる性格なので職を点々とする未来も十分にあり得るなと思い、何か資格でも持っておいたほうが良いだろうと暇を持て余した学生時代にとある資格を取っている。(明言は避けるが使えばそこそこ食いっぱぐれない類のものだ)
だったら勉強すればいいのではとは思うが、最近は私のような人間が正社員で働いていること自体が会社にとって迷惑なのではと思い始めた。とにかく仕事が出来ず協調性がなく全くと言っていいほど向上心が持てないからだ。
答えは出ない。とりあえず残業に戻ることとする。
しばらく前、「無関係のアカウントに個人情報を無断転載され、事実無根の話と共に拡散されている」という、あんまりな被害に遭っている人を見かけた。
さらに無断転載アカウントが匿名掲示板で話題になり、それをまとめサイトが記事にして風評被害が拡散される、という地獄の有様だった。
被害に遭っている人とは全くの無関係だが、当人は無断転載アカウントやまとめ記事の削除を望んでいたため、
まとめサイトに個人情報を載せた記事の削除依頼を出すことを試みた。
義憤に駆られた行動であることは自覚している。その上で、「まとめサイトのメールや問い合わせフォームは機能しているのか?」という疑問や興味もあり、削除依頼の文面を送った。
多くのまとめサイトには「このブログについて」「お問い合わせページ」といった記事がある。
そこには問い合わせ用のフォームや、管理人のメールアドレスが記載されている。
記事に問題があれば対処する、とも良く書かれている。記事のURL、記事の問題点をまとめて、メールやフォームを送った。
10分と経たずに記事を削除したとの返信がひとつ来た。丁寧な謝罪文と共に、削除したので確認して欲しいと書かれていた。もちろん、記事は消えていた。
返信がなかったものの、しばらくの後にしれっと記事を削除するまとめサイトもあった。
中には記事のコメント欄に「無断転載だから削除して欲しい」とコメントの書かれていた(そして削除されず放置されていた)記事もあった。
やはりコメントよりもメールやフォームからの依頼の方が効果があるのだろう。
しかし、話題を取り上げたすべての記事を消すには至らなかった。
理由はひとつ。問い合わせのフォームが見当たらないまとめサイトがあった。
「コンタクト」「アバウト」「このブログについて」などのリンクがあるものの、機能していない。
管理人、メール、削除依頼、などそれらしい単語でサイト内の検索をかける。見事にヒットしない。
運営者のTwitterアカウントも検索をかけてみたが存在しない。ブログ名も普遍的な名前過ぎて検索してもブログの内容が出てこない。
不気味だ。どこの誰が運営しているのか、何一切分からないまとめサイトがある。そして、記事の削除依頼を出すことができない。
そうした中で、記事のコメント欄が解放されているまとめサイトもあった。やるだけ無駄だろうとは思ったが、コメントにて削除依頼を出した。
しかしコメント欄すらないまとめサイトもある。運営者に何一切のコンタクトを図ることができない。
しばらく考えた後に、諦める他なかった。
ブログのサービス元(から連絡を入れる術を探ってみたところ、サービス元によっては本人or代理人からの権利侵害の申立が可能であることは分かった。
しかし私は第三者だ。結局ここまでである。ただの自己満足であるため、被害に遭っている本人には何も連絡を取るつもりはない。
これ読んでぱっと思い浮かんだのが「掲示板やオフ会で他人と話すのが好きな人」だった
話してて分かるんだ
あぁ、この人は「語りたい」のだなぁって
ゲームが好きな「結果」誰かと語りたい人と
誰かと語りたい「結果」ゲームを遊んでる人って違いが出るんよ
哀しいのは、後者も自身のアイデンティティを「オタク」だとするんだよね
掲示板文化みたいなのが残ってればそれでも居場所はあったかもだけど今はSNSの時代
そういう人って、自分が楽しめなくなった原因を「誰かと語れないから」ではなくて、「コンテンツがつまらなくなった」に見出そうとする
だって、自分はオタクで、積極的にコンテンツを楽しんでると勘違いしてんだもの
絵描きさんだとしたら、そのジャンルの二次創作をするのはなぜですか?
廃人活動もしてないのに楽しそうにしてる人と、がつがつやってもなんだか空虚なあなたとの違いは、どこにあると思いますか?
みたいな
的な
ふらっと青森に行っては、ラブリッジを写真に撮ってTwitterに流し、友人が数人「わかってる」コメントをする
仰々しく聖地巡礼とか書かない
そういう反応を期待する「趣味」ではないしね
「他者の中の自分」が目的の「趣味」はコミュニティをきちんとしないと長続きしないように思う
それらはインプットとかアウトプットとかそういう話じゃない、どうしようもなく他者依存のもの
そりゃそうだ、だってどこまで行っても自分が好きだけでやってんだから
そういう違いをきちんと把握して
趣味の対象を憎んだり、加齢で楽しめなくなったと勘違いしたりしてしまう
筋トレをやっていく中で気づいたのが胃腸がとにかく弱いということ
youtubeの筋トレ動画を見るとうどんを推す人っているんだけど
パスタはあんまり不調にならないけど、今は食べないようになった
だから今はいちどの食事でご飯は多いときでも100グラムしか食べない
眠くなったり体がだるくなったりするのがなくなった
乳糖不耐症もあるからプロテインはソイとWPIを合わせながら飲むようにしている
卵は毎日食べてる
一日に2~5個ぐらいかな
まずは白身を中火で2分半ぐらい焼いて、そして黄身を投入して1分焼いて、火を止めて30秒ぐらい放置する
どうやら黄身の消化能力が低いらしい
科学的には卵は生の状態が消化に悪くて、その次は完全に固形化した状態が悪い
他にもいろいろ自分に適した食事の方法を研究してるんだけど、これが楽しいんだよ
筋トレすると酒も飲まなくなる
もともと好きじゃないから筋トレって自分にも他人にもちょうどいい酒の断り文句になる
コロナのおかげもあるけどね
うまく消化できない→食事が楽しくない→食欲がなくなる→体力がなくなる→気分が落ち込む
ツイートではなくて、こうちゃんとした一つの感想文?としてまとめようとすると前置きとかいい感じのまとめとか必要で、いきなり書きたいところだけ書くわけにはいかず大変だった。あと携帯で長文書くの疲れる。みんなどうやって長い文書いてんだ。そんなわけで構成が雑で尻切れトンボ気味ですが許してください。ほんとひどい文章なのでいたたまれなくなったら消します
東大全共闘と三島の討論のドキュメンタリーを見て三島に強く共感したという話をする。内容の細かい解説はしない。プライムビデオにあったんで見てください。youtubeにTBSが上げてるやつはもっとコンパクト。
まず、三島が議論の冒頭からいきなり始める「エロティシズム」について共有しておきたい。これはサルトルのいう「猥褻」という概念から引っ張ってきたもので、いわゆる一般的な性的衝動というよりも衰弱したもの、無気力なものを指している。他者をオブジェとして捉え、他者が予測不可能であること、操作不可能であること、転じて「人間であること」を認めない態度。
文脈的に良いか悪いかといえば今回は悪いものとして使われてる言葉。
「他者を物体視するエロティシズムというのは、自と他が関係している状態とは違う。関係に入るということはすなわちそこに対立があり闘いがあるということ」と、三島はこの猥褻さを批判しており、暴力にはむしろ人間的な関係性がある、と学生に共感のポーズを見せる。議論の出だしにこう語ることで私は君らを頭ごなしに批判しにきたんじゃないよと言いたいのだ。
つづけて、そのようにエロティシズムを批判しつつも三島は「かつては小説家としてただエロティックにのみ世界と関わろうと願っていた」と言う。
この部分を聞いて、それがまさにいま自分(筆者)がいる次元なのだと気づいた。
振り返ってみるとどうも自分は人と関係するということにいい思い出がなく、関係が強いものであればあるほどその相手といるときの自分が「本来の自分」でない気がしてしまう。(実際、関係から開放されると安らぎを感じる) そして世界がコントロール不可能であることも常にストレスだ。電車はダイヤじゃなくて自分の都合に合わせて走ってほしい、映画も自分の見たい時間に始まってほしい、人の生活音が鳴るときはまず断りを入れてほしい。自分のこうしたストレスの根底にあるのは「自分が世界にフィットしていない」ことを見せつけられることへの恐怖だ。
エロティシズムとは違う気がするが、似たような傾向自覚されてないだけで多くの人間が共有するものだ。(エロティシズム以外の名前を当てようとしばらく考えたけど思いつかなかった)
インターネットを見ていると昨今は「思想のトレンド化」が激しく、日々流行りの服を着替えるように思想のトレンドを着替えて「遅れたことを言っている人」にならないよう皆必死こいている(一年前まで「男女間に友情はありえない」としたり顔で言っていた人間が今年はしれっとLGBTQを擁護するツイートをリツイートしている、みたいなのを何回も見た。もう少し意地張れよ、そんなんだから差別主義者に思想の借り物感を見抜かれるんだよ、と思う)。
つまるところこれは自分の「主観」に落ち着くことへの恐れであり、世界を三人称で見たいという欲求とも言い換えられる。たった数年前までもてはやされた育メンという言葉はもはや一種の差別用語、下手にフラットな思想の持ち主を気取りそんな単語を口に出そうものなら冷ややかな目を向けられる。このスピード感の中で誰が自分の主観にこだわりたいと思うだろうか。人の思想を借りて乗り換える、主観は持たず三人称だけを持つ、それが一番楽なのだ。こうして人々はエロティシズムに走る。
三島曰くこうした猥褻な世界観に欠けているのは他者との関わりであり、それを生むのが「意地」である。
「(エロティシズム的な世界との関わりを捨て)どうしても一つの関係に入りたくなっていった。それが当然対立を生むことになって、対立が他者というもののイリュージョンを作っていかざるを得ない。それで私はとにかく共産主義というものを敵にすることに決めたのです」
三島はここではっきりと「敵にすることに決めた」と言っている。
そう、三島にとって共産主義は敵にしないこともできた存在だったし、事実かつてはそうしてきたのだ。しかし三島は自分で選ぶことによって共産主義という敵を作り、それにより世界と関係を持った。
ここを踏まえれば三島がこの討論の間ずっと楽しそうなのも頷ける。立場の違いは本質的なものではないということをあの場で三島だけが知っていたからだ。三島は自分の思想を作品として表現するだけではなく、生の対立の中に身を置かないと気が済まなかったのだ。このへんをよくわかってない全共闘の芥は「作品は自立空間だ。三島がこんなところにデマゴーゴスを披露しに来てるのは三島が敗北している証だ」と言い返しているが、三島に言わせれば作品を発表するだけ、一瞬しか続かない解放区を作るだけで満足しているのはエロティシズムに過ぎない。(が、三島は彼を論破しに来たわけではないので強いてそこを芥に認めさせようとはしない。)
右翼だ左翼だに結局「論理的着地点」などありえないし、あり得たところでそれは本当に世界と関わっているのか?と言われるだろう。少なくとも机をバリケードにしたことが実際に世界になんの革命をもたらしたのかといえば、机が汚れただけである。内容が即形態であり形態が即内容である活動は他者を必要としないので自己完結で終わる。
脱線するが、途中で芥にヤジを飛ばしてちょろっと喋りに来る学生が「現実的な実在的社会的諸関係が先行する、それをお前は無視している」とめちゃくちゃセンスのない言い回しで(全体的にこのときの全共闘の言葉選びはセンスがない)芥の論を批判するが、これが「その関係を切れっつってんだよ!」という芥だけでなく、三島にも苦笑で流されてるのは「関係が現実にあり、それが自らに先行する」というかなりナイーブな決めつけをしてしまっているからではないかと思う。三島の考える関係とはあくまで自らが選んで作る「イリュージョン」だから。
右翼と左翼に本質的な違いはないし論理的な決着もつかないという話に戻る。
これは三島が言っていることではないのだが、つまるところ論理も「意地」の道具でしかないのだと思う。
論理が無力だとは決して言わない、しかし論理は使い手に媚びる性質があるのだ。
三島は途中、珍しく自分のノスタルジー全開で天皇に腕時計を授与されたエピソードを話す。その時の天皇の姿が自分にいかに立派に見えたかを三島は強調しており、またそれが個人的な経験であることも認めている。
三島はこの経験が彼の愛国主義、つまり「意地」の原点なのだと考えていた。
それは自分の個人的な体験や世界と繋がりたいという欲求の唯一無二の現れ方なのである、だから変えられない、と。
その意地>論理という三島のイデオロギーがはっきりと現れたのが以下の箇所。
「僕は論理の通りに行動しようと思ってない。つまり意地だ。もうね、ここまで来たらもう意地だ。」
このとき、東大の学生の間には「論理捨てるって宣言しやがったよこいつ笑 もう負けたなw」というニュアンスと思われる笑いが起きている。
ここで東大の学生はこの日の討論における自分たちの勝利、三島の完全な敗北を確信したのだろう。そして三島は翌年に切腹した。
しかし、あれから50年経った今日、やはり正しかったのは三島だったのではないかという気がしてくるのだ。
テン年代では没落していたひろゆきが今、ネットの神様から論破の神様として転生している現象にそれが現れている。ひろゆきは「善」という概念を持ち出さない。善は常に主観的だからだ。倫理的にいいかどうかは置いといて論理的にはこうでしょ?、というのがひろゆきの基本スタイル。
この「判断の放棄」はまさに三島が再三述べてきた「他者の物体化」「エロティシズム」にほかならない。
彼を崇拝する現代のネットは、かつてないほどにエロティシズムな世界観を求めているのだ。
ひろゆきが曖昧だと一笑に付す善には、ただし、こんな側面もある。
「善、っていうのは、突き詰めれば『ある何かの価値観を持続させる』ための意志なんだよ」
ちなみに小説ではこの「善」は人間の本性に反する歪な概念として批判的に扱われていた。人間とは本来気まぐれな有限の存在であると。
しかし三島はこの本性に逆らうこと、持続させようという意志にこそ真の人間らしさがあると考えた。
ひろゆきに批判的な態度を保ちつつも彼の動画を見た多くの人はこう言う。
この「だけど…」という違和感を生んでいるのが聞き手の「意地」であり「善を持続させようとする意志」なのだ。それは正しいかもしれない、だけど認めたくはない。そう、「正しい」からと言って認めなければいけないわけではないのだ。先程も言ったように論理は使い手に媚びる(論理学の人にめちゃくちゃ怒られそうな仮定ですが…論理とは一つの信仰体系なのです)。とすれば数十年後には真逆のことを論理的に説明する人間がいてもおかしくない。
多くの人が誤解しているが、論理は常に偏見という土台の上に立っていて、論理を積み上げることよりもその土台を見直すことのほうがよほど難しいのだ。
ひろゆきみたいなタイプは「人を言い負かしたい」という「意地=土台」が最初にあり、その上に論理を積み立てていくから「論破」において強く見えるんだと思う。しかし論破が目的化してその先がないのだ。
ひろゆきは人の欠点は指摘できるが、自分の考える「理想の世界」の話は絶対にしない。そんな意地を持った途端にそれは自分の論の弱点になるから。
ただし、そうして「論破」だけを繰り返した先に何がある?もちろん何もない。仮にひろゆきが提案する通りに世界を運営してみたら、きっとそこに残るのは論理に服従した人間たちの何もない荒野だろう。
「今のは一つの詭弁的な誘いでありまして非常に誘惑的であったけれども、私は共闘を拒否します」
イデオロギーの違いを超えて人間として認め合う、平田オリザが説く「シンパシー(同情)からエンパシー(共感)」という思想がその時、三島と学生たちの間にはあったのだと思う。
三島個人は昭和という時代に生まれ、天皇制に基づいた美しい日本を信奉したためその衰退に殉ずる結果となった。しかしそのイデオロギーと、そこに三島を導いた彼の考え方は別であり、それは単に「敗北した破滅の思想」だとは思えないのだ。
刑法175条に疑問
まずなぜ性道徳を維持しなければならないのか?
それを維持しないことにより何らかの「公共の福祉」に反する事態が起こるというか?
この国は公共の福祉に反しない限りで自由を保証しているはずである。
たとえば街中での露出を許すようになれば確かに風紀は紊乱していくかもしれない。
ではゾーニングしたうえで無修正物のやり取りをすることがどうすれば風紀の乱れや公共の福祉を害することにつながるのだろう?
隠れてやっていてもバタフライエフェクトが起こって風が吹けば桶屋が儲かる式で社会が無節操になってくるとでもいうのだろうか。
隠れてやってるうちその時点でちゃんと節操をつけてるんだから問題ない気がするのだけれど。
psdでレイヤーのオンオフで無修正が見れるようにしたものの有料配布さえも現状認識では違法扱い。
見るのに金がいる時点で間違っても見たくない人の目には入らない優れたやり取りの方法であるはずなのに、それでもまだゾーニング不十分とでも言うつもりなのか。
だいたい可逆不可逆を基準わいせつ物を決めるんなら世の中出歩いてる男女は一皮むけば性器が露わになるんだから日本にいる人間は全員去勢しなきゃならんことになる。
過去の裁判で芸術性がないから卑猥だからだめとかそんな議論で是非を決めていて呆れる。
芸術性がない=無価値だから取り締まるというのでは、たとえ趣味でも生産性のないもので当局の気に食わないものは全て取り締まりの対象になりえてしまうということだろう。まるで障害者を皆殺しにしたヒトラーみたいだな。
反対派すら一部は「エロは性犯罪の抑制になっている」とあるある種の価値を根拠とした擁護を展開しててこいつらも分かってない。
多くの人間がエロを単なる非生産的な娯楽として享受してるし、そこに価値論を持ってきて善悪を決めること自体がばかげている。
奇人変人の趣味は河原の何も珍しくない石を集めてきたり犬の野糞を日が暮れるまで突っついたりいろいろありえそうで、こういうのだってひたすら自己完結な無価値な趣味でありえるだろうが、これらも含めて等しく尊重される社会であるべきだ。
当局さんは個人がひっそり楽しんでる娯楽にまで干渉しないでくれますかね?
詳細
・私(陰キャ)
・友だち2人はどっちも2、3個年上(陽キャ、友だち多い)
・私は数年前まで年齢近い方の1人とたまに2人きりでご飯食べたり遊んだりしてた(相談事も全部こっちに)。
・勤務先で知り合っていつのまにか3人で遊ぶようになってた
・毎年プレゼントを贈り合う(書いてて思い出したけど、2人とも貰っても一度も嬉しそうだったことなかったかも)
・奢るとか奢られるとかは無し
・何処か行くとかなら必ず割り勘
辞めた。つまり会わない。予定を合わせもしない。連絡しない。もちろん会いに行かない。急にむこうから会いに来たら避けようがないが、まぁ、そんなことは起きないだろう。そう思っている。
急だったが、今月どうする?とのグループラインに断りの旨メッセージをいれた。じゃあ今月はやめとくかー、とその場では解散。個人のラインから、どうした?となぜ断ったのか詳しく聞かれたが、疲れてて会いたいと思わない、と入力。送信。
もう会わない。強く強く決意する。もう虚しくなりたくない。
対等ではなかったのを知っていた。気づいてた。思い知ってきた。
2体1にされることはけしてなかったけど、うまいこと離された場所にいつも1人。
3人で会ってもこっちを見ないで進む2人だけが分かる会話。
あげても消費されないプレゼント。(一年前に贈った瓶入りのジュースを家に遊びに行った際2人とも消費しなかったので飲んでくれと振る舞われた。たいして美味しくなかったね。良かった。好きだといっていたので贈った物を、他の人にそのままあげてた。バレてるよ。いや気づいてごめん。)
質問に、あ? とだけ返事をされる。面倒くさそうに返される質問への答え。
不意に睨まれる。
2人きりの食事の誘いを断られる。(冗談めかしても真面目に断られる。)
誘ってないのに断られる。何処どこに行きたいんだよねーと話しかけると、無理だわ〜と断られる(これは流石に笑った。)
2人が遊んでるところに運悪く出くわしてしまう私。
後ろの席に座っているのに、前の席から聞こえてくる陰口。嫌味な発言。
いつのまにか開催されていた飲み会の話をされて、ぽかんとしてたらなんで来なかったのか詰問。誘われてないから、との返答にそれはありえないよーとのこと。そうなんだ。
こういう態度なのに一緒に旅行とか行くんだぜ?狂ってる。行く前に2人が連絡取り合って決めてた色んなことが当日旅行先で発覚して内心驚く。驚いてちょっと納得できなくてそんな自分がちっちゃくて情けなくて、いつもちょっとだけ死にたくなってた。(サプライズ、大好き。)
ごめんなさい。うまくできなくて。無駄にプライド高くてすみません。邪魔ですみません。こんなの友だちじゃない。そう思ってごめんなさい。許せなくてすみません。嫌いだったり好きだったり自分に都合よく繰り返してすみません。
解決したくて結構頑張って色々やったけどダメでした。贈り物は高価なものあげたりしてた時もあった。そうじゃないよね、ごめん。
話し方かえて。話は簡潔に。結論から。しつこくしない。気にしない。変われなくてごめん。イラつかせてごめん。ごめんなさい。いつも漠然と怖くて、傷つけるだろうから本音言えない。悪者にもなれない。一番は嫌われたくなかった。色々遅いな。すみません。
まぁそうだよね。元々がダメな奴だから。いつもこれで自己完結。
聞いてみようかと思ったこともあったけど、聞いたらそれこそ終わりだろうって思っていたからいまだに聞けてない。なんで? て聞きたいけど、多分声出したら泣く。怖い。だからこうなってる。
なんか、なんだろ。居てごめん。すみませんて何度も思ってきた。この2人と居て。
生きててごめん。死ねなくてごめん。頑張ってるんだけどね、プライド高くて自分大好きだから死ねなくてごめんなさい。
でも不思議だ。嫌われてないと思うんだから。嫌われてないよ。好かれてもないけどね。大切でもない。居てもいいけど、居なければなお良し。それが私。
嫌われてない。今年も人伝に届いた2人からの誕生日プレゼント。それぞれ渡された2つの包み。虚しい2つ。嬉しくない。私は、2人から貰うもの、いつも嬉しかったのにな。
一ミリも伝わってない。こんなにズレてるのに。
前の増田(anond:20210510205605)と読み比べていて、どうも女性は男性のように恋愛を主体化しないんだよね。
ところが女性にとって主観的な女性は自分だけで、感情移入すべき主体性が相手にあるんだよ。
だから主体である「貴男(あなた)」がそいつと向き合ってる彼女といたしてるのは我慢ならないと。
要するに古い言い方でひと穴主義というか。
補足できてないところとして、数は少ないだろうが腐女子かつ一妻多夫制的な性癖を持つ女の場合、男は使い捨てにならないのか? という疑問や、男同士が恋愛をしていることに嫉妬がわかない理由が不明など。
一妻多夫は置いておくとしても、これらと前増田と照らすと異性性愛から倒錯させて逃げてるようにしか見えないわけで。
いわば、「男性同士なら見守ってあげたらいいんじゃない」、という覗き込みたい助平心が、「そもそも私は女性だし」、というずるさに立脚しているように思えるわけ。
そしたら前増田がいったような空気だけで決めつけてゆくコミュニティとか、身勝手な同族がなぜ産まれるのかという外堀も推測ができてくるというか。
更に推論で踏み込むと、そもそも自分の中で関係性を変形させて、別のものにするの能力が適応力として備わってんのかなと思う。
これは本来与えるべき相手がいないところに仮想的な第三者を発行してそれに慰めてもらうという行為。
つまり女子特有の心理負荷軽減の代替機構なんじゃないかと思ってる。
・最近Youtube見始めたんだ → 推しYoutuberは?
なんなの?
誰か推さなきゃいけない掟でもあるの?
いやさ、分かるよ。言いたいことは分かる。
好きなものの話になったら、とりあえず出す話題の1つだと思う。
オタクは好きなものを話せるだけで嬉しい生き物だから、有効な一手だろうさ。
でも辛いんよ。その空気。
俺なんかまさにそうだけど、別にアニメゲームが好きだからって推しがいるわけじゃないんだよ。
マリオは確かに好きだよ。でもペーパーマリオは方向性が違うから苦手だし、そもそも全部のマリオシリーズを揃えてもない。
VTuberも好きだよ。でも特定の誰かが好きなわけではなくて、切り抜きで面白そうな話題だったりシチュだったりがあったら見る程度。
辛いなって思ったエピソードとしてちょっと自分語りさせてもらうんだけど、
俺としては普通に謎解きとかやりこみ要素の深さとか、そういったゲーム性が好きでおすすめをしたわけなんだ。
そしたらその友人、まさかの「リンクとゼルダの関係性」にドはまりしちゃったらしい。
(そちらの界隈の方々を貶すつもりは毛頭ないのでことわっておくと、別におかしい話だとは思ってないぞ!
友人のハマりっぷりといったら凄くて、あらかたゲームを楽しんだあとは創作にも手を出し始めたそうだ。
それで、俺もゲーム自体は好きだったからちょっとのぞかせてもらったんだ。
そしたらそのコミュニティの方から開口一番、「好きなキャラorカプは!?」って聞かれて、
タイトルの疑問、というか不満を感じたわけだ。
結局そのコミュニティで「謎解きの楽しさが~」とか「自由度の高さのなかにも絶妙な制約が~」とか話しても、
「お、おう…」みたいな空気になったのさ。
推しの話をされた俺と同じ反応よね。そもそも摂取してる部位が違う。
多様化が進んでる今、どんなコンテンツにも無限の楽しみ方があると思う。
でもとりわけオタク向けといわれてるコンテンツに関して、「推し」っていう概念が強すぎやしないか?
俺もう誰とも趣味の話できないよ。
伸びすぎわろうた(真顔)。
「オタク」じゃなくて「オタク界隈」が正解です。それでも主語デカ問題かもだけど。
わかる
よかった、息苦しく感じてるの俺だけじゃなかったんだ! って少し楽になったよ。
ほんとありがとう。
箱推しって言っとけ
あー、うん。今はそうしてる。
とはいえ別に全員をまんべんなく推してるわけでもないから、違和感すごいけどね...。
こうして俺も何かしらを推している(と見せかける)ことで、「オタクなら推しいるやろwww」って空気に拍車を掛けてるんだなと思うと、ちょっと憂鬱にはなる。
今は現実世界で俺の話に全力で乗っかってくれる優しい彼くん(満点大笑)がいるので、おとなしくしておきます。
一見厳しいこのコメントだけど、なるほどなと思った部分があったよ。
コミュニティに入る理由って大抵は「共感を得たい」「語り合いたい」だと思うんだけど、ネットでは前提として発信力が必要なんだな。
じゃないと、そもそもコミュニケーションがとれないもの。確かにそんなやつコミュニティに入れても...ってなる。
で、その大前提となる発信力を測るのに最適な物差しが「推しへの熱量」なのかなって感じた。
新たな気づきを得られた。ありがたや。
入るべきコミュニティを間違えてる
見てる世界狭くない?
そうかな...そうかも...。
こんなに反響あると思わなくて、完全に体感ベースで話を展開したのはほんと申し訳ないなって思ってる...すまない。
俺と似た考えの人もいるみたいだし、その集まりをうまく見つけられたらいいな。
ふふってなった。
ミスコンやめろ
なでしこ〇〇やめろ
お前のための化粧じゃない
私が髪切ったの気付かないの?
化粧変えてみたんだけど?
〇〇社に営業行くの?化粧が違うもんねw
そもそも、「美」の基準は客観的に共有されてないと、勝負服も気合い入れた化粧もないよな
セクシーとかもそう
裏コンテストと違って参加した方だってまんざらでもねぇんだろ?
美醜の話をするのもハラスメントになった
それはいい
だったらよ
革細工趣味の男と結婚して、あれこれ評価求められても困るだろ?
「気付かないからもてないのよww」じゃねぇよ
なんで気付かなくちゃいけないんだよ
気付いちゃダメなんだろ?
うだうだうだうだudaudaudauada
くそうるせぇ