はてなキーワード: 自己中心的とは
ごめん、意味ある?って聞いててなんだけど、どっちも意味はあると思ってるんだよ。けど、その意味って、どっちも自分たちのためじゃないかな、と思って。
動物愛護って、結局「可愛い動物に危害を加えるな」で、人間に害がある熊や鹿は殺してもやむなしだよね。食うと旨いんだけど。ジビエとか好きだよ俺は。
環境保護なんてのは「このまま人にとって住みにくい地球にしないために」だし、下手したら環境破壊されて人が生きていけなくなった結果、他の動物が生きやすい世の中になるかもしれない。
なもんで、よく「人間のエゴを許すな」って、それ自体がエゴなんだよね。なんだろ。
だからって環境保護と動物愛護、どっちもやらなくて良い、とは思わないんだよね。やっぱ必要だよ。可愛い動物に癒やされるのも、人間が生きやすい環境を作っていくことも必要。
だけど、それは環境のため、動物のためではなくて人間のためだし、どこまで行っても人間の考えることは自己中心的だってことを自覚した上で開き直っても良いのかなって。
ちょっと前にACのCMで、盲導犬が関西弁で「わてら、飼い主と仲ええし好きでやってるんやから全然可哀想やおまへんで、そんな目ぇで見んといてんか!」みたいな感じで喋るのがあって、まぁ流石に賛否あったCMだったみたいだけど、可哀想かどうかは置いといて、人に有益なんだからもうそれで良いじゃん、みたいなことなのかな。いや、それは違うのかな。
石油ファンヒーターガンガン炊いてて、ふと環境のことに想いを馳せながら書いたら変な結論になってしまったじゃないか。今日めっちゃ寒いよね。人間の暮らしやすい環境を作ろうぜ。
自称毒親育ちで親と縁切る!!!!と喚いてる(現在進行系)の友人が今日振り袖をバッチリ決めて成人式に行く。私は行きませんコロナ怖いんで。
前撮りもしっかり済ませててまじで笑う。振り袖って二十歳まで育ててくれてありがとう!二十歳まですくすく育ってくれてありがとう!みたいな相互の感情から成り立つものだと思ってるのでもやもやします。
だってあれ安くないじゃん。
何事においても自己中心的、察してほしいとすぐ喚き自分は悲劇のヒロインだと疑わないやべー女が彼女。もちろん性格もヘドロ。
もちろん毒親育ちを自称し自己肯定感が低いと言い続けております。そもそも自己肯定感低いって自称してる時点で自己肯定感あると思うんだけどなあ。だって肯定する要素はあるけどそれに自信が持てませんって言ってるようなもんじゃね?自分にいいところないから…っていうならまだしも。
まあ偏見だけど自称毒親育ちは最終的に男に股開いて依存して人生変わりました!ってほざくような人種だからな。
まあその子と縁切ったんだけど。振り袖の件で愛想尽きたわさすがに。
と言って細々と説明が必要な人はこのエントリを読んでも得るものはないから説明は省く
メディアにではじめた当時はクルーグマンやスティグリッツのようなリフレ派経済学に親和的な人間と見ていた
しかし、近年のコロナを巡る言動で持って、自分が思っていた以上に自己の利益のみを考えて立ち回る自己中心的で小狡いタイプの人間であると認識を改めた
今思えばリフレ派に親和的であったのも、メディアに露出して顔を売るために都合が良かったというだけであろう
今は緊急事態宣言を巡ってなんやかんや言っているが、基本的なスタンスは緊急事態宣言反対らしい
まあそれ自体はいいとして、ツイッターにて緊急事態宣言についてなぜ反対かを書きました!怒りの記事です!とやっておいて、
あー、こいつはすっかり自己保身最優先、小銭集め最優先モードに入ってるんだな、と思った
その行動の合理性についてはある程度理解するが、人間的には自分に都合良ければ立場も主張もコロコロ変える信用できないやっちゃなーと思ったよ、というお話
僕はあの頃、増田のいう「動物」だった。増田のいうところの”流血沙汰”をおこす”いじめられてた男子”に近い存在だ。
集団に馴染めなかったせいで誰からも嘲笑され嬲られ続ける下等生物だった。
人を人とも思わない冷たい眼差し。人の悲鳴を聞こうが眉を顰めるばかりのしみたれた振る舞い。
頭の中には矜持の欠片すらなく、世俗的な自己顕示欲と、「自分はまともなのだ」「こいつらよりまし」と自認することで安心感を得ることしか頭にない。
彼らは体格もよく運動能力で劣っているわけでもなく、それなりにいい成績を維持するだけの知能はあり、友だちや頼れる大人との繋がりを持っていた。
僕から見れば、彼らが獰猛なヤンキー連中に圧倒的に劣っているとは思えなかった。
その気になって互いに連携をはかれば非ヤンキー集団で自警していくことすらできたのではないかと思う。
でも残念ながら現実では僕やレイプされてこぶつきになってしまうような子は愚鈍な存在として蔑まれただけだ。あのときお前も嘲って笑いものにしてたろうが。
僕の周りには粗暴で高圧的な「ヤンキー」と、相手の人となりで態度を使い分けて人を小馬鹿にして自尊心を満たそうとするしょぼくれた「優等生」しか存在していなかった。
個人個人の心象なんて知ったこっちゃないが、彼らはヤンキー集団と表向きはフラットで友好的な関係を築いていた。
時に彼らはヤンキーたちに混ざって酷い言葉や仕打ちをこちらへ差し向けた。
「公立学校の優等生」なんて小さい街の中流家庭育ちで赤点を取らずに歩んでこれただけで、世間一般からみて別段とりだてて秀でたものもなければ、その性根も身内が良ければ社会(集団)がどうなってっていいという卑しいものだ。
彼らの卒業後は持ち前の小手先の器用さで近隣府県の駅弁大や日東駒専関関同立クラスの大学に進学し阿保みたいなリクスーでリクルートの指南どおり就活とやらをこなして明日無くなっても世間が困るわけでもない会社に身を置いていまに至るって具合だろうよ。
27ぐらいで大学の同級生と結婚して埼玉県だか高槻市だかにお家を買って、そういう人生を辿ってない奴らはみんな馬鹿ですかそうですか。
それで今になって当時を振り返って、あたかも自分たちが唯一正気でいた人間で一番の被害者であるかのように語りだす。
貴方たちはヤンキーが怖かったんじゃないでしょ?ヤンキーや俺らと目線の高さを合わせたくなかっただけだ。
周囲を人の成り損ないと見なして見下してそれが貴方の面子の全てだったから、ヤンキーに向かい合ったり対話するなんて発想がなかっただけだ。
今の時代だと傍観者や観衆もいじめの加害者の一部として見なされるってわかってますか?
当然ですよね、職場で暴力事件があってそれを見て見ぬふりしてたら隠蔽ですよね?じゃあ学校でも同じ理屈が適用されて然るべきでしょ。
立場が下の人間が庇護者ということを盾にして上の人間に行う場合でもパワハラって認められるんですよ。
増田はある教師の弱みにつけこんでハラスメントを行った事件に加担したんだ。それらのこと自体から言い逃れできていいはずはない。
僕だって追い詰められて耐えらなくなって人に迷惑をかけたり、同族嫌悪で自分より酷い扱いを受けている人間を深く傷つけたことがある。
それは自分の資質に起因したものではなくてああいった環境でなければこんなことは起こらなかったし、決して僕だけのせいで起こったことでもないと内心では思ってる。
しかし人を裏切ったり傷つけた事実は確かにある以上贖罪として一生それはわすれてならないしその恥を背負いつづけなければならない。
そこから逃げることはどんだけ御託を並べようが卑怯な振る舞いとして批難されるべきだ。罪から逃げることが容認されれば弱者の居場所なんてなくなってしまう。
増田の様なこんな言い分が同情されまかり通ってしまうことが僕には悔しい。
大して苦役を味わったこともなければ他者への想像力も慈愛もない連中の自己中心的な物言いなんて優先され、弱者が封殺されるようなそんな光景どこでだって僕は見たくないんだ。
僕からすれば群れを成して強者にすり寄り弱者を足蹴にし、命じられた行動を遂行するか与えられた娯楽を共通言語として仲間の選別をすることしか考えていない増田たちのほうが貼るかに動物のようだったよ。
人間の感情とよべるほどに複雑な心の機敏があるのならば、あんなサル山のような統制の取り方なんてできたもんじゃない。
人間なんていつも矛盾を孕んでいるし単純に割り切って行動するなんて無理があるんだ。他者を愛でる気持ちがあるならお前らみたいに損得勘定で人を測ったりしないんだ。
お前ら淡泊すぎて気持ち悪いんだよ。本当に何も考えてないんじゃないかって不安になるわ。
お前らに比べたらヤンキーのほうがまだ人間らしかった。お前らが動物ならヤンキーは原始人かでっかい幼児って感じ。
コロナがもたらす教訓2つ
まず感染した患者の治癒を祈り、被害者への追悼をささげたいと思う。
ところで、コロナウイルスはなぜ発生したのか?
と考えるとき、やれ陰謀だ、やれ責任はどこにある、という風に、
特定の国を政治的に糾弾するのは、もはや無意味だと考えるようになった。
だがそれはもはやどうでもいいことだ。
原因はともかく、その原因に至らせた何か大きな意志があったはずである。
そこに注目したいと思っている。
「コロナ」という名前を聞いて、「そういえば太陽の外側の熱いところがコロナって名前だったな」と思い出した。
コロナウイルスの外側のトゲトゲの部分に該当する。
YouTubeで「太陽が突然消えたらどうなるのか」という動画を見た。
https://www.youtube.com/watch?v=KM1NxPNp6sU
これによると、数日で地球の気温は一気に低下し、
地熱のある暖かい地域を求めて人間が殺到し、人間社会は崩壊するようだ。
ふだん、我々は「日光はあって当たり前」「水はあって当たり前」
「空気はあって当たり前」「大地はあって当たり前」と思っている。
だが、そのバランスは、太陽と地球の距離をはじめとした奇跡的な成り立ちによって
ぎりぎり保たれているのである。
我々はそのおこぼれに預かっているにすぎない。
今回のコロナウイルスの件は、いかに人間が弱い存在かを知らしめるために、つかわされたものではないだろうか。
ちなみに、太陽表面は6000度だが、コロナが100万度まで上昇する仕組みはわかっていない。
いうまでもなく、我々はその強力な熱の恩恵で生活ができている。
2.コロナの前では、国・宗教・思想の対立はもはや無意味である。
もしあなたの自宅近辺が崩壊して、みんなで避難しようというとき、
「隣の家のとは長年ケンカしてるから」などといっていたら、そのまま二人とも逃げ遅れてしまうかもしれない。
そういえば、「地獄では、とてつもなく長い箸を与えられる」という話をご存じだろうか。
1メートルもあるような箸では、自分で料理を口に運ぶことができない。
鍋を囲んだもの同士で、お互いに箸で食物を運んであげる必要があるというわけだ。
地獄では、自分がどうやって食べるかしか考えることができないようになっているため、
どうしても食べ物にありつくことができない。自己中心的な人生を送った人間が、その席に集まるのだという。
1.自然の前には人間の力はちっぽけなものである。科学の力で地球をコントロールできると思う、傲慢さに対する罰ではないか。
おかしくない?
二次創作同人ゴロって儲かりゃよくてモラル皆無のカスどもの癖にそういうのはチキるのかよ。
それとも気づいてないのかな。
アクタージュのキャラは痴漢されることに特化された性能をしてるって。
どれも突然後ろから胸をもみしたがれたとき、それぞれに応じた完璧な反応が帰ってきそうな造形をしている。
誰もが後ろから痴漢に胸を揉まれることに対する性能が高いのだ。
凄い……
「作者の人間性と作品は切り離して考えろ」なんて軽々しく人は言うが、作者の人格を知ることで紐解かれる作品世界は確かにある。
二次創作なんてグレーゾーンを平然と渡りつづけるモラルハザードの中にいながら、今更そういったことに目を逸らして、気づいた事実に蓋をして捜索の手を止める。
1つだけ知ってほしいことがある。
友人、恋人に限らず、長い間にリターンを返してこない相手に対して思い入れを深くするのはダメだ。
読んで思ったのは、いっしょけんめい見込んだ女に贈り物攻撃をすれば女性が自分を好きになってくれるはず、振り向いてくれるはずと思って貢ぎ続ける非モテの告白みたいだなあということ。
絆を築く過程には「相手のためを思って時間やお金含むなにがしかの自分のリソースを割く」は必ず発生するけれども、
逆に「リソースを割いた分のリターンがあるとは限らない」のが人間関係ですよね。
リターンを返してこない人間と言うのは、自己中心的か、考えなしか、当人の中で自分が軽いかどれかです。
二人の関係の中でたとえば一方だけがお金を出し続けているように思えても、お金を出しているほうは確かにお金以外のものを受け取っているのでバランスが取れている、という関係もごまんとあります。
親子が該当するでしょう。友人関係でもこういうことはあります。
でも、友人や恋人関係なのに「いつまでも貢がれたままなのに気にしていない様子の相手」は、あなたのことを下に見ているのです。
・これからも相手からの笑顔(や、おそらくは楽しく会話できること)を報酬として金銭を貢ぎ続ける
・返ってくるリターンに合わせてギブを減らす
どちらかです。
「選択的」夫婦別姓なのに「野比」しずかに疑問 - Togetter
他人にとって、隣人がご飯派かパン派かくらいどうでもいい話のはずだ
だが、新しい「選択肢」が増えたとき、その選択肢を選ぶ人間は賢く先進的な人間で、逆に旧来からある選択肢を選ぶ人間は愚かで旧い人間だと考える人は驚くほど多い
このTogetterについたブコメはTwitterの民度について言及しているものが多いが、残念ながら主語が小さい
はてなでもつい最近「妻側の姓にしたというだけで好感度すごく上がる」という差別的なブコメがトップコメントになってるの覚えてるからな
姓だけじゃない
「自由に住む場所を選択できる社会で地方に住み続けている人間」
これらに対して、果たしてブクマカ達は「ただの個人の選択じゃん」と言うだろうか
もしかすると、「いやいや、上京すること、進学すること、電子申請することにはメリットがあるから選択的夫婦別姓とは別だろう」という反論があるかもしれない
そう、そのとおり
それらには明確にメリットがある
だからこそ「自殺にメリットがある」ということが問題になるのだ
自分で生活できないような障害者や高齢者が自殺を選ぶことは本人の苦痛を終わらせるだけでなく、社会保障費や看護介護の人的リソースの大幅な削減が可能だ
今の日本の抱える問題は後期高齢者が全員自殺を選べばほとんど解決するだろう
他人にとって、もしかすると当人にとっても定量的なメリットはほとんどない選択肢でもこの有様だ
自殺という明確にメリットがある「賢く先進的で貢献度の高い選択肢」が増えた社会がどうなるかは考えただけで恐ろしい
選択的夫婦別姓が議論される世界で夫姓を選ぶことが批判される世の中と
自殺を拒む人間は自己中心的で傲慢な老害、穀潰しだと批判される世界は紙一重だ
「社会的に価値がないにも関わらず自殺を選ばない傲慢で古い価値観の人間」
と断ぜられるだろう
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だが、新しい「選択肢」が増えたとき、その選択肢を選ぶ人間は賢く先進的な人間で、逆に旧来からある選択肢を選ぶ人間は愚かで旧い人間だと考える人は驚くほど多い
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そう、そのとおり
それらには明確にメリットがある
だからこそ「安楽死にメリットがある」ということが問題になるのだ
自分で生活できないような障害者や高齢者が安楽死を選ぶことは本人の苦痛を終わらせるだけでなく、社会保障費や看護介護の人的リソースの大幅な削減が可能だ
今の日本の抱える問題は後期高齢者が全員安楽死を選べばほとんど解決するだろう
他人にとって、もしかすると当人にとっても定量的なメリットはほとんどない選択肢でもこの有様だ
安楽死という明確にメリットがある「賢く先進的で貢献度の高い選択肢」が増えた社会がどうなるかは考えただけで恐ろしい
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安楽死を拒む人間は自己中心的で傲慢な老害、穀潰しだと批判される世界は紙一重だ
「社会的に価値がないにも関わらず安楽死を選ばない傲慢で古い価値観の人間」
と断ぜられるだろう