「選択的」夫婦別姓なのに「野比」しずかに疑問 - Togetter
他人にとって、隣人がご飯派かパン派かくらいどうでもいい話のはずだ
だが、新しい「選択肢」が増えたとき、その選択肢を選ぶ人間は賢く先進的な人間で、逆に旧来からある選択肢を選ぶ人間は愚かで旧い人間だと考える人は驚くほど多い
このTogetterについたブコメはTwitterの民度について言及しているものが多いが、残念ながら主語が小さい
はてなでもつい最近「妻側の姓にしたというだけで好感度すごく上がる」という差別的なブコメがトップコメントになってるの覚えてるからな
姓だけじゃない
「自由に住む場所を選択できる社会で地方に住み続けている人間」
これらに対して、果たしてブクマカ達は「ただの個人の選択じゃん」と言うだろうか
もしかすると、「いやいや、上京すること、進学すること、電子申請することにはメリットがあるから選択的夫婦別姓とは別だろう」という反論があるかもしれない
そう、そのとおり
それらには明確にメリットがある
だからこそ「自殺にメリットがある」ということが問題になるのだ
自分で生活できないような障害者や高齢者が自殺を選ぶことは本人の苦痛を終わらせるだけでなく、社会保障費や看護介護の人的リソースの大幅な削減が可能だ
今の日本の抱える問題は後期高齢者が全員自殺を選べばほとんど解決するだろう
他人にとって、もしかすると当人にとっても定量的なメリットはほとんどない選択肢でもこの有様だ
自殺という明確にメリットがある「賢く先進的で貢献度の高い選択肢」が増えた社会がどうなるかは考えただけで恐ろしい
選択的夫婦別姓が議論される世界で夫姓を選ぶことが批判される世の中と
自殺を拒む人間は自己中心的で傲慢な老害、穀潰しだと批判される世界は紙一重だ
「社会的に価値がないにも関わらず自殺を選ばない傲慢で古い価値観の人間」
と断ぜられるだろう
正確で草 安楽死導入により現状の自殺がすべて安楽死に置き換え可能だと思ってる意味不明な輩が多すぎて目眩してたから、突然正しい表現に直ってワロタわ