はてなキーワード: 画素とは
飼い主にはペットの仕草などで意図はわかる(わからない若年の飼い主もいるが)。
・画素が荒いが不愉快、諸事情で自分にはどうにもできないと理解したらなるべく遠ざかる
などのリアクションが得られれば、
そのような動画を見せることはある程度の体力と精神力を消耗させ視聴犬の虐待に該当したと飼い主は理解できる。
また、逆になんらかの誤解(「テレビにぼんやりと写っているが、どうやらいじめられているのはイケナイ泥棒ネコかミニヒグマに違いない」と解釈したなど)により冷静~喜ぶなどの場合も考えられる。
なお、犬は白黒のぼやけた視覚しかもっていないので嗅覚が発達したといわれており、
現在の動画は嗅覚をつたえられないため、テレビ画面が「ぼんやりと写っているように見える」のが犬にとっての通常状態とかんがえられる。
話をもとにもどして、それらの解釈が全く得られないほどペット関係が薄い~野良犬の場合は、
今年も一年ありがとでした。
年の瀬京子も迫り、各所で続々と2016ランキングが発表されていますね。自分も今年の統括的なモノをしたためたく、2016年一番励んだことってなんだろうと考えてノータイムで浮かんできたのが、ガールズ&パンツァーの同人誌を買い集めることでした。
劇場版公開から怒涛のようにリリースされた2016年発行のガルパン同人ベスト10をお送りします。
筆者は一部好きなキャラに偏りがあること・百合オタクであることを踏まえた上で読んでいただけると幸いです。
(各本にリンクを貼ろうとしたのですが9個までしか貼れないと書いてから気づいたため一部を除き割愛しました。作品の詳細についてはおググり願います。また、18禁はここには書けないので除外しています)
これを貼りたくてランキングを書き始めたと言っても過言ではない一品、逸見なだけに逸品です。ガルパン公式よりもびくドンに怒られるのではというほどに作中ふんだんにっンー店内及びハンバーグの実写(しかもなぜか画素が超粗い)が使用されています。「なぜエリカとナカジマ!?」と一瞬考えてしまうキラーカップリングも百合的みどころです(書いてる途中で気づいたけど普通に決勝で乗った乗られた仲でした)。
もともとお酒を飲むシーンが気軽に描ける(そして大学生百合では出せないしっぽり感がある)社会人百合が割と好きというのもあり、しほ千代のこうしたババア…年増百合ってほんと最高ですね……。『西住しほが高校生だった頃』という二次創作伝家の宝刀である過去百合も連作として進行中で目が離せません。
最強のノンカチュ本です。公式でも結構大概なのに二次創作では過剰にクレイジーサイコレズ(すっかり死語)として描かれがちなノンナ・そしてその煽りを受けてレズギャグ要員にされがちなカチューシャですが、そんなふたりでここまでエモーショナルに振り切って描けるのかと甚く感激しました。あとこの本に限った話ではないのですが、A5の百合同人誌って佳い打率8割くらいなので買うだけでドキドキします。
意外と少ないももゆず本、大変貴重な一冊です。というか、筆者の観測範囲だと序盤の強引かつ高圧的なやり口のせいで、一部ファンからは生徒会の評判が悪いようです。そういった悪評を『生徒会を快く思っていない一般生徒』に担わせるところから始まり、当事者である西住みほのひとことで締めることで、生徒会および河嶋桃の懊悩と救いが短いながらに描かれており、欲しいやつぜんぶきちゃったな~という一冊でした。リンク先調べてて気づいたのですがこの御方、響ユでなかよし川も描いてたのですね、アレもとても佳かったです……!
にわかに活気づいている(と思いたい)さおまこ界のスラッガーです。武部沙織という乙女なキャラクターを百合で動かす際に、こういうレディコミ風の絵柄と一人称モノローグを使うとバツグンに佳くなります。あとこれもこの本に限った話ではないのですが、ラブライブ百合やってる人がガルパン百合に来ると確実にホムーランなんだよね……ラブライブ同人の地力がもともとすごいという話でもあるけど……。
角谷杏メインの同人誌は良作が非常に多く、どれをベスト10として選出するか熟考しました。この本、飲みの席に持っていってその場で読んでもらったのですが、人がまんがを読みながら涙ぐんでいるところを初めてリアルタイムで見てしまいました(心当たりのある方申し訳ない…)。なお、冬コミまでの期間限定でフリーリリース(https://chu-gyo-g.booth.pm/items/389763)されているので未読の方はリンク先を今すぐご参照あれ! このランキングを年末までに急いで書いてるのもそのためなんだけど、冬コミまでっていつだ、開催までなのか、冬コミ終了までなのか、どっちなんだ……?
過去百合といえば大人キャラだけの特権ではなかったですね、幼馴染であるさおまこにも為せました。長年ガルパン二次創作を描いてきた岡先生の筆致に泣く『ゆめのかよいじ』ですが、実は激突!女子高生お色気戦車軍団6巻にも収録されているため、厳密に言えば2015年末が初出と言えなくも……でもこの本は今年の夏コミが初出だからOK!
河嶋桃メインの同人誌というだけでなく、そこに西住みほをぶつける超爆発のガルパンまんがです。これはもうサンプルを読んだ時点で涙を流してしまいました。なんというか、桃ちゃんを描く人って桃ちゃんが考えそうなことを考えるのが本人かよってレベルで上手いし描きっぷりも尋常じゃないのでこれからもどんどこ桃ちゃんメインの同人誌出てほしい……ほんまみんなたのむで……。
この方は他にも『Ladyspiker』『バトルクライ』などのエモーショナルガルパンまんがを描いていますが、その中でも特にドキドキしながら読んでいた『ミュージック・アワー』がついに紙媒体でリリース! その当時は鼻息がとても荒くなっていました。ウサギさんチームはもちろん大好きなのですが澤梓の佳さがここまでやるかってくらいに全開で引き出されています。ちなみに筆者がガルパンまんがを描こうと思い立ったのはこのガルパンまんががきっかけでした。
叙情的な表紙の通り最初の一編は継続メイン回なのですが、最後に西住みほと河嶋桃の最強タッグ『冬来たりなば』が収録されています。こたつシーンやヨッパライシーンがあるため、冬場に読み返すとまたいちだんと空気が澄んできます。夏コミのときにこれをスッと買えたからよかったけれど、ぱんっあ8ではオンリーイベントで見たことのない長蛇の列が数時間続いていた光景が目に焼き付いており、これを書いている今も冬コミのさおまこ新刊が買えるのか不安で眠れません。
以上、駆け足ですがガールズ&パンツァー同人誌オブジイヤー2016をお送りしました! 見事に百合同人ばっかりになってしまいましたね……冬コミもいっぱい買えるといいけど! なんで2日目なの!!
ハイキュー:80点 現実的なスポーツ漫画でありながら必殺技要素もある美味しいバランス感覚が良い。←ほんとこれ。あと先輩眼鏡マネとかも大好き。
ワンピ:75点 なんかビッグマム一党が人格的に雑魚っぽくて四皇に期待してたのはコレジャナイ…。あとルフィの突然戦わなくなるアレ嫌い。
鬼滅:70点 独特の才能に疑いはなかったがこれだけ少年漫画に寄せてきたのはすごい。伸びるよこれは。
火ノ丸:60点 安定。地味。だがいい漫画だ。低い点は付けられないな。
ブラクロ:50点 小説版のキャラを逆輸入してメインを張らせるという冒険的な、小説版読んでない人置いてきぼりな実験を展開中。
斉木楠雄:50点 安定感凄いけどハズレキャラはあきらかに居るよね。斉木兄もその1人。最近でたのではブツブツ喋る奴とか。
磯部:50点 安定。
オレゴラッソ:45点 テコンサッカーという酷い設定の企画を押し付けられてる。作者は力があるので次回作を応援する。
ネバラン:40点 ダラダラダラダラ。もう脱出しないまま終わって伝説になって欲しい。原作が足引っ張るジャンプの定番パティーン。
ゆらぎ:40点 とらぶる的なアレ。ラッキーエロは個人的には刺激ゼロだけど安定できたエロコメはいい駒なんだろうね。
ヒロアカ:40点 全然評価しない漫画。自分が見てきた漫画やアメコミのパッチワークだけで創作してるタイプ。
せすぴん:30点 作画専業やってた割りに絵の表現力と画素が低い気がする。あとダンスの取材が浅いような。
銀魂:30点 なんか最終章っぽい雰囲気だしながらもう数年経ってるよね あんま読んでない
左門:25点 地力が足りない部分を色んな工夫で補って水面に顔を出すところ嫌いじゃないけどそろそろ限界来てるよね
ソーマ:20点 前から読んでないが最近評判悪いな 何か起きたのか
アマルガム:15点 絵が汚い
ー番外ー
撮った写真はlightroomで現像して何も考えずにgoogleフォトへとアルバム単位でアップする。
そうすれば、どこにいても自分の撮った写真を確認することができる。
iPad Proの液晶が占めるサイズは197mm×263mmで、写真サイズでいうところの六つ切り(203mm×254mm)とほぼ同等だ。
Lサイズ、KGサイズ、2Lサイズ、六つ切りと並べてみれば、説得力の違いは言うまでもない。
アップロードの際、容量無制限のサービスを利用した場合は1ファイルあたり1600万画素(EOS5D Mark3を使っている自分の場合4898×3265)に圧縮されるが、iPad Proの解像度は2732×2048なのでドットバイドット以上の解像度が維持されていことになる。
そこに来て液晶の色彩は折り紙つきのappleだ。信用して問題ない。
今までのどんな携帯デバイスでも見ることができなかった、まつげ一本一本からさらに一歩踏み込んだ感情を読み取ることができる。
細かく書き分けられた人々の表情から読み取れる情報は、まるで自分がそこにいるような錯覚さえもたらしてくれる。
それらが写真を拡大することなく、開いた状態で一度に目に飛び込んでくるのだ。
この情報量の多さは今までに経験したことのない感動を生み出してくれるはずだ。
ちなみに重量は723g。
Air2の437gに比べれば確かに重いが、iPad4の652gを持ち歩いていた自分にしてみればその差は些細だ。
200g減らして携帯性を取るか、たった70g増えただけで飛躍的に向上する感動を取るか、選択は当然自由だ。
しかし断言できることは、一度このサイズの写真を手元で楽しむことを覚えてしまえば、もう元には戻れないということだ。
ペンもキーボードもまだまだ届く見込みはないが、もうすでに自分の生活にイノベーションが起き始めていることを実感している。
購入を迷っているならiPad Proで写真を見てはいけない。
ライフスタイルに変化を必要としないあなたには高い買い物になってしまうに違いない。
わたしもこれ以上フォトグラファーとしてのライバルを増やしたくはないのだ。
どうかappleのonline storeで在庫の確認なんてしないでほしい。
なんて、一度こういうの書いてみたかったんだよな。かなりそれっぽいと思うけどどう?
・ちょっと詩的な響きを入れる
普段は物撮りばかりなのですが、最近人物撮影に興味があります。
聞けばコスプレ界隈で引く手あまたらしいのですがいかがでしょうか。
女性のメイク、肌の質感などが研究対象のため、応募は女性に限らせて頂きます。
機材
EF24-105F4L、他35~85mm(F1.8~F2)の単焦点あります。
レフ板、ストロボ、アンブレラ、バンクライトと一式揃っています。
・都内近郊出向きます。交通費不要。場合によっては負担します。
・撮影した作品に対してモデルの許可無く販売、二次利用などは行いません。
・モデルの方がブログ、SNSなど公開するのは自由ですが、販売・転売は禁止します。
(プレビューのためJPEG保存もしていますが完成度低い画像が出まわるのが否なのでお渡ししません。)
・アフター希望しません。希望があれば打ち合わせを兼ねて食事をごちそうするのはかまいません。
・ただし、撮影者の経歴にも係るため露出の高い衣装での撮影、もしくは過去に撮影経験のある方はお断りする場合があります。
・将来的に商用撮影を予定しているため、仕上がった写真のメカニカルな部分に対する評価ができる方を希望します。
・容姿は問いませんが、1作品を作り上げるという点において自身が主題であることに対する世界観やストーリー性について議論できる方を希望します。
・用意する衣装において、市販のままではなく自身が表現する世界観と矛盾ない工夫がされている方を希望します。自身のメイクやかつらなどの装飾品においても同様です。
・既存の作品に対して、オマージュや忠実度など明確に表現できている方を希望します。
・オリジナル衣装で撮影を希望される場合、その独自性、選択理由など作品作りに影響ある情報のご用意をお願いします。
・撮影場所に関しての許可取りが行われていることを前提とした上で、作品のストーリー性、世界観に矛盾がない場所での撮影をお願いします。
・これら条件が揃っていなくても、それを補って余りあるモデルの素質をお持ちの場合でしたら特に問いません。
・モデルが希望するシチュエーションであっても、こちらが納得の行く完成度に達しない作品はお渡しできない場合があります。
・現地にて他コスプレイヤーと合流した場合であっても、作品のテーマ性などにそぐわない、ともなわない撮影についてはお断りする場合があります。
一年前の私自身はフィルムカメラを所有したことはなくデジカメ一本だったが、大学時代の研究室では毎日のようにフィルムの現像をしたりしていたので、興味深く拝見した。
フィルム写真の様々な要因が絡んだ衰退っぷりが、大筋では光記録メディア(CD・DVD・BD)が現在たどっている軌跡とかぶり、時代の趨勢とはいえ、光記録メディアもいずれ同じように衰退していくのであろうと感じた(コダックや富士フィルムのようなフィルム写真メーカは光記録メディアメーカでもあった)。
記録メディアというと、テープ、磁気ディスク(フロッピーディスク)、光ディスク(CD・DVD・BD)、光磁気ディスク(MD・MO)、HDD、FLASHメモリなどがあげられる。
現在ではHDDとFLASHメモリが圧倒的で、そのほかはニッチな市場を残し衰退しているか衰退しつつある。
光記録メディアは、1980年代に普及を始めたCDを皮切りに、音楽、映像のみならずあらゆるデジタルデータの保存場所としてそれなりの地位を得ていた。
それに加え、CD-RやDVD-Rの登場で、録音・録画の受け皿としてテープメディアを置き換えていった。
そして満を持して登場したBlu-ray Disc(BD)であったが、CDやDVDのように成功しているとは言い難い。
DVD-Rも全世界で年間十億枚単位で売れているものの減少率は20%を超え、BD-Rに至っては普及しているのは日本だけという状態であり、書き込み型の光記録メディアは近い将来ほとんど見かけなくなるであろう。
このように急速にしぼみつつある光記録メディア市場を象徴する出来事としては、業界団体である日本記録メディア工業会2013年3月末に解散したことである。
建前上は「目的が達成された」ための解散であるが、実際は光記録メディアの関連企業が主な会員を占めていたため、光記録メディアの市場縮小で業界団体を維持できなくなったというのが実情であろう。
このような光記録メディアの衰退を招いた原因は多々あるが、私が主因と考えているのは以下の4つ。
・BDとHD-DVDの規格争いとBDの勝利と映像圧縮技術の進歩
それぞれ背景を見ていく。
4つの主因としたが、実際はこれが主因と言ってよく、他はすべて副因にすぎない。
記録メディアはあくまでもデータやコンテンツの箱に過ぎず、はっきり言って何でもよい。
記録メディアの要件としては、データを書き換えるか否か、読み書きの頻度と速度、容量、可搬性、保存性などである。
データを書き換えるか否かでROMとRAMのように別れ、読み書きの頻度と速度、可搬性、容量、長期保存するかによってテープメディアとFLASHメモリ、メモリサーバとSDカードのように使い分けることになる。
光記録メディアは書き換えるか否かを選べ、読み書きの頻度と速度、可搬性のいずれも真ん中に位置し、量産効果によって100円程度に値下がりするなど使い勝手はよかったと思う。
しかし、裏を返せばそれは中途半端でもあり、読み書きの頻度と速度に勝るHDD、可搬性に勝るFLASHメモリの大容量化、低価格化によってあっさり取り替えられうる脆い優位性でしかなかった。
・BDとHD-DVDの規格争いとBDの勝利と映像圧縮技術の進歩
世間を騒がせたソニーと東芝によるBDとHD-DVDの規格争いはBDの勝利に終わった。
BDは確かに優れた技術であるが、規格争いによって年単位で開発が遅れたうえ、優位性を競うあまり未成熟な技術が山ほど投入され、それらを十分に検証することもなく市場に投入された。
たとえば記録層の上に被せる保護層と、保護層を保護するハードコート層をスピンコートで形成する構造は過去の記録メディアと大きく異なっており、販売して数年後に不織布ケースでの保管に適さないことが判明するなど大量生産する工業製品としての成熟度に欠けていた。
さらに、規格競争によって発展した映像圧縮技術の進歩も災いした。
BD、HD-DVDとも当初はDVDやデジタル放送で採用されているMPEG-2という映像圧縮技術を想定していた。
これは30万画素の映像(SD映像)であれば1GBで24分程度、100~200万画素の映像(HD~フルHD映像)であれば1GBで数分程度の映像が保存できる程度の圧縮率であり、普及が予想されたHD映像はDVDでは数十分しか収められないからこそ、DVDよりも容量の大きい次世代光記録メディアが必要だという理路であったはずだ。
しかし、BD、HD-DVD両陣営とも規格競争で優位に立とうとしてMPEG-4.AVC(H.264)という新しい映像圧縮技術を盛り込んだ。
この映像圧縮技術は計算が複雑でより高度なハードウェア、ソフトウェアを必要とするものの、MPEG-2に比べ2倍以上の圧縮率を実現できる。
BD、HD-DVDの両陣営とも、MPEG-4.AVC(H.264)の採用で圧縮率の低い美しい映像を実現できるとアピールしていたが、特に書き込み型のBD-Rでは数十GBの容量は明らかにオーバースペックとなっていた。
さらに、MPEG-4.AVC(H.264)の採用によって、ハードウェア、ソフトウェアレベルでの対応と普及が急速に進み、安価に使用できるようになったうえ、圧縮率の向上は通信環境への負担を減らし、ネットワーク経由でのHDD録画再生、ビデオオンデマンドのような競合を利する結果となった。
個人的な話になるが、私はDVD-Rを年間数百枚は購入しており、実家の親や親戚も韓流ドラマにはまりこれまた数百枚単位(ひょっとすると千枚以上)で購入していたと思う。
今はどうか?
今はBD-Rを使用しているが、実家の親のための子供のビデオを年間数枚程度、そのほかにスポーツ・アニメ・バラエティで10枚程度だと思う(数えたこともない)。
個人的にはもっと使いたいとも思うが、記録メディアに焼いてまで見たいとは思わなくなった。
年齢のせいもあるかと思うが、やはり大きな原因はコンテンツのレベルの低下、そしてコピーガードであろう。
アナログ時代はゲーム機などにも保存しどこでも見れるように工夫していたが、今はおいそれとはできない。
実際には、その機能もあるし使ってもいるが、いろいろ工夫することはなくただ使うだけとなった。
録画した機器とは別の機器で再生できるかどうかもやってみなければわからない、前は出来たのにできなくなるなど使い続けるのに二の足を踏むようなことがたびたび起きた。
こうなると、仮に問題が解消されても、試すことすら面倒くさいのでもはや使う事はない。
正直、今使っている機器が壊れた後、光記録メディア機器を買いなおして使うか?といわれるとおそらく使わないだろうと答えるしかない。
年間数百枚単位で使っていた私ですらこれなのだから、一般の人はさらにその思いは強いのではないだろうか?
ではどうすればよかったか?
いくつもの目論見違いが重なり業界自体が消滅の危機を迎えている。
一番の問題は、現在のコンシューマ向けの消耗品の大部分と同じく光記録メディアは設備産業で、ある程度規模がないと儲からない構造となっていたこと。
そのため、わずかな販売の減少であっという間に赤字に転落してしまう。
CD、DVDの減少は想定されていたよりも急で、BDも規格争いで遅れ普及も低調だった。
赤字を避けるためにはそれなりに利益があった時期に撤退を決断する以外になかったかと思うが、営利企業としてそれは不可能であったろう。
これ以降は後知恵になるので、当事者からすれば何もわかっていないとの誹りを受けるだろう。
敵は身内ではなく外にあり、普及しているというアドバンテージも劇的なスピードで進むHDD、FLASHメモリの進化の前には風前の灯で、規格争いのような内輪もめしてる場合ではなかった。
今思えばソニー・松下よりもHDD、FLASHメモリも製造していた東芝のほうが状況を正しく認識していた。
しかし光記録メディア業界として、「フルハイビジョンの美しい映像」、「著作権業界に配慮して完璧なコピーガードを」なんていう身内の論理を優先し、「見たいときに見たいものをボタン一つで(それなりの画像で)」を実現しようとしていた外の業界に対する危機感がなかったとしか言いようがない。
光記録メディアが生き残る可能性が多少でもあった選択としては、規格争いはせずHD-DVDをMPEG-2のみ対応とし、コピーガードはやむを得なかったろうから、できる限り次世代規格の製品化を早め、2011年のデジタル化までに互換性の向上とネットワークへの親和性を高めることに努めていくしかなかったのではないかと思う。
これはまさに当時の東芝の目指していたものではあったのだが、業界からは東芝だけが儲かると警戒されてしまった。
光記録メディアはあくまでコンテンツネットワークの一部にすぎないし、寿命を先延ばしすることしかできなかっただろうが、それでも墜落を避けソフトランディングできたのではと夢想する。
センサーサイズの違いが無いといいたいのは、夜景の話しているからノイズのことだよね?
撮像素子・画像処理エンジンの進化は著しいから数年の違いが大きい。特に、2009年の裏面照射CMOSの登場は大きい。これ以前と以後のカメラで比べちゃだめ。
Pentax Q7は裏面照射CMOSを搭載しているから、低照度でのノイズが大幅に改善されている。
D50はAPS-Cサイズとはいえ、2005年発売のエントリーモデルのデジタル一眼レフカメラ。圧倒的に性能は不利。
Q7と同じ世代のカメラで比べれば、明らかにセンサーサイズの大きい方がノイズは少なく、ディティールもくっきりしているはず。
私自身はフィルムカメラを所有したことはなくデジカメ一本だったが、大学時代の研究室では毎日のようにフィルムの現像をしたりしていたので、興味深く拝見した。
フィルム写真の様々な要因が絡んだ衰退っぷりが、大筋では光記録メディア(CD・DVD・BD)が現在たどっている軌跡とかぶり、時代の趨勢とはいえ、光記録メディアもいずれ同じように衰退していくのであろうと感じた(コダックや富士フィルムのようなフィルム写真メーカは光記録メディアメーカでもあった)。
記録メディアというと、テープ、磁気ディスク(フロッピーディスク)、光ディスク(CD・DVD・BD)、光磁気ディスク(MD・MO)、HDD、FLASHメモリなどがあげられる。
現在ではHDDとFLASHメモリが圧倒的で、そのほかはニッチな市場を残し衰退しているか衰退しつつある。
光記録メディアは、1980年代に普及を始めたCDを皮切りに、音楽、映像のみならずあらゆるデジタルデータの保存場所としてそれなりの地位を得ていた。
それに加え、CD-RやDVD-Rの登場で、録音・録画の受け皿としてテープメディアを置き換えていった。
そして満を持して登場したBlu-ray Disc(BD)であったが、CDやDVDのように成功しているとは言い難い。
DVD-Rも全世界で年間十億枚単位で売れているものの減少率は20%を超え、BD-Rに至っては普及しているのは日本だけという状態であり、書き込み型の光記録メディアは近い将来ほとんど見かけなくなるであろう。
このように急速にしぼみつつある光記録メディア市場を象徴する出来事としては、業界団体である日本記録メディア工業会2013年3月末に解散したことである。
建前上は「目的が達成された」ための解散であるが、実際は光記録メディアの関連企業が主な会員を占めていたため、光記録メディアの市場縮小で業界団体を維持できなくなったというのが実情であろう。
このような光記録メディアの衰退を招いた原因は多々あるが、私が主因と考えているのは以下の4つ。
・BDとHD-DVDの規格争いとBDの勝利と映像圧縮技術の進歩
それぞれ背景を見ていく。
4つの主因としたが、実際はこれが主因と言ってよく、他はすべて副因にすぎない。
記録メディアはあくまでもデータやコンテンツの箱に過ぎず、はっきり言って何でもよい。
記録メディアの要件としては、データを書き換えるか否か、読み書きの頻度と速度、容量、可搬性、保存性などである。
データを書き換えるか否かでROMとRAMのように別れ、読み書きの頻度と速度、可搬性、容量、長期保存するかによってテープメディアとFLASHメモリ、メモリサーバとSDカードのように使い分けることになる。
光記録メディアは書き換えるか否かを選べ、読み書きの頻度と速度、可搬性のいずれも真ん中に位置し、量産効果によって100円程度に値下がりするなど使い勝手はよかったと思う。
しかし、裏を返せばそれは中途半端でもあり、読み書きの頻度と速度に勝るHDD、可搬性に勝るFLASHメモリの大容量化、低価格化によってあっさり取り替えられうる脆い優位性でしかなかった。
・BDとHD-DVDの規格争いとBDの勝利と映像圧縮技術の進歩
世間を騒がせたソニーと東芝によるBDとHD-DVDの規格争いはBDの勝利に終わった。
BDは確かに優れた技術であるが、規格争いによって年単位で開発が遅れたうえ、優位性を競うあまり未成熟な技術が山ほど投入され、それらを十分に検証することもなく市場に投入された。
たとえば記録層の上に被せる保護層と、保護層を保護するハードコート層をスピンコートで形成する構造は過去の記録メディアと大きく異なっており、販売して数年後に不織布ケースでの保管に適さないことが判明するなど大量生産する工業製品としての成熟度に欠けていた。
さらに、規格競争によって発展した映像圧縮技術の進歩も災いした。
BD、HD-DVDとも当初はDVDやデジタル放送で採用されているMPEG-2という映像圧縮技術を想定していた。
これは30万画素の映像(SD映像)であれば1GBで24分程度、100~200万画素の映像(HD~フルHD映像)であれば1GBで数分程度の映像が保存できる程度の圧縮率であり、普及が予想されたHD映像はDVDでは数十分しか収められないからこそ、DVDよりも容量の大きい次世代光記録メディアが必要だという理路であったはずだ。
しかし、BD、HD-DVD両陣営とも規格競争で優位に立とうとしてMPEG-4.AVC(H.264)という新しい映像圧縮技術を盛り込んだ。
この映像圧縮技術は計算が複雑でより高度なハードウェア、ソフトウェアを必要とするものの、MPEG-2に比べ2倍以上の圧縮率を実現できる。
BD、HD-DVDの両陣営とも、MPEG-4.AVC(H.264)の採用で圧縮率の低い美しい映像を実現できるとアピールしていたが、特に書き込み型のBD-Rでは数十GBの容量は明らかにオーバースペックとなっていた。
さらに、MPEG-4.AVC(H.264)の採用によって、ハードウェア、ソフトウェアレベルでの対応と普及が急速に進み、安価に使用できるようになったうえ、圧縮率の向上は通信環境への負担を減らし、ネットワーク経由でのHDD録画再生、ビデオオンデマンドのような競合を利する結果となった。
個人的な話になるが、私はDVD-Rを年間数百枚は購入しており、実家の親や親戚も韓流ドラマにはまりこれまた数百枚単位(ひょっとすると千枚以上)で購入していたと思う。
今はどうか?
今はBD-Rを使用しているが、実家の親のための子供のビデオを年間数枚程度、そのほかにスポーツ・アニメ・バラエティで10枚程度だと思う(数えたこともない)。
個人的にはもっと使いたいとも思うが、記録メディアに焼いてまで見たいとは思わなくなった。
年齢のせいもあるかと思うが、やはり大きな原因はコンテンツのレベルの低下、そしてコピーガードであろう。
アナログ時代はゲーム機などにも保存しどこでも見れるように工夫していたが、今はおいそれとはできない。
実際には、その機能もあるし使ってもいるが、いろいろ工夫することはなくただ使うだけとなった。
録画した機器とは別の機器で再生できるかどうかもやってみなければわからない、前は出来たのにできなくなるなど使い続けるのに二の足を踏むようなことがたびたび起きた。
こうなると、仮に問題が解消されても、試すことすら面倒くさいのでもはや使う事はない。
正直、今使っている機器が壊れた後、光記録メディア機器を買いなおして使うか?といわれるとおそらく使わないだろうと答えるしかない。
年間数百枚単位で使っていた私ですらこれなのだから、一般の人はさらにその思いは強いのではないだろうか?
ではどうすればよかったか?
いくつもの目論見違いが重なり業界自体が消滅の危機を迎えている。
一番の問題は、現在のコンシューマ向けの消耗品の大部分と同じく光記録メディアは設備産業で、ある程度規模がないと儲からない構造となっていたこと。
そのため、わずかな販売の減少であっという間に赤字に転落してしまう。
CD、DVDの減少は想定されていたよりも急で、BDも規格争いで遅れ普及も低調だった。
赤字を避けるためにはそれなりに利益があった時期に撤退を決断する以外になかったかと思うが、営利企業としてそれは不可能であったろう。
これ以降は後知恵になるので、当事者からすれば何もわかっていないとの誹りを受けるだろう。
敵は身内ではなく外にあり、普及しているというアドバンテージも劇的なスピードで進むHDD、FLASHメモリの進化の前には風前の灯で、規格争いのような内輪もめしてる場合ではなかった。
今思えばソニー・松下よりもHDD、FLASHメモリも製造していた東芝のほうが状況を正しく認識していた。
しかし光記録メディア業界として、「フルハイビジョンの美しい映像」、「著作権業界に配慮して完璧なコピーガードを」なんていう身内の論理を優先し、「見たいときに見たいものをボタン一つで(それなりの画像で)」を実現しようとしていた外の業界に対する危機感がなかったとしか言いようがない。
光記録メディアが生き残る可能性が多少でもあった選択としては、規格争いはせずHD-DVDをMPEG-2のみ対応とし、コピーガードはやむを得なかったろうから、できる限り次世代規格の製品化を早め、2011年のデジタル化までに互換性の向上とネットワークへの親和性を高めることに努めていくしかなかったのではないかと思う。
これはまさに当時の東芝の目指していたものではあったのだが、業界からは東芝だけが儲かると警戒されてしまった。
光記録メディアはあくまでコンテンツネットワークの一部にすぎないし、寿命を先延ばしすることしかできなかっただろうが、それでも墜落を避けソフトランディングできたのではと夢想する。
夏の始まりは不器用な着こなしの僕を少しだけいらつかせる。特有の湿度と暑さはコンクリートの上、うだるような空気をたゆたわせる。ポケットの片方を重たくさせる携帯電話を手探りで取り出すと、ガラス面に付着した手汗を拭う。太陽の光に照らされた画面はスライドひとつ上手く反応してくれない。嫌な季節、そう考えて仕方ないはず。それなのに弱った電波で検索するキーワード、「夏 花火」を入力する。蝉の声も届かないビル街に無数の電波が放射され、希望や期待を込めた言葉をインターネットに届ける。微弱な電波であっても、ゆっくりとした速度であってもいずれ提示される結果。検索していたのはキーワードの先にあるもの。
清涼飲料水のCMのような恋を画面の外、カメラ越しに見ている。ひとつの季節が始まるたびに彼女の手を引く誰かは僕ではない誰か。色鮮やかに進化していく画質と裏腹に荒くなる現実のピクセル。色彩の足りない画素。鈍色の海としずかに揺れる波。湿ったイメージを打ち消すために、理想的な夏を形容するための言葉をいくつもいくつも検索する。
打ち上げられた花火にそれほど多くの彩色が施されていなくとも、暗闇の中で灯る光ならば見上げるほどに美しい。荒々しい音は光の後に遅れて響き、それはどこか恐ろしくもある稲光とは違う心地よさを生み出す。ふたりの周りで零れる感嘆とため息が疲れた日々の毒素を含んで昇華される。濁った空気と火薬の匂いと白い煙とが混ざり合い、月の表面を濁らせると、いつもよりも淡くぼんやりとした月明かりの下で夏の終わりが動き始める。
お洒落な彼女にはきっとストローの刺さったプラスチックのシャーベットが似合う。僕は缶ビールを飲もう。上目遣いで花火を見る彼女の隣で、抱えた下心が見透かされてしまわないように。見上げた先に広がる花びらを自然な装いで見つめていられるように。
駅前の交差点、横断歩道の手前で彼女のIDを見つめながら生み出された妄想は、青色に切り替わるサインと動き始めた群衆の中で散り散りになる。すれ違いざまにぶつかる肩が痛かった。
プロの人は小型機をサブで持ち歩くなら、フルサイズを2台持ち歩く。サブとはメインが壊れた時に使うものだから同じ性能だ!
っていう人もいたけど。
普通の人の考えでは、サブとは持ち歩くもので、フルサイズは家においておくものだ!。 あんなもの24時間365日持ち歩くのはプロだけだ!
という口上を述べた後で、やっぱり、EOS KISSが限界。それ以上はでかすぎる。フルサイズのミラー有りなんで、どんだけデカイんだよって思う。
6D小さいけど、やっぱりデカイ。
そもそも最近は、印刷する・現像するという需要が激減してるから、印刷業界の人でもない限り、1000万画素以上が必要になることは少なくなった。
600万画素の写真1枚を受信するとしよう。ファイルサイズは約3MB、およそ24,000パケットだ。パケット定額のパケット代は1パケット0.0525円。これを計算すると、この写真1枚の通信料は1,260円になる。
仮に受信側が4インチRetinaだとして
1,136*640ピクセルあれば全画面表示できる。約72万ドット。
jpg圧縮すれば208KBぐらいにはなる。これはだいたい1700パケットで、90円ぐらいで送れるかな。
90円で目的達成できるのに、600万画素の画像をリサイズもしないで送る。
その嗜好品としての価値が1260円なんじゃないの?
iPhoneを使用しているが、パケット使用量が毎月100万円を軽く超えている。当然パケット定額に入っているため、実際に支払うパケット代は月々4,500円ほどだ。99%以上の割引らしいが、喜べばいいのだろうか。
そもそも数百万円という、車をらくらくと買えるような金額を毎月消費している自覚が無い。主な用途は電車での移動時間や会社の休憩時間にネットを見るといったものだが、ヘビーユーザーというほど使ってるわけではないと思っている。自宅ではWi-Fiにつないでいるためこれはパケット代には含まれない。なぜパケット代はこんなにも高くなるのだろうか。
600万画素の写真1枚を受信するとしよう。ファイルサイズは約3MB、およそ24,000パケットだ。パケット定額のパケット代は1パケット0.0525円。これを計算すると、この写真1枚の通信料は1,260円になる。サービスに対していくら払えるかは時と場合によるだろうが、多くの場面では1,260円を支払って1枚の写真を受信したいとは思わないはずだ。
ちなみに、パケット定額に加入していない場合は1パケットが0.21円になるため、同じ写真の通信料は5,040円になる。写真1枚を受信しただけですでにパケット定額よりも高い。
http://anond.hatelabo.jp/20121230131023
元増田の内容とはまったく関係ない、アラサー30歳のおじさんの昔話で申し訳ないけど、最後の写真を見て、これが今時の高校生かーと思ってしまった。
1.携帯
授業中に鳴らしたらその場で没収、後で職員室に呼び出し。
と一人ムカついていたのはいい思い出。
2.デジカメ
「せっかくパソコン買ったのならデジカメで写真を残しておきたいね。」
「2万9千円で131万画素のデジカメがあるよ。131万画素ならそこそこ良い画質だし、3万円切ってるし、買おうよ」
などと家族で会話した10年前。
当時300万画素のデジカメ(携帯のカメラじゃないぞ。デジカメだぞ。通話もメールもできない、カメラ専用機だぞ)って言ったら6万はする上位機種の画素数。
それが今や携帯の一機能として備わって、しかもそれを高校生が持っているという。
とまあ、こんな感じでカルチャーショックを受けつつも、その一方でああやはり10年たっても高校生は数学でベクトルをやってるんだなあという安心感も。
10年後の高校生はどんなモノを持ってるのかな?
今のデジタルビデオカメラ並みの画質の映像がほいほい撮れる携帯を持ってるのかな?
今じゃみんな誰もがポケットにバッグの中に自分だけのカメラを持っている。
それは携帯電話であったり、リンゴマークの付いたスマートなフォンだったり。
あるいは、1000円程度で買えていちいち自分でフィルムを巻き上げなきゃいけないカメラかもしれないし
何千万画素なんて想像つかない画素数を売りにしているフィルムなんて使わないカメラかもしれない。
なんにせよ、みんながみんな専用のみんなのためのカメラを持っている。
そんなみんなは一体なんのために、律儀にファインダーや小さなドットで描かれた液晶を覗いて
今日も露出や画角にWBをいちいち確認して、愛しい愛しいあの娘に笑顔を強要してシャッターを切るのか。
我らの慈悲深き神様なんていう存在は、有難いことに僕らに「目」と「脳」と、あとまぁ色々くれた。
僕らに備わった「目」というやつは、あらかじめ二つも用意されていて、
そのうえダイナミックレンジはとんでもなく広く、真夜中でも僕らにキレイな夜の街を見せてくれたりする。
「脳」つうのは、右とか左とかあったり中枢があるらしいが殆どはいまだに神のみぞ知るってやつらしい。
それでもすごいのは、あの日見たあの日常を目をつぶれは思いだせるとかいうやつがいるってことか。
そして、「目」と「脳」は電子が移動するスピードで情報を伝える「神経」でつながってたりする。
例えば高専で5年間ハンダを握って暮らした僕が、その貧弱な技術で必死にカメラの配線を行ったとしても、
きっと「神経」のどっかがこと切れる前に壊れてしまう。
酒とかタバコとかにおぼれて溺死すんぜんのやつなんてわからないが、
この「神経」つう巧妙な回路は大体100年近くもつらしいから驚きだ。
ここらで「話をもどそう」と切り出さなければ、一向に執着地点が見えてこないので
恥をしのんで切り出させてもらう。
そんな、現代のCMOSを超えるセンサを持っていながら、SDなんちゃらを超える記録媒体をもっていながら
富士山に登って、日本一高いその頂上でシャッターを切れれば僕らは満足するのか
バイクで旅に出てどこともしらないもう行けないかもしれない場所でファインダーを覗ければ満たされるのか
大切な人の大切だという安っぽい誕生日会で笑っているあの娘にカメラを向けることができれば嬉しいのか
一生一緒にいるかもわからない「嫁」という存在と笑顔か分からない顔でカメラを握れれば幸せなのか
娘や息子なんていう命とかの尊さなんかをフィルムに収められれば僕らは幸福になれるのか
カメラを握って薄暗い部屋の中でディスプレイに映し出される自分が撮ったであろう写真をにらんでいる僕は
満足もできない、満たされない、幸せは忘れた、幸福なんて匂いすら嗅いだこともない。
いつもいつも、僕の高性能な「目」でとらえて電子となり「神経」を駆け巡って「脳」で処理された
あの景色にあの日常は、どんなカメラもレンズを通しても再現できない。
いつも虚しくなる
するといともたやすく、とんでもなく美しい景色を見つけられる
興奮するんだ
これを撮るためにいままで生きてきたんだと
頭がくらくらする
もう一度落ち着くためにタバコをふかす
あとは簡単だ
馬鹿でもできる
ほらできた
今日こそできた
小さな液晶で確認する
絶望する
焦るな
絶望する
あんなにあった時間がもうない
朝日があんなにきれいだった街をいともたやすく汚くする
昼間なんて白とびでなんにも映らなくてもいい
この目を超えるレンズをさがしてるんだ
ヤフオクにはなかった
あるのは自分の中だけだ。助けてくれ
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1105/24/news078.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.itmedia.co.jp/news/articles/1105/24/news078.html
きっとスマートフォンのすの字も知らない人が、化粧品や炭酸飲料のマーケティングと同じような手法でアンケート結果を解析したんだろうな。ネットアンケートの割にサンプル数がたった824なので、そもそも統計調査としても役に立っていない。ちゃんとやるなら最低でも2000は取らなきゃ。予想通りはてブでも馬鹿にされている。
#成熟期も追記してみた
このころスマートフォン的なものを使いたかった人は、京ぽんかPDA+PHSという選択肢しかなかった。Wi-MAXどころか、公衆無線LANもあまり普及しておらず、3Gネットワークもまだガラケーのためのものだった。2002年にZaurus OS搭載のSH2101Vなんてのもあったけど、10万を越える高価格であまり売れなかった。
この時代にこの手のものを使っていた人は、ほんとうの新しもの好きというか、人柱になることもいとわない本格的なギークで、多分シリコンオーディオもデジタル一眼もHDDレコーダも、比較的早い段階に手に入れていたような人だろう。デジタル版タモリというかスタパ斎藤のような人たち。多分この世代の人は本当に「ファッションも外見も気にしない」
3G+Wi-Fi(W-ZERO3はPHSだけど)、タッチパネル、サードパーティアプリケーションをインストールできるなど、所謂現代的なスマートフォンが本格的に日本で発売され始めた年。2004年にガラケーではDoCoMoが900iシリーズを発売し「パケ・ホーダイ」サービス開始。FeliCaやワンセグ、高画素デジカメを搭載し、ある意味でガラケーの集大成と言えるようなものだった。
この時期公衆無線LAN各社がサービスを開始し始め、都心部の駅や喫茶店、ファストフードなんかで使えるようになる。
はてブにたくさんいる「W-ZERO世代」が日本における事実上のスマートフォン第一世代。プレ世代と似たような感じがしそうだけど、一方でビジネス用途でこれらを使い始めたような人も結構いるだろう。あと本当にギークな人は海外製のSIMフリー端末を輸入していただろう。この世代以前の人は、大抵のことはググッて調べる。あまり「情弱」的な人は見かけない。
iOSとAndroidが登場し、OSシェアが塗変わった時期。ビジネスでは業務車両や配送車両の運行管理や、営業や販売の現場などでの利用など、より本格的に利用されるようになる。
この時期にケータイショップにいた人は非常に苦労しただろう。ケータイショップの販売員は「ヘルパー」と呼ばれるキャリアからの派遣が多いのだが、ガラケーの機能や契約、料金制度については詳しくても、スマートフォン?な人が多く、自分でもよく分からないものを売らなければいけないということもあったはずだ。新しもの好きだけどハイテクに弱そうなおっちゃんと、やっぱりハイテクに弱そうな売り子のお嬢さんがケータイ売り場でもめている光景が、この時期にはよく見られた。
この頃、台湾メーカーによる「ネットブックブーム」もあり、2007年後半から2009年頃まで続く。半端な性能とサイズということもあり、性能が上がったスマートフォン/タブレットと低価格化したノートPCに挟撃され普及は鈍化する。
この時期スマートフォンを使い始めた人は、新しもの好きではあるけど決してマニアックな人ではない。特にiPhone 3Gなんかは「ケータイとiPodが合体した物」という感覚で使い始めた人が結構いただろう。実はこの世代が一番ミーハーな人が多そうだ。
あと社用携帯として持たされたなんていう人も、結構いるのではないだろうか。
すっかり出遅れたKDDIがシェアを取り戻すべく参入したはいいが、IS01(通称メガネケース)なんて末期には8円施策で配った誰得端末を作る。
どうしてもおサイフケータイとかワンセグとか赤外線とか、ガラケー機能から離れられない人がいて、そういう人向けの端末も揃ってきた。ここから本格的な移行が始まるだろうが、一方で「ケータイなんて電話とメールだけでいい」という人も相当数いるので、ガラケーも残るだろう。ただ「フィーチャーフォン」といわれる、無駄に高機能で割高なガラケーは今後先細りするだろう。
あとはPCなしで完全に独立して使えるスマートフォンが登場すれば普及が進むだろう。一応国産メーカーのAndroid端末はスタンドアローンで使うこと前提に設計されているらしいけど、そもそも自宅にPCもWi-Fiもない人がスマートフォンってどうなのよ?って話。WiMAXやLTEなどの4Gエリアが全国レベルになり、料金もそれなりになれば完全にPCの代わりになるかもしれない。どの時点でゴールとするかの定義もあるけど、FOMAがサービス開始から契約数比率で50%超えるのに5年、エリア全国カバーまで6年ほどかかっているので、4Gが日本中で使えるようになるにもだいたい5〜6年ということになるだろう。
前記のとおり2009〜2010年にサービス開始した4G通信が全国レベルで使えるようになるのが大体このぐらいと予測。この頃にはPCは仕事で使うとかプログラマとかデザイナとか動画編集とか、そういう需要の人以外は使わなくなるかもしれない。
もうみんなわかってるだろ。
au IS03でさ、未来へ行くならAndroidとか言われてレディ・ガガが踊ってるって、どうするんだそれ。
iPhoneで「その笑顔も」とか言って子供が笑ってる動画と比較しなくても判るだろ。
おれらが中国の偽iPodみて笑ってるのと、全く同じレベルの模造品だろ。
Galaxy Sなんかさらに酷いだろ。あれサムスンだし。
いや、サムスンの製品だから悪いとは言わないよ。液晶とか強いしな。モノも悪くないよ。
で、docomoはサムスンのiPhoneパクリ端末で大々的に売り出すわけか。
で、作ってるのはサムスン。(IS03は違うけどね。プライドのない形してるよなアレ)
乗ってるのはAndroid。
どこがものづくりなの?
「au03はもっさりというけど、ホーム画面入れ替えたらさくさくになりました」とかいう記事を見て軽く絶望した。
そこ否定されたら、端末作った人何してたのいったい。
だから、常に「一つ前よりも良くなる」事を求める。
そりゃね、シンプルな何もないところからスタートすれば、その圧力はとても良い方向に働くよ?
どんどん良くなる。どんどん進化する。
でも、何かのきっかけでちょっと違うモノが入ってくると、それをうまく真似できなければ終わってしまう。
みんな叩くだけ叩いて買わないしな。
特殊化の果てにあるのは緩やかな死ではなく、環境の変化に耐えられない種、疫病で死滅する均質化。
貪欲に外来種を飲み込み、咀嚼した上で完全に異質なものとして模倣する匠の技は死んだ。
注文の多い顧客を「注文をするのが当たり前だ」という植え込みをするのが、最後の防波堤だった。
おサイフケータイ、ワンセグ、高画素カメラ。それらの価値をもっと植え付けるべきだった。
ガラケーに必須の機能が、携帯電話には必須だと顧客に植え付け続けられれば、もしかしたら勝てるかも知れない。
でも、そこで手を抜いていたら勝てない。
カメラで写真を撮って、ネットにアップしてリンクをTwitterにPostする。
それだけのことが、どれだけの手間になるのか。
一事が万事そう。
ガラケーはその名の通り、環境の激変に耐えられない瀬戸際に来ている。
Androidへのガラケー融合は、結局の所Androidへ飲み込まれる。
防波堤を作り、それを補修しない。ものをつくれず、それも守れない。
プライドのない模倣に対して「恥を知れ」と言えない顧客は、諸共に死んでいく。
せめて散り際ぐらいは、美しく散って欲しいものだ。