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2011-09-03

目と脳と神経


今じゃみんな誰もがポケットにバッグの中に自分だけのカメラを持っている。

それは携帯電話であったり、リンゴマークの付いたスマートなフォンだったり。

あるいは、1000円程度で買えていちいち自分フィルムを巻き上げなきゃいけないカメラかもしれないし

千万画素なんて想像つかない画素数を売りにしているフィルムなんて使わないカメラかもしれない。

なんにせよ、みんながみんな専用のみんなのためのカメラを持っている。

そんなみんなは一体なんのために、律儀にファインダーや小さなドットで描かれた液晶を覗いて

今日露出画角にWBをいちいち確認して、愛しい愛しいあの娘に笑顔強要してシャッターを切るのか。


我らの慈悲深き神様なんていう存在は、有難いことに僕らに「目」と「脳」と、あとまぁ色々くれた。

僕らに備わった「目」というやつは、あらかじめ二つも用意されていて、

超高速のオート露出フォーカス機能を備えている。

そのうえダイナミックレンジはとんでもなく広く、真夜中でも僕らにキレイな夜の街を見せてくれたりする。

「脳」つうのは、右とか左とかあったり中枢があるらしいが殆どはいまだに神のみぞ知るってやつらしい。

それでもすごいのは、あの日見たあの日常を目をつぶれは思いだせるとかいうやつがいるってことか。

そして、「目」と「脳」は電子が移動するスピード情報を伝える「神経」でつながってたりする。

例えば高専で5年間ハンダを握って暮らした僕が、その貧弱な技術で必死にカメラの配線を行ったとしても、

きっと「神経」のどっかがこと切れる前に壊れてしまう。

酒とかタバコとかにおぼれて溺死すんぜんのやつなんてわからないが、

この「神経」つう巧妙な回路は大体100年近くもつらしいから驚きだ。


ここらで「話をもどそう」と切り出さなければ、一向に執着地点が見えてこないので

恥をしのんで切り出させてもらう。

そんな、現代のCMOSを超えるセンサを持っていながら、SDなんちゃらを超える記録媒体をもっていながら

なんちゃらエンジンを超える中央処理装置を持っていながら

なぜ僕たちはシャッターを切りたい衝動に駆られるのか。

富士山に登って、日本一高いその頂上でシャッターを切れれば僕らは満足するのか

バイクで旅に出てどこともしらないもう行けないかもしれない場所でファインダーを覗ければ満たされるのか

大切な人の大切だという安っぽい誕生日会で笑っているあの娘にカメラを向けることができれば嬉しいのか

一生一緒にいるかもわからない「嫁」という存在笑顔か分からない顔でカメラを握れれば幸せなのか

娘や息子なんていう命とかの尊さなんかをフィルムに収められれば僕らは幸福になれるのか

カメラを握って薄暗い部屋の中でディスプレイに映し出される自分が撮ったであろう写真をにらんでいる僕は

満足もできない、満たされない、幸せは忘れた、幸福なんて匂いすら嗅いだこともない。

いつもいつも、僕の高性能な「目」でとらえて電子となり「神経」を駆け巡って「脳」で処理された

あの景色にあの日常は、どんなカメラレンズを通しても再現できない。



いつも虚しくなる

虚しくなるから、重いカメラ三脚を担いで夜の街を歩く

するといともたやすく、とんでもなく美しい景色を見つけられる

興奮するんだ

これを撮るためにいままで生きてきたんだと

頭がくらくらする

震える手をゆっくり抑えて三脚をたてる

クイックシューがカチリとはまる

もう一度落ち着くためにタバコをふかす

大丈夫今日こそできる

呼びのバッテリーもSDも時間も用意してきた

ファインダーのぞく

大丈夫、まだ大丈夫

あとは簡単だ

馬鹿でもできる

まりに軽いシャッターボタンを押すだけ

ほらできた

今日こそできた

小さな液晶で確認する

絶望する

ドットで描かれたその景色は違うんだよ

焦るな

もう一度ゆっくり初めから

大丈夫馬鹿でもできる

絶望する

あんなにあった時間がもうない

朝日があんなにきれいだった街をいともたやすく汚くする

絶望的に明るいレンズがほしいんだ

昼間なんて白とびでなんにも映らなくてもいい

この目を超えるレンズをさがしてるんだ

ヤフオクにはなかった

新宿をいくら歩いても見つからない

製品カタログもショーケースの中も

あるのは自分の中だけだ。助けてくれ

 
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