はてなキーワード: ガラパゴスとは
だいぶ亀だけど思ったことを
遊戯王には隠れたストーリーや人気のアニメキャラやメディア展開など他のTCGにはない魅力が詰まっている。なのでそこを強調するしかないが新規アニメがOCG発でないため、過去の栄光にすがるしか今はない。
一方でゲーム性は昔から破綻しているので手の施しようがなく、現代のTCG界隈では傍流としかいいようがない。
どんなに自由度が高い動きをしたとしても、プレイするまえに多くの人が断念しかねないため、入り口で失敗しがち。それを埋めるのがMDなのでMDは必須。
特に今のカードは推しキャラを動かすことが遊ぶ訴求力に繋がりやすく、そこに研究しつくされたゲーム性が加われば遊戯王の独特な動きはより敬遠されがちになる。
そうでもない。何故なら軽自動車に大きいエンジン積んで外国で売っているから。外国の大きな需要を捕まえなきゃ行けない。
もう少し詳しく話をすると
と言う訳で、軽自動車規格はそろそろなんとかしなきゃなんない。
ただ、軽自動車というのはサンダルと同じで、これがないと生活が成り立たない人も多いから規格廃止とかはない。
そこで、現状の軽自動車規格はそのままに、次が1.5Lまでといきなり税率が上がるのではなくて、その中間ぐらいの規格(≒外国のコンパクトカーと同じクラス)を作って、段々とそこに移行させると言うシナリオが前から言われているんだけど、そう言われているうちに、国内市場が萎んでいくし、電動化でそれどころじゃないみたいな感じになって放置状態なのが今なんです。
ただ、自動車工業会は 車課税を重量基準に一本化の改革案 を要望していて、この中に0.66L~1.5L の間の車も存在できる様になり、軽自動車以上普通車未満ぐらいの維持費のやつが出てくれば変わってくるかもしれない。
深夜のダラダラした文章に、思った以上の反響があり、恐縮です。キャンセルカルチャー運動に辟易していましたので、考察と言いつつ、n=1の、偏見まみれのくさすような内容になっており、申し訳ございません。
コメントを通して、西洋史観や海外勢の動きなど己の勉強不足を感じ、大変参考になりました。ほか、新たに以下の視点を得ました。
(現行法上合法とされている無断学習(?)をダメとし、無断の二次創作をヨシとする矛盾性など)
彼らの職業は、対脚本家と演者という関係からみて、クリエイターではなくプレイヤーよりかなという偏見があったため、言及していません。
そもそも、声は、創作というより身体的特徴なので、人権の一つとして適切に保護されることには、なんら議論の余地はないのでは。
自他ともに達人と認める域に達した方が、「ワシは猟師じゃ」と自称するのは、偉そうだけど実際に偉いし、じゅうぶん身の丈にあっているのでいいんじゃないでしょうか。
最近、日本の「絵師」と呼ばれる者達の界隈で、生成AIに対する反発が拡がっている。
それは年々過激さを増し、最早、「お気持ち」や「感情的な反発」ただそれのみで、法的にも倫理的にも問題のないコンテンツを焼き払うまでにいたった。
もちろん、全ての絵師がそうだとは思わないし、思いたくはない。
このような状況下では肯定的意見など出せようもないだろう。魔女狩りの憂き目にあってしまう。
さて、リーガルマインド(法的思考能力)は、法学部で法律科目をみっちり学んでやっと習得できるようなものなので、これを持たない相手に議論をふっかけても、いつの間にか例えになっていない例え話にすり替わるのがオチだ。
だから、反AIを説得したり、論破したりするつもりは、私にはない。
生成AIに過剰に反発をしているのは、「絵師」やそれをとりまく「アニメコンテンツ」(以下、「絵師界隈」という。)に限られている。
他の分野でも生成AIの進化・深化はめざましいが、変な炎上なども起こらず、粛々と最新ツールとして活用されている。
実際、私がメインで活動している音楽分野(以下、「音楽界隈」という。)でも、生成AIは、比較的自然に受け入れられている。
音楽界隈にいると、少数の作曲家(以下、「クリエイター」という。)、多数の演奏家(以下、「プレイヤー」という。)、無数の聴衆(以下、「リスナー」という。)が互いにインスパイアし合う「「創作の循環」、古から続く巨大なうねりを、あらゆる局面で感じる。
生成AIの学習云々の問題は、この循環の一要素として、肯定的に受け入れられている。
しかし、絵師界隈には、循環の要となるプレイヤーがほぼ存在しないため、「「創作の循環」を知覚しづらい。
西洋芸術は、音楽や絵画の分野を問わず、才能は神から与えられたもので、作品は神に捧げるもの、という共通認識のもと、発展してきた。
信仰が薄れてきた現代においても、なお、フェアユースの思想として残っている。
対して、日本には、そのような一神教の概念はないものの、少なくとも音楽界隈にあっては、神に奉納する神楽なる存在がある。
更に、音楽理論そのものが、西洋をルーツとするので、「与えられた「捧げる」意識を醸成する機会が多い。
一方で、日本の絵師界隈は、ガラパゴス状態で進化しているため、「自分がゼロから努力して勝ち取ったもの」「作品は自己表現」という認知になりやすいのではないか。
今、音楽を本業として、いわゆる音楽でメシをくっているクリエイターは、厳しく長い音楽不況を乗り越えた存在であるので、生成AIごときには脅かされない実力がある。
そうでないクリエイターは、純粋に趣味として作品を作って発表して楽しんでいるので、生成AIも、面白いツールが出たな、としか捉えない。
一方、イラストを本業として、それでメシをくっている絵師界隈は、クリエイターの淘汰が進んでおらず、生成AIごときに簡単に脅かされてしまう。
リアルに生活がかかっているのなら、反発も過激になってしまうだろう。
参入障壁の低さと、00年代からの需要の急速な拡大が、本来実力に見合わない人間をプロとさせてしまったのかもしれない。
さながら、チューリップ・バブルだ。
以下、それぞれ、補足。
音楽界隈では、古くからクリエイター、プレイヤー、リスナーが繋がり、互いに影響を与え合う「巨大な循環」が存在している。
例えば、クラシックのプレイヤーが過去の偉大なクリエイターの作品を演奏し続けたり、ジャズやヒップホップにおいて、サンプリングやリミックスを通じて新しい音楽を生み出すのは、既存の作品や表現を再利用する文化が根付いているからである。
「表現の蓄積に敬意を払いながら、新しい創造を探求する」というプロセスを自然に受け入れられる土壌が存在している。
これは、DTMの世界も同じで、音源やサンプルが膨大に共有され、再利用されている現状からすると、AIによる生成もただ新しい音源や手法を追加しただけという感覚が強い。
技術的な進化が日常的に行われており、特定の著名なプレイヤーの演奏をサンプリングして音源化することも一般的である。
これにより、生成AIも単なる新しいツールとして、既存の「循環」の中に自然に組み込まれている。
また、音楽界隈において、多くの場合、クリエイターはプレイヤーを兼ねており、リスナーもまた、プレイヤーを兼ねている。
音楽愛好家ならば、誰だって、一度は何かしらの楽器を触って、誰かの作った曲を演奏しようとした経験があるのではないか?
クリエイター、プレイヤー、リスナーは、多くのケースで同じ立場で、創作の循環に積極的に関与している。
AIがその中に入ることは、「革命」ではなく、単なる「進化」だ。
私自身、音楽を通じてこの循環を何度も経験してきたため、AIを恐れることなく、むしろ新しい創作の可能性として受け入れている。
音楽分野では、クリエイター、プレイヤー、リスナーが互いに影響を与え合い、生成AIもその延長線上にあるのだ。
一方で、音楽界隈における「プレイヤー」に相当する役割が、絵師界隈には存在しないか、または極めて少ない。
クリエイターとリスナーの立場を結びつけ、要として機能する「プレイヤー」という存在が希薄であるために、絵師界隈では「創作の循環」を感じる機会が乏しい。
その結果、生成AIは「自分の領域を侵害する存在」として映ることが多い。
絵師界隈において、絵師は、自分の作品について、「自分がゼロから作り上げたものであり、完全な自己表現の成果」として捉える傾向が強く、他人の作品に手を加えたり、既存の表現を再利用することに対しては、現行法上問題がなくとも、極めて強い抵抗を感じやすい。
絵画や音楽を問わず、西洋における芸術の歴史を振り返ると、才能は「神から与えられたもの」として見られており、芸術家はその才能を用いて作品を神に捧げるものだった。
パトロンは、神のために芸術家を支援して、芸術家は神のために技術の研鑽を重ねた。
結果として、優れた作品がたくさん残り、ありがたくも現代にまで継承されてきた。
芸術史への脱線は避けたいので、軽く触れるにとどめるが、少なくとも、西洋の芸術、特に歴史的な音楽や絵画の中では、才能は「神からの贈り物」として見られてきたため、それを使って作品を作ることは神聖な使命の一部であった。
元来、芸術作品やそれを生み出す才能は、個人の所有物ではなく、社会や神に捧げるものとされてきた。
この背景が、西洋でフェアユースの概念が広く受け入れられている一因のように思う。
才能や作品は神のものとして共有されるものというコンテクストのもと、生成AIによる「学習」や「再利用」も一部では容認されやすいのだろう。
任天堂とパルワールドの訴訟問題における、日本と欧米の反応の顕著な違いに、この当たりの感覚の違いが明確に出ているように感じる。
この点、日本の絵師界隈にとって、才能は「自分の努力によって勝ち取ったもの」であり、作品は完全に自分の所有物という感覚が強いのでは。
その態度を傲慢とみるか、当然の権利とみるかはさておき、だからこそ、生成AIが個人の努力や創造性を「奪うもの」として見られやすく、反発が生まれやすいと考えられる。
このまま日本の絵師界隈の生成AIに対する過剰な反発、炎上騒動が続くと、日本では、生成AIはアンタッチャブルとなり、なんらの議論も進歩も遂げなくなるだろう。
最終的に、生成AI技術は、外国の「GAFA」などの巨大企業によって独占され、資本主義の論理に飲み込まれる可能性が高いと感じる。
外国の大企業が規約や契約に巧妙に生成AI技術云々を盛り込み、最終的には技術やデータを独占し、クリエイターがそれに従わざるを得なくなる未来。
絵師界隈の過激な活動により、日本企業にとって生成AI技術そのものはアンタッチャブルとなったので、日本企業は呆然と、日本人の優れた才能が外国資本に奪われていくのを眺めるしかできない。
もちろん、これは資本主義の一環であり、技術の進化の中で繰り返されてきた「ひとつの循環」として受け入れるしかないのかもしれない。
私自身はそのような未来を諦観し、これもまた創作における流れの一部だと考えている。
技術は常に進化し、その中でクリエイティブな表現の方法もまた変わっていくものだ。
しかし、絵師界隈は、そういう未来をどう考えているのだろうか?
AIは決してクリエイターの創造性を奪うものではなく、創作の循環、巨大なうねりの一部として受け入れられるべき可能性を秘めている。
これからのクリエイティブな世界で、AIと共に新しい表現の形を探求していきたいので、絵師界隈には邪魔しないでいただきたい。
「生成AIを使っているヤツを、絵師を呼ぶな」問題にも触れておきたい。
望む絵を出力することは、絵師界隈の人が想像しているような、そう簡単な技術ではない。
命令文の模索や、好みのモデルの階層マージ云々、どれをとっても、相当な知識が必要だ。
現に、クラウドワークスでは既に、「生成AIでイラストを出力してほしい」旨の依頼がわんさかある。
「Novel AI」や「Dall-E 3」、「Grok-2」など、企業が最適化して、提供している出力サービスを使っている者は、今のところ「消費者」かな。
企業が最適化したサービスを使ってキャッキャしているだけの人は、ごく普通の・・・・・・一般の消費者、それ以上でも以下でもないのでは。
消費者がイラスト生成AIの恩恵にあずかれるようになっただけ。
「絵師」という言葉は、2000年代の2チャンネルの「同人板」で、敬称として、使われ始めたと記憶している。
「表紙を絵師に書いてもらって~」とか、「好みの絵師が~」とか。
敬称なので、自分で自分のことを「絵師」と名乗る者は、当時はいなかった。
ニコニコ動画が出てきて、ネットが低年齢化して、「動画師」や「MIX師」という、変な亜種が登場したあたりからだろうか。
元増田みたいに完全グローバル目線でゲームの人気を語ってることもそうだけど、逆に日本人が和ゲーより洋ゲーの方が多く知ってるほうが問題なのよ、俺も持ってるのはティアキンだけだけどスターフィールド以外全部知ってはいるしね
ファミ通みたいなニュースサイトとか、個人が作ったツイッターにあるオススメsteamゲームリストとか、ゲームの情報源がみんな国産と海外産がごっちゃになってて物量的に海外の割合が多いし
ディスボードに登録されてるような開かれたゲーマー向けディスコード鯖でも、洋ゲーばっかり遊ばれてるの見る
steamの国産ゲームまとめてるのって5chの専門スレにあるGoogleスプレッドシートしか見たこと無い
日本人が作り、日本人がプレイし、日本人がブーストさせる、それが海外勢の目に留まって海外のやり方で海外にも広まるっていう
グローバリズム的な考えや海外のと国産のを公平に宣伝しよう共有しようっていう流れによって崩れてるのが今
日本vs海外って見方だともう当然いくら日本でゲームが盛んに作られたりプレイされたりしてようと、物量的に敵うわけないでしょ
突然だが以下のタイトルを見てほしい
コール オブ デューティ: モダン・ウォーフェア III
バルダーズ・ゲート III (Baldur's Gate III)
これは2023年に発売したゲームでの売り上げトップ5のゲームである
さて、いくつ知ってるタイトルがあっただろうか?
ゼルダは流石に多くの人が知っているだろう
他はどうだろうか?
知ってるだけでやったことないタイトルも多いのではないだろうか?
まだオタクが多いはてな界隈ならタイトルだけなら知っているものがそれなりにあるかもしれない
やったことあるタイトルは果たしていくつあるだろうか?なんならプレイ画面がどんなものかすら知らないタイトルも多いのでは?
人気ソシャゲなら画面見ただけでやったことない人でもどのタイトルなのか分かる人が多そうだ
かように日本のゲーム市場は世界のゲーム市場と乖離した市場、コミュニティが形成されているのである
PS4が全盛期を極めていた頃は世界のメジャータイトルとPS4の人気タイトルって位≒に近かったからあまり乖離なかったよね
PS5が手に入らなくなることで完全に日本が大作ゲームやる人いなくなった感あるね
Vtuberなんて軽いゲームしかやらんし、Vtuberとコラボする系ストリーマーもメジャーから外れたゲームしかやらんよね
ストリートファイターとか謎に日本の配信界隈では人気だけど、あれ全世界売り上げ400万だぜ
だから洋ゲーメーカーも日本のメーカーも昔以上に日本市場に力いれてない
よく邦画はクソしかねえ!とか言ってる人いるけど、洋画なんて邦画より全然売れてないし、どんどん日本に入らなくなってきてるからこの傾向に歯止め効かないだろうな
5年前、そういう記事を技術ブログに書いたが、あまり読まれていなかった
電子工作やプログラミングの話だから一般受けしする内容ではなかったし
また、通信方法が日本のガラパゴス仕様なので技術者の興味も引かなかった
それが、2022年後半からの電気代高騰の影響なのか、少し読まれるようになった
お前は電力会社の回し者か!
スマートメーターの発する3G/4G電波の電磁波がどの程度人体に影響を及ぼすのかよく知らない
しかしブログにコメントを書き込むには、少なくともスマホかパソコンが必要なはずだ
そして、当然、スマホやWi-Fiの発する電磁波を浴びるはずだが、それは大丈夫なのだろうか?
また、"スマートメーター"で検索すると、通信部を外したら電気代下がった主張する人たちがいた
我が家はスマートメーターへ交換しても電力使用量はほとんど変わらなかった
逆にスマートメーターで電気を見える化し、節電した結果、交換前より使用量が年間で3割減った
ただ、電気代高騰の影響で電気料金自体は2割程度しか下がっていない
異論があるなら言ってみろ
大抵韓国と中国が嫌いで自民党支持か田母神や桜井誠などのビジウヨ界隈の支持をしてる
オタク、弱者男性、統一教会信者、自民党支持者との親和性が高く同一視される
自称普通の日本人だの日本が好きで何が悪いだのはリベラルじゃなくても聞いたことある増田は多いはず
スポーツなどで日本代表が試合をしてる時は大抵相手国を応援し日本負けろと思いがち(リベラル系の議員や活動家、コミュニティでも実際多い)
ポリコレに則り女性差別はしないがポリコレ的にマジョリティと男性差別は許されてるのでセーフ
学歴、知能、地方、収入、職業、容姿などの差別が盛んでイラスト、コピペ、AAなどを用いたキャンペーンが流行ったり
リベラル系の議員や学者、活動家も対立相手や自分らを支持しない人らの事をよく衆愚扱いしたり様々なステータスで差別をしてきた
https://x.com/lautream/status/987667478028300288?t=8LEO9S3FoROPxrXT2jlrAQ&s=19
昔は障害者差別とかもよくしてたがいつの間にか無かったことにするなど歴史修正が非常に得意
これで良識派とか気取るとか笑わせるが、今も昔もそういうの本当に変わんないよねえリベラルって
あれのリベラル版で言ってるメンツを見ると案の定立憲共産党系の人たち(旧民主党でも党内のリベラル寄りの人達の自称が中道で、保守よりだと保守派と自称しがち)