はてなキーワード: クイックシューとは
今じゃみんな誰もがポケットにバッグの中に自分だけのカメラを持っている。
それは携帯電話であったり、リンゴマークの付いたスマートなフォンだったり。
あるいは、1000円程度で買えていちいち自分でフィルムを巻き上げなきゃいけないカメラかもしれないし
何千万画素なんて想像つかない画素数を売りにしているフィルムなんて使わないカメラかもしれない。
なんにせよ、みんながみんな専用のみんなのためのカメラを持っている。
そんなみんなは一体なんのために、律儀にファインダーや小さなドットで描かれた液晶を覗いて
今日も露出や画角にWBをいちいち確認して、愛しい愛しいあの娘に笑顔を強要してシャッターを切るのか。
我らの慈悲深き神様なんていう存在は、有難いことに僕らに「目」と「脳」と、あとまぁ色々くれた。
僕らに備わった「目」というやつは、あらかじめ二つも用意されていて、
そのうえダイナミックレンジはとんでもなく広く、真夜中でも僕らにキレイな夜の街を見せてくれたりする。
「脳」つうのは、右とか左とかあったり中枢があるらしいが殆どはいまだに神のみぞ知るってやつらしい。
それでもすごいのは、あの日見たあの日常を目をつぶれは思いだせるとかいうやつがいるってことか。
そして、「目」と「脳」は電子が移動するスピードで情報を伝える「神経」でつながってたりする。
例えば高専で5年間ハンダを握って暮らした僕が、その貧弱な技術で必死にカメラの配線を行ったとしても、
きっと「神経」のどっかがこと切れる前に壊れてしまう。
酒とかタバコとかにおぼれて溺死すんぜんのやつなんてわからないが、
この「神経」つう巧妙な回路は大体100年近くもつらしいから驚きだ。
ここらで「話をもどそう」と切り出さなければ、一向に執着地点が見えてこないので
恥をしのんで切り出させてもらう。
そんな、現代のCMOSを超えるセンサを持っていながら、SDなんちゃらを超える記録媒体をもっていながら
富士山に登って、日本一高いその頂上でシャッターを切れれば僕らは満足するのか
バイクで旅に出てどこともしらないもう行けないかもしれない場所でファインダーを覗ければ満たされるのか
大切な人の大切だという安っぽい誕生日会で笑っているあの娘にカメラを向けることができれば嬉しいのか
一生一緒にいるかもわからない「嫁」という存在と笑顔か分からない顔でカメラを握れれば幸せなのか
娘や息子なんていう命とかの尊さなんかをフィルムに収められれば僕らは幸福になれるのか
カメラを握って薄暗い部屋の中でディスプレイに映し出される自分が撮ったであろう写真をにらんでいる僕は
満足もできない、満たされない、幸せは忘れた、幸福なんて匂いすら嗅いだこともない。
いつもいつも、僕の高性能な「目」でとらえて電子となり「神経」を駆け巡って「脳」で処理された
あの景色にあの日常は、どんなカメラもレンズを通しても再現できない。
いつも虚しくなる
するといともたやすく、とんでもなく美しい景色を見つけられる
興奮するんだ
これを撮るためにいままで生きてきたんだと
頭がくらくらする
もう一度落ち着くためにタバコをふかす
あとは簡単だ
馬鹿でもできる
ほらできた
今日こそできた
小さな液晶で確認する
絶望する
焦るな
絶望する
あんなにあった時間がもうない
朝日があんなにきれいだった街をいともたやすく汚くする
昼間なんて白とびでなんにも映らなくてもいい
この目を超えるレンズをさがしてるんだ
ヤフオクにはなかった
あるのは自分の中だけだ。助けてくれ