はてなキーワード: 標題とは
標題は「~理由を国際関係論という学問の用語を使って説明したい。」とした方が正確である。
しかし、それでは読んでもらえないと予想したので標題のようにしている。
自民支持されるのはおかしい( https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/DocSeri/status/1342720709873692672 )というエントリが人気だ。
それでも自民党が支持されるのは、外交と安全保障政策を任せることができる政党が自民党しかないからだ。
学術的に言うと国際関係論という学問では、High and low politics ( https://en.wikipedia.org/wiki/High_and_low_politics ) という言葉がある。
High politics とは、外交や安全保障といった分野を指す。
Low politics とは、High politics 以外の分野を指す。
High politicsでの失敗は、国としての存在に関わる。
Low politics もまた重要であるが、Low politicsが成功するには、High politicsの領域で国が安定していることが必要不可欠である。
そのためHigh politicsはLow politicsにまして極めて重要である。
High politicsで失敗するとどうなるかは、パレスチナ、イエメン、アルメニア、ウクライナ、ウイグル、チベット、【イラク】(2020-12-28 10:48追記)、そういった国々ないしまたは"地域"から学ぶことができる。
立憲民主党・その母体である民主党系の政党は、High politics を軽視している。
例えば鳩山首相(当時)は、日本中央政府・沖縄県・アメリカのいずれもが同意していた辺野古移転案を白紙化し「最低でも県外」を推し進めようとした。
それは失敗に終わり、期待を裏切られる結果となった沖縄県は辺野古移転案さえも拒否する結果となった。
例えば蓮舫副代表(当時)は2019年、F35の105機の購入計画を爆買いだと批判した。
2020年の数字になるが、中国は第4・第5世代機を1080機保有していることに対して、日本は309機しか保有していない。
( https://www.gyoukaku.go.jp/review/aki/R02/img/s2.pdf )
これを踏まえれば、必要な装備水準について現実的な対案を提起することなしの批判は支持できない。
こうした例から、立憲民主党とその母体はHigh politicsを軽視していると私は判断している。
不祥事を繰り返す自民党の議員たちは実に不快であり有害であると個人的には思う。
だからといって、High politicsを軽視した政党を支持することはできない。
そのためHigh politicsの分野で信頼できる政党ができるまでは、自民党を消極的に支持するしかない。
2020年9月10日の毎日新聞によると安倍政権への世論調査で
「最も評価が高かったのは外交・安全保障政策で、「評価する」が57%で、「評価しない」の27%を大幅に上回った。」という。
( https://mainichi.jp/articles/20200910/ddm/012/010/100000c )
2020年9月3日の朝日新聞でも、世論調査で最も支持されたのは「外交・安全保障 (30%)」であった。
(https://www.asahi.com/articles/ASN937F3RN92UZPS005.html)
こうした調査からも、自民党が支持される理由がHigh politics を重視し現実的な安全保障政策を取ってきたことにあると考える。
いただいた人気コメントと、新着コメントのうちいくつかにたいしてコメントしたい。
そんな大上段の話ではなく、ドブ板(冠婚葬祭や学校・地域の式典・イベントに顔を出す等々)と地盤(後援会)の過去からの累積が効いてる、って話では。単純接触効果は偉大ですよ。天下国家論じるだけでは選挙勝てない。
ドブ板地盤看板鞄が55年体制から現在まで自民党を支えたことは、私もそう思う。
しかしドブ板地盤看板鞄では、安倍政権が終了時に世論の支持率が上昇し、その評価する政策として「外交・安全保障政策」が一位となったことを説明できない。
北方領土が返ってこなくなったり,拉致被害者が返ってこなくなったり,Googleマップでミサイルサイト決めたり,自衛隊幹部一同が会食して一斉感染したり,high politicsってスゲェな!
4つの反論のうち拉致被害者の奪還の困難さを評価するのは難しいが、その他3点について言及する。
まず一般論として他国が実効支配している領土を交渉で返還できるのは極めて稀なケースで、北方領土が返還されなかったからと言ってただちにhigh politicsを軽視しているということにはならない。
ただし安倍政権がロシアのナイーブな善意を期待して対露譲歩(2島先行返還論への転換)をしたことが何ら成果をあげなかったことは特筆すべきであり、安倍政権が対露外交で大きな失敗をしたことに同意する。ロシアには善意や信義は通じない。国際関係論でいうところのrealism学派の外交理論を全面採用すべきであったし、せめて今後はそうあるべきである。
イージス・アショアの配備予定地の選定に防衛省担当者がGoogleマップを使用したか、及び自衛隊幹部一同が会食したかどうかについては、自民党がhigh politicsを重視しているか否かという論点には関係がない。
具体的な反論または質問の形に書き換えていただければ、解答したい。
「学術的に」という言葉に違和感を覚える方がいるのは理解できる。
というのも、「学術的に」とは曖昧な表現であって、この場合は「国際関係論という学問の用語を使って」という方が適切なのが正しい。
そうしなかったのは、そのタイトルだとたぶん読まずにスルーされてしまうだろうと予想したため。
例として挙げた辺野古政策、F-35、世論調査結果の全てにおいて議論が単純化され過ぎていて、「学術的??」となる。居酒屋の隣の席のオッチャンが言ってた。
単純化しなかった場合の議論とはどのようなものか説明してほしい。
「学術的に」は先述のとおり。
3点の反論にそれぞれ解答する。
1点目、普天間基地問題の解決は日米安全保障条約の運用の安定性に寄与することであり、日米安全保障条約の運用の安定性を向上させることはhigh politicsな課題にあたる。
2点目、戦闘機について。蓮舫氏は35に変わる代替機種などの提案した上で批判したのではなく対案なき批判となっている。
蓮舫氏が代替機種、あるいは戦闘機の購入よりも安全保障を向上させる装備体系の提案をしたのであれば、その内容に応じて賛成または反対をする。
3点目、防疫は安全保障の問題ではないか、という指摘はそのとおりだと思う。
具体的な反論または質問の形に書き換えていただければ、解答したい。
結論から先に考えてないかな?書かれていることは仮説でしかない気がします。データの根拠が弱い(30%って)ので、追加のレポート期待しています。
ただ、実験のできない、さらに統計もとれない分野ではこれ以上の根拠を持ってくるのは難しい。
「それでも自民党が支持されるのは」ではなく「それでも俺が自民党を支持するのは」だろう。太宰メソッドだ。Objectだけを分析してもSubjectの行動の理由を説明したことにはならないだろう
元国際関係論の学徒だが、もう大学の図書館にも電子ジャーナルにも入れない、本も経済的な事情で売ったので
そこは多めに見てほしい。
①筆者の挙げるパレスチナ、イエメン、アルメニア、ウクライナ、ウイグル、チベットの置かれている状況を日本に当てはめるのが妥当と言えるのかどうか。(経済力・人種・宗教・資源・地理)
High politicsに失敗した場合、例えば北朝鮮の核攻撃を主要都市に受けた場合に
それらの国々と日本の状況に大差はなくなると私は考える。
②外交・安全保障をHighとして、内政をLowと位置付ける概念は、政治学の中でメインストリームなのか、またそれは軍事関係者などのイデオロギーに影響されてないものなのか(引用にWikipediaっていうのも?だし、Wiki自体にも引用文献が少ないから疑問に思った)
国際関係論には、大きく分ければ2つの学派がある。1つはrealismで、もう1つはliberalism。
realism は、High politicsだけに関心がある。
liberalism は、High politics以外にも関心がある。だが、最も重要視するのはHigh politicsであるという見解はrealismと共通している。
これはliberalismの中心人物であるJoseph Nyeという学者が「安全保障とは酸素のようなものであり、それが希薄になり息が苦しくなるまでは、人々はその重要性に気づかないが、実際にそうした状況になれば、それ以外のことは考えられないほどに重要なのである。」と著作である「国際紛争ー理論と歴史」という本で述べている事実が端的に説明している。
「政治学」まで広げた場合はメインストリームかどうかはわからない。
「日本の、国際関係論を除く、政治学者」の間でのメインストリームではないとは感覚的には思う。
民主党政権時、外交側を軽視していた事例があった、としか書いてないような…。自民党が外交を重視しているとも、その結果が支持に繋がるという根拠もちとわからず…。
ご指摘のうち、「自民党の外交が支持されている」のは朝日・毎日の世論調査の結果で説明できていると思う。
「自民党が外交を重視している」例がないのはそのとおりだと思ったので追記する。
例として最も適切なものは、「自由で開かれたインド太平洋」構想の定着だ。
「自由で開かれたインド太平洋」構想は、麻生外相が2006年に行った演説にある「自由と繁栄の弧」 (https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/18/easo_1130.html) 構想、ないしは2007年の安倍首相のインド国会での「2つの海の交わり」「安全保障ダイアモンド」(http://www2.jiia.or.jp/kokusaimondai_archive/2020/2020-01_003.pdf?noprint) に起源がある構想だ。
これが、例えば2020年のアメリカ共和党の国家安全保障戦略報告書でも日米豪印(Quad)協力の継続・支持が提言(https://jp.reuters.com/article/idJP00090300_20200618_00220200618)され、アジア版NATOであるかと議論されるまでに定着した。
国際政治学者の細谷教授は、自由で開かれたインド太平洋に対して「過去1世紀半の日本外交の歴史の中で、これほどまでに日本が提唱した外交構想が国際社会に浸透して、幅広い支持を得たことはなかったのではないか。(https://apinitiative.org/en/2020/12/21/14345/)」と述べている。
「自由で開かれたインド太平洋」構想は自民党外交の最大級の成功であり、自民党が外交を重視している根拠としては最も適切なものだと考える。
「ないし」は漢字では「乃至」と書く.
最近の辞書には「または」の言い換えとしても見えるが, 「または」とか「やら」を使っておくのが賢明だろう.
「ないし」を使うと高尚で学問的な感じが出るためかネット論客はむやみに使いがちだが, 諸君, 漢字の意味をきちんとわかってて使ってるだろうか.
ご指摘ありがとうございます。修正しました。
標題に入る前に、自転車の歩道での無法が酷い、Uberではない。
自転車は原則左側通行であるが、その意識を持っている人は半分以下というか皆無だと思う。もう無茶苦茶である。
そもそも自転車が歩道を走ることが許されるのは徒歩の人を優先する事だと理解しているのだが、現状は全く実現していない。
色々と理由がある。
1)歩道で歩行者は右側通行で、自転車は左側通行である、という原則が行き渡っていない。
2)自転車が歩行者を避ける、そのためには徐行が必要である、ということも行き渡っていない。
その上で法の上での問題点もある。左側通行と右側通行が混在すれば、事故が起きる確率は跳ね上がるため、自転車は歩道上では徐行(すぐに止まれる速度で運行の上、徒歩者優先)という事実が完全に反故にされている。
原則として、自転車が歩行者最優先という原則が広く行き渡っていないことに強く憤りを感じるが、道交法の不備(歩行者は右側通行、自転車は左側通行)が存在するのに、自転車への抑制が伝わっていない。なんで小学校中学校で教えないのであろう?
さらにややこしくしているのが、多くの商業施設では歩行者にも「左側通行」を要求していることだ。
ここが面倒で制度設計が破たんしている、個人的には「人は右」を廃止して欲しい。
閑話休題。現状では歩道で、右側通行志向、左側通行志向の人が混在している(多くの駅では左側通行を推奨しているが、右を突き進む老人も少なくない。)。そんな状況で自転車が歩道を走れば、細心の注意が必要だが、講習はおざなりだ。事故の際には裁判で揉めるであろう。「人は右」のせいで
もう「基本左側通行」で統一して欲しい、そしてできれば自転車(軽車両)の歩道通行は、原則押し歩くにして欲しい。
強く望む。
「すでに自分は(元気で無症状の)病原体保有者かもしれない」と考えようキャンペーンを、世界中で始める影響力の高い人は出てこないだろうか。
昨今、世界中で罹患者、医療従事者、そして人種への差別が横行し始めている。
SARS-COV-2との戦いにおいて、罹患者、寛解者、医療従事者そして人種への差別行為は、利敵行為となる。
SARS-COV-2の思う壺となってしまう。なぜなら、差別行為が、感染疑い者の申し出を妨げ、潜航させてしまうから。そして医療従事者の離職を招くため。
「うつされたくない、怖い」という恐怖感が差別を生んでいるのはよく分かる。自分の中にもそうした感覚はある。
そこで、世界中で標題のキャンペーンをはる人は出てこないだろうか(インフルエンサーで)。
「すでに自分は(元気で無症状の)病原体保有者かもしれない」という思いを共有するキャンペーン。
そうした認識が広く共有されれば「うつされたくない」という恐怖から、「人にうつしてしまうかもしれない」という心配に気持ちが変わる。
他人からの感染より、自分の内なる敵の動きを探る方に気持ちが集中し、怪しい状況となれば、積極的に休む。マスクは人にうつさないためにする。手洗いも人のため。
「今まさに自分が病原体保有者」と考えれば、恐怖からそうした思考に変わらないだろうか。
甘いかな。
俺結構くノ一的な戦う和装束の女の子的なフォルムが好きなんだけど、悩ましいことがある。
標題の通りなんだがくノ一って大抵裾の短い装束か、全身タイツみたいなのが多いと思う。
ま、脚のラインがよく出る格好をしている。伝統的に。かげろうお銀あたりからそうだろう。
大抵、ミニスカタイプのくノ一は、ニーハイみたいな脚絆か、あるいはタイツ的(テカテカなのが多い)なのを着用している。
でも俺生足が好きなんだよな〜ってのが悩み。
そりゃ任務だから脚怪我しないようになんか着けた方がいいんだけどさーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
でも俺生足が好きなんだよな〜
『あずみ』とか『ヴィラネス』みたいなのが良いんだけど。難しい話だ。
私の10代は「相葉くんと結婚できないこの人生とは」という苦悩と共にあった。
相葉くんがこんなに好きなのに、今までの彼氏は全員相葉くんより好きになれないというのに、テレビをつければ(当時はマジ売れてなくて深夜番組ばかりだったが)こんなに明るく私に笑いかけてくれるのに。話もできない、ましてや友達にもなれず恋人にもなれないなんて…。と、ものすごく絶望していた。10代最後の2年間はほぼ引きこもりのような生活(認知症が始まったおばあちゃんのヒモ)をしていたけど、その間は嵐のDVDを見すぎてMCのリップシンクができるようになっていた。オタ友がいないので、善意で高等学校卒業程度認定試験の勉強を教えてくれている幼なじみに向かってバーミヤンの喫煙席で嵐のモノマネを疲労し続ける日々。不安感で眠れない夜は、私と相葉くんが恋人同士の次元に思考を飛ばしてなんとか乗り切った。その次元では嵐のメンバーが私と相葉くんのリレーションシップを多大に祝福してくれていた。
そんな日々は専門学校に受かり、私が実際に触れる距離の人物に恋することで終わりを告げる。ちょうど東日本大震災の直後、私は担当が「頑張ろう、ニッポン!」とか言いながら君が代かの如く日本の幻影のような郷里への思いを紅白で歌いあげる(もはや日本中が知っているが相葉くんは歌が下手)ことに耐えられなかったこともあり、自然と相葉くんと私の蜜月は終了を迎えた。
その後、嵐は国民的スターの地位を確固たるものにしていく。本当に「見ない日はない」そんなスターになった。その昔24時間テレビで相葉くんが涙ながらに語った「みんなでトップになろう」の夢は叶ったように見える。
相葉くんは、嵐は、私の水様便かのごとくグズついた脆い10代を完璧に生き延びさせてくれた最高の恩人だ。身の回りで実際に迷惑をかけた親類友人知人と同じくらい感謝している。
活動停止の発表にはびっくりしたけど、それよりひとりも欠けずに20年もやってくれたことへのありがたみがすごい。
長いな。標題の件だ。ジャニーズに所属するタレントが結婚を主とした「個人の選択」のタイミングを事務所にコントロールされたりしてんじゃねーか?ってことは、ファンだけではなく世間の人も感じているだろう(もちろん私はパンピーなので事実は知らない)。
会社にとって所属タレントは人材であり商品だろうか。“商品価値”が下がるようなことはして欲しくないと思うのは、まあイカレポンチの発想だし恐怖だが、そうなんだろう。
だがファンは違うだろう。ファンは、いやファンじゃなくてもだけど、ことさらファンは彼らの人生に口を出してはいけないだろう。誰と結婚するか、いくらの家を買うか、どんな今後を選ぶか、好き勝手言うのはあまりに格好悪いだろう。
その窮屈さが、嵐に活動停止を選ばせたとは思わないのか。その窮屈さは、翻って発言した自分をボコしてくるのではないか。「誰と結婚するか、いくらの家を買うか、どんな今後を選ぶか」。例えばそれは常連のお客様に、営業先の顧客に、口出しされることか?
推し・担当の熱愛が許せない人にオススメなのは、バックストリートボーイズのメンバーが開設しているインスタグラムアカウントをフォローすることだ。もちろん文化圏が違って、ものすごくカップル文化の国の話だからそこはまた事情が違うとは思う。だがしかし、彼らは自分のアカウントに子どもの写真を載せ成長を喜び、パートナーへの感謝を述べ、メンバーとの2ショット写真をポストしてくれる。
もちろんパートナーや子どもの写真を見せろ!と言う話ではない。彼らの歌や言葉で人生が明るくなったり肯定されたのであれば、ファンは「口出さない」と言う方法で彼らの人生にせめて闇を落とさないことができる。嵐に幸あれ。愛してる。
物心ついてから初のうんこ漏らし。なるほどこれは衝撃でかい。みんな増田に書く気持ちがよくわかる。
今日は仕事ででかいイベントがあるから緊張していて、1時間以上早く目が覚めてしまったり昨晩から食欲がなかったりと、体調がいつもと違っていたのは事実。緊張するとお腹が痛くなる体質なのもわかっていた。それで朝からトイレに何度も行って、大体出し切ったかな?という感じになり、顔を洗ってパリッとした服(※当社比)に着替えて、それでもまだ出かける時間には早いのでスマホいじってダラダラしていたらふと下腹部に屁の感じがよぎった。今思えばここで素直にトイレに行っておけばよかったのだが、「屁です」「よし通れ」のコピペまんまの感覚でひってしまった。
ただ恐ろしいことに、事ここに至っても漏らした自覚はなかった。元々肛門が狭い(?)のか、いつも屁をひると音が鳴るしケツに響く感覚もあって、今日もその範囲内だと思った。そのまま数分過ごしてから、念のためもう一度トイレに行っておくかーと動いたら、標題の通りの事案が発生していたという訳である。サイズで言うと親指大ぐらい。パンツ以外に影響はなかった。
幸いにして発生場所が自宅、かつ時間の余裕もあったので、そこからパンツを洗い、せっかくのパリッとした服(※当社比)もなんとなくアレなので全部着替えて、いま通勤電車の中でこの増田を書いている。うん漏の衝撃がでかすぎて緊張も何も吹っ飛んだので、ある意味でそこは良かったのかもしれない。ハイライトの消えた目で落ち着いて臨めそうだ。
今日得た教訓: (1)うんこは全部出し切ったと思ってもまだいる。腹部が不穏な時はとにかくトイレへ。(2)大事な用事がある日は早起きしよう。(3)増田に書くと心が落ち着く。
標題のような愚痴やダンナだけ自分の好きなことをやって、自分は家事・育児に追われている…みたいな内容の愚痴をSNSで良く見かける。
最初のうちは「大変だなぁ」「気の毒だなぁ」と素直に同情していたんだが、あまりにもその手のネタが多いので、「そんなにイヤなら早く別れれば良いじゃん」と思うようになってきた。
せめて子どもを作ってしまう前に相手がそういう男だということに気付かないんだろうか。専業主婦とかパートとかで、ダンナの収入がないと生きていけないのだろうか。
少なくとも夫がATMとしては機能していて、その収入がないと貧困に陥る状況ならば、「ダンナを根気強く教育して自分の思い通りに動くようにする」か「自分が我慢して家事も育児も全部やる」の二択ではないのか。
「そんな男を選んだお前が悪い」「それなりに稼げる仕事をしていればいつでもダンナと別れられるだろう」と思う私は間違っているのだろうか。私も昔結婚していたけど、男女平等に給料のもらえるところで働いていて、ダンナがいると家事や義理実家との付き合いなど面倒が増えるだけなので別れた。
まぁSNSだけのつながりの人なので愚痴を見たくなければ相手の投稿を見ないようにすればすむ話なんだけど、自分の選択の誤りをさも「全部夫が悪い」かのように書く女もいかがなものかと思う。
最近ガチのマジの新生児が性癖という増田が居たが、それに比べると自分は割とノーマルなのかもしれないなと思う。
自分は、標題の通りの女の見た目をしている女にしか惹かれない。ストライクゾーンがすごく狭いのだ(ただし年齢はぜんぜん気にしていなくて、10歳上とかもお付き合いしたことがある)。
微妙に当てはまる人はいても、完璧に当てはまる人というのは中々居ない。付き合い始めたころは当てはまっていたけど、だんだん垢抜けだして地味じゃなくなったりコンタクトにしだしたり髪を切って染めたりして当てはまらなくなるというケースもある。
眼鏡フェチには有名な「屈折リーベ」という漫画がある。この漫画の中で、異常な眼鏡っ子好きの男が出てくる。奴は眼鏡っ子の彼女がいるが、彼女が眼鏡をかけていなくても愛せるのか?という問題に直面し苦悩する。
自分には無理だった。
何かよく分からないのだが、この外見を備えている女の人は、なぜか皆優しくて気が弱くてオドオドしていて、可愛い声をしていて(でも小さいので何言ってるかわからないこともある)、ちょっと抜けてて、読書好きという特徴を備えている。つまり中身も素敵な人々なのだが、やっぱり見た目が変わってしまうと興味が失われていってしまう。我ながら最低だと思う。
赤ちゃんの増田のブコメで、その個別の赤ちゃんの人格とかを無視して、ただ性欲のみがある、尊重してない、みたいなことが書いてあったけど、まさにそれで、ものすごく突き刺さった。
どうしたらいいんだろうな。
まじで。
9月に子どもが生まれました。めちゃくちゃ可愛いです。日に日に馬鹿みたいに大きくなっていきます。幸せです。
それはそれとして子持ち既婚者ってどこでシコればいいんでしょうか。
子どもが生まれる前は、夫婦共働きだし妻が不在にすることも多々あったのでそこそこシコれていました。
出産前後の数ヶ月は里帰りしていたのでそれはもうシコリ放題でした。
でも今無理じゃん。常に妻は家にいるし、たまに妻が外出するときは息子いるし。
セックスレスなわけじゃないんですよ。出産して頻度は減ったにしてもそこそこ夫婦の性生活は円満なんです。
古来から5億回くらい言われている事今からもう一回言いますけどセックスとオナニーって別物じゃないですか。
私は妻も抱きたいけど霧島さくらで浜崎真緒で吉永あかねでシコりたいんですよ。
それで標題に戻るんですが子持ち既婚者ってどこでシコるんですか?
考えてみれば自分の父親がシコっているとこ見た事ないし、父の背中から学べないこともあるんですね。
夜にトイレで?21世紀ぞ。なんでこの21世紀にトイレに夜中コソコソ起きてシコらないといけないんですか。てか妻眠り浅いから夜中にトイレいったら起こしちゃうし。
夜、妻が寝るまで待って?言ってなかったですけど私がっつり時間かけるタイプなんです。下手すりゃ2時間とかかけたいんですよ。いつ起きるかも分からん妻の隣部屋で2時間陰部を摩擦する?
そりゃよござんすね。実現不可能ということに目を瞑れば。
近くで猥談を声高にされていやでも耳に入ってくる、ストリーキングなどで卑猥な恰好の人間が目に入る、店でエッチな作品が陳列されているのが目に入る、ネットでエッチな広告が表示される、テレビでエッチな描写が流れる、映画でエッチな描写が流れる、
うーん。正直「目にしただけで嫌な気持ちになる」ってどうなんかな。
映画でエッチな描写については、それはそれを選んだ人の問題だし……あなた一人のために全員が見たかったシーンを取り除くってのも違うでしょ。
ストリーキング…全裸で走り回るパフォーマンス?とか見たこと無いんだけど何それ……それは犯罪で捕まると思う。
ネット広告もエッチな作品も避けれる問題だろ。大体場所は決まってるし、広告ブロック使えば避けれるでしょ。
標題のとおり、「駅で肩が軽くぶつかっただけで訴えてやる!」って言う当たり屋みたいだ。
自らぶつかりにいったのに声高に訴えてやる!って叫びまわってるような感じ。
社会生活のストレス(自身の離婚、家族の病気、上司との相性)から心療内科に通っていた。その後3ヶ月職場離脱後復帰した。
その間、薬の取捨選択をした。残ったのが標題のソラナックス0.4mg錠だった。
具体的な効能としては気分が落ち込んだ時に飲むと数時間後には普通に戻り、約半日効果がある。職場復帰後は冬の月曜日に向けて日曜の夜に服していた。寒い朝&月曜日が気落ちがするからだ。
職場復帰後は、毎日ではなく、気落ちしそう・やばそうな日の前日に飲む程度だったので、2週間分を半年で消費する感じだった。(個人的には中毒性は無かった)
ここ1年で2泊3日(または3泊4日)の出張(仮に複数日出張と呼ぶ)が3回あった。御年アラフィフ、疲れが溜まる(出張では飲むというのもある)。複数日出張の後は疲れがどっと出て、いつも出張報告の後に休むことが多かった(薬使用せず)。
今回土日月の出張で、金土は飲んだ、日曜の夜は疲れていて飲めなかった。月曜朝も疲れはとれず、薬を飲んだ。すると1時間ほどで疲労感は消え、月曜は乗り切った。火水曜日は薬を飲まずに乗り切ったが木曜日の午後から疲れがどっと出た、もう薬は効かなかった。
覚醒剤とは「疲労・睡眠を忘れて仕事ができる薬」と聞いたことがある。当然、薬が切れれば廃人のように疲労感が襲うこととなるとのこと。
かなり似た状況(疲労をおして気分を高揚させた)を体験できたのではないかと感じている。もちろん今後覚醒剤を摂取したいとはこれっぽっちも感じない。
話題になっていた標題の記事を読みました。いろいろと考えました。
内容そのもののこともそうだけど、訳がやっぱこなれていないのなかなぁと。
たとえば、私だったら、下の本文の原案の訳は、次のように考えます。
”The capital-T Truth is about life before death. It is about making it to thirty, or maybe fifty, without wanting to shoot yourself in the head. It is about simple awareness-awareness of what is so real and essential, so hidden in plain sight all around us, that we have to keep reminding ourselves, over and over: "This is water, this is water."
真実、といっても、普通の真実じゃなくて、カッコづきにしたいくらい別格の『真実』ですね。
その『真実』とは、死を迎える前の「生」、つまり皆さんが生きている日々のことです。
自死、つまり自殺などしたいと思わず、30歳、人によっては50歳くらいまで、何とか生きていくこと。
何が本当にリアルで、大切なのか、私たちの視野に入っていて、そのままの中に溶け込んでいるいることに対して。
そして、私たちが何度も、何度も、自分自身に対して注意を向けなければならないことなのです。
まるで、水のように。
魚にとっての、水のように。と。
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・”Tを大文字にした真実”は、つまり”平たい真実ではない”ってことと解釈。
・make it to 30 or maybe 50を読んだとき「生き延びる」に近いニュアンスに感じたのと、この場合のmaybeは、「場合によっては」のニュアンスかなと。
・アメリカとかだと銃が蔓延しているので、shoot oneself in headはなじみ深いけど、字義通り訳すと日本のスピーチではあんまなさそう。と思って、平たい自殺に。
・It is about~から始まる、重要だけど、やや長いところは、文法的にがちがちに解釈せず、あえて切り分けた。
これは文字として読ませた文章ではない。なので、あるメッセージを連続してつなげてお話しているイメージでとらえたので、
むしろ一つ一つが独立した区切りで実際はスピーチしてそうだな、と考えた結果。
・awareness-awarenessの訳に「意識高い」って言葉を使うのは結構悩んだけど、「意識をもつ」という平たい表現で「意識して意識をもつ」とすると
日本で「意識高い系」なんて言葉が生まれたのが良くないねーなどと考えましたが、そこに翻訳に際して文化的側面が影響を与える興味深い事象などと思ったり。
・hiddenの訳を最初「潜む」って訳しましたが、「見えてるけど実は意識しないと見えないもの」だとしたら「溶け込む」っていう表現ありかな、などと。
・This is water。この訳は、いろいろとできそうですね。私が文面から感じたニュアンスは、訳のとおり。
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別に翻訳家でもないけど、言語表現についてはいろんな局面で考えることがあって。
「これは水です」の中身はとってもしみじみと感じ入ることができたわけですが、
https://anond.hatelabo.jp/20180808075938
要は、器楽部に演奏実態ができる様に適切に演奏者を追加してくれということである。現状器楽部は殆ど何も合奏できないし存在意義が謎だ。
この3つは最低限の合奏をやるために少なくとも必要な楽器である
最低限の合奏をやるためには同じ楽器を演奏する複数の奏者の存在が不可欠だ
そして彼らは特別な絆で結ばれる。いわゆる「パート」というやつだ。この尊い関係に感じるものはないのか?
楽器の違いでキャラに個性をもたせようしているなら今すぐやめてくれ
そんなにそうしたいならカズーでも吹かせておけばいいだろう。楽器とはびっくりどっきりメカではないのだ
人類初のワグナーチューバ専に関係する話である。要は彼女をホルン奏者にすればいいのだ
ホルン奏者だが、ふと聞いたワグナーチューバの音色に取り憑かれ…そういう形でマイナー楽器を愛するようになった奏者は沢山いるだろう
普段はメイン楽器吹いて食っているが、チャンスさえあれば本当に自分が愛する楽器を皆に聴いて欲しい…
ピアノ調律師、実に素晴らしい夢ではないか。そしてピアノは万能の楽器である
なぜここを明らかにしてプッシュしていかないのか真剣に謎である
実はここにはさして文句はない。それは創作者の選択の問題であり、それは創作者の自由である
ただ、一つ言うことがあるとすれば「絶対音楽」という言葉を知ってほしいぐらいかな
まあコレ自体がクラシックの気難しさを象徴するような語だがこれは「歌詞を持たない音楽の中で
物語その他文学的な何ものか(標題)を音楽で表現しようとする音楽でなく、音楽そのものを表現しようとするような音楽」のことである
要は「音楽の音楽による音楽のための音楽」である。多くのクラシック曲がこれに分類される
つまり相当数のクラシック曲には「メッセージ性」というものがないのだ