はてなキーワード: 担保とは
本件はマスクの問題だったのではないか、黒人差別が発端だったらどうか、というのが本筋の話だと思っていますが、違いますか?
警察官の権力運用は慎重で、機長の権力はそうでない、というのは、
ちょっとわからない(賛成できないという意味ではなく、知らない)ので、抽象的なことしか言えませんが、
秩序維持権は「現に運航秩序が脅かされている」ことを想定するので、
例えば犯人追尾や強制捜査執行時のような、即応的な場面の警察官に準じた強い権利行使を認めているのではないでしょうか。
どちらも法で規定されていて、その運用の当不当は、裁判(国家賠償請求か、民事訴訟か、という違いはありますが)によって最終的に担保されるので
普通の人がいう
これは
「雨になる確信がある」
とも
「雨になる確率が高い」
とも違うじゃん。
でも気象予報士がそれを言ってたらおかしい。冗長に聞こえる。確率と確信を保証する責任者が同じになるからだ。
確率の正確さを担保するのは気象予報士側、確信の確からしさを担保するのは発言者だ。
例の発言を、学者が変更させるよう働きかける責任者、と捉えていると意味不明に聞こえるだろう。
でも彼は責任者ではない。
正直、大坂選手って完全に日本人というよりアメリカ人ないし黒人のコンテクスト(少なくともそれを売りにしていて)、それに対して日本人らしさ、同集団であるという意識を感じない人が一定数いるのが理解できないんだろうか。
スポーツにおいて同じ集団であるというのはとても大切で、だからこそオリンピックや国際大会は盛り上がる訳。ある種のナショナリズムに非常に近いものによってスポーツは担保されてる。
ここでいうナショナリズム、同集団意識が単なる国籍ではない事は、ラグビーの国際大会の盛り上がりを見ても明らかだし一々言わない。
一方でこの手のナショナリズム的な部分は小さな問題になる事は割とある。
それが顕著なのが日本野球で「敵チームの間は散々叩いてたのに、移籍によって味方チームに移ると態度をコロっと変えるのはどうなの?」みたいな問いかけは毎シーズンされてる。
これはスポーツのナショナリズムが持つ悪い面だと思ってるけど、上記の発言はそれも含まれていて二重にタチが悪いなと思う。
1.「日本向けにローカライズされたキャラクターでは無く、同質意識が持てない」という(言ってしまえば個人の)問題
2.にも関わらず、「同じ日本国籍である」というナショナリズムの押し付けの問題
の2点でクソだよね。特に後者はなんで燃えないのか謎なんだけど、それを問題と思う左派は少ないらしい。(左派のナショナリズム化は度々指摘されてるから仕方ないけど)
専門知識を売りにするVtuberをやる場合、内容の正しさの担保に心を砕く必要は薄い。
視聴者が少ない時期は、そもそも視聴者は零細Vtuberに厳密な正確性を期待しない。
視聴者が多くなれば、視聴者の中に識者みたいな人たちが出てくるので、そいつらが推しの布教としてVtuberの発言の正しさや補足をツイッターとかで語ってくれるのが担保代わりになる。
でも専門的な内容をウリにするVtuberはほぼ出てこないし、はじめてもあまり長続きしないわな。
Vtuber 学者 とか、 Vtuber 研究者 とか、youtubeかTwitterでそれっぽい検索をすれば出てくるのでゼロではないが、少ない。
その理由は主に二つ。
専門知識を語るやつって、知的好奇心を刺激してくれそうで一見面白そうだが、まーーー視聴者がつかない。
たとえば、夜子・バーバンクってのがいる。こいつは学問ではなく映画に特化したVtuberである。
https://www.youtube.com/watch?v=ABB0QlGKul4
中堅事務所のバルス所属で、映画館HUMAXシネマズの公認ももらってて、しゃべりも実績のある人をキャスティングしている。
だが、映画というそこそこ(まあ少なくとも学問よりは)間口の広いものでも、それ特化では視聴者が伸びない。俺は好きなんだけどな。
人気Vtuberがたまに好きな映画を紹介するとか、月に一回歴史の話をするとかだと好評だけど、毎回やられるとうけない。
あとネタ切れは言うまでもない。
最初の頃は詳しいし面白いことを紹介できても、ある程度回数を重ねたら、動画で説明しづらい事とかウケの悪そうなことしか残ってなくて、結局はキャッチーさ重視で知識の曖昧な物事とか胡散臭いソースをもとに語ることになって堕落する。
あいつも賢いとか説明がうまいとか言われててYoutubeも最初は好評だったけど、そのうち変なこと語りだしたり、聞きかじり読みかじりの受け売りを言い出して叩かれまくったじゃん。
そういや中田のムーブは、情報の正確性をどう担保するかの参考にもなるな。
追記9/13
学問や映画は需要が少ないからでもっとオタ受けするのにしろって意見もあるが、漫画への造詣が深く、初回の薩摩義士伝語りでバズりまくり公式も反応するほどだった黒ギャルVtuber皇牙サキはめっちゃ期待されたが結局ジワ沈みして引退した。
結局オタクコンテンツ語りは、アニメも特撮も漫画も配信上に乗せられないのが痛すぎる。
なのでどいつもこいつもゲームに特化することになってしまうんだなぁ。
歌とかASMRとかは乗せられるからそのスキルがあるやつはそれでやってけるけどな。
こう考えると、配信に直に乗せられるネタが強いんだったらやっぱり学問系がいけるんじゃないかと思いたくなる。
歴史、経済、理科などの情報を自分でパワポにでもまとめれば配信にわかりやすく乗せられるからな。
本文では「映画でも人が来ないのに、学問系はもっと需要ないだろ」みたいな書き方をしたが、「需要は映画が高く学問は低いが、映画は元コンテンツを直に見せられないというマイナスと、学問は見せられるってプラスを勘案すれば、配信ネタとしては学問の方が強いのでは」って仮説にも一理はある。
Youtuberは配信頻度がめちゃくちゃ重要だから、すげー勢いでネタが消費されていく。
同じVtuberでも、割と練ったコンテンツを週イチでやってる頃と、普通のゲームプレイを連日やってる頃、どっちが登録者数増えるかつったら悲しいけれど連日やってる頃なんだな。
ということで、伸びるために頻度を高くすると遠くないうちにゴシップやデマスレスレの煽情的で胡散臭い話をするようになるし、頻度を犠牲に質を保つなら伸びないし、ってことになる。
ま、専門知識でオタク層にチヤホヤされたいなら、赤月ゆにみたいにググれば出てくるような「今日は○○の日」って情報をちょっと見栄えのいい数分動画にしてTwitterにアップするか、物理たんとか数字に詳しい悟空とかエコノミクスアライさんを名乗ってTwitterでなりきり専門家をやるのが可能性あるわ。
NTT DoCoMoが何やらへんてこな送金サービスだかを展開して大事故を起こしたというニュースを見ていて思った。
「そういえばNTTデータってセブン銀行のATMとかやってるじゃん?系列内でこの差っていくらなんでもひどすぎるんじゃないの」
と。
それと、このシステムを考えた人の銀行の仕組みについてのリテラシーのなさというのもものすごいと思ったので少し書いてみようかな。
まず、銀行でATMにカードを入れて、暗証番号を入れて、というように使っていると思うんだが、実はユーザーが使っている裏でかなり激しいセキュリティの攻防が行われている。
すっごい昔は銀行カードの磁気スリップに暗証番号とかが記録されていたので容易に複製ができたそうだが、そんな時代はもう過去のことなのでこういう文脈で話す人がいたら、「今は令和だ、昭和じゃない」とだけ言って終わればいい。
まずATMは単に設置してネットワークの設定をして終わり、なわけがない。これができたら誰でも不正なATMが作れてしまう。この辺の仕様は余り公になっていないので、多少想像も混ざることを許してほしいんだが、ATMにもチャレンジ&レスポンスという仕組みで認証をしているはずだ。これは携帯電話でも使われている。
細かいことは省くんだが、ATMをつなぐ時に、サーバーが暗号化したデータを送ってきて、「正しい答えをそっちで改めて暗号化して送り返せ、正解したら接続させてやる」という仕組みだ。実際にはもっと細かいんだが、単に機械にLANケーブルをさして終わるものではない。
次に、銀行のカードにも今は暗証番号データは入っていない。おそらく暗証番号を使ったチャレンジ&レスポンスをしているはずだ。実は銀行のカードは2要素認証が取り入れられている。カードを持っていること、そして、暗証番号を知っていること。
2要素認証は持っているものと知っているものの組み合わせで認証を行う仕組みだ。
今回のDoCoMoがしでかしたのは、この2要素認証の仕組みを迂回する仕組みを作ったことだ。おそらくだが、そういう仕組みが金融業者にのみ公開されていたのだろう。利用者が特定できないことが担保された仕組みならばそこまで厳重なセキュリティは作られない。この仕組みを一般ユーザーに使わせることを許したのが一体どこの誰かは知らないが、本来であれば金融庁はこの許可した輩にもかなりの厳重なアプローチを取らなくてはならない。
この事故はDoCoMoだけのせいではない。DoCoMoは銀行ATMのラッパーを自分たちのサービスに利用する許可を誰かから取り付けたはずだ。本来であれば秒もかからずに却下されて然るべき案件だ。
最初に「NTTデータという金融系のかなり強力な会社があるのにこの体たらくは何だ」と書いたんだが、驚いたことはもう一つある。
それはこの文章は、「携帯電話の仕組み」というのをベースに予想して書いているからだ。そう入っても多少の知識は銀行についてもあるので、そこまで大ハズレではないと思うが。
携帯電話は、携帯電話本体と、携帯電話ネットワークとの間で機体の認証を行う。これはかなり強力な仕組みで、基地局も認証されるし、本体も認証される。これには日本人が考案したKASUMIというアルゴリズムが用いられている。そしてSIMカードについても同様だ。携帯電話を利用するためにユーザーは本体の電源を入れるだけだが、裏では凄まじく強力なセキュリティが敷かれている。
そんな強力なセキュリティの知見を持っている会社は一体どこか?
1. 金融系SIerであるNTTデータがグループにいるのに事故を起こしたということはデータとDoCoMoの間での情報共有がされていたのか?
2. 下手したらATMよりも強力なセキュリティの知見があるNTT DoCoMoでこんな雑なセキュリティのシステムを作ったのか?
おそらく人類が利用しているセキュリティの中で強力な方から1番目と2番目の知見をグループ内に持っている会社がこういうことをしている、ということの意味はもっと重く考えられなくてはならないはずだ。
さっきから勢いのまま考えたことがあったのですが、書いているうちに内容が二転三転しだしたので、ある程度内容をまとめてみました(考えが十分だとは言ってない)。
多分に思慮不足・考慮不足な面があるはずですので、そのあたりご理解いただいたうえでご笑覧いただけたら幸いです。
というか気づいたら5000字超えているという時点で深夜ノリでもある(=きちんと構成を決めて書いてはいないため)。
本題ですが、個人的にバーチャルYouTuber通称Vtuberが好きでよく聞く・見るんですよ。でもエンタメ系の方ばかりで、例えば自分の大学院での専攻に関係したりとか、またそれだけに限りませんが、そういった専門知識的なことを売りにする方を追えていないんですね。僕のような青二才でも「そういう専門的な内容を扱う人って少ないのでは???」と思いつくくらいですから、確実に存在すると思うんですが。
で、そこでなんですが、その内容を「真実、ないし少なくとも一般に公開するに足る内容である」と担保するのって、そういうVtuberのような方だと大変だと思ったんですよ。
少し話がそれますが、昨今の情勢からYouTubeに講義をアップロードされている先生方がいらっしゃいますよね(畏れ多くもTwitterでフォローさせていただいている先生方の中にもいらっしゃいます)。先生方の場合は、もちろんそれを見る学生さんが「その先生ご本人の公開されたものである」から見るわけであって(それでも見ないケースがあったり、またネットの世界で「明確にそのユーザーが現実世界に存在する人間そのものである」ことを証明するのは難しい、というような内容は考慮しないものとします)、そのために明確に「このアカウントは私(前述の先生方)本人です」と明かされています。その「先生ご本人である」という証明のもとで、「お話しになる内容が本当のことである」(「その先生ご本人が話されるに値する内容であると認識される」)と担保されるのだと思うんですよ
長々と書いていますがここからが本題です。ですがこのVtuberの場合、そうした担保をするのは一工夫しないと難しくなります。なぜならば(あくまで個人の見解ですが)Vtuberはネットの世界にバーチャルとしての体を持つものであって、現実世界の人間そのものではないからであります。
要は「実際の人間社会で、ある程度Vtuberそのものとして信用に足るような業績などがない場合、その発信する内容が真実かどうかを担保するのって難しいよね」ということです。例えば高校くらいまでの「幅広い人が多少は知っている・名前を聞いたことがある」ような知識は、そのような本人の信用はそこまで関係してこない(発信内容だけを考慮してその真偽がわかりやすいため)としても、専門的な内容になるとその内容だけでは真偽を決めづらいんじゃないかな、と思ったわけです。
なお上記では「そもそも学問的な・専門的な知識だけでなく知識というものは、その内容を丸っきり信用するのではなく、常に批判的な目で見つめるべきものである(ので、そもそも内容の真偽を『発信者の属性で判断する』こと自体が不適当である」ということは無視しています。その通りだとは思うんですがね。
またVtuberとしてでもその内容を担保する方法として、例えばその内容の中で学術的に認められた文献などを参考にしたことを明言する、というものもありえましょう。
さらに直接的に担保する方法もあります(メタくなります)。例えば、ある現実世界の人間がそのVtuberの「プロデュース」などをする場合。これは「実際にプロデュースをする」(その現実の人間自体はVtuberにならない)場合と、「あくまで現実の人間はプロデューサーであって、いくらそのVtuber本人がその現実の人間と似た声や性質を持っていたとしても別の者である」と主張する場合の2通りがありますが、いずれにせよ「現実の世界にいる人間が密接にそのVtuberに関わっている」ことを示せます。またこれ以外にも、まるっきり現実の人間と同じ存在である(バーチャル体としての肉体を持つだけであって、その中身(いわゆる「中の人」)は現実の人間そのものである、とすることもできます(生身の人間そのものではなく、それにバーチャルな体を与えているため、Vtuberとしては成立すると考えています)。
結構ずるい書き方してるな、とは思うけど、論点は以下の2点あると理解している。
1.本来なら信頼できる企業側が審査の上で顧客の信頼を担保して銀行と結ぶ前提(慣行)で制度設計されている口座振替契約を、個人が銀行と契約を結ぶ設計としたことの問題指摘。
2.犯収法上(正確には施行規則)の口座振替時の本人確認は確かに実施しておりドコモ以外でも各種サービスでそれを本人確認とする慣行があるけど、本質的にこれは本人確認としては成立してないことの指摘。
1はドコモの問題。2は法律側の問題。ただその後のツイートを見る限り、慣行違反である1より、脆弱性を抱える銀行側をより問題視しているって感じ。特に銀行側に大きな問題があるムードにならないのを懸念しているよう(https://twitter.com/HiromitsuTakagi/status/1303674341545054208?s=19)なので、かなり銀行に厳しい言い方してるけど。
一般的に銀行と口振受付契約をする収納機関は「本人確認がなされている人が連携されてくる」ことが信頼ベースで担保されていることが前提になっているはずなので、まさかこのWeb口振受付そのものが本人確認の手段になっているって思って作ってないと思いますよ。
https://novtan.hatenablog.com/entry/2020/09/09/102301
ここ読んでて、ちょっと前に話題になったKyashって銀行口座登録で本人確認ヨシ!じゃなかったっけと思って検索したらやっぱそうだったわ。
銀行口座を登録したにも関わらず本人確認アカウントとならない場合は、登録を行った銀行口座の本人確認が完了していない可能性がございます。
https://support.kyash.co/hc/ja/articles/900002136303
やったぜ!これでKyashのリアルカード発行できる! 顔写真付きの身分証明書がなくても、銀行口座登録で本人確認できるようになったの神すぎっすよ。Kyashさん
https://twitter.com/takara2314/status/1302955604609122304
Kyashの場合、アカウント作るのSMS認証だけでいい(代行業者使えばいくらでも通せる)し、今回のドコモロとほぼ同じ状況じゃん
実際に問題おこらなかったとしても、今回の件でなんとかPayに口座紐付けやめとこ・・・ってなる人増えるだろうし、アップデート直後にこれは「持ってない」といわざるをえない
何か大きなものに縋っていれば知性が担保されているとでも思っているのか?
まったく嘆かわしいほどに惰弱だよ。
小さくとも自分の手で組織やコミュニティを作る。そういうことによって人間の知性は育っていくのだ。野生の中であがくことで、な。
党綱領
#COCOAボランティアデバッグ に尽力されている皆様に深い敬意を表します。
併せて、 OSS コミュニティへの悪影響を残している関係行政機関・各社担当者を強く軽蔑します。
project dead? · Issue #773 · Covid-19Radar/Covid19Radar · GitHub
(注) これはアプリケーション固有の問題ではない( Apple-Google API の問題)が、前項の問題点と併せることで脅威となりうるので便宜的に示しておきます
※一部で報じられている「保健所から COCOA への陽性情報の登録に必要な処理番号が即日発行されない」などの問題もありますが、ここでは省略します
※以下はあくまでシミュレーションであり、 COCOA の悪用を助長する意図はありません
細かい説明や具体的な表現は控えましたが、この攻撃を仮に受けたとして致命傷に近いダメージを受ける事業者は少なくないと思います。
事業所単位で COCOA の導入を推奨している管理者は直ちに見直すことを推奨します。
本日より COCOA の導入を促すテレビCMが放映されているようです。( #検察庁法改正案に抗議します で一躍有名になったきゃりーぱみゅぱみゅ氏などが出演されているようです)
一方で COCOA アプリケーションのリリースは 2020年7月13日 にリリースされた v1.1.2 を最後にアップデートが途絶えており、不具合ととれる多数の事象は解決されず、上記に挙げたような問題点が払拭されることも残念ながら当面は無さそうです。
世間では高ぶる正義感からか COCOA の導入を声高らかに勧めたり、従業員やビジネスパートナーに導入を強いている管理者も現れているようです。
このエントリを通じて、そのような方々へ抵抗出来る材料が提供できれば幸いです。
冒頭のように COCOA の原型であるとされる Covid-19Radar/Covid19Radar プロジェクトも OSS にあるまじき「放置状態」が続いています。
これが GitHub を買収した企業に所属する人間の所作ですか?
IT/ICT や OSS を通じて昨今の COVID-19 感染拡大を発端とする諸問題を解決する動きは支持したいですが、このような杜撰なサービス運営により IT/ICT や OSS に対する世間の期待を悪化させることを強く憂慮しています。
1. 内閣人事局
忖度の元凶と言われているが、高級官僚の出世のための政権へのおもねりも、安倍政権が長期的であったことに担保されていた。次の政権が流動的になる可能性があるなかで、官僚たちは誰に尻尾を振っていればよいのか、安倍政権時代に登用された官僚と次の総理大臣との軋轢が起きないか。官僚人事に混乱を来たすことは必至。
2. 官房機密費
ネトサポの資金源であったとして、安倍個人崇拝に傾きすぎ、この辞任騒動で教祖が辞めるというので末端はバラバラ。時間とカネをかけて作り上げたネトサポシステムは、指導者層にはカネが回るが末端には虚栄心を与えるのみの形。カネには色はつかないが、次の総理大臣が末端の心を支配できるか非常に疑問。
3. 小選挙区制
安倍の発明ではもちろんないが、安倍政権を長期化させた最大の原因。与党第1党が地滑りで大勝する、この構図は恐らく誰がやろうがそうそう変わらない。日本は二大政党制に失敗し続けているし、二大政党制が完全に成立するには、早くても10~15年はかかるだろう。つまりは次の政権も選挙は盤石、選挙で勝てば自民党内の勢力争いはどんどん有利になる。
結局のところ匿名制よりも実名制のほうがクオリティが担保されるからな。ただ保育園落ちた日本死ねみたいな過激な記事って実名制だと絶対生まれないから、一種ホームラン的な散発的なヒット記事に関してはこっちのほうがいいんじゃないかなとは考えてる
コロナで人生が変わってしまった人は多いと思う。私も仕事の雰囲気が変わり始めている。
私は運がいいことに、やりたいこと興味のあることを比較的できる研究者を某旧帝大でやれる機会に恵まれている。専門は化学。だが、それも音をたてて変わり始めている。
もともと将来の仕事を何にしようと明確に描いたことはなかった。幼少期に育った地域は比較的英才教育とは程遠い地域であり、貧困家庭も多かった。友人の家に行くと昼間からおじさんがゲームをしていたり、パチンコや酒に明け暮れている、そんな地域である。小学校でありながらも学級崩壊に近いことが起きており、義務教育の内容をきっちりと終えることができなかったと記憶している。そんな状況を深く考えることはなく、私は周りの事象に対して疑問を持ち、調べるのが好きだった。なぜ水は雨として降ってきて、山を流れて、コンクリートの隙間から流れていくか。そんなことが気づいたときには不思議だったと思う。幸いにして先生にも恵まれた。疑問をもち、それを自分のペースで解決するのが好きであり、校庭のはじっこで疑問点などを書き出していたときに理科の若い先生が理科室に誘ってくれた。そこには違う世界があり、好きなだけ実験していいと言われてのめり込んだ。ガスバーナーをつけてよくわからない化合物を熱して色が変わる、気体がでる。一つ一つが楽しくてしょうがなかった。だが先生がある日突然学校に来なくなってしまい、程なくして全校集会が開かれた。持病の喘息でなくなったらしい。どうしたらいいのかよくわからないくらい、悲しかった。狭い実験室の僅かな道具から世界の広さをあれ程教えてくれた先生がこの世からいなくなってしまったのが悲しかった。学問は世界を広げてくれるというのを肌で教えてもらえたと実感している。
当時はショックだったが、中学校から親の転職の関係で引っ越し、比較的普通の地域に引っ越してしまった。小学校のときにはサワガニを追ったり、カエルを捕まえて、ビーダマンからでてくるビー玉の平均距離などをひたすら数える子供であったが、引っ越した地域では勉強熱心な地域であり、誰も放課後には遊んでいる子供はいなかった。塾に行くとのはなしだったが、恥ずかしながら塾という単語を知らなかった。動物を捕まえた数よりも試験の点数を重視する地域であり、ひどく狼狽したのを覚えている。小学校での経験があってか理科と数学が楽しくて仕方がなかったが、何故か閉塞感があった。あくまで中学高校でのお勉強というのは与えられた範囲でやる学びであり、そこに自由度は少なかった。結果的に勉強はできたのでとにかく自由を求めていた。高校には入ったが、倫理の先生と哲学の議論ばかりしていた。こう考えると私は先生に恵まれているのだが、先生に学びの自由を求められる場所はと聞いたときに日本には殆どないと言われてしまった。あ、そういえばといって、それがきっかけとなり京都にある大学に行くことになった。
大学は自由であった。毎年謎に作られる像やコスプレ卒業式で有名な大学であるが、学生の多様性がまったくもって違っていた。そこでも縛られるのが苦手な私は大学で授業に行けなかった。ただ、大学の図書館にはホコリを被っていながらもたまらなく刺激的な書籍が非常に多くあり、図書館に毎日通った。楽しくて楽しくて仕方がなかった。たぶんそれは小学生の時に一人で課題を設定して、問題解決をする。そういうプロセスであっただろう。数式、活字が踊っているようにすら感じた。一般教養の授業でもムラ社会を議論する授業や、紙飛行機を飛ばす授業など色々あり、不思議な授業であったと思う。ただ相変わらず大学の専門の授業は指定の教科書から逸脱していなく、面白くなかった。ある意味授業に関しては圧倒的に劣等生であったが、たまたま行った授業のときに言われた印象的な言葉がある。「結婚は何回でもできるが、研究室選びは一度しかできない。」人生のパートナーは何度でも選べるが、人生の専門となる研究室は一度しか選べないとのことだった。へそ曲がりな私は研究室で変わったことがやりたいと思い、研究室を巡ったが、どれもこれも古臭いホコリを被った図書館で聞いたことがあるような内容だった。日本の最高学府が学問として理解できてしまうということが非常に悲しかった。ただ、たまたま非常に尖った研究室があり、そこで私を拾ってもらえた。やはり私は先生に恵まれていた。研究室は今思えば世界的に有名で先駆的な研究室であり、そこで自由に研究を行う機会に恵まれた。朝から晩まで先輩後輩教員とディスカッションしながら、自由自在に研究をすることができる。研究費も潤沢であり、装置も多くあるために闇実験で自分の考えるすべての実験ができてしまった。卒論のテーマも自分でかってにテーマ設定をして卒論発表までさせてもらえた。今思えばあんなことに、というテーマであったが、当時は楽しくて仕方がなかった。卒論が終わった当日、テーマの変更を推奨された。初めて方向性を提示されたが、一言であった。ここには恩師の力があったと思う。結果的に与えられたテーマとは関係なく、M1で勝手に実験をして修士で論文を3本書いた。楽しくて仕方がなく、博士課程に進学した。博士では論文を12本書いた。ちょっとした自慢である。
博士の資格は名刺の角に書くことができる運転免許のようなものであるというのはよく言ったもので、単なる認定試験である。友人が大学のポジションの公募に出す中、私は自分の学問を切り開くのだと思い、博士研究員をすることに決めた。なんとなく海外は日本より風通しが良いだろうと思い、日本の研究費から支援をうけて、海外に2年間いけることになり、それまでに一切したことがない分野に飛び込んだ。将来学問を切り開くためには甘んじて先達のいる学問をすすめるよりも、開拓者であるべきという精神である。ただ現実は厳しかった。言った先の研究室では私は初めての外国人であり、装置の使い方、実験の仕方、単語すらわかっていなかった。学部生に単語の意味から教えてもらいながら、教科書を端から端まで読んで、理解した。論文は2年間で3000報くらい読んだ。めちゃくちゃ勉強し、1日の睡眠時間は3時間程度だった。結果的に分野での最高峰の論文誌に数報報告することができて、ライフワークが見つかったと思った。ただこの辺りから研究に対する見え方が変わってきたと思う。日本人会でいつも飲んだくれている友人がいた。大学では見たことがないが日本人の友人を探しているようだった。何が楽しくて研究をしに海外に来ているのかというふうに聞くと彼は出身研究室に戻るので1年間遊びに来ていると話していた。悪い冗談かと思っていたが、実際に彼は日本の出身研究室で職を得て戻っていった。不思議なものである。
当時の海外での受け入れ研究室の教員にぜひともこの国で残って研究をすすめるべきだと言われた。日本は講座制の影響もあり若い研究者が活躍しにくいということを聞きつけていてくれていたらしい。ただそのときに今まで私を支えてくれた恩師たちの姿が頭をよぎり、日本に恩返しをするべきではないかと思った。施されたら施し返すという精神である。日本に戻るためには公募の書類を出さないと行けないのだが、不思議と通らない。面接にすら呼ばれない。それまでに分析していなかった私が悪かったのだが、どうやら日本ではコネというのが幅を効かせているらしく、面接にすら呼ばれない。それとずっと付き合っていた婚約者との結婚もあり、フットワークの軽い私はならば日本に帰ろうと、日本に帰り、講演ツアーを行った。幸いにしてその一つが目に止まり、研究プロジェクトの一環で雇ってもらえた。そこでも好きに研究をしていいと言われ、論文を好きに書いた。楽しかった。研究だけしてたまに論文を書けばいいというのは至極楽しかった。ただ、学生と研究ができないのがとてつもなく寂しく、コネはなかったが、海外の訳のわからない研究室で研究をしているよりも経験をつんで日本で研究している私は魅力的に見えたのか、公募に通った。めぐり合わせというのは不思議なものである。
こうしてやっとただの研究者から大学教員になることができた。恒久的に研究ができるというのは非常に幸せであり、研究以外も楽しんだ。毎週の授業というのはライブである。そのへんのストリートミュージシャンよりも自分の一つ一つの発言を学生に聞いてもらえることができ、研究に対するスタンスなど伝えることもできる。学問というのは積み重ねの学問である。積み重ねがあるから新しさがわかる。ひとつひとつ丁寧に教えていき、学問の楽しさを伝えたが、やたらと聞かれるのは単位がとれるかかどうかであった。研究室でも熱意をもって新しい実験の仕方や、研究分野の掘り下げのための論文読み込みを学生と一緒に行った。ただ、学生から文句が出てそんなに頑張りたくないとも言われてしまった。悲しい。私はそんなに魅力がないのだろうか。大学教員というのは研究以外の思った以上の雑用があり、それに追われていた。ただ、そのたびに今まで知的教育を享受してき立場からそれを授与できる立場にならねばと思い、一所懸命に振る舞った。その結果ここでの学問結果をなんとかして論文にすることができた。これからすべてが軌道に乗る、そう思っていた。
そんな先のコロナである。実験を専門としている私は当然大学に来なければ研究をすすめることができない。だが、緊急事態宣言のあおりをくらい、研究室での研究活動はオンライン中心になり、さらに愛妻は妊娠中であったために下手な行動はできない。研究が中心であった私の生活は転換を余儀なくされた。学生と最新の実験成果を共有できない、授業はオンラインとなりzoomの先では、全く授業を聞いていない学生がいるかも知れないという状況で苦しかった。価値観も変わらざるを得ない矢先に子供が生まれた。福音であった。
学問というのは先んじてその場で役に立つものではないが積み重ねだと思っている。子供も同じで、毎日毎日状況が日進月歩である。首を動かすことがしんどそうだった子供が、今では自分の力で首を動かし、光の導く先を必死に見ようとしている。大学で学びをしている学生で一時的にやる気を失っている子もかつては私の子供と同様日々ひとつひとつできていくということが楽しかったのだろう。相変わらず大学での研究活動は制限されている。以前ほどの自由は担保されておらず、どうしても何かしらを管理する必要がある。その一つ一つの行為が私には苦しい。ニュートンはスペイン風邪のタイミングで新たな学問をみつけた。私にはそれほど頑張ることはできるかわからないが、研究を行い、学生に希望や考え方を論理的に教えるというのが現在の職での義務であろう。間違いなく私の研究生産性は下がったが、価値を下げず上げることが義務であると思い、日々努力している。