2020-11-25

スポーツ試合を男女で分けるのはもうやめたらどうか

人間男と女、はっきり二分できるものでないことは科学的にも明らかで、世界男と女しかいない前提の制度運用を続けるのも人権問題が大きい。

スポーツで女が男に勝てるわけがないというのはそれこそ固定観念偏見というもので、軽量級の男子が重量級の女子に勝てないことは当然にあり得ることだろう。

まり男女関係なく体重筋肉量などフィジカル客観的な数値で階級を分けて競技させるよう制度改善すればいいのだ。

結果的に軽量級の大半が女子が占めるとしても異性を排除するという理屈がそこに働かない以上そこに性差別が介入する余地はない。

また一般的女性よりも素質的に並外れて筋肉量の多い女性男性が多く占める階級で競うことになり競争公平性担保される。

いま仮に体重筋肉量といったが現代スポーツ科学であればもっと細かく競争の優劣に影響するフィジカル能力値を測定して適切な階級を設定することもできるだろう。

男性よりも肉体的に劣っているに決まっている女性でもメダルが取れるように女流枠を儲けるなどそれこそ性差別産物だ。

フィジカルが同等であれば女性男性に勝てないわけがない。

必要なのは公平な競争をするための階級制度であって、劣っている方の性に花をもたせるための差別的区分けではない。

人々が公平な競争真摯に向き合い、レギュレーションを詰める煩瑣を厭わないのであれば、パラリンピック廃止して、障害者も1つのオリンピックで健常者とともに競い合うことができるだろう。

人類はもう誰もが同じ場所で競い合うことができる。必要なのは公平に競う合うための仕組みだけとそれを作ろうとする意思だけだ。

昔は男女を競技をわけていたと聞くとなんて野蛮なことをしていたのだと未来の人々は思うかもしれない。

我々の社会はまだ十分に進歩していない。人々にその自覚を。あらゆる性差別撤廃を。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん