人間を男と女、はっきり二分できるものでないことは科学的にも明らかで、世界に男と女しかいない前提の制度の運用を続けるのも人権上問題が大きい。
スポーツで女が男に勝てるわけがないというのはそれこそ固定観念、偏見というもので、軽量級の男子が重量級の女子に勝てないことは当然にあり得ることだろう。
つまり男女関係なく体重や筋肉量などフィジカルの客観的な数値で階級を分けて競技させるよう制度を改善すればいいのだ。
結果的に軽量級の大半が女子が占めるとしても異性を排除するという理屈がそこに働かない以上そこに性差別が介入する余地はない。
また一般的な女性よりも素質的に並外れて筋肉量の多い女性は男性が多く占める階級で競うことになり競争の公平性も担保される。
いま仮に体重と筋肉量といったが現代のスポーツ科学であればもっと細かく競争の優劣に影響するフィジカルの能力値を測定して適切な階級を設定することもできるだろう。
男性よりも肉体的に劣っているに決まっている女性でもメダルが取れるように女流枠を儲けるなどそれこそ性差別の産物だ。
必要なのは公平な競争をするための階級制度であって、劣っている方の性に花をもたせるための差別的な区分けではない。
人々が公平な競争に真摯に向き合い、レギュレーションを詰める煩瑣を厭わないのであれば、パラリンピックを廃止して、障害者も1つのオリンピックで健常者とともに競い合うことができるだろう。
人類はもう誰もが同じ場所で競い合うことができる。必要なのは公平に競う合うための仕組みだけとそれを作ろうとする意思だけだ。
男女の代わりに直毛族とくせっ毛族で分けるか
移行措置として、性別無差別級を追加するのもいいかもしれないね