はてなキーワード: ウィリアム・フォークナーとは
https://moriishi.com/entry/nobel-prize-in-literature-early20c
面白かった。ウィンストンチャーチルも受賞してたの知らなかった。
日本人は
受賞講演 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%A7%81%E2%80%95%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BA%8F%E8%AA%AC
詩趣に富む表現力を持ち、現実と虚構が一体となった世界を創作して、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにしている
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1903年 ビョルンスティエルネ・ビョルンソン(ノルウェー)
その感化の鮮度と精神の希少な純度の両方において名高い、高貴で壮大、且つ多彩な詩に敬意を表して
プロヴァンスの言語学者としての重要な業績の他、自然景観と人々の土着の精神を忠実に反映した、彼の詩作の新鮮な独創性と真の触発に対して
1904年 ホセ・エチェガライ・イ・アイサギレ(同時受賞)(スペイン)
1906年 ジョズエ・カルドゥッチ(伊)
念入りな学究とその成果を評価するとともに、創造的なエネルギー、スタイルの新鮮さ、詩的な傑作を特徴づける叙情的な力に敬意を表して
1907年 ラドヤード・キプリング(英)
真実のための本格的検索、思考の一貫した力、視野の広さ、表現の暖かさと強さによって、数多くの作品の中で人生の理想主義的哲学を実証したこと
叙情詩人、作家そして世界的に知られた短編小説家としての長年の創作活動を通して世に送り出してきた、無上の芸術性、理想主義の浸透を賞賛して
多岐にわたる文学活動、特に戯曲の数々を評価して。豊かな想像力と詩的な空想は、時に御伽話の形を装いながらも、それぞれの作品が神秘的な方法で読者ひとりひとりの感性に訴え想像力を刺激する間、深い創造的発想を明らかにする
1916年 ヴェルネル・フォン・ヘイデンスタム(スウェーデン)
崇高な理想に触発された、彼の多様で豊かな詩に対して
1917年 ヘンリク・ポントピダン(同時受賞)(デンマーク)
1921年 アナトール・フランス(仏)
1926年 グラツィア・デレッダ(伊)
彼の豊かで活発な発想と、それが表現された鮮やかな技巧に対して
ブッデンブローク家の人びと
1931年 エリク・アクセル・カールフェルト(スウェーデン)
林檎の樹
呪われた日々、チェーホフのこと
1934年 ルイジ・ピランデルロ(伊)
月を見つけた
楡の木陰の欲望
1944年 ヨハネス・ヴィルヘルム・イェンセン(デンマーク)
車輪の下で
1950年 バートランド・ラッセル(英)
哲学入門
バラバ
テレーズ・デスケルウ
我々の時代の状況を先見的に反映した、彼の詩の高らかな飛翔と喚情的な形象に対して
1962年 ジョン・スタインベック(米)
1964年 ジャン=ポール・サルトル(受賞辞退)(仏)
静かなドン
1974年 エイヴィンド・ユーンソン(同時受賞)(スウェーデン)
1974年 ハリー・マーティンソン(同時受賞)(スウェーデン)
アニアーラ
偉
社会は馬鹿ばかりで虚しいし、不幸はこの世からなくなりません。
みんなその場限りのことしか考えていないので、いつまで経っても全体の幸福度は上がらないから、くだらない娯楽で馬鹿を支配するシステムが発達して、オーウェルの小説のようなディストピアまでまっしぐらでしょうね。それがある意味で本当に平等な世界なので。
『水が上から下に落ちるのが当たり前』という表現がありましたが、その通りでこの世界はエントロピーに支配されています。
壊すのは簡単ですが作るのは大変ですし、継続するのはめちゃくちゃ困難でも諦めてだらけるのは秒でできます。
何かを始めるにはエネルギーが必要ですが、そのエネルギーも積み重ねによる貯金や、将来への希望という不確定な報酬を担保にしているので、負の連鎖に陥ればもう手に入りません。
やってもどうせ意味ねえし、どうせ報酬だってたかが知れてるし、昔同じものを手に入れた時は確かに嬉しかったけど、終わってみたら大したことねえなと思えるし、そんなもののためにまた頑張るのなんてアホくせえし…
ちなみにエントロピーは割れたグラスを元に戻すことはしませんが、時折好循環が起きて何もないところからエネルギーを起こすということもあるらしいですよ。まあ負の循環の方が大きいのですぐに掻き消えてしまいますが。
この世って頑張ることを前提としてるくせに、頑張って手に入るものたかが知れてて、しかも頑張んなくても存在することはできるとかいうよくわかんねえバランスなんすよ。
でもそんなの当たり前じゃないですか?
そんな当然のことに虚無を感じてるんですか?
私があなたの文章を読んで思ったのは、フェアな視点が圧倒的に欠けているということです。
建設的な議論を歓迎したいのなら、まず自分の思想の反対意見を全肯定してみてください。
その上で両者の思想を比較検討し、デメリット、メリットを把握した上で最終判断を下してみたらいかがでしょう。それが知性ある人間の行為だと私は思います。
社会は虚しい
→テレビやツイッターの議論を見て、世間のくだらなさを実感しているのなら、そのくだらなさを大前提とした上で、それでも人間はゴミなのか?できることや考えられることはないのか?と思考している人たちにも目を向けるべきです。
一歩引いて世間を見ることができるのなら、世間と自分という構図からも一歩引いてメタ化することもできるはずです。
そういった思考をしている人々は、漫画、絵画、プログラマー、音楽、科学や数学など様々な分野にいますが、一番わかりやすいのは文学だと思います。
あなたは人間をシステマチックに見ているくせに、小さい命にも、弱い立場の人間にも情を寄せていますね。
全ての人間が救われるべきだとか、
命は平等に扱われるべきだとか考えているのでしょうか?
でも周りを見れば人間は愚かで救いようがないし、現実的に真の平等を目指すと全人類思考せずにバーチャル世界で家畜化するしかないのではとか考えて、虚無になっているのでしょうか?
それ単純に考え方がクソ真面目なだけじゃないですか?
もし人間の平等を考えるのだとしたら、人間の不真面目な欲望も尊重するべきです。
戦争は楽しいし、いじめや差別は気持ちがいい。浮気はダメだと分かっているけど魔がさしてやってしまうし、結婚したら幸せが保証されるかもと思いながら三人に一人は離婚している。
でも全部欲望でそういうのも人間に必要です。背反理論であり、片方を全て取っ払うとか無理な話で、それも含めて人間として扱うべきでは?
それでも自分の理想を追うのだとしたら、それは理屈ではなく感情的な判断です。あなたの理屈を否定しきれないように、反対の理屈も否定しきれないので結局は感情に頼るしかありません。感情的な判断を下しているという意味では、あなたから見える世間の人たちと同レベルですね。
私もあなたも結局感情のレベルでしか判断できない豚で糞虫です。
脱線しますが、20世紀にウィリアム・フォークナーというアメリカの作家がいました。
彼は南部アメリカの架空の土地を舞台に、将来に絶望するしかない生まれも育ちも最悪な人間や、恵まれた人間も贔屓目なしに平等に描いてます。
いいことも悪いこともフェアに、淡々と現実を綴った彼は、ノーベル文学賞受賞講演でこう語ったと言います。
「人間は単に生き永らえるのではなく、勝利すると信じます。人間が不滅なのは、人間が生きとし生けるものの中で唯一疲れを知らぬ声を持っているからではなく、人間には魂が、憐れみを感じ、犠牲的精神を発揮し、忍耐することのできる精神があるからなのです。詩人に、作家に課せられた義務は、こうしたことについて書くことなのです。人の心を高めることによって、人間の過去の栄光であった勇気と名誉と希望と誇りと思いやりと憐れみと犠牲的精神を人に思い出させることによって、人が耐えることの手伝いをすることが、作家に与えられた特権なのです。詩人の声は、単に人間を記録したものである必要はありません。それは人間が耐え、勝利を得るための支えの一つ、柱の一つになることができるのです。」
こんな偉大な人物が人間を信じているのですから、大して考えてない行動していない我々が諦めてしまうのは早すぎると思いませんか?