はてなキーワード: 感情表現とは
という感じ。
第一集団にあえて順位を付けるとすると,大幅に良くなって驚きを提供してくれた石田さんがトップで,高瀬さん加賀さんが続き,その後に川村さん譜久村さんという感じ。
という感じでかなり激戦。3人1組の2番目のブロック(金澤さん,上國料さん,島倉さん)がとにかく強くて,そこに他ブロックの強者が食い込んでいった感じ。
こちらも第一集団にあえて順位を付けるとすると,技術的に大幅に改善されて飛躍的に聴きやすくなったことで,もともと強いエモさがより強烈に伝わるようになった佐々木さんがトップ,次いで同じく改善された(というか自分の好みに近づいた)上國料さん,僅差で高木さん伊勢さんが並び,また僅かな差で島倉さん金澤さんという感じだった。
A,Bとも開催地宮城県出身のメンバーがトップだったのだが,これは自分としてはたまたまで(もちろん彼女らが凱旋公演ということでより一層研鑽した可能性を否定する気は全くない),2人とも前回個人的に欠点と感じた箇所がほぼ解消されて,歌の良さの伝わり方が大幅に良くなったことによるところが大きい。。
表記は以下:
あまりに暇すぎてVtuberなる配信をいくつか見たんだけど、化石のような「勘違いオタク」が未だに存在してることにビックリした。
オタクは何故か好きなVtuberに対して「こいつは芸人枠」「まぁ男みたいなもんだから」「可愛いと思ったことない」などと謎の戯言を抜かす。
何故素直になれないのだろうか?
好き!可愛い!と言えば良いのに。
斜に構えるのがかっこいいとでも思ってるのだろうか?
そしてそれ以上の″いじり″をチャットやコメント、Twitterのリプライで送る人間が非常に多いこと。
本人的には愛のあるいじりのつもりなのか、それとも昔の有吉のような毒舌王にでもなったつもりなのかはわからない。
ただそれを個人的に面白いと思って送信しているのは紛れもない事実である。
そんな人間がどんな生き方をしてきたのかは知らないが、きっと似たようなオタクに囲まれた状況で時間だけが過ぎて、視野が狭く幼いまま成長してしまったんだろうな。
そりゃオタクが現実世界でうまく生きていけるはずねえよなぁと改めて感じた。
女は割とここら辺はしっかりしてる気がする。
で盛り方の表現がいつも似通っているものだから、ああいつものアレか……となってしまう
まあ、そうやってやたら話を盛る奴というのはどこにでもいるわけで、それ自体は正直どうでもいい
問題はそういう己の気質をブクマカみたいに「女が直接言ったら叩かれるからだ!!」とか他人のせいにまでしようとする根性の汚さであって
感情表現がせいぜい数パターンで、あまりにも陳腐すぎるんだわな
女性ってよく面食らったりハッとしたりびっくりしたりしてるけど、なんていうのかな…。
この増田の「面食らった」はあまりにも当事者意識が欠けていると思うし、Twitterでよくハッとしてる人は自分の見たいものを見てハッとしてるだけで、別に気分よくなってるだけじゃね?って思うし。
フェミがびっくりしてる時は大抵キレてるし、それ怒ってるだけじゃね?って思うし。
何て言うんだろう。びっくりしてなくね?って思う。
まあ男でもあるのかなあ。どうでもいいことに衝撃受けてるYouTuberはいっぱいいるよね。でもあれPV稼ぎだからなあ…。
俺がびっくりするときって足踏み外して階段から転げ落ちそうになったりとか、ホラー映画観てるときに地震起きたときとか、そういうのしか思い付かない。
なんかそれと前述のびっくりって違くない?
いやどうでもいい。どうでもいいんだけど。
これは伝わらないかなあ。
まあ今はないのかもしれないけど、明らかに女性が誘ってる感じあるのにデート申し込んだらびっくりしたりするじゃん?
いや予想の範囲内じゃね?って思う。
まあはてブで言っても勘違いだって言われちゃうからあれだけど。
何かこうびっくりしてる時の女性の目開いてる表情の、その瞬間この人なに考えてんだろうなって思う。
それとは違うじゃん。目見開いて、そこで考えてることって、なに?あの、なんていうか、「え!?わたし!?」みたいな。
いやお前以外にいないだろって思うじゃん。
いや知らないけどさ、その瞬間になに考えてるのか。
絶対伝わらないなあこれ。
もしちょっとでも思うところがあれば、みなさんのびっくりした瞬間を教えてください。
・ サイレント魔女☆リティの発祥は男性ですが…/男だが、公文書の改竄や無茶苦茶な詭弁、上級国民の不起訴、Go Toキャンペーンの前倒しとかにびっくりさせられっぱなしです。
あー、なるほどねぇ…。
・ 熱いので炊飯器の蓋開けておいて、そろそろ冷めたかなと思って釜を取り出そうとしたら中から巨大なアレが飛び出してきた時かな。最近ならソファの下に蟻が20匹くらいモゾモゾしてた
地獄やな。
・まあ女性の反応が大袈裟に感じることは多々あるが、感情表現をあまり出さない自分よりマシかと思う
大人だなあ。
・相手の反応を勝手にこうあるべきみたいに決めつけてんでしょ。
・女の外見してるからって舐めてきたやつにやり返すと、皆さん一様に「びっくり」するよ。びっくりしないのはヤクザとキチガイ位かな。常識と礼儀の想定外のことを女がされやすいだけなんじゃないの?
うーん…。それは「(男性の主観的には)目の前の人間が突然キレてきた」わけだから、階段踏み外したのとカテゴリーとしては近い気がするなあ。
想定内のことをびっくりしたと言い替えてることが多くない?という。
それびっくりっていう感情なの?って疑問なので。
・「よくわからない」は「びっくりする」とグラデーション的につながってると思うけどな。
あー。読んだ瞬間は繋げてないなあと思ったけど、うーん。思い返してみたら難しいところ。
よくわからないことをびっくりしたって言い替えることへの違和感なのかなあ。
・気配りをすることが社会的要求として存在→主観でTPO設定やプロファイルを行う事の習慣化→規範や倫理観を超えた事象に驚くというのを考えたけどある程度は性差なくあるような。主観への信頼が強いのかな。これも主観
・「びっくりする」とは「想定外の事が発生した時に使うべき表現方法であるはず」だから「発生する可能性を予測できる事象に対して使うのは不思議だ」という主張なのかな? でも予測できる範囲って人に依らない?
まあそうなんだよね。主観だし人によるんだよ。
・家の洗面所とかで夫に突然話しかけられるとビックリしちゃう。「あぁ!びっくりした〜!」とか結構大声で言ってしまうので一度夫に「一緒に住んでるんだからそんなびっくりする必要なくない?」と言われた。
でもこれよくよく考えたら俺もやってたわ。若い頃。
後ろから声かけられることよくあるんだけど、とりあえずびっくりしてたら女性に謝られたから、それ以降しなくなったな。
・「相手の行動は、私がびっくりしてしまうほど非常識なことです。驚かされた私は被害者なので優遇しなさい」ってことだよ。
さっきのと「とりあえずリアクションびっくり」とは違うびっくりは、ほぼこの意見なのかな。嫌だとか不快の言い回し。
まあこういうことなんだろうな。
・婉曲表現だとすると、その婉曲は、びっくりするくらい、伝わっていない。「ああ単純に驚いたのね」と思うだけで、なにかに配慮するとか、慮るとかはできない。
これもわかる。びっくりをそのまま受け止めるとそうなる。
てか素朴な疑問なんだが、嬉しくてびっくりすることってもうなくなったの?
嬉しいときにびっくりした!って言わなくなったなら、びっくりって聞いたらああ嫌なんだなって思うようになるけど。
・久しぶりにしたとき、久しぶりだからびっくりしたって言われたことある。俺はその発言にモヤっとしたよ。
この感覚になるよね。100%嫌だっていうことなら素直に受けとめることも出来るかもしれないけど、実際どっちなのかなんて分からないからねぇ。
・そうかね、日本のメンズだって女子と同じくらい、バレンタインチョコ貰うとか童顔の可愛い女子からの告白とか女子からのセックスのお誘いとかいちいち大分びっくりしてる気がするけどなあ。
そうなんですか…。世界線が違いすぎてびっくりするわ。
あるわ。
・ビジネスの場で「とてもびっくりしました」と書いちゃう女性がいて、今までびっくりしてれば誰か助けてくれてたんだろうな、と残念な気持ちになった。
まあ他人任せにしてる感じは受けるよね。
・失礼なことをされたとき、対応を間違えると「ヒステリー起こした!」って言われるので、婉曲的に「びっくりした」って言うしかないんよ
・増田を読んで、男側の例として本人が「男の話」だと思っているもの(趣味や仕事が多い)に、女性が口を挟むと「びっくりする人」が思い浮かんだ。性別よりも、その人の視野の問題が大きい気がする。
なるほどだわあー。この男のびっくりは、女性からしたらムカつくよねぇ。
・男性も使ってる。明らかに格下でない男性・上司・ヤれる可能性を期待する女性等失礼を避けたい相手が自分の常識から外れる言動をした場合とかに。女性が多用するのは女性の身で直言するとキレられる可能性が高いから
こういう男のびっくりに女は違和感を感じるけど、女の他人任せにするびっくりに男は違和感を感じるのかなあ。
・男性って女性よりいい意味で単純でさっぱりしてると思ってたんですけど、増田さんみたいにネチネチ陰険な男性もいるんですね~そういう男性って私あんまり会ったことなかったのでびっくりしました!←こんな感じ?
こんなにびっくりできる文章もないわ。
・HSP ハイリー・センシティブ・パーソン。こう言う人もいる。20%だ。差別すんな。
なるほど。多いなあ。
・増田の「びっくりしてなくね?」が「え〜?!それびっくりしてなくね?!」になっただけのような。感情の振れ幅とか表現方法のクセとかの違いに感じる/追記見ると増田も呆れのびっくりを使ってる。わざと?
わざとです。
表現方法のクセもあるんだろうけど、含まれてる意味が結構違うなあと。
・ニュアンス読み取りに命かける従来の日本語コミュニケーションからもう脱却した方がいいと思うんだけどね。語彙減ってるのにそれやるから意思疎通でリソース無駄に使ってる。
せやな。
・女性の「びっくりした」に、怒りを悟ってほしいという文脈が込められている事に増田は憤るのだろう。増田の「よくわからない」に「ウザい腹立つ」的文脈が込められてるのと同じだね。よく判ってるじゃん。
「びっくり」に引っ掛かるんだったら「よくわからない」にも引っ掛かれよという話。気をつけます。
・言われてみると、結構場面によって色んなニュアンスを含む言葉だなと思う。単純に驚愕というより、何かしら感情が揺り動かされていて、でも自分の価値判断を含まずにそれを表明したいときに使うイメージかな。
なるほど…。純粋びっくり派ですね。
・追記の「嬉しくてびっくりすることってもうなくなったの?」に対する回答が見当たらない。やはり「びっくりって聞いたらああ嫌なんだなって思う」のが順当ということか。
これね。ホントにないのかなあ。
自分で考えてみて一番それっぽいのは、買ってた馬券が無理だと思ってたら当たった時だけど…。「わー!びっくりしたー!」とはならないからなあ。
・例えば急に後ろから声かけられた時に、不審者と勘違いして怖かったって言うと角がたつ。キレられても怖い。でももうやめて欲しいので、こう言えば次はやらないでくれるかな~って期待と共にビックリした~って言う。
それは…伝わってるのかなあ…。
それこそ女性に言えば伝わるもんなのかね。
・びっくり≒私は崇高なる理想社会を前提としているので汚らしい男性が引き起こす現実社会との落差に驚いた を意味しています
なんか笑ってしまった。
コンテンツ自体を評価してるのに、内容が良い話じゃないもの(BADENDのストーリーとか)だとわるいね押す人が意外といることに驚いた
Up voteとDown voteボタンがあって、興味ないとか良くなかったならどっちも押さずに、チョット良かったらDown voteですごく良かったらUp voteを押す使い方してる人がいると知ったときくらいの驚き
童貞のまま先日22歳を迎えた。自分を振り返ってみてその理由について考えてみた。
感情とは外部の状況に対する人間の心の動きであると僕は知っている。周りの人を見ていると喜んだり悲しんだり怒ったりごく自然に感情が動いていることがわかる。
しかし僕はそうやって外界に対して素直に反応することができない。もちろん笑ったり泣いたりするけどそれは他の人の目があるからである。
例えば女の子に振られた時
「これは悲しい気持ちになるべきだ、一旦泣こう。」と考えて泣くし、
「一通り泣いて見せたからあとは彼女が気まずくならないようにしよう。」と考えて30%くらいの笑顔で別れる。
小さい頃から少し勉強ができ、少し運動ができ、少し反抗的だった。
「存在しているだけで鼻につくからせめて表面だけでもちゃんとしてくれ」と中学校の先生に言われたことを覚えている。今考えてみるとなかなか大人気ない発言だ。
常に他人から見て適切だと思われる自分が取るべき感情と行動を選択してきた人生であったしそれに違和感を感じてこなかった。
他人が僕に求めている感情の変化を見せて相手を納得させる。自分が人間的な心を持っていることを示す。行動も表情もそのために選択してきた。
怒られている時は神妙そうな顔をする。デートの時は楽しそうな顔をする。進路選択の相談の時は真剣そうな顔をする。
いろんな顔をしていろんな感情があるように振る舞っているけどいつも心の中では
「このシチュエーションではこんな感じで振る舞えばいいんだよね?」って自分で確認しながら生活している。
みんなは本当に自然に怒ったり泣いたりしているのか。その感情を動かすエネルギーはどこからやってくるのか。僕にはわからない。
恋愛とはそれ自体が感情の塊である。好きだって気持ちはもちろん感情であるし恋人になれば喧嘩することもある。喧嘩も感情表現の一つである。
そうやって感情をぶつけ合ってお互いを理解していく。それが恋愛だ。頭ではわかっている。
おそらく今彼女は自分の独占欲を求めていると感じたら僕は自分が嫉妬しているというメッセージを発する。
弱みを見せた方が良さそうな場面だと判断したときには辛そうな顔と泣きそうな声で彼女に縋る。たとえ困っていることがなくてもとりあえず自分の不幸そうな話を嘘にならない範囲ですることもあった。こうして自分の弱みを共有することで絆が深まっているかのように感じて貰うことが恋愛において有利だと考えたからだ。
彼女の悲しい話は同情に満ちた顔で聞くし真剣に考えている顔をする。
これらはこうすることで丸く収まるものだと計算して行動しているからであって自分の心に素直に表情や行動を変えているわけではない。
僕は童貞である。これまでそんな機会がなかったことはない。いい感じの女の子と同じベッドで寝たこともあるし、キスをしたこともある。それ以上のことも。
でもそれに幸福感や快感を感じたことはなかった。一歩手前のような状況までは何度かなったが、最後までしたことがない。
性行為の時も自分の行動で相手がどう思っているのかを計算して動いてしまう。
我を忘れて2人だけの世界に没頭できない。どこか第三者的な目線で考えてしまう。
裏を返せば女の子の求めることは大体できてしまうわけだが自分の気持ちがそれで盛り上がるわけではない。
そうして性行為が大して楽しくないと感じてしまい、ここ2年ほどはたとえ一緒に寝ようともキス以上のことをする気になれない。
世の男はいつも女を抱きたがり、多くの人は体の関係で結ばれている。多分ほとんど事実だ。女性もそれを求めていることが多いことも。
僕はそれがとてもめんどくさい。めんどくさいと感じているからこそあまり価値のあるものだとも思えない。
不貞行為に腹を立てる必要性を感じたこともないし、不特定多数との性的接触を穢らわしいと感じることもない。
ただその連関の中のどこにも自分が入っていないことには少しだけ孤独を感じる。
自分は人間として、生物として劣等個体であるように思えてくる。
大学生ももうすぐ終わり、来年から新しい生活が始まると思う。新しい環境でも孤独以外の感情を感じないまま道化を演じ続けることになるのかな。
私の弟には重めの知的障害がある。
彼はもうすぐ大人になる年齢ではあるが一般的な会話はできないし、基本的に相手が言ったことをそのままおうむ返しする。
外側から見るとそんな感じではあるが、『母親にこれ渡して』とか『ごはんできたから兄を呼んできて』はできる。
返答はできないまでも、頭で分かっていることは多いらしい。
そして彼はよく文字を読み上げる。
意味は分かっていないかもしれないが、理解欲は常人以上にあるようだ。
それに記憶力もいい。
私が幼い頃の人形遊びでかわいらしい人形に『チュパカブラ』という名前を付けて遊んでいたのをたまに蒸し返してくる。
彼自身は「チュパカブラ」という単語しか言ってこないが、私には大いに覚えがある単語であり、彼に『チュパカブラ』という単語を覚えさせたのは紛れもなく私である。
とにかく早く忘れてほしい。
また、彼は基本的に動き回っている。目的がなくとも走るし飛び跳ねる。
彼のする動作に目的はないが、理由はある。特に彼が飛び跳ねているときはたいていめちゃくちゃ嬉しいときかめちゃくちゃ悲しいときである。
そういった感情表現が彼を飛び跳ねさせている。
ついでに奇声も発しているが、これはオタクの「草」とかパリピの「ウェーイww」と大体同義だ。
彼はパリピ的なメンタルをしているので、めちゃくちゃ嬉しいと「ウェーイww」が口を衝いて出てくるのである。
彼の友人(もちろん障害を持っている)もほとんどがパリピなので、合流するとバイブスがぶち上がって収拾がつかなくなることもある。
おそらく彼は人類に変革をもたらすレベルの天才であったため、神が「いやこれはやりすぎたわ」とか言って母親の腹の羊水を減らす暴行に出たのだろう。
就職先を紹介してくれた人が就職先の人に「なんでこんな子連れてきたの!」と言われたりした。(括弧内原文ママ)
もちろん彼の障害についてつぶさに説明して、そのうえでこの対応である。
仕方ないことだとは思いたくないが、そういう人もいる。
みんな違う環境で生きているので、そういうこともある。
学校や保育園には当たり前のように障害のある子がいたし、当たり前のように一緒に遊んでいた。
私は町の中学校を出るまで、障害者に対する差別的な発言を聞いたことがなかった。
そりゃ身内に障害者がいたら面と向かって差別発言なんてできないだろうとも思うが、それでも記憶のある限りでは聞いたことがなかった。
私は親をあまり信頼していないが、親がそういう発言を受け止めていたから自分に届かなかったのではないかと今は思っている。
私は市外の高校に進学した。
そのときようやく障害に対する偏見と差別発言を目の当たりにした。
頭では知っていたが実際に目の当たりにするのは初めてだったので、当時の自分はかなり傷ついた。
3年間友達をつくることをやめた。
傷つきたくなかったので。
中学のときは外交的で明るめの性格だった私が、その瞬間を境に内向的で人に敵意を向ける人間になった。
この性格は今も続いている。
思い返せばこんなふうに、他の人間にはどうせ理解も共感もできないだろうからという理由で明かしてこなかった悩みがたくさんある。
今回書いたのはその一端だ。
一連の文章を書くことで何かを得られたようには思えないが、死蔵しておくよりはマシだと考えてここに記す。
そんな家庭で育った
私が生まれたばかりの頃から母の子育てを危ぶんだ叔父は私の世話をかって出た(らしい)
それから小学校に入学するまで母の実家で祖父母と叔父と暮らしていた
高齢者のパート賃金と大学生だった叔父のバイト代、叔父が就職したら新卒の給料が頼りだったので裕福とは言えない暮らしだったが穏やかだった
地獄だった
叔父は土日に遊びに連れ出してくれたり母の実家にお泊まりさせてくれたりした
母はなぜか実家にあまり来ないので叔父と祖父母といられて懐かしいごはんが食べられて嬉しかった
10代になると自分の家庭が明らかにおかしいことがわかって心が荒んだ
それでもぐれたり非行に走ったりしなかった
叔父が仕事帰りに勉強を教えに来てくれていたのが大きいかもしれない
素直に勉強しようと思えたし勉強して進学するのがこの家を離れられる手段だと言葉ではなく感覚でわからせてくれた気がする
叔父は全部渋らず出してくれた
すごく申し訳無かった
祖父母と叔父とは連絡を取り続けるつもりだったがちゃんと自立し叔父を解放してあげたいと思った
叔母となった人は叔父よりも若いが私の状況も理解してくれて打ち解けてくれて本当に良い人で私も大好きだ
私のいとこにあたる
祖父母と叔父以外親戚づきあいもなかったので初めて身内に小さい子ができた
子守りをしに頻繁に叔父宅へ行くようになった
何をしていてもかわいい
寝ていてもかわいい
泣くのもかわいい
かわいすぎてなんでもしてあげたい
社会人になったし一人暮らしもちゃんとこなしているのでこれくらいいいじゃないと思う
いとこをかわいいと思うたびに泣けてくる
叔父は感情表現があまり無く強く怒りもしないが大きく喜んだり幼少期でも私を判りやすくかわいがったりしなかった
なので私は叔父は同情と義務感から私の面倒を見ているんだと思っていた
幼い頃に見たビデオを思い出す
赤ん坊の私が寝転がってごきげんに風に吹かれているだけの5分間の映像
寝返りをするわけでもない
ただ時折笑い声をあげるだけの赤ん坊
それに合わせてカメラを構えているであろう叔父が小さく笑う声がする
ただそこにいるだけのいとこがかわいくてスマホのカメラを起動するたびにあのなんでもないビデオの映像を思い出す
この子が生きる過程で父母以外の拠り所を求めるなら私がそうでありたい
それが私にできる1番の叔父孝行な気がしている
主人公のえりぴよは言っていることは気持ち悪いがそれをギャグとして捉えられる程度には美人寄りの外見で、女にすることで百合仕立てになり良いバランスだったと思う
でも百合アニメが見たくてこれを見ていたわけではないので眞妃とゆめ莉の百合は入れるとしてももっとライトな雰囲気であって欲しかった
たまに会話のテンポが妙に遅かったのが謎
人気こそ出なかったが1クールで良い感じにまとまっており十分面白い作品
少し上手く行き過ぎなのは仕方ない
全体的にキャラクターの感情表現が過剰に感じたが原作でもそうなのだろうか
エロを押し出したアニメだが作品の軸が主人公たち男性陣にあり、とにかくテンポが良くギャグアニメ感覚で見れるため、エロ目的で見ていたわけではなかったが非常に楽しめた
不安に思っていた作画は特に崩れず、高い水準を保っていたと思う
ゲームでアニメ化範囲をプレイしていたときも面白さはそこまで感じなかったが、アニメは主人公のせいでさらにつまらなくなっていると思う
春アニメは楽しみにしていた富豪刑事、ノーガンズライフ2期、はまち3期、天晴爛漫が延期となってしまい非常に残念
最後に謝罪なのだが、星合のアキバ総研による監督インタビューによると2クール目消滅にはまち3期は関係ないらしい
疑ってすまなかった
まさかとは思っていたが、やっぱりだ。
アメフト選手と相撲レスラーを足して、2で割らなかったような体躯だ。
もしも、ここで勢い良く振り向かれたり、抱えている荷物を落とされたりしたら大怪我は確実だろう。
「やあ、調子はどう?」
「ん?……よもやワレに聞いているのか?」
俺の予感は確信に変わる。
「うぬ……マスダ、の長男」
「そんな気はしてたけど、やっぱりムカイさんか」
「なぜ、こんなところにいるのだ?」
「それはこっちも聞きたいな」
俺の知り合いだと分かると、クラスメートたちも会話に参加し始めた。
「怖くて近づけなかったとは、オマエラも薄情なヤツだな」
「ははは……ムカイさんに指摘されると、なおのこと申し訳なくなるね」
AIも戦闘用に作られているはずだが、感情表現は人並みに豊かだ。
現在は武装解除され、『256』という会社が名義上ムカイさんを管理しているらしい。
しかし実質的に放逐状態で、俺の家の斜向かいで普通に生活している。
「ワレの戦闘プログラムをいじれる技術者が見つからなくてな。仕方なく、自ら“戦わない理由”を新たに規定することで抑えているのだ。そのせいで行動に大きなラグが生じてしまう」
「どれくらい?」
「平均0.2秒だ。以前は0.1もかからなかったというのに」
「いや、十分早いじゃん……」
「オマエラ基準で言われても慰めにすらならん。何をするにも戦闘用プログラムと紐付けられているから、その度に処理が発生するんだぞ。この煩わしさはシェア不可能だ」
とはいえ、現代社会に溶け込むためには色々と不便もあるらしい。
この『AIムール』で働いているのも、『256』に言い渡されて渋々やっているようだ。
なるほど、会社が未完全の状態にしては、アンドロイドだけ妙に揃いすぎていると思った。
足りない部分は、そうやって穴埋めしてたってわけか。
ムカイさんにチェックを必要としないのも、『AIムール』の管轄外かつ規格外だからだ。
下手にいじれば改造行為にあたるため、コンプライアンス的にマズいのだろう。
ただ、未だ疑問も残る。
そんな派遣アンドロイドに、なぜ『AIムール』はリーダーを任せているのだろうか。
いや、なんとなく分かるような気もするが、その“可能性”はあまり考えたくない。
女って一生涯、特に幼少期、思春期、成人したてあたり(25歳くらいまで)を通して、かなり周囲に気を使われて生きる
女が泣いたり、何かを気持ち悪いと言ったり、胸が苦しくなる……っていうとみんな慌てて周囲の環境を整えてくれる。
つまるところ、「問題解決は感情を表現することで解決する」って事が多くなる。
だからtwitterを見ても、女の文章ってのは「-を見て涙が出てきた」「-という扱いをされて苦しくなった」という文脈が多い。
逆に男は、10歳を過ぎたあたりで社会的に価値が無くなるので、
泣いても、何かを気持ち悪いと言っても、胸が苦しいと訴えても相手にされず、むしろ無能なオスとして排除される。
故に、「論理的に一人で問題を解決する、納得させる」事しかできないので
感情表現をおろそかにし、机上の論理で世の中の不平を訴える場合が多い。
「不平を訴える場合、女性は感情に、男は社会的な在り方で訴える」という差があるという研究があるが
これは生得的ではなく、生得的な見た目、弱さによって周囲から学習していくものなのではないか。
国際男デーは「男だって弱音を吐いてもいいんだ」という言葉が散見されるが、意味が無いと思う。
「男が弱音を吐いても、社会はそれを受け止めて解決します」じゃないと意味がない。弱音を吐いた成功体験を増やさなければいけない。
同時に女性の女性らしさから解放したいなら「感情で物事を解決するのを辞める」つまり、
「女性が弱音を吐いても、論理的で無ければ解決しません」と毅然とした態度をとらないと状況は変わらない。
ただこの案の泣き所は、女は強い男しか愛せないし、強い男は弱い男は嫌いってトコ。
あなたが尊敬する文章を書ける人達だって、生まれたその日からあなたに感動を与えられるような文章が書けたわけじゃない
あなたみたいに何を書いたらいいか分からない時期、書いても納得できない時期、書ける人に嫉妬する時期を経てあなたの目の前に現れたんだ
何もせずに最初から100点満点を目指しているからいつまでも書けないんだと思う
絵本、本、雑誌、お菓子の袋に至るまで、文字を目にしたら手にとらずにはいられなかった。
一方で、作文は死ぬほど苦手だった。
遠足の感想も、将来の夢も、文章がとにかく書けなかった。常にクラスで一番遅く、放課後残って書かされていた。
他人に何かを語るのは好きだ。喋りすぎるほどだ。
小論文のために訓練し、克服したと思っていた。
パソコンで文章を作るようになり、手が止まることはかなり少なくなった。
しかし、はてブロを作って、増田に書きたいこともできて、いざ記事を書いてみても公開できない。
理由はわかっている。文章を他人から評価されるのが怖くて仕方がないのだ。
物心つく前から親しんだ文字たちは、私にあらゆることを教えてくれた。一番の遊び相手だった。
小学生になったころ、私はジョウズな文章とヘタな文章があることに気付いた。
学級通信に載っているオトモダチの日記には、読みやすいものと、意味のよくわからないものがある。
先生は文章技術よりも、感情表現を評価しているらしかった。そこまで含めてジョウズということらしい。
これだけ本を読んでいるのだ。ジョウズな文章が書けて然るべきだろう。
私は自分の内面を曝け出すことが凄まじく苦手だった。今でもそうだが、感情が弱いのだ。
悲しんだり怒ったり、どうすればできるか分からない。
意図的に、この状況なら私はこのように感じるはず、と誇張して書くようになった。
可愛らしい日記を選びたい先生に、私の作品が選ばれることはなかった。
私は文章を書くのがすっかり嫌になった。
そこに先生が何を期待するのか、何が評価されるのか、私にはわからなかった。
一度書いてしまうと早々書き直せないことも、私の筆を止めた。
パソコンなら、気軽に書き直しができる。レポートなんかはスラスラ書ける。
ヘタな文章は大好きな文字と、これまで読んできた作品たちへの裏切りである気がしてしまう。
この年になって、作家やエッセイストの人たちはなんて素敵な才能に恵まれているのだろうと思う。