女って一生涯、特に幼少期、思春期、成人したてあたり(25歳くらいまで)を通して、かなり周囲に気を使われて生きる
女が泣いたり、何かを気持ち悪いと言ったり、胸が苦しくなる……っていうとみんな慌てて周囲の環境を整えてくれる。
つまるところ、「問題解決は感情を表現することで解決する」って事が多くなる。
だからtwitterを見ても、女の文章ってのは「-を見て涙が出てきた」「-という扱いをされて苦しくなった」という文脈が多い。
逆に男は、10歳を過ぎたあたりで社会的に価値が無くなるので、
泣いても、何かを気持ち悪いと言っても、胸が苦しいと訴えても相手にされず、むしろ無能なオスとして排除される。
故に、「論理的に一人で問題を解決する、納得させる」事しかできないので
感情表現をおろそかにし、机上の論理で世の中の不平を訴える場合が多い。
「不平を訴える場合、女性は感情に、男は社会的な在り方で訴える」という差があるという研究があるが
これは生得的ではなく、生得的な見た目、弱さによって周囲から学習していくものなのではないか。
国際男デーは「男だって弱音を吐いてもいいんだ」という言葉が散見されるが、意味が無いと思う。
「男が弱音を吐いても、社会はそれを受け止めて解決します」じゃないと意味がない。弱音を吐いた成功体験を増やさなければいけない。
同時に女性の女性らしさから解放したいなら「感情で物事を解決するのを辞める」つまり、
「女性が弱音を吐いても、論理的で無ければ解決しません」と毅然とした態度をとらないと状況は変わらない。
ただこの案の泣き所は、女は強い男しか愛せないし、強い男は弱い男は嫌いってトコ。
強い男は弱い男は嫌いってトコ。 おぃ 笑
腕力や権力が通るならそれらを用いるように、魅力が通るなら情に訴え涙も流すってだけのことだよね 「感情的になって泣く男というのはジェンダー云々以前にただ醜いだけで見られた...
見られたものじゃないのは印象部分の話だからまさしくジェンダーに起因するものでは?
性欲由来じゃないか?
「既存のジェンダー像から自由になった男」とか言われて持ち出されるのはあくまでりゅうちぇるとかの芸能人であって、例えば決して安冨歩じゃあないわけでしょ 結局基本はルッキズ...