はてなキーワード: 実験結果とは
https://www.amazon.co.jp/dp/4828207015
ここの目次には書いてないけど、
ってあるのよ。
5の内容は、愛というボールを振りかぶって投げようとしている男性は、あなたに受け止めてほしい。
彼らは投げたいのだから、とにかく黙って受け取ること。
エスコートされたらそれに乗ること。
荷物持ってやると言ってもらえたら、その差し出された手を取ること。
デートのお店を予約したり、重い荷物は自分で持たずに男性にしてもらうこと。
そして、ありがとう!と言う。
みたいなことが書いてあるよ。
謙虚が悪だとは書いてないけど、目次だけ見た時はちょっとギョッとした。
頭でっかちな女子におススメと書いてあったので買ってみたんだけど、私はあんまり響かなかった。
頭脳派向けって紹介されてたから、エビデンスとか、数値とか、実験結果が書いてあると思ってたんだけど、そうでもなかった。
参考文献もあまり無かったし。
アマゾンは絶賛しているレビューが多いから、そこそこ効果はあるのかも?
ちなみに著者のブログね。
https://ameblo.jp/mari-ny/entry-12451754415.html
一応もう少し説明すると、膝の裏に日光(というか強い光)を浴びせると体内時計がリセットされる、という論文が結構前に出たらしい。論文の主張はともかく、朝に膝の裏に30分ほど(時間としては十分すぎるほど長いと思われる)当てるようにしてみたその日から、僕は夜に眠れるようになった。冗談のような話だ。
その論文は Science の Extraocular circadian phototransduction in human (1998) でしょうか?
これに対して、同じ雑誌の Absence of circadian phase resetting in response to bright light behind the knees (2002) では、目隠しをすれば膝の裏に日光を当てても有意な違いはなかったとあります。
In contrast to ocular light exposure, which significantly delayed melatonin phase and acutely suppressed melatonin secretion compared with controls, there was no significant difference for melatonin phase changes between subjects exposed to light behind the knee compared with controls and no acute melatonin suppression during the intervention (Fig. 1).
膝の裏に日光を当てる有効性を示す論文はありますが、日光の当たる場所にいけば十分かもしれません。
だとすると膝の裏とか関係なく、目から光が入るかどうかな気がするけど
膝の裏に目隠しをするという検証もしたんだろうか
2002年の論文では、目を隠してひざの裏も隠す (dark DK)、目を隠してひざの裏に日光 (behind the knees BK)、目を隠さずひざの裏を隠す (bare eyes BE) の3条件で実験しています。
0 lux ocular and behind the knee (DK), 0 lux ocular and up to 13,000 lux behind the knee (BK), and 9,500 lux ocular and 0 lux behind the knee (BE).
そして DK と BK に有意な違いがなく、BE と DK は有意に違うと実験結果を説明しています。
Melatonin data for conditions DK and BK were superimposable during the intervention time (solid bar) for the intervention night and the previous night. BE significantly delayed melatonin phase and acutely suppressed melatonin secretion compared with DK controls (P = 0.003272) and (P = 0.000020), respectively. In contrast, there was no significant difference for melatonin phase changes between BK and DK and no acute melatonin suppression during the intervention in either of these conditions (P = 0.943071) and (P = 1.000000), respectively. Significant differences for phase shifts and melatonin suppression were also observed between BE and BK (P = 0.011359) and (P = 0.000016), respectively.
unmin7 膝の裏に日を当てられる状態ってあまり身体を締め付けない服でなおかつ寝転がってないと無理だろ、当然ある程度リラックスするわな。そこにお天道様がポカポカしてきたら流石にちったあ眠くなるだろ。
sds-page 膝の上に猫がいればよく眠れる気がする!
引用した部分にあるように、朝に日光を当てると体内時計が調整される(睡眠に向かわせるメラトニンが急激に減少する)かが対象です。日光を当てれば目が覚めて体内時計が調整されるのが主旨なので、膝の裏を温めると眠くなるのとは逆です。
ロボアニメを見たくなってダーリン・イン・ザ・フランキスを全部見た.
普通に面白かったので,ちょっと書き殴る.多分はてな民が好きそうな内容である.
テーマとしては,SFロボット+多様性+人が生きるとは何かになっている.
13話までの1クール目がボーイミーツガールと多様性がテーマ,
残りの2クール目が特に,人が生きるとは何かになっている(ように感じた).
最初だけ見るとエロ系ロボットアニメなので離脱しやすいが,評価するには13話まで見るべきアニメである.
エヴァっぽい要素としては,ロボにシンクロ率のようなペアの相性とゼーレ的な存在がいるところだろうか,エヴァより話がまとまって思春期の表現もこっちのほうが全然いいと思う.
ロボの顔が人っぽいので一部のロボ好きに合わないかもしれない.
さらに,エヴァのシンクロ率のように男女ぺアの相性が重要になる.
序盤はロボの操縦優先でペアになっているので少々ドロドロしている.
ペアの相性がセックスのメタファーになっているので,特に序盤は以下の関係になっている.
中盤,大好きなココロちゃんとペアを解消され(若干NTR)一気に不憫キャラになるフトシ.
まあ最後に,ほかのモブと結婚して子供も産んでるから報われているが.
だが彼のcoolなところは後半に,NTRしたミツルxココロカップルのために今まで親のように慕ってきたゼーレ的存在にブチ切れて物申すところにある.
幼少期のゼロツーが青い血だったのに,戦闘中ケガしても赤い血だったのは人間に近づけるような実験結果ということでいいんだろうか.
銀魂でいうところのファイルファンタジー現象(最終回無理やりペアリング)もそれほどない.納得いく組み合わせ
欲を言えば,主人公とゼロツーは地球に戻って子を産む展開が切望するが,
この作品の美しさは劇中に出てくる絵本に沿っているというもあるので展開的に難しいのもわかる.
一応続報っぽいのが出たのでのっける。
https://www.bengo4.com/internet/n_9111/
また、JavaScriptは、閲覧者側のPC内のファイルに触れられない機能になっており、バックグラウンドで動作する機能も設けられていないため、「どのようなサイトもクリックして問題ないように設計されている」と説明。
「取り返しのつかないほどの挙動はしない。データプライバシー上の問題は議論されているが、ただちに刑事罰としている国はない」と述べた。
警察がコインハイブを設置値0(CPU使用率100%)で実験したことについて、「CPU使用率100%と、(男性が自身のサイトで設定していた)CPU使用率50%との実験結果を比較することは妥当ではなく、技術的に誤った実験に沿って起訴されたと言える」と指摘した。
検察側の「マイニングさせられた時に、閲覧者のCPUの処理能力が低下し、PCの短命化、消費電力の上昇などの悪影響が生じる」との主張については、「設定値が0.5(CPU使用率50%)であれば、0.5以下しか扱わないアプリは影響を受けない。温度は上がることはあるがCPU設計の想定内であり、電力消費については広告も変わらない」と説明した。
●「迷惑メール防止法のような展開はありうる」
検察側の反対尋問で「サイト閲覧者は無断でマイニングさせられているのではないか」と問われると、高木氏は「自動的に実行されるが、サイトを離脱すると停止されるため問題ない」とし、「ウェブサイトは設置者の展示会場のようなものであり、閲覧者は足を踏み入れ嫌なら出ていけば良い。モラルなどに関わるが、刑法犯で処罰されるものではない」と主張した。
また、コインハイブの規制については、1990年代に流行った迷惑メールの事例を挙げ、「一つひとつは弊害ではないが、皆がやると破綻してしまうので怒りにつながる。許されないほどに普及した場合に、行政による規制をすべきで、(そのような経緯で成立した)迷惑メール防止法のような展開はありうるだろう」と話した。
これ読んで思ったけど、たかみーは別に裁判官でも弁護士でもないのに「間違っている」「処罰されるものではない」とか自身の職務範疇以上の発言してるのはかなり危ないと思われるよ。
あくまで判断するのは裁判官とか裁判員なんだから、淡々と数字述べて糞リプを論破するだけでいいのに。
「お前のやってることそもそも違わね?」って心証になったらそれこそ原告にとって不利益ちゃうん?
それとおそらく意図的にスルーしてるんだろうけれど、例の人がcoinhiveをホストしていた時期のcoinhiveのスクリプトはバグがあったらしくてスロットル設定しても100%出力で動作してたらしいとの噂もあるで。
その中でも結構有名というか、研究内容を言ったら特定される分野なので詳細は省く。
GPAバトルを制し新進気鋭の研究室に入った俺を待ち受けていたのは、今考えても普通に訴訟もんだろというレベルのブラックな「現場」であった。
同業者の方はご存知と思うが、マテリアルというのは日本がかなり強い分野であり企業の注目度も高く、
なおかつ実用度が非常に高いため「金の成る木」としてバイオと並んで世界との競争が激しい分野でもある(らしい)
比較する先が世界なので、当然世界レベルの努力と実績を要求されることは入って知った。
20時間ぶっ続けでサンプル作った実験結果を当日のゼミで発表すると「もうちょっと綺麗に資料作れないの?」とか平気で言ってくる准教授。
真面目で頑張り屋なのにインパクトファクターを稼げずドクターを6年続けて鬱になった先輩。
めっちゃ上から目線で日本国の公的手続きの手助けを求めてくる外人ポスドク。
当たり前だがすべての研究は無償のボランティアであり、どころか金払って受ける教育なのだが、
求められるのは仕事としてのクオリティ。遊びでやってんじゃないんだよ!
頑張って書いた論文のファーストオーサーはもちろん…教授「俺だよ」
いろいろなことに嫌気がさした俺はアカデミックの道を早々に諦め就活を頑張ることにした。
教授からは「好きでやってる研究だろう。好きなことにすら不真面目な君が社会に出てやっていける訳がない(意訳:研究室で奴隷続けろ)」と全力で人格否定を受けつつ、
少子化の影響もあってか、まあまあ有名といえる程度の大手企業にどうにか滑り込むことができた。
今時小学生でもわかるだろというようなレベルの情報処理の授業、
中学生の国語でやるだろというようなレベルのビジネス作文の授業、
あらゆる授業を仕事として受けることになる。もちろんおちんぎんが発生する。
すべての課題を秒速でクリアし、定時より手前で帰る日々がしばらく続く。
あまりに簡単なので研修よりは同期とのレクリエーションが目的なのだろうと勝手に忖度していた。
ある程度の教育を終えると晴れて部署配属となる。部署はSE部隊。
情報系出身ではない俺だったが、趣味でプログラミングはかじっていたし興味もあった。
入ってすぐの仕事はあるシステム(社員が使っている自作ツール)の改修だった。
新卒に簡単な仕事を与えつつ、プログラミングスキルを伸ばしつつ、自分たちの仕事も効率化できる、という上手い采配である。
プログラミングはかじっていたとはいうものの、ゲームを作ろうとして挫折したり、あとはHelloWorldレベルくらいで、
まともに運用したのは精々MATLABのような特殊なものだけ。所謂プログラミング言語で利用者がいるソフトを触るのは初体験だった。
詰まっては調べを繰り返しながらも趣味の延長のような感じで楽しく取り組むことができ、上司の引いた工程の3分の1で完了した。
俺は平静を装いつつも内心歓喜した。
なにせ不真面目学生である俺は教授から駄目出しをくらったことしかなかったのだ。久々に得られた自己肯定感である。
これはいけると判断したのか、同じく社内ツール改修の仕事をいくつか振られる。
片付けていくうち、俺のPCスキルが先輩社員と比べても高い部類にいることに気付く。
自作ツールを社内LANで動かすとファイヤーウォールに引っかかったりなどするが、先輩社員がそれを対処できないのだ。
どうやらそういう感じで動かなくなり、放置されていた部分を俺が解決しているらしい。
だがWindowsのFWの設定なんてNasneでアニメを撮りためたりFPSの海外鯖に接続するようなヒキニートにとっては半ば常識である。
陽キャパリピっぽい先輩が知らなくても無理はないが、SE部隊で長年社会人やっておいてわからないことには軽く失望する。
プログラミングが派遣の仕事とは言っても使役する側に知識がないのではやはり困ると思う。
ちょうどその時、働き方改革とかいう名目で各職場が独自でやっていたシステムを統合し、
各営業所で独自に動いていた勤休登録システムが全社的に統一されることになった。
新しいシステムはUIもモダンで、前のよりぶっちゃけ使いやすくすぐに慣れた。
だが先輩は勝手がわからないらしく、俺が先輩に質問する回数が減るのと同時に、先輩が俺に質問する回数が増えた。
働き方改革の魔手は勤休にとどまらず、いろいろな社内システムが統合されてゆく。
頼られる頻度は増し、頼ってくる相手も先輩だけではなくなってきた。どこから噂を聞いたのか他部署の人からも質問の内線が来るのである。
上司に聞けや。知っとると思うがワイ新卒やぞ?と思いながら(つーか言いながら)回答する。
まあ新しいものには若い方が強いみたいな感覚は理解できるが同期に聞けよ←残念同期からも同じ内容の質問が飛んでくる‥現実です‥これが現実‥!
このあたりで自己肯定感よりぶっちゃけ不信感を感じることが多くなってくる。
確かに中学生以降は家族でも学校でもパソコンに強いニキではあったが、
まさか面接で選抜されたひとだけで構成されている筈の会社でパソコンに強いニキをやるとは思わなかったのだ。
まあそんな人が一人もいないはずがないので、多分、本当に詳しい人はうちではなく客先に居て、かつ忙しいということだろうと思うが。
さすがに面倒に感じていたある時、PukiWikiを社員が編集して公開できる神システムを見つける。
当然というべきか、数年前に何某が色々編集していた痕跡だけを残し、現在は廃墟と化していた。が、サービスは生きていた。
ゲームの攻略を頑張って書き込んでいた時代を思い出しつつ、新しい社内システムの利用法を懇切丁寧に解説するWikiを作る。
上司からは「その辺の社員100人より貴重」「絶対やめないでくれ」的な評価を賜る。
社内ツールの使い方記述しただけで褒められる異常事態に少しずつ価値観が麻痺してくる。
仕様書がないのはもちろん、そもそも社内環境でビルドできない、なんと.NETではないVBである。
当たり前のように1ファイル50kstepを超えるソースがずらずら並ぶ様は威圧感すら感じさせた。
上司を含めて誰もソケット通信が分からない中、元々チャットツールを作ろうとして失敗した経験のある俺は、
先輩が3人×3時間=9工数かけて解決しなかったあるバグをちょいとググっただけで10分で解決。
というようになんかやたらと活躍し、どうにかプロジェクトが終わるころには上司の評価は天元突破した。
地味に詳しい人は他にもいる(外にいて忙しい)ということもわかり推測は当たっている様だった。
会社に入って以降「君は社会ではやっていけない」と言った教授の言葉の信憑性は下がる一方である。
なにせ主観的にはヒキオタがヒキオタっぽいことをやっているだけで褒められるのだ。
募る違和感の中、経団連の会長室にメールが導入されたニュースと、そのコメントを見て気付いた。
俺は異世界転生したのだと。
そう、俺の就職先は、パソコン強いニキが崇め奉られる異世界だったのだ。
自席で堂々とYouTubeを見てたときには流石に上司に苦言を呈されたのだが
「ゼネラリストには情報収集も必要」と言い訳すると「おお…」「さすが村上君だ…」となって許された。(マジ)
ちなみにマーケット調査の名目で業務中YouTuberを見ることを冗談のつもりで提案したら、真面目に検討された。(マジ)
他の人にはありえないが俺だけ許されるところに落ち着くのではないだろうか。
うける。
正直言って危機感はある。
世界と戦うを標榜していただけあって確かに研究室のレベルは高かったと思う。非情報系でもプログラミングはできて当たり前だったし。
この会社は(最近、一定以上大きければどこもそうじゃないかと思うが)半官半民みたいなもんなので、皆どことなくのんびりと仕事をしているように見える。
その結果、当然ながら競争力が落ちる。落ちはするが、会社組織は存続し続ける。
そして存続し続ける会社の中には「異世界」が広がっているのである。
他の会社もそうだと思うが、各地で頑張ってる派遣プログラマーの方がよほど技術力が高い状態。
まあでも転生した側としては居心地いいのでこの異世界に骨を埋めるのも悪くないと思っている。
あなたとあなたの周辺の研究領域がちゃんとしたアカデミアやってることはよくわかった。
「当たり前のこと」を何度も説明させてすまんな。いろいろ煽ったのは謝る。
ただ今集中砲火浴びてるジェンダー論や法学(右側の政治的な理由も相まってるのが気持ち悪いし、理系の偏見で査読英語言うのは周りにも飛び火しそうで迷惑だってのは理解したが)、あといろいろ不信感ためてるであろう政治学あたりに関しては腐敗の疑いが払拭されるような話が全然されてないし、同じ文系でまとめちゃわないで、そのへんの奴らとははっきり線引いて、理系とは違って査読英語至上主義じゃないけど、「まともな人文学」はちゃんとやってるって立場にしたほうが政治的に有利なんじゃないかと思った。分野同士の無理解って理系文系限らず文系内にもあると思うし、まともでない教授が「文系ではこれが普通」を喧伝して、まともな学者が「確かにそこまでは普通ではある」って追認しちゃうのは構図的にまずい。
余談だが自分も理系でも医学部なんかの体制はもう全然駄目だと思ってる。実験結果に願望乗せすぎだし、論文不正もよほど話題にならなければお咎めなしや甘すぎる処分みたいなだし。政治的争いや上下関係もひどいし、象牙の塔とは同じイメージを持たないでくれと思うことがよくある。山中先生、本庶先生みたいな第一線の科学者がいるのと、学者としてゴミでも医者は患者の命救ってるのでみんな大きな声で言わないけど。
お前はもうずっと増田で、「査読がないことは論文の質を決定する要素ではない」と言っているだけ。それに対して、高いレベルの査読が行われていなければ再検証の対象としての優先度は下がるし、再検証されない論文は被参照数が増えず、論文としての価値が低いと言っているわけだ。査読は優れた研究であることを同業者に認められるための条件の一つになるが、査読されていなければ再検証も行われず優れた研究と認められることは稀である。ゆえに査読されない事は、論文の価値を実質決定する。
被引用数にやたらこだわる人が多いと思ったらそういう理由があるのね。当たり前だけど、マイナー事象を扱っていればメジャー事象を扱ったものより被引用数は少なくなるから、それは直接価値を測る尺度にはならんよねって話をしてるわけ(この問題はとうぜん査読誌にも存在するよ。英語圏でも日本語圏でも、ナチスについての歴史研究とそのへんの小国の歴史研究、読まれる頻度が高いのは研究者人口からいって前者なわけで。まあ当の小国で出た論文に限れば頻度は逆転するわけだけど)。あと、論文の中でダメダメな研究を引用した上で批判する、なんてのもよくやるよな(まさかやらんのか?)。このような研究分野において、被引用数は文字通りどれだけ多くの人に引用されたかという尺度に過ぎず、引用の多寡は直接的には論文の価値とリンクしない……というのは流石に理性があればわかってくれるよね? まあ実質的にリンクしている分野があるのは理解したけれど、他分野においてもリンクしている、あるいはリンクさせるべきだという主張はまったくもって理解に苦しむ。
そして、社会学においては、偉い先生が書いた査読もされない招待論文が価値があるとみなされる構造に問題があると言っている。当初から査読の有無は問題視されていない、論文のクオリティを担保する仕組みについて社会学での在り方が、社会学者内でも文科省でも疑問視されている事を指摘されている。
偉い先生が書いた良い査読なし論文には、そのへんの若手が書いた微妙な出来の査読論文よりも価値がある、という話なので。そしてもちろん近年は査読重視にシフトしている、という話もさんざんなされているわな。同じ社会学でも世代とか環境によって「格」の考え方には差があるわけで、1人の学者の放言に基づいて構造を云々してしまうのは到底科学的な態度とはいえない。まして、社会学に限定するのではなく、「文系」というより広いくくりでの議論をしようとするならば。要するにきちんとリサーチしろと言っている。ろくに対象について調べずに的外れなこと言ってんじゃねーよバーカ、って言えばわかりやすい?
お気持ち表明学問とは違って、理工学は先行研究との間の比較実験をして、実験結果について先行研究との比較を解析的に行う。先行研究との比較には、同様の実験を再度行う場合や、同じシステムを構築しなおす手間を含む。時には、予算も時間も考えられない程かかる。
先行研究との比較ねえ。まず文系といっても色々あるので一概に言えないわけだが、たとえば歴史学なら先行研究で引用されている史料はチェックするよな。文学なら、まあ文学といっても多種多彩だけど、刊本が容易に手に入る小説の内容についての分析なら手元か図書館に同じ本があるはずなんだから再検証は容易にできる。のでみんなやってるはず。逆に文化人類学なんかはフィールドワークのデータに依拠する以上原理的に完全な再現が不可能だけれど、そこは天文現象についての研究と同じだと思ってもらえれば。一回性の振る舞いを膨大に集めて理論を構築していくという意味で。社会学も、フィールドワークに基づいたやつなら文化人類学と同様だし、統計に基づいているなら統計に基づいた議論ができるよな。法学は、まあ、条文が目の前にあって、それをどう解釈すべきか、あるいは個別の事件がまずあって、そこに条文をどう当てはめるべきか、という議論だから、再現性とかあんまり関係ないと思う。とまあこんなふうに、分野によって「再検証」のあり方というのは実に多種多様なのね。理系とひとくくりにされてはいても、工学と天文学と生物学と理論物理学と数学じゃあ「再検証」のあり方は違うっしょ? 理工系がスタンダードな研究のあり方、ということではまるでないわけで、そうなんですか理工系ではそうなんですね勉強になります、以上のことは言えない。
逆を言えば、文系の場合は、査読の有無にかかわらずただ読むだけでいいという事だろう。論文の良しあしに関わらず、ゴミの山に埋もれるのは空しいな。そして競争もない。
ただ読むだけでいいというのが何のことなのかはわからないけれど、普通に競争はある。考古学なら新しい遺物が発見されたとか、歴史学なら新史料を見つけたとか、そういうマテリアルな新規性もあるし、独創的な理論や解釈を提唱したという意味での新規性もあるわな。そして同じ事象を研究するにしても出来のいい研究と悪い研究とでは当然与えられる評価も異なってくるし、違う事象について研究していても同じディシプリンの中にいる以上出来の良し悪しというのはわかってしまうわけで(だから被引用数を重視する文化が存在しない。たとえどれだけナチス研究の方がそのへんの小国研究より注目されていようと、出来の悪いナチス研究と良く出来た小国研究なら後者の方に価値があるから)。
例えば、隣人を助ける。ということの科学的意味だとすると、対照群をつくって、隣人を助ける場合のみ、隣人を助けない場合のみのグループを作り、そのグループを追跡調査する、
などということでやっと「科学的立証」になりえる。と行っても、測定者のバイアス批判はどうしてもある。何より、金人手間がべらぼうにかかる。
近いものといえば「我慢できる子供は大成できるか?」という「マシュマロ実験」なるものがある。結論は、大成する。と一定の結果が出た。
ただ、この実験はウン十年の追跡実験を行っている。ウン十年の追跡実験なんて予算自体どうやって取るのかというものもある。競争的資金では絶対できない。
けど、宗教で善行と言われてること一つ一つにこんな手間かかる実験なんてしてられない。よって、立証は困難だ。
まあ、一つ一つ立証していくしかないんだが、立証できてないというものにはこういうものもある。
あと、データを取ってみても、有意差が出なかったというものがある。
これは「効果があるかないかはっきりしたことはわからん」という実験結果だ。だが、これを「無効だ」と断定する根拠に使われることも注意しないとならない。
挙句の果てに「はっきりしたことはわからんことについて、無効だという前提に立って行動しないのは良くない!」みたいなのが自称科学的な人に見受けられるのに注意しないとならない。
「後進国インテリ」は安易に「先進国の成果(実験結果)」にタダ乗りして、
そうして「後進国の現場」で努力する技術者や現場を指揮する監督的な立場の人間を
「無能」扱いする愚を犯す。
自分は安楽椅子の「全知」インテリ。現場で苦闘する関係者は無知で「無能」な土人。
こういう単純で幼稚な図式で思考する「後進国インテリ」の底無しのアホさに乾杯。
「全知」ハリルの解任に反対、「無能」日本サッカー協会はくたばれ、しか言えない
自称・サッカー通の「後進国インテリ」の幼稚さを目の当たりにして、
日本はやっぱり後進国なんだな・・・と否が応でも再確認させられて気が滅入る。
「現実」は、利口ぶった「後進国インテリの頭の中」よりも、ずっと大きくて深い、という
真実に対して謙虚な、サッカージャーナリスト後藤健生氏のW杯についてのコラム。流石だ。
https://www.jsports.co.jp/press/article/N2018062711274502.html
男男、男女、女女のポルノを見せて性的興奮が見られたかどうかを調査したら
ヘテロ男性は男女ポルノにしか反応せず、ゲイ男性は男男ポルノにしか反応しなかったのに対し
ヘテロ女性はすべてのポルノに反応し、レズビアン女性は女女ポルノにしか反応しなかった
って実験結果があるというけど
(まあ確かに世のエロ本とか見てもそうだろうと思う、女性向けエロは男女モノ以外にBLやGLも普通に多い)
だとすると「LGBT」って何なんだろうと思う
「ヘテロ女性」だと自分で思っている女性は実際は大多数はバイセクシャル、ってなら
LGBTのBは女性に関しては「セクシャルマイノリティ」ではないんじゃないか、と
選択の余地はなかったと思い込むことももちろん自由な選択の結果だよ
今の時点でも選択の余地はどこにでも潜んでいると信じている選択をしている俺と
そうは思わずに選択の余地がないと信じているそちらで選択が分岐してるじゃん
選択結果が複数存在する、選ばなかった場合の結果が存在する(実在する、ではない)ということは選択の余地があったということ
分かれ道があったということは、そこで左道を選ぼうが選ばなかろうが右道の選択を行ったということ
分かれ道に差し掛かったときに自動的に右に進むと予め決定するという選択の結果で右を自動的に進むのもそれは選択
分かれ道に差し掛かって選択した後であの時は選択の余地がなかったと理由づけできることそのものが
その分かれ道でどちらに進むのかを持てる情報と感覚を全て消費した故の結果であり
それを積み重ねた先で片方を除外してもう片方を選ぶしかない状況になったのならまさしく完全に自由なる意志的な選択行動の結果
ただそれにしても人間が現実を認識しきる能力というのはどこか欠けているのが常なので結局何かしらどこかしらに情報不測による選択の余地は付きまとう
原子力発電所を安全神話で信じていた選択は100%余地のない選択だったが現実の方は許してくれなかったわけだ
なるようになるしかないというのは生来の自分の価値観による自動行動選択に委ねるっていう選択をして思考的な労力を無くしたいという願望選択だろう
ラットでさえ経験で迷路の道を選ぶが同じ影響を与えても同じ反応を全くたどるわけではない
つまりそこでラットの個体間に思考の際が生じているということでラットは各々別の思考を持ってして選択しているわけだ、これは自由だな
なお、この実験は結果を人間が予期しているので強制させられている、という見方はそれこそ傲慢だ
実験する研究員はコンマ何秒後にラットがどのルートをたどるとか完全な予測なんてしてない
単にデータからこうなるだろうなと予測をしてこうなったらいいなくらいの感覚で行っている、研究者の大半はこうなってくれ頼むくらいで実験結果を待ってる
なお本能に基づく習性とか反射とかは個人の努力や経験からはどうしようもないことが多いのでその領域に関しては君のように自由も選択の余地もないだろうな
呼吸を止め続けるとか心臓を意識的に止めるとか無理だし自由はないだろう、
だけど顔面に物が迫ってきて目をつぶる反射的行動は訓練で抑えられたり本能的領域のものでも自動化を解除する方法はある
それを訓練しない人にとっては選択の余地がないように思えるけど格闘技や武道をやるやつにとっては自力で主導権を握れる選択権のあるものだと認識するわけだ
極論を言うと全能感のあるマッチョほど選択権が増えていき、そうでないクソ雑魚ナメクジほど世界は狭く不自由になっていく
なにせ自分の選びたい選択結果にどうやってもたどり着けないんじゃ、経験を重ねるたびに自分の無力さと不自由さを重ねるだけだからな
仮に産まれてこのかた自分の第一希望しか叶わなかったような人間が世界に選択はなく、全てがこうするしかなかったんだと言い聞かせて信じ込む必要なんてないんだから
だいたいそういうやつは自分の無力さを呪いながら別の選択をできなかったことを何らかのせいにして自責の念や後悔を払しょくさせたいだけ
しかし実際問題として自分の能力値さえ足りているならその問題は解決でき別の選択行動に移れたと仮定できた時点で自分がそこまで到達しなかったという選択をしたとも認識できる
テストの赤点取るのはなるようになったんじゃなくて、単純に学力が足りないのに勉強サボった選択の結果
ただし現実は死ぬほど強いのでどれだけマッチョでも選択を誤るときがくる、問題は同じことがあったときに自分がどう次の選択をするか考えて備えることだ