はてなキーワード: 入門書とは
『葉隠』(はがくれ)は、江戸時代中期(1716年ごろ)に書かれた書物。肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基(つらもと)が筆録しまとめた。全11巻。葉可久礼とも。『葉隠聞書』ともいう。
目次 [非表示]
1 概要
1.2 書名の由来
2 脚注
3 刊本
4 参考文献
5 関連項目
6 外部リンク
「朝毎に懈怠なく死して置くべし(聞書第11)」とするなど、常に己の生死にかかわらず、正しい決断をせよと説いた。後述の「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の文言は有名である。同時代に著された大道寺友山『武道初心集』とも共通するところが多い。
文中、鍋島藩祖である鍋島直茂を武士の理想像として提示しているとされている。また、「隆信様、日峯(直茂[1])様」など、随所に龍造寺氏と鍋島氏を併記しており、鍋島氏が龍造寺氏の正統な後継者であることを強調している。
当時、主流であった山鹿素行などが提唱していた儒学的武士道を「上方風のつけあがりたる武士道」と批判しており、忠義は山鹿の説くように「これは忠である」と分析できるようなものではなく、行動の中に忠義が含まれているべきで、行動しているときには「死ぐるい(無我夢中)」であるべきだと説いている。赤穂事件についても、主君・浅野長矩の切腹後、すぐに仇討ちしなかったこと[2]と、浪士達が吉良義央を討ったあと、すぐに切腹しなかったことを落ち度と批判している。何故なら、すぐに行動を起こさなければ、吉良義央が病死してしまい、仇を討つ機会が無くなる恐れがあるからである。その上で、「上方衆は知恵はあるため、人から褒められるやり方は上手だけれど、長崎喧嘩のように無分別に相手に突っかかることはできないのである」と評している。
この考え方は主流の武士道とは大きく離れたものであったので、藩内でも禁書の扱いをうけたが、徐々に藩士に対する教育の柱として重要視されるようになり、「鍋島論語」とも呼ばれた。それ故に、佐賀藩の朱子学者・古賀穀堂は、佐賀藩士の学問の不熱心ぶりを「葉隠一巻にて今日のこと随分事たるよう」と批判し、同じく佐賀藩出身の大隈重信も古い世を代表する考え方だと批判している。
明治中期以降アメリカ合衆国で出版された英語の書『武士道』が逆輸入紹介され、評価されたが、新渡戸の説く武士道とも大幅に異なっているという菅野覚明の指摘がある。
また「葉隠」は巻頭に、この全11巻は火中にすべしと述べていることもあり、江戸期にあっては長く密伝の扱いで、覚えれば火に投じて燃やしてしまう気概と覚悟が慣用とされていたといわれる。そのため原本はすでになく、現在はその写本(孝白本、小山本、中野本、五常本など)により読むことが可能になったものである。これは、山本常朝が6、7年の年月を経て座談したものを、田代陣基が綴って完成したものといわれ、あくまでも口伝による秘伝であったため、覚えたら火中にくべて燃やすよう記されていたことによる。2人の初対面は宝永7(1710年)、常朝52歳、陣基33歳のことという。
白雲やただ今花に尋ね合ひ 陣基
葉隠の記述の中で特に有名な一節であるが、葉隠の全体を理解せず、この部分だけ取り出して武士道精神と単純に解釈されてしまっている事が多い。実際、太平洋戦争中の特攻、玉砕や自決時にこの言葉が使われた事実もあり、現在もこのような解釈をされるケースが多い。
しかし山本常朝自身「我人、生くる事が好きなり(私も人である。生きる事が好きである)」と後述している様に、葉隠は死を美化したり自決を推奨する書物と一括りにすることは出来ない。葉隠の記述は、嫌な上司からの酒の誘いを丁寧に断る方法や、部下の失敗を上手くフォローする方法、人前であくびをしないようにする方法等、現代でいうビジネスマナーの指南書や礼法マニュアルに近い記述がほとんどである。また衆道(男色)の行い方を説明した記述等、一般に近代人の想像するところの『武士道』とはかけ離れた内容もある。
戦後、軍国主義的書物という誤解から一時は禁書扱いもされたが、近年では地方武士の生活に根ざした書物として再評価されている。先述したように『葉隠』には処世術のマニュアル本としての一面もあり、『葉隠』に取材したビジネス書も出版されている。
戦後も、葉隠を愛好した戦中派文学者で、純文学の三島由紀夫は『葉隠入門』を、大衆文学の隆慶一郎は『死ぬことと見つけたり』を出している。両作品は、いずれも葉隠の入門書として知られ、各新潮文庫で再刊された。
書名の由来[編集]
本来「葉隠」とは葉蔭、あるいは葉蔭となって見えなくなることを意味する言葉であるために、蔭の奉公を大義とするという説。さらに、西行の山家集の葉隠の和歌に由来するとするもの、また一説には常長の庵前に「はがくし」と言う柿の木があったからとする説などがある。
http://news.yahoo.co.jp/feature/517
で、いともアッサリと詐欺的なセミナーに引っ掛かっている事例がいくつも出ていたので、そういう人が読むかどうか激しく怪しいが、予防法を書いておきたい。
身も蓋もないが、これが一番確実ではある。
第三者の目を通している分、セミナー主催者とセミナー講師が同一である場合より安全度が高いです。
本を出しているなら買うか借りるか立ち読みかで読んでみる。
プログラミング力が上がらない
なぜ継続できないかと言うと、実装ですぐつまって、やめちゃうから
目標としては、数学的な問題が解けるようになりたいのと、データ分析してみたい、、、
とはいつも思ってるんだけど
実装につまづいて何もできない
面白くない
言語は簡単って聞くpythonを一応一通り勉強したけど(簡単なpythonの入門書を読んだ)、
細かい使い方は頻繁につまる
言語を使いこなせるところまで到達したい、、、
基礎が身に付かない、、、、
悲しい
挫折しない基本問題をドリル的にやっていったら力つきそう、ないかな
学業で使っている、shやらは一応使えるようになったし、やり続ければ分かるはずなんだが、、、、
dive into python3がよさそうと思って読んでるけど、完走できるかしら
調べる力っていうけど、一通り身に付くまでは大変だよう
以前、上司が出したスマホアプリのアイデアを俺が実装して、それがちょっとした商売になった。
上司は自分のアイデアをなんとかモノにしたいから、おれにプライベートな時間を使って開発してほしいみたいなことを言う。
気が向かないから「やります、やります」と言ってなかなか手をつけない。
俺抜きでなんとかしようとして、付き合いのある会社にアプリをクラウド化しましょうみたいな話をもっていったみたいだけど、その会社もPHPでWebの開発をしてる会社だからスマホアプリはよくわからないみたい。
(俺の知らないところで動いてるからくわしいことはよくわからんけど)
上司は内心は俺を気に食わないから、俺抜きで動きたいんだけど、俺しかスマホアプリを作れないからそれができない。
でも、俺だって入門書を読んで簡単なアプリしか作れないレベル。
社内の鈴木さんや池田さんあたりのコードを書ける人に、一週間くらい時間とMacを与えて「アプリの作り方を勉強しろ」って言ったらすぐ作れるようになると思うけど、開発できないからそういうのわからないんだろうな。
論理学はもはや何年も前に入門書も捨ててしまったんですけど、論理学上で仏教の空論を扱うというのは私も過去やった事があります。
残念ながら、今はもうほとんど忘れてしまいました。当時も付け焼き刃だったし。
どう言えばいいのかよくわかりませんけど、「ある」「ない」ってすっごく単純じゃないですか。
そういうものすごく単純なところで考えるとわかりやすいかもしれないって思うんですよ。
元増田になる記事の人は難しいと仰ってたし、確かに世に溢れる空とか縁起について書かれた本とかクソ難解に書いてあるので、単純なところで考えてもいいんじゃないかなぁと思った次第です。
お釈迦さんとか昔の仏教の人だってただの人間ですよ。ただの人間が知恵絞って考えただけの話でしかないと思うんですけど、何であんなにクソ難しくするんでしょうね?
◇ 『仁義なき戦い』の脚本家、笠原和夫の本がなぜか図書館にあって、面白くて読みふけってしまった。
曰く、『仁義なき戦い』のテーマの1つは、日本は戦争に負け、経済戦争にも負けたのに、またカネを巡って同じことをやっている。アホばっかりだ。ばーかばーか。ということだと。
時代は違うが内村鑑三も似たようなことを言っていて、曰く、日本は戦争向きの国ではないし、文化もモノマネしかできない。経済もそんな強くない。と。
じゃあどうすればいいかというと、内村は「日本の目指す道は宗教しかない」と言う。
ぜったい無理だけど、そうなったらいいなぁとは思う。
◇ キリスト教関連のエッセイに「フォイエルバッハはいいぞ」みたいなことが書いてあったので入門書を買ってきた。
めっちゃむずかしい。なんだこれ。
入門書の筆者曰く「フォイエルバッハはその主張から無神論者だと思われがちだけど、実はそうでもないよ」とのことなのだが、完全にキリスト教徒を殺しにかかってて笑える。痛いところ突かれまくり。だがそれがいい。
てかマルクスの思想の元ネタの1つがフォイエルバッハらしく、時折マルクスっぽいことを言うのでおおっ!てなる。
これ理解出来たらキリスト教とマルクス主義が頭の中できれいに整理されるんだけどなぁ。なんかもう1冊買うか。
内村鑑三の注釈は聖書の部分によって明らかに筆のノリが違っていて、自身の実生活で慰めを得たところだと熱くなる。
具体的には、貧乏生活を慰める規定や、人を裁くことを諫める規定は熱い。熱すぎる。
たまらずコレヘトの言葉に移ると、地上の快楽を追及するのは虚しいだけだよ、みたいな話なので熱気がすごい。おもしろい。
作者がソロモン(と言われているが実際には違う)ってのもロマンを感じる。
とりとめないが以上
「僕の肛門もファーストブクマしたいんです><」って思って増田記事一覧に来たらラックラック言ってるbotが大量で
今のテレビ台が横に広すぎてテレビ台の後ろにトールボーイ型スピーカー置くしかない微妙な状態
↓
↓
↓
なんか高い…
↓
↓
なんか自作しているのを出品している人がいる!
↓
↓
ヤフオクで自作している業者さんのも微妙に高い…あと松の木材微妙じゃね?
↓
↓
ハードメープルさん堅いし重いし明るいし神!
↓
1ヶ月ぐらいヤフオクと木材通販をウロウロ。作るのも面倒だよね…
↓
アレまてよ?今のテレビ台の横にあるデスクが180cmもあるし、もっと横幅が普通サイズのデスクに変えたら丁度良いんじゃね?
↓
最近のデスク、奥行き短いの多すぎ。あと黒とかダークウォールナットとか暗い色合いのは嫌です…
↓
↓
↓
↓
今のマホガニーと昔のマホガニーは伐採地が違う。昔の奴の方が木目良さそうな感じ。
↓
多分1950年より前の時代のイギリスアンティークならキューバで採った奴か…?
↓
↓
ふええ。。。競り負けちゃったよぅ。。。
↓
↓
↓
Go!プリンセスプリキュアのフィギュアを勢いで買ったけど置き場ない…
↓
取りあえずベッド脇に置いているサラウンドスピーカーの上に置いてみよう
↓
やばい…寝たらローアングラー状態でフローラのスカートの中を見てしまう状態になる…
↓
ちゃんとケースみたいなの買おう!
↓
フィギュア一杯な写真色々出てくるけどそんなに置く予定無い(最大で4体)
↓
↓
作中に出てきたアイテムに近い代替品で固めれば世界観統一できるんじゃね?
↓
↓
↓
↓
↓
姫プリといえば紅茶!イギリスアンティークと言えばティーカップを飾る!
↓
https://www.wedgwood.jp/products/detail.php?product_id=896342
↓
↓
紅茶の点て方と茶葉について入門書を読んだりティーカップのメーカーについて学ぶ
↓
茶の湯って良いよね…茶器って良いよね…
↓
↓
ヤフ(ry
↓
↓
レースが欲しい… ←今ココ
MAHOGANYは神。
姫プリはイギリスアンティークかフランスアンティークのどちらかで統一仕切ると
世界観が近づけることが出来てとても楽しくなると思う。
一時期「村上春樹風に○○を書く」が流行ったが、それと同じく「なろう風」伝記が流行ると面白い
小中学生の歴史入門書として、学研の歴史漫画とかよりも作るコスト安いし、子供の手に取りやすいかもしれない
1 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/10/24(月) 16:18:02.52 ID:E610JJPH0.net
「土地が痩せて、米の収穫量が奮わず…我々は飢えに飢えております…」
思わぬところで我が国の後進性を目の当たりにし、頭を抱えたくなる。
しかし、人民の窮乏を見逃していては理想の社会を作り上げることなど叶わない。私は落ち着いて人民に問う。
「君、自分の口と手の数は数えられるか?」
「ええと…いち…いちに…口は一つで手は二つでございます」
「そうだろう、つまり食べる口が一つで、働く手が二つあるうちは我々は飢えることはない」
「!!!!」
一つ消費する間に二つ生産することができる。
こうすれば食糧が不足することはない。
「なるほど、つまり人口が増えるたびに食糧の生産能力も比例して増えていくということですね!」
「そうだ、そうして作ったものを平等に分配すればこの国、いや、世界の悲惨というものはなくなるのだ」
「産めよ、増やせよ、地に満ちよ。一番の解決策は人口を増やすことだ。子を養えるか、などと臆する必要などない」
「しかし、子が育つまではどうすればいいのですか」
「うむ、緊急的な解決方法としては、稲を植える感覚を半分にすることだ。同じ種類の植物は互いの成長を阻害しない。
これだけで2倍の収穫量になるだろう」
別に犬飼ってるけど、そんなこと知ってるよ
小型のダックス散歩してたらかなり離れたところから気づいて「ヒィっ!」って叫んだ人もいたことある。だから普通の人はすれ違う時いつもリード短くするよ
とは言え恐怖は未知から起きるというし犬の良さを教えたいと思ってるのだと思う。
犬を長年飼ってるものから言えば、犬とのコミュニケーションを知るということは大きいアドバンテージだと思う。
というのは言葉でないノンバーバルなコミュニケーションに長けるということだから。
人間でも言葉で表現できない感情を皆抱えてるし言葉を尽くしてるくれるというわけでもなく、また外国人なんかだと言葉でコミュニケーションが限られる。
犬だけでもないけど猫とかとでもそうだけど、状況から察してそれを元に信頼関係を築けるってのは本当に値千金な能力だと思う。
だからか外国とかよく行くけど、この人が善意かどうか大体わかるし騙されたこととかほとんどない。
まあ犬は他の動物より圧倒的に伝える力に優れてるからノンバーバルコミュニケーションにおいては入門書にあたるよね。
昔読んだ入門書ではさっぱり理解できんかった。クイックソート。
Cで100行以上で書いてあるのな。
夏休みは最悪だった。
行動すれば何か変わると思ってた。人生が好転する出来事に出会えるんじゃないかと思った。漫画的なドラマチックな幸運が訪れるんじゃないかと思っていた。
ベリーハードの人生を生きているキモイ顔と肌の恋愛負け組灰色の青春無気力アトピーゾンビに転機が訪れることはなかった。
海に行った。
半袖半ズボンで行った。水着はアトピーゾンビウイルスの汚さがさらされるのでやめた。
恵まれた健常者たちが楽しそうに人生を楽しんでいた。容姿に優れた女のほうが露出が多いのが面白かった。
アトピーゾンビウイルスの汚い肌に潮風が染みて痛かった。同い年くらいの健常者男女が楽しそうに砂浜を歩いていた。
ギャル男みたいな人たちから嘲笑を受けた。二十代女たちの笑いの対象にされた。
アトピーゾンビは友達も恋人もいたことがない。海で対称的な人生を見せられた。行かなきゃよかった。
プールに行った。
友達や家族や恋人と一緒の人が多かった。アトピーゾンビは汚い容姿と肌なので服を着て徘徊した。
アトピーゾンビの人生がいかに悲惨で不幸でつまらないでごみなのか再認識できた。よかったよかtった。
一人でプールに行っても何もいいことない。ナンパできるほど容姿に優れていれば違ったのだろうが。結局容姿がすべてなんだなと思った。
あーいやなこと思い出した。アトピーゾンビウイルス治療の影響で眉毛がなくなったんだけど、それを恵まれた他人の健常者中学生が馬鹿にしてきたのだ。まゆげねーwwwwうけるwwwwゲラゲラって感じだ。まあいいや。行かなきゃよかった。いやな思いでが増えただけだった。
夏祭りに行った。
浴衣姿の女の子が沢山いた。一生こういう女の子たちと関われることはないんだろうなだってキモイアトピーゾンビだから。と思った。
カップルも多かった。一緒にたこ焼き食べてたり祭りの外で雑談してた。楽しそうだった。アトピーゾンビの人生には一生ないイベントなんだろうなと思った。
同い年くらいの男女六人組が楽しそうにしてた。見下されそうでびくびくして下を見て早足で横を通り過ぎてすぐ祭り会場の隅っこに隠れた。
アトピーゾンビの人生には起きないイベントを当たり前のようにこなしてていいなーと思った。
あのなかで片思いや両想いの人がいるんだろうな。ドキドキして楽しいんだろうな。
青春を謳歌しているな。あのグループは容姿に優れたひとばかりだから人生楽しくて仕方ないんだろうな。
アトピーゾンビも容姿に優れていたらあの輪の中に入れたんだろうな。
その思い出が生きる活力になるんだろうな。アトピーゾンビの人生つまんないな。
生まれてきたのが間違いだったな。虐待もいじめもアトピーゾンビウイルスもなければ楽しい人生だったんだろうな。
健常者のサンドバックとして生まれてきたんだろうな。日本で一番不幸なアトピーゾンビにはいつになったら楽しいイベントが起きるんだろうな。と思った。
花火を見た
糞田舎の花火を見た。糞田舎らしく、何の感動もないつまらない花火だった。
ぼーっと何も考えずに眺めていた。周りの健常者は楽しそうにしていた。
どんな花火でもまともな家族や容姿の優れた友達や恋人とみれば美しい思い出になるのだろう。
ただつまらない思い出が増えただけだった。みなきゃよかった。
ギターを買ってみた
ギター教室に行くという選択肢も脳内にあったが、キモイ肌とでかい頭と一重と腫れぼったい唇とでかい鼻と、がさついてる顔のアトピーゾンビがギター教室に行っても、「その顔でギターwww鏡見ろよ不細工wwなんか肌キモイしwww近づくなよばい菌ww」と講師や生徒に笑われるだけだろうから辞めた。
教則本についてきたDVDをみた。顔は隠れていたが、容姿が優れてそうな人がギターを弾いていた。
二週間くらい毎日練習していたが、何が楽しいのが全く分からなかったからギターを投げ捨てた。
そもそも音楽の素養がゼロで音楽に全く興味がないことに気付いた。バンドの仕組みのことも何も知らない。有名なバンドもギタリストも知らない。
容姿が優れていて虐待もいじめもなければ友達とバンドを組んで楽しい時間を過ごせていたのだろう。
友達ができたことがないから音楽の知識がない。友達と好きな音楽の話をするような時間を持ったことがないから、人生が貧困である。
ギターなんて買わなきゃよかった。金と時間をどぶに捨てた。最悪である。
ボカロ曲を作る
初音ミクでボーカロイド曲を作って愚民どもにちやほやされようと思った。適当に既存の曲を歌わせてみた。パラメーターをいじってみた。飽きた。
そもそもオリジナル曲を作れるだけの能力がなかった。曲を作る熱意もなかった。
音楽の素養がはぐくまれる恵まれた家庭環境に生まれてきたかった。
アトピーゾンビの家にはCDが一枚もない。あるのはテレビだけ。漫画も本も雑誌もない。
そんな家のアトピーゾンビであり、人生経験に乏しい灰色の青春持ち恋愛負け組不細工愛着障害のゾンビがいい曲を作れるわけないのであった。
いい曲を作るには豊富な人生経験が必要だ。アトピーゾンビにはそれがない。
ペンタブを買って絵を描いた
ペンタブと一緒に入門書を買って数週間練習した。けど、絵を描くことの何が楽しいのかわからなかった。
今まで生きてきてまともに絵を描いたことなどなかった。一緒に画力を高めあう友達がいたこともないし、イラストレーターの名前も全く知らない。絵に興味を持ったことがない。賞をもらったこともなかった。
そして、アトピーゾンビは絵を描きたいのではなく、他人からちやほやされて承認欲求を満たしたいだけだと気付いた。
ペンタブがごみになった。買わなきゃよかった。金と時間を無駄にした。最悪である。
小説を書いた
漫画を描きたかったが、絵が描けないから漫画かけないし、しかたないから文字だけで自己表現できる小説を書くことにした。
ラノベのようなご都合主義ハーレムストーリーを書いたり、鬱屈した性格がねじ曲がった少年の孤独なニヒルストーリを書いたり、異世界物を書いたりした。全部短編だ。
しかし、どんな小説を書いても現実は何も変わらないことに気付いた。文章力がないし、ストーリ構成も稚拙でつまらない。やはり才能がないのだろう。
売れれば億万長者になれるようだが、本を一冊書くだけの能力も熱量も持ち合わせていないから無理だ。
梅原のような格ゲーのプロになれば億万長者だし、人から尊敬もされるしで最高の職業だと思った。
遊びが仕事になるとか最高だなと思った。ネットで格ゲーがうまい人が集まっているゲーセンに行った。
後ろからこっそりうまい人のプレイを見ていた。アトピーゾンビでも出来るんじゃね?と思った。
所詮ゲームだし、こいつらよりアトピーゾンビのほうが若いから技術の習得も早いだろうと思った。
なんで、対人プレイはまだ早いと思いCPUと戦った。操作方法がよくわからなかったから、適当にガチャガチャやったら負けた。次に操作を覚えながら戦ったら負けた。まったく歯が立たなかった。後ろから笑い声や嘲笑が聞こえた。
まるでアトピーゾンビの人生みたいだなと思った。負けに負けて何も得られない。嫌な思い出が脳に積み込まれていくだけ。
思えば、小学生の時、友達のふりをしたいじめ加害者の家で対戦ゲームをやらされたとき、いつも負けていたのを思い出した。
お前w何にもできないんだなw笑えるwと言われたのを思い出した。
ゲームの才能が皆無だということを思い出した。そもそもゲーム自体ほとんどやってこなかったからおそらく好きじゃないのだろう。好きではないものを仕事にするのは人生の浪費だ。やーめた。時間と金の無駄だった。
ライブを見に行った
CDで聞くよりもドラムやベースが目立ってて音がでかくてかっこよかった。
ライブに出る人は容姿に優れている人が多かった。とくにボーカルは。汚い顔と肌のアトピーゾンビがライブに出たら歓声ではなく悲鳴が聞こえるだろうなと思った。
観客は健常者がほとんどだった。健常者同士で楽しそうにライブに参加していた。カップルも多かった。
グルグル回るやつとかモッシュとかやってみたいと思ったが、きもいアトピーゾンビが健常者の近くにいると気持ち悪がられるので後ろのほうで一人で遠くから見ていた。
アトピーゾンビが健常者だったらなーと思いながら指をくわえながら観客を見ていた。
タイに行った
日本より閉塞感が無くて良かった。容姿に優れた人が少なかったので気が楽だった。町の人も緩い感じというかいい意味での適当さがあって居心地がよかった。でも、一人で行っても楽しくなかった。
容姿に優れた友達や恋人と一緒に行かないと海外旅行はつまらないなと思った。
あと、タイにも美醜格差があって、容姿の優れたもののほうが楽しそうに生きていた。
健常者ランドという名の惑星地球では美醜によって幸福度が変わるということを確信した旅行だった。
秋葉原に行った
もっと萌え萌えしてる場所だと思っていたけど、思ったより電気街っぽかった。
容姿に優れた女が容姿に優れた健常者が店員の店のチラシを配っていた。容姿に優れた男がナンパをしていた。ナンパは容姿に優れたものしかできない。キモイ顔でキモイ肌の非健常者で虐待といじめを十数年受け続けた精神疾患障害アトピーゾンビにはできないことだ。死ぬまで一生。
アキバには友達や恋人と一緒の人がたくさんいていやな気持ちになった。電車男のようなイベントはなかった。
メイド喫茶に行こうとしたが、
行かなきゃよかった。
田舎に行った
田舎の夏にあこがれがあった。沢山の緑と青い空。美しい蝉の声。白いワンピースに麦わら帽をかぶった少女。
古びた駅。川遊び。虫取り。そんな美しいものを沢山思い描いて田舎に行った。
現実では、じじばばばっかりで若い人が全然いないし、白ワンピの少女はいないし、蝉の声はうるせーし、川ねーし、駅は薄汚れてて汚いし、日陰がぜんぜんないから暑いし、なんにも娯楽施設がないからつまんねーし、自販機すらまともに無いから喉が渇くし、最悪であった。
虫取りしてみれば、蚊が沢山飛んでるし、蜘蛛の巣には引っかかるし、カブトムシはいないしで最悪であった。
カラオケに行った
ヒトカラをした。友達や恋人とワイワイやったら楽しいんだろうなと思った。もう行かない。
瞑想をした
アトピーゾンビウイルスの痒みでまともに瞑想ができた気がしないが一応手順どおりにやった。
瞑想中は虐待や虐めの記憶や、一生完治することがないアトピーゾンビの醜く赤黒い顔やカサカサの気持ち悪い肌が映像として出てきたり、灰色の青春持ちであるキモイごみアトピーゾンビとは対照的な明るく楽しい学生生活の映像が出てきた。
友達がいていじめも虐待もなくて容姿が優れていて彼女がいて勉強や運動するときにアトピーゾンビウイルスに邪魔されないで楽しく取り組める人生が映像として流れてきた。
一週間ほど続けたが、ただ苦痛なだけで何がいいのかわからなかった。やらなきゃよかった。
筋トレをした
これは今でも続けている。なぜなら自殺して死体になったときに体が軽いほうが運ぶ人の負担が少なくて済むからだ。筋肉がついてなんか変わったかというと特に変わらん。まぁそんなもんだろうな。
結局どこに行っても容姿に優れた美男美女が人生を楽しんでいる姿を見せられただけだった。
結局、容姿に優れている健常者のための世界なんだなここはと思った。
やらずに後悔よりやって後悔という言葉は恵まれた健常者なんだなと思った。
非健常者であるアトピーゾンビは行動なんてしなければよかった。苦しい記憶が増えただけだった。身の程をわきまえるべきだった。分相応の生活というのをすべきだった。
恵まれた健常者学生は夏休みには二度と戻ってこない青春時間を目いっぱい楽しんでいるのだろう。
それが生きる活力になるのだろう。そして成人しても仕事もうまくいって老人になっても穏やかでいられるのだろう。
一方、非健常者であるアトピーゾンビは両親からの虐待と同級生からのいじめを数十年受け続け、何もいいことがないから人生に。だから無気力になる。灰色の青春持ちで、仕事もやる気が出ず、首になる。
そして、人生に恵まれてきた健常者が言葉の金属バットでアトピーゾンビをぼこぼこにたたく。
健常者恵まれた人は甘えだの努力が足りないだの言ってくる。健常者より努力してるっつーの。やってらんね。くだらない人生が確定してる。健常者に負ける人生が確定してる。アトピーゾンビウイルス治療の努力は報われない。評価もされない。スキルもたまらない。生きてるのがばかばかしい。
推敲しないで書きなぐったからおかしいところたくさんあると思う。まぁいいや。
何も得られるものがなかったいろいろ行動したけど。無駄な時間と金を使った。
とにかく最悪な夏休みだった。
終わり!!!
2016-08-17
■何にも知らんのに躁うつ病は詐病じゃないのかだと?ふざけるな!
http://workingmanisdead.hatenablog.com/entry/2016/08/16/210028
でもねえ双極性Ⅰ型とⅡ型だとまた全然治療のアプローチも違うので
自称患者なのに、「躁うつ」と「うつ病」の区別がついていないのはどういう事なんやろな
躁うつ病をかるがるしく詐病とか、ちゃんと療養しろとかいうのやめろ。何様のつもりだ。
Follow
はてブのコメントなどを見ても「躁うつ病とうつ病は違う」とか言いはる人がいるんだけど、症状見てても共通点多いし、抗鬱剤で両方に効くものも存在するのでけっこう近い病気です。ツレがうつになりまして。やイケナイ宝箱といううつ病患者の本を読んでも感じたことだけど
Retweets 1 1 like
うつ病と躁うつ病を区別なく語るのは当事者にとって迷惑以外の何物でもないしやめろって何回も何回も何回も言われてるのに、躁鬱とうつの区別をつけたがらないの頭おかしいかもしれないよ?僕はそんなに違いなんてないから細かいところばっかりうるさい人たちってバカだといいたいけどね?
自分が病気にかかってるのにⅠ型かⅡ型かすら言わないってのはおかしいと思うかもしれんよ?
読んだ本もごく一部の入門書と人の体験談、それと自分の経験だけをもとに語ってるのがやる気庵野かって言う人がいるのもわかってあげなくもないよ?
でも病気、すくなくとも躁うつ病的な症状を患っているのは間違いなんだよ。
ネットの言動を見ているだけでも病気であることが確定する前から明らかに言ってることがおかしかったりテンションの上げ下げが異常だったりしたし
むしろずっとウォッチしていた人は躁うつ病って言われて納得するくらいだったからね?ああやっぱりなって。
それなのに、ポッと出の新参がひと記事読んだ程度で判断してんじゃないよ。
手っ取り早く精神科行っちゃったほうがいいよ。
自分の病状を知っていて精神科の治療についてちょっとした知識があり、
主治医の言葉を素直に聞き、だけど素直に信じこむ程度のうすのろでなければ
薬漬けにならずにすみますよ
ttp://www.tm2501.com/entry/2014/02/16/232959
ちゃんといってるんだよ。精神科にちゃんと診断もらってるよ!薬はちゃんと処方されてるよ!
ttp://www.tm2501.com/entry/2015/04/23/002116
でも医師に心を開けるような立派な人がいないから全く治療の効率が上がらず薬飲むしかないんだよ。
医者の話を聞かないで自分で病状悪化させてるけどそれは医者がヤブだから悪いんだよ?
躁状態になったら毎日夜更かししてるし、すぐ炎上記事書いて精神のバランス崩しちゃうからね?
躁うつ病はブログのネタだし、働けない理由、つまり働かずにブログばっかりやってても許してもらえる理由だからね?
躁うつ病は治る病気じゃないけど、それでも症状が軽くなったら働かなきゃいけなくなるじゃん。
考えてもごらんよ?
Fラン大卒、職歴はブラック企業で働いた経験だけ、そのあと数年の空白機関。しかもブサメンの豚まんじゅうだぞ。
いったいどうしろっていうんだよ。
そんな絶望的なハンデ背負って就職活動なんかしたって雇ってくれるところなんてブラック企業だけでしょ。
ブラック企業のせいで心を病んだのに、その僕にまたブラック企業に入るために頑張れっていうの? なんでそんなに残酷なことがいえるの?
頑張って病気を治す努力をしたところで、実社会ではとっくに人生詰んじゃってるんだよ。そんなのとっくにあきらめてるんだよ。
もう現実に希望なんてないんだよ。おしゃれだとか誕生会でウェーイなふりしてるけど自分が偽物のまやかしだってことくらい気づいてるよ。
ブログ以外でも生きていけるのにそっちの方が楽だからってブログで食っていくってほざいてるバカ学生と一緒にするな!
僕にはブログしかないんだ!あいつらみたいな甘えじゃなくて僕は真剣なんだ。
リスクも努力を負わずに成功したいだなんていうやつらは存在自体が僕にとって侮辱だしもはや罪だ。
僕はこんなに頑張っても不幸なのに、ほかの人のほうが僕より頑張ってないのに僕より幸せをつかんでてる。それなのに優遇されてないなんて愚痴を言うのは僕が許せない。
僕はそのことに腹が立ったからそう書いたまでだ。なにか文句でもあるの?
これは特定の病院、特定の薬局に限られてしまう、てか一つの病院一つの薬局に限られてしまうけど病院と治療薬代が1割負担で済むんだよ。
これはかなり裕福な家庭でも受理されるよ。
その代わり、医療費の上限枠がアレだな結構あれになるけどだいたい1割負担で済む。
言いたくないけど、確定診断はもらえてないんだよ!躁うつ病ってことにして薬もらってるだけなんだよ。だから手帳もらえないんだよ言わせんな恥ずかしい。
医療費も生活費も親から出してもらってるからそんなところは気にしなくてもいいんだよ。
働けてなくて親の金で生活しててブログで小遣い稼ぎしてるだけなんだから年金なんか払えるわけないだろいい加減にしろ。
僕より不幸な人なんていないんだ。 僕が一番かわいそうなんだ。どうしてそのことがわからないんだ。
みんなもっとかわいそうなこの僕に優しくしろよ。 かわいそうな僕が好き勝手言うくらい許せよ。 僕が言ってることは全部正しいって言えよ。
なんでだ。なんで社会はこんなに僕に対してつらくあたるんだ。僕が何をしたっていうんだ。
別にその状態でも困らんと思う(いろんな意見を見て取捨選択すればいいから)けど、自分の中にでかい物差しを持てば自然と考えは浮かぶよ。
とりあえず、ミルトン・フリードマン『資本主義と自由』と、マルクスの入門書でも比較しながら読んでみては。言ってることが真逆で面白い。
あとは聖書とニーチェ。両方とも超難解だから共に入門書でいい。神を信じる信じないでここまで思想が違うのかと驚くはず。
余裕があればファシズムについて書かれた本を読んだり映画を観るのもいいね。
この辺についてどちらの意見に立つかを決めておけば、2chで議論されてるようなテーマについて、一応の考えはさっと浮かぶはず。
まぁそこまでするのかっていうとこだけど。
IPAのやってるやつだけじゃなくて、ベンダーのやってる言語とかDBとかああいうのも。
PHPのプロジェクトはPHPの認定試験に受かってる奴しか使わないとか、MySQLの資格もってないとテーブル設計もやらせないしSQLも書かせないみたいな。
認定試験なんて実力とは関係ないって言う人いるけど、SIerではびこってる「経験年数=技術力」って基準より数段マシになると思うわ。
Javaの入門書も読んだこと無いレベルの人が、コードを書くどころかレビュワーをやっていて、しかも「経験年数=技術力」って世界観だから、自分は実力あるとナチュラルに信じこんでるし。
VBから来たベテランが「エラーハンドラを全サブルーチンで書くべし」みたいなルールをJavaに持ち込んで「全メソッドでcatch(Exception e)するべきだろ」とか自信たっぷりに言ってる世界。
ダメな技術者が、年をとってるってだけで評価されて上にたってダメな技術者を育成するって負のループに入り込んでるから、一定の客観的な基準で評価する仕組みをもちこんで負のループを断ち切るべき。