はてなキーワード: 侮蔑とは
「嘘松」って、正直今(良い言葉じゃないけど)ネットスラングで定着していて、あのシーンでも「嘘松確定w」というのは「現実とのリンクをはっきりさせる」ワードだなあと思った。
というか、正直「嘘松」の出どころってもう知らない人がほとんどでは?と思うんよね。少なくとも私は知らなかった。嘘認定のときに言われるスラングっていうか。
TBSにお気持ち送りましょう!みたいなツイート見たけど、本当、そのクラスタ、そういうとこやぞ感はあった。それなら今まで「嘘松」って使わないでキャンペーンやればよかったんじゃないの?
そして今回のは騒げば騒ぐほど「ウワーこのジャンルやべーな」ってことになりそうだし、繊細オタクのお気持ち問題だし……正直黙ってれば分からんし、マジでどうしてほしいの?今後配信のときとかで嘘松が消えてればいいのかな?
個人的にはMIU404 10話であの表現は残ってほしいですね。桔梗部長に投げられる「侮蔑」としては「今(作中は2019年ですが)のネットスラング」中で「これ以上ないぴったりくる言葉なんですよね。」
「ハイ、シンママ美人隊長の嘘松確定〜!」なら下の方がより一層「今感」あるよ。
つー騷ぐならもっと前から啓蒙活動してればよかったんじゃないですかね。繊細オタクヤクザマジで良くわかりませんね。人気ドラマなら何言ってもいいのか?と殴っても殴り返さない相手なら何言ってもいいんでしょうか。
繊細オタク、マジでここまで来たか〜のお気持ち表明でした。自他ちゃんと分けていこうだし、殴れない相手にしか文句つけないのダサいっすよ。
色々なオタクがお気持ち表明しているのを見るので、VTuberを追っかけてる自分も長文お気持ち表明と言う奴をしてみる
誰かの仕事や活動について、キャバクラ呼ばわりするというのは、普通に考えてセクハラだと思うんだけど、違うだろうか?そういうコメントをした人や、それに対して☆を押した人の中の倫理ではOKな行為なんだろうか?どうです?
キャバクラ嬢の人としても釈然としないのではないかと思う。恐らく専門的な技術が少なからず必要な仕事だろうし、実際にVTuber達がキャバクラで働いても多くは上手く行かないんじゃないだろうか、どちらにも失礼な話だ
また、矛盾を感じるというのもある
「キャバクラ的である」という揶揄が揶揄として機能するのは、キャバクラが女性をモノ化し商品化するものであり、かつそれが悪い事だと考えるからだと思うが、揶揄するあなた達はそう言う価値観をちゃんと持てているのだろうか?
もし持てているのなら、VTuberにセクハラして平気な心性とどのように両立するのだろうか?矛盾していないか?
それとも持てていないのだろうか?ではどういう根拠で「キャバクラ」を揶揄として用いるつもりなのだろう?
もしや、他者を揶揄する際に、その前提となる価値観がどのような物であるか、考えた事が無いのだろうか?それは少し、浅くないか?
他者を人格を持った人間扱いしないという事が「キャバクラ」の揶揄の要点であるなら、他者にセクハラしつつそのような揶揄を行う様に、風俗に行きつつ風俗嬢に説教する様な無様なこっ恥ずかしさを感じるのは自分だけであろうか?
今回VTuberのスパチャ額が話題に上がるきっかけとなった以下のランキングにある通り、VTuber以外も含めたスパチャ累計額の世界一位はホロライブ所属の桐生ココである。
https://gigazine.net/news/20200824-youtube-superchat-runking/
で、桐生ココがキャバクラ的なVTuberであるかどうか、彼女の活動を追っている者ならすぐに分かる
彼女を一躍有名にした代表的なコンテンツと言えば「あさココ」であるが、その内容は毎朝6:00からニュース番組形式でホロライブ内の出来事を面白可笑しく紹介したり、ホロライブのメンバーによる英語や裏社会に関する知識を紹介するというもの
まぁ普通に考えて「キャバクラ」という言葉に還元できる様な活動ではない
また桐生ココが世界一位となった大きな要因は、海外視聴者からの人気であろう。redditでのmeme化とそれを自分の配信で取り上げた桐生ココの活動に起因する人気まで「キャバクラ」と形容するのは、些か「キャバクラ」と言う言葉の意味を拡大し過ぎではないだろうか?そこまで広い意味にとった時、果たしてあなたの仕事や活動は「キャバクラ」でないと言えるだろうか?
VTuber界でホロライブと双璧を成すにじさんじから件のランキング10位以内にランクインしているのは男性ライバーの葛葉のみである
その後も15位の叶、17位の加賀美ハヤトと男性ライバーが続く
業界王手のにじさんじがスパチャ累計額において必ずしもトップではないというのは、そもそもVTuberにおいてスパチャが収入源として最重要視されている訳では無いという証左と言えるだろうし
しかもにじさんじ内のスパチャ累計額トップスリーはいずれも男性なのである。「キャバクラ」という言葉が如何に実態と乖離しているか、あなた方が自分に頑張って言い聞かせない限りは分かるだろう
代わりに「ホスト」という言葉を使いたくなるかもしれないが、彼らは男性の視聴者も多く抱えている。私も最近は男性VTuberの視聴がメインになってきて久しい
性的な魅力のみを頼みに活動しているVTuberは実のところ少ない、と言うより、そう断言できるVTuberを私は知らない
(ちなみに、にじさんじの象徴的なVTuberである月ノ美兎はなんと60位。彼女はスパチャどころかボイス等による収入も重視していない。恐らく収入の多くは企業案件やライブイベントが占めている。何度も聞くが、これが、キャバクラ?)
要するに、「キャバクラ」等と言うのは所詮一部をいっちょ噛みして知った気になっているか、または何も知らずにイメージだけで語った人々の脳内にある幻想に過ぎない
程度が知れる
ところで、先程ホロライブとにじさんじを「双璧」と言ったが、それは規模や登録者数という尺度で考えればの話で、VTuberという文化全体をそれら企業勢のみを見て判断する事には多くの反対の声が上がるだろう
個人勢や、登録者数の少ないニッチなVTuberもそれぞれ魅力を持ち、また業界の幅を広げている
そうした幅を「キャバクラ」という言葉に還元して無かった事にしてしまうのは、一体何の為だろう?何の役に立つのだろう?何が嬉しいのだろう?
ひょっとして、ただあなたが嬉しいだけでは?それ以外に何の役に立つのか、考えてみ・・・なくて構わない、時間の無駄だから
「キャバクラ」という形容については他にも色々ツッコミ所が有り過ぎてキリが無い。今まで挙げた物もほんの一部である(気が向けばいくつか更に追記するかもしれない)
そもそも「キャバクラ」という言葉を敢えて使いたがる人はVTuberの双方向性に夢を見過ぎである。実際に配信を見れば分かるが、「キャバクラ」と言えるほど視聴者とのやりとりは無い
例えばゲーム配信ではゲームをプレイしながらコメント欄を確認すること自体難しい。1万円以上のスパチャ(所謂「赤スパ」)も特に気付かれずスルーされる事はざらであり、それでいいのだ
気付かれたり、名前を呼ばれる事が目的では無い人は恐らく少数派ではない、そもそもスパチャをしない視聴者が大半を占める(これをキャバクラに置き換えて考えてみる事が可能だろうか?)
実態を知れば知るほど、むしろ「キャバクラ」との共通点を探す方が難しい
まぁ、別に反論したいならすればいいのだけど、ブコメの文字数ではこれまでの指摘それぞれに反論する事は不可能だろう。トラバでやるにしても結構な労力だ
これまで挙げたツッコミ所はそれぞれ独立している為、1つ2つ反論した所で意味が無く、他が残っている限り結局「キャバクラ」は的外れという事に成る
全てのツッコミ所に反論する、それだけの労力を払ってまで「キャバクラ」と呼びたいなら、むしろその熱意・欲望がどこから来た何なのか考えたほうがよっぽど有益だろう
どうしてあなたはVTuberを「キャバクラ」と呼びたいのだろう?
もし本当っぽい答えを思い付いたら、是非教えて欲しい
追記:
どうしても「キャバクラ」と呼びたいならでびでびでびるの3D披露配信を見ると良いと思う
あれを「キャバクラ」と言われれば・・・違う、気はするが私は強くは否定できない
追記2:
猫カフェもキャバクラっていうのは割と同意を得られそうって事は分かった(ブコメ等で)
そこで提案なんだけど、どうしても言いたいなら「VTuberはキャバクラ」じゃなくて「VTuberは猫カフェ」にしたらどう?
猫カフェもVTuberと同じ理由で(愛嬌を振りまいてお金を稼ぐからとか?)「キャバクラ」ならば、「キャバクラ」の代わりに「猫カフェ」と呼んでも問題無い筈だよね?
勿論これまで説明した通り、「VTuberは猫カフェ」も同様に的外れなんだけど、ただ嫌な気分になる人は減るだろし、反発も少ないと思うよ
それでも何故か「猫カフェは嫌だ、どうしてもキャバクラと呼びたい」と言うのであれば、それは「キャバクラ」呼びでないと実現できない何らかの拘りや欲望(侮蔑的な意味合いを込めたいなど)が有るって事で、
それはあなたの心の問題なので、VTuberどうこう言う前に自分の事を一回見つめ直した方が良いと思うよ
あと、スパチャの実態についてはVTuberを追ってない人は想像しにくいんじゃないかな?とも思った
その辺りはこの増田が詳しく書いてくれてるから読むと良いと思う
https://anond.hatelabo.jp/20200825103218
で、スパチャによる収入の高額さがVTuberに馴染みの無い人には目に付くと思うんだけど
まず想像力を働かせてみて欲しい、スパチャによる収入と言っても、その収入は当然配信によって波が有る
高額に到達する為には、特に高額スパチャの多い配信があった、という事に成る
で、そういう配信の様子をイメージして貰いたいんだけど、高額スパチャが大量に飛ぶって事は、そのスパチャが埋もれる、って事でもあるんだよね
実際、そう言う配信っていうのは大きなコラボ企画型の大会だったり、3Dお披露目等の記念配信だったりするんだけど、みんなスパチャするからまず目で追える速度じゃないの
つまりそういう高額を得られる配信であればあるほど、スパチャはVTuberに読まれないし、スパチャする側もそれが分かった上でスパチャするんだよ(後で読み上げとかはあることもあるけどね)
なので、よく言われるVTuberに反応して貰う為のスパチャって言うのは、実の所無視される前提のスパチャに比べると一部に過ぎないと思うよ(この辺りは自分の観測範囲にも依るので、推測でしか言えないけどね)
こういう部分はやっぱり実際に配信を見ている人じゃないとイメージ出来ないんじゃないかな?と思ったので追記してみた
で、じゃあ何の為に?って思うと思うんだけど、まぁその人がVTuberを続けられるよう支援のつもりだったり、記念のお祝いだったり、ライブイベントを見て良かったと思ったからチケット代代わりに、ってのが多いんじゃないかな
追記3:
ブコメ見て思ったんだけど、猫カフェじゃなくて「猿回し」でも怒らない人は多分居るよ(怒る人もいるかもしれないけど)
追記4:
ごめん、VTuberに馴染みの無い人に対しては一番重要かもしれない情報に今気づいた
スパチャ累計額世界一位の桐生ココは累計額が約8820万なんだけど、チャンネル登録者数は約56万なんだよね
8820万円÷56万人=157.5円/人
一人当たり200円も行かないのよ。トップでよ?
当然実際はスパチャをしないもしくは少額の人が大半で、一部の人が高額スパチャをしてるんだが
「スパチャをしないもしくは少額の人が大半」のコンテンツの不健全性を高く見積もり過ぎじゃない?と思うし、そんなキャバクラある?と思う訳です
追記5:
「キャバクラを見下しているのでは」というコメントがいくつかあったので返答しますが、見下していません
何故見下していると思ったのか教えてもらえますか?そしてその条件にあなた自身も該当してはいないか、確認してみて下さい。
また、そもそも「他の職業や活動を「キャバクラだ」と形容するのは、対象とキャバクラ双方に失礼」という話です
キャバクラ・キャバクラ嬢は他の職業や活動に置き換えられない固有性を持った職業であり、それを他の職業を形容する為に用いるのは、キャバクラの固有性を無かった事にする行為です。分かりますか?
まして他の職業や活動を揶揄・侮蔑する目的で「キャバクラ的」だとした場合、それは明確にキャバクラへの侮辱です
さて、あなたは揶揄・侮蔑する目的で「VTuberはキャバクラだ」と言いましたか?
YESならキャバクラを見下しているのはあなたです、これは明らかですね
NOなら、では何故「猫カフェ」や他の例えではなく「キャバクラ」を用いなければならないのでしょう?
既に私は「猫カフェ」で代替する事を提案していますよね。では解決ですね。よかったです!
(尚、「猫カフェ」を用いた場合も今度は猫カフェの固有性を無視する事には注意が必要です。そもそも、ある職業を別の職業で例える事は、双方の職業に対して失礼だし的外れなんですね、それだけの話です。なので、そういうことはやめましょう)
(まぁただ、例え表向きとは言え、「キャバクラ」という形容を揶揄や侮蔑を意図しないものとしてしか出来なくなったなら自分からすると進歩ではあるので、それは良かったです。そうですよね、揶揄なんかしていないですよね。良かったです)
https://twitter.com/nhk_1945shun/status/1296216569832513544?s=20
企画の趣旨から言って、私個人は注釈なしでもこのTweetにそれほど強烈な違和感は持たなかった。ただ、原文なのか創作なのかという注釈は必要ではないだろうかとは思った。
しかし、諸々の反応を見ていると、注釈があろうがなかろうがこのTweet自体を問題視し、言論封殺ともいえる反応には違和感を覚える。
自分の父は昭和8年の神戸生まれ。終戦当時12歳であっただろう。戦争のことは面と向かって話したことはなかった。
が、どのような脈絡でかは忘れたが、私が中学生の頃、記憶では一度だけなにかの拍子に「朝鮮人」という言葉を侮蔑と怒りをこめて吐いたことがある。
あいつらは汚い、ということも言ったと思う。
ああ、父にはそういう差別的な意識があるのだな、とは思った。学校では差別はいけないと習っていたが、そこで父とそのことについて深い話をするようなこともなかった。
それ以前にも以後もそんなことは言わなかったし、おそらく差別はいけないものだということは頭ではわかっており子供の前である属性の人の話を悪意を持ってしたことはない。
大人になって終戦当時の神戸という街がどんなところだったのかを知るにつけ、父のあのときの言葉がどういう経験から吐かれたのかをおぼろげに想像することができるようになった。
差別的な意識は厳然と存在していたのだろうと思う。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E8%B0%B7%E6%94%BF%E9%9B%84
学校では人権教育と称して道徳の時間に差別について学んでいた。その中で、寝た子を起こす・起こすな、という話(議論)があった。
当時の私は知らなければ存続しなくなるのだから起こさなければいい、と思っていたし実際そんな発言を授業中にした覚えがある。
しかし、今はそうは思っていない。あるもの、あったものを認め、見つめ直し、自分たちの奥深くにある差別という意識を自覚することが必要だと思う。
先のNHK広島の企画によるTweetの内容はおそらく当時の世相の中にあった感情をストレートに発したものであろうと思う。
現代の我々から見ればとんでもない発言であることは確かである。
しかし、当時は厳然とあったものであることも間違いないと思う。
ただのお気持ち長文。
まぁ当然の結果である。
……が、全然納得せず式を強行しようとするクソマンコ新婦 vs 非常に理性的で常識的で心優しい新郎と新婦家族連合軍による双方泣き叫び、ティッシュの備蓄が尽きる丸二日の大乱闘(非暴力)が発生したのであった……
普段遣いの語彙としてチンコもマンコも登録されていない生活をしているので、ここまでだけでも自分の文章だというのに嫌悪感が凄い。
まずなぜ「クソマンコ」という称号を用いるのかというと、先述の2日間が丁度月経の冒頭2日間と完全に噛み合ってしまっていたので肉体的にも精神的にもコンディションが最悪な状態で結婚式やるやらないの話に突入したことが言い訳の一つとして発生するためだ。
自分の月経は人より軽症だと自負しているが、それでも月経開始前の4日間くらいは明らかに些細なことでイライラして社会性が低くなる。
そして開始から2日は必ず熱を出し、判断力が著しく低下して、普段ならあり得ないようなミスを連発する。もう何してもダメになる。こういう時に何らかの決断を下すと失敗する。
この時点で「私はマンコに振り回されるダメな生命体です」とアピールしているようなもんである。
事態を重く見てついに要指導医薬品プレフェミンキメ始めました。効くといいね。
*「体調はただの言い訳ではないですか?」
Exactly
(その通りでございます)
どうせこのクソマンコは体調が良くても結婚式強行論者だった。一度は延期をした3月時点でもそうだった。延期しようと自分から言い出したことはただの一度もない。
非常識!不道徳!お前のせいでコロナにかかったら、クラスターが発生したらどうしてくれるんだ!
と言われるのは目に見えているのにも関わらず……実際言われた。妹に言われた。
ここで
「②こいつ社会情勢や他人の命よりも自分の欲求優先するバカマンコじゃん」
*「最低ですね」
Exactly
(その通りでございます)
早く死ねよ……ゾンビ映画でゾンビを解き放っちゃうタイプのやつじゃん。デッドライジングで犬のために扉開けちゃう(うろ覚え)大戦犯ババアと同じじゃん。
湧き上がる自己嫌悪!高まる希死念慮!オッケーグーグル、コイツ殺して。
Exactly
(その通りでございます)
健やかなる時も病める時も「話がある」と切り出されたらまずは離婚届に思いを馳せるし、もう今回の件はいい機会なのでは???って思っている。
にんげんおんななんて星の数ほどいるんだから、すぐにもっといいの見つかるよ。
「結婚式」に私は何を夢見ているのだろう。
コスプレイヤーじゃなくてもブリブリのドレスを公然と着られる、見せびらかして、幸せですアピールして、バカ高いご祝儀と言う名の入場料払わせて、使い古しの祝福定型句が浴びせられるだけのお遊戯会が私はやりたかったのか?
Exactly
(その通りでございます)
私が中止に際して喚き散らかしたと言うことは、そんなクソイベを親類や友人を殺してでもやりたかったという事なのだ。紛れもなく!
し、死んでくれ〜〜〜〜!!!!
みんなのために死んでくれ!
防疫!
とりあえずあらゆる人間と関わるべきでないなと思う。
終戦までに2日もかかったのは月経のせいもあるかもしれないが、それがなくてもどうせ戦争は回避できなかった。
結婚式は中止だ。
またn月後に再始動する気力はない。
延期は延期で体力かかる。
お知らせのハガキ作って送って、友人たちにラインして、また数カ月後から仕切り直し。
本来だったら式だったはずの日の、家に引きこもってゲームするしかないやるせなさ。
正直二度と味わいたくない。
幸いなことに世話になってる業者さんたちはみな優しくて、タダで延期させてくれたけど……
これからもずるずる延期を続けていくのか?
一体いつまで?
延期連絡を受け取る側だって「またかよしつこいな」ってなるでしょ。
またかよ。しつこいんだよ。こんなクソイベに拘泥している自分が果てしなくダサい。穴があったら入るので埋めてくれ。
同人活動経験を生かしてわざわざ印刷所に頼んだ紙小物以下諸々、何もかも無駄になるが、倫理観のないクソマンコが自分もまともな人間女だと勘違いして用意した自己顕示欲塗れのクソの山だ。とっとと下水に流して終われ。
写真だけは撮るらしいが、当日まともな顔ができるだろうか。自信はない。
というかさっさと死んでね。
終戦の日は、Y君の命日です。
高校時代の同級生Y君とは、それほど親しくありませんでした。同級生とは言っても、三年間で同じクラスだったのは一年生の時だけでした。その後は、時折廊下などで会った時に軽く話をし、稀にメールをする程度の仲でした。
Y君は、予備校の友人と二人で海水浴場に行って事故に遭ったそうです。酷く天気の悪い日で、彼らの他に誰も泳いでいなかったと伝え聴いています。それ以上Y君の死の理由は誰も話しません。みな察しがついているからです。
しかし、僕は彼の死の理由と向き合う必要があります。悼むだけでは足りないほどの仕打ちを、僕は彼にしてきました。
Y君と最初に話したのは、高校入学初日です。僕らの高校は、マンモス私立高校で、大概は公立高校の受験に失敗した人間が行く学校でした。お世辞にも賢い学校とは言えません。それでも、それなりの生徒を集めて、特進クラスが二クラス編成されます。僕らのクラスはその一つでした。
入学式からしばらくは、みな口々にどこの高校に落ちてこの学校に来たのかを話していました。例によってY君も学区一番の難関公立高校に落ちたそうです。最も、僕らの高校の進学クラスの大半は、その高校か、県下トップの公立高校を落ちてきた人間でした。
はじめは出席番号の近い者同士で輪になるものです。彼と僕の出席番号は二番違いでした。ゴールデンウィークに入る頃には友情の再編成が済み、僕らは別々の交友グループに加わって行きました。
端から見ていて、グループの中のY君の地位は極めて低かったと記憶しています。彼らのグループはみなテニス部でした。Y君はいつもいじられる役回りを演じていました。自分から話を切り出しても「調子乗るなよ」という言葉を掛けられている様子をよく見かけました。
入学式が終わってすぐに、実力試験を受けさせられます。Y君の試験結果がどうであったか僕は知りません。少なくとも、僕より上ではなかったことは確かです。学年トップ十人は公表され、僕は四位でした。
第一志望でこの高校に進んだ僕は、周囲から奇異の目で見られていました。ただ一人、Y君だけは、周囲と少し違う反応をしていたのでよく覚えています。Y君の同じ中学校で、学区トップ校合格間違いなしと言われて落ちた二人を、僕は下しました。そのことをY君は自分のことのように喜んでいました。
その時の僕にはまだ、そんな理由で勉強をはじめようと思う理由を理解できませんでした。彼にとって高校はどのような意味をもった場なのかと怪訝に思いました。今になって思えば、不本意に入学した学校について、明るく思える理由を見つけられた日だったのでしょう。
とは言っても、その後Y君が試験のライバルとなることはありませんでした。二年生からは、進学クラスの文系理系とで別れてしまい、一緒になることはありませんでした。英語の授業だけは進学クラス二クラス合同で、レベルごとの三グループに別れて開かれていたが、ついに一緒になることはありませんでした。二年間、Y君は成績下位クラスから上がって来ませんでした。
交友グループが完全に別れてからも、僕はたまにY君と話す機会がありました。というのも通学に使う電車の駅が同じだったのです。そうかと言って一緒に通う約束をするような仲でもありませんでした。遭えば多少話をするといった具合でした。Y君はよく話しかけてきましたが、僕から何か話しかけたという記憶はあまりありません。
彼の家はごく近所でしたが彼の家に遊びに行ったことはありません。詳細な場所も知らず、団地の名前で知っているだけでした。僕は中学卒業後にこの街に引っ越してきたので、同じ中学校の出身というわけでもありません。彼が普段通学路にしていた道が、僕の部屋の窓から見えます。しかし、駅との直線距離上に住んでいる人と思っているだけでした。
Y君はテニス部に入部していました。中学から続けていたと聴いています。しかし、同じクラスのテニス部員から伝え聞くかぎり、部の中での実力ははじめから下位だったそうです。Y君は小柄で、先も細く、よく中学生のようだとからかわれていました。
Y君と同じグループのテニス部員は、高校二年にあがるまでに部活を辞めてしまいました。部員の層は厚くないものの、後輩にも実力で追い抜かれ、Y君は引退まで団体戦のメンバーに入ることはなかったそうです。
ときに一年生の頃にY君と同じ班だったM君は強豪のサッカー部員でした。髪を染めピアスをしていたM君は、Y君に対していつも高圧的な態度をとり、掃除当番を押し付けて、誰よりも早く部活の練習に行き、後にレギュラーの座を得ていました。少なくともY君はそのような気概を持ち合わせてはいないように見えました。
僕らの通った高校には、進学クラスを中心とした三泊四日の受験勉強合宿がありました。合宿中は山のように課題を出されました。ホテルに着いて早々、会議室に籠ってひたすらに特別授業を聴かされました。それが終われば翌日までに解いてこいとプリントを大量に渡されました。まともに取り組んで解き切れる量ではなく、教師もその事を知った上で出していた節がありました。それでも僕らは、教師の鼻を明かしてやろうと思って夜を徹して問題を解いていました。
Y君は、ちょっと問題を解いては周りに話しかけていました。「どこまで進んだ?」「この問題どう解くの?」と。そして周囲が邪魔そうな顔をすると自虐的に謝った後、「よし、俺も集中する」と宣言して問題に取り組み、三十分と保たずに振り出しに戻るのでした。
高校二年の頃、しばしば僕はY君のクラスでごく親しい友人と受験勉強のノウハウや、進行状況について情報交換をしていました。そこに、部活が休みになってY君が加わったことが何度かあります。
Y君が、自分の勉強について詳細を語ったことはありませんでした。自分より成績の良い人間の発言には同意をし、自分と「同等程度以下」と思っている人間の発言にはあまり信用していないような素振りをしていました。しかし、前者が後者の発言に賛同すると、途端に賛同し出す、風見鶏な態度で話に加わっていました。
僕らはみな自分に合わせて勉強のスタイルを組み立てていました。Y君には、そのような節はなく、彼の尊敬する誰かの勉強の仕方を真似しているだけでした。正確には、真似している「つもり」なだけでした。
僕がセンター試験模試で九割をマークした時、Y君が英語の勉強内容について尋ねてきました。その頃僕は学校で配られた基礎的な問題集で文法問題を毎日大量にこなしていました。ケアレスミスを減らしつつ長文問題に十分な時間を確保するためでした。自宅学習を英語の長文に充てられるよう、学校での細切れの時間は文法を勉強していた方が都合よかったのです。
そのような事情は告げず、学校で配られた問題集を解いているとだけ告げると、Y君は基礎的な問題集にずっと取り組んでいました。かなり後になってから知ったことですが、Y君は毎度の模試では長文問題で大量失点を繰り返していました。長文を読む訓練からはじめるべきだったのに、同じ文法の問題集に何周も取り組み続けていたのです。その後も彼は模試の度に取り組んでいる問題集を尋ねに来ましたが、僕は同じ問題集だと答え続けていました。
時を同じくして学年上位の人間が「単語力が足りない。」と言ってハイレベルな英単語帳に噛りつくと、Y君はそれを無条件に肯定し、同じ単語帳に取り組み出しました。
学年上位の彼女の場合、元から基礎的な語彙力・単語力がしっかりあり、それに支えられて文法問題を解きこなし、身に付けた語彙・文法で長文を読み解き、総合的な英語力を身に着けた後に、日々取り組む実践問題の中で単語力の不足を感じていたのでした。Y君は、そのような事情を知る由もありません。
すべての教科の勉強がこのような具合で、Y君の受験勉強は日々、一貫しないものになっていきました。誰かが「基礎をしっかりしないといけない」と言えば同意をし、しばらく基礎的な勉強を繰り返し、また誰かが「基礎ばかりで実践レベルの問題が解けない」と言えば、応用問題を解き始めました。Y君は、自分の実力を冷静にみて勉強する習慣がなかったのです。
試験が終わっても模試が終わっても、Y君はいつも「次で挽回する」とだけ言って答案用紙を二つ折りにして閉まってしまい、自分が何を間違えたのか何が不足しているのか反省をしているようには見えませんでした。僕らは答案を見せ合い、点数をひけらかし合い、同時に何を間違えたのかも見られ、ときには馬鹿にされ、それを恥じ、次には同じ過ちをしまいと心に誓ったのです。そして口々、「次の試験では負けない」と言い合うのでした。
Y君は、ただひたすらに成績上位の級友に勉強方法・勉強内容を尋ね、それを真似してみるだけでした。あるいは、それで成績の落ちた級友に反省点を尋ねてみるだけでした。自分の頭を使って、自分に必要な勉強をして成績を上げようという姿勢が見られませんでした。
高校二年の秋頃から、学年トップ十人の常連の内で、制服に細工をするのが流行りました。理科実験室から拝借してきた薬品で五円玉や五十円玉を磨き上げ、ブレザーの左胸にある校章の裏に挟むのです。すると鳥をあしらった校章が後光の差したように見えます。上位三人が五円玉を、残り七人が五十円玉をはさみ、模試のたびに奪い合うのです。
事情を知らぬ者が見れば、何のこともない遊びです。どんなにかよく言っても「お洒落」程度のことです。何も知らないでY君がそれを真似して校章に五円玉を挟んでいたのを、僕らは影でクスクスと笑いました。自分の手で掴む喜びを知らないで、努力する苦しみを知らないで、努力した者の成果にだけ憧れるY君の態度を、僕らは気づき、そして内心侮蔑の眼差しで見ていました。鈍い色の五円玉が、それを象徴しているように思えたのです。
勉強をしたからテストの結果が伴うのだという自信が、僕らの中にありました。また、勉強していないから全国模試で他校の人間に負けるのだと悔しがっていました。進学クラスの同志とともに学内順位で一喜一憂するのは全国模試で泣くほど悔しい思いをした腹癒せであり、本懐はみな志望校への合格でした。
正直に言えば、僕は心底彼を見下していました。大した進学校でもない私立高校の成績上位だけを見て、「◯◯君、勉強できるもんね」と言えてしまうY君の姿勢を、僕は内心唾棄すべき存在だと思うようになっていました。
僕は、努力の方向性を間違える人間は愚か者だと思っていました。そして努力すらしようとしない人間を軽蔑していました。他の何もかも投げ打って練習に取り組むわけでもなく実りのない部活動にただ漫然と時間を費やすY君の姿勢は、まさに軽蔑の対象でした。「三年の夏に部活を引退したら、本格的に受験勉強をする」というY君の弁に至っては、この時点でもう勝負はついていると僕は思いましたが、哀れな奴だと思うことにして黙っていました。
当時進学クラスの上位面々にしても、実際には大した学力は持ち合わせていませんでした。勉強すればするほど募る不安を振り払うべく、ビックマウスで自分を鼓舞させ、歯を食いしばって受験勉強に打ち込んでいたのです。
みな手の内を知っているから言い合えた言葉がありました。「普通クラスの連中が努力して行くような大学だから、日東駒専は滑り止め」「明青立法中はセンター利用入試で一学部二学部抑えて、あとは試験慣れ」「本命は早慶、国公立大学」
Y君が目指したのも、早慶の文系学部でした。折りに触れ志望学部を聞いた時に「受かったらいいなぁ」という言い方をしていたので、どこまで本気で受験していたのか分かりません。また彼が将来どういう職業に就きたくてその大学を目指したのかも知りません。いずれにしても、当時のY君の実力からすれば、合格は絶望的なので記念受験だったと思います。
日本で双璧をためす有名私立大学どころか、当時のY君は本気で日東駒専を第一志望にして対策を組んで然るべき成績でした。それにも関わらず、十分な対策をしていなかったのでしょう。そのレベルの大学を「滑り止め」として受験し、行き場がなく浪人が決まりました。
先にテニス部を辞めたある級友は、有名私立大学に合格しました。Y君から学業面で「同等程度以下」と思われていましたが、彼は初めからY君より成績は良く、そして努力の甲斐あって志望校に合格しました。Y君が、センター利用試験で抑えるつもりだったレベルの大学です。
高校の卒業式で、Y君は自宅浪人をするつもりだと話していました。図書館で勉強している方が集中できるからだと本人は話していました。それを聴いて、受験勉強のやり方を根本から間違えているのだから予備校に通わなければY君は同じ失敗するだろうと、僕は思っていました。
僕も浪人が決まっており、同じ境遇の友人らと、どこの予備校に行くか、予備校が始まるまでどう過ごすか情報交換をしていました。しかし、僕は、彼と同じ予備校に通うのは自分の精神衛生に悪いと思い、誘いませんでした。
僕は気心が知れた戦友二人と予備校生活を送りました。定期的に他の予備校に通っている元同級生とも食事に繰り出し、情報交換とリフレッシュをしていました。時には勉強会を開き、時には悪い遊びに繰り出し、予備校生活を満喫しました。僕はY君に対して意図的に声をかけませんでした。
Y君が亡くなった後、彼がどのような浪人生活一年目を送ったのか、聴いて回っても誰も知りませんでした。分かっているのは結果だけです。一年後の再戦にY君は敗れました。彼が受かったのは、日東駒専の文系学部一つでした。浪人してそんな大学行けないと、二浪することを決めたそうです。Y君と伴に最後までテニス部にいた普通クラス出身者が、予備校生活の後に地元国立大学の教育学部に合格したのも少なからず影響があったと思います。
Y君の二浪目については、僅かながらに噂が流れていました。僕らが通った予備校とは別の大手予備校に通ったと聴いています。そしてそれはY君の両親の望みだったという話です。しかしそれ以上のことは誰も知りませんでした。
Y君は、限りなく記念受験に近いであろう第一志望の早稲田大学に落ちました。それでも、今度は明青立法中レベルの大学に手応えを感じていたそうです。高校時代の担任教師の元には、今度は大丈夫そうだとメールが来たそうです。滑り止めに受けた日東駒専の合格は決まっていました。
しかし受かった手応えを感じていた青山学院大学は、不合格だったそうです。その結果が判明した時、既に日東駒専の手続き期日は過ぎていたそうです。二浪して予備校に通い、親に負担を掛けたくない気持ちが働いたのでしょう、Y君は日東駒専の入学一時金を払わなかったそうです。
かくしてY君は三浪目が決まりました。その頃のことは、Y君の級友何人かが打ち明けられていました。「一浪、二浪までは変換できるけど、三浪って、ケータイで変換できないんだね」Y君からある友人に宛てられた最後のメールには、そう書かれていたそうです。
苦しさは後に喜びがあると知っているから耐えられるものです。喜びのために経験する苦しさと、苦しさの後にある喜びとは、価値が全く異なります。失敗の先に成功を掴んだ人間だけが、成功を評価できます。しかし成功を掴めない人間には、そのような言葉は無力です。苦しさの中でも特に失敗は辛く、とても重ねていられるものではありません。
三浪目の夏、Y君は、予備校の友人と二人で海に行き、事故に遭ったことになっています。酷く天気の悪い日で、盆過ぎの海水浴場には彼らの他に誰もいなかったと伝え聴いています。
同行したのが同じ予備校の友人であるのかは分かりません。しかしその新聞を調べてみると、天気予報では、県内は午前曇、午後から雨となっていました。海水浴に出かける天気ではありません。実際の天気を調べてみても、前日から曇り、実際に曇のち雨だったようです。
二人は遊泳禁止柵を超えて、外へ外へと泳いでいったそうです。友人はしばらくして怖くなり引き返し、Y君のことを警察に通報したそうです。海上保安庁と警察が捜索したものの、Y君が発見されたのはそれから二日後のことでした。
沖に流されて生還した人の体験談を、折りに触れ読んでみました。だんだんと手足の感覚が無くなって行き、全身が重く感じられ、乾きと苦しさと絶望のあまりに、自ら沈もうとしても身体は死を受け入れず、数時間に渡って浮かんでいると言います。その間、Y君は何を思ったのでしょう。
暗く塩辛い海の底に引きずり込まれるまでの数時間、海に来たことを後悔するのでしょうか。自らの力の無さを恨むのでしょうか。早くから勉強しなかったことを悔やむのでしょうか。時代を恨むのでしょうか。日本社会を恨むのでしょうか。
人生の遠回りを許さない日本の空気に、Y君は命を奪われました、一体誰が仇をとってくれるのでしょうか――僕はそう思うことで、Y君の死は、自分の責任ではないと思い込もうとして来ました。そんな綺麗事では済みません。彼を死に追いやったのは僕らです。
彼の学業上の相談に乗らなかったのは、彼が気楽に、好きなことをしていたことに対する妬みです。彼が、僕の思う独善的な「努力」をしないことについて、快く思っていなかったからです。「努力」などと呼んでいいものではありません。自分の味わった苦しみを人も味わえばいいという意識は、酷い嫉妬心に過ぎません。
彼が学業面で悪循環に陥っていると知りながら、僕ら「成績上位者」を誤解していることと知りながら、僕らが手の内を明かさなかったのは不当な仕打ちです。Y君は、級友の受験勉強という、励まされる理由にも自信を持つ理由にもならないものを盲信していました。そして、僕らはそのことの具合の悪さに気づいていながら放置し、影で嘲笑っていました。僕らはY君の話を聞ける関係にあったのに、聞かずに見殺しにしました。
こうまで酷い仕打ちをして、どうして彼の死を受け止めて来られなかったのでしょう。
今なお、僕は「僕ら」でないと責任を背負えない弱い人間です。そんな僕にも毎年夏は訪れます。しかし、今に自分一人、罪の念を免れたいがために記憶を上塗りし、忘れ去ってしまうことでしょう。あるいは、もうそれは始まっているのかも知れません。
実家にある、かつての僕の部屋からは、一車線しかない県道が望めます。Y君が三年間、高校に通うために歩いた道です。なんの変哲もなく、田んぼと林に囲まれた田舎の風景です。僕が彼から奪ってしまったものの一つです。
わたしは女です。
でもこの趣味を大々的にSNSに書いたり、この趣味で男性コミュニティに参加したり、誰かと仲良くなったりしたことはないです。
そして現実に誰かをそういうふうにしたいだなんて思ったこともないです。
わたしは女なので、そういうことされてもまったく気持ち良くないのもわかります。
でも気がついたら好きで、楽しんでました。
たまーに仲良くなった人に言うとそう言う願望あるの?と聞かれますが、現実と空想の区別くらいついてます。そんなわけないです。あんな痛くてかわいそうなのされたくないし、したくないです。
男性がこういうのが好きだということを前面に出してるとまるで犯罪者みたいな扱いですけど、みんながみんなそうではないとわかっています。
ただ食ってそうっていっただけで。
イラスト化された顔があっただけで、その顔についての感想なんてないのに。
ただ食ってそうってだけ。
半沢直樹おもしれーーーー!!と思って検索したら女性の社会進出から出遅れている時代錯誤なドラマと叩かれていた。
10年前、高圧的な上司に抗う一社員の姿が多くの社会人を興奮させた。半沢直樹は社会人にとってのアンパンマンの様な存在となり自然と応援してしまった人も多かったと思われる。
女性の社会進出、女性軽視、インターネットで見ると一番うんざりするワードだ。勿論現実社会では新しい価値観にアップデートしていくことが必要であるし実際に取り組みされていない会社への信頼度は最底辺である。しかしフィクション、ましてや半沢直樹にそれが必要か?という話なのだ。
半沢直樹はまともじゃない上司と、前時代的な考え方と、旧時代の価値観だから面白いのだ。手柄を横取りしない協力的な上司と、新時代を彷彿とさせる前衛的な社会で、最新までアップデートされた価値観の半沢直樹なんて大したトラブルは起きないしつまらない。古臭いからこそ理不尽な悪が成立するのだ。むしろ女性が役員として活躍している立派な会社でこんな馬鹿みたいに価値観の狂った事件が起きているフィクションの方が女性への侮蔑じゃないのか。
なんか頓珍漢なブコメが多いので。
当たり前なんだが、理解できていない人が多い様子。
日本が銅像に不快感を示し、撤去を要求したからといって、韓国政府がそれに従う必要は全くない。
たとえば、もし日本が他国政府の要求に従わなければならないとしたら、今頃、尖閣は中国領で、日本の歴史教科書は嘘だらけで、靖国神社は閉鎖されており、日本は毎年韓国に賠償金を払っているだろう。
日本が「撤去を要求」するというのは「不快感の表明」と同じくらいの意味しかないし、韓国に対して何の強制力もない。
もし、日本の要求が韓国に対する強制力を持つと想定しているなら、それは全くの過去の話だ。
今や日本と韓国は対等な国であり、日本の要求には強制力はない。
したがって、日本が「撤去を要求」することが、韓国内の表現の自由を損ねるなんてことはありえない。
だから、韓国国内で表現の自由を保証したければ、韓国政府は日本の要求には従わず、銅像を撤去しなければいいだけだ。
ただし、韓国内の表現の自由の結果として生じる外交上の問題については、当然、韓国政府が責任を負うことになる(間違っても日本政府ではない。あくまで日本政府は自国の首相が侮辱されている立場であり、表現の自由は韓国の社会制度の話である)。
韓国政府は、具体的には、「表現の自由を優先する国であるため、銅像は撤去しない」とした上で、侮辱については日本に謝罪すれば良い。
もしくは、外交上の些細な問題として、謝罪せずに放置しても良い。
「首相に土下座をさせる」というのは、首相に対する(あるいは日本人全体に対する)明らかなヘイトである。
もしこれが「首相の顔写真に✕マークをつける」「首相に軍服を着せて軍国主義と揶揄する」くらいの内容なら、ヘイトとは言えない だろう。
なぜなら、前者(土下座)は「個人の尊厳の侵害」を意図しており、後者は「政治的な主張・怒りの表現」であるからだ。後者は表現の自由の範疇だ。
言い換えれば、「土下座」という表現は、表現の自由で守られるような「慰安婦問題に対する怒りの表現である」とは考えにい。少なからず「安倍首相または日本人全般に対する侮蔑、見下し、嫌悪の表現(ヘイト)である」と考えるべきである。
日本政府としてこの表現を黙認するというのは、ヘイト表現、人権侵害の黙認に他ならない。
「ヘイトされた当事者だから黙っている」というのは、国際社会では「大人な対応」とは見なされない。「日本政府はヘイトを黙認した」というメッセージだけが伝わる。「相手が北朝鮮であれ中国であれ東南アジアであれ、日本政府は韓国民間人によるヘイトを容認する」というメッセージにしかならない。
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ということでブクマカの皆様には、そろそろいい加減に「韓国はもはや日本と対等の国である」という認識を持ってもらいたい。自国の首相に対する侮辱に抗議するというのは、ごく普通の外交プロセスである。むしろ、「韓国の表現の自由に配慮しろ」なんて言っている人は何様目線なんだろうと感じるし、時代錯誤の感覚で、「途上国」「弱い国」である韓国を見下す差別意識が漏れ出ているようすらに感じる。
梅雨寒の中、自カプへの浅い考察で苦しんでいらっしゃるでしょうか。
ご両親と仲が良いあなたはいつか来る離別に怯えていらっしゃるのでしょう。不仲でご家庭に居場所がないあなた方は相も変わらず飲酒で誤魔化していることと存じます。
この度は私が書いた拙作への侮蔑をいただき、ありがとうございました。今回に限った話ではありませんが、一生忘れません。
思い返せばいつでもそうでした。一人が調子に乗って暴言・暴力に近い内輪ネタを擦っては他二人がそれに同調する。私がそれを笑って流す一連の流れが大好きでしたね。おかげであなた方は学生の頃から周囲から浮いていて、それを気にしないスタンスで大声でTPOを弁えないことを言っては大はしゃぎ。まあ学生生活での陰キャなんてそんなものですが。私の所属する団体を、その仲間がいる前で罵ったときのことはいつまでも忘れません。
みんな最高!の「みんな」の中に私がいなくなったと明確に示された時。もう離れようと決意しました。一年前の夏の事です。距離を取り始めた私を、いつしか下等の存在と認識するようになりましたね。その時に言ったことも、ちゃんといつまでも覚えてますよ。いつまで骨格から崩れている絵を描き続けては、仲間内で称賛し続けるのですか?自分が気に入らない話をさせないから、カップリングの解釈から普段話すことまで皆一辺倒。課金額を競えど絵の上手さは競わない。だってここの解釈が一番だから?馬鹿馬鹿しい。
こちらは幸いにも文筆で個人のご依頼を頂く機会が増えました。下手な奴は絵を描くなと言われて以来、呪いにかかったように何も描けませんでしたが、また下手なりの絵を描き始めました。二年前に言われた、絵が上手い人だけが解釈がしっかりしているという言葉から、やっと解き放たれたと思います。
これを書こうとした理由は、あなた方が数日前に称賛した二次創作が私の作品だったからです。笑いました。監視していたあなた方が、私という符号が着いただけで貶していた作品があなた方の心に響くという、すべての薄っぺらさに。
笑った後に、なぜこんなことをしているのかと思いました。蔑ろにされた作品たちと、過去の私の分。報いたはずなのにどうしようもなく何もない。
何もないから、もう何もしません。疲れました。私は絶対に筆を折らないし、あなた方の不幸を祈り続けるけれど、いや、不幸に苦しんでいてくれと呪います。
(地縁や血縁による束縛が強くて旧守的な老害が多いというイメージ。これを叩いているのはそういう土地に嫌気が差して出てきた上京者の場合も多い)
(関西人、九州人、東北人などへの嘲笑ネタ。ただしそれは大まかな地方区分で、実体験にもとづかない「観念としての関西とか」だったりする場合も)
3.具体的に名指しで「岩手県民」とか「岐阜県民」といった叩き方は、俺の知る範囲では、何かの事件の時に起こる一過性のもの以外はあんまり見ない気がする
(これって結局、ネトウヨの考える韓国人が常に「釜山在住の金だれそれ26歳看護師」とか「仁川在住の李なにがし44歳焼肉屋の店主」といった具体性を持たない観念上の韓国人なのと同じ構造かも知れない)