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2024-07-19

anond:20240719230902

全部不可能じゃんw

特に簡単にできるはずの記者クラブが今も残ってる時点で本気で終わってるわw

もう10年以上前になくなっているべきで、現代では今すぐなくなっているべきゴミだよね。

記者クラブは。

anond:20240719222710

そーゆー方向の制限が正しい。

ダウンロード違法化だってバカが騒いでたけど、ダウンロード違法なんて不可能から

バカは放っておいて、適切(っぽい)法律になった。  

ワンクリ詐欺業者の回し者かよ、って話でさ。

AIも同じ。

AIの連中はバカしかいないから適切な規制が分かってない。

anond:20240719210301

都内年収800万くらいじゃ、確かに厳しいよな。一人暮らしでも贅沢なんて到底無理だし、家族3人を養うなんてほぼ不可能に近い。

やっぱり、基本的にこの社会が悪いんだよ。

生活費もどんどん上がってるし、税金も高い。

もっとまともな政策を打ってくれないと普通人間は生きていけない。

それに、女性がいろいろ無駄お金を使うから家庭の財布も苦しくなるんだ。

その上、家族全員が頑張ってもどんなに節約しても、やっぱり社会システム自体労働者を苦しめる構造になってる。

自分たちの頑張りが報われないのは社会のせいだし、どうしようもないよ。

抑止力

抑止力といえば核が筆頭に上がると思うがウクライナ戦争を見ていると現代では敵は短期決戦を仕掛けてくるので第一斬首作戦を阻止して海外から支援が固まるまで耐え抜く戦力を保持することが核を持たない国にとっての抑止力なのだと、と理解した。長期戦になれば攻撃側も損失のほうがデカくなるので単独同士で最終的に勝てる勝てないではなく短期決戦は不可能と思わせることが重要となる。

anond:20240719130134

頭悪過ぎ

秘密に出来るって話であって

むやみに投票先を明かすものじゃないなんて原則じゃないか

しかも、投票先について責任は負わないとも書いてるのに、お前らしょっちゅう他人投票先に文句つけてるじゃん

ここまで頭悪いとそりゃあ対話不可能だわ

選挙秘密原則は、日本国憲法第15条第4項に定められた重要原則の一つです。

この原則は、選挙における投票秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問われないと規定しています

簡単に言うと、選挙人は、誰に投票したのか誰にも知られることなく、自由意思表示することができるということです。

この原則は、民主主義の根幹を支える重要原則であり、以下のような役割を果たします。

* 有権者意思決定自由を守る: 有権者が、周囲の目や圧力に左右されることなく、自分意志投票できるようにするためです。

* 選挙の公正さを確保する: 不正投票や買収などの選挙犯罪を防ぐために役立ちます

* 多様な意見尊重: 異なる意見を持つ人々も、安心して投票できるようにするためです。

選挙秘密原則は、さまざまな仕組みによって守られています。具体的には、以下のようなものがあります

* 投票所の構造: 投票ブース記載台などの構造によって、他人投票内容を見ることができないようになっています

* 投票用紙の秘密: 投票用紙には、氏名や住所などの個人情報記載されておらず、投票内容のみが記録されます

* 投票管理者職務: 投票管理者は、投票秘密を厳守する義務を負っています

選挙秘密原則は、有権者安心して自分意思投票できるようにするために設けられた重要ルールです。私たち一人ひとりが、この原則理解し、尊重していくことが大切です。

一度やってみたい不可能なこと

素敵な男性として振る舞って結婚し家庭を作る。

子供を設けて良き父として夫として社会人として働き、家族幸せに導きつつ。

ある日、自殺する。

それはもう、一切の疑いの余地がない明確な自殺をする。

家の中で首吊りだろうか、とにかく自殺します。

死んだあとの家族狼狽を愉しみたいというのが趣旨だけど、倫理的にやっちゃだめだし、それ以上に死んでるから無理ですwwwwwwww

ショックのあまり吐いてほしいです。重要な点は自殺ということです。

自殺には身近な人への強烈な暴力的メッセージが含まれてるわけです。

父の夫の自殺に、泣き崩れたり嘔吐ちゃうくらい、ベタベタ家族をかわいがって敬愛されておきたいですね。

単発では受忍限度内だったことを、多人数がやったせいで容認できないレベルになった場合、誰が「有罪」になるのか

たとえば、子供が嫌いな子を無視した場合

やった時点では問題なかったのに、事後に他人の行動によって「有罪」になるのは納得しがたい。

どこが分水嶺なのかの判断が難しいので、誰が「有罪」になったとしてもおそらくは納得できない。

いつでもそれに相当する人がいるわけではないし、どの時点から責任を問われるという点で上二者と同じ問題が生じる。

この例ならありなのかもしれないけど、「無視」が相互観測不可能行為だったケースでは疑問。

ちょっと違うけど冤罪裁判の後始末とかを見てるとこんなものなのか、とも思う。

でも、みんな他人には厳しいので、裁判所や検察自分たちを裁くとき以外にはこの基準は選ばれない気がする。

 

郵便受け広告が大量に放り込まれるのに紛れて必要郵便物を捨ててしまい、こんなことを考えた。

『無害な陰謀論から抜け出すことについて

陰謀論を信じる人に何を見せても修正できないって話

たとえばネットの押し引きで、フェミニズムが劣勢って考えは、実は、陰謀論みたいなものだよ

この辺の界隈にいると、フェミニズムマイノリティエコーチェンバーに篭ってるように見えるけど

広いネットを見渡すと、こここそがエコーチェンバーなんだよ・・・

そんな風に耳打ちしたとして

あり得ないって思うよね

フェミニズムは負けてるに違いないと信じても、生活には実害がない

人生普通に続いていくだけ

こういう『無害な陰謀論』って、やっかい

無害ゆえに、抜け出そうとするインセンティブが働かないか

誤った価値観を抱えたまま生きてくしかない

「ここって実はエコーチェンバー?」

こんな風に、自分のいる場所エコーチェンバーだと疑うのは、不可能

沼にハマってる人は、沼にハマってる事に気付けないか

「いや、エコーチェンバーなんて、あり得ない」

否定することで確信が強まるのは、普通陰謀論と同じ

「私は陰謀論とは縁がないよ」

だって、そう思ってる

「私も陰謀論を信じるかもしれない」

そう言って、自分安心させてる

誰も本気で、見えない沼から抜け出そうとはしない

『無害な陰謀論』って他にも結構あると思う

ジェネリック高瀬一矢を求めている 堀江晶太換骨奪胎が終わってしまったので他のジェネリック高瀬一矢を教えてくれ

勘違いしないでほしいが、俺が求めているのは高瀬一矢のI'veサウンドジェネリックであって、高瀬一矢インプットであるTM NETWORK後継者ではない。

TM NETWORKを噛み砕いてオタクミュージックとして昇華させた高瀬一矢の後を継ぎつつ現代ミュージックと融合をしているアーティストを求めているわけだ。

もしかして、もう今の時代では不可能なのか?

現代ミュージックとI'veサウンドを混ぜることはもう不可能なほどに分断が進んでしまったのか?

教えてくれ。

俺は音楽に全く詳しくないので、君が「まあこれぐらいは知ってるだろうし言わなくていいか」と思っている所にきっと俺の答がある

リメイクして欲しいのは「あの頃の挑戦する気持ち」なのであって、当時と同じことをもう一度やられてもそれは本当に大事のものは失われたままなんだよね

たとえば『攻殻機動隊』の実写映画を見たときに一作目のアニメ映画を見たときのような未来感を感じることはなかったと思うんだよね。

「ようやく実写化できるぐらいには世界理解が追いついたか」ぐらいの感覚だと思う。

かにあいう「当時の技術では不可能だった映像化の実現」も面白いんだけど、それは当時の感動とは別物なんだよね。

つのネタで二度美味しいからいいじゃんって意見は分かるよ。

でもさ、「ビール一口目は一回しか味わえないんだから仕方ないんだよ」って言うには余りにも時間が立ちすぎていると思うんだよね。

こんなのにもいくつもの夜を超えた癖に一杯目の感覚をまた味わえないのはおかしいいと思ってしまうんだよな。

俺が思うにさ、リメイクされるような作品って当時においては画期的だったはずなんだよ。

でもリメイクするときにはそれが全部失われて陳腐化されていく。

画期的だった何か」を見せられることに何らかの共感を得て気持ちよくなれてしま人達がいるんだろうとは思う。

妖怪みたいに若作りしたベテラン俳優がなんだかんで少しずつ老けていくことに何らかの共感を得てしまファンのような心理が。

それを消費させるためにリメイクは作られていくんだろうな。

でも俺は悔しんだよな。

そこに使うリソースで出来たかも知れない挑戦の機会が、かって挑戦した誰かの姿を借りて奪っていく連中がなんだか卑怯に見えるんだよな。

単なる勝手錯覚なんだろうけどな。

2024-07-18

にじさんじ甲子園ドラフトかい地獄

にじさんじ甲子園というものを知ってるだろうか

今をとくめくVTuber事務所にじさんじの、夏の風物詩と言っていい、同接10万人を超える大型企画である

監督」として選ばれたライバーが、パワプロでチームを育成して対戦する

この企画の肝は、選手に他のライバー名前をつけるというところだ

そうすることで、何気ないランダムイベント面白みが出るし、予期しないドラマや、今までなかった関係性が勝手に生まれたりする

普通コラボ野球チーム分の人数を集めるのは実際不可能だが、名前を借りるだけという割り切りのお陰で、他に類を見ない大型コラボとして機能している

ここまではい

楽しい企画だと思う

問題はチームの作り方だ

野球なのでドラフトでチームを決める

監督たちが1位から順番に他のライバー指名して、重複したらクジを引く

これが、あまりにも残酷で、直視できない

先程も書いたように、他のライバーあくま名前を借りているだけだ

ランダムで現れる選手名前を割り当てるだけ

当然操作担当するわけでもないので、そのライバーゲームスキル関係ない

こうした条件の中でドラフトを行う場合、一体何によって順位が決まるかわかるだろうか?

それは、監督との仲の良さだったり、話題性だったり、単純な人気によって決まる

ゲームスキルなどの紛れは一切なく、仲がいい人、話題がある人、人気がある人から順位が付けられる

結果として、まるでにじさんじ内のカースト可視化したようなランキングが完成するのだ

実際、実質的にじさんじ代表委員長や、にじさんじの「王」たる葛葉、人気ナンバー1のサロメ嬢は全員ドラフト1位

他のドラフト上位もいわゆる「イツメン」が並ぶ

持たざるライバーはこのランキングでも下位に沈むのだ

監督に選ばれるライバーも、監督に選ばれるぐらいなので、当然カースト上位

ドラフト配信は盛り上がるが、その輪に入れるのはカースト上位の「人気者」たちだけだ

育成が始まってしまえばランダムイベント平等なのでここまでの残酷さは感じないが、それだけにこのドラフトの仕組みが残念でならない

公式企画がわざわざこんな形でライバーランク付けする必要あるか?

神を冒涜された感覚がどのようなものかを知りたいなあ

アブラハム宗教を信じていない人がその感覚を知るのは不可能なのかもしれない

クトゥルー神話について書かれた小説の作中で書かれた「涜神」……神聖ものを汚された感覚……がどのようなものかを知りたい

そういう肌感覚を知ることができればコーラン侮辱することがどれだけヤバいか心から理解できるだろうに

なんだろうな……墓を破壊されるとか

日本人なら祖霊信仰だろ、という発想からの墓破壊

ちょっと、いやかなり違う気がする

やっぱ唯一神って信じる人にとっては究極的関心なんだよな

そもそも神聖って何

とりあえずwikipedia見るか

神聖とは、神のように霊妙で尊い、厳かでおかしがたい、清浄で穢れがないなどを意味する言葉である

循環参照しちゃった

神聖とはすなわち「穢れ/汚れがないもの」「おかしがたいもの」、であれば冒涜とは「穢れ/汚れがないものを穢す/汚すこと」「おかしがたいものをおかすこと」になる

じゃあ仮に一般的日本人がいたとして、その人が汚されたくないと思う物って何かという話になるのか

うーん……親とか

でも親って「神聖」と呼ぶのはちょっと違う

天皇とか?いやー2024年を生きる日本人天皇を「神聖」と思っている人どのくらいいるか

少なくとも自分は思っていない、このぐだぐだとした思考の整理が目的文章は私が肌感覚で知ることを目的としているから、私が「おかしがたい」と思っていないと意味がない

なんだろうな、穢されたくない価値観とかそっち側で考えた方が筋がいいかもしれん

あーいや待て、ズレを感じた

日本語一般的語彙の「神聖」とキリスト教用語の「神聖」が指すものが違う気がしてきた

やっぱり異教徒だと肌感覚を知るのは難しいか

仮に近いものがあったとしてもあくまでそれは喩えでしかない

「神を信じるとはどのようなことか」を知るためだけにキリスト教に入信したい気持ちが少しある

逆だ逆

キリスト教に入信したので神を信じる、ではなく神を信じるからキリスト教に入信する、だろうに

飛行機墜落事故から奇跡生還とか、幼い我が子が不幸な出来事に巻き込まれ死ぬとか、そういった劇的な出来事が無いと神を信じるのは不可能なのだろうか

終わり

今日の昼はカレー

封筒を買う

心が女ってなんだろうな

ワイは女に生まれたけど

女の心なんて持ってないやで

あとさ

人間の脳ってまだ完全に解明されてないよな?

そんな状態で何をどうやって心が女だといってるわけ?

擬似科学か?

21世紀科学時代じゃなかったのか?

少なくとも人間の脳が全て解明されてからじゃないと心が女とか証明不可能

 

この意見について批判攻撃が始まるなら

人々が中世魔女狩り魔女裁判レベルにまで落ちたということ

進行した認知症患者誤嚥肺炎とは延期可能老衰である

誤嚥肺炎という病気がある。

ガイドラインでは、誤嚥リスクのある宿主に生じる肺炎、と定義される。

そのうち最も多くを占めるのは高齢かつ進行した認知症患者発症する誤嚥肺炎である

内科救急で最も多く経験する疾患で、入院で受け持つ頻度もかなり高い。

特異なことに、最も多く接する疾患の一つでありながら、専門家存在しない。

肺炎から呼吸器なのかといえば、呼吸器内科医は認知症への対応は専門ではない。

精神科認知症診療業務範囲に含まれるが、身体疾患が不得手である

神経内科医は嚥下認知症を専門領域の一つとするが、絶対数が少なく、専門領域が細分化されている。

そんなわけで多くの場合内科医が手分けして診療することになる。

そういうわけだから誤嚥肺炎に対する統一的な見解はない。ガイドライン2013年から更新されていない。また誤嚥肺炎に関する文献や書籍はあるし、質の良いもの出版されているが、多くは診断、治療、予防に重きを置く。価値観に深く踏み込んだもの殆どみない。患者自身が何を体験しているか推定している文章殆ど読んだことがない。

病状説明も僕が研修医でほかの様々な医師説明を聞いても、肺炎です、誤嚥が原因です、抗菌薬で治療します。改善しないこともありますし、急変することもあります、といった通り一遍説明以上のことを聞いたことは殆どなかった。

当然ながら国家試験の出題範囲にも入っていなかった。

もっともよく経験する疾患でありながら、どうするべきかの具体的な方針大学教育でも研修医教育でも提供されないのだ。

にもかかわらず、認知症患者誤嚥肺炎は最も多い入院かつ、その患者入院期間が長い傾向にある。入手可能データだとおおよそ一か月の入院となる。死亡退院率はおよそ15-20%で、肺炎としては非常に高い。疫学については良いデータがないが、専門病院などに勤務していなければ、受け持ち患者のうち5人から10人に1人くらいは誤嚥肺炎が関連している印象がある。

誤嚥肺炎は、進行した認知症患者ほど起こしやすい。そして、誤嚥肺炎を起こすことでさら認知機能が低下する。しばしば経口摂取が難しくなる。そして自宅や施設退院することが難しくなり、転院を試みることになる。

転院待ちのためにさら入院期間が延びる。

典型的には進行した認知症を背景に発症するので、意思決定を本人が行うことができない。患者施設入居者であることも多く、施設職員がまず来院する。その後家族が来院して、話をする。肺炎であるから治療可能な疾患の前提で話が進む。進行した認知症治療不可能な疾患があることは意識されない。

ここでは、進行した認知症、つまり意思決定能力があるとは考えられない患者、今自分がどこにいて、周りの人がだれであって、自分の状況がどうであるかを理解できないほどに進行した認知症患者、と前提する。

退院してもらうための手段、という意味では治療は洗練されてきている。口腔ケアを行い、抗菌薬を点滴する。嚥下訓練を含めたリハビリテーションを行い、食事を早期から開始し、食形態誤嚥しづらいものに変える。点滴を早期に切り上げて、せん妄リスクを減らす、適切な栄養療法を併用して低栄養を防ぐ…。

そういったことを組み合わせると、退院できる可能性は高まる身体機能食事を再開できないレベルまで低下することはあまりない。

しかしそこまでして退院した患者は、以前の身体機能認知機能を取り戻すわけではなく、少し誤嚥肺炎を起こしやすくなり、活動制限がかかり、介護をより多く要するようになり、認知機能さらに低下して退院していく。

から人によっては一か月とか半年後に誤嚥肺炎を再び発症する。

家族医師は以前と似たようなものだと考えている。同じような治療が行われる。

そこに本人の意思はない。本人の体験がどうなのかを、知ることはできない。

というか、進行した認知症で、ぼくらと同じような時間感覚があるのだろうか。

本人にとって長生きすることの体験価値があるのか、ないのかも知ることは難しい。

 というのは逃げなんじゃないか

状況認識ができなければ、そこにあるのは時間感覚のない快・不快感覚だけではないか。だとすればその時間を引き延ばし、多くの場合苦痛のほうが多い時間を過ごすことにどれほどの意味があるんだろうか。

なぜ苦痛のほうが多いかといえば、状況を理解できない中で食形態がとろみ食になり(これは美味とは言えない)薬を定期的に内服させられ(薬はにがい上、内服薬をへらすという配慮がとられることはめったにない)、点滴を刺され、リハビリをさせられ(見当識障害されている場合、知らない人に体を触られ、勝手に動かされる)、褥瘡予防のための体位変換をさせられ、せん妄を起こせば身体拘束をされ、悪くすると経鼻胃管を挿入される(鼻に管を入れられるのは、快適な経験ではない)

どちらかといえば不快であるこれらの医療行為は、治療という名目で行われる。

この治療は、肺炎治療するという名目の元に正当化される。

多くの医師は疑問を抱かずに治療する。治療される側も、特にそれに異をとなえることはしない。異を唱えるだけの語彙は失われている。

仮に唱えたとしても、それはせん妄認知症悪化としてとらえられてしまう。

老衰過程が長引く苦しみがあり、その大半が医療によって提供されているとは考えない。

 ここで認知症というのは単なる物忘れではないことを説明しておく。それはゆっくりと進行する神経変性疾患で、当初は認知機能、つまり物忘れが問題になることが多いが、長期的には歩く能力、座る能力食事する能力が失われ、昏睡状態となり最終的には死に至る疾患である

 多くの内科医はこの最後の段階を理解していない。肺炎入院したとき認知機能について評価されることは稀だ。

実際には、その人の生活にどれだけの介護必要で、どのくらいの言葉を喋るか、笑顔を見せることがあるか、そうしたことを聞けばよいだけなのだけど。

進行した認知症入院するのがどのような体験か、考慮されることはめったにない。

 訴えられるかもしれないという恐れの中で、誤嚥リスクを減らし、肺炎治療するべく、様々な医療行為が行われる。身体が衰弱していくプロセスが、治療によって延長される。

 医療において、患者権利尊重されるようになってきた。僕らは癌の治療を中断することができる。良い外科医を探すべく紹介状を書いてもらうこともできる。いくつかの治療法を考慮し、最も良いであろうと考える治療選択することもできる。

 しか患者自身認知機能を高度に障害されてしまった場合はそうではない。医師が何を希望するかを聞いても、答えてくれることはないし、答えてくれたとしても、状況を理解できないほどに認知機能が損なわれている場合は、状況を踏まえた回答はできない。

 そこで「もし患者さん本人が元気だった時に、このような状況をどうだったと考えると思いますか」と聞くこともある。(これは滅多に行われることはない。単に、どんな治療希望しますか、と聞くだけだ。悪くすると、人工呼吸器を希望しますか、心臓マッサージ希望しますか、と聞かれるだけだ。それが何を引き起こすかは説明されずに)

しか問題があって、認知症が進行するほどに高齢患者家族もまた、高齢であって、状況を適切に理解できないことも多い。また、記憶力に問題があることもしばしばあって、その場合は話し合いのたびに最初から話をしなければならない。このような状況は、人生会議の条件を満たしていない。もしタイムマシンがあれば、5年前に遡れば人生会議ができたかもしれない。

 親類がいればよいが、これからの世の中では親類が見つかりづらかったり、その親類も疎遠であったり、高齢であったりすることも多いだろう。

 そうした中では、理解が難しい場合も、状況を理解して改善しようという熱意に乏しい場合も、(本人の姉の息子がどのように熱意を持てるだろうか)、そして何より、医師が状況を正確に理解し彼の体験想像しながら話す場合も、めったにない。

 意思決定において、話し合いは重要視されるが、その話し合いの条件が少子高齢化によって崩されつつあるのだ。

 無益治療、という概念がある。

「同じ治療をしても100回に1回も成功しないであると推定されること」

「その治療を行っても、急性期病院から退院できないこと」

この二つを満たすことが無益治療定義である。この概念提唱した、ローレンス・J・シュナイダーマンと、ナンシー・S・ジェッカーは、脳が不可逆的に障害された患者対象としている。

彼らはいかなる経験をすることもないから、治療による利益を得ることもない、だから無益治療倫理的に行うべきではなく、施設ごとにその基準を明示するべきだ、というのが彼らの主張である

高度に進行した認知症患者誤嚥肺炎治療は、厳密な意味での無益治療ではない。彼らは何かを体験する能力があるし、半分以上は自宅や施設に帰るだろう。自宅や施設では何らかの体験ができる。体験を感じる能力も恐らく完全には損なわれていないだろう。

この完全ではない点が、倫理的な空白を作り出す。

痴呆から認知症/物忘れと名前が変化したことは一因だろう。

そこで死に至る疾患である印象が失われた。

専門家の不在は、価値の普及を妨げた。病状説明の型がある程度固まっていれば、それがどのような形であれ、専門家集団によって修正され得ただろう。ガイドラインは不十分である医療ガイドラインエビデンスのまとめと指針である。つまり誤嚥肺炎の診断・治療・予防であり、その価値に関する判断はしばしば言及されない。ガイドラインはないにしても、診断・治療・予防に関して役立つ本はある。ただ、価値踏み込む場合も、基本的にはできる限り治療するにはどうすればよいか、という観点である

人生の最終段階における医療ケアの決定プロセスに関するガイドライン人生の最終段階における医療ケアに関するガイドライン存在するが、そもそも高度な認知症合併した誤嚥肺炎が、人生の最終段階と解釈されることはめったにない。だからこのガイドラインを用いた話し合いができることは少ない。また、多くの医師は、押し付けられた仕事認識していることから、じっくりと時間をとって家族と話をすることはなかなか期待できそうにない。多忙であればなおさらである

さらに状況が不利なのは、個々の病院Key performance indexは、病床利用率であることだ。

認知症患者誤嚥肺炎は、しばしば酸素必要とし、時に昇圧剤やモニター管理を要するなど重症であることが多く、入院期間が長くなる。そのため、看護必要度を取りやすい。多くの病院は、その地域病院が不可欠であることを示す必要がある。不可欠であることの証明に病床利用率と、看護必要度使用される。そのため、誤嚥肺炎患者を引き受けない理由はない。救急車の使用率も高く、数値上は確かに重症であるので、病院経営上は受け入れておきたい。

 介護施設に入所した場合は、誤嚥肺炎の死亡で敗訴し、2-3000万円の支払いを命じられる訴訟複数あることもあって、搬送しないという選択肢は難しいだろう。

 介護施設から搬送された患者誤嚥肺炎であることは多い。その一方で、こういった場合家族が十分な話し合いの時間を割けないことが多い。片手間でやっている医師も、長い時間をかけて説明したくはないので、お互いの利益が一致して肺炎治療が行われる。

 一方、最近増えている訪問診療は、誤嚥肺炎治療を内服で行うとか、そもそも治療を行わないという選択肢を提案できる場である。そこには期待が持てる部分もある。定期的な訪問診療でそうした話がしっかりできるかといえば難しいが、可能性はある。ただ、訪問診療医になるまでに、誤嚥肺炎に関する専門的なトレーニングを受けるわけではない点が問題になる。しかし家での看取り、という手段を持てるのは大きいだろう。

 

訪問診療を除けば、医療の側からこの状況を改善することは殆ど不可能なように思える。

 病院経営構造施設訴訟回避医師不勉強説明不足、そしてEBM患者中心の医療を上っ面で理解したが故の価値という基準の不在、めんどうごとを避けたい気持ち多忙さ、患者自身自己権利利益を主張できないこと、家族意思決定能力の乏しさや意欲の乏しさ、こうした問題が重なりあって、解決は難しいように思える。

現在誤嚥肺炎入院担当する主な職種である内科医は、糖尿病外来診療を主たる業務とする内分泌代謝内科という例外を除いて、減少しつつある。

専門医制度煩雑になったからというのもあるが、ぼくは少なから認知症高齢者の誤嚥肺炎診療したくないから、希望者が減っているのだと思っている。確かに診療をしていると、俺は何をやっているのだろうか。この治療に何か意味があるのだろうか、と考えることがあった。同じようなことを考えている医師は少なからずいる。露悪的なツイートをしている。しか構造上の問題点について踏み込むことはそこまでない。

僕は構造的な問題だと思っていて、だからこういう文章を書いているわけだ。

進行した認知症患者誤嚥肺炎とは延期可能老衰である、という共通認識が広がれば、状況は変化してくるかもしれない。事実認知機能が低下していない高齢者で、延命希望しない方は多い。その延命意味は具体的に聞けば、かなりしっかりと教えて頂ける。

誤嚥肺炎診療は、所謂延命解釈することが可能範疇に入ると僕は考えている。

後期高齢者医療自己負担額一割と、高額療養費の高齢優遇の組み合わせを廃止することや、診療報酬改定によって、誤嚥肺炎入院加療の色々なインセンティブを調整することで、否応なしに価値が変化するかもしれない。そういうやり方をした場合、かなりの亀裂が生まれる気もするけど。

2024-07-17

anond:20240716233144

一つ言っておくと、現状を変えたくない、新しいことは怖い、「外」は外「内」は内で暮らしたい、どちらかと言えばお気持ち重要……そういう心性に基づく思想保守主義と言います

一方で、現状を変えることも厭わない、新しいことは楽しい、「外」も「内」もなくなればよくない?、どちらかと言えば理屈重要……そういう心性に基づく思想革新主義です。

誰もが、幾分か保守で幾分か革新です。割合は人それぞれ。どちらがいい、悪い、上か下か、そういうのはありません。これ大事です。どちらが絶対に良くてどちらが絶対に悪いということはないんです。あなたは多分、真っ当に教育を受けてきた人なんでしょう。ひょっとしたら、理屈で正しいことが正しくて、感情に振り回されるのは間違ったことで、従ってより理屈が通った新しいことは受け入れるのが正しい、受け入れられないのは狭量で間違ったことだ……みたいな考え方を内面化しているかもしれません。それはちょっとした呪縛です。あんまり気にしない方がいいです。誰でも、必要以上に努力を強いられることなく、社会の片隅で暮らし、その範囲で感じ考えたことに基づいて振る舞えばよいのです。それで社会がうまく回るような仕組みを作るべきなのであって、そうやって民主主義というのは回っていくものなのです。誰かの判断けが正しいから、その人に従おうというのは民主主義ではありません。誰もが主人であるから、誰もが思うように振る舞ってよい、それが民主主義です。

さて、こう前置きした上で言いますが、あなたの考え方はかなり保守寄りです。憲法改正反対も「なんとなく不安から」、金権政治に憤るのも「むかつくから」……と考えれば、それらも極めて保守的な反応と言えるでしょう。悪い意味じゃ無いですよ。ですからあなたの自認がどうあれ、あなたはとても保守的な人間だということをまずご理解いただければと思います。そして、それは別に悪いことではないということも。別に、「なんとなく不安から憲法改正には反対」で構いませんし、「むしろ外国不安からなんとなく改正したい」でも別に構やしないのです。みんなのそういう総意で創意すればそれなりにうまいこと形に落とし込むのが官僚という頭のいい人たちの仕事なので、せっかく税金払ってるんだから投票という義務を果たしたらあとは成り行きを見守っていたらよいと思います

じゃあなんで、長々レスを付けるのか。実は、少しだけあなたが「不安」に思った方がいいのでは……ということについて、「どちらかと言えば革新寄り」な私の見解を少しだけお伝えしたいと思ったからです。少しだけお時間いいでしょうか。まあ「革新寄り」な人間の言うことですから、話半分に聞いていただいていいのです。お茶ものみながら聞いて(読んで)ください。別にあなた革新主義にしようとか思っちゃいません。(そもそも、そんなこと不可能です! 会ったことも無いあなたの「不安」をぱーっと解消して、新しいモノ好きの人間にするとか、そんな怪しい洗脳みたいな真似が言葉だけでできるなら、増田に書くよりよほどほかにすることがあるでしょう。)

私の思うその「不安」というのは、あなたも薄々感じているとおり、あなたの「不安」を外に出せないということと関係がありますあなたあなたの「不安」を人と共有できない、と感じている。それはおおむね正しいです。それは、その「不安」が間違っているからではない(これは何度でも注意しておきます)。その「不安」が人を傷つける可能性があるからです。賢明あなたは、どこかでうっすらとそのことに気付いている……あるいは、そうどこかで教わったことを内面化できている、そのおかげで、今のところはその不安を口に出さずにいる=誰かを傷つけることから免れている、というわけです。では、その不安を外に出したらどうなるでしょう。

あなたはすでに中年とのことですが、ひょっとしたら自分か親戚に子どもや甥や姪がいるかもしれませんね。親しい人、大切な人の一人や二人はいるのではないでしょうか。自分以外の誰か、目の中に入れても痛くない、あるいはその人が苦痛を負っているなら、その一部を分け持ってもいい、そう思える人の一人がいないでしょうか。あるいは、この先、そういう人が現れる可能性はないでしょうか。保護しなければいけない子、親戚でも近所でも、そんな縁がつながることがあるかもしれません。では、そのとき、その人がトランスジェンダーであったら? イスラム教徒であったら? その人が将来連れてきた伴侶がそれらの属性の人であったら?……そのときあなたがそんな発言を残していたら、それは確実にその「あなた大事な人」を傷つけることになります。それはあなたにとって「不安」ではないでしょうか。

心というのは、表に出していないつもりで、結構から洩れているものです。テレビを見ているときちょっと眉を曇らせる、普段ちょっとした言葉や態度の端々に、あなたが考えていることは現れてくるものです。よほど厳しく自分ルールで律してでもいない限り(そういうのは革新主義の人の得意分野ですが)、あなたはおそらくあなたの内心を隠し偽ることができないでしょう。それだけに、軽々にああいった書き込みをしてしまうことには、少し慎重になられた方がよいのではないかと思うのです。ただしそれは、あなたの今感じている「不安」を押し隠すという方向である必要はなく、「不安」をそのまま剥き出しにしない……それが無闇に人を傷つけるものに成りにくいように配慮できたら、あなたの「不安」は幾分か少なくなるのではないでしょうか。

たとえば、

 ・トランスジェンダー女性用スペースから排除してほしい→トランスジェンダーの生きにくさと女性不安共存できるようなやり方を検討してほしい

 ・移民排斥したい→移民の人との間の文化的摩擦が最小となるよう十分な配慮を望む

 ・イスラム教徒とは共存できない→イスラム教教義に基づき(これは実際にそう)日本社会との相互不干渉の維持に勉め日本社会への理解を促進してほしい

ね。

そもそも「異教徒ブッコロOK」というのは、愛の宗教を歌い「汝の敵を愛せ」とイエスが言った聖書を奉じるキリスト教ですら延々とやってきたことです。ユダヤ教が現にやっていることでもあります。逆に、人種民族身分格差は認めない、異教徒一神教の)の信仰も認める、という教義イスラム教が彼らより危険だというのは、少し公平性を欠いた議論であると思います世界的に見れば、神を信仰しない日本人は相当「気持ち悪い」人々と思われていますが、それはそれで心外ですよね。うっすらとした信仰心みたいなものはあるし、それで社会がおさまってるからいいじゃん、と私たちは思っています日本の一部で起きた過激事件に紐付けて(たとえばオウム事件などに寄せて)キリスト教国じゃない国はこれだからダメだ、日本人とは共存できない、とか言われたら、少なくとも「それはちょっと誤解があるよ、大多数の日本人はそんなんじゃないよ」と言いたくなりますよね。それと同じです。

トランスジェンダーの多くの人は、不安がってる女性の中に飛び込んで「うぇーい」したい人ではありません。ただ、男性の中にいて感じている「居心地の悪さ」を、可能ならなんとかしたい、それだけのことです。解消する方法はなんでもよいのです。私はたとえば、もう真っ裸で入る公衆浴場というのはあきらめて、みんな水着で入るようにすれば全部解決だと思ってますが、たとえばそういうことです。みんなでちょっとずつ不自由を分担すれば、誰の「不安」も解消できるので、ナイスアイデアだと思うのですが。

それからあなたの感じる「左派」への不安ちょっと分かるのです。なぜなら、どうも「左派」の目立つ人々の中には、自分は「正しい」、自分は「弱者の味方だ」、自分たちは「正義守護者だ」、自分たちに反対する人間は「悪だ」……そういう雰囲気を漂わせ、そういう言行をする人が散見されるからです。これはあまり感心できないことです。敵を「排除する」とか自分たちは正義でありこれは「変わらない」……それらは極めて「保守主義」的な言動であり、彼らが口にする革新的な主張と相容れないからです。保守主義ダメというのではなく、言行不一致で人を不安にさせるのがダメなのです。もちろん、ゴリゴリ保守主義的な左派にもそれなりの存在意義はあります岩盤層の維持といった意味で)。ただ、彼らが主流となることはないでしょう。それに比べて、保守と名乗りつつ十分柔軟な発想ができる革新主義者、というのは、なかなか信頼がおけそうで、多数の支持を得るのも当然かもしれません。保守的な主張により保守から、柔軟な態度や言動により革新から、それぞれ支持を受けられるからです。後者が支持者を不安にさせないのは不思議ですが、彼らがその柔軟さによって巧みに顔を使い分けると考えれば、必ずしも不思議では無いでしょう(その点、革新の旗を掲げる保守主義者は、顔の使い分けが下手なように思います。素直な人々と言えばそうなのですが。)。左派の方々が現状で支持を得られないことには、それなりの根源的な理由があり、それはあなた心配したり後ろめたく感じたりしなくてもよいことです。彼ら自身が考えるべきことです。あなたは先のエントリで、自分がなぜ左派投票「できないのか」について、延々と述べているように感じました。それは、まるで「左派投票するのが『正しいのかもしれないが』、こういう理由でできないのだ」と誰かに説明しているように見えました。でも、大丈夫です。最初に述べたとおり、たとえば投票といった場において、あなたあなたの考えた通りに振る舞うことに、何の問題もありません。あなたは、自分左派寄りだと思っているかもしれませんが、私から見れば十分保守寄りですし、だからといってそれがいけないということは全然いからです。はっきり言いますが、革新主義しかいない島があったとして、私はそんな島に住みたくはないです。もちろん、保守主義しかいない島があったとしても同じ。これはおそらく7割から8割の人が、実際そうなんじゃないでしょうか。両方がいて、あれこれ意見を交わしながら、都度都度方針を決めて、あるとき保守的に、あるとき革新的に物事が進んでいるというのが、一番平和で適切ではないかと思います。だから、それでいいのです。

まあ、長々となりましたけど、要するに「あなた別に今のままでOK」、ただ、「将来も後悔しないような言動ができるよう、少しだけ配慮した方がHappyじゃね?」って話なのです。軽々しく排除的な言動を、たとえ匿名でもしてしまったら、最後自分自身だって傷つくのでは無いかなあという、ただそれだけの老婆心でした。なんだか偉そうになってごめんなさい。最後までご静聴ありがとうございました。

新札の偽造って

通し番号を電子署名したデータQRコード印刷しておけば変に技術を凝らさなくても完全に不可能になるのでは?

 

いや秘密鍵漏れたら偽造仕放題になるから、偽造の方法を知っていても大規模な設備コスト投入がないと実現できない

「造るのが難しい紙」のほうがいいのか……。

anond:20240717111125

資料読みもしないでスタンプ押すバカ社員がいて

でもそんなバカ社員でも解雇はほぼ不可能

そうなるとみんなで集まって読み合わせしましょうねがベストな答えになることもたまによくある

全部解雇規制が悪い

博物館って無理ゲーじゃね?

解説】人気漫才ネタにも『奈良県立民俗博物館』休館 知事価値ないもの受け入れてきたのは問題学芸員反論、4万点超の収蔵品行方は?

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.ntv.co.jp/n/ytv/category/society/ytef98cb3e181e458ca5fac79fb59a700a


どうせはてな批判一色なんだろうけど、「各家庭で使われていた実用品」レベルの物を無制限に収蔵するなんて不可能だろ

俺らが今使ってる家具家電だって50年もすりゃ「古い歴史資料」になるわけだけどそういうのも全部収蔵するの?

いらなくなった家電を処理費用浮かせるために博物館に持ち込んでええんか?

処分しないと増える一方で減ることはないわけだけどひたすらに博物館倉庫拡張し続けていくの?

ちょっとは真面目にその辺のこと考えてんの?

嘲笑われる氷河期世代

独身氷河期世代精神病持ち・会社を追い出された。毎日ずっと、ジ○ツする事しかから離れない。自分幸せになることなんて無理なんだともうこの年齢から挽回なんて不可能なんだと理解している。追い打ちをかけて、先日、2年ほど片思いであった女性交際OKしてもらえたのも束の間、たった1日後には、考え直したが、やっぱり止めたいと拒絶された。誰の言葉も信用出来ない。精神病双極性障害2型とADHDのおかげで仕事を続けられなくなった。生活保護ケースワーカー相談にいくと、20代の若い男性CWに鼻で嘲笑われ馬鹿にされた。○○してやろうかって本気で思った。犯罪でもして刑務所に入るほうがマシかもしれない。散々人に騙されてきた。利用されてきた。みんなで俺を微笑ってる。連中になにかをしてからジ○ツするべきかと思うことがある。やり残したのはそれだけか。氷河期世代は遺棄された世代だという。もう行き場も何も無い。

2024-07-16

anond:20240716105151

政治家の表情」について「ルッキズム」だと批判するのは小学生レベル

ちゃん学校の授業を聞いていれば高校生ぐらいからは「政治家の表情ってのはその人の売っていきたいセルフブランディング戦略なんだよね」ってことが理解できるようになるでしょ。

まり小池が「親しみやす雰囲気のオバちゃん」を目指していて、蓮舫が「女だてらにクールビューティー」を目指しているっていうイメージ戦略の違いの戦いなんだよ。

そしてまさしくイメージ戦略だけで戦いに来たのが石丸なわけで、今回の選挙は「政治家自分キャラクターイメージを売り歩くアイドルのような商売」ってことがまさしく描かれていたと思うんだけどな。

逆に言っちゃうと、この選挙を見た直後に「政治家が纏っている空気」が「意図的演出したイメージ戦略」ではなく「本人の生来性格のもの」だと思っているなら、それはあまりにも何も見えてなさすぎると思う。

政治のことも分かってないだろうし、それ以前に人間関係自体がまともに構築できなさそう。

ちょっと考えて欲しいんだけどさ、中学校ぐらいからはイケてる子は自分キャラ演出していくようになるでしょ?

あれに対して「自分を偽って格好つけても虚しいだけだぜ!」って漫画主人公なんかは批判するけど、ああいうことが出来ないと社会で上手く生きていくのは難しいよ。

「誠実であるかのように振る舞う」とか「怒らせちゃいけなそうに振る舞う」とかそういうのが社会ではどうしても必要になるんだよね。

人間が猿から進化しきれてないとかの話じゃなくて、本当に人間として社会で生きていくにおける「生存戦略」として大事ことなんだよ。

いわゆる「どういう立ち位置で振る舞っていくかに一貫性を持たせていくか」っていう話なんだよね。

クラスの冴えない人達の中にも本気出したら上位カーストに入れるのにあえて「冴えない感じのキャラ」を売っている人がいるでしょ?

あいうのって要するに自分趣味趣向や生き方の都合に合わせて自分ブランドを変えていってるわけよね。

そういう人がふと「冴えている人がやるようなこと」をすると、なんかクラスの中で「え?お前はどっちの方向性を目指してるの?」みたいな変な空気になるでしょ?

自分スタンスを一貫させないと周りが困るっていうのはこういうこと。

スタンスに押し込めて他人単純化するなんて愛がねえぜ!」みたいなのは漫画ドラマ主人公定番の決め台詞だけどさ、たかが40人程度のクラスメート、100人程度の同学年だって全員に平等に愛を持って接するとか不可能に近いわけよ。

部活の知り合いやネットの知り合いまで含めれば200人や300人へ平気で膨れ上がる対人関係、ある程度単純化していかないとやっていけないわけ。

そういう中で適当にやっていくと変なレッテルを貼られるリスクもあるし、いつまでも単純化されない人は「よく分からない奴」ってことで最も信頼できない部類として扱われたりする。

前もってそれを防ぐためにも、「私はこういうキャラですよ」って自分自分レッテルを貼っていくわけよ。

「俺はクールビューティーを目指そうとして失敗しているズッコケキモオタで行くぜ!」みたいなキャラであっても、そういうキャラとして一貫しているなら周りからすれば「おいおいアイツまた格好つけてかえってダサすぎてウケるぜ」みたいな感じで受け入れられるチャンスが広がるわけ。

学校なんかだと元の自分とあまりに違うキャラを演じるのはしんどいから、結局みんな元々の人格からちょっとステレオタイプに寄せただけになるけど、これがアイドル政治家になると全然変わるわけよ。

悪者俳優で食ってる人が私生活ではめっちゃいい人だとか、超陽気な芸人ほど普段はすっげー暗い性格でいつもブツブツ言いながらネタ探ししてるとか、そういうの聞くっしょ?

政治家キャラ作りはそのレベルでやってるんだよね。

まあ概ね「誠実」「誰かのため」「正義」あたりは一緒だけど、何において誠実なのかや、どういう正義を貫きたいのかは変わるわけよね。

石丸は「ロジカル分析に対して誠実であろうとした結果、現代蔓延政治屋やマスゴミシニカルにぶった切るのが私の正義なのです」みたいに振る舞ってますよね?

今は割とロジカルキャラが人気の時代から結構皆似通ってるけど「理論大事なんですか!人の心、地域社会への和、故郷への貢献、優しさこそが大事です!理屈ばかり並べる人達と違って私には赤い血が流れている!」みたいな感じで振る舞う人もまだまだいますよね。

こういうのって本当にその人がそういう人なのかと完全に一致してないんですよね。

まあ石丸場合なんかは「自分ではそう思ってるけど……」みたいな感じのズレ方な気はしますけどね。

そういう勘違いパターンも含めて振る舞おうとしてるキャラと本当の自分が一緒じゃない政治家結構いるわけです。

まり蓮舫小池私生活でどういう人なのかとか生まれつきどういう人なのかって話じゃないんですよ今してるのは。

今してるのはあくまで「どういうイメージで売っていく人が有利だったのかな?」という話なんですよね。

まあ元増田最初から小池みたいなのが絶対有利だよね!石丸蓮舫も下手くそだね!」と決めつけてからスタートしちゃってますけど、これはちょっと違うと思いますね。

石丸蓮舫もああいう「自分が上であり相手が下というのを印象付けるために、優位な立場の人が愚かな人をなだめるかのような笑い方」を戦略的にやっているんだと思います

まあそれが結果的に今回は敗北につながってしまったのは事実かも知れないんですが、二人ともそれによって結果を出したことはあるんですよね。

今回の都知事選においても、現職と同じ土俵に上るのを避けて別の路線を選んだ可能性は高いと思います

どうにしろ、これはルッキズムという「顔の作りがいいと印象が良くなる」という話ではなく、「どういうブランディングをしているのかを伝える手段として表情は重要だよね」という話なんですよね。

そこが理解できてなかった人、貴方人生を上手くいかせるためにもこれはちゃんと考えたほうがいいですよ?

貴方が周りの人にどういう印象を与えたいのかをコントロールする意味においても、他人がどういうキャラで行こうとしているのかを俯瞰的立場から「あーそういうキャラでやりたいのね」と冷静に分析するためにもです。

結婚出産しないと後悔するよ」と脅しをかけてくるのは勿論嫌だけど

からといって「後悔なんかしない」と否定する意見にも賛同できないんだよな

だって結婚出産って

する/しない以前の問題として出来る/出来ないがあるので、

自分意思でどうにかなる問題ではない。

から自分は後悔していると言えばしているし、していないと言えばしていない。

だって結婚すれば良かった」は、「美人に生まれれば良かった」や「白人に生まれれば良かった」と同意義なので、

もう生まれた時点で不可能から、後悔しても無駄から

この話題って後悔するよと言い切ってる人達も、それに反論する人達

女は結婚したいと思いさえすれば無条件で出来るという前提で話している人ばかりなのが本当に謎だ。

独身女性の大半は自分のような不本意未婚者だと統計で出ているのに何故かいつも無視される。

粗があるという主張に対しては、粗がないことを説明すれば反論になるよ。残念でした。

反論論点がないとできないので、「粗がある」みたいなふわっとした指摘に反論することは不可能です

anond:20240716182257

  平成30年9月24日にはソフト日向を利用していた可能性もあるが、仮にこの日に利用してももかが出てきた日であるとすると、9月20日に間違いなく、ラブアンドピースで、ユメと言う臭い

 女が出てきて、これに対する裁判提訴し、宮島文邦判事が、一度却下し、平成31年2月22日以降、3月25日にラウンド法廷が開催されるなど相当しつこく、高々10000円の

  料金返還訴訟継続しているため、ももかが出ていたのは、9月24日ではなく、平成31年3月25日である可能性が高い。しかしこれを自明ものとして裏付け日記の記録も記憶もない。

 平成30年9月4日に渋谷に出てきたじゅり(当時37)について、後から振り返ると悪くはなかったものの、渋谷で求められる俺のカラダの横の店である渋谷ビンビン伝説の はづき(当時40)

  が出ていたのは、平成31年1月27日、2月15日、2月24日のどれかであるしかし、裏付ける記録は何も存在していないので、証明することは不可能である

anond:20240716124836

馬鹿に支持される馬鹿ポピュリスト陰謀論者が世の中を良くした事なんてほぼ無い

共和党はもう再生不可能だろうな

一時的権力を得ても遠から崩壊するのが目に見えてる

アメリカ共和党以外の二大政党制に相応しい新しい政党を作らなきゃいけない

接客に集中する

接客販売で売れる人は、接客に集中する。

売れない販売員は、気が散って接客に集中できない。

売れる販売員は、接客に集中することが、お客様満足度を高めることを知っています

売れない販売員は、作業に追われることで、接客中「あ〜早く接客が終わらないかな...」と集中できない環境に陥ることが多いです。

そうなると、時間に追われているので、自分中心の考え方になります

「早く接客が終わらないかな....」という時点で問題ありですよね。

この思考からは、お客様満足度を最大化するような接客トークを展開することは不可能です。

おそらく一方的セールストーククロージングをかける始末となるでしょう。

あなたは、自分のことしか考えていない販売から気持ちよく商品を買うことはできますか?

無理ですよね。

から接客に集中できる環境を作ることが大切なのです。

ではどうやってこの環境を作り出すのか?

答えは明快。

能力を高めて一秒でも早く作業を終わらせる技術を!

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