はてなキーワード: クトゥルー神話とは
アブラハムの宗教を信じていない人がその感覚を知るのは不可能なのかもしれない
クトゥルー神話について書かれた小説の作中で書かれた「涜神」……神聖なものを汚された感覚……がどのようなものかを知りたい
そういう肌感覚を知ることができればコーランを侮辱することがどれだけヤバいか心から理解できるだろうに
なんだろうな……墓を破壊されるとか
ちょっと、いやかなり違う気がする
やっぱ唯一神って信じる人にとっては究極的関心なんだよな
とりあえずwikipedia見るか
循環参照しちゃった
神聖とはすなわち「穢れ/汚れがないもの」「おかしがたいもの」、であれば冒涜とは「穢れ/汚れがないものを穢す/汚すこと」「おかしがたいものをおかすこと」になる
じゃあ仮に一般的な日本人がいたとして、その人が汚されたくないと思う物って何かという話になるのか
うーん……親とか
天皇とか?いやー2024年を生きる日本人で天皇を「神聖」と思っている人どのくらいいるかな
少なくとも自分は思っていない、このぐだぐだとした思考の整理が目的の文章は私が肌感覚で知ることを目的としているから、私が「おかしがたい」と思っていないと意味がない
なんだろうな、穢されたくない価値観とかそっち側で考えた方が筋がいいかもしれん
あーいや待て、ズレを感じた
日本語の一般的語彙の「神聖」とキリスト教用語の「神聖」が指すものが違う気がしてきた
「神を信じるとはどのようなことか」を知るためだけにキリスト教に入信したい気持ちが少しある
逆だ逆
キリスト教に入信したので神を信じる、ではなく神を信じるからキリスト教に入信する、だろうに
飛行機墜落事故から奇跡の生還とか、幼い我が子が不幸な出来事に巻き込まれて死ぬとか、そういった劇的な出来事が無いと神を信じるのは不可能なのだろうか
終わり
封筒を買う
・沙耶の唄 オタクが大好きなイメージ。正直火の鳥復活編の丸パクリだという指摘を回避できる余地はない気がするが、晩年のFate/Zeroやら、まどか☆マギカとかで虚淵にバフかかってなんか評価されている模様 ・ファイナルファンタジー9 FF14の最新パッチ7.0のモチーフがFF9なのではないかと話題なところ。なんかネットに転がっているFF9評を見るに誰かを助けるのに理由はいらないらしいが、ダガーとかいう名前はない。 私の生まれ世代的に当時の名を上げた時期を知らない点が大きいのかもしれない。 anond:20240108201833 追記ダガーはガーネットの偽名だぞ そんなの普通にゲームしてればわかる話ではないか 追記2そこに当時はまだマイナーだったクトゥルー神話的な要素を取り込んだ上で、クトゥルー神話的な価値観を肯定してみせたことに当時としては新しさがあったかも。 それもうちょっと具体的に書い
そういえば前、初対面同士の飲み会でクトゥルー神話の話になって、俺が読んだことないって言ったら全員に変な目で見られた。
「普通は中学、もしくは高校生くらいで触れておくべきものだろう……」みたいな事を言われて、びびった。
もちろん愛好家が多いのが分かるが、そこまで一般教養として誰もが読んでいるものor読むべきものでもないだろうに。
クトゥルーに関わらず、こういう事ってたまにない? 明らかに常識ではないのに「○○は常識だろ」的な事を言われて、「嘘?」って思うも何故かその場の全員はそれを常識として認めていて、
「うげ、変な常識を持っている集団に紛れこんでしまった。でも、この場では俺が異端なんだからここは静かにしておかないといけないな……」
ってなる時。まあ常識なんてものはコミュニティによって変わるわけだから、、あの世界ではあれが常識なんだろうし、俺が異端だってっていうのも間違いないんだろう。
1.2chやTwitterでの拉致被害者や拉致家族への誹謗中傷、日本disの書き込みを長年見続ける(または実際に見かける)
→なんて酷いんだ 許せない 追い出したい 排除したい
2.2chやTwitterでの拉致被害者や在日への誹謗中傷の書き込み、半島disを長年見続ける(または実際に見かける)
→なんて酷いんだ 許せない 追い出したい 排除したい
この流れを増田は「ヘイトループ」と呼んでいる クトゥルー神話に出てくる怪物の名を挙げたが、ここでいうティンダロスの猟犬とはすなわちヘイトの増幅だ
過去の書き込みばかりにこだわっているとティンダロスに捕まる どっちもどっちで餌食になる
(余談)
SNSは他人にレッテル貼ってコラージュして集団で嘲笑う為のおもちゃじゃない
その実名本当に実名かどうかなんて一々確かめる人は多くない 確かめるまではあくまでも実名風
匿名disを名字自体が「増田」みたいなありふれた名字の人に言われると微妙な気持ちになる
生死不明の拉致被害者の中傷やその家族への書き込み棚に上げて、ヘイトカキコ法的規制したい人たちはそんなにディストピアが欲しいの?
前に増田で海岸で拉致られかけた話書いたことある ネットで拉致被害者家族への誹謗中傷とか見たら実名では書ける話ではなかった
だけど朝早く起きて仕事して家事して寝るのループなので、拉致問題や人権問題には関心を持てない 暇無い
その事件以来関わり合いになりたくないからそういうクラスタにはどっちにも近づかないことにしている
「実名名乗れ」って名乗った相手の粗探して中傷する為やこき下ろす為に言うんでしょ?
ネットで誰かに助けて欲しかったら馬鹿にしていた暇なニートや引きこもりに「助けてほしい」って頼むのが一番
ただ一つ言いたいのは貴方達の一部の人たちの争いにこの「匿名」世界を巻き込むなと
一度影響力を得た人達が影響力を維持する為に、どんどん過激な言動に走っていって炎上するあの現象を何と
http://umiurimasu.exblog.jp/12210453
多神教がどうとか、食文化がどうとか、本当にくっだらないと思う。ちゃんとラヴクラフト嫁と思ったのでつらつらと書いてみる。
ラヴクラフトのクトゥルー神話が「ホラー」であるのは、「おれたちの信じているキリスト教の神さまの他にも神様がいるなんて!」ということではない。
ラヴクラフトのクトゥルー神話が「ホラー」であるのは、「自分の信じていた世界観はじつは嘘っぱちだ」ということにある。
例えば、俺は生きてメシをくって仕事をしてSEXをして子どもを育てるわけだ。
俺は日本という国に生まれて、その文化や自然や人々の共同体を愛しているわけだ。
そんな平凡な俺っちが、クトゥルーという存在を知ってしまうと、その全ては無価値なものだということに気付く。
日本という国も、そこで千年だか二千年だかの間にはぐくまれてきた文化というやつも世界全体から見た場合には実は無価値なのだ。
俺たちの人生や世界というものは、いってみれば犬の毛の中に住むダニたちが作り上げた世界と同じようなものだ。
それらは、クトゥルーがちょっと身じろぎしただけでも崩れ去るわけだし、今自分たちの所属している世界観が崩れ去ることは予め決まっている。
自分が生きていることも、生きて何か仕事を残したとしても、子孫を作ることも育てることも、それはすべてクトゥルーの前では無価値なのだ。
そういう認識に立った場合、俺は自分の存在することの意味が見いだせなくなる。
じぶんがここに存在することも、自分の子どもが存在することも、自分の親が存在することも、自分がなにかに努力していたとしても、何かに幸福を感じたとしても、それは全て意味がないのだ。
自分が拠って立っていた世界観が崩壊して、たったひとり、自分が何者かもわからなくなって虚空に落ちていく感覚。
おれ、大学のときラヴクラフト全集3冊読んだぐらいだから間違ってたらすまん。
それは魚介類だとか、自分の信仰だとか、そういうのとは本当にまったく無関係に「怖い」とおもったし、救いようのないアンハッピーエンドで終わる「セカイ系」のラノベ短編集みたいな感覚で結構面白かったよ。
http://umiurimasu.exblog.jp/12210453
この記事のブクマ(http://b.hatena.ne.jp/entry/umiurimasu.exblog.jp/12210453/)が300を超えたので、逆張りというか、疑問に思った2点、『アメリカ人は本当にタコが嫌いなのか?』『「怖い」という感情に「一神教」と「多神教」は関係あるのか?』ということについて、考えてみる。
ブログ主のumiurimasuさんに対する反論というよりかは、ブックマークコメントの傾向に対する反論である。
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>>ちなみに、魚介類を食べるのがあたりまえな島国文化圏の人からすると、アメリカ人のタコ嫌いというのは、それこそ冒涜的なまでに理解を絶する感覚ですね。
イタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、韓国……などの国々は島国ではなく半島国だが、タコを食べる。中国でも食べる。
また、アメリカには昔からイタリア系、スペイン系、ギリシャ系、中国系の移民は多かったし、ポルトガル系や韓国系も少なからずいた。彼らはアメリカでも昔からタコを食べる。
しかも、いまでは寿司や日本料理、イタリア料理やスペイン料理、ギリシャ料理や中国料理はすっかりアメリカ全土に定着した。だから、イギリス系やアフリカ系のアメリカ人でもタコを食べる人は多い。
なので、これは「アメリカ人のタコ嫌い」ではなく「ラヴクラフトのタコ嫌い」にするべきではないか。
「昔のWASP(白人、アングロサクソン、プロテスタント)のタコ嫌い」にしてもいいような気もするが、やはり、「食べない」からって「嫌い」には直結しない。
タコが全面的に禁忌(「食べてはいけない」)とされているのはユダヤ教であり、キリスト教では一部の宗派のみ。
そもそも、「アメリカ人(あるいは、欧米人)はタコを悪魔の使いとして忌み嫌っている(忌み嫌ってきた)」という説は日本に広く流布されているが、本当なのだろうか。
この説の傍証は、タコは英語で「devil fish」と言われること、および、「クトゥルフ神話」や「宇宙戦争」などでタコが人間に敵対する悪役として描かれているから、ということである。
まず、「devil fish」であるが、現代のアメリカでタコを示す言葉のうち、一般的に使用されるものは「octopus」である。
「devil fish」でgoogleの画像検索をすると、真っ先に表示されるのはエイの画像で、タコが出てくるのは10番目以降である。
さらに、「devil fish」だからといって「タコ=悪魔」だと思っているとは限らない。
すくなくとも、エンゼルフィッシュを天使だと思っている人はいないだろう。
クトゥルーにタコが出てくるのはラヴクラフトが(個人的に)タコが嫌いだったから。
「宇宙戦争」の火星人がタコなのは、原作者のウェルズがタコを怖がっているからではなく、「火星は重力が少ないから頭が大きくなって手足が退化して、タコになる!」という疑似科学的な理論のため。
「インデペンデンス・デイ」などの宇宙人映画でも宇宙人はタコとして描かれていることがあるが、それは「宇宙戦争」(と、もしかしたら「クトゥルー神話」)へのオマージュのためではないか。
というわけで、「アメリカ人のタコ嫌い」という言葉は、「伝統的なアメリカ人」と「最近のアメリカ人」、「主流派(WASP)のアメリカ人」と「少数派のアメリカ人」のタコに対する態度の違いなどを考えたうえで使うべきであると思う。
アメリカ人が日本人に対して間違ったイメージ(「忍者、ゲイシャ」「エコノミックアニマル」「イエローモンキー」)を抱いていることが多いが、それと同様に、日本人がアメリカ人に対して抱いているイメージも、その多くは間違っている可能性がある。
さらに、「アメリカ人」という言葉が文化論において使われるときは、WASPを指すことが多く、黒人や黄色人種、アフリカ系アメリカ人や先住アメリカ人、カソリックのヨーロッパ系アメリカ人などを無視する場合が多い。
たしかに、一面では、アメリカの主流文化はWASPの文化であるが、マイノリティの文化の一部が主流になることも多いし、WASPの文化とマイノリティの文化が影響しあってできた新しい文化が主流になることもある。
だから、「アメリカ人」という言葉をつかうときは、その言葉はいったい何を指し示しているのか、自覚的になるべきである。
このような問題(主流文化とは何なのか?「〜人」は何なのか?)は、移民国家である「アメリカ」を論ずるときには特に注意されるべきだと思うが、日本やイタリア、中国やブラジルや南アフリカ共和国など、どこの国を論ずるときでも、注意したほうがいいことである。
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ブログの記事内では、『ともあれ、そうした文化的理由でクトゥルー神話を本来あるべきように怖く感じられないのだとしたら、やはりちょっと残念です。アメリカ人はほんとうに、日本人よりも怖さを感じているのだろうか。それとも「いや別に、全然怖くねーよ」という感覚なのか。アメリカ人に直接聞いてみないことにはどうにも。』や『こういった反応、恐怖の感じ方がひどく違うことについて、どこまでが個人の感性でどこまでが文化の差異によるものか、きちんと切り分けができたら面白かろうなあ、と思いながら読んでいます。』と書かれていて、慎重な姿勢が保たれている。
しかし、ブックマークコメントでは、「キリスト教文化圏では、何を考えるにも常にキリスト教の神を超越者・絶対的存在としていちばん上に置くというものの見方が根底にある」や「日本人の場合、神も仏も混ぜこぜに、かつあいまいに信じていて、絶対的な何かを世界観のよりどころにしていないからでしょうか」という文章ばかり注目されている。
そもそも、欧米の文化や芸術作品・物語が紹介されるときには、「キリスト教的」「一神教世界観」などのマジックワードを持ち出し、日本の「多神教的世界観」と対比させて論ずることが多い(そして、往々にして、「多神教的世界観」の方が寛容で複雑で高度なもの、と優劣をつける場合が多い)。
しかし、例えば日本の文化や芸術作品・物語についても、「神道的」「仏教的」「多神教的世界観」だけでは論ずることはできないだろう。
文化や芸術作品の成立には、もちろん宗教や世界観も大きく関わるが、それだけではなく、自然環境・経済的環境・歴史・政治・偶然など、様々な要素が関わっているはずである。
また、フィクションに対して「怖がる」という反応は、宗教よりも時代と個人的な経験に左右されるものである。
ホラー小説の「人を怖がらせる」技術は年月を重ねるにつれて蓄積されるものであり、現代のホラー小説は過去のホラー小説より「怖い」、ということは一般論として言える。
スティーヴン・キングの作品は、ラヴクラフトの作品と同じくアメリカ人の作家によって書かれた、キリスト教的世界観の影響の強い作品であるが、日本の読者でもスティーヴン・キングの作品を「怖い」と思う人は多い。
「雨月物語」は過去の日本人作家によって書かれた作品であるが、そこに収録されている「吉備津の釜」は江戸時代の日本人が読んでも「怖い」と感じたであろうし、現代の日本人が読んでも「怖い」と感じる人は多い。
しかし、現代の日本人である鈴木光司によって書かれた「リング」は、おそらく「雨月物語」よりも多くの日本人読者を怖がらせると思う。
だが、スティーヴン・キングの「シャイニング」や「クジョー」と鈴木光司の「リング」のどれが一番「怖い」か、ということは、現代の日本人でも読者によってそれぞれ違う。
さらに、「リング」はアメリカ人が読んでも「怖い」という評価を得ている。
ここにラヴクラフトを代入すれば、ラヴクラフトが「雨月物語」よりも怖いと思う日本人もいれば、「リング」がラヴクラフトよりも怖いと思うアメリカ人もいるだろう。
彼らの「怖い」という感情には、多少は「一神教的世界観」「多神教的世界観」が関与しているかもしれないが、それよりも個人的な趣味や感性(「ホラーに慣れているかどうか、じわじわとくる恐怖に弱いかびっくりさせるような恐怖に弱いか」「日常的な恐怖に弱いか、非日常的な恐怖に弱いか」などなど)の方が強く関与しているだろう。
つまり、ホラー小説の話題で、「キリスト教の世界観」「多神教の世界観」にばかり注目するのは、適切ではない。
また、ホラー小説の話題に限らず、欧米の文化や芸術作品・物語について考えるときに、「キリスト教」「一神教的世界観」に還元させるのは適切ではない。キリスト教の影響はあるかもしれないないかもしれない。あったとしても、強いかもしれないし、弱いかもしれない。
「一神教的世界観」というマジックワードで説明されることで、安易に「理解した」と思いこむのではなく、宗教や世界観以外の、他の側面からも考えることが必要である。
※ネトウヨの妄言なので、ネトウヨが嫌いなら読まない方が良いと思います。
(追記:当初、私自身が認識していたより、酷いことをいっているようです。ですので、読むと不快になる可能性が高いです。
基本的に、読まないことをお勧めします。削除しても、逃げたということで非難されそうなので、残しておきたいと思いますが)
連中の場合は、"情"が絡んでくるから厄介なんだと思う。
特に韓国人なんかは、"情"によって団結して、日本人を超えるみたいな考えもあるみたいだけど、事実は全く逆だと思う。
韓国人には"恨(ハン)"という概念があるんだけど、単に、"恨み"とかそういう次元を超えているらしい。彼ら曰く。
何が言いたいかというと、彼らは呪縛されている。つまり、呪われている。
具体的には、例えば、朝鮮半島は"半島"という地形が大元ではないかと思う。
三方を海に囲まれ、残りの一方が大陸につながっている。朝鮮半島の場合、日本に海上封鎖され、大陸から攻められたら終了。
同じような例として、スペイン内戦がある。スペインは、自国のあるイベリア半島につながっているフランスから攻撃を受け、イギリスに海上封鎖されるという逃げ道のない状態だった。その結果、血で血を洗う内戦。かなりのトラウマもの。ピカソがゲルニカを描いたり、ヘミングウェイが参戦したりしている訳だが。今だにそのトラウマは残っていて、最近だと、映画のパンズラビリンスはスペイン内戦を扱っていたのではないかな。
だから、"半島"というのは、基本的に呪われた地であり、韓国人は文字通り、DNAレベルで呪われている。<丶`∀´>←2ちゃんねるなんかで使われているこの顔が、その証拠で、大陸人(モンゴル系)に支配された証拠をDNAレベルで刻みつけられた。そう考えると、少し、背筋がゾッとするのではないだろうか。
(追記。上の記述は、一応、撤回しておきます。デリケートな問題ですし。ご不快になられた方、すみません)
ヨーロッパ大陸も、ユーラシア大陸から突き出た"半島"という見方も出来る。シベリアの遊牧民がたびたび攻めてきて、その結果、白人達はおかしくなってしまったという話もある。
映画の300(スリーハンドレッド)なども、白人対ペルシャで、ペルシャを禍々しく、妖怪かなんかみたいに描いている。アレは、白人のトラウマそのものだと思う(アラブ人はそれに反発したみたいだけど)。
それが、大航海時代の悲劇につながった。
300(スリーハンドレッド)に限らず、指輪物語(ロードオブザリング)も、スタ-シップトゥル-パ-ズも、バックトゥザフューチャーも、ロッキーも、白人は、"我々"と"彼ら"に分けたがる。
"我々"とは、キリスト教徒の白人、"彼ら"とは、宇宙人、未来人、ちょうの・・・いや、でも遠からずで、"自分たちとは違うもの"、滅ぼすべき敵、我々を支配するもの、我々が支配するものだったりする。
その役を、例えば、宇宙人や妖怪やロボットや、日本人なんかがやる。だから、白人が描く"彼ら"は醜く、異質で、おかしな存在だ。
(もっとも、"敵"を自分たちの写し鏡だとして考えると、白人はそのことを無意識的にも感じていると思う)
だから、日本人は、本当の意味での異世界、"ファンタジー"が描けないし、日本のファンタジー作品の住人は、容姿はどうあれ、中身は日本人ということになる。
白人の場合は、クトゥルー神話がその代表例だと思うけれど、本当に異質に描こうとする。
あと、白人でも、キリストを信じない共産主義者は、"彼ら"な訳で、80年代のハリウッドには腐るほど例がある。
(あっさり書きすぎたので、追記。多分、魂の存在を信じない唯物論者ということだからだろうか?日本人でも、唯物論者を理解出来ない人が多いかも)
それで、最初の話に戻ると、中国人は、儒教に呪縛されている。共産党全盛期に、共産党員が父親に笑ってしまうほど頭が上がらなかったという目撃談もある。
中韓人がなぜ、"情"に頼り出すかというと、彼らは彼らの世界しか持って無くて(中華思想。韓国も小中華思想)、主観(自分たち)しか存在しないから、他人の目を意識するということがあまりないので、構造と一体化してしまい、呪いに人格そのものが乗っ取られてしまうからだと思う。その結果、彼らは物事がよく見えなくなり、直情的になる。
でも、そんなに悲観的になる必要もなくて、最近は、中韓人も欧米の目を気にするようになってきたから、少しずつ状況は改善しているんでは無かろうか。
(中国のソース開示要請なんかを見ると、恨みはまだかなり残っているようだけど)
追記:
REV えさの付け方が甘め
反応早いッスね(笑)どの辺がそうだったか、ご指摘いただけると助かるんですが。
(もっとも、REVさんはいけずな方なので、教えていただけないとは思いますがw)
(再追記:ご返答、ありがとうございます。確かに、"支配された証拠"というのは誤解を生みそうですね。
結果的には、元々、朝鮮半島に住んでいた民族とは違う証拠にはなると思いますが)
yukitanuki ネトウヨの人なら賛同するのだろうか
どうでしょうね。私の個人的な発言なので、賛同する人もいるし、賛同しない人もいるでしょう。
私をレイシスト呼ばわりするひともいるだろうな、と思って書きましたし。
でも、呪いの構造を自覚しないと、不幸からは脱出できないと思うんですよ。これも個人的な経験ですが。
呪いと一体化して、人格を乗っ取られ、周囲に不幸をまき散らす例を何度も見てきましたし。
もっとも、日本語で書いた訳だから、彼らに私の考えを強制している訳でもないですし、する気もないです。
物知らずの面汚しでサーセンwwwww
私の妄言は、mobanamaさんの正論で粉砕していただけると嬉しいです。
なんとなく、語感がかっこよかったので使ってしまった面はあります。
ご指摘、ありがとうございます。
(以下、再追記)
サーセンwwwwww
これからも、みっともなく生きていきますよ!
comzoo 「日本人の性格」も「天皇」「武士道」「菊と刀」「敗戦」「戦後民主主義教育」とやらの呪いにまみれておるではないか。
その通りだと思います。
でも、日本人が、日本人のことばかり研究している現状に問題があるとは思いませんか?
外の文化と比較することによって、ある程度、相対的で、客観的な視点が得られると思います。
我々のどこが特殊でどこが外の人種と一緒なのか、それを考える必要があると思います。
(さらに再追記)
念のため書きますが、「呪いにかかっていること」と「不幸であること」は別です。
私の使っている「呪いにかかっている」というのは、「構造的に呪縛されている」ということであり、「不幸である」とは、自身の主観的な問題です。
ですので、「呪いにかかっている」からと言って、「不幸である」とは限りません。
相対的/客観的に、自分が/他者が「構造的にどう呪縛されているか」を認識することによることで、対処方法やその呪縛から逃れる方法も考えることが出来ると思います。
それは確かにそのとおり。僕にも経験がある。
・アリの巣にゴキブリを押し込んだり(逃げようとするゴキブリがアリの巣の中に引きずり込まれていく。クトゥルー神話みたい。)
・ザリガニの腕取ったり
・アリをぷちぷち潰したり
・とかげのしっぽを切ったり
・ヘビを振り回したり
ほ乳類にはひどいことをした覚えはないけど(せいぜい犬の散歩を短く済ませるくらい)、犬や猫を虐待したり殺したりすることと上記とどこが違うんだと聞かれたら答えに窮する。
「一寸の虫にも五分の魂」が正しいとすれば、アリと犬と人間の命の重さは変わらないことになってしまって、「生類憐れみの令」みたいなアホな話になってしまう。実際には生類令は無かったらしいですけど。そういう名前じゃなかったってことでしたっけ?
いやだからって別に、虫は殺していいのに犬を保健所に連れてくことは批判するのかよっ!って言いたい訳じゃなくて、むしろそういうバカ親を批判したいんだけど、その根拠って感情的なものに過ぎないのかな?って思うと、どこかに拠り所を探してみたくなります。
ねんがんの くりとるりとる しんわしゅう をてにいれたぞ!
ま、それはいいんだけど。
発行年が古いせいか、情報がおかしい。
「H.P.ラヴクラフトの死後に作家たちがhplの神話を元に書き始めた」とか「旧神によって旧支配者たちは地下に封印された」とか
いわゆる、A.ダーレスによって作られた「クトゥルー神話」を鵜呑みにして解説しちゃってるんだけど。
幸いな事に、ク・リトル・リトル神話集は他の「クトゥルー」や「ラヴクラフト全集」に比べてお値段高めだし、大抵ネットで調べれば、「原神話」系の情報が出てくるから、こういう誤情報が一般に流布する事はないだろうけど。さすがにこれを入門書に薦めるのはどうかと。
ああ、そういえば図書館で一度借りて読んだ時、最初の解説でとんでもないこと書いてあるってわかったから読まずに放置してたんだった。
あと、Amazonのレビューで大滝氏の翻訳を叩いてる奴は一体何なの?あの程度で読みにくいとかいってたらラヴクラフト全部読めないぞ。