はてなキーワード: 不利益とは
現在、月面基地は原子力発電で使用電力を賄っているわけだが、実のところこれがものすごく効率が悪い。
毎日毎日、何便も行き来する往復機の貴重な貨物エリアの一部を、この原子力発電に必要な資材が占めていることを考えれば、いかにももったいない。
月面基地の建設開始前は太陽光発電が考えられていたものの、いざ建築が始まれば大量の物資、人材、生活必需品を運び込む過程で往復機が頻繁に離着陸を繰り返したため、巻き上げられた大量の塵が太陽光を遮ってしまったのだ。
残念なことに、大きく舞い上げられた塵は静まる前に次の往復機を迎え、なかなか地面に戻れず、徐々に空中土量は増大していった。
と、まあ日光の遮光だけでもやっかいなこの塵なのだが、更にやっかいなのは太陽光パネルの上に堆積する事だ。
月面に風はなく、雨も降らない。火山灰の様に土砂が堆積した太陽光パネルは清掃するまで機能を果たさないが、この土砂除去をやるのは人力なのだ。
水は貴重なので洗い流す訳にはいかず、これも貴重だが、空気で吹き飛ばせばまた舞い上がって落ちてくる。
結局、刷毛で大まかな土砂を除去した後、掃除用の粘着ローラーで一枚ずつ掃除して行かなくてはいけないのだが、パネルの数は数万枚単位で、更に電力不足からまだまだ増設の必要があった。
これだけで貴重な人手を使い切る訳にもいかないので、太陽光発電はあえなく放棄されたわけだ。
ただし、急遽設置された(とはいえ、検証の上、数年がかりではあるが)原子力発電もかなり効率が悪く、かなりの資源を発電施設に投入せざるをえない状況である。
原子力発電を回すために往復機は更に増便せざるをえず、舞い上げられる塵は一層増大する。
しかし、実のところ、この塵も決して不利益ばかりをもたらすわけではない。
確かに、太陽光発電は妨げられる。その上、通信も妨害するし、往復機も傷だらけにして著しく寿命を縮めるが、それでも、人間が月面で常時活動可能になるメリットは大きい。
高熱に対してよりも極寒に対する準備の方がしやすい。
今までは直射日光が地面にあたる数日間はモグラのように基地に籠もっていることを強いられたが、現在では、かなり活動可能な期間が増えた。
今後の検討課題としては、現在の日陰を享受し続けるか、やはり日光を奪い返すかで協議が必要であろうが、我が研究室としては、課題の一環として月面の大部分に粘性のあるスライムを敷き詰める技術の開発に着手する予定である。
現時点では社名を伏せるが、太陽光パネル製作の大手と、有名オモチャ会社より研究支援の確約をえており、新技術は今後の宇宙開発において革新的な手法となると考えられることから、宇宙開拓史に名前を刻む勢いで頑張って欲しい。
(月面基地に駐在する研究者から、地上の助手達に宛てたメールより。なお、彼は日本の古いポップソングを愛好し、いつも口ずさんでいた)
ミニマリストのブログを見ると、彼らに子供が居ることは少なくないようだ。
彼らの子供は、親が実践しているミニマリズムというライフスタイルについてどう思ってるのだろう。口ではその時はパパママ大好き、物減って広くて遊べてすっきりしていい、と言ってるかもしれないが、思春期すぎる前の子供なんて、精神的にはパパママにおんぶにだっこのまともな判断能力のない子供だ。
自分がそうだったが、親が特殊なライフスタイルや特殊な教育方針をとっていると、子供に思わぬ不利益が振りかかることが往々にして起こる。
自分の場合、具体的にはゲーム買わない主義で、テレビ置かない主義で、菜食主義だったが、学校でテレビやゲームの話についていけなかったり、牛乳有害説を根拠に給食のとき牛乳を飲まないように言われていたし、そのせいか友達が少なかった。それがコミュ障に発展したのかもしれないし、俺がチビなのはたんぱく質不足が原因なのかもしれない。一方で菜食主義のおかげか病気をしたことはないし、しょうもないテレビに時間を費やさなくてよかったとも思う。プラスマイナスでどっちにころんだかは自分にもわからないが、今では適度に肉を食い、適度にゲームをする普通の家庭のほうがよかったと思っている。
世の中にはミニマリズムに賛同する人もいれば、ありえない、人間じゃない、馬鹿みたい、不便だろ、自己満足だ、といった印象を抱く人もいる。どっちが正しいのかはわからないが、ミニマリストが少数派であることは確かだ。親が少数派。なかなかしんどいことだ。親はそこまで考えて行動しているんだろうか。
さっき地下鉄で帰宅中に、ベビーカー連れの親子に散々嫌がらせをしていった中年男性がいて、胸糞悪くなった
19時過ぎに電車に乗ると、ベビーカー2台, お母さん2人, 2~4歳くらいの子供3人が、電車の席3シート分くらい使って座っていた。
少しベビーカーが場所を取っていたが、5人分で3シートなら全然問題ないレベル。
とくに泣き叫んでいるわけでもなく、ワイワイ親子団欒していた。
ちょっと狭いけど、その横が空いていたので座った。
スマホの電池も切れてたし、なんかはてぶでストレス発散には瞑想と運動がいいとか言ってたから、何も考えずに瞑想っぽく座っていた。
すると反対側に立っていた男が、突然こちら側にきて、お母さん達のほうに手を突き出していた。
瞑想中だった俺はとくに振り向きもせず、ぼんやりみていたので、何をしているかわからなかったが、
「ああ、子供のお父さんなのか、何かお菓子でもあげてるのかな。俺が隣に座ってしまったけど、大丈夫だったかな」
とか思いながらスルーしていた。
数駅過ぎて、その男が電車を降りようとしたとき、ベビーカーに男の足がかかり、ベビーカーが倒れそうになった。
子供がいる座席側に倒れそうになって、子供が圧迫されそうになっていた。
あっぶねーな、とか思ってたが、男は謝罪もせずドアの前に行ってしまった。常識がない奴だな、とか思っていると、ドアの前で男がお母さん達に向かって指を指している。
初めは、知り合いに向かって、なんか示しているかと思っていたが、よく見ると中指を突き立てて見せつけている。
ここでようやく、その男が悪意を持って一連の行動をしていたことに気づいた。ベビーカーにつまづいたのもワザとだ。途中、手を突き出していたのも、おそらく去り際と同じく中指を突き立てていたのだろう。
めちゃくちゃ胸糞が悪い。子連れや妊婦に嫌がらせをされるという話は聞いたことがあったが、目の前で実際に見て、マジでこんな糞な奴がいるのか、と呆然とした。 お母さん達は何も抵抗せず、子供の身を案じていた。抗議しようにも、子供になにかされたら、という思いで何もできなかったんだろう。そんな守るべき立場の人に向かって、嫌がらせをしていくとか本当にありえない。ここまで終わってたか、日本。
フィンランドに住んでたことがあるんだが、本当に子連れにやさしい社会だった。
電車やバスは、ベビーカーを連れた親子連れは無料になるし、ちゃんとベビーカー用のスペースも用意してある。フィンランドのバスは前から乗って真ん中から出る方式だが、ベビーカー連れの親子の場合は広い真ん中の出口から乗ることができる。降りるときは、ベビーカーを降ろすのを他の人が手伝ってくれる。だから公共交通機関にはベビーカーを連れた親子が多かった。 こういう経験をしていると、本当に日本の糞さを痛感する。
一番の原因は、国民性ではなく、人口過密と交通公共機関のキャパシティだと思う。人が過密していると誰だってイライラするし、問題も起こりやすくなる。 普通の自転車を電車に持ち込んだ経験ってある? フィンランドだと持ち込めて、ちょっと電車乗ってから別の場所でサイクリングすることも簡単だった。すごい快適。自転車持ち込めるくらい余裕があると、ベビーカー乗せててもそんなにイラつくことはないだろう。
もちろん国民性とか民度も原因だとは思う。日本人は、他人に迷惑がかかることを極端に回避する国民性で、レジで会計手間取ってるだけで迷惑かけてしまってると感じてしまうレベル。
他人に迷惑をかけないが身にしみすぎて、個人の事情よりも水知らずの他人のほうを重視せざるを得ないようになっている。
たまたま周りに不利益を被る形になったとしても、たまたま自分がその事情・立場になってしまっただけで、他の人がそうなる可能性もある。だからこそお互い様で、許容しあうという考えが少ない。
少し話はズレるが、日本人の気遣いが色々な変化を経て、いびつなものになってる気がする。
初めは、一人のちょっとした気遣いから始まり、その行為が良いと評判になると、みんながそれをし始める。ここまではすごくいい話。 それがいつの間にか、みんなが守らならければいけないマナーになり、守らないと批判されるようになる。 別にその気が無かった人も、集団的な価値観により、それを守らなければいけなくなり、我慢し始める。こういう人は、守っていない人を見ると非難をし始める。 こういう社会になると、本当に生きづらい。
さらに、我慢してた人が、我慢しないほうが自分の得になる、と気づいておかしなことになる。今の日本はこれが進み始めてる気がする。保育園建設反対運動とか、マイルドヤンキーとか。
wordpressでエロ動画サイトを運営しててauto post thumbnailのように自動でサムネイルを設定できるプラグインでxvideosにも対応したものがないかと、エログを作り始めた当初にひたすら探しまくっていたのを思い出してPHPの勉強がてら自ら作成してみました。
そのプラグインの機能は、基本的にauto post thumbnailと同じで記事ないに画像があれば一番最初の画像がサムネイルに設定されます。
しかし、一味違うのが記事内に画像がなくてもxvideosの動画を紹介していればその動画のキャプチャー画像がサムネイルとして設定される点です。
残念ながらxhamsterやFC2動画などのxvideos以外の動画には対応していませんが、
いろいろと動画サイトが増えてきている今でもやっぱりxvideosが強い!!
サイト名にxvideosと入れるだけで検索からの流入が増えるくらいですから。(全部が全部当たったわけではありませんので運もあると思いますが...)
てな感じで個人的にめちゃくちゃ役に立っているプラグインを公開していますので必要であれば下記URLでダウンロードできますのでご利用ください。
http://videos-pass.link/xvideos-thumbnail
しかしながら、プログラム自体まったく経験のない初心者が勉強しながら改良したものでずので、動作保証や万が一このプラグインのせいで不利益が生じても責任は負えません。
自分らは長年搾取してきた側だが、自分たちが搾取される側になるのは断じて許せないので抵抗する。
っていうのは利益観点でまっとうなことだし全く否定しないのだが、倫理的な正当性はゼロだよな。
「俺に不利益をもたらすのは不正義である!」なんてわめく弱者の「倫理的な正当性」なんてのは、ただ自己都合だし、本人もそこに正しさがあるなんて信じてない鳴き声にすぎないわけで、強者からすれば考慮してやる必要はない。具体的に言えば、泣こうがわめこうが弱者から容赦なく搾取するよな。
俺はそういう世界でもいいと思ってるからいいんだけど(逃げ切り程度の貯金があるので)、みんなそういう世界でも困らんのかなあ?
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/medium.com/mediumjp/2b0da4969e65
だいたいはここらへんのコメント
id:koiz アメリカでは、光を思いっきり入れたクリエイティブが求められることが多い(特に西海岸だし、スイムウェアは)。自分のセンスで左の方がいい!この写真家はクソ!ってなる人がrawデータを貰いたがるタイプなのだと予想
id:Memeo このレタッチ写真屋が勝手にやったんじゃなくて用途やデザイン案に従って仕上げたもんなんじゃない?/ カレー作って今からルー入れようって時に「もうそれでいいから食わせろ」と言われても困るだろう。
で言い表されてると思ったんだけど、スターを集めてるブコメでは誤解が解けてないようなので。
まず、カメラマンの仕事を理解していないひとが多い。カメラマンは写真家と違って、クライアントの要求にあった写真を撮るのが仕事なんだよね。「フレアがわざとらしい」とか「レタッチ前の写真のほうが好き」と言っている人は、カメラマンじゃなくてクライアントのセンスに文句をつけている。
次に、本文でも親切に「レタッチを前提として撮っている」と書いてあるように、レタッチは下手な写真をごまかす手段としてではなく、クライアントの望む理想的な写真を作り出す手段として使っている。「RAW現像を前提としてあえて暗めに撮っておき、現像時に明るくすることで暗部の階調を残す」というようなテクニックは常套手段。なのでレタッチ前の写真が下手という指摘は外れているし、そういう誤解があるからこそ元データを納品したくないんだよ。
元記事はカメラマンの立場からRAWデータを渡せない理由を説明し、それでもクライアントの不利益が少ないことを説明して理解を求める内容。「RAWデータは作りかけのもの。自分の名前で世に出したくはない」「そのことでクライアントに不利益が生じないようきっちりと仕事をしているので、理解してほしい」「しかしカメラマン側も事前に契約を詰めるなどの取り組みは必要」という流れ。その流れを踏まえてブコメを読むと、とんちんかんなブコメがかなり多いことがわかる。
いわゆる写真の加工に対して、アレルギーを持った人が多いんだろうなと再認識させられた。身の回りにある写真はほとんどが加工済みだし、iPhoneで撮った写真でさえ元から強烈な補正がかかってる。ここまで写真が身近になった今だからこそ、写真の現像やレタッチについてカメラマンからも発信していかなければならないと思った。
id:toksato 結局なんでレタッチ前の写真を渡さないのかよくわからなかった。
本文中に"レタッチが終わるまでは、自信を持って「自分の作品です」とクレジットを付ける気にはなりません。"って書いてある。
ただ、元記事は「レタッチ前データを渡したくない理由」「レタッチ前データを渡す必要が無い理由」「同業カメラマンへの提言」がまぜこぜに書かれていて、主旨が読み取りづらいとは思う。
id:Akamemori お前それフィルムカメラでも同じ事言えんの?
ブコメで多数指摘されてるけど、銀塩時代も加工の技術はあった。現像やプリントの段階で、色味やコントラスト、シャープネス、粒状性は変えられるし、覆い焼きで部分的な明るさを変えることもできる。デジタルで幅が広がったのは確かだけど。
id:atoh 契約時にきちんと詰めろってだけの話だった。
id:aromabird 契約次第としか。中間制作物も納品義務のある契約なら納めるし、無ければしない。別料金。ただそれだけ。
本文で"撮影の前には、契約が成立しています。""これは、プロのカメラマンである以上、事前にしっかりと内容を詰める責任があります。"ときっちり書いてある。このコメントに星が集まってるのが理解不能なんだけど、みんな本文最後まで読んでないの?
id:nasuhiko レタッチっていうかほぼRAW現像の話だろこれ。翻訳者がわかってないのか、それらも含めて原文がレタッチって言ってるのか。プロでさえ1枚のベストショットの背後に何十何百という失敗ショットがあるのは同意。
海外の"retouch"は現像も含めた写真の加工全体を指す。"no retouching"なら、撮影後いっさい手を加えていない写真のこと。
id:kazoo_oo 追記でぐだぐだと契約だなんだ言い訳してるけど、前段ではそのrawファイルが自分より優れた現像者に出会う可能性を潰すことの理由を説明できてないよね。 </bockquote>
これは文章の読み取り方の問題。自分よりも優れた現像者に出会う可能性は潰しきれないが、カメラマン側の能力で相当小さくしている。カメラマンの被る不利益との天秤で、原則RAWデータを渡すことはできない。ただし信頼関係や契約次第で対応することはできるというのが本文の論。
IT業界でクライアントが「あとで使うから作ったソースコードや旧バージョン全部ちょうだい」って言ったら普通に断られると思うんだけど、それと同じ話。
id:jassmaz jpegだけ送られてきたらキレるわ。rawファイルもいらない。psd + pngを送るのが常識では?
psd+pngが常識というのには同意。その上で、クライアントが求めるものはまちまちなので、契約をしっかり詰めておきましょうというのが本文の内容。
id:oscdis765 これ右がレタッチ後なんだよね?左のが良いのが沢山あるんだけど
id:mfigure 上手けりゃ、原版渡せとは言われないでしょ。加工後の方が上手いといえない写真が多いんだけど、よく言うわ。
id:kantei3 思いあがっている。あと、左の方が良い写真が多いので、都合のよい例すら選べない低能なんだな、と。
id:paradisemaker いやー、商売が成立してるんならいいけど、元々のカメラの腕が良くないし、レタッチもそれほど上手くない。デジタル時代のカメラマンって感じだなぁ。
この手のコメントが多いのが本当に悲惨。使用イメージが頭にあるクライアントがカメラマンと話しながら詰めた結果、右みたいなタイプの写真が希望にあったというだけ。あなたたちがどっちがいいと思おうがまったく関係ない。仕事で右みたいな写真が好まれがちだからこそ、private workもそういう味付けにしてポートフォリオとして公開しているんだろう。
「デジタル時代のカメラマン」ってのがよくわからない。フイルム時代、大多数の人が見ていた写真は加工の入ったプリントと、よくて現像済みのネガぐらいで、RAWデータに相当する未現像ネガは見られなかったはずなんだけども。
id:zheyang う~ん、今でも撮影時に設定を絞り込んで、レタッチを最小限にしてる人もいるんじゃないか?/作例のレタッチ(フレア)がわざとらしくてCGくさい。この人の写真家としての腕がちょっと怪しい。
写真家とカメラマンは違う。「写真道」でも極めるならともかく、クライアントの希望に適う写真を納品するという立場において、レタッチを忌避する理由はどこにもない。最高の成果物を納品するためには、「撮影時に設定を絞り込んでレタッチを最小限にする」より「撮影時に設定を絞り込んだうえでレタッチで仕上げる」のほうが良いというだけ。フレアがわざとらしいとか、クライアントに言うべき。
id:xevra くだらんこだわりだ。写真家とカメラマンは違う、カメラマンならとっとと出せ。単に現像スキルに自信がないってだけなんじゃないの? 面倒臭い奴に発注するのはやめたい。
5000枚の未選別データを欲しいならそうするけど、それには相互の信頼関係が必要だし、契約段階から要求しておいてほしいという話。
id:aceraceae いらないとこ白飛びさせるの好きな人なんだなってことがわかった。
この人の好みもあるかもしれないが、クライアントの希望にもあっているからこそそれで納品されたんよ。あと向こうの雑誌や広告をちょっと見ればわかるけど、こういう派手でやり過ぎっぽい写真はかなり好まれてる。
びっくりするほど人の話を聞いてないというか、真面目に聞いてはいるんだけど理解できてないというか
同じ文章を読んだはずなのに、「うんうん、わかった」って言いながら、
全然間違った感じで理解をしてて、驚くほどトンチンカンなことを言い出したり
学校で配られたプリントの内容をみんなで確認したり、教師のアナウンスを聞いて、
その直後に話をしても、○日に何を持ってこいとか、○○をしてから△△をする、みたいなことが丸っきり間違ってるとか
やたらと話の中で示された手順の順序とかポイントとかをすっ飛ばす人が学生の頃、結構な割合で周りにいた
別に成績が目立って悪いわけじゃない子でも結構いて、あとから「こうだよな?」って確認してこられたときに、
こちらが「えっ、嘘?違うよ?えっ、自信なくなってきた……」ってなりがちなので結構困る
たとえば「A組は右の扉から、B組は左の扉から、C組とD組は後ろの扉から退出してください。それでは移動お願いします」みたいなアナウンスを聞いて
「えっ、C組はどうしたらいいの!?」
「あれ?前からって言ってなかった?」
「後ろはD組だから後ろじゃないのは確かだ」
「いやC組の指示なかったって!ちょっと聞いてくる!(怒)」
いやいやいや違うじゃんお前ら、今「CとDは後ろから」って言ってたじゃんって思うんだけど、
「嘘だ言ってない、言ってたとしたら言い方かマイクが悪い」とか言い出す
周りに合わせとけばいいやってハナから聞いてないってわけでもないっぽいのに内容が頭に入ってない
このタイプの人は大体みんな揃って「アナウンスする側が悪い」って反応をするのも興味深い
学生の間はずっと周囲に何割かそういう人たちがいたけど、就職した途端ピタっと周りから消えた
言ったことや連絡事項をその通りにスムーズに理解してくれる人ばかりという環境にかなり感動したのだけれど、
それでも、仕事以外で偶然接する人にはまだ時折そういった人はいるので、どうもたまたま今は周りにいないだけで、
そういった人たちは年齢関係なくそんな調子のまま世の中で生きて行っているのかもしれない
事実に対する認識があんなに曖昧なままでもなんとかなるんだなー(多分細かい不利益とか無駄とかはたくさんある)とか、
自分で言ってることが順序とかおかしくてあからさまにチグハグになってるのに気づかないのかなーとか思うんだけど、自分が細かいことを気にしすぎなのかなあ?
周りにこういう人、いませんか?
http://anond.hatelabo.jp/20160227183104
人間が認識できる「社会」なんてものはMAX30人程度じゃないないかな。コミュニティの所属人数はそんなものだろう。この人数は中小企業の全体であったり、少し大きな企業であれば自分の部署であったり、小中高校生であればクラス程度だし、大学でいえばサークル程度だ。その程度の大きさのコミュが認知できる世界の大きさだ。多少物が考えられる人間ならその小コミュニティを客観視して「この小コミュニティも、世界の中でよくある程度に普通で、よくある程度に逸脱したコミュニティなんだろうな」とおもう。つまりは「選ばれた特別なコミュだとでかい声で騒ぐほどじゃないし、世界すべてが自分のコミュニティの類似であると思いあがるほど自分が世界の中心でもない」ってだけの話だ。物がわかってないと、自分のコミュが世界のひな型だとか思いこむ。
ある他人が(つまり増田が)、そのコミュにおいて居つけないような性格や能力の人物だとしても、コミュ先住人(=先輩)としては、出て行ってくれるのであれば、きつい言葉を投げかける利点はほとんどない。コミュニティなんて無数にあるし、特徴も様々なんだから、よっぽどじゃなきゃ相性次第だ。よっぽどなんてのも、口から放射能ガスを吐き出すとかだと居つけるコミュが見つからないという話で、たいていの変態でも、たいていの性格でも、それなりのコミュにおちつくなんてのは現実みてて明らかだ。
つまり「お前は社会では通用しないぞ」っていう言葉は、わかってないバカが「お前が俺のコミュに入ってきたらいじめてやる」っていう宣言なだけなのだ。まったく相手にする必要はない。
自分としては、むしろ、コミュにおいて、新規参入者に対して適正な仕事や居場所を用意してあげられないことがあれば申し訳なく、自分の力不足を感じる。それは別に倫理面とか善意とかそういう話じゃなくて、この少子化&人材不足の世界において、そんな人材見送りをするのは不利益でしかないからだ。もし見送りにしたって、その見送った人材が隣接する、関係するコミュに居ついて、取引会社に行く可能性などゼロじゃないんだから、そんな風にもめる必要はまったくない。不利益だ。自分の部下をいじめて喜ぶような性根の人間は、コミュニティの外部折衝をまったく気にかける必要がないような、コミュニティ内部でも大した地位につけない人間なので、本と気に掛ける必要ないよ。
http://www.bbc.com/japanese/video-36476470
BBCが「なぜ日本では難民を受け入れないのか」というニュースを報道していた。
この記事の提起する問題点自体は個別に考えるべき部分はあると思う。
が、今回は別の話をする。
最近BBCやCNNなどが徐々に日本に向けてニュースを報道するようになった。
以前までは英語で報道していた記事を日本人向けに日本語で発表するようになったというわけだ。
はてブでも上位に上がってくるようになったこともあり、はてな民の間でも話題に上がるようになってきた。
私も幾つかの記事はコメントをしたり記事を拝読させていただくようになったのだが、そういった欧米系の記事を見るようになって気づいたことがある。
どうも、異様に欧米からの目線に偏っているのではないのかということだ。
なにを当たり前のことを・・・
と、思った人もいるかもしれない。
そもそも欧米のメディアなんだから当たり前だろと思った人もいるだろう。
冒頭で挙げたBBCの難民問題の話だが、非常に巧妙だと思うのはあくまで「難民」に関してスポットを当てているということだ。
つまりこれは日本の難民制度に関する不備や人権意識に関しての指摘だといえる。
ところが、なぜ今このタイミングでこんな取り上げ方なのか?
という疑問が沸き上がる。
どうも、この記事の報道の仕方そのものが欧米内の難民問題の目線そらしなのではないのかという気がしている。
誤解を避けるためにもう少し厳密に書くが、「日本に存在する難民に対する人権的問題」と「欧州に存在する中東難民問題から発生する中東難民への扱い」を意図的にごちゃ混ぜにしているのではないのかということである。
確かに「日本の難民に対する受け入れ姿勢に問題が存在しない」などということはないのだが誰が難民申請をしていてどうやって申請を受け入れているのか等の情報も存在しておらず詳細に関する報道も正直かなり甘い。
中東の移民問題に関して日本に責任がないのかと問われればゼロではないと私も思うのだが、英語の反応を見ていると「日本は遠すぎるし、そもそも難民が向かっていない」とか「今回の難民問題に関しては日本の責任より欧米の方がはるかに責任が重い」といった発言も結構多く見受けられるのだ。
であるにもかかわらずBBCが出した今回の記事だが「難民」に対する人権意識の欠如を指摘はしているものの「中東難民」に対しての発言が一切見受けられない。欧州で現状、難民問題がめちゃくちゃ取り上げられているにも関わらずだ。
これは、中東難民に対する責任は欧州の我々の責任が重いので中東難民を受け入れろとは決していえない・・・
じゃあ、とりあえず難民で全て一緒くたにして日本を批判すれば欧州の責任から目を背けて現状のガス抜きになるんじゃね?
見たいな作り上げられたストーリーが見え隠れする。
ちなみにこれに対して日本側から安易に言及してしまうとまずいことになる。
難民全体に対する対応として問題を抱えているのは事実なので「このニュースなんか変じゃね?」という疑義を発すると容易にレイシストのレッテルを貼れるような構造になっているのだ。
難民に対する対応に問題はあるものの中東難民の問題はまた別の事情も加わるという意識を全体で共有しなければおかしなことになる。
この辺のなにか巧妙に「日本」に対する世論を誘導しようとする意識がいくつかの欧米メディアからは感じられる。
以前、部落差別に言及したBBCの記事からもこの辺の奇妙な感覚を感じた(今回は記述しないが・・・
西洋の視点として参考にするべき部分は多々あるのだが、かなり注意しなければ問題を解決する上でどうにも逆に不利益になるのでないかという部分がかなりある。
今回の記事も日本の知識をもった欧州人という目線で見るとなんとなくわかるが、ぶっちゃけ日本だと右派系新聞が扱うようなネタである。表題に書いたが日本のことを棚にあげて韓国を非難する産経新聞みたいだ。
条件が重なれば、
一時の感情に流されないとは限らない。
騒ぎ方の程度の問題ではない。
困るのは「外野が騒ぐことじゃない」風潮になることではなく、
その風潮を食い止めたいなら、
という、生々しい不倫被害の現状をもっと世に知らしめるべきだ。
他人の不幸をネタにして楽しみたいだけのエンターテイメントだ。
などという自己陶酔はやめて、
そもそも、
不倫が悪とされるのは、
パートナーに対しての裏切り行為を平気で行う人間性もそうだし、
先の見通しもないまま無計画に子供を作ってしまう行為なのであろう。
パートナーがいるのに他人を好きになってしまうこと自体を悪とは言い切れない。
その時にパートナーとしっかりと話し合いができるとか、
将来設計を立て直すとか、
もしくは叶わぬ恋とあきらめるとか、
それができる人間性が求められているのだろう。
毎日自分にだけ物凄い塩対応というか、特にその人に関係ないミス(営業部署や経理部署等その人の管轄ではない部分)を探しては「●●さん!いい加減にしてください!」
自分以外にはにこやかに接しているから周りからも不思議がられているし、かといって何かこちらが彼女に不利益になることをしたとも思えないんだよな…
嫌われているのが困るのではなく、嫌いなので仕事上の対応を悪くします、という態度が本当に困る。目に余る。
一度上司に相談したが上司の目に入らないところで同じことをやる。
自分のモチベーションが全く無関係なオバサンのせいで削がれまくるのがとてもとても嫌で、もういっそ転職しようかとも思うけど、あんな人のせいでうまくいってる仕事を辞める羽目になるのもシャク。はあー…。
現代の心理学で最も信頼性が高いとされている性格分析に「ビッグファイブ理論」というものあって、
人間の性格を「神経症的傾向」「外向性」「経験への開放性」「協調性」「誠実性」の5つの因子で分析する。
この理論でここ20年(あれ、10年だったか?)で生まれてくる子ども達の特性を分析したところ、
年々「神経症的傾向」を持つ子ども達が明らかに減ってきているらしい。
神経症的傾向っていうのは、情緒不安定性とも言い換えられて、外界からの刺激への反応のしやすさの度合いのことだ。
これは不安や鬱のなりやすさとも関係しているし、「恥ずかしがり度」とも解釈できるし、
当然ながら人間関係、コミュニケーションに問題を生じやすいため、「コミュ障の度合い」とも捉えていいだろう。
現代社会は人間関係が過剰なほど流動化し、経済構造の変化からリスクを取らなければサバイバルしにくい世の中になっている。
そのせいか、リスクを取ることを過剰に恐れたり、小さな失敗で大きく傷つくような性格の人々には生きにくい。
そもそも、現代の自由恋愛の世の中では、積極的にリスクを取り、悪く言えば「恥知らず」にならなければ、
結婚や出産以前にカップリングすら成立できなくなってしまった。
そうなると、必然的に「神経症的傾向」を持つ人々は、恋愛や結婚、その先にある子育ての機会に恵まれなくなっていく。
そうした傾向が続いていった結果として、米国の調査では年々「神経症的傾向」を持つ子どもの割合が減ってきているようだ。
日本ではいまだ「空気を読む」文化があり、ある意味で「恥知らず」が不利益を被ることも多いため、
米国のように鮮やかに「神経症的傾向」の子どもが減るという傾向が生じているのかどうかは不明だが、
昨今の「キス動画」のブームや、若い女性が性に対して主体的にふるまう現象をかんがみると、
日本でも「神経症的傾向」を持つ子どもたちの割合が減少傾向にあるのかもしれない。
20代女、セックスが好きでよく知らない相手ともすぐにしてしまう。
友達は皆、彼氏としかしないって言う。それが普通っぽいので合わせてる。
学校ではさんざんセックスの怖さ(子供ができる・病気になる)と教え込まれた。
なんで知らない人とセックスしちゃ駄目なんだろう。
貞操観念が薄いとかみっともないとか言うけどその感覚はどこで手に入れたものなんだろう。
とくに「浮気したパートナーが生理的に気持ち悪い」とか言い出す人の気持ちが本当にわからないので誰か教えて欲しい。
怒るのは当然だけど気持ち悪いっていうのはどこから来るんだ。付き合う前に誰かしらとそういう事してたのに。付き合う前はノーカンなの?童貞処女で付き合ったならわかるけど。
最近欧米では、移民政策に反対する”右派”と緊縮財政に反対する”左派”が台頭していると聞く。右派の例を挙げると、トランプやフランスの国民戦線。左派の例を挙げると、サンダースやスペインのポデモス。
でも経済的な観点でいえば、移民政策に反対するのも緊縮財政に反対するのも両方”左派”じゃないの?
だって移民政策って結局のところ、より安い労働力を国内に供給するための政策でしょう?
それってつまり、労働市場の価格破壊つまり賃金破壊を起こして、国民と移民の間で職の奪い合いをさせるってことだ。
労働供給が増えて労働者同士の競争が激化すると賃金は下がり、結果的に労働者全体が不利益を被る。逆に経営者は人件費を安く抑えて利益を得る。
つまり移民政策は、企業による労働者の搾取を悪化させるものだ。っていうか完全にネオリベ、つまり右派の政策だよねこれ。経営者にとってはまさにウハウハ(右派右派)
だからメディアがよく言う「移民政策に反対する極右〜」という表現は違和感を覚える。
経済的に見れば、明らかに移民政策が右派でそれに反対する労働者勢力が左派じゃないか。
だからそろそろ「移民政策と緊縮財政の両方に反対する左派政党」というのが現れても良い気がする。二つの潮流を独り占めできて労働者にとっては良いことづくめの勢力だ。
最近欧米では、移民政策に反対する”右派”と緊縮財政に反対する”左派”が台頭していると聞く。右派の例を挙げると、トランプやフランスの国民戦線。左派の例を挙げると、サンダースやスペインのポデモス。
でも経済的な観点でいえば、移民政策に反対するのも緊縮財政に反対するのも両方”左派”じゃないの?
だって移民政策って結局のところ、より安い労働力を国内に供給するための政策でしょう?
それってつまり、労働市場の価格破壊つまり賃金破壊を起こして、国民と移民の間で職の奪い合いをさせるってことだ。
労働供給が増えて労働者同士の競争が激化すると賃金は下がり、結果的に労働者全体が不利益を被る。逆に経営者は人件費を安く抑えて利益を得る。
つまり移民政策は、企業による労働者の搾取を悪化させるものだ。っていうか完全にネオリベ、つまり右派の政策だよねこれ。経営者にとってはまさにウハウハ(右派右派)
だからメディアがよく言う「移民政策に反対する極右〜」という表現は違和感を覚える。
経済的に見れば、明らかに移民政策が右派でそれに反対する労働者勢力が左派じゃないか。
だからそろそろ「移民政策と緊縮財政の両方に反対する左派政党」というのが現れても良い気がする。二つの潮流を独り占めできて労働者にとっては良いことづくめの勢力だ。
本日(2日目)の司法試験中、池袋会場にて、2限目の会社法の試験開始から65分ほど過ぎた頃、倒れた方がいらっしゃいました。
突然の奇声の後、昏倒。しばらくして意識は戻ったようですが、うなされながら、起き上がろうとしていました。数分後、起き上がったかと思いきや、10メートル程の距離を倒れ込むように走りながら、前方の演台に向かって突進。机にぶつかりながら、二度目の昏倒。
試験は約30分間に渡って中断されました。再開後の試験は、中断時間を除いて正確に規定時間(120分)となるよう、中断時点での残り時間(52分)が正確に実施されました。
恐らく試験に対する精神的ストレスが原因でしょう。私見では、1度目の昏倒後は試験を再開すべき強迫観念に襲われてうなされ、立ち上がったように思われました。
司法試験委員の対応は、不満が残るものでした。傷病者は、1度目の奇声・昏倒からして、異常な様子が推察できました。司法試験委員が傷病者を寝かせたままにするなり、抱きかかえて救護所まで運ぶなりすれば、二度目の昏倒は防げたと思います。
また、他の受験者に対しての対応も不十分でした。試験を中断する際、「試験を中断します。法文(※試験用六法全書を指す)を閉じてください」としかアナウンスしなかったため、多くの受験者は問題冊子、書きかけの答案を読み続けていました。同室にいた受験者のうち、答案構成を続けていた受験者には、約30分の中断時間は極めて有利に働いたものと思われます。
他方で、中断の約30分の間、なぜ試験が中断しているのか、試験がこれからどのように再開されるかといった説明については一切アナウンスがなく、受験生はただ待機するしかありませんでした。もっとも、中断理由については教室内にいたおよそ200人の受験生の全てが傷病者の異常な様子を目の当たりにすることで把握していましたが…。再開の告知は、再開の1分前でした。
この間、律儀に「中断」していた受験生は、思考もまさに「中断」され、大きな不利益を被りました。また、傷病者の至近にいた受験生には特に大きな動揺が走り、試験どころではなくなっていたように思います。これらに対するケアは何もありませんでした。
司法試験は、全17時間の8分野の法律の論文試験・全3時間15分の3分野の法律の短答試験を、4日間にかけて行う非常に苛酷な試験です。加えて、司法試験の受験資格は法科大学院を卒業して5年以内の者もしくは司法試験予備試験している者のみに与えられ、司法試験に連続して不合格となった者の大半が高齢無職・フリーターとなる、失敗が許され難い試験です。受験者を専門職大学院卒業程度の者に限ったところで、平均合格率は20%前後の試験です。
心理的重圧は並ではありません。試験はまだあと2日続きます。法務省司法試験委員には、傷病者の発生も想定した、充分な対応を望みます。
元増田見てるかな。もう見てないか。
死亡事故の内訳を見ると、普通に運転している限りではなかなか起こらないことがわかる。
事故の発生確率だけを考えれば人生で一度は経験するくらいの確率になるのだけど、それが死亡事故となると考慮しても意味のないくらいの小さな数字になる。
つまり、飛行機事故と一緒で、気にしてもしょうがない程度の確率でしかない。
それが単純に件数だけを見ようとするから毎日のように報道される死亡事故がまるで身近の出来事のように感じるというだけ。
でも当然0ではない可能性だからあとは利便性と天秤にかけるだけだよ。
運転は、精神論で解決しようとするのではなく、確率論的に事故が起こりえる状況を知ることとその対処法を粛々と身に付けることだけが上達の秘訣。
怖がりすぎることが返って危険になるということを、運転を慣れている人間は経験上学んでいるんだ。
事故は気をつけないとすぐに起きる。でも、死亡事故はよほどの負の偶然が重ならないと起こらないよ。
それと、たとえ車が100%自動運転になっても、そこに生身の人間が立ち入れる余地があれば死亡事故はなくならないよ。
人間が運転するよりは減るかもしれないけどね。
自分におこった出来事を整理してみると、自分は周りに人がいないなと思ったからまとめてみる。
小学校の時はいじめを受けた。中学校のときは耐えきれず親と一緒に先生のところへいきいじめっ子と教室を離してもらった。
うざいと言われた。キモイと言われた。空気が読めないと言われた。
そんなこと関係ないから、やるべきことをちゃんとやっていれば道は開けると思った。
大学には前期日程でそこそこのレベルのところになんとか滑り込んだ。
一応国立大。みんなで頑張ろうといってたクラスメイトは前期日程ボロボロだということを担任から聞いた。
この間違った自信がさらなる間違いへと踏み出すきっかけになった。
大学の時、自分に不利益なことをいう人間を徹底的に排除していった。
そうしていくうちに、周りから人がいなくなった。
「自分が全部正しい。」と口では否定しても、心の奥底では絶対にそう思っていた。
周りから変に注意をされると恐ろしく凹んだ。
凹んだ姿を周りに思いっきり見せた。
腫物を触るように扱われた。
職場が変わった。
なんでこんなところにいるの?とまで言われた。
そしてある日ヤンチャな奴から思いっきり殴られて病院にいくはめになった。
いじめを受けて以来初めて味わう「言い訳しようがない痛み」だった。
そうか、自分は傷つくことを嫌がるあまり「痛い自体」を遠ざけていたと気づかされた。
痛みをうけても自分のせいと思わず、どこか他人のせいにしていた。
「痛み」に向き合うことをしなかった。
例えるなら、無課金ユーザーのくせにセコセコやって貯めた無料ポイントで買った武器で重課金ユーザーに挑んでいったようなものだ。
その痛みを「どうせあいつは課金してるから」という何の解決にもなっていない言い訳で逃げてきただけなんだ。
そう思った今年の1月にいろんな決心をした。
まず体型。はっきりいってデブだ。体重を30kg落そうと決意して現在15kgほど落した。
体が軽くなった。トレーニングをしていると日々のもやもやが取れていく気がする。ランニングも始めた。
続いて知識、今まで本嫌いで読もうとしなかったが、今は月間4000円ほどを本につぎ込んでる。
今まで某ソシャゲに突っ込んでいた分を回した。
ある先輩教員が「月に5000円以上本にお金を使わない奴は教員としてダメだ。」と言っていたからだ。
必ずしも全部を読破できているわけではないが、何気なくベッドの周りに広げておくとふと読もうと思う瞬間がくるから不思議だ。
人と関わること。
何気ない雑談をするように心がけた。
そうすると自然と周りの人に助けてもらえるようになってきた。
つらい時に心配してもらえるようになった。
今までは自分で露骨なオーラを出していたものだが、自分が「ちょっとつらいな」と思ったときに声をかけてもらえるようになった。
あ、自分は今まで心配すらされてなかったのだと思った。そして裏を返せば心配されるほど頑張ってなかったのだと思った。
あとは手帳をつけはじめた。
なんてことはない。日々の記録をつけるようにした。
できるだけ自分がよかったと思うことを書くようにした。
そうすると課題も見えてくる。
自分が変わっていく瞬間を二十数年間生きてきてはじめて味わっている最中だ。
何が言いたいかというと
「下手なプライドは投げ捨てろ。無課金ユーザーの粋がる姿ほど見苦しい姿はない。」
「友達と遊ぶ、本を読むなどして人生経験に課金しろ。ゲームの課金だけでは残念な人生になるぞ。」
ということを言いたい。
ワンピースとかでLGBTの扱いがどうだとか結構話題になるけど少女漫画はあまり話題にならない気がする。
青年まんがなら女性作家の作品で話題になるものも有ったような気もするけど少女漫画はあまりないような気がする。
※追記
ポリコレはジェンダー論とは違うし、正直な所少女漫画はPC的に正しいかといえば全く正しくないと思う。
花より男子とかのだめカンタービレとかもドラマ化したりで、世間への影響力はそこらの少年漫画の比じゃないと思うから規模で言えば当然求められるものだし。
まぁ、ぶっちゃけなんで話題にならないかって、結局日本だとPCを求めてる主要層が女性だからってことなのかな。
少女漫画に触れると自勢力の不利益になるから範疇に入れたくないみたいな。