自分におこった出来事を整理してみると、自分は周りに人がいないなと思ったからまとめてみる。
小学校の時はいじめを受けた。中学校のときは耐えきれず親と一緒に先生のところへいきいじめっ子と教室を離してもらった。
うざいと言われた。キモイと言われた。空気が読めないと言われた。
そんなこと関係ないから、やるべきことをちゃんとやっていれば道は開けると思った。
大学には前期日程でそこそこのレベルのところになんとか滑り込んだ。
一応国立大。みんなで頑張ろうといってたクラスメイトは前期日程ボロボロだということを担任から聞いた。
この間違った自信がさらなる間違いへと踏み出すきっかけになった。
大学の時、自分に不利益なことをいう人間を徹底的に排除していった。
そうしていくうちに、周りから人がいなくなった。
「自分が全部正しい。」と口では否定しても、心の奥底では絶対にそう思っていた。
周りから変に注意をされると恐ろしく凹んだ。
凹んだ姿を周りに思いっきり見せた。
腫物を触るように扱われた。
職場が変わった。
なんでこんなところにいるの?とまで言われた。
そしてある日ヤンチャな奴から思いっきり殴られて病院にいくはめになった。
いじめを受けて以来初めて味わう「言い訳しようがない痛み」だった。
そうか、自分は傷つくことを嫌がるあまり「痛い自体」を遠ざけていたと気づかされた。
痛みをうけても自分のせいと思わず、どこか他人のせいにしていた。
「痛み」に向き合うことをしなかった。
例えるなら、無課金ユーザーのくせにセコセコやって貯めた無料ポイントで買った武器で重課金ユーザーに挑んでいったようなものだ。
その痛みを「どうせあいつは課金してるから」という何の解決にもなっていない言い訳で逃げてきただけなんだ。
そう思った今年の1月にいろんな決心をした。
まず体型。はっきりいってデブだ。体重を30kg落そうと決意して現在15kgほど落した。
体が軽くなった。トレーニングをしていると日々のもやもやが取れていく気がする。ランニングも始めた。
続いて知識、今まで本嫌いで読もうとしなかったが、今は月間4000円ほどを本につぎ込んでる。
今まで某ソシャゲに突っ込んでいた分を回した。
ある先輩教員が「月に5000円以上本にお金を使わない奴は教員としてダメだ。」と言っていたからだ。
必ずしも全部を読破できているわけではないが、何気なくベッドの周りに広げておくとふと読もうと思う瞬間がくるから不思議だ。
人と関わること。
何気ない雑談をするように心がけた。
そうすると自然と周りの人に助けてもらえるようになってきた。
つらい時に心配してもらえるようになった。
今までは自分で露骨なオーラを出していたものだが、自分が「ちょっとつらいな」と思ったときに声をかけてもらえるようになった。
あ、自分は今まで心配すらされてなかったのだと思った。そして裏を返せば心配されるほど頑張ってなかったのだと思った。
あとは手帳をつけはじめた。
なんてことはない。日々の記録をつけるようにした。
できるだけ自分がよかったと思うことを書くようにした。
そうすると課題も見えてくる。
自分が変わっていく瞬間を二十数年間生きてきてはじめて味わっている最中だ。
何が言いたいかというと
「下手なプライドは投げ捨てろ。無課金ユーザーの粋がる姿ほど見苦しい姿はない。」
「友達と遊ぶ、本を読むなどして人生経験に課金しろ。ゲームの課金だけでは残念な人生になるぞ。」
ということを言いたい。