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はてなキーワード: メンテナンスとは

2020-11-19

anond:20201119131431

仮にそういうキモい構成で社内システムを組んだとして、それは「誰」がメンテナンスするんだ?

たぶん言い出しっぺの増田メンテが回ってきて毎日残業になるだろうな。

んで、周囲はそういうのを全く理解できないので、なんで増田残業多いの?と責め立ててきて、いやになった増田退職してメンテ不可能システムけが残される。

日々の業務は「それ」で回ってて、追加機能とかの要望もあがるが当然ながら誰にもサワレナイ。

んで、どうにかしれくれって外部のシステム会社相談にくるが、元々増田残業代程度でメンテしてたので信じられないくらい低予算で言ってくるし、素人がつくったものほど闇が深いから誰もやりたがらない。

という未来しかみえないw

2020-11-17

私たちホームレスの人々を取材する理由 rewrite

私たちホームレスの人々を取材する理由

夫婦ホームレス取材をして3年ばかりの月日が経った。当初からその取材活動に疑問と懸念を投げかけてくる人々が跡を絶たない。考えてみれば当然だ。彼らが何故ホームレスという立場になったのか、百人百様の人生を得た末の今なのだろうが、想像するによい経緯は考えられない。世の中から忌避され、近づく行為奇行と捉える人がいても不思議ではない。

現在夫婦でこの取材に取り組んでいる私達ではあるが、このプロジェクトきっかけは妻である私の原体験が基となっている。

20年以上前新宿駅地下街は家を無くした人々のダンボールの手製の住処がひっそりとは呼べないと程の規模で一つの社会を為していた。

今では考えられないであろう。身銭を稼ぐためだろうか、駅のあちこちから拾い集めた古雑誌安値で売る者すらいた。

その日、幼い私は親に連れられそんな新宿駅まで来ていた。目に映ったのは、彼らの建てたダンボール小屋だった。秘密基地様相を持つそれらの簡易的な建立物に興味を持った私は見えない内側も確かめようと近寄ろうとすると、母に無言で引き止められた。その時の母の気色張った様相に、この場所で暮らす家のない人々は”近寄らざるべき人々”であり”場所”であり”社会であることをうっすらと理解した。

そのような記憶を留めたまま、大人になった私は街の角々で時折見かける彼らの姿に、違和感に近い興味を感じていた。禁止されればより気になるとはよく言ったものである

これがホームレスと呼ばれる人達への取材を行う我々への疑問に対する返答と呼ばれたら、もう少し先の取り組みに進んだ今の私達には少し合わないものではあるけれども、この事が漫然とした興味であったことは間違い無い。


ホームレスの人々と接する。

興味を持った以上、手始めに行ったのがインターネット検索だった。自宅からそう遠く離れた場所では無い所でこの問題に取り組む人がいるのか、まずはそんな事を知りたかっただけかもしれない。

検索結果は田舎ホームレス支援を小規模で行っているA氏を叩き出した。何も知らない私達であっても、その道の活動を行うA氏を通じてであれば、家を無くした人々から警戒される事もないだろう。

2017年12月24日。A氏は我々をホームレスの方々への食事支援する手伝いとして連れ出してくれた。その時出会った彼らこそが今も続けて会いに行く「おじさん」達である

初めて会う相手自己紹介をし、相手の紹介を受け徐々に打ち解けるというのがよくある関係の築き方ではあるけれど、ここでの流儀は少し異なる。「おじさん」達には、本名は明かす事による不都合や、ここに至った過去情報他人に明かしたくない気持ちを抱えた人々もいる。事情配慮して、汎用的な呼称である「おじさん」を使えば、我々も、「おじさん」も、気楽にお互いの話が出来るようになれる。

これはA氏に教えてもらった、家を持たない人々と交流する上での基本である。おじさん達からしたら新参者のどこの馬の骨とも解らない夫婦第一印象が「無礼者」であったとしたら完全にアウトだし、我々からしても本意ではない。おじさんたちの気持ちを慮ると過去に繋がる話を自分からはしない事が大切な事だった。

A氏はホームレス支援活動として、インスタント食品や保存が可能食材、周辺のパン屋農家にて余らしたものをおじさん達に届けていた。これらの活動不定期に、A氏の余裕がある時に行われているという事だった。

我々が同行したその時も、差し迫る暮の只中という事もあり更に冷え込む寒中に備え、厚手の靴下、年越し用の日本酒作業にも使える軍手等、僅かに豪華な届けものを揃えていた。

食材日用品仕分けし、一人ひとりにその品物を配り歩くと、おじさん達は丁重にお礼をいいながら受け取り、特に中身を気にする素振りもなく世間話を始めるのだった。


想定外だったホームレスの方々の姿。

A氏に案内を受け、「おじさん」達と交流を続けるうちに、どのひとも気さくなことに気づいた。

A氏からアドバイスにもあったのだが、おじさん達はよく話す。話の切り上げどころが全く無いと言った具合だ。全員の話を聞こうとすると一日作業になってしまう。

失礼ながら、ホームレスの人々は声なき人々、つまり無口な存在と思い込んでいた私の想像との違いに驚きつつ、そのまま導かれるように彼らの住まいに上がらせて貰うと、家、竈、物干し、食料等を自前で賄っていた。


(おじさん達の家の棚の写真

(おじさん達の竈の写真

(おじさん達の物干し台の写真


おじさん達は森や河川敷個人個人が住みよい場所を作り上げている事も気づきの一つであった。

ダンボール古布に佇む都会のホームレスの印象しかなかった私達には、おじさん達を今までの先入観にあったホームレスに括る事など出来ない。それほどまでの有機的な住むための場所が出来上がっていた。

突然現れた我々に当初の不安程は訝しげに思われる事もなかったのだけれども、逆におじさん達は我々が興味を持っている事に不思議がった。支援者としてのA氏のような人が現れる事はあっても、自分たちを題材として記事を書く為に訪問するような我々は物珍しかったようだ。

一人のおじさんが一台の自転車を見せてれた。そのやり取りが心に残ったのを今でも覚えている。

それはそれまでの日常では出会たことの無い感覚で、おじさん達との会話であったからこそ気付くことの出来た、当時の我々の中にあった先入観だった。


リユース偏見と。

自転車は誰しもが使える交通手段である。それはおじさん達にとっても同様で、荷を運び、移動したりと、色々と有用である。人から貰った自転車でも、不法投棄されてた自転車でも丁寧に手入れをし、慈しんでいる。

2台ある自転車のうちの1台はメンテナンス中ではあったものの、自転車の荷台にはプラスチックボックスが取り付けられ、雨に濡れることなく中にいれて物を運べる様になっている。フレームも塗り替えられ、綺麗に使い易くカスタマイズされていた。

おじさん達が不法投棄から見つけた物を使い勝手よく改造していた事に驚いていたのだが、それはそもそも我々の中に、ホームレスは所持品に対して綺麗さや使い勝手の工夫という要素とは無縁に違いないという偏見があることに気づかされた。誰であれ、自分が使うものは慈しみ、綺麗で使い良い方が自分も嬉しいはずなのに、その「誰でも」の中からおじさん達を除いていたのだ。私は恥じた。

このときは初回の訪問ということもあり、細かい生活状況やこれ以上の工夫について見ることはままならなかったのだが、この時のカスタマイズされた自転車を見た時のような発見は、それから以降もおじさん達を訪問するたびに様々な形で表れることとなる。


「家がない」ところから生活を維持する為の工夫」という基盤に対して工夫をするという事に気づいた私達。

興味から始まったと言って差し支えのないこのプロジェクトであるが、A氏を介して田舎河川敷で「ホームレス」という立場であれど、誰とも変わらず生活を営む為の術があることにきづき、

それまでの偏見先入観にあったイメージの「ホームレス」と彼らの姿には大きく差異があり、この時の驚きはそれからも続く彼らの生活への興味と、知りたい欲求と、取材を通して人に伝えたいという気持ちを強くしていった。

近寄った距離と、浮き彫りになる問題と。

車で一時間程でおじさん達の居住地に到着する。訪れるごとに違う世界がそこにあることに気づく。

おじさん達の暮らし時間に縛られることもなく、さながら毎日続くキャンプかのような日々を過ごしている。

ミニトマトが徐々に熟し始めている写真

勿論中には決まった時間に起き、食事を取り、外回りをして身なりを整え寝るというおじさんもいるだろう。

家があれば営まれるだろうそのよう生活に、基本的安心があることは否めない。


我々夫婦田舎河川敷ホームレスの人々を3年継続して取材を続けられているのは、この安心が得られないような状況で、人がどのようにこのような異世界とも呼べる限界生活という状況に折り合えばいいのか、どう生きれば日々を些かにでも楽しく過ごせるか、そしてどうやって状況を脱していくのかを共に考えていきたいという気持ちからだ。

我々がおじさん達のような路上生活をする事は今の所考えていない。今のテクノロジーに囲まれ生活を手放して自分を保てるような自信は、まだない。

出来たらそのような日が来なければいいと思っている。おじさん達だって本当だったら同じ気持ちだったはずなのだ

ただ、人生というのは何が起きるのか解らない。「今既に起きてしまったもの」を無かったことにするのは不可能だ。

その上で、家のない、おじさん達とともに過ごして得られた知見や工夫がどうにかして我々の生活普遍的で同じであるかという事を探していきたい。

取材を始める前に我々が抱いていたような偏見先入観を持った人々はきっと他にもたくさんいる。

今はお金があることによって支えられているこの生活は、病気や不運や失業や様々な事で覆される事があるかもしれない。家がないおじさん達は、お金のある安定と安心生活からは程遠い。

不遇とも思われる生活を営んではいるが、人を驚かせ、惹き付けるだけの力のある変わらない人間だ。


時折、ホームレスに対して心無い言葉を掛ける人がいる、

おじさん達と同じ立場の人には見知らぬ人に暴力を振るわれ、犠牲になる人々もいる。何故わたしはそんな事が起きるのだろうといつも不思議に思う。

取材を通して彼らを「見知らぬ街のホームレスから不定期に会う家のないおじさん達」に見るようになった私達は

彼らが異質な別の生き物ではなく、同じ人間生活する力を持つ、普通の人々であることにもっと目を向けてほしいと思った。

いま行っているこのプロジェクトと呼んだライフワークと今後の記事を通して、我々が彼らから学んだ世界を誰かに伝えることができたら幸いである。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こちらの投稿ベースは昨日炎上したcakesの「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」https://cakes.mu/posts/31615(筆者;ばぃちぃ)の記事を基にしたものとなります

筆者によるホームレスを魅力的なものとか過剰なまでの生活に対する華美な書き口が炎上の原因ではないかと仲間内でも話題になったのですが取り組みとしてはそんな批判を受けるようなものには思えませんでした。

これを描かれた筆者は更に若い中学生高校生が、社会偏見ホームレスという状態になられた方を悪く思わないように、もっと認識を高めて貰おうとあえて軽い書き口にされたのではないかなとか私は思うのです。

とはいえ配慮のない表現はどうなのとは思うのですが)

華美な要素(苦しい生活を魅力的と称する。覗き込む、警戒される、等異質のものと扱う表現、あえておじさんという呼称を修飾的に使うことにより、異質のものと分ける表現)を出来る限り排除して構成をほぼ変えずに再記述を行い、筆者の意図勝手に汲み取り想像で改変し加筆を行ってみました。

そうしたら(主観的には)そんなに不愉快でもない感じになりましたし、筆者の行っている活動賛同できました。

こんな増田の影からですが、ばぃちぃさん達を応援しています。頑張ってください。

私たちホームレスの人々を取材する理由 rewrite

私たちホームレスの人々を取材する理由

夫婦ホームレス取材をして3年ばかりの月日が経った。当初からその取材活動に疑問と懸念を投げかけてくる人々が跡を絶たない。考えてみれば当然だ。彼らが何故ホームレスという立場になったのか、百人百様の人生を得た末の今なのだろうが、想像するによい経緯は考えられない。世の中から忌避され、近づく行為奇行と捉える人がいても不思議ではない。

現在夫婦でこの取材に取り組んでいる私達ではあるが、このプロジェクトきっかけは妻である私の原体験が基となっている。

20年以上前新宿駅地下街は家を無くした人々のダンボールの手製の住処がひっそりとは呼べないと程の規模で一つの社会を為していた。

今では考えられないであろう。身銭を稼ぐためだろうか、駅のあちこちから拾い集めた古雑誌安値で売る者すらいた。

その日、幼い私は親に連れられそんな新宿駅まで来ていた。目に映ったのは、彼らの建てたダンボール小屋だった。秘密基地様相を持つそれらの簡易的な建立物に興味を持った私は見えない内側も確かめようと近寄ろうとすると、母に無言で引き止められた。その時の母の気色張った様相に、この場所で暮らす家のない人々は”近寄らざるべき人々”であり”場所”であり”社会”であった。

そのような記憶を留めたまま、大人になった私は街の角々で時折見かける彼らの姿に、違和感に近い興味を感じていた。禁止されればより気になるとはよく言ったものである

これがホームレスと呼ばれる人達への取材を行う我々への疑問に対する返答と呼ばれたら、もう少し先の取り組みに進んだ今の私達には少し合わないものではあるけれども、この事が漫然とした興味であったことは間違い無い。


ホームレスの人々と接する。

興味を持った以上、手始めに行ったのがインターネット検索だった。自宅からそう遠く離れた場所では無い所でこの問題に取り組む人がいるのか、まずはそんな事を知りたかっただけかもしれない。

検索結果は田舎ホームレス支援を小規模で行っているA氏を叩き出した。何も知らない私達であっても、その道の活動を行うA氏を通じてであれば、家を無くした人々から警戒される事もないだろう。

2017年12月24日。A氏は我々をホームレスの方々への食事支援する手伝いとして連れ出してくれた。その時出会った彼らこそが今も続けて会いに行く「おじさん」達である

初めて会う相手自己紹介をし、相手の紹介を受け徐々に打ち解けるというのがよくある関係の築き方ではあるけれど、ここでの流儀は少し異なる。「おじさん」達には、本名は明かす事による不都合や、ここに至った過去情報他人に明かしたくない気持ちを抱えた人々もいる。事情配慮して、汎用的な呼称である「おじさん」を使えば、我々も、「おじさん」も、気楽にお互いの話が出来るようになれる。

これはA氏に教えてもらった、家を持たない人々と交流する上での基本である。おじさん達からしたら新参者のどこの馬の骨とも解らない夫婦第一印象が「無礼者」であったとしたら完全にアウトだし、我々からしても本意ではない。おじさんたちの気持ちを慮ると過去に繋がる話を自分からはしない事が大切な事だった。

A氏はホームレス支援活動として、インスタント食品や保存が可能食材、周辺のパン屋農家にて余らしたものをおじさん達に届けていた。これらの活動不定期に、A氏の余裕がある時に行われているという事だった。

我々が同行したその時も、差し迫る暮の只中という事もあり更に冷え込む寒中に備え、厚手の靴下、年越し用の日本酒作業にも使える軍手等、僅かに豪華な届けものをを揃えていた。

食材日用品仕分けし、一人ひとりにその品物を配り歩くと、おじさん達は丁重にお礼をいいながら受け取り、特に中身を気にする素振りもなく世間話を始めるのだった。


想定外だったホームレスの方々の姿。

A氏に案内を受け、「おじさん」達と交流を続けるうちに、どのひとも気さくなことに気づいた。

A氏からアドバイスにもあったのだが、おじさん達はよく話す。話の切り上げどころが全く無いと言った具合だ。全員の話を聞こうとすると一日作業になってしまう。

失礼ながら、ホームレスの人々は声なき人々、つまり無口な存在と思い込んでいた私の想像との違いに驚きつつ、そのまま導かれるように彼らの住まいに上がらせて貰うと、家、竈、物干し、食料等を自前で賄っていた。

(家の写真3枚)

おじさん達は森や河川敷個人個人が住みよい場所を作り上げている事も気づきの一つであった。

ダンボール古布に佇む都会のホームレスの印象しかなかった私達には、おじさん達を今までの先入観にあったホームレスに括る事など出来ない。それほどまでの有機的な住むための場所が出来上がっていた。

突然現れた我々に当初の不安程は訝しげに思われる事もなかったのだけれども、逆におじさん達は我々が興味を持っている事に不思議がった。支援者としてのA氏のような人が現れる事はあっても、自分たちを題材として記事を書く為に訪問するような我々は物珍しかったようだ。

一人のおじさんが一台の自転車を見せてれた。そのやり取りが心に残ったのを今でも覚えている。

それはそれまでの日常では出会たことの無い感覚で、おじさん達との会話であったからこそ気付くことの出来た、当時の我々の中にあった先入観だった。


リユース偏見と。

自転車は誰しもが使える交通手段である。それはおじさん達にとっても同様で、荷を運び、移動したりと、色々と有用である。人から貰った自転車でも、不法投棄されてた自転車でも丁寧に手入れをし、慈しんでいる。

2台ある自転車のうちの1台はメンテナンス中ではあったものの、自転車の荷台にはプラスチックボックスが取り付けられ、雨に濡れることなく中にいれて物を運べる様になっている。フレームも塗り替えられ、綺麗に使い易くカスタマイズされていた。

おじさん達が不法投棄から見つけた物を使い勝手よく改造していた事に驚いていたのだが、それはそもそも我々の中に、ホームレスは所持品に対して綺麗さや使い勝手の工夫という要素とは無縁に違いないという偏見があることに気づかされた。誰であれ、自分が使うものは慈しみ、綺麗で使い良い方が自分も嬉しいはずなのに、その「誰でも」の中からおじさん達を除いていたのだ。私は恥じた。

このときは初回の訪問ということもあり、細かい生活状況やこれ以上の工夫について見ることはままならなかったのだが、この時のカスタマイズされた自転車を見た時のような発見は、それから以降もおじさん達を訪問するたびに様々な形で表れることとなる。


「家がない」ところから生活を維持する為の工夫」という基盤に対して工夫をするという事に気づいた私達。

興味から始まったと言って差し支えのないこのプロジェクトであるが、A氏を介して田舎河川敷で「ホームレス」という立場であれど、誰とも変わらず生活を営む為の術があることにきづき、

それまでの偏見先入観にあったイメージの「ホームレス」と彼らの姿には大きく差異があり、この時の驚きはそれからも続く彼らの生活への興味と、知りたい欲求と、取材を通して人に伝えたいという気持ちを強くしていった。

近寄った距離と、浮き彫りになる問題と。

車で一時間程でおじさん達の居住地に到着する。訪れるごとに違う世界がそこにあることに気づく。

おじさん達の暮らし時間に縛られることもなく、さながら毎日続くキャンプかのような日々を過ごしている。

トマト写真

勿論中には決まった時間に起き、食事を取り、外回りをして身なりを整え寝るというおじさんもいるだろう。

家があれば営まれるだろうそのよう生活に、基本的安心があることは否めない。


我々夫婦田舎河川敷ホームレスの人々3年継続して取材して続けられているのには、この安心が得られない時に人がどのようにこのような異世界とも呼べる限界生活という状況に折り合えばいいのか、どう生きれば日々を些かにでも楽しく過ごせるか、そしてどうやって状況を脱していくのかを共に考えていきたいという気持ちからだ。

我々がおじさん達のような路上生活をする事は今の所考えていない。今のテクノロジーに囲まれ生活を手放して自分を保てるような自信は、まだない。

出来たらそのような日が来なければいいと思っている。おじさん達だって本当だったら同じ気持ちだったはずなのだ

ただ、人生というのは何が起きるのか解らない。「今既に起きてしまったもの」を無かったことにするのは不可能だ。

その上で、家のない、おじさん達とともに過ごして得られた知見や工夫がどうにかして我々の生活普遍的で同じであるかという事を探していきたい。

取材を始める前に我々が抱いていたような偏見先入観を持った人々はきっと他にもたくさんいる。

今はお金があることによって支えられているこの生活は、病気や不運や失業や様々な事で覆される事があるかもしれない。家がないおじさん達は、お金のある安定と安心生活からは程遠い。

不遇とも思われる生活を営んではいるが、人を驚かせ惹き付けるだけの力のある変わらない人間だ。

時折、ホームレスに対して心無い言葉を掛ける人がいる、

暴力を振るわれ、犠牲になる人々もいる。何故わたしはそんな事が起きるのだろうといつも不思議に思う。

取材を通して彼らを「見知らぬ街のホームレスから不定期に会う家のないおじさん達」に見るようになった私達は

彼らが異質な別の生き物ではなく、同じ人間生活する力を持つ、普通の人々である

いま行っているこのプロジェクトと呼んだライフワークと今後の記事を通して、我々が彼らから学んだ世界を誰かに伝えることができたら幸いである。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こちらの投稿ベースは昨日炎上したcakesの「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」https://cakes.mu/posts/31615(筆者;ばぃちぃ)の記事を基にしたものとなります

筆者によるホームレスを魅力的なものとか過剰なまでの生活に対する華美な書き口が炎上の原因ではないかと仲間内でも話題になったのですが取り組みとしてはそんな批判を受けるようなものには思えませんでした。

これを描かれた筆者は更に若い中学生高校生が、社会偏見ホームレスという状態になられた方を悪く思わないように、もっと認識を高めて貰おうとあえて軽い書き口にされたのではないかなとか私は思うのです。

とはいえ配慮のない表現はどうなのとは思うのですが)

華美な要素(苦しい生活を魅力的と称する。覗き込む、警戒される、等異質のものと扱う表現、あえておじさんという呼称を修飾的に使うことにより、異質のものと分ける表現)を出来る限り排除して構成をほぼ変えずに再記述を行い、筆者の意図勝手に汲み取り想像で改変し加筆を行ってみました。

そうしたら(主観的には)そんなに不愉快でもない感じになりましたし、筆者の行っている活動賛同できました。

こんな増田の影からですが、ばぃちぃさん達を応援しています。頑張ってください。

2020-11-15

もうじき40代かばを迎えるプログラマー遺言(少し追記)(もうちょっと追記)(さらにもうちょっと追記)

世の中にはプログラマー35歳定年説というものがあった。昔からそんなのはないという人と、あるという人がいた。40代も半ばになったときに「あぁ、これが35再定年説の根拠か」というものがなんかちらほら見えるようになってきたので書いてみようと思った。

世の中にはものすごいプログラマーというのはやっぱりいる。なんなら死ぬまでプログラミング書いていられるという人たちもいる(ブラック的な意味ではなく)。そんな彼らからしたらプログラマー35再定年説とか意味がわからない都市伝説しか映らないだろう。

だが、普通に職業プログラマとして生きている俺のような人からすると、この35歳定年説はかなりの真実味を帯びている。

だが、そんな俺でも40代半ばまで延命できたのはやはり技術革新のおかげかもしれないが、結局平均寿命が伸びただけとも言えるだろう。

まず、技術に対する姿勢が変わる。正直言うとプログラミングとかもうしたくなくなる。というか、そもそも一生プログラミング仕事にしたいと思う最初の頃は好きだと思っていたが、仕事にしてしばらく経ったら大して好きでもなかったな、と思うようになる。

大して好きでもないことを仕事にし続ける体力はやはり年とともになくなり、体力がなくなった分「自分本質的にしたいと思うこと」が見えてくる。そしてそれはプログラミングではないため、ギャップがきつくなっていく。

おそらく、この辺が35歳くらいのあたりに来るのではないだろうか。35歳定年説と言ったら35歳ピッタリしか想像できないのが離散数学世界で生きているプログラマらしいといえばらしいが。

そんな感じでやってても、20年もやればそれなりにスキルも身につく。さすがにGoogleの一線で働くような大天才たちと渡り合うことはできないが、もしかしたらGoogleの片隅で働ける程度のスキルはあるかもしれないが、正直もういいっす、っていう気持ちのほうが大きくなる。

次に、自分がどうにか身につけてきた知見というものがなかなか広まらない。コンセンサスが取れない、という状況にも苦しくなってくる。

自分がやってきたプロジェクトでこういうことをやったらうまく働いた、というような知見は共有するが、なかなか価値観が共有できないことに気がつく。若いうちは「だったら俺が全部やりますわ」くらいの気合を見せられたものだが、年を取ってくると「あ、そうですか・・・」となってしまう。純粋に体力も気力もなくなっていく。

プログラミングをやっているだけありみんな論理的思考が大変上手だ。「皆さんホント論理的でいはりますなぁ」と言いたくなるわけだが、悲しいことに自分たちの振りかざす論理が、単なる正論、飛躍、極論、屁理屈、と言ったものであることに気づけない人も結構多い。こういうのを各個撃破するのも疲れる。

これからプログラミング仕事にする人たちに言っておきたいことがある。もしこの世界で長く働きたい、定年までコード書いていたい、と思うなら、常に勉強をしなくてはならない。もしあなたFラン出ているなら、他の人の倍努力しなくてはならない。できないならそこそこで転職したほうがいい。この世界にいるといか若いうちの勉強大事だったかを日々痛感する。

実務の上での俺の感じていることを書く。DDDだとかクリーンアーキテクチャだとかも大事だがもっとそれ以前に俺が根源的に重要だと考えているポイントだ。この辺をないがしろにしたらDDDクリーンアーキテクチャ絶対崩壊する。

コードを書くとき重要ポイント

まず、心得てほしいのはどんなにすごいプログラマでも意図の通じないコードは本当の意味で直せないということだ。

まず、引数チェック、状態チェックは必ずやれ。コードが語る、というようなことを言ってやらないやつが昔は多かったが、今もいるんだろうか。悲惨バグメンテナンス性の低下はそういった自分意図の表明を横着したコードから起こり始める。「俺はこれをやる、だからこの機能を呼び出すならこういう状態にした上でこういう情報を渡せ、じゃないならやらない」とはっきり言え。もしこの辺を冗長だと考える同僚がいるならもう辞めたほうがいい。

引数チェックや状態チェックのコードで画面の半分が埋まったならそのコード設計おかしい。一旦手を止めてよく考えろ。一つの機能を動かすのにそんなに引数がいるのか、そんなにチェックする状態が多いのか、そしてそれらは本当に必要検討しろ

テストコード絶対に書け。テストコードが書けない技術絶対に使うな。意味のあるテストが書けないならやめたほうがいいという輩もいるが、とにかく意味があろうとなかろうと書け。引数にこれを入れたらこうなる、こういう状態でこういう事したらこうなる、というお前の意図はとにかく示せるだけ示せ。

だいたいこの辺を横着したやつは翌年酷く後悔するか、そこのメンテ担当した同僚を攻撃している。

就職活動するとき重要ポイント

コードが書けなくても大丈夫、という会社は、コードが書けたほうが有利な会社ではなく、本当にコードを書かない会社だというこは肝に銘じておけ。身につくスキルEXCEL方眼紙を最低限の手数で作れるようになることか、本気でやればビジネス理解できるかもしれないが、お前の技術者としてのキャリアはそこで止まる。

仮に憧れのスーパーハッカーがいる会社を目指しているとして、彼らがそこでどう働いているか、なにが泥臭いのかを想像できない、聞くことができないならやめておけ。浮かれ過ぎだ。

仮にGithubURLを教えろという会社を目指しているとして、そこのリポジトリを飾り立てようと考えたならやめておけ、そういう会社Githubアウトプットすることを日常的な趣味として苦ではなくやり続けられる人を求めている。

年収をその会社選択基準にしているならそこはおまえには分不相応会社からやめておけ。仮に入れたとしても馴染めることはまず無い。これは年収が低くても同じだ。

人間関係重要ポイント

嫌いな人がいるならその会社はやめていい

少しだけ追記

コメントを観てこの「最小且つ単一論理でなにか否定できた気になる」という輩への対処が一番疲れる

もうちょっと追記

一晩立ってみたらこんなにブクマついててびっくりした。気になったブコメもあったのでちょっと追記しておく。

いきなり視点ミクロに、と言うやつなんだが、結局若いうちにこういうのできてないやつはあとで苦労するが、最初のうちは体力でカバーできている。体力でカバーできなくなったときに本当の意味でつけを払う羽目になるという意味で言ったり、あとオレみたいなおっさんが大変つらい思いをする、という意味でも言っている。

Fラン関係なくねっていうやつだが、昭和世代ステレオタイプかもしれない、ごめん。勉強する習慣もなければ大してやってきてもいないやつはこの業界だと倍苦労する羽目になるというふうに言いたかったと思う。どんな業界でもそうだとは思うが。

返す刀で結論づけしたがる人々がやっぱり現れるな、君たちはそう思わない人なんだろうし議論する気もないが何かしら言いたい人なんだろう。別にそれはそれでいいよ。お仕事頑張ってね。

「俺は大して辛くないけどなー」っていう人もやっぱり現れるな。辛くないんだったらいいことだと思う、お仕事頑張ってね。

4Kモニターものすごく細かい文字を読んでいる若者を見た、という人、俺も同意する。もう見ていられないんだよね。

関白宣言っぽいな、というのは俺も思った。

結局の所、プログラマ35歳定年説は俺も打ち破りたいと思っていた口なんだが、打ち破れる人とそうでない人がいる、ということで、俺は後者だった、ということだ。当然50過ぎてもプログラマやっている人は見かけるので、数学的な真理というわけではなく、統計的な傾向なんだろうと思っている。

若いうちから、いい環境で働かないと、気持ちのほうがどこかで先にギブアップする。いくら大好きで転職だと思う仕事だとしても、体力や若さで捻じ曲げていることはなかなか気づかない。色んな本を読んで客観的指標判断したほうがいい。

遺言とか言って書いておいて追記したら俺はソンビか亡霊なんだろうか?

さらにもうちょっと追記

びっくりした。こんなおっさん愚痴みたいなエントリーがこんなにブクマされるとは思ってなかった。いくつか気になったブコメがあったのでやはり書いてみたくなったので書く。

まず、この遺言最後にいなくなるのかという話だが、おそらくいなくなる。ゾンビで居続ける体力ももはやない。

次の準備はすでにしている。それは俺が本質的にやりたかたことに近いことだと思うのをピックアップしている。

本質的にやりたかたことって何かという話なんだが、まず俺が感じるプログラマーという仕事は「良き作り手であり続けること」が根本的なモラルだと思っている。若手で右も左もわからないような状態でも、それこそやっとフィズバズが理解できたような状況でも今持っているレベルで最大限にできうる一番いいもの模索し続ける仕事だと思っている。初心者にはチェックコード書け、意図はできるだけ込めろというのはそういう意味でもある。これを真正から受け止めてくれる職場を探したほうがいいというのは追加しておきたい。

プログラム論とかそういう話がしたいんじゃないということだけは言っておく。

俺も体力があるうちは良きつくり手を目指していたのだが、本質的にやりたいこと、もうちょっと言うなら、俺のモラルの軸は作ることにではなく使うことにあった。プログラミングというアクティティを挟んでこっちにつくり手がいてあっちに使い手がいる。仕組みを理解して作るのがプログラマーなら、作ったプログラム理解してよりよい日常模索するのが使い手、と言ってもいいかもしれない。いいフィードバックループのあっちとこっち、と言ってもいいかもしれない。俺は「良き作りてが使ったものを使う良き使い手でいたい」ということに気づいたので、遺言を書くことにした。少なくともこれに気づいた時点でプログラマーとしての俺は死んだ。

まだ直感的なものしか無いので、うまく言語化できていないのは申し訳ないんだが、今後10年位はそれを模索していくのではないだろうか。

歯ぎしり対策マウスピースをつけて寝るようになった。

結論から言うと、アゴ城之内化がとまらない。

エラ張っている人で歯ぎしりする人はやった方がいいと思う。

 

3月中旬に、小学生の頃から20年以上続いている歯ぎしりをはじめて対策した。

 

「は!?これはさすがにヤバくね!?」という症状がではじめ、

せっかく今のところ入れ歯差し歯も一本もないのに、このままでは死ぬまで自分の歯で生きられないと思い地元歯医者相談したらマウスピースをすすめられたのだ。

 

最初違和感ありまくりで寝起きの肩こりもひどかったけれど、次第に「自分ってこんなに寝るとき噛みしめてたんだ!」という自覚が持てるようになり、1〜3ヶ月もすれば寝るとき違和感や翌朝の肩こりもなくなって、今ではもう、付けずに寝る方が違和感を覚えるほどになっている。

 

で、慣れた頃ぐらいから会う人会う人に「え!?痩せた!?」って言われるようになった。ちょうど緊急事態宣言の直前につけはじめたので、久しぶりに会う人が多く、変化を感じやすかったんだと思う。

最初自覚もないので、「痩せてねえよ!?」って返してたんだけど、あるとき家族に「中国人画像加工したみたいなアゴになっている」と言われて顔の下半分がシャープになっていることがわかった。

かに、言われてみると、中国メイク動画流行っている感じのアゴになっているような……?

 

家族曰く、「それで美人になっているかと言われるとそうでもない。ただ、加工しましたという感じ」らしい。加工職人が私のBefore/Afterを見たら「下手くそ」と言い放つだろうな。

 

何でそんなことに?と思って調べてみたら、やはりマウスピース効果のようだった。

アゴというか、歯ぎしりで力みすぎてエラまわりの筋肉が張ってしまい、ふくれているように見える人が多いらしい。歯ぎしり抑制することでハリがおさまり本来?通常?の筋肉に戻るんだって。(調べた情報記憶曖昧だ)

 

就寝中の歯ぎしり自分ではどの程度やっているのかまったくわからないので(私は一人暮らしだし)今まで自覚はなかったけれど、毎晩相当食いしばっていたようで、現在までとにかくアゴが細く、鋭くなり続けている。そう、城之内化だ。

 

マジでマスク外して会う人ほぼ全員に「痩せたね」と言われるので、相当痩せてるんだろう、アゴだけ。

最近は、かぐや姫のあの帝にも親近感だよ。

 

もともと自分は顔に肉がつきづらいタイプで、輪郭逆三角形型だと言われていたので(個人的には男性的なシルエットだなと思っていた)「まだなくなるの!?っていうか、そんなに張ってたの!?」という感じで驚いている。

これが美しくなっていればもっと大々的に伝えたいところだけれど、そうでもないのでここに記しておく。(みんな言わないけどやつれてみえるんじゃないかな?)

 

まあでも効果がとにかくすごいので、エラ張りや歯ぎしりに悩んでいる人がいたらすぐさま試してみてよ。マウスピース

 

歯医者によるだろうけれど、私の行っているところは5〜7千円で初回OKだった。(保険適用歯ぎしり自体がなくなるわけではないので、(歯のすり減りを抑えるイメージ)3〜4ヶ月程度ごとの定期メンテナンス必須だけれど、決して高すぎるという感じはない。ついでに虫歯があれば即治療できるしね。

 

あ、私の場合歯ぎしりでうわあごの欠けた骨(骨隆起かな??)が肉と皮膚をつきやぶって外側に出てくる感じの症例が何度かあったので(めちゃくちゃ痛い口内炎が出来たと思ったら骨がぴょこって口の中に現れる。めちゃくちゃ痛い。そしてしばらくすると食事中に自然に取れたり、違和感ありすぎて歯医者でとってもらったりしてる。原因の検討がつくまで4軒以上まわって地元歯医者に行き着いた。めちゃくちゃ痛い)それが食い止められるなら安いもんだっていうのもあるけれど。悩んでない人からすると高いかも。

 

歯医者10年に1回とかしかいかないぐらい無縁な場所だったけど、これからは身近な存在になりそうな予感。

2020-11-10

anond:20201110195054

メンテナンスでそこまでやらないなあ

普段は安いの使ってるからというのもあるけど

レンズ技術革新?でこれでも昔よりは大分薄くなってると思うけど

直視力低いので助かってる

メガネメンテナンスをするためにレンズの外し方を覚えたはいいけど、

年々視力が落ちてレンズが分厚くなるせいではめ込みづらくなってきた

次に作ったら自分じゃはめ込めなくなりそう

2020-11-01

anond:20201031203148

考えてみると、世の中の不労所得と呼ばれてるものでも、定期的にメンテナンスしなければ収入が落ちていくものがかなり多いな

不労所得より、一生食っていける資産だな

ケータイはなくなる?

キャリアともガラケー新機種を1年以上出してない。

ショップに行っても、旧モデルでさえ在庫がないと言われるしまつ。

ケータイはもうなくなるのでしょうか?

小ささ、軽さ、使いやすさ、頑丈さ、アップデートなどのメンテナンスの少なさ、電池の交換性など、

ガラケーには、スマホに勝る点がまだまだあります

ぜひ、今後も維持していただきたいと思います

おじいさんより。

2020-10-31

自分のケツの穴を見る勇気がない😞

最後にケツ穴見たのいつだろう。

中学生くらいじゃないか

まだケツ穴もキレイだった頃。

それから数十年立って何にもメンテナンスしてないケツ穴なんて見る勇気ない😞

多分荒れ果てて黒ずんヤバイことになってそう😞ハァ

2020-10-30

お願いだからセンスの無い人はプログラマにならないで下さい

プログラミングセンスです。センスの無い人がプログラマになると、他のすべての人に迷惑がかかります。だからセンスの無い人は絶対プログラマにならないで下さい。

プログラミングセンスが無い人や、プログラミングをやったことの無い人は、知識を得たり経験を積んだりすれば、誰でも「良いプログラマ」になれると思っているようですが、無理です。

というのも、センスの無いプログラマ問題は、知識経験の不足ではないからです。センスの無いプログラマの救いようの無い問題は「頭がおかしいこと」なのです。

題材は何でもいいのですが、具体的なコードを見た方がイメージがつきやすいと思いますので、とりあえず以下の問題を考えます

問題

住民リストが与えられるので、背の低い順に男女ペアにしたリストを作って下さい。ただし、男女の数は同数であるします。

コード

ふつうの人は、難しく考えずに以下のようなコードを書きます

const makePair = (persons) => {
  const males = persons.filter(person => person.sex === MALE)
  const females = persons.filter(person => person.sex === FEMALE)
  const compareHeight = (a, b) => a.height - b.height
  males.sort(compareHeight)
  females.sort(compareHeight)
  return males.map((male, idx) => [male, females[idx]]) // 男女の数は同数
}

この例はJavaScriptなので高階関数を使っていますが、仮にそういう機能が無かったとしても、

というコード構成は大きく変わらないでしょう。

一方、センスの無いゴミプログラマは、以下のような名状しがたきコードを書いてきます

function pair(psns) {
  var i = -1;
  var cnt = 0;
  var flg = psns[0] && psns[0].sex;
  var j = -1;
  var tmp = null;
  for(i = 0; i < psns.length; i++) {
    //console.log('■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ BEGIN ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■')
    //console.log(psns, 'i=' + i, 'cnt=' + cnt, 'flg=' + flg);
    if(psns[i].sex == flg) {
      //console.log('cnt: ' + cnt + '->' + (cnt+1));
      cnt++;
    } else {
      j = i - cnt + 1;
      //console.log('swap ' + i + '<-->' + j);
      tmp = psns[j];
      psns[j] = psns[i];
      psns[i] = tmp;
      i = j - 1; // <- 理由は分からないが、i = jだと上手くいかない(by XXXX)。
      cnt = 0;
      flg = flg == MALE ? FEMALE : MALE;
      while(j > 1) {
        if(psns[j].height < psns[j-2].height) {
          //console.log('swap ' + j + '<-->' + (j-2));
          tmp = psns[j-2];
          psns[j-2] = psns[j];
          psns[j] = tmp;
        }
        j -= 2;
      }
    }
    //console.log(psns, 'i=' + i, 'cnt=' + cnt, 'flg=' + flg);
    //console.log('■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ END ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■')
    //console.log('')
  }
  for(i = 0; i < psns.length; i++) {
    //console.log('■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ BEGIN ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■')
    j = Math.floor(i / 2);
    //console.log(psns, 'i=' + i, 'j=' + j);
    tmp = psns[i];
    if(!(i % 2)) {
      psns[j] = [null, null];
    }
    if(tmp.sex == MALE) {
      psns[j][0] = tmp;
      psns[j][1] = psns[i+1];
    } else {
      psns[j][0] = psns[i+1];
      psns[j][1] = tmp;
    }
    i++;
    //console.log(psns, 'i=' + i, 'j=' + j);
    //console.log('■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ END ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■')
  }
  psns.splice(psns.length / 2, psns.length);
}

こんなコードメンテナンスは御免被りたいです。一見して配列の要素を入れ替えていることが分かるだけで、実装を全て読まなければ(いや読んでも)処理の意図が全く分かりません。また、たとえば「i = j - 1」が間違って「i = j」などと書かれていてバグを起こしたとしても、原因を突き止めるのは困難を極めます

さて、このコードは具体的に何がいけないのでしょうか。長すぎることがいけないのしょうか。変数名が分かりにくいのがいけないのでしょうか。引数破壊的に変更しているのがいけないのでしょうか。不要コメントが残っているのがいけないのでしょうか。よく見ると、ソート処理で車輪の再発明をしていたり、「j」や「tmp」などが場所によって意味が違うカメレオン変数になっていたりしますが、それがいけないのでしょうか。どれも正しいですが、それらを逐一直したところで、本質的解決にはならないでしょう。

後者コードはもはや「ここを直したら良くなる」とかいレベルを超えています。たしかに、問題を具体的に挙げることはできます。このコードの致命的な問題が、凝集度の低さと、単一責任原則(SRP)違反にあるのは間違いありません。しかし、後者コードを書いてくる人に、

住民リストを男女に分ける処理や、リストソートをする処理、2つのリストをまとめる処理は、この問題とは独立して意味のある操作から、別の関数として抽出しましょう。その方がコードの見通しがよくなるし、一部の処理を修正したときの影響も小さくなるし、単体テストも書きやすくなります

なんて言ったって聞く耳を持たないでしょう。

そもそも、こういうコードを書く人は、この処理自体を「pair」なんて関数抽出すらしません。まだこの問題では入出力のフォーマットが明確に定義されているので、他人が1から書き直せますが、実際のプロダクトでは、無数の副作用を起こす数千行のコード迷路を彼の脳内フォーマットデータが通るわけです。もちろん、テストコードなんてありません。

まり、指摘をしても絶対に直らないのです。いくら言語の優れた機能ベストプラクティスを紹介しても、馬の耳に念仏。それらの利点を理解できるだけの脳みそが足りていないのです。

どうして、同じ処理を実装するのに、ここまでの違いが生じるのでしょうか。

これは、プログラミング技術問題ではありません。既に述べた通り、ふつうの人なら、特定機能の有無とか知識の程度にかかわらず、ふつうコードを書くのです。なぜなら、ふつうの人にはそちらの方が楽だからです。つまり、前者のコード別に何か卓越した技術を身につけた結果書けるようになるものではなく、まともな感覚さえ持っていれば、プログラミング初心者にとっても前者のコードの方が書きやすいのです。

まり後者のようなコードを書いてくる奴というのは、現実世界の捉え方が常人とは著しくずれているのです。要するに、「頭がおかしい」のです。この病気はもう直りません。だからセンスの無い人は絶対プログラマにはならないで下さい。

2020-10-27

近所のゴミ屋敷を見ていると老後が怖くなる

近所にものすごいゴミ屋敷がある。

庭にはペットボトルとか洗剤やカップ麺の容器が散乱していて、窓から見える室内にも空いたティッシュ箱や使い古されたであろう電池の山が詰まれている。家は家で、トタン屋根はあちこち剥がれて庭や道にまで落ちているし、あろうことか玄関の扉すら壊れているのか存在していない。まぁ、あの家に泥棒で入ろうなんて人はいないだろうが………。

普通に通りがかった人であれば廃屋だと思うだろう。玄関扉が無いんだもの

でも、そこには独りの老婆が住んでいる。歳は80代くらいだろうか。いつも近所のお年寄り方と井戸端会議をしているので、心身はまぁまぁ健康のようだ。庭には時々洗濯物が掛かっているので、最低限の家事もしているのだろう。

ただ、流石に足腰は年相応に悪くなっているのであろう、歩く様子は結構大変そうだし、自力で一軒家をメンテナンスするのはなかなか難しいだろう。かといって家事代行を頼むような余裕も無いから、家は年々荒れていき気付けばゴミ屋敷…というのが現状という感じだろうか。実際、ストリートビューで見た数年前の近所の画像だと、荒れてはいものの今よりは多少マシなものだった(別にその家の確認のために見たわけではないが)。

一昔前であれば多くの人には頼れる子や親族がいて、彼女のような境遇にあれば一緒に住むなり時々でも世話しに行くなりする人がいたのだろう。実際、自分祖母限界集落のような田舎に住んでいたが、親の兄弟が交替で定期的に通っていたので、祖母は90代で死ぬまで綺麗な自宅で過ごすことができていた。

でも昨今は独居老人というのがテレビでもよく取り上げられるし、実際にこうやって目にするケースもある。恐らく頼れる親族がいないのだろう。

自分場合きょうだい揃って子供はいないし、頼る相手としてどうかはともかく甥姪すらいない。平均寿命から考えれば、もしも伴侶に先立たれたら独りだ。その時にある程度の蓄えが無ければ、自分もそういう風に身の回りのことも満足に出来ずに朽ちていくのかと思うと、暗澹とした気分になる。

いや、彼女別に今を不幸だとは思っていないかもしれない。ただ、自分がそういう境遇に至るのが怖いのだ。

だったらお前が彼女を助けられるのかと言われたら、それは難しい。ちょっとしたことでも一度何か助けたりでもしたら、近所で顔見知りだとズルズルと引き込まれそうな気もするので、変に関わり合いを持つつもりはない。他の人達もおそらく同じように考えているから、現状なのだろうとは思う。そして自分がそういう境遇になった時も、まぁ周辺住民が助けてくれるなんてことはきっと無いだろう。

別にかに看取ってほしいとか構ってほしいとか、そういうのは無いんだ。ただ、歳を取って弱ってきた時に頼れる人なり金なりを作っておかないと、自分にとっては厳しい老後になるだろうなという、そこはかとない怖ろしさを感じるのだ………。

2020-10-24

車検メンテナンスも全部お任せ マイカーリース 一生新車に乗ろう 夢じゃないよ 心も満タンに コスモ 石油

夢です

月賦です

事実上のローンです

何で食い下がってんだよいいサービスじゃねえか

とお冠の皆さんには誠に申し訳ございません

生活費心配を中心に考えているものから意見です

2020-10-22

anond:20201022005749

よし、お前の熱い気持ちしかと受け止めた。バズるのは時間帯が悪かったと思うので、次に投稿するときには夜ご飯ぐらいがいいよ。それでは添削してやろう。

継承はだめ、という主張はわかるぜ。継承ネストが深くなるとメンテナンス性が落ちるし、習い初めのバカ勝手クラスを使うからな。これは同意する。

そう、昨今の業務では継承とか使わない方が良い。何故か?フレームワーク上でビジネスロジック記載する時代からだろ?でもな、そのフレームワーク自体テンプレートパターンといったパターンが満載で、アスペクト指向を介してログ排出しているのよね。まぁ、素人継承を使わせるのはキチガイ刃物なのは事実だが、今という時代フレームワーク刃物ラップできている時代だと思えば、悪くないと思うよ。うん。

リスコフの置換原則は、継承したメソッド上下で型の変化を無くせ、というだけだろ?それは、ちょっと能力検定には弱いよね?SOLIDの原則について調べてみよう。

無闇矢鱈に継承を使うな、というのは正しい。だけど、禁止する程ではないと思う。

2020-10-21

araikacang あれば便利なのは分かるけど、子が騒がないタイプで、徒歩5分以内に駅2路線バス停2路線、各科病院小学校幼稚園スーパー…となると、便利さがメンテナンスの手間と事故リスク全然見合わない。

子供が騒ぐのは日ごろから自動車

運動不足なのでは?

2020-10-18

車持つの必要な金って結局いくらよ?って話

買うのに200万

駐車場代月1万

ガソリン代月1万

その他メンテナンス等月2万(オイル交換、車検自賠責含む)

とか考えると、月4万くらいが車の維持で取られる上に、200万の貯金が吹っ飛ぶ。

月15万(手取り13万、うち10%は消費税消滅)の一人暮らし地方民は

月収が家賃光熱費生活費ほぼほぼ使いつくされていて、200万の貯金がまずできないし、車の維持費もねん出が難しいはずだ。

要するに人一台車を持てる時代では無いということ。

持つか持たないかという選択肢すらお前らには無いんだよ。

2020-10-17

値引きってどうするんだろう

大きな買い物をしたことがあまりないので、ものを値引きするという感覚があまりありません。

例えば冷蔵庫電子レンジ家電屋で買ったときも値札そのままでした。

やったことがあるとすれば、展示品だった卓上ライトを箱無しなどの理由で1万ぴったりに値引いてもらったくらいでしょうか。多分30%引き。

5年位したら車を買い換える予定ですが、そのときに値引きできるのかなって思うんです。

でもそもそも値引きする理由相手にはない気がします。値引くにはそれ相応の理由があってするのであって、クルマならば高級車を現金でポンと出してくれるような客ならばそうするでしょう。メンテナンスをその店で済ませたり、次の車をまた買ってくれる可能だってあります。でもエントリーモデルを買いたいと思う人に値引く理由ってあるんでしょうか?

例えば私が「もう少し安いなら買うんですけどね」と言ったとしても、店側からしたら「なら中古車もっとグレードの低いクルマを当たれば」と思うでしょう。値下げしてまで買わせるメリットってなんですかね。

2020-10-13

まつもとゆきひろツイッターを見てRuby使うのをやめようと思った

Matzことまつもとゆきひろといえばプログラミング言語Rubyの作者なのだが、技術的にはともかく政治的にはツイッターを見ていてとてもつらい。

高度プロフェッショナル制度」について

定額働かせ放題」とも呼ばれ、専門性裁量性も低い業種への拡大が懸念される「高度プロフェッショナル制度」について、問題点理解せず反対する野党揶揄

IT 業界を苦しめたいか生産性を高めるのを阻害したい勢力」について

陰謀論に頼らなくとも、そのような勢力自民党なのだが、なぜか自民党批判には至らない不思議ツイート

安倍首相辞任発表の日にRTしたツイート

安倍晋三が辞任することで批判対象がなくなって困るだろうと想像上の批判者を揶揄

アベノマスク価格についてRTしたツイート

この期に及んでアベノマスク無理筋擁護するツイート

ナゴルノカラバ紛争についてRTしたツイート

他国紛争に便乗して「9条信者」を揶揄するツイート

日本学術会議についてRTしたツイート

どれも自民党が決定し実施した政策なのだがなぜか批判自民党ではなく学術会議に向ける不思議ツイート

政治的にはともかく技術的に優秀だったらいいのでは?

技術者として優秀ならたとえ政治的にどれだけ頓珍漢なことを言っていてもいいのではと考える人もいるだろうが、筆者はそう考えない。現在Rubyの開発はまつもとゆきひろ個人ではなく、オープンソースとしてコミュニティにより行われているものだ。その中で氏は一人の技術者としての役割と同時に、コミュニティリーダーとしての役割果たしている。

そう考えたときに、氏が「お上に盾突く」政権批判者を揶揄し続けていることはコミュニティの将来に暗い影を落としている。意見の違う他者に敬意を払う、少数派の意見でも理があれば尊重する、近しい人間もそうでない人間もできるだけ平等に扱うように努力する、といった健全文化が、そのようなリーダーの下で育つだろうか?

Linuxリーナス・トーバルズですら過去暴言について反省謝罪する時代である。多くのオープンソースプロジェクトはそれぞれに行動規範を定めるようになってきた。

Linuxの行動規範Pythonの行動規範も、それぞれにネット上での議論オフラインでのイベントで守るべきルールを具体例も交えながら詳細に記述しているし、それだけでなくルールを守らなかった場合措置や、ハラスメントを受けたときの報告先、その報告がどのように扱われるかまできちんと書かれている。

Rubyにも行動規範があるにはあるのだが、その内容はおそろしく貧弱で具体例にも乏しい。なにより、ハラスメント被害にあったとき被害者が誰に報告すればよいのか、その報告がどのように扱われるのかがまったく書かれていない。この健全コミュニティ運営に対する無関心も、リーダー姿勢無関係ではないはずだ。

以前からPythonの隆盛とRubyの退潮は繰り返し言われていたが、筆者はこれを機にRubyを捨てPythonに切り替えていこうと思う。日本で生まれ言語ということで、なんとなくRuby応援したいという気持ちもずっと持ち続けていたのだが、そのような気持ちだんだんと薄れてきてしまった。PythonRubyに対して利用者数も開発者数もライブラリの充実度も圧倒的優位にある状況が逆転する見込みはないし、コミュニティ運営に対する意識の差も新しく流入する人の数に影響しこの流れを多少なりとも助長するだろう。既存コードメンテナンスはともかく、新しいコードPythonで書くようにする方が将来的にはメリットが大きいだろうと思う。

2020-10-11

anond:20201011202145

エイブル管理物件とかあるんだな

物件管理会社は別で仲介だけしていると思ってたわ

○ 主なサービス内容

1 . 賃料の集金、滞納保証

2 . 24時間緊急対応

3 . 退去時の精算業務

4 . 建物メンテナンス

5 . コールセンターお客様対応

6 . その他各種管理業務 ←

 

エイブル賃貸管理業務

https://www.able.co.jp/company/gyomu/kanri/

 

フツーに自治体通報でいいのではないだろうか?

一般廃棄物は市(区)役所または町村役場

2020-10-08

粋な増田しぐさ

・全力で信じる

釣り認定なんてやっているようじゃ半人前、一流はしっかり騙されてあげる

・たまに何も信じない

矛盾するようだが、たまに全てを釣り認定する。これはメンテナンスのようなもの

・どうでもいいと知る

増田自分となんら関係ない、全ては空虚行為と知る。何もない場所で全力で遊ぼう

2020-10-07

家購入派ってもしかして単なる情弱

家購入派って、もしかして賃貸で浮いた金を投資すること考慮してない?

よく「資産として残らない」みたいな意見を見かけるけど、「賃貸派の人は貯金もせず有り金全部使い切ってるんだ!」とか本気でそんなふうに思っているのかな?

「ローン繰り上げ返済」とかもよく言ってるよな。その金でS&P500でも買っとけばずっと儲かったし、その儲かった金で賃貸の料金払えるし、なんならお釣り来る

家は購入直後にガクッと値下がりして、年を経るごとにぐんぐんと価値が下がっていく(いい土地なら地価が上がるけど、そんなの今の日本土地の中でも1%以下だろうし無視)、それ資産とか言うの詐欺じゃない?

ほっといたら傷んでいく一方なので修繕費もかかります。維持すればするほどお金が出ていくの、資産というより負債です。

まぁ広い家に住めるという体験に、数千万価値があるっていう考え方ならどうぞご自由にって感じだな。

炎天下の中覆いしげる草を刈ったり、虫が無限に湧き続けて羽アリとかがびっしり窓に付く体験は、数千万だす価値あるよな。

もしくは体を壊してろくにメンテナンス出来ずにボロボロになった家の中、子どもたちが巣立ったあと、そのだだっぴろいボロ屋に取り残されローンを払い続けるのは、エキサイティング体験だろう。

分譲マンションなら、フリーライドして修繕費さない奴らと戦うことだってできるんだ、ワイルドだぜ!

個人的には、自分家族人生巻き込んでまでやる価値があるとは到底思えないけど、価値観は人それぞれ、持ち家派の人は自信を持ってその価値を語っていただければと思います

しかし、投資しない時点で金銭感覚よわ過ぎるよなぁ・・・

最後なっちゃったけどここで語ってる「家購入」ってのは、家を購入するだけの資金の無い現役世代がローンを組んで買うタイプことね。

成功者とかが買うトロフィーみたいな家とか、長年貯めた金や資産を一部自分の住むための不動産にする、っていうタイプの購入は、むしろそれが正しい家の買い方だと思います

anond:20201007094810

量子コンピュータいつ一般化されるのやろって思ってる

あとメンテナンスする人が職を失うのは最後の方ですよ

2020-10-05

好きで痩せてないわ

一日に3食バランスよくしっかり食べ、間食はほとんどせず、

酒もたばこもやらず、就寝時間は早めで早起き

とても規則正しく健康的な生活で、

そんなの太らなくて当たり前だろうとか、誰でもそんな生活が出来ればするわとか、

いわれてしまうのだけど。

油の強いものを食べれば下痢

10分目を越えれば確実に下痢嘔吐

かといって、1食抜けば、手足が冷えて震えがくる。

徹夜以前に夜更かしすれば、吐き気頭痛、関節痛がして、

健康維持のための運動で、過労で寝込む。

そういう人間にとっては、毎日自分メンテナンスである

今日は何が食べられるのか、どこまで無理が出来るのか。

日々、体のチキンレースをしてる気分である

から、腹いっぱいだって言ってるのに「甘いものは別腹だから!」とか、やめて。

「細いから、そのくらい食べても大丈夫よー♪」でもない。

あげく、無理に食べて、やはり吐いた後の胃痛でうめいていたら、

謝る声の中で、

「体が弱くて細いって、些細なことで心配されるからいいわよね。

 私なんて頑丈だから誰も心配してくれないわ」

とか、どうすればよいの。

だったら、その頑丈な体をこっちに頂戴。

徹夜しちゃって、朝日が目に痛いとか言ってみたいし、

甘いものダメってわかっていても食べちゃう♡なんて、食べ続ける事が可能な胃袋を実体験してみたいわ。

てか、食べれば太れるとか、なめとんのか。どれだけうらやましい体質なんだ。

人と同じことをするのに、頑張りが必要虚弱な体質なんて本当にいらん。

あのケーキランチ後でなく3時にお茶と食べたら絶対美味しいやつだった。

自分の身にもならずトイレに流れていったの本当に悔しい。

2020-10-01

スキレット/鉄のフライパンが欲しい

料理なんかしない高校生男児なんだけど、最近料理動画を色々と観てスキレット、鉄のフライパンが欲しくなった。

フロンフライパンは買った当時は焦げ付きにくいけど経年劣化でテフロンが剥がれて焦げ付きやすくくなる。反面、鉄のフライパンシーズニングなどちょっと面倒なメンテナンス必要なんだが一生モノエコだし一生モノ料理器具ってイケている。

  • 錆びない?

定期的なシーズニング使用後に油でコーティングするようにすれば錆びないし永久的に使える。

  • 重い?

重い。スキレットは鋳鉄で分厚い鉄の塊なのでテフロンコーティングアルミフライパンよりめっちゃ重い。叩いて延ばす鉄のフライパンもあるけど、どうなんだろうね。

ニトリスキレットべらぼうに安いのでそれを買いたい。料理ができるようになりたい。

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