はてなキーワード: プレッシャーとは
自分は40代の女なのだが、子供の頃から姉の妹(私)いじめが激しかった。
私は、姉に逆らった事もなく常に姉の顔色を伺い続ける人生だったし姉の言うことを素直に聞く優しい妹だったと自分でも思っているのだが…。
最近になってようやく、なぜ姉がこんなにも執拗に妹いじめをするのかが分かってきた。
姉は昔から、音楽が好きでピアノをよく弾いていた。私も音楽が好きでピアノを弾いていたのだが、姉よりも私の方が上手くできてしまったのだ。
私は、上手い演奏を聞くのが好きで(自分で言うのもなんだが)吸収が早かった。姉には、私以上にピアノが優れていれば私は嬉しかったし、自慢の姉に思えていたし、そうでなくても別に構わなかった。私は姉を追い抜く気はなかった。
しかし、姉には「妹より上であるべき」という親からの無言のプレッシャーがあったのだろう。
姉は、「音楽が好き」ということは家族の誰にも一言も言わなかった。
昔から現在に至るまで…。(しかし姉を長年観察して、ようやく気づいたのだ。40年の時間を費やして、ようやく姉の行動と言動を推理することで解けなかった謎が溶けたのだ…)
そして妹の私は、子供の頃から「音楽が好き」と素直に家族に伝えていて、反対されても反論して強引に音大へ進学した。
そして姉は普通の文化系の大学へ進学した。「私は音楽は趣味でやってるだけ。別に好きじゃない」「音楽では食べていけないでしょ」と私に言っていたのを覚えている。
姉は、もしかしたら、自分の音楽の道を挫折させたのは、"妹が原因"と考えているのではないかと思えるのだ。姉は昔から周囲の顔色や意見、世間体を異常に気にする。そういう風に長女というのは育てられるのかもしれない…。妹以上に。妹はその責任からはある意味、自由だ。嫌、私の個性が、散々世間体を言われたけど弾き飛ばすメンタルだっただけかもしれない。
姉は音楽以外では、私より優れていているものは沢山あった。しかし、その部分を誉められても全然喜ばなかった。妹には無いモノを持っていても満たされなかった。音楽という一点において、優れていなくてはならなかった。なぜなら、姉にとって音楽が一番、求めていたことだったから。
私は、姉のそんな心の内を知ることなく、音大に進学し、音楽をたっぷり学んだ。そしてこの業界の嫌な部分を山ほど見て、心から嫌気もさして興ざめし(飽きて飽きて仕方がない…)音楽の中心に遠くも近くもない絶妙なポジションに収まった。
そして姉は、気の遠くなる人生の紆余曲折を得て、40代になってようやく大好きな音楽の世界に辿り着いている。
だから私は気付けたのだ。姉が本当に求めていたものがなんだったのか?姉は一言も、誰にも何も言わず、ずっと音楽を求めていたのだ…。
その思いにまったく気付かず、音楽業界の愚痴や不満をこぼし続けていた私。好きな事をしているのに愚痴っている姿は、さぞ嫌味に聞こえただろう…。
しかし、そうすると私はどうしたら良かったのだろうか?
私が音楽を好きであることは間違ってはいないし、自分の力をセーブして周囲の人を引き立たせば良かったのだろうか?
ちなみに私であれば嬉しくないが、私の感覚は世間とは違う事もわかっている。
私の感覚では、正々堂々勝負して、真剣に力を出し尽くして、自分の力をぶつけたいと思う。そうでは無い勝利は虚しいと思う。しかし世間はその逆で、正々堂々でなくとも勝つことが嬉しいと思うのがマジョリティだった。
人との感覚の違いは、それに気付くまでに、多くの誤解を生み
人間関係を困難にさせる。
http://megalodon.jp/2016-0104-0050-09/tm2501.hatenablog.com/entry/2016/01/03/235931
・いいのかなと思っても、当日に、自分自身の宣言に、あるいは他人の誘いから降りちゃいけない
・周りからのプレッシャーに押しつぶされそうなことは、絶対に「ゴール」だけはした方がいい。
・もしかしたら多くを望まずに「ゴールすることだけ」を考えた方が成功するかも。あれもこれも詰め込んだり、高い目標を掲げすぎて自滅するぐらいだったらとにかく完走することを目指すのも1つの選択かもしれない…。
さすがにここまで言って2016年度中に青二才が途中でメルマガやめたら全力でバカにされちゃうし言い訳のしようもないから最低でも1年は続くよね誰か報告よろしく。
しかしメルマガのゴールが期間内の目標達成以外に何があるんだ三ヶ月連載したらゴールとかなんか決まってんのかそれとも考えなしに書いたのかおしえてnekora。
正確には「ミニマリスト化した人の思い出」。
「ミニマリストを標榜する人にはカウンセリングを」という記事を見かけて思い出しました。「ミニマリスト」という名称もなかったころの、何年も前の思い出です。ずっと消化出来ずにいた思い出でした。
ミニマさんは大学院生でした。希望職種のインターンもパスし、修論を残すのみといった夏のある日でした。ミニマさんの部屋の前には網戸が並べられていました。網戸を洗うなんてえらいなと記憶に残っています。とても晴れ晴れとした表情で、外して掃除するととてもきれいになるのだと説明されました。よほどきれい好きなのだろうと、感心してそのままでした。そして、次の晩か、その次の晩に、共用通路でミニマさんが何かを手にしている姿が見えました。こんばんは、と挨拶をして手元を見ると逆さになった茶碗の脚にごはんが盛りつけられています。外の風が涼しいので廊下で食事をしようと出て来たこと、茶碗を逆さにしてごはんを盛ると思いのほかすてきであることを力説されました。足下には生活用品が詰められたダンボール箱が並んでいます。
引っ越すのだろうかと思いました。就職が決まると専攻によってはアパートから引っ越してゆくことが多いのです。ミニマさんは引越ですかとたずねられるとにこにこしながら、このごろ片付けが楽しくてしかたがないのだと話はじめました。捨てると清々しい気持ちになって、楽しくてしかたがないのだと。カーテンも外したのだとうれしそうです。布団も粗大ごみとして先週片付けたそうです。脚にごはんが盛られた逆さの茶碗が気になりますが急いでいたこともあってその日はそれだけ。その後、窓枠から外された窓ガラスが共用廊下に出されていたり、扉を金具ごと取り外そうとしたとかで業者さんが出入りしたり、なにやら休日なのに騒々しい朝がやってきて、それっきりミニマさんの姿を見ることはありませんでした。だいぶ時間が経ってから、ミニマさんがいろいろなプレッシャーから不安定になり体調を崩したので、通学できない距離でもない実家から通学することにしたのだと耳にしました。突然に生活用品を楽しそうに捨てる行動がはじまった場合は、もしかすると何かのストレスに曝されてつらい気持ちでいるのかもしれません。
生活スタイルとしての「ミニマリスト」が強いストレスに曝されているとも限らないでしょう。「ミニマリスト」を標榜する人がどちらであるかを容易に見分けることはできそうにありません。こんなケースもあるのだという思い出です。
新年に切り替わった直後、0時ちょうどに送る年賀状メールやLINE等のメッセージって残念な行為だよね。
・そもそも、平穏無事に新年を迎えることができ、また新たな一年を過ごせることが嬉しいのであって、年が切り替わった瞬間が嬉しいのではない。
・メッセージを送るために夜中0時まで起きていないといけない。そんな労力を使うくらいなら、はがきの年賀状を書いたほうが手っ取り早いし、もらう方もそっちの方が嬉しいだろう。そんなことで夜ふかしするよりも、早く寝てベストな体調で新年を迎えたほうが有意義だ。
・おまけに、新年の真夜中にメールが集中するとサーバに不具合が起こる可能性がある。こんなくだらない理由で、サーバの前に待機を強いられているエンジニアもいることだろう。
・受け取る方も0時まで起きて、すぐに返信しないといけないというプレッシャーを相手に与えてしまう。私はそんなことはお構いなしに昨日は早く寝ましたけど。
ということで、年賀状をメール、またはオンラインメッセージで送信するなら、朝起きてからでいいのではないかと思う。もし、夜中まで起きて年賀状メッセージを出すくらい元気があるのなら、その元気を使って事前にはがきの年賀状を書けばいいと思うのだが、どうだろう?
マクドナルドの業績悪化のニュースが頻繁に聞こえてくる。それは良いとして不思議なのが、反応の多くが「批判」であり(ヤフコメは勿論、はてブもそうである)、さらに批判の多くは「昔は良かったマクドナルドが今はこんなに・・・」という文脈なことである。「良かった昔のマクドナルド」は藤田田のマクドナルドであり、原田泳幸のマクドナルドである。そう。それはそれで皆さんが叩きまくった両社長のマクドナルドである。
たしかに藤田田、原田泳幸両氏は、終盤では手法が消費者から飽きられアイディアは枯渇し、施策の迷走が見られ、その印象から今では全否定のような書き込みも目立つが、日本マクドナルドを実力値以上に牽引してきた手腕は確かにあると思われる。日本の外食というのは生き馬の目を抜く業界である。古いビジネス流行語で言えばレッドオーシャンの代表格といえる。参入障壁がもっとも低い業界であり、個人経営店が大規模資本のチェーン店を向こうにまわして費用対効果込みで切り伏せるほぼ唯一の業界である。
外食業界では勝ち組と言われる企業ですら薄利であり、更には長く勝ち続けることもできない。「勝者なき血みどろの戦場」である。
・すかいらーくは低価格店ガストのヒットで上昇カーブの寿命を永らえたが2000年代には沈没し、野村、その後米国系ファンドに買収された。
・吉野家は倒産から立ち直ったもののBSE問題を契機に再度沈没しまるで今のマックのように経営不振を取り上げられ続けた。今は立ち直ったイメージがあるが前年決算は売上1800億円に対して最終利益はわずか9億円、何かひとつ事故なりあればあっという間に赤字転落である。
・吉野家を凌駕した業界の新覇者ゼンショーは労働問題を契機に沈没し昨年は100億円を超える赤字に沈んでいる。
・創業から成長が小説にもなった立志伝中のワタミも労働問題を契機に沈没し、昨年は100億円を超える赤字に沈んでいる。
モスフードは健闘しているかのように言われるが670億円の売上に対して最終利益はわずか6億円台。ロッテリアはファンドの傘下。日本ケンタッキーは昨年5億円の赤字、三菱商事が経営してこの状況である。ファミレス復活などと言われるロイヤルも1200億円売って最終利益は18億円。最近では東京ちからめしが彗星のように店舗を100店舗以上に増やし、彗星のように13店舗(たった今HPで数えた)まで減らしたことはまだ東京都民の記憶にあるはずである。なぜ堅実だった三光マーケティングが牛丼を焼いただけでイケると思ってしまったのか、理解に苦しむ。ロードサイドのハイエナ率いるステーキのけんも業績が悪化しているという。
このくらいにしておこう。キリがない。
マクドナルドは、システムは洗練されているが提供するものは十年一日の米国発ファーストフードチェーンであり、少なくとも食の世界では米国への憧れが消えた90年代以降にあって世界でもっとも厳しい日本の外食市場で今まで大健闘してきた、というのが正しい評価ではないかと思う。現在のカサノバマックの状況はちょっと酷すぎるが、原田氏後期の状況は不振というよりもそれが実力値であり、実力値にアジャストが起きたにすぎないと思う。ライトサイズまでリストラされて経営者変えればまたそれなりになるだろう。
1980年代くらいまでのマックは今のスターバックスのポジショニングであったのだろう(当時のことをよく覚えていないので想像だが)。当初日本で成功させたのが藤田氏であり、マックが日本で飽和し日常と化して飽きられた頃に再度息を吹き返させたのが原田氏である。原田氏も10年近くたって飽きられたわけだが、当時原田マジックは確かにあったのだ。2人に肩入れしているわけではない。私個人としては彼らの主義主張にあまり好感を持っていない。しかしながら事実の評価は正当になされるべきと考える。業績のかなり落ち込んだ原田マックを引き継いだはずのカサノバ社長が更に底なしに業績を悪化させているのは一つの証左である。日本の外食のプロでない人がなぜ経営できると思ったのか、過去に日本で勤務していたというがどこまで自身が現場で深く市場と格闘していたのか、本社のこの判断誤りは内部で責任を問われるに相当である。失敗が予想され、予想通り失敗している。アメリカやカナダとは市場がまったく違うのだ。
日本の外食を知っているやり手を経営者に据えれば原田マックの後期くらいには復活できると思われるので、外部に売却するというマックグローバルの方針のニュースを見たときには「え???早過ぎないか?」と思ったが、今後店舗整理で日本のマックはまだまだ損失を計上すると思われ、親会社決算に損失が反映されるのを避けたいのだろう。現在の持ち株比率は49.99%で連結はせずにおさえているけれど、損失は取り込まれるからね。持分法で簿かは切り下がっているから売却損も大きくは出ないし(更に優待目当ての個人投資家で株価は割高だというし)、立ち直って将来買いなおすと、キャッシュ的には安値で売って高値で買い戻すわけだから損だが、PL的には高値で買い戻しても損失が計上されるわけではない(のれんに計上されるだけで減損されない限りPL損は出ない。損を出す頃には次の経営者である)。米国投資家のEPSへのプレッシャーはとても強いし、短期思考の米国流経営ならではである。
日本の外食市場が世界で最も厳しい、というのは感覚値の話で、これを定量的にサポートすることは難しいが、ひんぱんに海外に出張する人なら同様に思うのではないかと思う。アジアを除く海外では安く食事できる外食の種類がそもそもあまりないし、ファーストフードの店舗は往々にして荒れている。店員の態度も、愛想があるないとか、そういったこと以前の水準である。下記のページをみつけたのだが、各国人口比のマクドナルドの店舗数が掲載されている。大量閉店前の2014年のデータではあるが、アングロサクソン系(US、CA、AU、NZ)以外の国では日本の人口比の店舗数が最も高い。一方食事のうまい国はおしなべて低い(FR、IT、SP)。日本は一応ミシュランの星数が世界最高だというので、食事のうまい国に入ると思われる。さらに内需の規模があるため群雄が割拠しており、サービスの品質もマックのマニュアルに頼らなくても非常に丁寧で高い。日用品市場で日本の消費者は世界一厳しいと言われるが、これはおそらく外食でも同じで、1000円以下の食事で定員の態度から清潔さからすべて完璧に近い水準を求めるのが日本の消費者であり、ライバルもそこで戦って鍛えられている会社たちなのである。
http://www.world401.com/data_yougo/mcdonalds.html
ところで本エントリを書きながらUSのマック本社の決算も見てみたのだが、今のレートでざっくり換算して、売上3兆円強、最終利益5700億円といったところである。たしかにこの3年ほど停滞しているようであるが、この絶対水準で業績不振と言われているのだからツライよな、と思った。
日本の人口は2100年までに5000万前後まで低下するので、それに伴うマイナスの人口ボーナス(負の経済成長)が今後延々と発生する予定になっている。
これを避けるには人口が減らないようにする政策が必要で、その有力な対策のひとつが労働者の4割を占めるようになった非正規たちの賃金の改善である
(現状では非正規の多くは生活保護水準であり、家庭を持てる状況にない)。
けれども政治に期待はできない。経営者にも期待はできない。労働運動もダメだ。言ってみれば詰んでいる。
しかしひとつだけ手はあり、それは消費者運動である。経営者にプレッシャーをかけ、株主を納得させるレベルでの消費者運動である。
たとえば、ワタミやすき屋がなぜ苦境に陥ったのか、原因はさまざま考えられるものの、その大きな理由のひとつに不買があったと思う。
なぜ不買が生じたのか、その理由をここでは問わないが、消費者による不買が、結果として大打撃を与えたのは否めない。
さて、消費者団体が仮に次のようなメッセージを発し、多くの人が賛同した結果、
既存店売上げが他社との相対比で前年マイナス3%になったらどうだろう?
「コンビニA社に不買運動を仕掛けます。最低賃金による労働をはびこらせた元凶です。時給に著しい改善が見られるまで不買します」
その上でコンビニA社に「時給を上げてみてはいかがですか? そうすれば不買運動をやめますよ。ワタミみたいになりたいですか?」と
消費者団体が働きかければ、経営者は態度を考えるようにならないだろうか。
この消費者運動を成功させるためには、大きくみっつほどポイントがある。
企業に対して明確な不買メッセージを発すること、大企業をターゲットにすること、同時に多数の企業への不買は行わないことの三点である。
メッセージを明言する必要があるのは不買の効果を知らしめるためで、大企業を対象とするのはその後の運動をやりやすくするため、
同時に多数をターゲットとしないのは不買効果を高めるためである。
なお、この不買運動に希望があるように見えたならば、政治運動や労働運動のような過度の積極性が不要であり、
ここがキミのポイントやな。
同じくアラフォー目の前の30代で、彼女もいない、結婚に興味もないし、子供は好きではない男だが、会社で自分の年齢で結婚していないの自分だけだし、なんか妙なプレッシャーを感じたり、周囲と合わせるためにそれはしなくてはいけないことなのかなぁと感じたり、なんか色々。
すごくどうしようもないんだけど、本当に毎日ゲロ吐きそうなほどつらいから書く。
自分は30代に入ったアラサーの男で、本当にしがなく生きてきて、普通に働いてて、普通に友達がいて、たぶんそんなに駄目な人生は歩んでいない。
年収は多くはないが、まー平均よりはちょっと上くらいで、順調に役職ついている。
今、彼女はいないし、たまに枕にうっぷして「彼女ほしいいいいいよぉぉおふえぇぇぇえ」と叫びたくなることはあるが、
そうはいっても普通に毎日が楽しい。いやまあ、ゲロは吐きそうになるんだけど。
それなりの進学校から偏差値高い大学いって、普通にサークル入って、モテたいとか思って外見を磨いたりして、
それなりに男女交際して、会社入って、で、「結婚適齢期」ってやつにみごとに足をツッコんだ。
というかもう30超えてて、アラフォーが目の前に見えてくるから「結婚適齢期」はぶっちゃけすぎてる。
女の方がやり玉にはあがるけど、男もまー「どうなの?」ってしょっちゅう聞かれるようになる年齢だよな。
自分自身の結婚願望は大きくなくて、というのもたぶん「子供が欲しい」と思ったことが一度もないからだ。
別に子供嫌いではない。Facebookに流れてくる他人の子供へのヘイトを募らせることもないし、
姉の子供(姪)のことも「天使だ!」ってかわいがれる。めっちゃ貢いでる。
だが、子供が欲しいと思ったことがない。
なんなら「子供すごい好きで早く子供欲しいし結婚したい」っていう彼女のその言葉に気持ち悪さとプレッシャーを感じて
「無理だ!」と別れたこともある。若かったのもあるが。
「結婚」に重さを感じたわけではなくて無邪気な「子供が欲しい」という願望に気持ち悪さを感じた。
彼女に限らず、普通に「子供欲しい」っていう男にも女にも一定の気持ち悪さというか、異星人感をうける。
まじで「なんで?」って気持ちになる。
もちろん、厳密に言えば「出産」と「結婚」がイコールじゃないことなんてわかってる。
シングルでも子供を産んで育てることはできるけど、今の日本の法制度の中ではあえてそうするメリットもないし、
風当りが強いのは確かだから、まぁほぼ同義ということで話を進める。
個人的にはシングルどうのとか関係なく、本当に腹の底から「ほしいいいいいいい」って願って収入のある(もしくは親に頼れる)人は
男女共にそれを選べばいいと思うし、そこに「片親かわいそす」とかいう奴は地獄に堕ちろとは思う。
(まぁ女性がシングルになるのと、男が産んでもらってシングルやるハードル全然ちがうが)
話がそれた。
で、だ。俺が吐きそうになるのは、そうやって「結婚そんな興味ないな」と思っているのに
明確に「子供がほしい」とか「結婚したい」って願望があるわけでもないのに、
「結婚しなきゃ」ってプレッシャーに押しつぶされそうになる瞬間がめちゃくちゃある。
「他人の目線を気にするな」と言われても、なんというかこちらが気にしてなくても「うっとおしい」と思うことを言ってくる人は
めっちゃいるし、実際「既婚じゃない」という理由の面倒な押し付けみたいな圧力もある。
姉が結婚してるから、あたりまえに両親も俺に「結婚はー?」と聞かれる。
不細工でデブで非モテで彼女いなくて結婚できなかったら「やっぱり(とりあえず痩せろpgr)」
仕事ばっかりしていて社畜やってたら「やっぱり(仕事ばっかの男はびみょー)」
イケメンでちゃんとしててそこそこ市場ニーズがありそうなのに結婚できなければ「やっぱり(中身に問題が)」
ありとあらゆる論理で殴られる。
本当にうっとおしい。
なんでこんなに「結婚」だけでできそこない扱いされなきゃいけないのだろうか?
別に望んでない、といったらそれで済む話ではないのか?と厨二心が全開になる。
これだけならまだ外部圧だけの話だが。
「結婚してないとまともじゃない人」というレッテルのつらさもそうなんだけど。
ぶっちゃけ「こいつでも結婚できたのに」と誰かを見てしまうことがあって自分の汚さに辟易する。
同級生でももう結婚してるは当たり前だし、子供もいるが、正直「なぜこいつが?」とか、ある。
それこそイジメやったことがあるのとかもいるし、お顔立ちが残念な奴もいる。
その人たちは賢く、うまく、相手とゴールしたのかもしれないし、
すごく愛し愛されて結婚したのかもしれないし、
俺のようにめんどくさい拗れがなく、普通にレールが「結婚」を通過したのかもしれない。
でもなんでこの人たちできて俺はできないんだろう。
俺なにかしたっけ?とか。
あれ理想高かったっけ?とか。
別にステータス「既婚」を手に入れるための結婚とか本末店頭だし意味なくね?って頭ではわかってて、
でも「積極的未婚」なわけでもないし、
「既婚」ステータス手に入れられないとずっと外部に殴られるんだよなっていう想像たやすい未来を思うと暗澹たる気持ちになる。
別に付き合わないでもセックスはできるんだけど、いまさらそんな性欲をぶちまけるパッションはないし、
ただただ「かわいいねー」って言うだけならペット飼うだけでいいし。
世の中の婚活本とか、セオリー本とか、全部まるっと含めて「結婚したいなら行動しろ」って言われるし、
いやそんなことは知ってますよって思うし、別に婚活自体が嫌なわけではないし、彼女いらねぇとか、
嫁いらねぇとか、結婚墓場だからいやだとか思ってるわけでもないんだけど。
「結婚したいから結婚する」っていう強固な信念を持てないからどうしても「人ベース」になってしまうんだけど、
じゃあ「合う」人と、無事「ゴール」決められるようになるまでこの精神摩耗が続くのかよって思うとこれまた地獄で、
なんかつらくてつらくてつらくて吐きそうになるし、もう勢い余ってこの世から消えたくなったりする。
いいとしこいたオッサンがなにしてんだ…って自己嫌悪も振ってきて結構どん底だ。
多かれ少なかれの人がきっともってる感情だと思うんだけど、上手くいった人の話きいたって意味ないし、
もはや俺には祈るしか道が残されていないのでは!?という飛躍思想に帰結していくのだけども、
ここでまたフリダシに戻るのが「そんな結婚したいんだっけ?」「なんのために?」ってことなんだよね。
ごめんゴールも結論もないんだ。
とにかくこの出口のないメビウスの輪の中に囚われていて、吐き出さないと自分の吐しゃ物にまみれて死にそうだから書いてみた。
願う事は「結婚してもしなくても別に普通」な世界だけど、そんな世界がそんなくるとは思えないし、
その世界がくることを願うくらいなら「とりあえず」結婚してバツつけるほうが簡単なんではないかとも思うから
神様助けて下さいって神頼みしながら沈むこととする。
なんかもうとりあえずペット可のマンション購入して、かわいい動物と暮らすのが俺にとって一番いい生活なのかなー。とか思ったりはする。
確かに大学で習ったことは将来とても役に立つと思う
けれど、
大学生として生活していくうえで大学生は自分に向かないということがわかった
とはいえ
時に笑い、時に話を聞き、時に泣き、時に追われ、
なんて
就職するにはリーマンショック直後ということもあり不安が残り、
コンピュータを使うという興味のある分野であり
今となってはそういう分野への興味関心は薄れ
成績も著しくよろしくなく(だが今のところ留年はしていない)
教授らからは「そのままでは就職はもちろん卒業研究もできない」とはっきりと言われ
生きる希望とやらを見失っているような気もする
少し休学をして
両親はそれを許さない
ましてこの成績で「潰れることのない大手企業に入れ」と言ってくる
そんなプレッシャーが日々頭を駆け巡り、心を痛める
どうしたらいいのか
話がそれた
とにかく事務職に就きたい。
どうせ働いたって役に立たないし給料泥棒のように存在するだけで何の価値ももたない存在になるであろうと思う気持ちは必死に抑えているが
そういうこともあり無理だと感じている
「そもそも研究って何かわかってないよね」と言われた
当然だろう
「子供でも見やすい医療機器の処理画像の出力手法について」がしたい
とずっと考えてきた自分にとって
接点の欠片もないような講座に配属されてすぐに何も考えられるようなものではない
自分は何がしたいのか
それさえもわかっていない
長くなったが
30分や1時間遅刻されても全然気にならないし、むしろそういう人にときめく。
まず自分自身があまり時間に厳密じゃないため、時間に厳しいような、生活の全般に折り目正しい相手だとプレッシャーを感じるというのもあるし、世間の常識よりも自分のペースを優先する人間が好きなのもあるんだけど、それより何より、「こちらとの約束なんて、大幅に遅刻してもいいくらいに思ってる」感じが好きなのだ。
私とのデートのために万全を期して30分前に到着しているなんてLINEが来た日には回れ右して帰りたくなるのだ。私とのデートに毎回遅刻する人は、結局私の優先順位がそんなに高くないということで、逆に言えば、私に対してもそんなに期待していないということで、心が軽くて、素直に好きになれる。ひねくれてますか?
転職・会社評価サイトで「Vorkers」というサイトがある。
「給与」「会社の将来性」「ワークライフバランス」「女性の活躍度」みたいな評価項目があり、
その中の評価項目に「20代社員が成長できる環境か?」みたいな設問がある。
「この会社で奴隷のようにこきつかわれ、精神的プレッシャーや社内政治に耐えたため」、
「少々のことでは動じない精神力が身に付いた」とか
「徹夜力が鍛えられた」とか「酒の継ぎかたやヨイショの仕方を身に付けた」とか
「A社(うちの会社)はこの業界に、仕事力も精神力もタフな人材を供給してくれて有り難い、とライバル会社に言われる」
みたいな「誉め殺し」な投稿が相次いでいた。
その結果、うちの会社は「20代に成長させてくれる会社か?」の項目だけ、やけに高得点、
他の項目はボロボロなんだが、Vorkersよ、こういう結果でいいのか?
久々にプレイして、改めて「なんとFXは恐ろしい魔物なんだ」と痛感した。
プレッシャーと先の見えなさに耐え切れなくなり、FXから足を洗い、それなりの職についてまあまあの人生を送っている。
足を洗ったとはいえ、仕事柄マーケットの動きは抑えているからだ。
これは・・・くる!
そう思って貯蓄の大半を慌てて証券会社にぶち込み、朝からトレードに励んだ。
結果は40万負けたあと、130万の儲け。
他のどんなギャンブルもこれほどの全能感を与えてはくれない。
なぜならばパチンコや競馬と違って、FXは自己決定権の余地が限りなく高い。
一瞬一瞬どこでもエントリーできるし、降りることも出来る。
プログラムで最初から勝つ台・負ける台が決まっているわけでもない。
そして破壊力も凄まじい。
パチンコで数万勝ち負けしたなどという話を聞くと、口では「すゴいッス!」など言っているが、腹の中では笑ってしまう。
証拠金の規模にもよるが、FXは1日で20万の変動などザラだからだ。
一瞬一瞬の自分の行動に全てが託されているがゆえの勝った時の全能感。
勝ち方も負け方も一般的なギャンブルとは比較にならないレベル。
なんとスリリング・なんと魅力的なんだろうか!
知らない方が幸せだったのか?
おそらくイエス。
俺にとってFXとは、知恵の実だった。
ギャンブル中毒という病気にかかってまで、アドレナリンを全快に出したいのだ。
これからも俺は時に勝ち、時に負けて、たまには断末魔コピペでも見て気を引き締めながら、死ぬまで市場に搾り取られていくのだろう。
あーあ。
それもうまくは進まないと思うぞ
邦人二名がISに殺害された事件が今年初めにあったが、国内世論は驚くほど冷静で政治的混乱も起きなかったろ
あれで日本は数人殺した位では無意味と捉えられたから、以後邦人への危害は殆ど発生してないはず
あと国内ではあまり意識されていないが、東日本大震災が与えた影響が意外と大きい
二万人近くがまるで天罰のごとき大災害で命を失ったにも関わらず、たった数年で被災地以外の殆どの地域で日常を取り戻しているというのは、テロリストにとっては相当なプレッシャーになっていたりする
自分が母子家庭だからか、円満な家庭の人と付き合ってもうまくいかない。
別に母子家庭であることを相手が気にして振られる、とか、ことさらに「やっぱり両親がふたりいる家庭のほうがいいよね」というハラスメントを受けるとかではない。
ないのだが、言葉のはしばしや、ふとした話題に「円満な家族で何不自由なく育った人」の気配がただよってきて、「血のつながりがあろうが壊れるものは壊れる」という自分のスタンスについて何か劣等感を刺激されるのかもしれない。あと、そういう人って必然的に「円満な家庭」「模範的な母親」をこちらに求めている気が勝手にして、別に結婚を前提につきあっていたり、結婚を意識するほど長く付き合った結果とかでもないのに、なんだかものすごいプレッシャーを感じて、全体的にギクシャクして別れてしまう。
かといって、世間一般で理想とされるような家庭ではない家庭の人と付き合うと、それはそれでうまくいかない。最初はなんとなくうまくやれそうな空気があるし、一緒にいて居心地がいいんだけど、たとえば同じ母子家庭であっても我が家は金銭で苦労したことはないけれど相手は苦労していたり、我が家と違って両親はいたけれど父親がDVアル中みたいな人だと、大きいくくりでは同じ「円満ではなかった家庭」同士なんだけど、現在進行形でいろいろ背負っていたりして、やはり状況が同じというわけではないから、メンタルのあり方が全然違う。全然違うのになまじわかった気になっちゃうから、余計お互いの違いが見えてくると、気まずくなって別れにつながる気がする。互いに互いの事情に対して「全然気にしてないよ」というスタンスがとれるのはすごく気楽なんだけど、生半可に理解したような態度はとれるものの、本当に苦労をわかちあうことはできないせいか、かえって相手のカンにさわってしまうことも多い気がする。
結局、「家族」のことなんてそんなに気しなければいいのかもしれないけど、今のところうまくやり過ごすことができない……。練習なのかな。
10年近く5~6人のチームで回してきて、いくつか自分で学んできたことの中で、
今でも心がけているものを紹介する。
異動により今の環境が大きく変わるため、自分自身の整理の意味も込めてまとめてみた。
優秀な部下は嫌でも目立つ上に、誰の目から見ても明白な成果を継続して上げていることが多い。
そんな部下を例え大きな成果を上げたからといって、
その部下と同列の者の前で大きく褒めると、他の部下の向上心が下がりやすい。
これは対象の部下本人のためというより周りのためだ。
本人の自信にも繋がる上に、周りから能力を認められているという肯定感が強くなる。
いい意味での周りからのプレッシャーとなり、仕事に対する姿勢も変わってくる。
結果として大きな成果に繋がらなくとも、そこに至るまでの過程を褒める。
例えば早い段階での着手をしていたり、ミスが少なかったりすればそこを褒める。
姿勢が認められていると実感すれば、その後のアドバイスを聞き入れやすくなる。
例えば当たり前の連絡ができていたり、書類に不備がなかったりしたら、
たったそれだけのことでも褒める。
次に更に質の高いものが上がってくる。
仕事場で笑顔を出すと緊張感がなくなり緩みが生まれると思う人もいるかもしれないが、
素直に人を褒められないと逆に相手に舐められ、場合によっては反抗的な態度を取る者もいる。
特にリーダーになったばかりの頃は、些細なことで褒めることが下手に出ることだと感じ、
なかなか褒められずに、チーム内でギクシャクしてしまい能率が下がってしまうことを何度も経験した。
特に優秀且つプライドが高く鼻持ちならないタイプはかなりの苦手で、
当時そういったタイプに当たったらとにかく粗を探していたように思う。
そんなタイプはまず能力を素直に認めて褒めることによって、話を聞かせることができるようになり、
褒めることの重要性を実感するようになった。
また叱られて伸びる者もいるが、そういった者は叱らなくても伸びるタイプが多いと感じる。
酒をやめた。
やめようと思ったのは、林先生の精神科Q&Aで紹介されていた「うつの8割に薬は無意味」という本に、現役の医師の意見として睡眠と断酒のほうが薬よりよっぽど効果があるとあったため。
うつ病ではないが、思春期前くらいから倦怠感と億劫さを抱えていて、なんとかここまで仕事を続けられてきているけど、夕方は大概疲れていて、人と話すのが億劫なため打ち合わせの後は例外なく疲弊している感じだった。
もともと酒はあまり飲めず、惰性で寝る前にワイン一杯か焼酎シングルを飲む程度だった。
やめた直後の2-3日は寝つきが悪いが、とても深く眠れるのを実感した。
その後、体調面では夕方のだるさがなくなり、1日倦怠感を感じないのが普通になった。
心理面では、PC上での細かい作業や打ち合わせが億劫でなくなり、そのせいで頭が疲れる感じもなくなった。
周りがうるさくても自分の仕事に集中でき、集中している時にさえぎられてもすぐ元に戻れる。
話すのが面倒でなく、ちょっと困ったらすぐに電話や直接の会話で片付ける気になる。
仕事をしていて時間を気にすることもなくなり、気が付いたら夕方になっている。
ある1日はこんな風だった。
その後日本側の偉い人と昼過ぎまで資料作り。プレッシャーをかけられるがかわして言いたいことは言えた。
自席で食事をかけこみ、チームメンバーと進捗ややるべきことを確認し、急ぎのトラブル関連の資料をまとめた。
顧客から急遽呼び出され、4人を相手に2時間半の打ち合わせ。自分のよく知らないことも対応しないといけないが、言葉に詰まることもなく円満に終わらせることができた。
客先から直接、近くに出てきていた家内と合流して外食し、1時間30分かけて帰宅。
なるほど会社で出世する人はこんな風に倦怠感や対人不安がないんだとよくわかった。
スマホゲームなんか疲れるだけでやってられるかと思っていたけど、普通に楽しい。
酒を飲んでいてもこういう風に過ごせる人もいるだろうから一般化はできないけど、俺には毒物だった。
放送中のアニメ「ハッカドール THE あにめ~しょん」の第9話にて、監督のげそいくおさんが絵コンテ・演出・作画監督・原画を1人で兼任。その凄まじさがネットで話題になっています。
監督のげそいくおさんは以前、インターネット掲示板“2ちゃんねる”にて「ハッカドールは短いアニメなのだから、下手に他人に任せないで死ぬ気で全部のパートを担当すればいいのに」と書かれたことがあり、1つの担当パートだけでも圧倒的に作業量が多いことから「暗に死ねと言っているよねこれ」と苦言を呈していました。
そこからまさかの絵コンテ・演出・作画監督・原画とかなりの数のポジションを兼任したことで、そのファイティングスピリッツにアニメファンもびっくり。監督が絵コンテか演出を兼任すること自体は珍しくないのですが、ここまで多岐にわたる兼任は滅多にないことから「げそいくお監督を人間国宝にするべきだ」「狂気を感じる天才」など、さまざまな反響が寄せられています。
この間放送された「ハッカドール THE あにめ~しょん」第9話を指しての記事だが、この文章だと色々とミスリードを誘おうとしているように見える。
「何もかもげそいくお監督が1人でやったから凄い」という風に誘導しようとしてる印象を受けたが、実際はどうだっただろうか。
ハッカドール1話分は約8分、その内OPEDの尺を除くと本編は約6分。一人で原画を担当するのも何とか可能な規模だろう。
しかし担当したげそいくお氏はハッカドールの監督自体も兼ねているため、監督業務を考慮した上で考えるとかなりの作業量ではあるだろう。
しかし実際第9話を見てみると、後半はアクションシーンなどもあるが前半はドット絵の画面を用いたり、同じカットを何回も繰り返したりと省力的に済ませられる所は省力的にやっている
http://download1.getuploader.com/g/sakugasure/434/hakka9.jpg
ハッカドールという作品はギャグアニメなので、こういった省力化もギャグの演出として機能するように計算してやっているのが窺える
また、げそいくお氏本人が言ってるように一人原画と言ってもL/O(レイアウト、ラフ原画)までで清書等を含めた第二原画以降は分担作業である。
本日のハッカドール9話 コンテ演出作画監督一人原画(LO)その他諸々なので見てね!— げそいくお (@gesoikuo) 2015, 11月 27
ネット上では動画や仕上げ、背景なども担当している事も取り沙汰されているが、これも結構な人数のうちの1人として数えられる
憶測ではあるが、第9話でげそいくお氏が動仕まで担当したのは、こういう線のタッチを強調した一連のカット↓の事だろう。
http://download1.getuploader.com/g/sakugasure/435/hakka9-2.jpg
これらを鑑みるに、今回げそいくお氏がやった事は「常識外れの脅威的な行動」をしたというよりも「地に足がついた堅実な方法」を取っているように思えた。
様々なセクションに名を連ねていたとしても、それぞれ実現可能な範囲での作業を執り行っているように見える。
それらをしてネット上では「狂気を感じる」を称されているが、世の中にはもっと狂気を感じるぐらい個人が作業を抱え込んだアニメも存在する。
例えば、いまざきいつき氏は「ちょぼらうにょぽみ劇場あいまいみー」1&2期や現在放送中の「不思議なソメラちゃん」において監督・キャラクターデザインと共に脚本・絵コンテ・演出・作画監督・原画を1人※で"全話数"担当している
この2作品は1話の尺数はハッカドールよりも短かく3分弱であるが、全て合わせると30話はゆうに超えるので作業量もプレッシャーも相当なものになるだろう。
※(厳密には、あいまいみー1期は最終回だけ二原に撒いているし、2期やソメラちゃんは最初から第二原画有りきの体制)
竹内哲也氏も「百合星人ナオコサン」で監督・脚本・キャラクターデザイン・絵コンテ・演出・作画監督・原画を全て1人でやっている。こちらは第二原画も無しだ
「ナオコサン」のアニメは2本作られているが両方とも竹内哲也氏である。2本目は30分近くあるにもかかわらずだ。
OP(演出は山下祐)もEDも1人で作画している。カットの内容もアクションありエフェクトあり群衆あり回り込み背景動画もありの超ハードだ。
三原三千夫氏が「カイバ」の第4話で動画まで1人で担当仕切った時は作画オタクの間では騒然としていた。
動画チェックこそは違う人だが、ほとんど他者を介さず三原三千夫氏の絵がそのまま画面上に全編にわたって映し出された事になる。
ただしこれらは特別なスケジュールが組まれ、完成まで半年から1年はかかっているので通常のアニメとの比較では参考にならないかもしれない。
監督のげそいくおさんは以前、インターネット掲示板“2ちゃんねる”にて「ハッカドールは短いアニメなのだから、下手に他人に任せないで死ぬ気で全部のパートを担当すればいいのに」と書かれたことがあり、1つの担当パートだけでも圧倒的に作業量が多いことから「暗に死ねと言っているよねこれ」と苦言を呈していました。
そこからまさかの絵コンテ・演出・作画監督・原画とかなりの数のポジションを兼任したことで、そのファイティングスピリッツにアニメファンもびっくり。
この書き方だと、まるで「全部やればいいのに」という発言を受けてから第9話の1人複数担当が決まったような書きぶりだ。
しかし「暗に死ねと言っているよねこれ」というげそ氏のツイートが投稿されたのは11月15日
暗に死ねって言ってるよねこれ pic.twitter.com/hGiKHhVCHH— げそいくお (@gesoikuo) 2015, 11月 15
そしてハッカドール第9話が放送されたのは11月27日、短編アニメとはいえ幾ら何でも12日で放送まで完パケするのは物理的に無理だろう。そんな"思いつき"のような案がまかり通る状況とも思えない。
だからこれは「1人でやればいいのに」という反応とは無関係に9話の体制は決まっていたと考えるのが自然であろう。ちょっと考えれば当たり前の話であるが。
自分は別に「ハッカドール THE あにめ~しょん」を貶めたいわけじゃない。大したことしてない等とは思っていない。
それどころか今期のアニメでは「ハッカドール」は抜群に面白いと思っている。決してゴージャスなアニメではないが、ジャンクな感じがたまらなく良いと思ってる。
楽に作ってるアニメでも決して無いだろうし、監督以下スタッフが身を削る思いで作られてるのは紛れも無い事実だろう。
放送開始直前の頃は、監督げそいくお氏のツイッターがかなり荒れた内容になっていたし、ニコ生でも制作状況の厳しさ、意思疎通が上手くいかない状態を何度も嘆いていた。
アバウトなアニメに見えても、作ってる方は決してアバウトに作ってるわけではないのだ。
自分がこの記事で一番に疑問に思うのは、執筆したねとらぼの大里ミチルなる記者は本当に物事を解った上で書いてるのか?という事である。
自分はねとらぼの事を、企業が運営するまとめサイトという認識でありはっきり言って悪い印象を持っている。
はちま起稿ややらおん等の悪名高いまとめサイト群と大差ないとすら思っている。
企業運営である分余計質が悪いとすら思っている。(はちまjinややらおんが企業ぐるみで無いとも思ってはいないが。)
ねとらぼは過去にはちま起稿を喧伝するようなインタビュー記事を掲載していたし、つい最近でもその記事を作成した池谷勇人というライターが久保帯人先生を誹謗する意図があるとしか思えない記事を書いた
集英社が“久保帯人先生ネタ”行為に警告 「別人の肖像をあたかも久保帯人先生であるかのように紹介」「悪質な場合には法的措置も」 - ねとらぼ
http://b.hatena.ne.jp/entry/nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1509/04/news145.html
この記事は当初の題名の最後に「あっ……(察し)。」と書かれていた。
「あっ……(察し)。」という言葉を付け加えることで、久保帯人先生を貶める方向に印象付けようとしていたのは明白であり、ユーザーの通報によってタイトルから「あっ……(察し)。」が削られた
これを記者無記名で行ったわけだが、有志によってこの記事の作成者が池谷勇人である事が暴かれた
(察し)とか書くやつ全員死なねえかな、例えばねとらぼとか
そういう所が送り出す記事は常に身構えている。
何よりロクな下調べもせず、適当な事を書き散らすだけの記事は悪だ。
「サブカル、語る」みたいな個人ブログですら槍玉に上げられる昨今、企業運営の所が糞ザルな記事書いてどうすんだと思う。
今回のねとらぼのハッカドールの記事は、はっきり言ってザル記事だ。
「ハッカドール THE あにめ~しょん」の魅力を伝えるわけでもなく、ただ単にネットで目についた話題を適当にちょっぱってコピペで仕上げただけにしか見えなかった。
ましてや「ネットの反応を真に受けて監督は一人演出・作画を敢行した」という嘘のストーリーをでっち上げようとしているのは、作品を持ち上げてる記事だとしても流石に看過できなかった。
追記
あと2ちゃんに反応してから9話作ったわけないからな10;あのツイートしたのって確かもう9話納品してなかったっけ…— げそいくお (@gesoikuo) 2015, 11月 30