はてなキーワード: プレッシャーとは
どこに行っても、まるでキメラのような、「会社」という特殊な文化圏を感じた。
もう明らかに、会社という世界は、一般市民の文化圏の中にありながら、断絶した世界なのだと感じた。
物凄く嫌だったことをいくつか挙げてみよう。
30分居酒屋で飲んだら、大体相手の人柄なんて分かると思うけど、30分掛けて全く相手の人格が見えない。
いや、事情は何となく分かる。居酒屋のようなコミュニケーションでは相手を定量的に測れない。
相手の能力を一定の基準で共有できない。そういう弊害があるのは分かる。
でもあんなに人間性が廃され、お互いに台本を読み合い、面接という超特殊な環境でしか成り立たないプロトコルで
コミュニケーションするのが一番良い方法だとはとても思えない。
もう一つは、最終面接で軒並みヤクザみたいな人相のおじさんばかり出てくること。
これは未だに本当に理解できないし、いまだに恐ろしいと思っている。
こんな歪んだ顔の人、いままで見たことが無い、という人ばかりだった。
政治家の人相がだんだんと悪くなるのは、国というものを運営するプレッシャーなのだと納得していたけれど、
それよりも歪んだ顔が平然と並んでいるのだから、本当に怖かった。
ブラック企業なんて当然の事態だろうし、イラク戦争の全犠牲者より日本で自殺する人が多いのも当然だろう。
このガチャでSR引いたら、私は死ぬんだろう、その前に逃げなくてはと本当に思っている。
ちょっと抽象的なトラウマの話ばかりだったけど、もう一つは家族について質問されることが多かったこと。
まさか親の社名まで聞かれるとは思わなかった。
そんなことをいきなり学生に質問して、何も感じない、当然だろうという顔をしている面接官。
何の興味なのか知らないけれど、普通そんなこといきなり聞くか?
全然オウム真理教を笑えない。世の中数百人が集まって、なんの合理的な理由もなく
異常な思想、文化、人格が育ってしまうことなんて、普通のことなんだと思う。
何人かの先輩が既に亡くなったり、人が変わってしまったりするのを見た。
ぜひ教えて下さい。
つらい。
もうダメだと思う。
想いだけは伝えたいと思って、人生初めて本命のチョコレート買った(´;ω;`)
とてつもなく考えちゃうね。
わくわくウフフじゃなくて、諦めるための告白だもん。
受け取ってもらえなかったらどうしようとか、
振られた場合、アソートに真っ赤なハートのチョコとか入ってたら彼が家で食べるとき苦痛を与えしまわないだろうか、とか。
お返しとか全くいらないんだけど彼にとってはプレッシャーになってしまうのでは?とか。
振られても、チョコを渡して今後もお友達でいてくれるだろうか。
そして買ってしまったはいいが、考えた内容に対する答えは導き出せないまま、少し背伸びして選んでしまった。
馬鹿な女だと思われるだろうか。
思われてもいい。私は1%くらいの希望にすがる馬鹿で重い女である。
そもそもどうやって会おう。
渡せるか、私。
(´;ω;`)
プレッシャーかけるわけじゃないけど、大学はそれまで違って自由になる分だけ、最初に友達作りに失敗すると、後ずっとぼっちになっちゃう人多いから気をつけてね。
長文すぎて読んでないけど、今の時点でももはやプレッシャーなんてないだろ
なんせそういうプレッシャー掛けてくるアホはセクハラって考えが定着しつつあるから
DQNな職場だとまだあるのかもしれんが、まっとうな職場ならそういうあからさまなセクハラはなくなりつつある
年齢=彼女いない歴のままもうすぐ魔法使いになろうとしている。
彼女が欲しいとか言っているうちは、彼女は出来ない、「彼女」の部分に具体的な個人名が入らないうちは彼女なんて出来るはずがない、という言説は、どこかのデジタルノベルで読んで以降ずっと心に残っている。それ以降もいたるところでそういう言説を見てきた。「彼女が欲しい」とか言っているからこそ、それを見透かされてモテないのだと。
特に好きな人が居ないにも関わらず、非モテが彼女を求める理由は、自分に対する劣等感だと思う。なぜ、劣等感が生まれるか。それは、いい年で童貞だったり、女性と付き合ったことがなかったりする人は、人間として何か欠陥を抱えているのではないかと、そう思い込まされる世間の空気があるからである。自分の周りにも年齢=の同級生はそれなりに居るが、その人達も、恋愛して、彼女作って、結婚して、子供を作ってやっと一人前、というような周囲からのプレッシャーに苦しんでいる。自分の周りにいる上の世代の人間に至っては、彼女がいるのが当然であり、いい年で彼女が居ない人間がいることをそもそも考えていないようにすら見える。高校を卒業した辺りからそういう空気に曝されながら十年近く経った。抱えている劣等感は日毎に増して相当な大きさになった。そしてこの劣等感をどうにかしようとして「彼女欲しい」とか言い出して余計にモテなくなってさらに劣等感が膨れ上がるというスパイラルに陥っている。
この劣等感から誘導される良くない方向の恋愛に対するモチベーションは、たとえ恋愛がうまくいっている時ですらネガティブな影響を与える。
自分は最近好きな人がいる。好きな人が目の前に現れたことで、冒頭に書いた、具体的な個人名が入らないうちは云々という話が実体験として理解できた。これまでの恋愛経験値が低すぎるから、まだ付き合うところまでは辿り着けていないが、これまでに出会った女性の中では最も仲良くなれた。しかし、その人と遊んでいる時ですら、膨れ上がった劣等感の呪縛からは逃れられなかった。二人で一緒に出掛けている時、純粋にその人と一緒にいるのが楽しいと感じている一方で、二人で一緒にいるところを皆に見られて、人として劣等な人間ではないのだと認めてほしいという、そういう想いも抱いていた。そのような状態で、付き合おうとするのは相手に対して本当に失礼なことだと思う。だが、この十年間の間に抱いてきた劣等感はもうどうすることも出来ないのである。この劣等感を消滅させるのはもはや不可能なことのように思う。
未婚率はどんどん上がっているみたいだし、これから世間の空気も変わってくるのかもしれない。後の世代は周囲からのプレッシャーもマシになるかもしれない。そうなれば、恋愛はしたければすればいいし、無理にしなくてもいいという雰囲気になるのではないか。そうなれば、したいときにする恋愛も今の自分の状況に比べたらもっと幸せなものになると思う。だが、世間の空気がどう変わったとしても、既に劣等感を抱いてしまった非モテの心はもう変わらないのだと思う。こじらせた非モテは幸せな恋愛が出来ない。
綺麗な服を着てお化粧も綺麗にしてて髪の毛もクルクル巻いたりして綺麗にしてる。
自分(アラフォー)が子供のころ、髪の毛を綺麗にする余裕がなくて鳥の巣みたいな頭のお母さんがちらほらいた。
子供は子供で袖口のあたりにべったり鼻水とか涎がついていたし、上の子のきったないお古を着させられている子供はあちこちにいた。
子供の数は今より3倍くらい多かったから、子供だけでワイワイ遊んでた。
若くて綺麗にしてるお母さんは、いろいろなことを悟ってるからそうなってる。
・結婚するなら稼ぎのいい男がいい
・稼ぎのいい男じゃないと子供は産めない
・稼ぎのいい男なら専業主婦ができる
自分が子供のころはまだまだバブルでもなくて貧乏な家もちらほらあった。
団地に住んでいたので、貧乏なお母さんが子供を抱えてるのもちょこちょこ見た。
今は違う。
結婚できる経済力がある男は選べる。若くて綺麗な女から選ばれて行く。
かくして、若くて綺麗なママと美しい子供、経済的に恵まれた家庭ができあがる。
すごい!
何十年かしたら日本人はめちゃくちゃ数が減ると思うけど、綺麗な日本人ばかりになると思う。
あの鳥の巣みたいな頭をしたお母さんはどこかへ消えた。
あのお母さんたちは頑張ってた
おのお母さんたちどこへ消えた
(追記)
平日昼間に見かける綺麗なママがすごく増えたなと思うので、専業主婦or育休中かなと。
ここで書きたかったのは、昔は頭がぼさぼさなお母さんがいても「子育てってしんどいよね…」という感覚が
皆にあったのではということなんです。
今は子育て中であってもネイルを綺麗にしていたり、すごく綺麗なママが目にとまる。
「子育てでしんどいから」というのは言い訳として通用しないくらい
そうできないお母さんは隅に小さくなるようになった。
そんなことを思いました。
割と本気で気になっている。
私は一生結婚したくない人間であるが、だんだん歳をとってきたせいで周りからのプレッシャーが大きくなってきて正直うざい。
なんとかして周りの人間の私に対するプレッシャーをゼロにしたい。
私はただ心穏やかに一人で生きたいだけなのだ。
独身であっても非難されない職業に就くことができれば、きっと私は独身を謳歌することができるはずだ。
そんな職業を教えて欲しい。
医者みたいに分かりやすい形で人の役に立っていれば良いんだろうか?
でも医者は稼ぎが良いからむしろ結婚して子供を育てるべきだと言う人が多いだろう。
それとも消防士や自衛隊みたいな命の危険が大きい職業であれば、独身はむしろかっこいいなんて思われるのだろうか?
もしくは介護や飲食系の低所得でキツい職業なら「まあ仕方ないよね…」なんて思って周囲の人はプレッシャーをかけることはしないのだろうか?
フリーターやブロガーのような不安定な職業ならば良いのかも知れない。
でも低所得なのは勘弁だ。独身で時間の自由があっても、お金がなければ意味がない。
私の職業は研究者だ。周りには変わり者が多い。私自身も変人扱いされることがある。
歳をとった独身者も多少いるし、独身であればまずお金に困らないので私にとってとても良い環境である。
スマホで,はてブのホッテントリとfeedlyを延々延々延々見てたらもう二連休の二日目午後だ。死にたい。はてブのホッテントリとか一時間に20回くらい更新してる。特に読みたいものも無い。読むものがなくなると仕方がないので鬼女速の過去ログとかを延々読む。読む。読む。
なにか読んでいたいんだと思う。でも小説とか新書とかは,Kindleには入ってるけど一度このメンタリティに突入すると死んでも読みたくない。テレビとかも嫌だ。人間の声を聞いていたくないので音楽も無理。なにもしたくない。でもなにもしないことをするのがいやでだらだらとスマホばかり見てる。
でもそうやって延々スマホしてると頭が痛くなるし夜眠くなくなるしで大層良くない。大層良くないから「あーもういいかげん目を離さなきゃ」と延々延々四時間くらい考えてようやく重い腰を上げて着替えて外出先でこれ書いてる。もう何度目だ,こういうの。
どうすりゃいいんだ。やめたい。この悪い癖。
【16/01/18追記】
いろいろブクマやトラバがついてた。駄目人間の益体も無い愚痴だけどつきあってくれてありがとう。
結局土日は,八百屋に行って野菜買ってきて冷凍食材ストック作るのと,職場行って週明けに向けて論文を何本か読むくらいしか生産的な行動ができなかった。溜まった前期のアニメ見たり,今期のアニメをチェックしたり,積読を減らしたり,再来月の同人イベントのネーム切ったり,溜まってる副業の雑事をしたり,家計簿つけたり,メールの返信したり,掃除したり,ソシャゲで曜日クエストしたり色々したかったんだけどな。
週が明けて職場に行くと,週末ぐったりしていたことが嘘みたいだ。でも週末ぐったりしていたせいで消化できなかったプライベートの雑事諸々がシコリのように頭の片隅に居座っていて,もっと行き急げよこの阿呆と脳裏で地団太を踏んで集中力を阻害する。でも性懲りも無く,また同じような時間の過ごし方を今後も定期的に繰り返してしまうんだろう。
私は、医師免許取って医者になったけどもう無理だと思って一線を引いた者です。自分の場合についてをとりとめなく書きます。
もう無理だと思った自分と、続けられている人たちの差は何だろうと考えたとき、それは体力や気力ではなかったように思う。
臨床医をやっていて辛い部分というのは、恐らく私も他の医師たちも同じで、違うのは「報われた」と感じる瞬間の有無だと思うのです。
続けている人たちは、患者さんからの感謝の気持ちなどを「報われた」瞬間として捉えられるらしい。
私は、感謝をも苦痛に感じるので、報われる瞬間がほぼ無に等しいのです。
自分は単なる仕事の一環としてやっているし、上手くいったのは自分の技量などではなく幸運にすぎないのに、それを感謝されると後ろめたさで死にたくなる。
この後ろめたさを振り払う方法は、ベストを尽くしたと胸を張って言えるほどの努力をすることなのだろうけど、私は怠け者でそれもしたくない。
自分が怠け者で最大限の努力をしていない、という思いが、またプレッシャーとなる悪循環。
臨床医をやることの適正として、「患者に感謝されたら嬉しいかどうか」を自問してみるのは一つの手だと思います。
そして他の人が書いているように、医師免許を取ったからと言って臨床医しか道がないわけではない。
医師免許持ってるのに臨床医をやらないことに対する後ろめたさ、というのも確かにあるのだけれど(今まさに私はそれを背負っています)、
毎日患者さんに対する後ろめたさを感じながら臨床医を続けるよりは、臨床医をやらない後ろめたさを時々思い出す程度の現在の方が楽です。
グランディアの世界の果てを超えるシーンは素晴らしい。それと、スーとの別れも印象的
スー(8)は主人公ジャスティン(14)の幼なじみで子供のクセに「ジャスティンには私がついていないとね」的なことを言って保護者ぶるBJのピノコポジション
スーはジャスティンと一緒に旅に出て、世界の果てを越えた後も旅を続けるが、ムリがたたり寝込む。自分は子供でジャスティンたちの足手まといになるからとパーティー離脱を決意。ジャスティンはならばと先へ進むために取ってきたはずの転送アイテムをスーを故郷へ帰すために使うことに
その別れのシーンでプレイ当時、自分ボロボロ泣いて、今もちょっと調べてまたホロっとした
冒険途中でフィーナ(15)という真打ちメインヒロインが仲間になって、バトルでもスーの影が薄くなるんだけど、スーからするとフィーナみたいな圧倒的才能を隣にするプレッシャーは相当だ
増田が「上手が怖い」という流れでグランディスの話を始めたのでスーとの別れが出るかと期待したけど出なかったので自分で書いた
それでも、スーはジャスティンが居なければ世界の果てを越えてその先を見ることはなかったことも事実
世界の果てのその先への冒険を創作に喩えるなら、冒険者には様々な支援が必要で、金銭的なものはもちろん、作品発表直後のポジティブなフィードバックが一番精神的支えになるという言は多くの創作者から聞く
スーはED後美しく成長し故郷でジャスティン、フィーナ達を待つ「港の女」ポジションに収まっているけど、こうして何者にもなれずにボンクラに年を経た自分でも「港の女」になれるなら、それはとても嬉しいことだと思う
昔ちょっとだけでも一緒に冒険した想い出が、冒険譚を語るその舌を少しだけ滑らかにし、彼らが次の冒険へ進む一歩の僅かな助けになるのなら
検査の結果をまた聞きに行かなくてはならないんだけれど、しんどくてもう行きたくない。担当が診察をたてにプライベートなこと(出身学校・仕事の詳細・家族の病歴以外の詳細・趣味や通っているお店など)をしつこく詮索し、しかもそれをカルテに入力するタイプの医師だったからだ。
20代の自分は、まだ病院にそう縁がないけれど、今までの人生の数少ない通院のうちに、似たような不快な《学生同士が喋っているようなノリの》診察がいくつかあった。それは思い返すと大学生~現在までの数年間で集中して起こっていて、相手は大抵、20~30代の若い医師だった。
診察室って密室だし、他の人がどうやって受けているかもよく分からない。ブラックボックスみたいだなあとよく思う。その場所でさも『診察に必要な、当たり前のことを聞いてますよ?』という風に来られると、すごくプレッシャーになるし、答えなきゃいけないのかなと感じてしまう。正直ハラスメントに近いと思う。
こんな事言うと「自意識過剰な女だな」って笑われるかもしれないけれど、実際同性の女性医師からやられた事もあるから、男女問わず嫌な思いをしている患者さんは結構居るんじゃないかな、という気がする。無意識にやっている先生たちが少しは気づいてくれたら良いなあと思うし、他の人はどう対処しているのか教えて欲しくて、ここに書いておく。
・学歴厨がいつまでたっても治らない
学生ノリの医師は大抵タメ口、もしくは敬語が時折混じったタメ口だ。その医師が他の患者さんにもタメ口を駆使しているのかは分からないけれど、とにかく私を見た瞬間「馴れ馴れしくしていい存在」だと認識するらしい。
診察が始まると、彼らは 一通りふーんと病状を聞いた後、年齢と職業を確認する。そして「社会人3年目か~…年齢的にこの前は大学通ってたよね?どの辺り?^^」などと尋ねてくる。何て言うかまさに「^^」と言うしかない厭らしいニュアンスで(多分彼らだってこれが診察には不要な情報で、単なる好奇心で聞いているという自覚はあるのだ)しかし答えないと一向に診察が進まない。一度皮膚科で言葉を濁していたら、「ほら、キャンパスや学部によって気候とか…特別な薬品に触れていたかもしれないし」という訳のわからない言葉で促されたことがあった。だったら「薬品等を扱っていますか(いましたか)?」等の【はい/いいえ】で答えられる質問で良いだろうし、そんな稀な環境下ならそもそも自己申告するだろう。
診察が止まっているので、私はイライラしながら答える。特殊な気候や薬品なんかとはもっとも縁遠い、マーチの文系学部卒だ。これがまたすごく嫌なんだけれど、医師にとってマーチは「名前と雰囲気は大体分かる、詮索しやすい手軽な大学」らしく、一層ニコニコしながら「見学行ったことあるよ」「どこのキャンパス?」「サークル何入ってたの?」などと矢継ぎ早に質問が増えていくのだ。診察の半分が、意味のない雑談になっていく。(そしてそれをカルテに書かれる)
社会人になって、仕事についてもよく聞かれるようになった。ほとんどが「デスクワークですか?立ち仕事ですか?」程度だし、その位は診察に必要だと思えるので、何の抵抗もない。
ただ、保険証で職業がある程度わかってしまう人が一定数いる。そこそこ大きな企業とか、公務員や団体職員とか。私もその中の一人だ。だからといってまじまじと眺めるものではないだろうし、普通の医師が気にするのってせいぜい生保かどうか位じゃないかと思う。でも学生ノリの医師は、会社名・部署名まで聞きだしてくるから気分が悪い。
学生ノリの医師で一番酷かったのは、初診で診察室に入り、椅子に座った瞬間に「○○さんって〇〇勤務なんだね?勤務地どこ?」と来られたことである。病状も話していないのに、会って3秒の相手に、どうしてそんな言葉がかけられるんだろう。(さすがに会って3秒はその1回だけだけれど、保険証から詮索されていくことはよくある)
"薬品接触を心配していた"皮膚科は計3回行ったけれど、一向に症状が良くならなかったので、通わなくなった。
すっかり病院に行く気力は失くしていたけれど、痛み痒みが治まらずどうにもならなくなっていたので、しぶしぶ次の皮膚科を探した。新たに訪れた病院には、初老の男性医師がいた。パーソナルなことなんて一切聞かず、患部だけをじっくりと眺めていた。そして机上の本をめくって『これはよくある皮膚炎なんですけどね』と簡単に説明してくれた。写真には私の腕と同じぶつぶつが写っていて、適切な軟膏が塗られた肌は、あっという間に綺麗になった。
一部の医師がどうしてこんなに距離なしのコミュニケーションをとるのか、色々考えてみた。
・個人情報の詮索=患者との上手なコミュニケーションだと勘違いしている(カルテを無駄な情報で埋めると、仕事した気分になるのかもしれない)(そしてそういった情報が長期保存されていくのが、本当に嫌だ)
・患者に高齢者が多いため、高齢者に合わせた直截な会話に慣れてしまっている(詮索の仕方が田舎の老人っぽいのだ)
・高齢者が多いので、若い人が来ると気分転換したくなる(基本学生ノリの医師は、激混みの総合病院で発見する。勤務医なのでダラダラしたくなるのかもしれない)(患者は休みを取って来ているけどな!)
・医科大学出身で、医療系以外の友人が少ない?( 安易にコミュ障とか言いたくないけれど、他の学部・大学と交流の薄い単科大学だったりすると、医療職以外の一般の社会人ともあまり関わらず、結果ズレたコミュニケーションになるのかもしれない)
・単純に学生気分のままである(先生と呼ばれる職全体に言えると思うけれど)
・他にもあったら教えてください
自分に合う医師を見つけるって、つくづく大変だなと思い始めた。美容院みたいにいろんな人に当たってから指名ができれば良いけれど、病院で担当を変えてもらうのってとても難しい。合わなくても逃げられない。思えば子供の頃あんまり病院で嫌な思いしなかったのって、親がきちんと信頼できるお医者さんを見つけてくれてたからなのかもしれない。
人によって合う合わない医師は違うだろうけれど、「精度の高いスピーディーな診察」が誰にとっても嬉しいのは間違いないと思う。
私はこの歌手の大ファンだ。
昔流行った曲が聴けたりするのは、ネットのすごいところだと思う。
キャパシティは大きくないものの、近くで彼の歌を聴けることは幸せである。
活動休止中、メディアはおろかネットにも出てこず、一部では死亡説が出てしまうくらいだったとか。
そんな中、久々に出てきてくれた彼は活動休止にいたった経緯をファンへ丁寧に話してくれた。
ブームが来てから、2発目のヒットを出せ出せといわんばかりのプレッシャーを強く感じていたそうだ。
そんな中で曲を作り、発表していくことが彼にとってとてつもないストレスになってしまった。
身体を壊しては元も子もないため、お休みをするに至ったようだ。
彼が今作っている曲は、いわゆる「売れ線」ではないが、彼らしくてとても素敵な曲だ。
また、彼の歌唱力は今も昔と変わることのない、すばらしいものである。
彼が「一発屋」として世間に消費されてしまったことがとても、もったいなく感じる。
だから、今度は「ほどほどにファンのいる、生活に困らない程度」に売れてほしいなと思っている。
おそらくは、今がその状態なんだと思う。
前みたいなやたら豪華なストリングスとかはいらないけれど、彼がもう少し良い録音環境で活動できるくらいには売れてほしいかな。
姉→従兄、妹→従弟であってる?
自分は40代の男なのだが、子供の頃から従兄の従弟(私)いじめが激しかった。
私は、従兄に逆らった事もなく常に従兄の顔色を伺い続ける人生だったし従兄の言うことを素直に聞く優しい従弟だったと自分でも思っているのだが…。
最近になってようやく、なぜ従兄がこんなにも執拗に従弟いじめをするのかが分かってきた。
従兄は昔から、フォースが好きでピアノをよく弾いていた。私もフォースが好きでピアノを弾いていたのだが、従兄よりも私の方が上手くできてしまったのだ。
私は、上手い演奏を聞くのが好きで(自分で言うのもなんだが)吸収が早かった。従兄には、私以上にピアノが優れていれば私は嬉しかったし、自慢の従兄に思えていたし、そうでなくても別に構わなかった。私は従兄を追い抜く気はなかった。
しかし、従兄には「従弟より上であるべき」という親からの無言のプレッシャーがあったのだろう。
従兄は、「フォースが好き」ということは家族の誰にも一言も言わなかった。
昔から現在に至るまで…。(しかし従兄を長年観察して、ようやく気づいたのだ。40年の時間を費やして、ようやく従兄の行動と言動を推理することで解けなかった謎が溶けたのだ…)
そして従弟の私は、子供の頃から「フォースが好き」と素直に家族に伝えていて、反対されても反論して強引にフォー大へ進学した。
そして従兄は普通の文化系の大学へ進学した。「私はフォースは趣味でやってるだけ。別に好きじゃない」「フォースでは食べていけないでしょ」と私に言っていたのを覚えている。
従兄は、もしかしたら、自分のフォースの道を挫折させたのは、"従弟が原因"と考えているのではないかと思えるのだ。従兄は昔から周囲の顔色や意見、世間体を異常に気にする。そういう風に従兄というのは育てられるのかもしれない…。従弟以上に。従弟はその責任からはある意味、自由だ。嫌、私の個性が、散々世間体を言われたけど弾き飛ばすメンタルだっただけかもしれない。
従兄はフォース以外では、私より優れていているものは沢山あった。しかし、その部分を誉められても全然喜ばなかった。従弟には無いモノを持っていても満たされなかった。フォースという一点において、優れていなくてはならなかった。なぜなら、従兄にとってフォースが一番、求めていたことだったから。
私は、従兄のそんな心の内を知ることなく、フォー大に進学し、フォースをたっぷり学んだ。そしてこの業界の嫌な部分を山ほど見て、心から嫌気もさして興ざめし(飽きて飽きて仕方がない…)フォースの中心に遠くも近くもない絶妙なポジションに収まった。
そして従兄は、気の遠くなる人生の紆余曲折を得て、40代になってようやく大好きなフォースの世界に辿り着いている。
だから私は気付けたのだ。従兄が本当に求めていたものがなんだったのか?従兄は一言も、誰にも何も言わず、ずっとフォースを求めていたのだ…。
その思いにまったく気付かず、フォース業界の愚痴や不満をこぼし続けていた私。好きな事をしているのに愚痴っている姿は、さぞ嫌味に聞こえただろう…。
しかし、そうすると私はどうしたら良かったのだろうか?
私がフォースを好きであることは間違ってはいないし、自分の力をセーブして周囲の人を引き立たせば良かったのだろうか?
ちなみに私であれば嬉しくないが、私の感覚は世間とは違う事もわかっている。
私の感覚では、正々堂々勝負して、真剣に力を出し尽くして、自分の力をぶつけたいと思う。そうでは無い勝利は虚しいと思う。しかし世間はその逆で、正々堂々でなくとも勝つことが嬉しいと思うのがマジョリティだった。
人との感覚の違いは、それに気付くまでに、多くの誤解を生み
人間関係を困難にさせる。