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2023-05-24

最近ランチ事情で困る増田酢丸マコでうょジジチン羅のン紀伊さ(回文

おはようございます

本当にここのところ海外観光客の方が多くおみえになっていて多いわ!

やっぱり彼らなりに日本満喫しているのよね

ヒロミゴーのジャーピャーンじゃない方の億千万でもない方の綴りで書くスペルJAPANってあるじゃない。

そのJAPAN文字が書いてある帽子JAPAN最初のAが富士山モチーフになっている帽子かぶっている人はまだ序の口よね。

日本が大好きなのがよく伝わってくるわよ。

映画でやってるスーパーマリオよろしくクッパゲッソー帽子を被った人もいたり

ドラゴンボールの神と神みたいなTシャツを着た人もいたり

なかなか日本人がそれやったらちょっと痛い感じがしないでもないけど、

海外観光客の人たちが楽しそうにジャパニーズファッションを着こなして闊歩しているのを見ると微笑ましい山脈に向かってヤッホー!って叫びたいところよ。

まあアニメゲーム系もまだ可愛く見えちゃうぐらいで

私が見かけたのは、

柔道着を普段着の旅の服装として着ているバックパッカーの人がいて

きっと私より強いやつに会いに行く!ってそれってなんてストリートファイターの件?って思っちゃうほど柔道着がしっくり着こなしていて、

しかもなんか新品のさらぴんのおニューの柔道着じゃないっぽくって

日本に来たか日本で買って着てみました!って感じじゃなくて本当に着潰していてちょっと彼の地元でもそれ普段着でずっと着てるんじゃない?ってそれなんてストリートファイターのおれより強いやつに会いに行くの件?って思うほどの柔道着のくたびれ具合なのよ。

あとはなかなか渋かったのは、

日本人でもそんな人見たことないんだけど、

三度笠を街中で被ってる人。

なかなか渋味気合い入っていて三度笠は強かったわ!

私の突っ込みライブラリーの中からでは風来のシレンか!ってしかツッコめなかったけど

多分シレンリスペクト系だわ!

そんでそれ1人じゃなくて

別の日に別のところで何人かも見かけたから三度笠流行ってんのかしら?

つーかお土産クオリティーのペラペラの三度笠じゃなくて、

どこで調達買ってきたか私も分からないレヴェルのなんか本格的な三度笠みたいで、

ちゃんと雨風や強い日差しを凌げる

今の日本の厳しい気候に耐えうる頑丈なやつで

遠目から見ただけでもその三度笠の本気度が伝わってくる感じがなかなか三度笠よ。

さすがにまだ私は簔の被ってる人はまだ見たことないわ。

思えば遠くへみのもんた!ってはるばる日本に来てまた海外の人たちには気付かれていない日本人もビックリアイテムかも知れないわ。

あと天秤棒担いでいる人もそれはさすがに脚色しすぎよね。

そんな人はいないわよね。

日本人がそれら彼らのような格好を街中でしていたらちょっと緊張感走るけど、

海外の人たちがやっていても日本満喫してるわね!って見方が変わっちうからわっちゃう話しよね。

ちょっとほんと人が多すぎて、

馴染みの近所の定食屋さんも毎日パンパンで入れないのが大変なのよ。

結構マジでランチ問題それあるから困ったものなのよね。

しかしかもよ。

お昼のピークタイム関係なく時間を外しても多いって言うんだから

ジランチ問題マジで5秒ぐらい困る案件だわ。

うふふ。


今日朝ご飯

野菜サンドイッチしました。

ここのサンドイッチパン屋さんはまだかろうじてそんなに人パンパンではないんだけど、

そのサンドイッチ屋さんの近くの地元民にお馴染みの人気の美味しいパン屋さんはパン屋さんだけにって言いたいわけでは無いんだけど人パンパンなのよ!

すごいわー。

まあ野菜サンドイッチタマゴとトマト組合せが美味しさが際立つけどね!

デトックスウォーター

水出しルイボスティーウォーラーね。

もうちょっとお茶っ葉増やして濃いめに作ってもいいのかも知れない好みの問題かも知れないけど、

私的にはもうちょっと濃いめを所望したいところだわ。

だんだんと暑くなってきたので、

水分補給はしっかりとね!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2023-05-22

ネタバレ感想スーパーマリオ映画面白かった。

映画見てきた、面白かった、映画料金分は十分満足した。

でもオリジナル設定がもやもやした、私の知っているマリオブルックリンに住む冴えないキノコ嫌いの青年じゃないし、家族達も知らん人ばかりで誰だよそれ、マリオ父親との折り合いの悪さに悩んでいるがこの設定いるか

ピーチ人間界からキノコ王国に迷い込んできた人間じゃない。

あとピーチ性格がよく見るタイプアメリカ映画ヒロインのもので、可愛いけど少し違う。

ピーチが戦うならカッサーも欲しかった。

このピーチうそう泣かなさそう。

最後ブルックリンクッパに勝って、親に認められてブルックリンヒーローになっていたがいらんだろ。

ブルックリン関連は萎える要素なので、ここに尺を割いてほしくなかった、最初からキノコ王国住人でも普通に話作れただろう。

最後を見るにヨッシーを目玉に追加して2をやる気満々ぽいので仕方ないが、ヨッシー活躍も見たかった。

あと音楽ゲームからアレンジ微妙にやり過ぎ感あった、もう少し原型を残してくれたほうがキタキター!って嬉しくなると思う。

良いところは、クッパ可愛い

ピーチメロメロ結婚を夢見てる姿はヤンデレかわいい

ニコニコ動画流行ったヒャダインウエスタンショーを思い出した。

ひたすらネガティブに振り切れたサイコチコも、僅かな出番で深い爪痕を残していくほど異彩を放っていて可愛いが、マリオギャラクシーやってないからしらんけどこんなキャラなの?

映像は見たいものをどんどん見せてくれた。

樽を投げるドンキーコング、猫マリオたぬきマリオアイスフラワーで戦うウエディングドレスピーチジャングル王国でどんどん組み上げられていくカートに、マリオカートでの派手なカーチェイス、臆病ながらやるときはやるルイージキノコ王国の移動手段になってるマリオの数々のギミック

ここで十分映画代の元は取れた。

でもオリジナル設定がいらんかったよなー楽しかったけど、2も見に行こうなーみたいな後味でした。

マリオ映画感想

はじめに

 マリオ映画を観た。

 まず私のプロフィールを明かしておく。

 大学院生社会学文学あいの子みたいな分野で、とくにジェンダーとかセクシュアリティとかそういう事を学んでいる。

 映画学部時代に少しかじった程度で、評価はB+だった。だから的外れなことも言うかもしれない。すみません

 匿名なのでもっと書くと、同性愛者で、SM実践者で、フィクトセクシュアルに片足つっこんでいるので、わりとどの界隈でも少しなじめない気持ちになりがち。

 

 「映画としてはちょっと……」というような意見が主にアカデミック評論の場で散見される。

 これは分からないでもない。ちなみにここでは個人攻撃みたいにするつもりはないので、引用特に必要でない限りはしない。

 「すげえ! マリオってこういう解釈ができるんだ!」みたいな「新しいもの」はなかった。しかし、「マリオ映画といえばこういうのが見たいよね」という「見たいもの」が詰め込まれており、「新しいもの」を入れる余地は90分にはないように思われる。

 メディアミックス映画としては一つの模範解答であり、文句なしの一級品といってもいいかもしれない。面白い映画といい映画は別だが、以下では「いい映画」(いい映画って何すか?)としての切り口を見てみたい。

試行する」快楽

 ゲームアニメとしたら、キャラクター解像度物語の運び方だけでなく、どのようにゲーム快感が写し取られているか重要ポイントに思う。

 マリオゲーム体験を思い返すと、快感は大きく二つに分けられる。

 「スーパーマリオブラザーズ」ならステージクリアタスク消化に似た快感

 「スーパーマリオ64」に連なる「箱庭マリオ」なら新しいマップを開いていく探索の快感

 マリオシリーズだけでなくゲーム快感はむしろこの二者に共通する「試行する」快楽が大きいのではないか

 私はといえば、ゲームが苦手だった。

 クリボーに激突する。穴に落ちる。ドッスンに潰される。空から落ちる。燃やされる。溺れる。

 我ながらヘタクソなプレイであるしかし、プレイを重ねると、一つ一つそれらを回避なり消化できる。そこにゲーム快感がある。

 翻って「映画マリオ」に戻る。キノコ王国に迷い込んだマリオは、ピーチ姫の旅についていくためにゲームばりのアスレチックに挑むわけだが、このプレイングも経験者ならば笑ってしまうほど失敗に満ちている。そしてその分だけマリオは「試行」を試すことになる。

 アスレチックだけでなく、ドンキーコング戦、クッパ戦と繰り返し作中で強調される「諦めの悪さ」が導くゲーム快楽とはこのような「試行」の快楽が適切だろう。

 文学研究者藤田直哉上記のようなことも含めて、「物足りなさ」を指摘している。

 https://twitter.com/naoya_fujita/status/1655397557198278662

 ここは鑑賞者のバックボーンも関わってくるのかもしれない。

 周回前提のゲーム「ドキド文芸部」「UnderTale」「シュタインズ・ゲート」の記憶が私にはすごく強くあるし、マリオシリーズから距離を取っていたので(ここまで多くの作品に触れたわけでもない)、試行錯誤性は面白く観た。

 また、勉強不足と笑われそうだが、3D映像2Dフィールド表現する映像も、私としては十分に真新しいものだった。

父と息子の物語としてのマリオ映画

 「反ポリコレ」とか、「ジェンダーから距離を取っている」いう話も聞く。

 しかし私はそうは思わない。LGBTと「マリオ作品群の関わりは以下のコラムに詳しいため、これ以上は言及しないが、さら男性性との関わりについて分析する。

 https://cinemandrake.com/pokemon-musashi-kojiro-lgbtq

 こちらも藤田直哉の評を引用する。私のマリオ映画への評価は彼とは異なるが、この評と私の見解は一致している。

 https://twitter.com/naoya_fujita/status/1656110486713434113

 クッパ名誉と所有、暴力原理においたキャラクターであり、婚姻幸せを直結させる家父長制を背負った男である

 ピーチ姫に対し無茶な論理婚姻を迫ったり、彼女の知人も含めた囚人婚姻犠牲として殺そうとしたり、人の論理の届かない人外らしさが映画における彼の輝かしい魅力でもあることは間違いないが、それは悪しき男性性の発露でもある。

 この「有害男性性」を退けることを軸にマリオ映画を見てみると、マリオは退けた先に何を得たのか。

 それは物語ラストが示すように、ピーチ姫ではない(ピーチ姫マリオとの恋愛成就がほのめかされてはいる。しかし、ほのめかされていることと明らかであることは違う)。

 

 マリオゲームにおいてプレイヤーの分身であり、あまり感情を発露しない。

 葛藤もあまり読み取れず、さらわれたピーチ姫を取り返すため、躊躇いなく絵画に入ったり火山に行ったり宇宙に行ったりしているように見える。

 しかマリオ映画においては、夢を追う自信のなさげな男として描かれる。

 イタリア系アメリカ人の家庭で育ち、家族仲はおそらく悪くないが、「父親に認められたことがない」ということが恐らく影を落としていて、自分のやりたいことと、父親に認められたいという二つの想いが両立できていない。

 そしてマリオ映画の終わりに藤田のいうところの「有害男性性」の発露であるクッパを倒し、父親から承認を得ることとなる。

 婚姻に大きな意味をおく家父長制の権化を倒した先に、父という家父長に認められるというメビウスの輪的な権力ねじれについて、私はまだうまく説明ができない。こういう嫌な書き方をすることで、妙な引っ掛かりを表明するしかできない。

感想、あるいは魔王へのラブレター

 倒されたクッパは小さく、管理されるものとして扱われる。

 その是非について何か言いたいわけではない。

 現実では家父長制や異性愛規範同性愛差別トランス差別人種差別が吹き荒れている。そのような不均衡な権力は改められるべきだし、悪しき男性性とは決別すべきである

 その是非についても何か言いたいわけではない。

 ここまでが建前。

 私はフィクションにおいてこういう権威的な男性が大好きだ。

 「家父長制の権化」と表現したけれど、理屈の通じない愛情を持て余す魔王クッパが大好きだ。

 本気で惹かれると言っていい。

 だが彼の愛は決してピーチ姫には届かない。正しくないから。

 そして彼は多くの部下に愛されながらも、彼の愛はどこにもたどり着かない。

 異形はある意味孤独である

 槇原敬之の「軒下のモンスターから「いっそ妖怪にでもなって 君を軒下からただ見ていたい」を引いてもいい。

 三島由紀夫の「仮面の告白から「お前は人間ではないのだ。お前は人交わりのならない身だ。お前は人間ならぬ何か奇妙に悲しい生き物だ」を引いてもいい。

 

 ピアノを弾きながら「ピーチピーチピチピチピーチ」とか歌ってる彼のカットでは劇場で笑い声が起きた。

 「悪しき男性性」の回路ではもう誰かと心を交わしあうことはない。ピーチが振り向くことはない。彼の歌うラブソング哀愁に満ちて、あるいは滑稽かもしれない。

 私も笑った。でもぶっちゃけ泣きそうにもなった。

 今ギリギリこの男を笑って愛でながら見られるくらいには私もマジョリティにいられてるんだろうけど、こういうジェンダークィア批評規範可視化させ内破する営みであって、次に生み出される新しい規範にいられなくなったら、次は私が笑われる番なのだ

 本当は、弱者クッパの方なのかもしれない。でも私は彼にあまり感情移入しているから歪んだ読みをしているのだろう。

 でも愛してる、魔王クッパ

 お前の横暴さも、報われなさも、情けなさも、関われなさも好きだぜ。ほんとに。

2023-05-17

anond:20230517094720

ゲームで一度も出てこないマリオブラザーズの両親や親族オリキャラで出てきやがるけど、マリオブラザーズコウノトリが運ぶ途中でヨッシーアイランドに落っことしてヨッシー達に育てられたはずだろ。矛盾してるやん。

ここだけは完全に同意

ヨッシーアイランドの設定を完全に亡き者にしやがったならヘイホーも出すんじゃねーよとか思って見てた。

一番記憶に残ってるのがクッパの歌上手いなーというところで、マリオ全然関連しないところもマリオ映画としてはマイナスだ。

anond:20230517100218

オッサンは、実写マリオとき小学生で、普通に好きだったんやで

 

世間評価は、時代CG限界クッパ表現しきれんかった絵面に引きずられてると思うわ

マリオ映画って普通に原作レイプだよな

まずマリオルイージが元々キノコ王国の住人ではなく現実世界人間キノコ王国ワープする設定がもう論外。

ゲームで一度も出てこないマリオブラザーズの両親や親族オリキャラで出てきやがるけど、マリオブラザーズはコウノトリが運ぶ途中でヨッシーアイランドに落っことしてヨッシー達に育てられたはずだろ。矛盾してるやん。

キノピオキャラゲーム完全無視。何だよあのひょうきん野郎は。

んでクッパさらわれるのはピーチじゃなくルイージって…。

ピーチは助けに行く側でやけに気が強いし、マリオ顔負けの身体能力だし。

スマブラカートみたいな番外編はともかく本編のピーチともう別人だろ。

CGタッチも何かキモいし、BGMでやたらマリオ無関係洋楽流してくるし、ブラックジョークをしつこく挟んでくるし…。

ようはこれ「親に見放された無能主人公別世界の住人と出会い世界を救ってヒーローになる」っていうベタアメリカ映画を無理やりマリオでやってるんだよな。完全な原作レイプ

本当に任天堂が監修したの?ちょっと信じられないくらい酷いんだけど。

あんな内容なのにやけに売れてるし、マリオファン任天堂ファンにもすげー好評みたいで不思議

ネットでボロクソ言われてたSTAND BY MEドラえもんとやってることはほぼ一緒だろ。

少なくとも俺はマリオファンとしてこの映画自分記憶から抹消したい。

予告の時点で嫌な予感は薄々してたけど、やっぱり観に行かなきゃよかった。

そんな映画

2023-05-14

マリオ映画ちょっと自分にはあわなかった

今42歳、ファミコンスーパーマリオブラザーズから遊んでる。子供がどうしても見たいというので一緒に行った。USJなどはめちゃくちゃテンションが上がったのでマリオは好きだが、無敵で無口なマリオイメージを壊したくなかったので行きたくなかった。(漫画スーパーマリオくんや、実写版マリオスピンオフ感が明らかなので気にならない)

以下感想ネタバレあり)

  1. 映画前のマリオCMが素晴らしい。自分の中のマリオ存在が大きいのだと確認できた
  2. 車が動かないところからの客先への移動の横スクロールが素晴らしい。映画ゲームが融合している感じがしてワクワクした(ここがピークだった)
  3. 自分の将来のことで悩んだり家族に認められずに悩むマリオの姿をみたくなかった。
  4. ピーチがゲームの顔と違いすぎて慣れるのに時間がかかった
  5. 人間の動きがミニオンイルミネーション社)に出てくる人間の動きににすぎてて気持ち悪かった。ゲームっぽくしてほしかった。
  6. 音楽懐メロみたいなのを採用してくるのがすごく嫌だった、それはミニオンでは大人向けに有効かもしれないけど、大人マリオ世代マリオ映画ではノイズすぎる
  7. 特殊能力としてネコマリオが出てきた時点で「ああ、僕ら世代向けのじゃないんだな」と決定づけられたようで悲しかった(たぬきマリオ結構活躍したが)
  8. 同じような理由クッパが近年のおふざけキャラなのも嫌だった。弱いし。一作目なら最強・最悪のクッパ軍団でやってほしかった
  9. キノコ王国はまんまUSJという感じで、USJにまた行きたくなる良い作り込みだと思った

映画として気になったところ

  1. ヨッシー最後に出すなら、途中でなんでチラ見せしたのか意味不明
  2. ピーチが氷の技を使うならいっそアナ雪をもっとオマージュしてもいいと思った
  3. マリーが何にもしないなら出す意味なかった(銃が出てくるのに発砲されない的な)

まあ見に行くんじゃなかったなあという感じかなあ。子供は楽しんでたからそれでいいんだろうけど。さすが任天堂!さすが宮本茂!とは私はならなかった。

2023-05-09

マリオ映画、クソつまらなかった

評価してるオタクくん、映画たことない説。

評価してるお前は少しでも心理描写のある映画を見たことあるのか?

アバターでもエンドゲームでもミュウツーの逆襲でもいい。オトナ帝国の逆襲でもいい。

それらの映画に比べてマリオはどうなんだ?

少しでも感動できる瞬間はあったか

強いて挙げればルイージが盾になったシーンか?

それが他の映画に比べて良かったと本気で思ってるのか?

まともな映画を見たことないんじゃないのか?

そう考えると映画批評家の点数は妥当に思えた。

ハッキリ言ってペラペラ映画だった。

ポリコレ要素無いって話だったが、ピーチマリオ指導するシーンなんか原作にあったか

ポリコレ配慮のためにあの描写があったんだろ。

クッパに攫われるだけのピーチを描いたら活動家が騒ぐからあいう設定になったんだろ。

散々批判したが、マリオ映画のヒットはペラペラ映画世間は求めている証拠でもあると思ってる。

これからビジネスのためにマリオ映画みたいな浅い作品が量産されるんだろうな。

2023-05-08

スーパーマリオ映画面白いぞ。駄作と思わずに見てよ。

駄作だ失敗作だ黒歴史だ、と散々言われてるスーパーマリオ映画だけど、実際に見てみると思いの外面白い

レビューサイトを見ると、「カネの掛ったB級映画」と称されているが、全体的な感想としては確かにそんな感じで。

コメディ要素が多くて楽しく笑えるし、全体的に勢いがあり話のスピード感もなかなか。勢いで誤魔化しているところも多いが、細かいところはいい。そして金は使っているので、頻繁に物が壊れ、無駄アクションが派手であるのも見どころだな。

この映画コメディ要素とその勢いはとにかくすごくて、例えばマリオルイージ異世界に初めて降り立ったとき困惑していると、傍にいた優しそうなオバちゃんから「ここは武器を持たないと危険なところだよ」と警告されるんよ。でもただの配管工のマリオ武器なんか持ってないし、正直に「いや、持ってない」と言うと、オバちゃんが間髪入れずに銃を向けて「だったら金を出せ!」と脅してきたり、クッパに捕まって手を縛られて死を覚悟したら、写真を撮られるだけだったりと、とにかく笑わしにくるイカれた展開が多い。

クッパやその一味は見た目は人間なのはCGが満足に使えない時代のものからしようがないにしても、クッパ暴君っぷりもちゃんと描かれてるし、敵としての描写は十分。俳優がなんとなくプーチンっぽい見た目もしていると、作中で言われているように独裁者ファシストと言われるのも、それなりに納得がいく良いチョイスかもしれない。まあ、そんな独裁者クッパもやたらとピザを注文しようとしたり、コメディ要素もふんだんにある。

そして、この映画マリオが頼れる兄貴分として描かれており、ヒーローとはまた少し違って描き方がされている。なぜか女を口説くのもうまいし、マリオ自身も誇らしげに言う。

口が悪いし、声がオッサンすぎるから、どちらかと言えば、こいつワリオじゃねえの?と思うこともしばしばあるが。

予定した攻撃が失敗しても、焦らずにまあいいかスルーするし、映画の締め方を見ても、本当にこのマリオは頼りがいがある描写になっている。


ちなみに黒歴史呼ばわりされているけども、今公開されている「スーパーマリオブラザーズ ザ・ムービー」には、この実写版マリオ映画オマージュと思われる部分もちょくちょくある。舞台ニューヨークブルックリンであるのもそうだし、二人が配管工の仕事で使う車のデザインもよく似ている。そして冒頭で仕事に向かおうとすると、車が壊れるというところなんかも。

ザ・ムービーの方でマリオが弟思いという設定があるけど、それもおそらくこの映画からオマージュじゃないかな。ゲームにはそんな設定はないし。

ちなみに本作ではルイージマリオ養子という設定であり、実の兄弟でも義理兄弟でもなかったりする。だからマリオルイージは優しい。ただし、親子と呼べるほど年も離れていないから、母であり父であり兄である、と作中で言われている。

あと、この映画ではマリオ本名は「マリオマリオ」となっており、実にツッコミどころのある本名であるが、作中でこの名を語ったときは当然聞いた人から突っ込まれてる。続けてルイージが「ルイージマリオ」と名を語るので、「2人合わせてマリオは3つでいいのか?」と名を聞いた人が発言するのは、実に笑えた。ひょっとしたらこんなしょうもないネタのために、こんな名前にさせられたのか。

2023-05-05

マリオ映画ストーリーとか批評家の話とか)

感想ネタバレなし)

映像気持ちいい

映像が良かった。このシーン、このアイテム映像解釈がこうなるのか!という驚きの連続BGM効果音のさりげないアレンジも良い。

映像テンポがよく気持ち良い。特にアクションシーン。

楽しい場面も多くて映画館で何度も笑いが漏れてた。間が絶妙なかんじ。

ピーチ姫アクションがカッコ良い。ギャルっぽい話し方に最初違和感を覚えたけど格好良いから100点満点です。

クッパが良いキャラしてる。ファンが増えそう。


ストーリーがないという議論(ややネタバレあり)

映画批評家評価が低いらしい。これはポリコレは全く無関係で、映画セオリー無視した脚本からだと思う。

映画脚本術は3幕構成とかセーブザキャットとかいろいろあるけど基本的主人公挫折するパートが必ずあるはず。

この映画普通映画にするとこんな感じになると思う(太字が改変部分)

例1)

1. 何をやってもうまくいかないマリオ兄弟マリオ起業に弟を巻き込んだと責められている。

2. 弟を連れ去られ救い出す決意をするマリオ

3. ピーチ姫との修行

4. クッパとの決戦。クッパを追い詰めるマリオ

5. 実はピーチ姫は裏切っていた。「ごめんなさい王国を救うにはこれしかなかったの」罠にハマり捕まるマリオ

6. ルイージと力を合わせて牢を脱出クッパを倒す

例2

1. 何をやってもうまくいかないマリオ兄弟マリオ起業に弟を巻き込んだと責められている。

2. 弟を連れ去られ救い出す決意をするマリオ

3. ピーチ姫との修行

4. クッパとの決戦。クッパを追い詰めるマリオ

5. 実はルイージが裏切っていた「いつまでも兄貴ヅラするな。僕はお前が嫌いだったんだ」ルイージに叩きのめされ失意のマリオ

6. 再び立ち上がりルイージと対決。溶岩に落ちかけたルイージの手を掴む。「お前がどう思おうと、僕にとっては弟だ」

7. 兄弟で力を合わせクッパを倒す


上の5に相当する挫折パートがないんですよね。批評家違和感を覚えるのはその辺かも。

ただ、これはファン向け映画なのでマリオキャラの仲間割れとか過度なドラマファンは求めていないと思う。だからこれで良いんだ。

いちおう、ドンキーマリオ主人公「バディとの友情としてみるとだいぶセオリー通りな感じなのですが・・・ドンキーマリオ登場人物でないからうーん???友情出演と思って見ていたのに中盤であれ?こいつシナリオ的にメインキャラだなって

2023-05-04

「ザ・スーパーマリオブラザーズムービー」の特典ガチャ要素について

この<『ザ・スーパーマリオブラザーズムービーハテナブック>は、紹介内容が異なる4種類を用意しており、おひとり様につき、4種類の中から1冊をランダムプレゼントいたします。また、それぞれの冊子にはキャラクターデザインされたステッカーも封入されており、マリオルイージピーチ姫クッパの4種類があります

こんなの、任天堂ガチファンは全種類揃えるまで通い詰めるだろうに

かつてガチャを痛烈に批判していた任天堂

看板タイトル劇場映画でこんなことをするとは

ランダム配布特典で何度も劇場に足を運ばせる

昨今のリピーター狙い撃ち商法任天堂まで手を染める

時代の移り変わりを感じる一幕である

2023-05-02

マリオ映画増田観てきたよ滝手観出す間を甲斐絵の織間(回文

おはようございます

映画スーパーマリオ観てきたわよ!

ほんと珍しく封切り当日に映画なんて観たことなかったわよ。

ってぐらい観に行こう!って映画館に飛び込み前転で行って

オープニングの前の任天堂スーパーマリオのシーエムで泣いてしまいそうなほどそんな思い入れは無いんだけど

私のスーパーマリオデビュー戦はスーパーマリオ35で

もうあれはひっちゃかめっちゃかの1-1のステージクッパが何匹もバトル勝ち残っている終盤には出てくるというカオスさがスーパーマリオなのね!って思って

Switchで色々遊べるスーパーマリオがあったのでそれで遊んでみたぐらいの私のスーパーマリオ歴なんだけどね。

なんかでもゲームの画面がそのまま動いてこれもうゲームにしても面白いのかもね!って思うぐらいなワールド

これなんかどっかで見たことあるキノコ王国!って思ったら

あれだわ、

スーパーマリオランのキノコ王国!ってあれがもっと密度ギュッキノコ王国を集めた感じの景色だったのよね。

あとマリオ普通に家族がいたのがちょっと発見で、

身内はルイージしか知らなかったのに

マリオたちの父母も出てきてて結構情報多めだわ。

ピーチ姫別にカマトトぶっているお姫様じゃなくて、

自ら文字通り私自ら出る!って勢いで戦いに行くあれファイヤーピーチになるとき服の色が変わるのが最初意味が分からなかったけど、

ああ!そう言うことねってマリオファイヤーマリオになるのと同じ理屈なんだわ!ってプログラムをあとで読んで腑に落ちまくりまくりまくりすてぃーだったわ。

私が好きだったのはファイヤーフラワーのお花畑が綺麗だったし、

ドンキーコングと戦うときステージはてなブロック叩いてアイテムゲットしたんだけど、

マリオそれになるんかーい!って意表を突かれたわ。

あと、

ノコノコが意外と強いってことよ。

おまえそんなワザ秘めていたんかーい!って

踏んづけて蹴飛ばされるだけじゃなかったんだわ。

そう思うと緑の亀のノコノコ見方がまた変わるわよ。

あんた強いのね!って言って言えそうなレヴェル。

総じて良かったけど、

オープニングの前のシーエムのマリオ映像が一番泣けたわ!

私もSwitchで遊べるマリオをやろうと思って遊びたい気持ちはあるんだけど、

今はスプラトゥーン3のヨビ祭中だし、

もうさ、

昨日は勝てず調子悪くこんな時は寝るに限るわね!って調子だった。

気分転換にそうねマリオでも遊んでみるわ!

うふふ。


今日朝ご飯

チョコパンね。

ずっと続くどこまでもってあの歌のようにチョコパンかーって

渋々と思いながら食べるのは良くないわね。

たまには美味しいのなにか気分転換違うもの食べたいわ。

デトックスウォーター

ホッツ緑茶ウォーラー

お茶を入れるガラスの容器と私がルービーを飲むガラスのコップがそれを使うと足りなくなるので、

2つガラスカップを買って増えたか

洗い終えているストックが増えて運用やすくなったわ。

また私の好きなガラスのコップのことについては書くわね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

anond:20230501210631

そうか?

王道普通過ぎてつまらんのはその通り

他のマイナスポイントとしては伏線世界観ガバガバだし90分映画にしてはキャラが多すぎるよね

伏線らしい伏線ゼロ

マリオがなぜあんなに打たれ強いのか、あの青い星はなんなのか、なぜ地下の土管異世界と繋がってるのか等々、最後まで解き明かされぬ数々の謎

ペンギン王国カロンヘイポー、数え始めたらキリがないけど、ただ出したいだけでストーリーに活かされてないキャラ

最後大団円はかなり無理矢理

ブルックリン現代人たちがクッパの襲来を普通に受け入れてる不思議

そして倒したマリオたちを英雄扱い?クッパ現代世界に呼び出してしまった元凶でもあるんだけど・・・

総じて話の作りが雑っていうか、キャラを映えさせることしか考えてないっていうか

2023-05-01

マリオ映画感想

ザ・スーパーマリオブラザーズムービーを見てきたので感想を残しとく。

[視聴環境]

IMAXレーザー3D 字幕

[事前情報]

世界興収がスゴイらしい。評論家から評価は悪いらしい。吹き替えマリオ宮野守でルイージが畠中とかいう奴らしい。予告チラ見した感じ、声が微妙だったので字幕でみることにした。

[どんな話か(うっすらネタバレ)]

現代ニューヨーク在住の冴えないイタリア人配管工の兄弟が、ひょんなことから異世界マリオワールド)に飛ばされ、キノピオピーチドンキーコングとともに悪者クッパを倒そうとするお話

[総評]

普通に面白かった。良くも悪くもファンムービー映像的な革新性、脚本の秀逸さ、思わず吹き出ししまう小気味よいジョーク、心動かす感動的なシーン、胸が熱くなる激アツ展開、などはない。

かといって出来が酷いわけではなく、一応どれも及第点は取れてる、と思う。(脚本はかなり雑で突っ込もうと思えばいくらでも突っ込めるけど、子供向け映画にマジになっても仕方ないよね)

[おすすめ度]

劇場で何度も見たくなるタイプ映画ではないけど、人生マリオゲームに触れたことある人なら一回は見といた方がいい映画だと思う。

[誰向け?]

万人向け。マリオゲームをやったことある人なら、小さい子連れファミリーからデートムービー友達グループ、独り身の暇つぶしまであらゆる層に対応してる。

[グロ度]

なし。ただしギャグ演出として暴力的なシーンが多用されている。痛々しい演出は多め。(例:手をピアノで挟む)

 

[感想ネタバレアリ)]

<良い点>

キャラクターのモーションやSEBGM原作を忠実に再現していて楽しい

原作を忠実に再現した世界

 

<悪い点>

ベタベタなあらすじとご都合主義的展開

大枠のストーリー王道ハリウッドで全く面白みがない。

それに加えて各シーンの演出や各エピソードの繋がりがとてもご都合主義的。

どのような「ご都合」かというと、「原作のこの絵を再現したい!」→「じゃあこういう展開でこういう演出しましょう!」というのが明け透けに見えている。

たとえば、「ベビーマリオを出したい!」→「ルイージに幼少期を回想させよう!(何の脈絡もないけど)」みたいなのが盛りだくさんとなっている。

原作再現が最優先なため、伏線を先に引いて、後で回収する・・・というのがほぼない。

キャラクター性格、あれでいいの?

ピーチ姫がSWのレイみたいになってたり、キノピオが陽気な友人キャラみたいになってたり。どれもハリウッド映画に出てくるお決まりキャラではあるけども。

原作でもあん性格だったっけ?

 

<まとめると>

どのシーンにも「物語上の必然性」がない。かわりに「原作再現上の必然性」がある。

からマリオを知らない人が見たら「なんでそうなる???」「唐突・・・」「最初からそうしとけばいいのに・・・」「無理矢理だなあ」「この人たち出てくる意味あった?」「え?なんでみんな普通に受け入れてハッピーエンドみたいになってるの?なんか説明合った?」「こいつは一体なんなんだよ」と突っ込みどころ満載かもしれない。

が、それもこれも原作再現を楽しみにしてるファンを思ってのことだと思うので悪く言うつもりはない。

やはり良くも悪くもファンムービー的。細かいことを気にしてはダメ

クオリティファンムービーだった。

2でヨッシーがどんな活躍をするのか楽しみ。ワリオとかも出てくるのかな?

anond:20230501083336

いやー、でもクッパゲイになってるマリオ実写化は観たいか

体型的に向いてると思うもん

できたらワリオドンキーゲイにして欲しい

観客の少数派の子供達もゲイキャラクター活躍勇気をもらえると思うし

最近欧米主流のポリコレうんざりしている人達が(全員がそうではないにしても、大半が)

忌み嫌う「ポリコレ」というのは、

元々の作品にないのに後から無理矢理改変や追加をして、さらにそれがあまりにも不自然違和感あるものを指しているに決まってるじゃん

マリオ映画ポリコレじゃなくて良かったっていうのは、あくま原作ゲームの設定を維持してくれていて良かったという意味だよ

マリオ黒人にしたり、ルイージ日本とも韓国とも中国ともしれないアジア系にしたり、クッパゲイにしたりしないでくれていて良かったっていう意味だよ

それに対して「マリオは元々イタリア系の配管工でマイノリティなんだが?」といわれても、すっとぼけんなとしか

2023-04-30

anond:20230429120637

マリオ映画 映画として50点

子供も見ることを考慮されている為90分の上映時間しかない

・上映時間が足りない為とにかくストーリー駈歩

・一番顕著なのはマリオ父親関係

マリオ父親が直接会話したのは最初最後のみ

・なぜか映画ストーリーマリオ父親に認められたことになるらしい

・とにかくドラマが足りない

描写不足

ピーチマリオ出会いもあっさりしすぎている

ピーチピノキオ隊長マリオを一瞬で受け入れすぎではないか

ピーチピノキオ出会いなども語られているがあそこはもっと掘り下げるべきではないか

結婚式で捕まった面々が生贄にされるのは意味がわからないしストーリーの都合でしかない

マリオギャラクシーに出てきた青い星は何かストーリーに関わってきそうでひたすらネガティブなのことを言ってるだけで何もない

そもそもクッパピーチ求婚する理由やそのきっかけがまるで描写されていない

・本当にクッパは全軍侵攻する必要があったようには思えないしストーリーの都合でしかない

クッパストーリーのために悪役を演じている

色々書いたが、とにかく一本の映画として評価すると観客のマリオ知識思い入れに甘えた描写不足の作品という評価になる

スーパーマリオ映画観て来た(ネタバレあり)

こちとら初代スーパーマリオリアルタイムプレイした40代オッサン

ネタバレありかつ、批判的かつ否定的な内容なので、これから観に行く人は読まない方が良いと思う。

これから観に行く予定がなく、ネタバレオッケーで、否定的感想もオッケーな人達だけ読んでほしい。

で、正直言って、「ネタバレあり」とは書いたものの、大してバレできるネタがない。

1時間トムとジェリーを見続けても、バレるようなネタはないだろう。これはそういう映画だ。

これが世界中で1000億円の大ヒットを飛ばしているというのが、オッサンにとっては最も不可解な点と言って良い。

評論家酷評を受けつつ世界中で大ヒットしてるなら、評論家の方が間違ってるんだろうと思ってたのだが、

観終わってみたら、俺は評論家側だった。

なんでこれが大ヒットしてるんだ。

シン・仮面ライダーこそが今年見た最もつまらない映画だろうと確信していたのに、ワースト1位の座は本日更新された。

観ている間中、終始真顔だった確信がある。とはいえ子供の姿もないレイトショー劇場中に、笑いも起きなければどよめきも起きなかったところから、多分周りのオッサンやニーチャン・ネーチャンの感想も似たようなものなのではないかと思う。

実に静かな1時間半だった。終わった後も、皆なにやら内輪でコソコソ話したり、ポップコーンをこぼしたのという話しかしてなかった。

実のところ、導入部分はそんなに悪くなかったと思う。

ニューヨークからキノコ王国に行くのは、異世界召喚もののようでちょっとクワク感もあった。

正直、この筋立てを考えた脚本家に感心すらした。

が、キノコ王国に行ってからは、単なるゲーム実況動画以下の代物でしかなかった。

一つには、「この世界人間異世界召喚された」際にあるはずの諸々の衝撃や葛藤が皆無だった事。

マリオあっという間に馴染んでたし、人間ではありえない身体能力を発揮しても、それが魔法的な力なのか、マリオの素のスペックなのかが区別がつかなかった事。

絵柄上、血もほぼ出ないし。ダメージ受けても効果音と共にパワーアップが解除されるだけである。この辺、ゲームに忠実過ぎて緊張感もクソもない。

キノコ王国もその他の国々も、街や民衆がかなりふざけた連中で、もともと国家の体を成してなかったので、クッパの侵攻を受けても遊園地が壊されてる程度の印象しかなかった事。

クッパ側も含めて、世界観がわけわからず「何この世界」という感があった。ディズニーランドがそのまま世界になってるような、とでも言えば良いのか。

でたらめな世界で、でたらめなキャラが、でたらめな事をしている。

それを楽しめるのは、よっぽど病んでるか、よっぽど健康な人だけだろう。

で、その世界でやってる事はずっとアスレチックである

感情の起伏がほぼゼロ。ひたすらアスレチックで暴れているだけ。

しかも、随所でゲームっぽい効果音が入るせいで緊張感もない。

そのまま最終決戦へ。

クッパと戦ってるんだから最終決戦なのだろうが、余りに何もないストーリーなので『まさかこのまま決着付けて終わるのか?』とうろたえていたら、

最終決戦の舞台なんやかんやあってニューヨークへ。ここでまた印象は少し持ち直した。

キノコ王国で決着付けてたら、もはや擁護余地もないほどの駄作だっただろう。

ニューヨーククッパが暴れてくれたおかげで、おおっという場面がちょっとだけあった。

しかし、その後はお寒いもので、なんかもうクッパを倒しただけである

脚本家は、書き上げた脚本を前に首をかしげなかったのだろうか。

ヒットして悪い事はないが、なぜこれが大ヒットなのか。

多分、この作品元ネタゲームを知ってれば知ってるほど楽しめるのだろう。

俺は初代のスーパーマリオくらいしかまともにプレイしてないが、その後のマリオシリーズを何作も何作もやってれば、

多分ニヤニヤできる場面も多かったのだろう。

しかしそうでない人にとっては、まったくもって意味不明な1時間半でしかない。

世界人達はそんなにマリオシリーズをプレイしてたのか、というのがオッサン感想である

2023-04-29

マリオ映画面白かった

子供と一緒に見に行ったんだけど面白かった

良かった

ただ、なんというか、微妙に物足りない

小ネタもっとしかったんだよな

メインのストーリー全然いいんだけど、脇役とかでファンにグッとくるような小ネタもっとしかった

(というかほとんどなかった)

例えばレインボーロードで「落ちるから気を付けろよ」的なことを言うとか

ラストバトルもクッパ一本橋から落とすとか

なんかこう、いろいろ欲しかたかなぁ

人はマリオに三度出会

「人はおりがみに三度出会う」


そんな言葉を聞いたことがある。

幼少期におりがみで遊び、親となって子どもおりがみで遊び、祖父母となって孫とおりがみで遊ぶということらしい。


マリオは今まさに、誰もが当たり前に遊ぶ遊びとなるべく、三度目の出会いを目前に控えている時ではないだろうか。


ファミコンの「マリオブラザーズ」が発売された80年代小学生だった世代は、今40代から50代へと差し掛かっている。

私も二度目の出会いを子どもたちと迎え、三度目の出会いまであと少しというところまできた。





正直に言ってしまうと、ずっとマリオで遊んでいたわけではない。

プレステに衝撃を受けて、任天堂ゲーム機から離れた時期と、結婚出産子育ての時期が続いたこともあり、64とゲームキューブスルーした。

そもそも、ずっとマリオファンだったというわけでもない。


今日、「ザ・スーパーマリオブラザーズムービー」を観に行った。

観に行く前から、確かに涙腺は弱くなっていた。

人生から、色々ある。

良いことばかりではない。

積み重なっていたこともあった。

映画を見ている間、笑いながらも涙が流れて止まらなかった。


映画の内容に触れない程度で言えば、泣く要素はどこにもない。

でも、ずっと涙が込み上げてきた。





どれだけお願いしても買ってもらえなかったファミコン

お小遣いをためて、親の目が届かない旅行先で買ったゲームボーイ

バイト代で買ったスーファミ

子どもたちと遊ぶために(という体で)買ったWii

Switchは、どんな奇跡が起きたのか、店頭にあった最後の1個を滑り込みで買うことができた。

アドバンスDS3DSは、今も家族の分が引き出しにしまわれている。


ゲームの話ができる友だちは皆無だった。

そもそもゲームをするなんて、しか女の子ゲームするなんて……と言われた時代だ。

ピーチ姫だってクッパさらわれてマリオの助けを待つばかりだった。





でも、時が経ち時代は変わった。


子どもと今もゲームで遊び、ゲームの話で盛り上がる。

今や世界の人とゲームで遊ぶことだってある。

ゲームで遊ぶ友だちが世界中にいるのだ。


そして、ピーチ姫は勇敢に戦う人となった。

私もたくさん戦ってきた。

私たちはここまでよくやってきた。

色々なことがたくさんあったけれど、よくやってきたのだ。

がんばった人もがんばってない人も、ゲーム遊んだ人も遊んでいない人も、みんな私たちはここまでよくやってきたのだ。


そして、マリオとの三度目の出会いまで、あともう少し。

あとひと踏ん張りなのだ

映画を観ながら、そんなことを考えていた。





残念ながら同じ世代でこんな話ができる人は身近にいない。

世代でも家人ゲームをしない人だし、友だちたちもゲームをする人は皆無だ。

ゲームの友だちは年若いか、海外勢のためこの映画を観たとしても、同じような感情になることはないだろう。

なので、駄文ではあるがここに書くことにした。


もしも、同じ時代を過ごしてきた人の目に留まるようなことがあれば、これだけは伝えたい。


私たちはここまでよくやってきた。

あとひと踏ん張りなんだよ、と。

あと、家族でもひとりでもいいから、映画を観に行ってね、と。





最後に。

マリオ、本当にごめん。

操作が下手で、たくさんトレーニングをさせたね。

これからもっともっと手元がおぼつかなくなるけれど、よろしくね。

でも、「スーパーマリオブラザーズ35」では何度も1位取ったんだからね!

まだまだいけるよ!!たぶん。


最後最後に。

任天堂、そしてイルミネーション

素晴らしいゲーム映画を本当にありがとうございます

また観に行きたいと思います

もう当時クッパ姫描いてた人間AIイラストに反対すんのやめろ

マジでAIやらせればいいような絵ばっか描いてた人間はいちいちAIイラスト言及すんのやめーや。

クッパ姫全盛期にPixivタグ検索したことある?

もうね、そろいもそろって全員同じポーズ

手を前に出して「がお」。

背景は真っ白。

本当に流行りに乗っただけでろくにクッパに対する知識があるわけでもないから全員同じような絵しか描けない。

当時の画像生成AIなんて崩れ気味のバストアップしか描けなかったけど、

クッパ姫データセットならポーズまで描けるんじゃねーのって思ったわ。

まりポーズが一緒過ぎて。

AIイラストでも生成できそうな絵をあの頃から描いてた人間AIイラスト言及するのをやめて自分を見つめ直せ。

まぁクッパ姫描いてPV稼ぎしてた人間達には届かないかもしれなけど。

[]ザ・スーパーマリオブラザーズムービー

総評

130点ヤッター! 点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。多分世間では娯楽映画という評価であり、事実娯楽映画なんだけど、ゲームという文脈においてガチだった(この辺後で詳細語りますわ)で130点なのでした。

130点の理由

見終わった瞬間、あれ、この映画って存外、なんか手堅くまとまってて100点くらいなのかな? 娯楽映画としてよくできているけれど、やっぱ弱点はあるよね、とは思ったのです。

主人公マリオの悩みみたいなものも、その克服も描かれてはいたんだけれど深い描きというよりはあっさりと乗り越えたし、アクションシーンの出来はどれも良かったんだけどアクション娯楽映画ありがちな失点として、アクションシーンの連続になりすぎて、ドキワク感が全体でのっぺりしちゃったところは実際にある。

あと、これはフォローしがたいけどエンドクレジット後のおまけカットみたいなの(2種)は蛇足感があった。

でもそうやって、脳内で「映画減点表」みたいなのを作り、同時に「映画加点表」みたいなのもあり、合計計算して出てきたスコアは100点だったんだけど、見終わった感情的満足感は130点だったんですよ。ズレが有る。

こういう映画ってたまにあって、それは自分言語化できてない、なにかスペシャルな要素があるって証拠だと思うんですね。

じゃあその+30点どこから出てきたんだよというのが、この感想を書いた理由です。

勇気を出して挑戦する、というテーマ

主人公マリオニューヨークで配管工業を営む青年。作中はっきりとは語られてないけれど、イタリア系移民大家族暮らしていて、年齢は20歳ちょいなのかな。新卒で入った会社を飛び出して、弟ルイージを巻き込み、いきなり配管修理事務所を起業して、全財産を叩いてCMを流したところから物語は始まる。

会社を飛び出した経緯の詳細は語られていないけれど、「何をやらせてもダメ」「できることがない」とモラハラを受けていたフシがあり、マリオは「自分は役立たずなんじゃなかろうか」「いいやそんなことはない、やればできるはずだ」の二つの気持ちの間で揺れている。

おっかなびっくりだし、確信はないし本当は自信だってないんだけど、ルイージに対してお兄ちゃんぶりたい気持ちだけはあって、まぁ虚勢を張っている。

映画になって肉付けされたこマリオ像ってのは、結構好感度ありました。

主人公マリオのもってる「自分は役立たずなんじゃなかろうか」なんて悩み、誰にでもあるじゃないですか? はっきり言っちゃえば、具体的な問題の表出は違えども、全人類の99%が成長過程の中で経験するものでしょう。

それにたいして「やればできるはずだ」っていう根拠のない自分自身の鼓舞だって、誰でもやるでしょう。

これらは映画を含む既存ストーリーメディアでは、勇気とか挑戦とか言われるたぐいのテーマ類型です。この類型は多くの、それこそほとんどすべての物語作品で見ることができます内面問題弱気を乗り越える勇気の話は、物語作品王道ですから

歴史上、ストーリーメディアはそれに対して勇気づけるための物語を何千何万と語ってきた。美しくまたはおぞましく、ハラハラ・ドキドキするような物語をたくさん作ってきた。「勇気を出す理由」「その褒美」について、あらゆる物語が手を変え品を変え洗練したストーリーを紡いできた。

そういう歴史あるテーマ歴代傑作の洗練に対して、この映画エピソードづくりや演出最高峰かというと、そんなことはない。マリオの閉塞感もその打開も、徹底的に演出されているわけではない。もちろん赤点ではないんだけど、その部分で言えば「凡庸ファミリー映画」ですらある。

でも正しくそこがこの映画の中心なのです。

たぶん「それ」が、映画としての物語性や演出を厳密に評価した評論家一般ユーザーの間で、この映画評価が真っ二つに別れちゃった理由だと思うのです。

ビデオゲーム

あらゆる人々の実際の人生における、自信のなさ、不安感、でもそのなかで勇気を振り絞って、はたから見ればどんなにくだらなくてもその当人にとっては難題である目の前の課題に挑んで見る――そういう勇気に対して物語メディア物語としての洗練や感動をもって応援してきたわけですが、じゃあそれで現実の人々の不安感や自己否定ちゃん払拭できたかといえば、そうではない。物語の大好きな自分は、それでも物語のない世界は暗闇だと思うわけですけど、世のすべてが照らされて現実問題駆逐されるなんてことはなかったわけです。

でも、全く同じ問題に対して、ビデオゲームは別の方法論で挑んできました。

それは成功体験です。

問題点がある。失敗する。ゲームオーバーしてしまう。つらいね、くやしいね。でも何回かやってみようよ。工夫してみようよ。ほら!さっきよりいい感じ!よし!一個クリア!先に進めた!すごい!ほら、つぎの課題が来たぞ!ジャンプだ!パンチだ!やったぞ!進めたぞ!!

そういう、課題と克服、工夫や練習での突破、つまりは直接的な成功体験で、「キミはできるんだ!」と全存在で訴えかけてきてくれるわけです。ビデオゲームをする人にはあまりにも自明で、やらない人には分かりづらいかもしれませんが、任天堂のみならずすべてのビデオゲーム本質はこれで、これでしかないんです。

何か挑戦すべき課題突破するべきステージでも強敵でも生産目標でも集めるべきコインでもなんでもいいですけど、課題があって、それは最初は難しくて無理かもしれないけれど、ゲーム世界調査して構造を知り、工夫して、練習すれば、達成していける。

努力すればなんとかなる」。

そのことを、人間の子守では到底無理なほどの忍耐(なんせ機械なので)で、何千回でも、何万回でも人間の子どもたち、時には大人にも付き合ってくれた。それがビデオゲームの達成した最も尊い部分だと思います。「レベルを上げる」「レベルが足りない」という今や日常会話でも違和感なく使えるこのフレーズには、「いまは無理でもいずれできる」「できるようになるはずだ」という、生きる上で本当に重要価値観が込められていることがわかるでしょうか?

スーパーマリオ歴史ってほぼイコール、家庭用ビデオゲーム歴史です。そして、ビデオゲーム歴史は、「挑んでみなよ!なんとかなるよ!」というメッセージ歴史なのです。任天堂こそは、それを声高く叫び続けるゲームデザインをしてきた企業でもある。

諦めないという、その尊さ

前述のように、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は既存物語メディアの、少なくとも映画文脈で言えばそのシナリオ演出が傑作に達していないかもしれない。でも、そこにビデオゲームという別の文脈が持ち込んである。そしてそのことに制作陣は自覚的です。

まり、彼らはわかっていて、わざとそう作ったのです。マリオ任天堂と、そしてなにより地球で生まれて40年になるビデオゲームという新顔の娯楽を本気でリスペクトして作ったのです。

マリオは作中「諦めが悪い」「しぶとい」とピーチ姫などに評されます。実際、マリオ映画終盤になっても結構ミスをする。敵の攻撃を食らってパワーアップが解除される、しかも頻繁に。

それをマリオは「スマート物事解決できない」という評価だと受け止めてちょっとしょぼくれたりもするのです。が、とんでもない。

それは「ミスをしてもなげださない」という意味であり、「ゲーム主人公」として、そして「マリオを操るプレイヤーとしての我々」としても、それは最上級の素質です。

そう考えてみると、この映画白眉は序盤、キノコ王国にたどり着いたマリオピーチ姫への同行許可を得るために、練習コースに挑戦した部分だったと思い出されます

マリオは何十回も何百回もミスをする。回転する棒にビビって飛び込めない。移動する床をうまくジャンプできない。ブロックを壊そうとして目測を誤って落下する。

そういった失敗は『スーパーマリオブラザーズ』をプレイしたことのある人々にとっては、あるあるだし、わかるし、お前もか……。なわけですよ。

でも同時に、それを何十回も繰り返せば、あんなに難しいと思えた難所もクリアできるようになるし、ピーチ姫が疲れて寝ちゃった夜中もずっとプレイして、ミスを繰り返して、ヒャッフゥ!と突破できるようになるのもまた、自分自身のことのように、わかるわけです。

『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』における「課題勇気、挑戦」はそのようなものなのです。だからブルックリンクッパが現れたって絶望したり家族が死んでスーパーパワー覚醒したりする必要はありません。映画的な意味での過剰なドラマ表現をしなくても、マリオは「やるぞ!」とちゃん理解できるのです。

ビデオゲームが産まれ、親しまれ、市民権を得て、もはや一般的な共通理解となった現代社会において、視聴者理解感覚はもうその段階まで達している。だからこそ映画ドラマの形を拡張して、巨大なリスペクトを持ってゲーム文脈を抱きかかえることができた。

映画ゲームも大好きな自分として、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』はそのような映画であると受け止めました。

+30点はあるよ、ちゃん実在するよ! 家族が死んだり国が滅びたり医師生命を失ったりしなくても、そんな悲劇がなくても、僕たちはちゃんと「攻略してやればクリアできるんだぜ」という、穏やかに前向きな価値観ゲームから予め受け取っているんだ。そういう意味で、とても良い映画でした。

クッパ大王リサイタルはとても可愛かったしね!

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