はてなキーワード: おっかなびっくりとは
日本はまだコロナも収まっておらず、スポーツイベントも感染対策やりながらおっかなびっくりだけど、一足早くコロナをかなり完封に近いところまで押さえ込んだニュージーランドではスタジアムに満杯に客をいれてラグビーを再開。
通常はNZ、オーストラリア、南アフリカ、アルゼンチンから各チームを集めて総当たりフォーマットで開く大会を、国同士の移動を控えて国内チームだけのホームアンドアウェー形式で開催した。
先日、今シーズンは短めで幕を閉じたのだけど、そのトライ集が上がってきており、30分、ひたすらトライ、スーパープレイ、トライ、スーパープレイの数珠つなぎ。
毎日一時間頑張って腰を振り続けているのに、勃たない射精せない挿入らない。
結婚して一年経っても童貞処女のままなんて思いもしなかったよ!
始めてセックスをした日、自分でどうも勃起不全のケがあるナと思ったおじさんは、EDクリニックに行き(何故かAV男優が広告塔をやっており非常に胡散臭かった)、勃起不全という病気について、ED薬が作用する機序について、ヴィデオを見せられ、それで説明を受けたということになっているらしい、医師の診察が数分あり、ヴァイアグラ・ジェネリック薬を受け取って帰宅した。次回からは診察受けずに薬だけ受け取れますから。受付の者は、まるでスーパーマーケットの店員のように言う。確かに服用してみると、にわかに息子が熱を帯びはじめていることに気づいたが、自分がその気にならなければおとなしいままだった。どうやらこの薬は快感中枢には作用しないらしく、自分の意志と無関係に勃起できるというようなものではないらしかった。勃起度1を100にはできるが0は0のままである。勃たねえモンは勃たねえンだよ、わが息子はむくれてそう言った。
29の妻は同世代の友人が次々と出産を経験していること、30を過ぎての初産リスクを恐れているのだと思う、無自覚におじさんに対する妊活・排卵日ハラスメントを繰り返してきて、精神的にも身体的にも限界だった。おじさんはメンヘラなので精神医療に頼りがちである。つまりセックス・カウンセリングを受けることにした。医師の娘である妻は、その珍妙な肩書きを怪しがってついて来なかったが、性科学会なる歴としたアカデミア組織の運営だったので大丈夫だろうとおじさんは信用した。結論としては「最初はボディタッチから始めてみて、徐々にステップを進めていきましょう」みたいなザ・行動療法的な話だった。正論だが、その悠長な言葉は、今すぐセックスがしたいおじさんが求めているものではなかった。ここには二度と来ることはないだろうな、とおじさんは思った。財布からは万札が消えていた。
おじさんもおじさんで豆腐メンタルなので、勃起不全挿入困難膣内射精困難の三重苦から学習性無力感を併発して、毎度毎度今日こそイケそうだなと思っても、一回の挿入失敗で深く傷つき、途中で萎えてしまい、その日のうちはそれっきり息子が勃ち上がることはない。とにかく膜さえ突き破れば次回以降からはどうとでもなると思うのだが、息子を強く突き立てると逆にこちらが根本からへし折れてしまい、壊死とか骨折とか恐ろしい単語が脳裏に過って、それで腰が引ける、せめて手前で射精そうとは思っているのだが、激しくピストンすると肛門側に竿が抜けてしまうのものだから、ピンセットで摘まむような慎重さで、おっかなびっくり腰を動かすことになる、これでは刺激が足らず射精には至らず、そのうちにお互い気持ちが萎えてしまう。セックス困難は心身の病だ。死にたい。
正直、2月以降ずっと、いわゆる緊急事態宣言レベルの自粛をずっとやってる。
みんな、感染させないようにひっそりと、政府の言うとおり、行政の言うとおり行動している。
神経質に手を洗い、外から帰ったらうがいをし、外出先ではマスクをつけ、顔を触らないように、注意深く、毎日を生きている。
なのに、なんで感染が拡大してるんだろうか。
そう思うとつらい。
やりたいこともやらず、食べたいものも食べず、遊びにも行かず、「誰かのためになる」と思って自粛をしていた。
しかし実際には、「誰か」が抜け駆けして遊びまわり、ウィルスをばら撒いている。
遊ぶなとは言わない。「危険な行動を回避できる」方法はもうわかっているのだ。
だというのに、それを無視してウィルスをばら撒いてる「誰か」がいる。
自分はというと通常のイベントはほぼ中止。どうしても開催するときには神経質なほどの距離と消毒を繰り返して、それでも閑散としてる。
自分の好きなイベントのほぼすべては中止になり、コミケも、ライブも、無理だった。
外食もテイクアウトが大半になった。(そもそも外食する人間じゃなかったけどさ)
日常の楽しみがほとんど消えた。ハレの日の楽しみなんか夢のまた夢だ。
そういう普通の人間が、耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び、という横で、酒を飲んで遊ぶ業界が、3密でマスクを外して騒いでいた業界が、感染を広めた。
正直悔しくて悔しくて仕方がない。
こんな連中が、なんで俺たちの努力をむしばんでるんだと心底腹が立ってる。
しかし、最前線で戦ってる感染症対策を頑張ってる行政の人たちが
「やっとなだめすかして協力を得て検査を受けさせたんだから責めないでくれ。騒げばこいつらはまた地下に潜る」
と、言っているのだから仕方がない。
一番腹が立って、悔しい思いをしている人たちがそういうのだから、仕方がない。
文字通り仕方がない。
そういう場所に行って感染を広めるバカな連中を火炎放射器で焼き殺すわけにはいかないのだ。そこは人間としての超えてはならない一線なのだ。
そういう迷惑極まりない行動を、最も許しがたいと思っている医療従事者は、自分の務めを全うしている。
ワイドショーの無知蒙昧なコメンテーターに無能だのバカだの言われていても自分の務めを果たしている。
最近旅行関係の対策としてGotoが話題だ。この政策は、立案当時、きちんとみんながお行儀よくしてたら恐らく可能だったのだろう。
しかし、いまは難しいだろう。いまは怖い。Gotoに行くとして、それが感染を広めたら、誰かを感染させたらと思うと、行けるものではない。
毎日を、息苦しいマスクをし、神経質に手を洗い、他者との距離を取り、そして、今日も生きている。
家に帰って、マスクを外し、衣類を洗濯し、神経質にシャワーを浴びて、やっと自分に戻れる。
「お前らは感染をばら撒く業種だけどフォローしてもらったじゃないか。なのに旅行業界が助けてもらうときには石を投げるのか」
と怒られていた。
疲れている。
自粛疲れだけではない。
マスクをして毎日を過ごすというのは、こんなにも大変なことだったのか。
感染しないように、感染させないようにおっかなびっくり毎日を過ごしている。
悪徳経営者のように、「コロナなんか知らねえよ。俺たちは生きて行かなくちゃいけねえんだ。俺たちは酒飲んで騒ぐのが仕事。それで感染させても国が悪い」
と開き直れたらどんなに楽だろうか。
いっそのこと、知らないうちに感染してしまいたいと思う気持ちが最近出てきた。
知らないうちに感染して隔離され、病室に閉じこもることをよく考える。
息苦しいマスクを外したいといつも思う。
マスクは自分が感染しないためじゃない。「誰か」に感染させないためのものだ。
「誰か」が抜け駆けをして遊びほうけても大丈夫なように努力してるわけじゃない。
自分勝手な人間がもう少し多ければ、おそらくNYの様になっていただろう。
同調圧力だとかムラ社会だとか批判されているアジアのほうが対策が上手く行ってるのは思わぬ誤算だった。
しかし、苦しい。
やたら攻撃的になり怒り狂って馬鹿なことを本気で主張して、始終他人に喧嘩を売り歩いていく人が増えた。
コロナ前まではそんな人ではなかった。
皆、狂っていってる。
ホストクラブにしろ、キャバクラにしろ、演劇にしろ、どいつもこいつもコロナウィルス拡散させまくってる。
なんでみんながクソ暑い中マスクして通勤してテレワークしておっかなびっくり営業してるのに、まともな対策もせずに営業して、客に感染ばら撒いて責められないと思ってんの?
もう対策法はほぼ確実に出来上がってる。感染者が爆発的に広まってる場所は、大体感染対策がろくでもない場所だ。満員電車ですら、良いわけないにしても、ホストクラブのように感染を広めてない。
演劇もホストクラブもキャバクラ、きちんと対策を守ってればそこまで感染は広がらないんだよ。アホな奴らが対策を無視してバカなことやってるから広がってるんだよ。
全然関係ない事柄が、頭の中でくっついてしまうことがあるよね。
個人的には海外ドラマの「X-File」と磁気テープ、テープレコーダー。カセットのやつね。
子どもの頃にテレビでX-Fileが放映されてて、おっかなびっくり見てみると、すごく面白くてはまってしまい。
ビデオテープはなんか家の中で貴重品扱いでもったいなくて、古びたテープレコーダーで音だけを撮っていて。
番組がやっている間中、息を殺して変な音が入らないように気をつけて、一生懸命テレビを見ていた。
モルダーとスカリーの声は吹き替えだからね。吹き替えの印象しかなくて。
最近プライムビデオとかで本来の声を聞いて、でもそれもすばらしい演技だと思った。
でもやっぱり、磁気テープに撮っていた、中音域だけがやけに膨らんだ音声が、自分の中のX-Fileなんだよなー。
政権与党にはほとほと失望してるし期待もしてないから、野党にはもっと議席を拡大して政権交代は難しくてもせめて圧力をかけて政権の危機感を煽ってほしいと思ってるよ。
今のところそれがプライオリティとしては最上位だから、諸々イマイチな部分には目をつぶって野党に票を投じ続けてる。死票バンザイ。
でもはてブで与党批判コメントは殆どしない。所謂はてサの面々がブコメ全部遡ってこぞって星付けてくるのが嫌だからな。
くだらないと思うか?理由を教えてやるよ。以前俺のブコメをブックマークして曲解中傷コメント付けてきたはてサ野郎のIDが通知に表示されるのが嫌で嫌で仕方ないからだよ。
やった方は忘れていて能天気に星付けてくるんだろうが、やられた方はずっと覚えてるからよ。あいつら普段は自分たちはさも高潔で立派であるかのような態度だが所詮そんなもんだ。そうやって日頃の振る舞いで恨みを買ってるってことをしっかり覚えておけよ。
*
(つか非表示にしてるんだから通知でも非表示にしてくれよはてなさんよ そしたら俺だって文句言わねえよ 棲み分けさせてくれや)
*
まあそれはそれとして都知事選は難しかったわ。小野は割とまともそうだったが「維新」の文字列を見ると失神してしまう体質なので結局宇都宮に…
餃子は論外。アホ与党と同じレベルになってどうすんねんアホ共がよ
支持政党ではないが与党とは違う真っ当さを期待してた分余計にガックリきたわ
あと隠す気のない伏字で王将持ち出したのも姑息で嫌だったわ…貧乏学生時代はたまに豪遊したい時のご馳走だったからよ…
まあこれを責めるなら与党の不祥事を責めろという気持ちは分かる。
だが俺もお前も全てのニュースにコメントすることはできないし、する義務もないし、誰かにそれを強制する権利もない。
他者をコントロール下に置きたいという人間の根源的欲求を完全に断つことはできないが、一歩分距離を置くところから始めよう。それについては俺も頑張るわ。
*
例えば、あるコメントや記事に対する反論や批判は一定の範囲内において許容されるべきだが、「コメントしていない人」を引っぱり出して罵倒するのは明らかに行き過ぎだろう。
つか何かある度いちいち「はてサだんまり」だの「ネトウヨだんまり」だの不毛すぎんだろいい年こいていい加減にせえよお前らというお気持ちがありますわよ。
*
政党には当然広報担当がいるんだろうが、餃子とか首相の犬撫で動画とかが通ってしまうあたり与党も野党も本当に内輪ウケの支持しか見えなくなってきているのかもしれん。
これがエコーチェンバー?サイバーカスケード?知らんけど、そう言う俺たちもきっとどこかのカスケードを手斧片手に漂ってるんだろう。
ただまあ、あの一連のツイートを内輪ウケと自覚してやってるんだとしたらいよいよおしまいだとは思う。さすがにそんなことはないと思いたいのでちゃんと反省して?
10年くらい前の政治家たちがおっかなびっくりツイート始めてた頃を思うと隔世の感があるね。
・意味のない伏字、隠す気のない伏字はかえって印象が悪い(ex. 「餃子の〇将」「はて〇ブック〇ーク」)
・はて〇ブック〇ークにおいて、コメントを残すかどうかは本質的に自由
・餃子は焼/揚/水問わずいついかなる時も美味であなたの味方である
以上
この世界の人間は二つに分けられる。死んだ猫の重みを知っている人とそうでない人である。
数年来の友人に向けてこの文章を書いている。あるいは、見せずにしまっておくかもしれないけれど。
この話を始める前にまず記憶というものについて書いておきたい。人間にも二種類いるように、記憶もまた二つに分けられる。つまり、忘れても思い出せる記憶と、忘れてしまったきり思い出せなくなる記憶である。
どんな記憶も忘却の可能性を含んでいて、それがいかに尊い記憶であれ、厳然と忘れられうるのである。
とは言え、尊い記憶は大体忘れた後でも思い出せるものだ。例えばそれは親愛なる友人に関する記憶だったり、あるいは情愛を抱いた誰かに対する記憶だったり――そういう類だ。
これから話す記憶は――意外だと思われる人もいるかも知れないが――恐らく後者に分類されるものである。死んだ猫の重みに関する記憶は(少なくとも僕にとっては)、一度忘れてしまえば二度と思い出せない記憶である。つまり、その記憶は僕の人生においてそこまで重要な記憶ではないということになる。
あるいは、死んだ猫の重みを人生の最後まで引きずっていく人もいるのかもしれないけれど、僕がこの世界からいなくなる時に、多分、死んだ猫の記憶は僕の傍にはいない。
人生というのはタフなもので、多くの場合予断を許さない。例えば、猫は前触れなく死んでしまう。そこに救済は存在しない。
猫は突然死ぬ。
だからこそ、我々はタフにならなければならない。タフな(きつい)人生に耐える為には、我々自身が精神的にタフにならなければならないのである。
して、タフな人生を生き延びるために重要な資質とは何だろうか?
僕が思うに、恐らくそれは一種の判断能力である。つまり、重要なものと重要でないものを区別する為の判断能力である。
この世界において、重要なものと重要でないものを比較すれば、前者は圧倒的に少なく、後者は圧倒的に多い。これは考えるまでもなく当然のことである。重要なものが我々の前に際限なく溢れ返っているのであれば、我々の人生はもっと救済に満ちたものになる筈だからだ。でも、現にそうなってはいない。人生における重要な事物は泥の中の砂金と同じである。それは、恐らくは多くの人が感じていることだろうと思う。
そう、我々が人生を全うする為にもっとも重要な能力は、数少ない重要な物事と出会った際に、その重要な出来事を迷わず掴み取る能力なのである。
タフな人生を本当に生き切る人間に備わっている素質は、恐らくはそれだ。彼らは汚泥の中の砂金を迷わず掴み取り、幸運の女神の前髪を毟り取らんばかりに握る。僕も、そういう人間になろうと日々心掛けてきた。この世界に溢れ返る物事の中に、ほんの僅かに存在している、かけがえのない事柄。あるいは、溢れ返る人々の中に存在している、かけがえのない人々。そういう人(もの)に出逢えば、できるだけそれを失わまいとしてきた。
我々の心の中には無数の記憶が存在している。その多くは、断言するに無意味な記憶に過ぎない。病院の記憶、体育館の記憶、商店街の記憶――はっきり言って、その殆どは無駄な記憶だ。重要な記憶というものは一握りしか存在していない。
我々の人生には限りがある、その限られた人生の中で、無意味な記憶に無意味な情愛を注ぐことだけは避けなければならない。情愛を注ぐべき人を選び、情愛を注ぐべき記憶を選別すること――自分にとって重要なものを、重要でないものの中から選び抜くこと――それが本当に大切なことなのだ。だから、我々は、警戒しなければならない。一見重要であるように装っておきながら、実際には全く我々の人生に無意味な事物……そういうものへの執着を捨てなければならないのである。
書いていて思うが、幾分このような視点には屈折の気配がある。勿論、それは自分でも分かっている。でも、やはり我々の人生は貴重なものであり、貴重でないものと触れ合うことで、その輝きを鈍らせる必要はない――そういう視点が一抹の正しさを備えていることも、また事実なのだ。
はっきり言おう。
これから語る記憶は、決して僕の人生に重要なものではない。むしろ、どうでもいいものなのだと。
大した記憶ではない。
道の真ん中で白い猫が轢かれていた。静かな初夏の日和だった。
その肉体の損傷は一見して分からなかったが、恐らく内臓が酷く傷ついたのであろう、鮮血が周囲には広がり、血溜まりを作っていた。既に絶命していた。絶命してからどれくらい時間が経ったのだろう? 正確なところは分からないのだけれど、多分一時間と経ってはいるまい。白い猫はまだ綺麗だった。制限速度の高くない、幹線道路から外れた細い道路だったことが幸いしたと見え、多くの運転手はゆっくりと車を走らせていた。つまり、道路の真ん中で横たわる猫を、更に醜く変形させる前に、彼らはハンドルを切ることができたのだ。
猫は口と目を半開きにしていた。その筋肉の運動はとっくに停止している。
僕は当時学生で、自宅への帰路にあった。青々と晴れた日だった。白い猫の横を自転車に乗って通り過ぎる時、僕は猫のことを横目で見ていた。
通り過ぎる。
川沿いの道を走り、こじんまりとしたアパートに辿り着く。駐輪場に自転車を停め、アパートの裏手へと回り込むと、階段を上った。
階段を上る度に、カンカンと乾いた金属音がこだまし、やがて僕は二階の自室の前へと辿り着いていた。
鍵を開け、扉を開け、自室へと体を滑り込ませる。
薄暗いアパートの自室はひんやりとしている。
猫のことしか頭になかった。アパートからその猫のいる場所までは数百メートルの距離があって、僕はあらゆる意味で当事者ではなかったにも関わらず保健所に連絡をした。住所をある程度正確に伝えて、電話を切った後にキッチン棚を漁り、そこから掃除用のポリエチレン手袋を取り出した。
再び自転車に乗って猫のところに向かった。数百メートルの距離。時間はそれほど掛からず、辿り着いた時にも猫は最初のままの姿勢を保っていた。相変わらず見える範囲には傷一つなかった。
僕は歩道に自転車を停めて、車列(鮮血を目の当たりにし、おっかなびっくりハンドルを切って迂回する車列)が十分に途切れたタイミングを見計らって、猫のところに駆け寄った。それで、僕は猫の脚を掴んで、車に轢かれる心配のない路端へと引きずった。
そう、引きずったのである。
抱きかかえた訳ではない。単に引きずったのだ。鮮血が道路に擦れて跡を作った。猫の頭部がごろりと動いた。
猫は筋肉が弛緩した所為か失禁――脱糞していて、その茶色の飛沫がポリエチレンの手袋に付着した。
そこには愛情は無い。僕の人生に残留するべき温かい思念というものは存在していない。
だから、この記憶は決して僕の中に残留し続けることはないだろう。人生のいずれかのタイミングで忘却され、その後決して思い出されることはないだろう。
僕は猫にそれ以上傷ついてほしくなかっただけである。
猫が道路の上でぐしゃぐしゃになっている姿を見たくなかっただけである。
ある種の同情みたいなものはあった。でも、それは決して愛情ではない。僕は見ず知らずの猫に、しかも既に生命の無い猫に、愛情を抱ける類の人間ではない。
僕は猫を引きずって、車に傷つけられる心配の無いように、路側帯の辺りまで移動させると、手を離した。そして、そのまま保健所の車がやって来るのを待ち続けた。
初夏の晴れた静かな日和である。時折、眼前を通り過ぎる車の運転手がギョッとした顔で、猫と道路の中間辺りから続く夥しい血痕を見遣るだけである。僕は猫から少しだけ距離を空けて、たまに、盗み見るように視線を向けた。本来の当事者である近所の主婦達が歩道で、遠巻きに何かを話している。さっきの僕の行動を彼女らは全て見ていた。
やがて、彼女らの内の一人の若い主婦が僕のところにやって来て、保健所には一応連絡したんです、と言った。僕は短く返事をした。
彼女は元の場所に戻っていって、相変わらず主婦達と何かを喋っていた。僕は、その場で保健所の到着を待ち続けた。
やがてやって来たのは、ゴミ処理車であった。内部に回転する鉄塊こそなかったものの、それは紛れもなくゴミ収集車だった。
この後の描写についてはあっさりしたもので、その車中からスタッフが二名降りてきて、主婦らに挨拶をした後に黒いビニール袋を広げ、手早く猫をその中に入れた。そして、車両の収集スペースにその袋を入れると、瞬く間にその場から去っていった。
僕はそれを見届けた時にやけに安心したのを覚えている。これで、道路の上にもんじゃ焼きのような物体が出現する可能性はなくなったのだと、そう考えていた。僕はそのまま自宅に戻り、猫の糞の付着したポリエチレンの手袋を処理した後で、日常のルーチンへと戻っていった。
多分、この記憶は僕の人生に残留することはないと思う。単純に、この話の主旨は、僕が死んだ猫の重みを知っているという、そのことを主張する他にない。教訓と呼ぶべきものはそこにはない。
しかし、それはあくまで一般的な教訓に限っての話だ。僕個人の、個人的な教訓に関しては、少しばかりはあるかもしれない。
多くの場合、我々の性向とか心の働きのバイタルな――欠くことのできないほど重要な――部分に作用するのは、僕がここまで延々と語った記憶の類ではなく、誰かへの愛情の記憶であり、誰かからの愛情の記憶である。
そういうものを欠くと、我々のバイタルな部分は鈍化する。必要以上に鈍化し、何らかの問題を引き起こさずにはいられなくなる。記憶というものを二種類に大別した時に、我々の性向に最も強く、最も好影響を与えるのは、明らかに「思い出しうる」方の記憶だ。そのことに疑いはない。
とは言え、最近の僕は少しだけその考え方を改めることになった。
これまで僕が延々と語ったこの記憶は、凡そ間違いなく僕によって忘れ去られるだろう。そして、二度と思い出されることはないだろう。このテの予想が外れることは僕に限ってまずあり得ない。この記憶は僕のバイタルとは無関係なのだ。この記憶によって僕が行動を規定されたり、何らかの関連行動に走るということは――この文章を書いていることを除けば――まずあり得ない。僕にはそのことが手に取るように分かる。
でも、と思うのだ。
この記憶は、翻って言えば、忘れられるまでは僕の記憶に残り続ける(トートロジー的な文章だ)。僕は、そのことに少しだけ意義を感じてしまいそうになるのだ。
記憶には二種類ある。忘れられた後に思い出しうる記憶と、そうでない記憶である。前者に比べれば、この世の中においては後者の記憶の方が圧倒的に多い。この世界の殆どの記憶は後者、つまり他愛のない記憶によって構成されていると言っていい。それらは例外なく忘れ去られる運命の途上にある。
それでも、と僕は思う。
その記憶は、忘れ去られるそのタイミングまで、じっと待っている。
僕の記憶の中で息をしている。
猫の視線の色を、僕は今のところ忘れていない。奇妙に硬直した、黄色い瞳。
多分、僕の記憶の中に、未だ留まっているところの猫は、待っているのだろうと思う。
僕が猫のことを忘れ去るその時を。
じっと、誠実に、待っているのではないかとそう思うのだ。
この世界の人間は二つに分けられる。死んだ猫の重みを知っている人とそうでない人である。
数年来の友人に向けてこの文章を書いている。あるいは、見せずにしまっておくかもしれないけれど。
この話を始める前にまず記憶というものについて書いておきたい。人間にも二種類いるように、記憶もまた二つに大別できる。つまり、忘れても思い出せる記憶と、忘れてしまったきり思い出せなくなる記憶である。
記憶というものは原理的に忘却の可能性を含んでいて、それがどんな尊い記憶であれ、厳然と忘れられうるのである。とは言え、尊い記憶は大体忘れた後でも思い出せるのだ。
例えばそれは親愛なる友人に関する記憶だったり、あるいは情愛を抱いた誰かに対する記憶だったり――そういう類の記憶だ。
これから話す記憶は、恐らく後者に分類されるものである。死んだ猫の重みに関する記憶は、恐らくは一度忘れてしまえば二度と思い出せない記憶である。つまり、その記憶は僕の人生においてそこまで重要な記憶ではないということになる。
タフな人生を生きようとする人間の功罪の常で、僕は重要な記憶とそうでない記憶を峻別することができる。多くの場合その判断は極めて正確だ。
僕は自分にとって重要な物事とそうでない物事を多くの場合峻別できると思っているし、何よりも、自分にとって重要な人間とそうでない人間を峻別できると思っている。そこが功罪なのである。人間は自分にとって重要な人間とそうでない人間を並置し、比較し、時に冷徹に判断する。いざという時に切り捨てることのできる人物と、そうでない人物を頭の中の整理棚に分類する傾向がある。とは言え僕は冷酷な人間を自認してる訳ではなくて、基本的に分け隔てなく親切に接することをモットーにしてるのだけれど。それでも、自分にとって大切な人物とそうでない人物は分けて考えなくてはならないと考えている。
さて、そんなこんなでこの記憶は恐らく僕の人生においてそこまで重要な記憶ではないと、僕ははっきりと峻別している。
大した記憶ではない。道の真ん中で白い猫が轢かれていた。静かな初夏の日和だった。
その肉体の損傷は一見して分からないが、恐らく内臓が酷く傷ついたのであろう、鮮血が周囲には広がり、血溜まりを作っている。既に絶命している。絶命してからどれくらい時間が経ったのだろう? 正確なところは分からないのだけれど、多分一時間と経ってはいるまい。白い猫はまだ綺麗だった。制限速度の高くない、幹線道路から外れた細い道路だったことが幸いしたと見え、多くの車はゆっくりと車を走らせていた。つまり、道路の真ん中で横たわる猫を、更に醜く変形させる前に、彼らはハンドルを切ることができたのだ。
猫は口と目を半開きにしていた。その筋肉の運動はとっくに停止している。
僕は当時学生で、自宅への帰路にあった。青々と晴れた日だった。白い猫の横を通り過ぎる時、僕は猫のことを横目で見た。
猫のことしか頭になかった。アパートからその猫のいる場所までは数百メートルの距離があって、僕はあらゆる意味で当事者ではなかったにも関わらず保健所に連絡をした。住所をある程度正確に伝えて、電話を切った後にキッチン棚を漁り、そこから掃除用のポリエチレン製手袋を取り出した。
再び自転車に乗って猫のところに向かった。数百メートルの距離。時間はそれほど掛からず、辿り着いた時には猫は最初のままの姿勢を保っていた。相変わらず見える範囲には傷一つなかった。
僕は歩道に自転車を停めて、車列(鮮血を目の当たりにし、おっかなびっくりハンドルを切って迂回する車列)が十分に途切れたタイミングを見計らって、猫のところに駆け寄った。それで、僕は猫の脚を掴んで、車に引かれる心配のない路端へと引きずった。
そう、引きずったのである。
抱きかかえた訳ではない。単に引きずったのだ。鮮血が道路に擦れて跡を作った。
猫は筋肉が弛緩した所為か失禁――脱糞していて、その茶色の飛沫がポリエチレンの手袋に付着した。
そこには愛情は無い。僕の人生に残留するべき温かい思念というものは存在していない。
だから、この記憶は決して僕の中に残留し続けることはないだろう。人生のいずれかのタイミングで忘却され、その後決して思い出されることはないだろう。
僕は猫にそれ以上傷ついてほしくなかっただけである。
猫が道路の上でぐしゃぐしゃになっている姿を見たくなかっただけである。
ある種の同情みたいなものはあった。でも、それは決して愛情ではない。僕は見ず知らずの猫に、しかも既に生命の無い猫に、愛情を抱ける類の人間ではない。
僕は猫を引きずって、車に傷つけられる心配の無いように、路側帯の辺りまで移動させると、手を離した。そして、そのまま保健所の車がやって来るのを待ち続けた。
初夏の晴れた静かな日和である。時折、眼前を通り過ぎる車の運転手がギョッとした顔で、猫と道路の中間辺りから続く血痕を見遣るだけである。僕は猫から少しだけ距離を空けて、偶に、盗み見るように視線を向けた。本来の当事者である近所の主婦達が歩道で、遠巻きに何かを話している。さっきの僕の行動を彼女らは全て見ていた。
やがて、彼女らの内の一人の若い主婦が僕のところにやって来て、保健所には一応連絡したんです、と言った。僕は短く返事をした。
彼女は元の場所に戻っていって、相変わらず主婦達と何かを喋っていた。僕は、その場で保健所の到着を待ち続けた。
やがてやって来たのは、ゴミ処理車であった。内部に回転する鉄塊こそなかったものの、それは紛れもなくゴミ収集車であった。
この後の描写についてはあっさりしたもので、その車中からスタッフが二名降りてきて、主婦らに挨拶をした後に黒いビニール袋を広げ、手早く猫をその中に入れた。そして、車両の収集スペースにその袋を入れると、瞬く間にその場から去っていった。
僕はそれを見届けた時にやけに安心したのを覚えている。これで、道路の上にもんじゃ焼きのような物体が出現する可能性はなくなったのだと、そう考えていた。僕はそのまま自宅に戻り、猫の糞の付着したポリエチレンの手袋を処理した後で、日常のルーチンに戻っていった。
多分、この記憶は僕の人生に残留することはないと思う。単純に、この話の主旨は、僕が猫の死体の重みを知っているという、そのことを主張する他にない。教訓と呼ぶべきものはそこにはない。
しかし僕自身にとっては多少の教訓と呼ぶべきものはある(どっちだよ)。
多くの場合、我々の性向とか心の働きのバイタル部分に作用するのは、僕がここまで延々と語った記憶の類ではなく、誰かへの愛情の記憶であり、誰かからの愛情の記憶である。
そういうものを欠くと、我々のバイタル部分は鈍化する。必要以上に鈍化し、何らかの問題を引き起こさずにはいられなくなる。記憶というものを二種類に大別した時に、我々の性向に最も強く、最も好影響を与えるのは、明らかに「思い出しうる」方の記憶だ。そのことに疑いはない。
とは言え、最近の僕は少しだけその考え方を改めることになった。
これまで僕が延々と語ったこの記憶は、凡そ間違いなく僕によって忘れ去られるだろう。そして、二度と思い出されることはないだろう。このテの予想が外れることは僕に限ってまずあり得ない。この記憶は僕のバイタルとは無関係なのだ。この記憶によって僕が行動を規定されたり、何らかの関連行動に走るということは――この文章を書いていることを除けば――まずあり得ない。僕にはそのことが手に取るように分かる。
でも、と思うのだ。
この記憶は、翻って言えば、忘れられるまでは僕の記憶に残り続ける(トートロジー的な文章だ)。僕は、そのことに少しだけ意義を感じてしまいそうになるのだ。
記憶には二種類ある。忘れられた後に思い出しうる記憶と、そうでない記憶である。前者に比べれば、この世の中においては後者の記憶の方が圧倒的に多い。この世界の殆どの記憶は後者、つまり他愛のない記憶によって構成されていると言っていい。それらは例外なく忘れ去られる運命の途上にある。
それでも、と僕は思う。
その記憶は、忘れ去られるそのタイミングまで、じっと待っている。
僕の記憶の中で息をしている。
猫の視線の色を、僕は今のところ忘れていない。奇妙に硬直した、黄色い瞳。
多分、僕の記憶の中に、未だ留まっているところの猫は、待っているのだろうと思う。
僕が猫のことを忘れ去るその時を。
じっと、誠実に、待っているのではないかとそう思うのだ。
いつも腋毛と陰毛が伸びてくるたびにメーカー不詳の電動ボディグルーマーで剃ってたんだけど、こいつの出来が悪くてたまに皮膚巻き込んで出血してしまう感じだったのでもうちょっと安心して使えるのが欲しかった。
そこで PHILIPS の BG1022/15 という 1800 円しかしないボディグルーマーを買ってみたんだけど、こいつが期待以上に優秀だった。
標準のアタッチメント(0.5mm剃り)がついた状態で無造作に皮膚の上を滑らせるだけですいすい剃れていく。
最初脇で試すときはおっかなびっくりやってたんだけど、思った以上に適当に剃れていくのでそのまま陰毛どころか太ももの体毛とかもかなり狩り尽くしてしまった。
「いやぁこれやばいですよ」と歴代の歯科医に言われ続けて幾年月。
痛み自体は顎関節症のもので、親知らず由来のものじゃなかったのだけど
これも機会じゃ、と抜歯してきました。
https://anond.hatelabo.jp/20190508063336 の経過日記的なものに大変励まされたので別例も挙げてみます。
ただ私の場合は寝そべっている親知らずが顎の骨に癒着していたようでちょっと大変でした。
ぐいぐいメリメリ器具に力をかけるので患部より、負荷のかかる顎が痛い。
舌の上にコロッと抜けた歯がころがったところで試合終了。その後何針か縫います。
そりゃもう痛い、という事だったので痛み止めを受け取った薬局で即2錠飲む。その後も5時間おきに2錠。
これは用法用量ギリギリなので後で怒られました。(けど怖いので飲む)
ズキズキじんじんしてくるものの、耐えられない感じではないかなぁと思いました。
口が痛みで開かないので、ウィダーインゼリーをあらかじめ買っておいて本当によかった。
この日は痛いし疲れるしで、仕事?何いってんだという感じ。
コブ取り爺さんの様に頬が腫れる。おもしろがってぱしゃぱしゃセルフィーを撮ったのだけど
この日は抜歯した総合病院ではなく地元の歯医者さんで術後の消毒/検診。
とにかく血餅(患部にできるかさぶた)がとれちゃうとドライソケットという
とはいえ痛み止めが合うのか?結構余裕。ちょっと仕事しちゃったり。
舐めてた。患部の痛み、腫れもさることながら喉が腫れ上がって唾液を飲み込むだけで激痛。
喉の皮膚を触るは勿論、顔をひねって腫れた部位が伸びるだけでも痛い。
脂汗だらだらで何回か熱も上がってたように思う。とにかく動かず痛み止めに希望を託して微動だにしない日。
腫れは継続。痛みで覚める断続的な睡眠を終えて朝一地元の歯医者に。
化膿はないが炎症してる、とのことでしっかり消毒清掃してもらい、追加の抗生剤をもらいました。
その後、午後にはあれ?痛くない!と思えるほど急に回復。時間が経つにつれ少しずつ腫れも引いてきた。
夜寝ようとしたら抜歯箇所が少し疼くのと同時に猛烈にかゆい!痛み止めで飲んで就寝。
腫れはさらに軽減。少し頬がアザっぽく色がついてきた。
痛み止めは飲まなくてもほぼ大丈夫。夕方頃疼いたので一度だけ飲みました。
夜にはまた痒くなってきた…
ほぼほぼ回復。おっかなびっくりなので食事や歯磨きに神経使うけど、
通常生活に戻れるかなという感じです。
痛みもかゆみも治まりつつあるなか、口開かないのがわずらわしくなります。
麻酔もなく痛みもそんなない(ちょっとはある)のがほんと謎。ずるって抜くんじゃないのかな…。
ご飯類は事前に用意しといたほうがいいです。と、仕事、学校などはある程度休める状態でやったほうがいい。
私の場合は3日目がピークだったので人によって山場はずれるが概ねキツイのは1日だけっぽいです。
抜歯前に2,3個用意しておく。
上に同じ
上に同じ
お湯をかけるタイプのやつ。私はアマノフーズファンなので色々試してちょっと楽しかった。
すする
すする。
すする。
試す機会がなかったのですが、湯豆腐的なものを色んな味で作るのもいいかも。
細かくちぎってボウルにいれてすりこぎ棒で潰す。
ヨーグルトいれても。そしてすする。
なかなか自分のSNSでは書きづらいことなので、増田で書いてみました。
生々しい話なのでご注意下さい。
月経カップは、医療用シリコンなどでできていて、膣の中に入れて使う生理用品です。
私は使い始めて2年くらい。
使い始めた理由は、人の家に行ったり、男女共用のトイレを使ったりする機会が多くて、使用済み生理用品の処分に困る場面が多かったことです。
最初はおっかなびっくり使い始めましたが、一度使い始めると手放せなくなり、毎月使っています。
(もともとタンポンも使用してましたが、タンポンはアプリケーターがついていて膣内に直接触れる必要はないので、膣に手を入れないと装着できないカップは、慣れないうちは少し苦労しました。出す時もコツがいるので、最初は家の中で使い、外出時に使うのは慣れてからにするのがおすすめです。)
最大12時間入れっぱなしにできると説明書には書いてありますが、私の場合は多い日で4時間程度でいっぱいになります。
交換は、トイレでカップに溜まった経血を捨てて、ペーパーでカップの血液を拭き取り、水道が使えればさっと洗って、またカップを装着します。
ちなみに、カップがいっぱいになると、中身が溢れるのが感覚でわかります(カップの上部に小さな穴があり、一定量溜まるとそこから漏れる仕組み)。
【使ってみて良かったところ】
基本的に経血はカップの中に溜まるので、ナプキンはあまり汚れません。
交換時に外陰部に血液が付いたり、交換タイミングを逃して溢れてしまうこともあるので、多い日は軽い日用のナプキン、少ない日はライナーと併用しています。
この辺はIライン脱毛しているかとか、好みで、ナプキンやライナーを使わず、下着だけで使っている人もいるみたいですね(ネットで読んだ)。
血液がナプキンにつかなかったとしても、1日中同じナプキンで過ごすのは衛生上悪いと思うので、適当なタイミングで交換してます。
よって、ナプキンなどの使用量はゼロにはなりませんが、厚手のナプキンは必要なくなるし、使用量も減ります。
エコだし、節約にもなるし、生理用品を買ったり、ゴミを捨てたりする手間が減るのはかなり快適です。
最大12時間交換しなくてOKなので、ピーク時以外は朝から夜まで交換しなくても大丈夫です。
外出中にナプキン交換するのっていろいろと面倒なので、これはかなり助かります。
ただ前述したとおり、私はピーク時は4時間に1回くらいは交換しないとダメで、その点についてはタンポンとあまり変わらないかも。
2〜3日目のピーク時以外が、カップが最も真価を発揮する時だと個人的には思います。
カップ自体に多い日用のタンポンくらいの許容量があるし、正しく装着すればズレることもないし、カップとナプキンを併用すれば、漏れの可能性はかなり減ります。
公共の入浴施設やプールでの使用が衛生上どうなのかはわからないのですが、自宅の風呂ならOKだと思います。
装着した状態で湯船に入って、カップの中にお湯が入ったことはないです。
・においが減る
【悪い点】
・交換時の手間
膣に指先を入れてカップを出して、綺麗にしてまた装着するので、手が血で汚れます。
慣れてきて上手くやれば、汚れるのは利き手の親指と人指し指だけで済みますが、慣れないときや量が多いときは、もっと手が汚れてしまうこともあります。
あと自宅の場合、トイレのそばに水道があるので、その場で簡単に洗ってまた装着することができるけど、外出時は水道がないことが多いので、トイレットペーパーで拭くだけでまた装着していて、ちょっと衛生面が気になってます(今のところ特に健康に影響はなし)。
ネットでは、使い捨ての手袋を用意して手が汚れないようにしたり、除菌のおしりふきでカップを拭いてから挿入する人もいると読みましたが、せっかくカップで楽しようとしているのに、新たな手間が増えるのはちょっとな、という感じ。
なので、今後は多い日の外出時はタンポンを使って、それ以外を月経カップにしようかなと検討中。
総じてメリットのほうが多いと感じてますが、デメリットもありますね。
どなたかの参考になれば嬉しいです。
22歳、処女。タンポン初使用。タイトルそのまんまの内容、それ以上でもそれ以下でもないよ。しかも長い でも前半自分語りなので感想は×から下だよ
生理って本当に人それぞれの症状があって、ケロっとした顔で平生と変わらない生活する人もいれば、会社学校休んでベッドで微動だにせず顔面蒼白で部屋⇆トイレの往復してたら1日を終える人もいる。自分は後者。頭痛腹痛吐き気貧血食欲減退苛立ち筋肉痛、症状の満漢全席。最高です。
歳を重ねるごとに症状が悪化している。
×
社会人になる前にタンポンデビューをしよう!これが1時間前の私。結果から言うとデビュー失敗したよ、ごめんね私・・・。
まずどこに入れるのかわからない。義務教育から学んでるので、何がどこにあるかは知っている。でもわからん。そもそも入れるのにベストとされる中腰態勢がキツい。生理中は筋肉痛に加え痛みと弛緩で足腰ガタガタなんだよな、中腰になると足ぶるぶる震える。日頃の運動不足も祟っている。頭痛と吐き気と目眩で手元も意識もおぼつかない。そんな時にデビューしようとすな。生理中の人間の思考回路最悪。今も真っ最中だけど。
とりあえずタンポンをここら辺だろうと目処つけたあたりに当てたら違ったようで、激痛。まずここで泣いた。世の中の女性達みんな膣に指突っ込んだ経験ある?私はない。なのでおっかなびっくりゆっくりまさぐってみる。痛みしかない。初めて親知らず抜いた日、麻酔がとけてきた患部をじかに指で触った時に近い痛み。空気椅子が出来ないので膝立ちになる。情けない。
手当たり次第総当たりの甲斐あって中指が根元まで入った。これが今回1番の成果です。ここに至るまで22年、長かった。やっとこの痛みから解放されるんだとまた泣いた。目的と手段が滅裂。タンポンを同じように押し進める。入らない。痛い。拷問か?
みんな忘れがちなんだけど指って、関節があるから曲げられるんだよね。タンポンはプラスチックの筒だから曲がらない。タンポンは指のように体に合わせてうねらない。同じ道を辿れない。完。
いや入るはずなんだ。中指まで入るなら入るだろなんで入らないんだよいや私が知りたいわ。
情けなさで泣いた。ここまでに1時間くらいかかってる。吐き気我慢できなくて結局吐いた。浴室でやっててよかった。
引き抜いた中指が真っ赤で本当にここから血が出てるんだなーと思った。現実逃避すな。
よく考えてみれば中に入ったらカバー引き抜くだけだからあと一歩なんだよね。1日であと一歩まで行けたのすごくないか?天才じゃんね。それはそれとしていい加減毎月1週間紙オムツする生活やめたい。もうすぐ10年経つぞ紙オムツ生活。あと30ねんは続くのマジで言ってんの?
紙ナプキン費用だって馬鹿にならないしまず貼り替えるためトイレに移動する力が無い。できるだけ立つ座るの動作を減らしたい。横移動はいいが縦移動は5倍くらいキツイ。んだけどデビュー失敗したので明日もベッドとトイレの往復確定。
とりあえず本懐を遂げることなく人生終えたタンポンに合掌。意識朦朧とする中やろうとした私が悪いだけで、ふつうに中指根元まで入ったしタンポンに処女関係無いな。次のタンポンはきっとうまくやるでしょう。今回の私は完璧で幸福ですと言える日を夢見て寝ます。みんなもよきタンポンライフを!
うちの実家には親父の雀牌があった。
しかし、私が知る限りその雀牌で麻雀が打たれたことはない。子供の頃はその理由がわからなかった。
私もある程度大人になり、ネット麻雀を通じて麻雀を覚えた。私が麻雀を覚えたことを知った友人たちは時々私を麻雀に誘うようになった。
友人同士の麻雀でお金をかけることはなかった。ネット麻雀で覚えた私は、牌の配り方や取り方、王牌の作り方などを教わりながら、聴牌しても自分で判断しなければならないリアル麻雀におっかなびっくりしていた。しかし、友人の家にある雀牌を見て、うちの雀牌はちょっと凄いのかもしれないと思うようになった。
まず、実家のは背面が竹でできている。そして、全体的に角が削れている。これはあらかじめそういう形ではなかったことが明白である。なぜならその雀牌には花牌という普通の麻雀では使わない牌も付いており、その花牌と他の牌では角の丸みに明らかな差があるのだ。これはプラスチック製では現れない使い込まれ方だ。
これ、もしかして今は手に入らない象牙製なのかな?と思って、ある日親父に訊いてみた。親父は笑って、「そんな高級品うちにはねーよ」といっていたが、実際どうなのかはわからない。
重ねて親父に訊いてみた。「なんで今は麻雀しないの?」そしたら答えはすぐに帰ってきた。「もう面子がいないからなぁ」と。そんな寂しい理由でもうこの雀牌は使われないのだろうか、そう思ったらつい、じゃあうちに友達呼んでこの雀牌使ってもいい?なんて訊いてしまった。が、ダメだとあっさり言われてしまった。その答えにブーイングをしたら、親父は笑って言った。「その雀牌、ガン牌ができるからな」
雀牌をよく見ると背面の竹と本体の接合部分が割れていて、接着剤で修正されているものが多い。確かにこれは少し頑張れば簡単にガン牌ができてしまうだろう。
そうか、もうこれでこの雀牌はお役御免なわけだ。だから子供が上海で遊ぶくらいのことにしか使われていないのか。子供の頃からの疑問に納得がいった。
今度は父が私に話しかけてきた。ネット麻雀で覚えたんだよ、と答えて私がよく麻雀を打ちに行くサイトを教えると、そうか、じゃあ俺もやってみるかな、と、父がたどたどしい手つきでパソコンに向かい始めた。
そして色々教えた結果、父は私が普段居座るのとは違う、喰いタン赤牌なしの部屋に落ち着いた。父が言うには喰いタンは邪道だそうだ。
この二人の空手の動画を見て、川村さんに共感するという声がしばしば聞こえる。それは別に良い。
ただ周りが笑っているのは川村さんが不細工だからではないことは知っておいてほしい(川村さんの顔や表情が笑いの足しになっているのは否定しない)
動画を良く見よ。川村さんは、打ち返してこない相手にビビって腰が引けている。おっかなびっくりに打ったと思えば、終始「怖い」と嘆いている。打つ前から気持ちが負けている。いやだいやだと消極的だ。状況から逃げたくて堪らない。
一方の滝沢カレンさんはどうだろうか。最初からしっかりと打とうとしている。前に行って、競技に積極的に参加している。手数も多く、嘆かず、実直だ。どちらも同じように素人なりの柔柔な打ち方をだが、しかし、違いは一目瞭然である。これは滝沢カレンが美人だからそう見えるのではないのだ。
それが終わって川村さんの号泣である。もうそれだけでも十分に面白いが、男性陣に叱咤されたのが「不細工だから」と勘違いしているのが、ことさらに面白いのだ。違う。そうじゃない。臆病だからだ。男性陣は、特にノブコブは終始励ましていたのだが、それが叱咤に聞こえたのだ。
興奮している時というのは自分の体や動きを客観視しにくいものだ。だから滝沢カレンさんとの差を、川村さんは認識できなかったのだろうと思う。自分も彼女と同じようにしていると思ったのかもしれない。それで男性陣が滝沢カレンに肩入れしているものだと思ったのだろう。その乖離が、余計に滑稽なのだ
昔、https://anond.hatelabo.jp/20171018210551というのを書いた。
前記事のタイトルをDTにしてたのは若干盛った感があって反省しているのだが、
当時の経緯とかを書いてみる。
「とりあえず、童貞だけでも卒業したら余裕出来るんじゃないか? 俺も付き合うから」
その友人は風俗常連だったので、はたしてどこまで俺のためだったのかは不明。
ただ、半ば自暴自棄の自己嫌悪に陥っていた自分は、荒療治でも自分を変えられるならと、チャレンジする事を決意した。
嬢にこだわりはなかった上、すごいかわいい!みたいな人もいなかったので、適当に選んだ。(写真詐欺だろどうせ、と斜に構えていたのもあった)
友人に連れられ店へ行き、待合室で名前をよばれた。
部屋に入ってベッドに座ってすぐ
「初風俗、というか、実は彼女居ない歴=年齢の童貞で いい加減自分を変えたいと思っている。
正直sexのやり方もよく分かってないので、変なとこあったら教えてほしい」
と伝えた。
向こうは「え?それあたしでいいの?」みたいな反応だったが、
さすがプロ。
(今思うと、そこで険悪にするメリットないし、そういう場所の時点でキモも引くも今更だった気もするが、当時の俺は安心した)
あとはおっかなびっくり事に及んで、早々に果てた。
最中は想像より気持ち良さはなく、ちゃんと射精できるかのほうが不安だった。
その後は嬢と身の上話をして終わった。
否定するでも肯定するでもなく聞いてくれて、なんか楽になった。
これは後になって気づいたことだが、
というのは、決まった相手がいる場合の美徳であって、独り身の時のアピールポイントにはあまりならない。
相手がいない以上、何も出来ないのか、出来るけどあえてしないのか、区別が付かないのだ。
(ちなみに、付き合ったり結婚したりしたら、ちゃんと評価ポイントになったので、価値がない、というより、独り身のうちは価値がない、という意味)
「俺は真面目なんだ。いつか報われる。」
日頃から彼氏の話を聞いていたし、いずれは結婚するんだろうなとは思っていた。でも、寂しくてしょうがない。正直言って妬ましい。
私はレズビアンではないが、先に結婚したことに対する嫉妬ではなく「10数年間付き合ってる私の方が彼女をよく知っているのに」という彼氏に対する嫉妬が胸を渦巻いてしょうがない。
同じバイトに申し込もうとして2人でおっかなびっくり店長らしき人に声をかけた日のこと、免許合宿に行って2週間、お互いを励ましながら免許を取ったこと、大学生の時ポケモンのバージョン違いを買って、公園のベンチで暑い中何時間もいい歳して遊んでクスクス笑いあったあの日のこと。
朝の10時から待ち合わせて遊んでも、何時間でも話していられた。1日中遊んだのに別れがたくて深夜まで公園のベンチで話して、別れた後もLINEで寝るまで馬鹿な話をしていた。お互い働いていても、毎週2回は会っていた。