はてなキーワード: dtmとは
京都大学に進学してから、何にも目標を持たずに、シューティングゲームにのめり込み、思い出したかのようにDTMをやり、それが生き甲斐であるかのように自身に思い込ませながら生きてきた僕ですが、ここ京都大学にやってきてから3度目の春を迎え、また違った感情を抱くに至ったので、これまでの人生への懺悔も兼ねてここに記しておきたいと思います。書いてはみたものの、恥ずかしくて特に見返したりもしない雑文となることをお許しください。
僕が京都大学に進学しようと思ったのは、高校3年生の時だった。親族に会う序でに京都へ観光に行き、銀閣寺など見物したそのまた序でに、京都大学へ足を運んだのだった。
そこで僕が目にしたのは、混沌と洗練が入り混じった新鮮な光景だった。
立て看板はどれも、その存在自体がお手本となりうるようなものではなかったが、ベニヤ板に塗られた厚さ数ミリもないような塗料から感じられる深い熱意に、この大学の学生が持ちうる矜持のようなものを自然と感じ取っていた。
そんな単純な理由から受験し、何とか合格を得て入学した。真新しいスーツに身を包んだ出来立てほやほやの京大生達と、入学式、ガイダンス、授業を経て交流した。人生の中でも最高に刺激的な春だったと思う。
交流を重ねるごとに自ずと分かることだが、実際の京都大学生皆が独特の熱意を抱えているわけではなかった。その多くは、勉強が出来たから、学問への熱意があったから、親が教育熱心だったから、そこにいるのだった。
さらに言えば、京都大学理学部では、3回生次に振り分けがあり、それまでは学生として勉強をやりつつ自身の学問的興味の対象を絞っていかねばならなかった。
元々真面目に勉強をやるようなタイプではなかった僕は、秋あたりから、徐々に学校に行くことをやめてしまった。行かなくたって単位くらい取れるというちょっとした甘えのつもりだった。でもそんなことの積み重ねが、毎日授業に出ているクラスメイトと顔を合わせることへの罪悪感、恐怖心へと変わり、ついには眩しい大学生達に紛れること自体への恐怖心に成長してしまった。
朝起きて、時計を見る。そろそろ行かなきゃな…とは思う。う~ん、今から風呂入って行くのしんどいな…とも思う。今日くらいいっか…。といった調子に、クズ人間をやっていた。
そんなこんなで、無い能力に甘え、拾える単位すら落とし、どんどん自分の進路を狭めてしまった僕は、「せめて毎日大学に行っていれば」という自責の念と、「やっぱ自分に大学生なんて向いていないんだよ」という開き直った感情のどちらも捨てきれないまま、2度目の春を迎えてしまった。
葛藤はあったものの、そんな堕落した生活を覆すことは出来ず、状況は悪化していくばかりで、2回生は家からも出ないような生活が続いた。それは自暴自棄のようでもあったが、ただ将来のことを考えていないだけというのが正しそうだった。それでも、決して裕福ではないのに、「教育は財産」と金銭面を負担してくれている親に対する罪悪感は常にあった。連絡を取るのもしんどくなっていった。一方で、知り合いに対しては、自身の生き方と辻褄を合わせるかのように開き直って、人間性を疑われてもおかしくないような言動を繰り返した。
しかしそんな生活にも必然というか幸いというか、終わりは来る。2回生後期も終わり頃というころ、僕はこれ以上、親にも、そして将来の自分にも甘えることが出来なくなった。
親の元に単位数不足の通知が行って、親と担任を交えた三者面談をやったのだ。
そこで、自分のこれまで2年間の過ちについてすべてを話した。それだけなのに、あれだけ怖くて見ることさえ出来なかった京大の学生用サイト(KULASIS)も見ることが出来た。最後の数週間ではあったが授業に出た。人と同じ、当たり前のことをすることの清々しさといったらなかった。そして、罪悪感に埋もれていた、僕の周りのすべての人に対する、申し訳ないという気持ちを取り戻した。
丸々一年大学に行っていない自分に学生をやる能力が残っているか、まだまだ不安はあったものの、ようやく谷底から抜け出せたと思えた3回目の春だった。
この2年間、僕という存在そのものを批判されても文句は言えない甘えた生き方をしてしまった。たった2年で、僕は自分のこれまでの人生を否定してしまった。
私は、名もなき1人のオタクである。最近ある悩みで苦しんでいるので、整理するためにここへ記そうと思う。長いぞ。
私は普段、アニメ、イラスト、漫画、ノベル、ゲーム、音楽、動画、等など様々なオタク的コンテンツを楽しんでいる。が、それらを自分で作ることが出来ないのだ。当たり前のことのように思うかもしれないが、私はそこに強いコンプレックスを感じている。
コンテンツには絶対に作り手がいる。そりゃそうだ。作る人がいなければ、何も生まれない。
さらに、オタクの世界には「ファンアート(二次創作)」という文化がある。自分はこれが好きですよ、とハマっている作品のキャラクターを描いたり、そのキャラの登場する小説を書いたり、動画を作ったりすることだ。オタクをしていると、それらを目にする機会がとても多い。上手い下手はともかく、全てのオタクが何らかの創作活動をしているのではないかと思ってしまう程度には多い。オタクは、オタクが生み出したものを目にする機会が途轍もなく多いのだ。
だが私は、絵も満足に描けなければ、小説も書けないし、音楽が作れるわけでもないし、何も生み出せない生産性のないオタクだ。
自分なりに考えてみた。
魅力的なコンテンツがあって、それを好きなオタクのコミュニティがあって、そのコミュニティは大抵絵や小説が描/書ける人間で構成されていた。少なくとも私の周りではそうだった。(オタク友達を求めて入った部活が美術部や文芸部だったからね)
生産が出来なければ、オタクの輪にはまず入れない。友達ができない。
私もオタクであるはずなのに、何一つ生み出すことが出来ない。ただ消費するだけの存在。世の人々(私の目に映るオタクたち)が当たり前のようにやっていること(創作活動)が、私にはできない。技術力も、才能もない。今更頑張る勇気もない。
素晴らしいものを見て、聴いて、私も同じことが出来たらどんなに素敵だろうかと夢想するだけの日々だ。
絵を描いたり、小説を書いたり、音楽を作れたり、動画を作れたり、立体物を作れたり、作品の考察を発表したり、そういう生産者側への憧れが非常に強く、消費するだけのオタクに価値はないと本気で考えているのに、どこまで行っても結局消費者でしかない不甲斐ない自分。
最近ではどんなに良い創作物を見ても、罪悪感と劣等感ばかりが己の中に積もり、楽しめない。
コンテンツに深くハマっていくほどその裏にある作者の存在を意識せざるを得なくなる。生産者の才能への嫉妬、生産の努力すらしようとしない自分への苛立ち。
だんだんと、オタクコンテンツを見ること自体がしんどくなる。しかし私の趣味はそれしかない。
幼い頃からパンピの持て囃す流行のアーティスト、アイドル、ドラマ、スポーツetc…には唾を吐いて生きてきたのだ。今更手のひらを返して推すことはできない。
こんな私だが、創作的な活動をしてみたいと手を出したことはある。
漫画を初めて読んだ小学3年生の頃から絵は描き続けているし、ライトノベルにハマった高学年の頃から数年間小説の執筆にトライもした。
ボカロが流行っていた中学時代、楽曲制作に憧れてギターやピアノを始めた。DTMの勉強もそれなりにした。
MMD等のCG動画にハマった頃は動画も作ってみたし、3Dキャラクターのモデリングにも挑戦した。
拙いシステムとクソみたいなシナリオとゴミのような立ち絵で、自作のゲームを作ったことだってあるのだ。
しかし何一つ、満足に完成させることはできなかった。自分で納得のできるものは作れなかった。納得ができるクオリティになるまで粘り強く努力をするだけの忍耐力もなかった。
軽率に何かに挑戦し、すぐに諦めるダメな自分。結局無産な凡人のまま。
才能のある人が羨ましいと喚きながら、努力をしない自分から目を背け続けている。
オタクとして生きていくのがつらい。でもオタク以外の生き方を知らない。オタクっぽくない話はできない。
絵描きは絵描きしか相手にしないという話が一時期Twitterで話題になったように、生産者でなければオタク友達はできないように思う。(大抵のオタクは創作活動をしているという前提)(その前提が間違っている可能性には気がつかないふりをしている)
この状況を打開できる策はまだ思いついていない。
なにもかも諦めて消費者として一生を終えるしかないんだろうか?
どうなんだろうね。
ちなみに今私はバーチャルYouTuberにハマっている。
好きになったものに軽々しく手を出す癖だけは治らないので、自分で描いた立ち絵を動かして、ボイチェンを使って美少女ライバーごっこをしようとしている。
でも最近は思うところがあって、長くて恥ずかしいからここに吐き出す。
誰かが使い古した物を、家にいれるなんて信じられない。
私は物には思い出や気持ちがつまるもんだと、本気で信じている気持ち悪い人間なので、誰かの思い出がつまった中古が気持ち悪い。
中古の品をみると、元の持ち主の顔を想像してしまう。どんな人生を送っていたのか考えてしまう。
そんな私がリサイクルショップで働いてしまった。家から近くて通うのが楽だから、とかいうダラけた理由で。
自分の思い出や人生がつまったものを、いらないからと売りに来るのだ。そして誰かが私の過去がつまったものをまた使用する。それが私にはゾッとするのだった。
機材なんて、一番思い出のつまるものだろう。
売られた機材たちの寂しそうな顔が悲しくて、せめて誰かの目に留まりやすいようにと、私はDTM機材コーナーの整理整頓は丁寧にやっていた。
お喋りなおじさんで、レジをしていた私に「家に色ちがいのER-1がいて、その子の友達にする」と話してくれた。
このEA-1は元の持ち主にいらないと言われて売られたのに、この日、色ちがいのER-1と名前をつけてくれる素敵なおじさんに出会えた。なんて素晴らしいだろう。映画みたいだ。
EA-1に名前をつけるような優しく面白いおじさんに育ててくれた親にも、なぜか感謝してしまった。
ほかにも、私が持っているCS1xと同じものが売られて店頭に出ていた時期があった。
私のは私の家で幸せに暮らしているのに、どうしてこの子はこんな目に……と思って悲しくて心のなかで泣いていた。
でもそのCS1xにも、新しい人生がやって来た。この間、おじさんに買われていったのだ。
レジをしながらCS1xに向かって「おまえ!!! 幸せになるんだぞ……!!!!!!!」と心のなかで祝福をした。
シンセだけじゃない。サンプラーのコーナーを整理していて、誰からも忘れられたように奥に追いやられていた小さなSU10が出てきた。
かわいそうに、と思って一番目立つところに置いておいた。
SU10はその日に売れた。
驚いた。しかも目立つところに置いてから30分くらいで売れたと思う。早すぎた。
SU10がこの世から忘れられていた時間からすれば、秒での出世だと思う。
私がその日、サンプラーのコーナーを整理しなければ、おじさんとも出会うこともなく、SU10は廃棄の運命だったかもしれない。なんだか恋のキューピットになった気分だった。
捨てられた機材たちが第二の人生を歩める姿を見届けられるというのは、単純に嬉しいと思う。
次に来たときに買おうと思っていても、残ってるとは限らない。
お客様に、昨日はあったのになぜ今日はないんだ! と言われたことがある。単純に売れた。誰かおじさんが買ったんだ。
それくらい早く、一瞬のタイミングがズレるともう二度と出会えない、そんな場所なんだ。
私は最近、機材と人が出会えた一瞬のタイミングが素敵だな、と思うようにもなってきた。
嫌いだったリサイクルショップでこんなこと思うなんて自分でもビックリしてる。
そんな中古嫌いの私もついに、自分のリサイクルショップで長い間忘れられていたQ-80EXを買ってしまった。
誰かに買ってもらいたくて、結構目立つところに置き続けていたけど、このQ-80EXは運命の人に出会えなかったらしい。
明らかに一般人が見ても犯罪だろっていうのを裁判所が無罪にする。
地検すら狂っていて不起訴にする。犯罪しても大手を振って街を歩けるとか、おかしい。
SNSでは、バカな子供がバカな行為でバカな炎上を起こして店を潰す行為を公開する。
挙げ句にバカな子供は就職ができないようになった、家から出るのが怖いなどと自業自得なのに被害者ぶる。
おめーが起こしたことなのに被害者ぶってんじゃねえよ。損害だした分、人生全部使って償え。
いじめ問題では、相変わらず学校が隠蔽。校長が知らないってのは報告されてないからわからんという理由なら分かる。
担任がだんまりしてたらわからんし、それは担任が悪い。が、発覚しても的確な対応をしない校長教頭は論外。これは相変わらず。
教委も仲間という有様は、学校の汚れ具合がよく分かる。大掃除の日はまず教職者と教委を掃除するべきじゃねえかなー。
煽り運転は、あんだけニュースになっても止めない阿呆が増え、録画されていても逆ギレして煽る煽る。
捕まったら今度はあれこれ言い訳と屁理屈を並べて、納得いかねーと切れてて意味わからん。
なんで車間距離詰めんの?なんで二車線で並んで走行するの?なんでガラス越しに唾飛ばしてわめいてんの?
爺婆の逆走やら信じられない運転。亡くなる人もいたりするのに爺婆は罪悪を感じず、
車の調子が悪かったやら、ブレーキとアクセルを踏み間違えた「だけ」と言い張る。
つーか、どうしたら地下道に飛び込んだ挙げ句に駐車場はこっちだと思ったなんて言い訳できんだよ。
相撲界も汚れた内部がよく分かったな。貴乃花の行動は先走りすぎていたが、それに対しての相撲協会は糞だった。
つーか、相撲部屋で何を偉そうにポケットに手を突っ込んであれこれ言ってんの。
NHKもそう。映らないで良いのに無理やり映して金巻き上げようとする行為は、もはや8○3レベル。
TV無いって言ってんだろ、iPhoneにチューナー付いてねえよ。なんでベランダから人の家覗いてんだよ。
JASRAC。相変わらずの搾取搾取。歌詞の一部がSNSで流れましたので金巻き上げます根性は、ホントすげえ。
ワード一文ですら巻き上げようとするのがカスラックらしい行為。
俺も一ヶ月前まで知らなかったんだけど今年は眉村ちあきがどんどん有名になって多分年末に日本の芸能界とか音楽業界の動向に多少興味のある人なら大体知ってる存在になるだろう。
肩書きは「弾き語りトラックメイカーアイドル」で、作詞作曲して打ち込みもしてアイドルとしてライブやってる女の子なんだけど、強みは①楽曲が個性的かつキャッチーでDTMの技術的なところをどっかで学べば楽曲提供だけでもプロとしてやっていけそう、②歌がすごく上手くてなんかカバーばっかやるディーバ的歌手として歌唱力だけでもプロでやっていけそう、③言動がすごく面白いのでタレントとしてだけでもプロでやっていけそう、という単体で十分なスキルや魅力が3つも備わっているところ。
まあYouTubeでいくつかのミュージックビデオと、ファンが上げてるライブ映像(ライブは基本的に自由に撮ってアップしていいらしい)を見れば大体わかってもらえると思う。
ピッコロ虫
多分眉村ちあきがアイドル界を席巻することで、「あれ、これからのアイドルって作詞作曲して歌もめちゃくちゃ上手くないとだめなの?」みたいなショックを受けるアイドル志望者も出るかもしれない。そのくらい規格外な存在だと思う。
あとアイドルって結構握手会とか嫌々やってる人も多いと思うけど、眉村ちあきは休みの日にファンを呼び出して公園で遊んだりするくらいある種のワーカホリックというかアイドル活動が好きみたいなのでその辺も世間に衝撃を与えるのではないか。というかこのままメジャーになるとそのうち人が集まりすぎたりしてトラブルが発生しそうで心配。
自分で会社を作ってファンを株主にしたりっていう活動も目新しい感じだけど、そういう仕掛けを抜きにしても独自の発想と才能でビッグになろうという起業家精神を感じるのでその辺ははてな受けが良いと思う。今のところ眉村ちあきの名前をホッテントリで見かけないのが逆に不思議なくらいだ。
メジャーレーベルと契約したのでこれからどんどんメディアの露出が増えるから別に俺が増田に書かなくても売れると思うけどどうせならそうやって売れる前にファンななったほうが観てて面白いと思うんだよね。
というわけでアーリーアダプター(死語)なはてなーは是非眉村ちあきをチェックして、30曲入ってるアルバム「ぎっしり歯ぐき」を買おう!
作れる音楽は色々あるよな。
バンドやオーケストラのサウンドも作れるが、それに面白みがあるかと言われると微妙だ。
初音ミクとかは、ちょっと古いかもだけど、DTM的ではあると思う。
マニアックだけど、抽象的な音楽とかも作ると楽しいよ。参考リンクを貼ってみる。
https://www.youtube.com/watch?v=ZyI64UVWNps&t=183s
https://www.youtube.com/watch?v=aVAjgnE7mcM
https://www.youtube.com/watch?v=WI4-HUn8dFc
https://www.youtube.com/watch?v=SqayDnQ2wmw
アマチュア無線やFM放送によって法律に違反した電波帯利用、強度電波によって放送される無許可ラジオ。
当然ながらバレると摘発され罰金刑を貰うが、無線局の運営者が学生だったりすると注意だけで済むことがある。
アマチュア無線をやっていると「ラジオやったら面白いんじゃね?」と発想しやすいため(未成年なら尚更)、アマチュア無線全盛期ではかなり問題になった。
ただし、地域のアマチュア無線コミュニティが大抵は遵法派が多いので、地域のアマチュア無線コミュニティメンバーから摘発される前に無線上で注意することが少なくない。
クロスベアリング法などによって不法無線局(≒自宅)は簡単に割り出されるので、法律は守ったほうが良い。
この件で代表的なものは「FM西東京事件」が有名。運営者は大学生だった。
超極狭エリアでのみ受信できるFM放送で、実際のところコチラがサブカル放送のメイン。
大半が音楽を垂れ流すミュージック系ラジオであったが、普段は音楽を流しつつ、番組表を作りトーク系ラジオもやるという局もあった。
リスナーからのメッセージは郵便局に私書箱を設置して受け付けるスタイルがほとんど。
稀に地域のアマチュア無線おじさんがやる気を出し地域のイベントで情報提供を行う目的でラジオ放送したりするのに使われたこともある。
この特性から同人誌即売会などでもミニFMは限定的に開設されることも多々ある。コミケ参加者はバッテリ駆動できるFMラジオ受信機を持っていくと新たな楽しみが増えるかも知れない。
長らく個人によるサブカルメディア放送はミニFMが主要なプラットフォームであったが、ブロードバンドの登場によりミニFMからインターネットを通じて放送するPodcastへ移行する者が増えた。
WMAやMP3で収録し配信するスタイルは非常に気軽で様々なPodcastチャンネルが生まれたが、Podcastブームの煽りを受けてあまりにもPodcastチャンネルが生まれすぎて混沌と化す。
そして同時に今までリアルタイム放送をしていた者達からするとPodcastの感覚が掴めない、配信する環境を整えられないという欠点が存在していたので、Podcastにリスナーを取られたミニFM局が終了するなどが相次いだ(ミニFMの終焉の原因がPodcastかは不明)。
Podcastは全盛期よりもリスナーが減ったとは言え、幾度かの転換点を迎えて今日も続いている。
ブロードバンドの進化のお陰でリアルタイム配信が可能となったことで誕生した音声配信サービス。
日本では「らじおちゃんねる(後のねとらじ)」がブームとなり認知度が上がり、更にTVワイドショーで紹介され一部の一般人にすら認知されるようになった。
2ちゃんねるの実況板文化から派生したインターネットラジオを介した声によるTV放送実況は文字ベースの実況からの1つ転換点だったと言える。
極少数例ではあれど、ゲームを同時に起動してボイスチャットのように利用してMMORPGなどをプレイする用例や、ビジュアルノベルゲームをみんなでプレイするなどの用例もあった。現在で言うゲーム配信に近い。
こちらも全盛期と比較してリスナーは減っているが今日も続いているが、個人的な印象としてPodcastの方がリスナー人口は多いように感じる。
インターネットラジオが登場した頃にはミニFMはほぼ壊滅状態にあり、現在では極々一部の趣味人によってのみ期間限定で運営されていることが多い(有名な老舗もいくつかはある)。
様々なメディアを埋め込みつつ、プログラマブルなプラットフォームとして開発されたシステム。
2ちゃんねるを中心に爆発的流行をし、現在のWebクリエイターの中にはFlashで注目された者も居る。
現在でいうところの「コラボ」も数多く行われ、様々な表現の実験の場となり、今でも参考になる発想が多い。
企業Webサイトでの採用事例も多く、インターネットの一時代を築いたと言っても過言ではない。
現在は惜しまれながらもAdobeのFlashサポートの終了予定発表やHTML5の登場なども合わさり採用はゼロに近いものとなっている。
Youtubeに感化され、2ちゃんねる実況板の影響を取り込んだ動画に文字を表示するスタイルを確立したのがニコニコ動画。
当初は違法動画のアップロードサービスと化して居たが、MAD動画ブームを皮切りにクリエイティビティの発露の場として成立する。
Flashからの移行組も数多くおりニコニコ動画の黎明期を支え、次代にその技術を伝えた。
2ちゃんねるDTM板のVOCALOIDスレでしか注目されていなかったVOCALOIDが初音ミクの登場によりニコニコ動画で再評価され爆発的ブームが起こる。
初期のVOCALOIDは2ちゃんねらー全体で言えば知らない2ちゃんねらーの方が圧倒的に多い状態であり、何ならDTM板住人であってもDTM Magazine読者くらいしか知らないレベルであった。
更にはMikuMikuDance(MMD)の登場により、Flash時代ではマシン性能の兼ね合いで難しかった個人による3D表現が本格化。
現在のVtuberに近いMicrosoft Kinectとの連携によってMMDモデルを動かす試みなどが始まる。
そしてニコ生がリリースされるとリアルタイムゲーム実況が確立され、現在のYoutube LiveやTwitchの萌芽とも言える状態だった。
一部では現在でいうところのVLOGを投稿する者もおり、様々な試みがなされた。
しかし運営側の迷走の伴いサービスのコンセプトや品質が陳腐化し、対応が後手になってしまいユーザが離れるという事態に陥った。
現在ではユーザ目線での改善に力を入れているらしく今後どうなるかが注目される。
そして現在、個人によるサブカルメディア放送はYoutubeがメインのプラットフォームへとなっている。
特徴的なのがニコニコ動画では登録者すべてがいわゆるニコ厨と呼ばれていたのだが、Youtubeでは動画投稿者がYoutuberで視聴者がリスナーと呼ばれている点である。
ニコニコ動画からコンテンツをそのまま移行したYoutuberも数多いが、元々ニコニコ動画へ投稿していた者は実写系が少ないという特徴がある(一部例外も居る)。
ニコニコ動画が自らコケたという部分もあるが、堅実に強化とユーザビリティの向上に努めたYoutubeは日本のサブカル層も無視できなくなり、今日のYoutube人気を決定付けた。
ニコニコ動画時代では少なかった顔出し実写系動画が増えたり、マシン性能の向上によって実現を果たしたVtuberの登場など個人によるサブカルメディア放送は転換点にあると言って良い。
プラットフォームの移行が発生するかはわからないが、これまで顔出しを拒んできたサブカル層が徐々に顔出しするという動きが昨今では起きている。
日本ではこれまで大手メディアの影響などにより社会全体でのオタク蔑視の時代があったりなど海外に比べてサブカル層は顔出ししにくい環境であったとされてきたが、世代交代が進んできたのかサブカル層の顔出しが起きている。これは良い環境変化だと言える。
この次に何が起きるか?と言えばおそらくは「実名活動・顔出しの敷居がより下がる」程度にしか予測はできないが、様々な選択肢が増えることは歓迎したい。
視点を変えれば旧来のサブカル層が若い世代が持つ印象に救われつつあるわけだが、その若い世代に技術を継承したのは何だかんだで活動を続けてきた旧来のサブカル層なので、今後とも持ちつ持たれつという関係を築けていけたらなと思う。
そして続けて現れる今の若いサブカル層の技術を継承した次代・次々代の子たちがどんな風にクリエイティビティを発揮するか楽しみでならない。
昔から診断系・占い本などを複数やったり読んだりしても、確実に一つだけ絶対に言われるブレない要素がある。
何十年経ってもこの芸術性に関しては書かれている。
なんなのだ芸術性とは。別に絵は上手くないし、小説は趣味でたまに短いの書いているが、素人の文章丸出しでとても売れる内容とも思えない。
音楽は色々なジャンル好きだけど歌は下手だし、楽器もリコーダー以外触ったことない。
DTM等でちょっとしたBGMでも作ってみたいなとは考えるが、それで食おうだなんて考えもしない。
映画や落語は好きだが、作り手・語り手方面に関しては興味はない。料理は出来るが、レシピ通りに作れるだけ。
デザイン方面も何かアイデアがあるワケでもない。カメラも多少構図や露出などは気にかけるが、プロを目指すだなんてとんでもない。
何故私の結果だけこうも芸術性に関してはブレずに言われ続けるのか。自分が当てはまる結果以外をみても、それぞれ違うことが書かれているのに。
多かれ少なかれバーナム効果の可能性もあるだろうし、なんなら、はてな民がこういう占い関係に関しては否定的なのは分かっている。
https://anond.hatelabo.jp/20180923171114
上のエントリを書いた者である。DTMはパソコンさえあれば始めるのにお金はそんなにかからないし、頭を使っている感じがして生きている実感が湧くし、作品として形が残るし、趣味として結構優秀なのではないかと思っている。
この話は「素人が自己満足のアルバム3枚を作った話」であり、間違っても「素人がDTMを始めてプロデビューした話」ではない。とにかく楽しんで何らかの形になるものを作ったということ。プロにすればゴミみたいな作品群だと思うけれど、自分としては満足しているし、人に聴いてもらうと「すごい、よく作ったね」くらいの評価はもらえている。お世辞かもしれないし、そもそも音楽を作ることってかなりハードルが高く思われているから「作った事自体がすごい」ということかもしれない。
音楽的素養はない。ピアノを習っていたわけでもないし、学生時代にギターをやっていたわけでもない。完全なる素人。
ただ、学生時代はいろいろな音楽を聴いていた。CDは最終的に1000枚くらい持っていたのではないかと思う(今は全てパソコンに取り込んで売った)。ジャンルは主に洋楽ロック系が好きだけれど、クラシックから民族音楽から流行りの曲まで分け隔てなく聴いていた。
「自分で曲を作ってみたい」とずっと思ってはいたけれど、何をどうすればできるのかがわからなかったので手を付けていなかった。コードとやらを覚えなくてはならないらしいし、パソコンで何らかのソフトを使わなくてはならないらしい。何より、自分の下手くそな歌を録音するのかー。うーん、ハードルが高いな。と思って時が過ぎていった。
■初めての曲
きっかけというきっかけは特にない。社会人4年目くらいで、仕事に絶望していた時だったと思う。
学生時代の友人の中にいじられキャラの人がいたのだが、突然に「そうだ、あいつの歌を作ろう」と思い付いた。まずはアルバムリリースの特設サイトを作った。もちろんそんなサイトは誰も閲覧しない。単なる自己満足であり「おもしろそう」というのが唯一の動機だった。
で、曲を作り始めた。どこからそんな情熱が湧いてきたのか今でも疑問なのだが、とにかくそれっぽい曲を打ち込みで作った。コードなんてわかんないから適当に音を重ねていった。たくさんの曲を聴いていたのでなんとなくの引き出しは豊富だった。作詞作曲編曲全て自分。歌謡曲みたいな2分くらいの曲ができあがった。
Windowsであった。製作工程はdominoでmidiを打ち込み、SoundEngineで波形編集、audacityでミックスと手間のかかる作り方をしていた。全て手探りなのでそのやり方しかわからなかった。その歌謡曲みたいな曲はUTAUでボーカロイドに歌わせた。1曲作っただけだったが達成感があった。ここまでかかったお金、ゼロ円(もともと持ってたパソコン代除く)。
後に引っ越しを期にMacに乗り換えてGarageBandで作るようになる。
■本格的にDTMを始める
本格的に、と言っても高い機材を買ったりしたわけではない。継続した趣味としてハマったということである。コスパの良い趣味が好きだ。買ったものは下記(Mac除く)。
いまだにこれ以上買っていない。投資額たったの10,000円でかれこれ5年以上遊べている。カラオケ2〜3回分の投資額で数年ものあいだ熱中できるってすごくないか。もちろん、沼にハマるといろいろ欲しくなったりするらしいけど、今のところこれだけでなんとかなっている。
曲作りにおいて苦労した点は特にない。自分が作りたいものを作っているからだ。煮詰まる時とか、アイデアが出てこない時とか、ギターが全然上手に弾けない時とか、歌が下手過ぎてがっかりする時とかあるけれど、全てが楽しくて充実した時間である。
アルバムと言ってもコンセプトがあるわけではないし、誰に頼まれているわけでもない。10曲くらいできたら1枚にまとめる感じ。アートワークとか歌詞カードも作って、自宅のプリンタで印刷する。空のCDケースとブランクのCDを買ってきて、裏ジャケと歌詞カードをはめ込み、CDを焼けば世界でひとつだけのアルバムの出来上がり。
で、再び趣味として曲を淡々と作って、アルバムを作る、というのを3回繰り返していたらアルバムが3枚できていた。
■どんな音楽作ってるの?
もともと洋楽オルタナティブロックが好きということもあってそういうのに寄りがちな作風になってしまう傾向にある。ただ、1曲作り終えると「次は違う感じのを作ろう」と勝手に思っている自分がいる。なので、振り幅は大きいと自分で思っている。最近はEDMみたいなのも作った。
自己満足とは言えど、架空の誰かに聴かせるのを前提に作っている姿勢はある。なので、自分なりにこだわっているつもり。1曲の中で飽きさせないことを最大の目標にしている。まーでも結局は自己満足だな。
■ボーカルの録音
最初のうちはクルマで山奥やイオンの駐車場の端っこに出かけて窓を閉め切った車内で録音したり、自宅で布団をかぶって怯えながら録音したり、カラオケで録音したりしていたが、面倒になって昼間の自宅で堂々と声を張り上げて録音するようになった。特に近隣住民から怒られたことはない。
DTMを始めてから明らかに歌が上手になった実感がある。カラオケでも下手くそだったのが、今では高得点が出る。作っている最中は自分の声を何百回と聴きながら編集するので、知らぬうちに聴こえの良い歌い方みたいなものを会得したのかもしれない。DTMを始めて自己満足以外の良かったことだ。
■ギター
DTMを始めると同時にギターを弾き始めた。と言っても、ライブをするわけではないので、特に練習を積み重ねているわけではない。曲を作っている中で「こんなフレーズが欲しい」というのを下手くそなりに弾いて、あとは編集でなんとかしている感じ。なので、いまだに「コードをなんとか押さえられる程度」である。ただ、良く問題となる「F」のコードは練習して押さえられるようになった。
ベースも買ったが、録音してみると音の粒が全然揃わないし、タイミングが少しでもずれると散々なことになることがわかったので、打ち込みでやっている。
DTMをやる上で必ずしもギターやベースは必要ではない。自分も全ての曲にギターを入れているわけではない。
■曲作りのコツとか
最初は暗中模索。理論も何もない。例えば「ベースとバスドラムはなるべく合わせる」とか「コード」とか「コード進行のルール」とか全くわからずに全て適当にやっていた。最初に作ったものを今聴いてみるととにかくめちゃくちゃ。だけど、そのめちゃくちゃさに味があって、あんなものは今は作れないなとも思う。音楽は自由だ。恐れるな。
プロのミュージシャンのインタビューを読んでいると「◯◯みたいな曲をイメージした」とか「この曲の元ネタは◯◯という曲」と言っているのを結構見かける。なので、私たちも「自分の好きな◯◯みたいな曲を作ろう」というスタート地点でいいと思う。
曲作りにはいろいろなアプローチの仕方があると思うけど、私は「メロディーから作る」派である。メロディーに各パートの伴奏を乗せていく。メロディーを思い付いたはいいけれど、それに合うコード進行がわからないということが結構あって、大変に悔しい。コードにメロディーを乗せていく逆のやり方もチャレンジしてみたことがあるけれど、私には無理だった。向き不向きがあるのだと思う。
1曲の中で「ここは◯◯みたいな感じが欲しい」と思い付いたらYouTubeでその曲のその部分を繰り返し聴いて参考にすることがある。それが自分のオリジナルになる。ウェブで調べればコードも出てくるので、それを参考にすると思った通りの雰囲気になって「すげぇ」とかなり感心する。それがオリジナルになる。音楽はパターンの組み合わせでできたパズルみたいなものだと思う。
そういう経験を重ねていくと「このパターンはこれ」「こう来たら次はこう」とわかってきて捗るようになるし「これじゃありきたりだから別のパターンが欲しい」なんてことも発想できるようになってくる。楽しい。何だこの曲すごいな、という曲に出会うと制作意欲が湧いて楽しい。
なんて偉そうに書いてるけど、いまだにコード進行はよくわかっていないし、よく使うリズムパターンも貧弱である。だけど、最初の頃よりはあらゆる点において格段に進歩している実感がある。それらをほんの少しずつでも習得していく過程が楽しい。
■歌詞
伝えたいことなんて何もない。ただ、歌モノにしたいので歌詞を書かざるを得ない。「韻を踏む」「陳腐にならない」「メッセージ色が強くなりすぎない」を心がけている。音楽以上に言葉は自由だ。好きにやるのが一番。
歌詞がどうしても思いつかない時には、歌詞なしのめちゃくちゃ語で押し通すこともある。最近はいよいよ書くことがなくなってきているのでめちゃくちゃ語が多めになっている。だけど、歌詞を考える時間も好きだ。
■まとめ
とりとめのない話になってしまった。まとめるとDTM楽しいってことになると思う。没頭すると1日が余裕で潰れる。1曲が1日で完成することもあるし、半年かかっても納得いかずに悶々とあれこれ試行錯誤することもある。それら全ての時間が愛おしい。沼にハマらない限りコスパも良い。
https://anond.hatelabo.jp/20180829224019
こちらを読んでそういえばと思い書いてみる。
上記の増田と同じように俺も10〜20代がやたらと多趣味だった。
サッカー、映画、ギター、バンド、DTM、ゲーム、写真、カメラ、動画撮影、自転車、キャンプ、マンガ、絵描き、順不同でパッと思いつくだけでもこんなにある。長く続いてないのはプラモやラジコンやスキューバなどもっとたくさんある。
今はどうしてるかというと、写真と音楽とゲームを不定期にローテーションしている。写真やってこんなの誰に見せるんだと虚しくなってきたら音楽、こんな音楽巷に溢れてるしなんの新しさもないと虚しくなってきたらゲーム、うわ俺ゲームに費やした時間無駄すぎ?と虚しくなってきたらまた写真、とローテーションだ。それぞれを並行してはやらない。仕事や生活とのバランスもあるので一つの趣味にかける期間はそれだけに絞る。
これをやると間をあけた各趣味がまた熱くなるのだ。あー俺やってたな〜という感じがする。無邪気になれる。
ちなみに今の仕事は趣味のひとつが高じて職業にしたんだけど、強く思うのは趣味の1番の強みはいつでもやめられる事だ。趣味だからヘタでもいいとか趣味だから金がかからないとかはない。でも趣味だから好きな時にやっていいし好きな時にやめていい。これこそが趣味の最も素晴らしいところだ。
増田は全然クリエイティブじゃない。ゲームとアプリを作ったことあるだけじゃん。全く多趣味でもなんでもない。飽きたとか刺激が って恥ずかしくて言えないレベル
増田は野球以外やったことないの?部活でスポーツやらなかったの?
マラソン、ゴルフ、テニス、フットサル、ボーリング、サーフィン、ヨット、ダイビング、ボルタリング、トレイルランニング、ヨガ、ボクシング、スキー、スノボ、などなど 本気でやってみたら?
全部そんなすぐ上達しないし奥が深くて飽きない。
手軽にできないものを観戦するのも面白い。アメフト、ラグビー、
アウトドアだと、 キャンプ、トレッキング、ハイキング、釣り、クルージング、など
楽器でもやって作曲でもしてみろよ。DTMでもいい、DJでイベントやるのもよし
あとは、いいカメラ買って写真を撮るとか、動物を飼うとか、DIYで内装かっこよくするとか、
本格的なイタリアンを作れるようになるとか、
同じゲームでも数人集まってやる、ボードゲーム、カードゲーム、麻雀や囲碁なんかは飽きない。
決められたルールの中でうまく立ち回って勝敗を決めるようなゲームは飽きにくいと思うし、虚しくならないと思う
増田が飽きたと例に挙げたゲームは、ストーリーを追っかけて、おしまいがあるゲーム。
終わったときのその虚しさは私はクセになるけどな