はてなキーワード: 通勤とは
毎朝毎朝電車が凄まじい混雑になって社会問題になってる状態がずっと続いてるぐらいには
都心等で勤務している郊外居住者というのは大量すぎるぐらい居るのに
都心に住んでる人にたまにとんでもない例外的存在みたいに扱われるのはよくわからない。
普通に考えて、あの大量の通勤客の存在や、そもそも都心の居住キャパシティは明らかに郊外全部より少ないだろうということを考えると
そんなわけは無いだろうがと思うのだが。
イナカモノの感覚と言われるのかもしれないが、少なくとも東京などの大都市圏においては、中心業務地区とかそういうのから
離れたところに住んでるのがあるていど一般的で、都心部にそのまま住める人ってののほうが特別というイメージだ。
実際どうかはともかくイメージとしてはそう思われてるのが実情だろうに、都心在住が基本で普通でそれ以外は「おかしい」と扱うみたいなのは明らかに違和感があると主張したい。
東京都中野区にある中野駅には、駅付近まで自転車でやってきて電車に乗る人が多い。
都内で、徒歩で隣の駅に歩いていける距離に駅があったりする駅なのに、自転車でやってくる人が多い。
そして中野駅には、駅前近くに自転車置き場はなく、ちょっとだけ遠い。
それなのに、自転車で駅に来る人が多い。
そこそこの規模の自転車置き場が何箇所も存在していて、置き場が自転車で埋め尽くされているので、それだけ多いということだ。
中野駅が最寄駅の人は徒歩で駅に来るため、わざわざ自転車で来る人々は、他の駅が最寄の自宅に住んでいる人達と推測している。
他の路線だと乗り継ぎが不便だとか、会社等から支給されている交通費と実費の差分をを少しだけ浮かせたいのかわからないけれど、
これらの人々の挙動は、中野ブロードウェイ、中野サンプラザ、再開発されたセントラルパークといった魅力あふれる中野の、
もちろん全ての人でないが、中野駅に自転車でやってくる人々の多くは余裕が無く、自転車マナーがすこぶる悪い、ように見える。
歩道をスピードを出して走り、速度を落とさず、焦点の合わない目で歩く人に自転車で突っ込んでくる。
老若男女、だれもが皆同じような表情で、無表情で突っ込んでくる。
電動アシスト付きで、前後にチャイルドシートやらカゴがついてて、インディアンモーターサイクルみたいになってる自転車。
知らないだけで起きているのかもしれないが、よく事故が起きないものだと日々思いつつ余所見をしていると、
目の前に焦点の合わない目をした人が乗った自転車が目の前にいたりするので、集中しておかなければならない。
少しだけ遠い自転車置き場に自転車を停めた人々が駅に向かう場面においても、皆必死の形相で歩いている。
普通のサラリーマンが通勤する時間に、やっと電車に乗ろうとしているくらいだから時間ギリギリなのかもしれないが、
朝、中野駅からどこか(上り、新宿方面)に向かう人は、どんな状況でも、他の所から中野駅にやってきた人にほぼ道を譲るような事はしない。
南口の自動改札を出るやいなや、出てくる人の群れにダイアゴナルに切り込んでくる黒いポロシャツの中年男性が左側から現れる。
肩を突き出してくるため、ぶつからないよう少し右側に避けることになる。
その瞬間、右側からまたスーツのサラリーマンが肩をいからせてスピードを増す。
一瞬の出来事ながら、うまく避けることができ、ぶつからなかった事に安堵しほんの少しうつむき、顔をあげると、
正面から顔を見据えながら大またで歩いてくる中年の女性がすぐ目の前に。。。
体を真横にし立ち止まるしか選択肢がなく、ぶつかることは避けられたものの、
中年女性が肩にかけていたバッグの角が胸板に突き刺さり、靴半分だけ後ろずさったその瞬間、後ろ足を若いOLさんに蹴りあげられる。
すべてクリアできた日は清々しい気分になるし、日頃のトレーニングの成果であると満足できる。
夕方になり中野駅から帰る時、中野駅に帰ってきた人々が大量に番線ホームから階段を降りてくる。
もちろん、これから電車に乗る人がホームへの階段を上る際、下りの人々が階段を占領し、上る人のために人1人分の隙間も与えてはくれない。
これも難関だ。。
新作はまだわかるし、観ることもあるけど旧作でも3-400円する
バカらしい
通勤途中にあるゲオやと7泊8日で75円とかだもん(新作でも1泊2日で200円くらい)
会社の規模と仕事量が全く見合ってないため、ディレクターやプロデューサー職は皆睡眠時間が明らかに足りていない。制作している人間はベテランになればなるほど仕事量が増える。休む暇すらないほどに。
ああ、この先立場が上がるごとにもっと自分の首が絞まっていくのかあ〜と思うと、憂鬱だ。
新卒の自分といえば、幸いにも手が早く、仕事をばっと片付けて帰ることができるし(平均して21時以降の退社にはなるけれど)、他の案件を入れたら自分が死ぬと思えば黙って仕事をしている装いをしてやり過ごしている。きっとそのうち、これも出来なくなるのだろう。
みたいな内容で上司にメールした。電車内だからメールで失礼しますっていう文言もくっつけた。
御察しの通り仮病である。
言い訳をすると過去に実際にめまい、動悸、過呼吸で仕事に行けなくなった事が何度かあり、その時と似た精神状態だなと思ったので、めまいが起きたことにしたのだ。信憑性が無いのは知ってる。
今回は短期の仕事に就いた。過去半年以上同じ職場で働けたことが皆無で、長期予定で雇用されても結局半年働けないなら最初から短期で働けばええやんかと、自分なりに閃いて職を探し、仕事をもらった。
2年以上引きこもっていたため例え短期でも週5フルタイムは無理だと思い、できる限り短時間勤務ができるところを探していたはずなのだが、うっかり週3、1日7時間の仕事を1ヶ月することになってしまった。
正社員とかフルタイムでバリバリ働いている人にとっては十分短いのだろうが、週1、1日4時間ぐらいがいいなと思っていた自分には長時間すぎた。
決まった時点では「まあ12、3日間ぐらいなら7時間でもなんとかなるだろ」と深く考えなかった。考えないようにしていた。
今日が4日目の勤務日だった。初日は問題なかったのだが、2日目に聞いていた内容と全く違う業務をすることになった。非常に体力と気力を使い2年引きこもってた体は業務に追いつかずボロボロ。
以前の自分ならこの時点で「もう無理…死にたい…ODしてやる…」と過激にブッチかましてたところだが、多少成長したので「今回の業務は体力が持たないので続けられません」と申し出て、変えてもらうことができた。すごいぜ俺、ダメになる前に申し出ができたぜ、変わったなあ!
問題は3日目だった。
結局あまり変わらない内容の業務に就いて、まあこんなもんか…と思いつつ必死に体も頭も動かして働いた。頑張った。めっちゃ頑張ってた。
「ねえ、この程度ならもっと他のことも同時にやれるでしょう?やって?頑張ってよ、頑張って?頑張れるよね?」
「その手順は知りませんでした」とか「まだ難しいです」とか言えるわけもなく、ただ「はい」としか言えなかった。
この程度よくあることでしょ〜?と自分でも思わないわけじゃ無いんだ。ただ。
その後手を止めるわけにもいかずとにかく言われた通りに必死こいてたら、同じく必死こいてる別の新人さんに対して「頑張って」とベテランおばちゃん達が声をかけていた。
さっきのリーダーがその様子を見て「頑張ってる人に頑張ってって言ったって仕方ないでしょう!」と言ったのだ。
そうか俺、側から見たら頑張ってないのか、そうか〜。
とりあえずその日は最後までやりきった。
リーダーが近くに来ると体がこわばってミスをし、また注意された。過去の仕事や毒親のトラウマが蘇り発狂するかと思った。
そして4日目の今日。
前の晩から弁当を用意し、緊張して眠れないので筋トレとストレッチをして無理やり眠りにつき、6時に起きてバスで最寄り駅に行って電車を待っていた。
リーダーが身につけていたピンクのネームストラップが脳裏にチラつく。
頑張れるよね?の声が何度もなんども再生される。
今から来る電車に乗ってXX駅で降りて会社まで歩いてロッカーで着替えてチャイムが鳴ると業務が始まる。リーダーもやって来る。リーダーがいる空間で作業をする。リーダーが他の人と何かを話している。リーダーがこちらまで来て何か言って来るかもしれない。どれだけ頑張ってもまた頑張れと注意されるかもしれない。またミスをするかもしれない。今日は前よりずっと怒られるかもしれない。リーダーの目を気にしている自分がいる。頑張らなければならない。注意されてはならない。失敗してはならない。認められなければならない。ずっとずっと頑張らなければならない。今から夕方家に帰るまでずっと、いや残りの10日間ずっと、リーダーのいる空間で…
もうダメだった。冒頭に挙げたメールを送った。めっちゃ怖い顔をしていたと思う。浅く呼吸しながら改札を出てバスに飛び乗った。家に着いて冷蔵庫に弁当を投げ入れた。飼い猫が寄って来て何か訴えていた気がしたが無視して寝室のベッドに潜った。
これが今日の午前中の出来事だ。あれからメールの返事も電話も来てない。弁当はレンジで温めて昼に食べた。美味かった。
なんでこんなクズ増田を書いたかというと、誰かに聞いてもらって自己肯定して安心したかったからだと思う。「カウンセリング 今すぐ」とかグーグル先生にめっちゃ聞いたりした。良さそうなところは施術料10万とかしてあきらめた。
2年以上引きこもってる間、環境がずいぶん変わり、自分や他人との向き合い方も少し上手くなったかなと感じて、また仕事を始めたいと思った。
しかし結局自分は変わらず社会に馴染めないクズ野郎だった。さすがにもう昔のように「俺は悪く無い!社会が悪い!親が悪い!」なんて拗ねたりしないが、拗ねなくなっただけで、社会に適合できる人間になったわけではなかった。たった3日で辛抱たまらなくなる社会不適合者のままだった。自分のキャパを正しく測れず、結局追いつかなくなり周りに迷惑をかけるんだ。俺って想像以上に自意識過剰でデクノボウなんだな。
こんなクズでもなんとかなる仕事を見つけるか、対人、対社会への耐性の無さを根本的に改善するか。精神科も心療内科ももう行きたく無いよ。
さて、残りの10日間、どうするかなあ……
まず初めに、これは現在約2万人いるとされているアイドルマスタ-SideMプロデューサー、そのうちの一人の日記です。
たった一人のブログを読んで、「これがSideMPの総意なんだ」と感じてしまうタイプの方につきましては、私以外のPさんにご迷惑をお掛けすることになるので閲覧はしないでいただきたいと思います。
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私は好きです。
通勤中や仕事で辛い事があった時も、担当ユニットの歌を聴けば元気になれるし「ライブのために頑張ろう」と気力もいただいています。
ライブでキャストの皆さんが、「315プロのアイドルとして歌って踊る姿」が本当に大好きです。
そんな私にとって、歌声にかぶさる客席の声、「自称:コール」、これが本当に邪魔です。
例えば、
・うぇるかむ・はぴきらパーク!の「めぇめぇ」「ぴょんぴょん」「がおがお」
・Fun!Fun!Festa!の「オーイェイ」「オフコース」「オーイエス」
こういった、『CDに入っている合いの手の部分』につきましては、キャストの歌声を邪魔しない程度に入っています。
少なくとも、「公式のコール」は「CDに入っている部分」だと思われます。
それ以外は、オリジナルであり特に公式から推奨されたものではないということがわかります。
ですが、こちらも例えばBeyond The Dreamの「どんな苦しい時でも背筋伸ばせ/もしも心がくすんで見えなくても」の部分。
この部分は、CDには入っていません。
この場面で、WとF-LAGSの歌声を聴く以上に大切なことがあるでしょうか?
キャストの皆さんの頑張りを、この部分を聴きに来た観客の楽しみを、誰に邪魔する権利があるのでしょうか?
以前話題になった某はてブロの件で、「CDにない部分に声を出してコールと言い張る」方々の意見を目にしました。
その方々曰く、「コールは盛り上げるためにやっている」とのことでした。
盛り上げるためなら、キャストの今までの頑張りが詰まった歌声を邪魔しても許されるのでしょうか?
盛り上げるためなら、まだキャストの方が歌っている最中に「せーの」と音頭をとりコールを先導しても許されるのでしょうか?
そもそもこの「盛り上げるため」というのは真実なのでしょうか?
自分が楽しく「盛り上がりたい」だけではないのでしょうか?
こういった、「CDに入っていない、キャストの歌声に重なる観客の声」を嫌がる声に対して、
・「静かに聴きたいならCDでも聴いていればいい」
という反論がありました。
ライブってなんなのでしょう?
ステージにたたない観客が、大声を出すことを許された空間ですか?
これがライブなのではないのでしょうか?
キャストの歌声を黙って聴けない方が、よほどライブに行くのに「向いていない」のでは?
そこでは、当たり前ですが観客は演奏中誰一人として声をあげません。
彼等の演奏にだけ耳を傾けて、曲の世界に浸って、曲が終われば歓声や拍手が自然に聴こえてくるとても心地の好い空間です。
あまりMCをする方ではないメンバー達ですが、彼等が話してる最中に大声で名前を呼んで遮ったり、「水おいしい~?」なんて声もあがりません。
これが普通のライブだと思っていた私に、アイドルマスターSideMのライブは悪い意味で衝撃でした。
「男性アイドル」という設定でステージの上に立っているので、次々に黄色い歓声があがるのは「ちょっとジャニーズっぽくてすごいな」とは思いました。
ちょっとうるさいな、と思うくらい大声で黄色い声を上げる方もいらっしゃいますが、基本的には歌の最初と最後、又はなにか特別なパフォーマンスがあった直後の部分だけで、私はですが歌っている最中もひたすらキャーキャー叫ぶ方にはまだお会いしたことがありません。
(自然に出てしまったものでしょうし、そこまで歌にかぶさって邪魔というほどではないですが、正直ないに越したことはないです。)
「せーの」という先導についても、押し付けであり「曲を聴きにきた人の邪魔になっている大声である」と自覚した上でやっていただきたいです。
とても綺麗な響きですよね。
315プロのアイドルとしてステージに立った彼等のパフォーマンスは、観客が意識的に頑張らなければ盛り上がらない程度のパフォーマンスしかできていないのでしょうか?
「盛り上がったよ」
「楽しかったよ」
「最高だったよ」
これらの気持ちを伝えるのであれば、
これだけで十分ではないですか?
本当に、キャストの歌声にかぶさってまで大声を出すことが「盛り上げる」ということなのですか?
誰のためのコールですか?
自分が「盛り上がりたい」「盛り上げたんだと実感したい」だけではないですか?
キャストの歌声を邪魔して、キャストの歌声を聴きにきた人の楽しみを奪ってまで、しなくてはいけないものですか?
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※※※※
・コールは駄目と言うが〇〇はどうなんだ!という疑問つきましては、あなたがご自分で判断してください。
・SideMだけの問題ではない、ではなく、「いちSideMユーザーとして私が言いたかったこと」なので規模の問題ではありません。
・これは、「CDに入っていない、キャストの歌声に重なる観客の声はコールではなく、それを迷惑に思う人間がいる」という日記です。論点ずらしはおやめ下さい。
・繰り返しになりますが、これはただのいちSideMのユーザーである私の日記です。これがSideMP全体の総意ではありません。
※※※※
最後に、「コールをするのがライブ」という人と「ライブは音楽を聴きにいくもの」という人の共存は、絶対に不可能です。
何故なら、「叫びたい人が叫んだ」時点で「一度きりの生の音楽を聴きたい」人が曲を聴く妨げになってしまうから。
曲を聴きたくてきた人は、強制的に我慢を強いられてしまいます。
「CDと同じものを聴きたいなら円盤を買え、CDを聴いていろ」
言われなくても買っています。彼等の歌やパフォーマンスが大好きだから。
だからこそ、一度きりしか聴けない「ライブでの彼らの生の歌声」は本当に貴重なんです。
もし、「キャストの歌声に重なってあなたが声を出す」としたら、
それは「キャストの歌声を聴くことを楽しみに来た誰かの楽しみを奪っている行為」なのだという自覚をもって下さい。
SideMのライブは、CDに入っていない部分でも観客が大声を出さなければ盛り上がらないライブではありません。
「盛り上げるため」に善意でやっていてくれるのだとしたら、もう大丈夫です。
キャストの方々からのコーレスも増えて、どこで声をあげて欲しいのかわかるようにしてくれています。
どうか、キャストの方々を、そのパフォーマンスを、信じてあげてください。
https://anond.hatelabo.jp/20170827191108
マネジメント、避けて通れぬのだろうが、実はあまりよく分かっていない。
とりあえず定期的に報告連絡相談の機会を持つとか、PDCAとかスケジューリングとか、何かあった時に備えるとか、何かあったら記録を取るとか、空気を読むケースと読まないケースとを見極めるとか、そんなマネジメントというより社会人として当たり前なことしか分からない。
(今言ったことが全てできているというわけではない。心がけてはいる)
他にあるとか、間違ってるとかだったら教えて欲しい。
言われてみれば、課長以上かつ未婚者という人はいない。課長になってから割とすぐに結婚したという人なら一人いる。
ただサンプル数が少ないのでなんとも言えない。
私はしばらく結婚するつもりはない。
日本法人全体で見ればそうでもなかったが、私がいた部署はすごく保守的で、実力主義とは程遠く年功序列がまかり通る昔ながらの職場だった。
お国柄より商売の仕方によるところが大きいのではないだろうか。
まあ手取りは700万ちょっと超えるくらいなのかなーと思っている。
ググれば「年収1000万超えるには」とか「マネジメントとは」とかいうページは沢山出てくる。
でもなんとなくこの場で聞いてみたかった。
高校は進学校で、ネクタイの着用を認められなかった。その反動でかスカーフをネクタイ調に首に巻くのが癖になった。通勤の服装もネクタイで、上司からは理解を得られた。その内社内でも「◯◯君」と呼ばれるようになる。さん付けよりかなりしっくり来た。髪も短くないと落ち着かない。ロングヘアに憧れはあるのに。
というより、外見の多くを私自身は選択していない。美容院に行けば自動的に髪を短くされ、親にはストライプのシャツを勧められる。女性らしくはないがまあこれで良いかと思うようになってしまった。服装が変われば性自認も引っ張られるようにして変化する。女性は私にとって守るべきものだった。今となっては女性らしくあろうとスカートも着用するが、それを「中途半端なFTM」のように言われるのは心外だ。
もっと媚びれば生き易いと言われた事があるが、それどころか男になれるなら、と思う。というかR18作品を見る時ですら男性向な嗜好が強くて、困っている。
私は昨年の夏にソウル市内を訪れた。目的としては慰安や観光などがある。勧告独自の料理や文化、そして歴史資料館などを見学した。その、ソウル市内を見て驚いたのが、公共交通のシステムが高度化されている事だ。都市鉄道における踏切の廃止やホームドアの整備はもちろんのこと、都市鉄道と地下鉄とバスの乗り継ぎ料金が廃止されていて、スマートな公共交通が実現されている。日本ではつい最近まで満員電車問題が取り上げられていたが、日本の場合は同じ鉄道でも運賃がバラバラな上に、バスや地下鉄との乗り継ぎ運賃が設定されているために、混雑の緩和を難しくしている。
そこで、私は都市交通の近代化を提案したい。具体的には、道路の改良やそれに伴うバス路線網の整理、そして鉄道とバスと地下鉄との乗り継ぎ運賃の廃止である。まず、日本は長らく鉄道王国であると云われていたが、これは道路交通の整備が諸外国に比べて著しく遅れていることから、相対的に鉄道交通が極端に便利であることを揶揄する言葉である。実際に道路を見てみると、バス専用レーンの設置やバス路線のBRT化など、大幅な改良の余地が見られる。長らく、鉄道路線の補完として扱われてきた都市の路線だが、近年は通勤ラッシュの著しい東京都内を中心に混雑緩和の切り札として再評価されている。改良工事の余裕のある車線の多い道路には、営業時間中に設定されるバス専用レーンの整備を行い、バスの増発を可能にしてみてはいかがだろうか。それから、鉄道とバスと地下鉄との乗り継ぎ運賃すなわち初乗り運賃の二重徴収の廃止やバス運賃のトランジット制度を提案したい。都市圏ブロックにおいて、新幹線を除く都市鉄道の運賃を統一して、なおかつバスの乗り継ぎに応じての乗り継ぎ運賃の割引を適用できるようにすべきだ。バスの乗り継ぎ割引についてだが、30分以内の乗継であれば、バスに関しては6回までの乗継時に運賃を割り引くなり免除するなりすればよい。これにより、運賃のばらつきによる鉄道同士、あるいは鉄道と地下鉄、あるいは鉄道・地下鉄とバスの混雑の偏りなどがなくなり、先進国水準のスマートなマス・ラピッド・トランジットが実現できる。
2016年に鉄道の大幅な混雑緩和を公約に掲げて小池百合子が都知事に就任した。東京といえば2020年にオリンピック・パラリンピックが開催される都市だ。オリンピックに合わせて条例や法律の整備や都市改造が進められているが、その都市改造の中身に、公共交通の改造が含まれればと思う。日本の公共交通の不便さは全世界の訪日客がわかりきっているものなのだから。
この夏の帰省に合わせて義兄がマスオさん的に実家に来てくれて、父母・姉夫婦・甥と3日間ほど過ごした。
甥は、初日は軽く緊張してたようだが、2日目、3日目ともなると慣れてきたようで、私の手を弄んではバタバタしたりウキャウキャ言ったりしていて、死ぬほど可愛かった。
比較的おとなしい子ということだったが、どうも機嫌が悪いときには、うぁーんとなってしまい、私が側にいるときは抱っこをすると大人しくしがみついてきたり、それでも泣き止まず姉夫婦にパスしたりしていた。
3日間のそんな帰郷生活を終えて家に帰ると、(それは当然普段の生活へと戻っただけなのだが)赤ちゃんの不在がとてつもなく大きく感じられた。
とくに不思議だなと思ったのは、通勤中の電車内や家の近所で赤ちゃんの泣き声がしたときに、反射的に「あらららどうしたの??」という気持ちになってしまったことだ。
実際に毎日大変な思いをしているお父さんお母さんからすると、なんのそれっぽっちの子守経験で…と思われるかも知れない。しかし逆に言えば、それっぽっちでも赤ちゃんと意思疎通できれば、赤ちゃんへの共感努力傾向が我が心にこれ程までに生じるのである。毎日赤ちゃんと一緒にいるお父さんお母さんのことを考えれば、日毎に強まるその共感努力傾向の中、それでも泣き止まない不可解な赤ちゃんと、やっぱり泣き止むかわいい赤ちゃんを交互に抱っこしているのだから、その心的な揺れ動きは相当なものだろうと想像する。
http://www.goodbyebluethursday.com/entry/baby__harassment
生後数ヶ月の赤ちゃんを連れ回す親たちに想うことと、“ベイビーハラスメント”について - さようなら、憂鬱な木曜日
はっきり言えば、ちんちくりんである。この人は赤ちゃんの泣き声は不快だということは誰もが同意できる前提だと思っている。だから、その不快を与える泣き声を適切にコントロールしない親が「ベイビーハラスメント」をしていると言うのだ。
しかも彼は「ハラスメント」なる言葉を使っているが、ハラスメントとは私の英語理解によると、面と向かって「やめて」とは言いづらい嫌がらせのことだ。それは、ハラスメントをする主体に権力があったり、言うと嫌がらせがより悪化するからだ。
このブログ主が面と向かって「やめて」と言えないのだとしたら、それは母親に権力があったり、母親が「なんだと?もっとこいつに泣かせてやろうかぁ?!」となるからではない。そうではない何らかの圧力をブログ主が感じているのだとすれば、それは単に、周りの人の目、だろう。
つまり、「ベイビーハラスメント」なるものがあるとして、それを彼に強要してるのは、世間なのだ。しかし、世間は好んで「彼に赤ちゃんの泣き声を強要する」という嫌がらせをしているのだろうか。もちろん違う。結局のところ、それはハラスメントではなく、ただのアクシデントなのだ。
話を戻そう。私が今回の帰省で感じたことは、赤ちゃんの泣き声は何か私たちを駆り立てるような言葉としても聴こえる、ということだ。赤ちゃんの泣き声を我が事として捉え、そこから赤ちゃんとのコミュニケーションに成功した(と思えた)ことのある人には、どの赤ちゃんの泣き声もその人を駆り立てる言葉として聴こえてくる可能性がある。
もちろん不快だと感じることが悪いと言っているのではない。意味を理解できない外国語を大声で話されたら単にうるさいだけだし、うるさくないと感じるためにはその外国語を理解しろ!というのはナンセンスだと思う。私も疲れていたり忙しかったりしたら、単にうるさいなあと思うこともあるだろうし、泣いてる子の言葉が全く親に伝わってないように見えたら「赤ちゃん訴えてるのにかわいそう」と思ってしまったりするだろう。(実際は何しても泣くときは泣くものだし、一概には言えないにもかかわらず)
まあ、話の方向的には、もっと赤ちゃんが身近になるといいとかいう話になるのかも知れないが、それも少子化だからこそ難しくなっているところがある。というか、該当の記事こそ、少子化社会の一つの症状的なものだということが言えるのかもしれない。
「性犯罪に遭わないように自衛する」ことはよく「泥棒に入られないないよう家に鍵をかける」ことに例えられるけど、
性犯罪への自衛と施錠では実行する場合の難易度がかなり違うから、この例えを見るたびに違和感を覚える。
「鍵をかける」事は多くの人にとってはさほど手間でもないし、鍵をかける事で他のものを犠牲にすることもまあないだろう。
「鍵をかける」という行動自体が難しいという状況もあまり思い浮かばない。
しかし性犯罪への自衛としてよくあげられる「夜道を一人で歩かない」「男性といる時に酔っぱらわない」「欲情を煽る服装をしない」という行動を
多くの女性が実行することは、この社会で生きていく上で実際問題難しい部分も多いのではないだろうか。
「夜道を一人で歩かない」については、夜遅くまで残業をしなくてよい仕事に就ける人ばかりではない(ブラック企業の多さ、ブラックとまではいかなくとも看護師等職種の都合上夜働く女性も一定数存在する)、中学生・高校性も塾や部活で帰りが遅くなる事はある。同僚や友人に毎回家まで送ってもらうわけにも、家族に毎回迎えに来てもらう事も実際問題難しいだろう。
夜働かなくてよい仕事に就けた女性が「夜道を歩かない」事を徹底することは可能かもしれないが、日本に住む女性全員が「夜道を歩かない」事は実際問題難しいだろう。
「男性といる時に酔っぱらわない」「そもそも酒の出そうな集まりに顔を出さない」についても、ある程度の年齢の大人であれば食事の席で酒を断る事が難しいことも多々あるだろう。
もちろん「本当は飲めるけれど飲めないと嘘をつく」という処世術を使っている人も多いだろうが、それで納得してくれる相手ばかりでもない。
あまりに酒を断るとそれはそれで空気が読めない人だと思われる可能性もある。
酒を勧められて簡単に断れる場合ばかりなら、そもそも「アルハラ」なんて言葉も生まれないのではないだろか。
「欲情を煽る服装をしない」については、実際どのような服装が欲情を煽るかは加害者の好みの問題もありわからないという問題がある。
そもそも服装については「弱そう、おとなしそうに見える人が狙われる」「制服を校則通り着ている中学生・高校生の方が痴漢に遭いやすい」という説もある。
おとなしい恰好をすれば弱そうだと思われ被害に遭い、派手な格好をすれば欲情を煽り被害に遭う可能性がある、と言い換えられるのかもしれない。
そもそも服装というものもプライベートならともかく、通学・通勤の際にはある程度周囲に合わせた服装をしないといけないという問題もある。
「制服を着ていると痴漢に狙われやすい」からといって、全国の中学生・高校生が全員私服登校可能な学校に通うという事は現状不可能である。
「性犯罪に遭う事に比べれば、仕事が制限される事も、職場やプライベートでの人間関係への影響も、服装が周囲から浮くことも大した問題ではない」
という立場もあるだろう。
しかしそもそも世の中で言われている「性犯罪に対する自衛」を徹底的にではなくとも全員が実行するという事は上記のような理由から難しく、
それにもかかわらず「少し気を付ければいいだけ」「鍵をかけるのと同じ」と言われる事には違和感を感じる。
「それでも少しでも気を付ければその分リスクを減らせる」という意見もあるだろう。しかし「どうしても仕事が長引き灯りのない夜道を歩かないといけない」等の
自衛ができない状況は日常生活をおくっていれば普通に発生するだろう。
「性犯罪への自衛を勧めるアドバイス」を例えるなら、まだ「○才の時点でこれだけ貯金がないと老後の生活が厳しいというアドバイス」が近いのかもしれない。
確かに今後年金ももらえない可能性が高い、貯蓄はあった方がよいがそこまで貯金できるほど高収入の人ばかりでもない。もちろん実行できる人もいるのだろうが。
そもそもいくら貯金があった所で老後を迎える頃に社会の状況がどうなっているかは誰にもわからない。
「性犯罪への自衛を勧めるアドバイス」をすべて実行しても、性犯罪に遭う時は遭う。
自衛を実行したが性犯罪被害に遭った人(校則通りに露出の少ない制服の着方をしていたら朝通学電車の中で痴漢に遭った等)から
「実際問題多くの人が実行する事は難しい事を、簡単に実行できる確実性のある方法のように言われても困る」という事情から来る反発が起こっても
さもありなんと思う。
今朝のこと、いつもとある地下鉄で座って通勤しているんだけど、あとから隣に座ってきた女が急にスマホで俺の肩を小突きだした。
何だこいつ……俺の肩にカブトムシでもついてるのか?と思っていたら
「あの…」
「以前そういう痴漢にあったんですよおおおおおお!!!!!!わざとですか!?!?!!???狙ってるんですか?????」
「答えろよテッッメエエエエエエエエエエエエエエエブヒイイイイイイイイイ🐽🐽🐽🐽🐽🐽🐽🐽」
とか言い出してなんだこいつマジおっかねぇって思ったので
「やややっ✋✋✋触ってぃないですよ✋✋✋」
って言い返したら
「フシュフーン(超鼻息)」
となって黙りこんでしまった
その後、女さんは黙って乗って国会議事堂前で降りていったんだけどさ
はあああああああああああああああ!?!?!!!??????!!?:{:PPL_)!(@)%%%@&????
何?????????ぶつかった?!?!!?????(゚Д゚)ハァ?????????????????????????????????????
大体ぶつかったのお前だが??!!!?!!!??????????
それどころか会話後にちょくちょく俺様の御御足にダーティーフィンガーが触れてるんだが!?!!!!??!?!???
今日白パンツなんだけど!!!!!脂ついたらどうしてくれるわけ!!!!!!!!💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢
っていうかさ!!!人を疑っておいてさ!!!!謝罪の一つもないってどういうわけ!?!!?
ファッキンパチンコップですら職質終わったらご協力ありがとうございましたの一言はARUZE???????
お前の一言で相手が社会的に死んでもおかしくないんだぞ?失礼しましたの一言もねーのか?
現在26歳、県内の底辺高校を卒業後、2年間予備校に通い辛うじて県庁に合格。
ここまでは良かったが、働き始めてから絶望的に頭が悪い事に気が付いた。
今まで自分が勉強できなかったのはやる気がなかっただけだと思ったが学習意欲はあったのだ。
例えば横一列でスタートしたはずの同期達が10聞いて7、8のアウトプットをしている中、自分だけ頭の中が「?」マークだらけで1程度のアウトプットしかできない。
もはや何がわかならいのかもわからないような感じだった。人の声が頭からすり抜ける。言葉の受け取っても情報処理ができない。
研修中の同期の遠くから聞こえる「頭良い人だと思ってた。」という声が今でもこびりついて離れない。
先輩に「◎◎さんに××の件で電話して」と言われた。
××の件の意味はなんとなくわかるのだが、××の制度内容が全く理解できていなかった自分はパニック気味になった。
自分がいまいち理解していないのを察した先輩が丁寧に説明してくれた。
自分がわかったことといえば制度についてではなく、先輩が丁寧に説明してくれたことと、先輩の困惑だった。見かねた別の先輩が連絡してきた。
周りに頭が悪いと思われた。周りに頭が悪いと思われた。頭が悪い癖にそのことばかりで頭がいっぱいになっていた。
悩みに悩んで精神科に行って検査した。案の定知能指数は健常者の中では最下層だった(動作性言語性の差に開きはなく大体80前半、つまり発達障害ではない)
医者からは「一つの事を一つずつやりましょう」と言われた。一つのことすら処理できないとき、どうすればいいですか先生。
朝起きるたびに恐怖と不安で頭がいっぱいになりワイパックスを流し込み無理やり口角をあげてみる。
通勤中の車の中で恐怖を掻き消そうと大声を上げる。
そんなことを続けていたら半年ほどでノイローゼになる仕事を辞めた。
色々疲弊してそのまま2年ほどニートになった。親の疲れた顔が辛かった。
このままじゃ不味いと思って一念発起してライン工のバイトを始めた。
しかしミスが多く仕事の覚えが酷く遅く、優しかった職場の人たちの態度までも急変させてしまった。
気にかけてくれてた優しい人たちを怒らせ、呆れさせ、疲れさせてしまった。
次第に職場に向かうのも息が苦しくなり、またワイパックスに頼るようになった。
それでもだんだん視界に白みがかかるようになり、頭がボーっとしてきて、もう限界だと感じ辞めた。
今は休職中だが、正直自分がどんな仕事なら続けられるのか本当にわからない。
仕事をしていない今、40分のジョギングと、瞑想と、野菜をとる生活は心掛けているが何か変わったかといえばあまり変わらない。
小学生の頃の夢だ。
2時すぎの晴れた日に窓から覗く晴天を横目にみんなで授業を受けていた。
職場にどーーーーーしても苦手というか理解不能な人がいるんだけどちょっと聞いてほしい
その人は自分が入社して3ヶ月後くらいに入ってきてもうすぐ2年目になるんだけど、何がひどいって長くなるから箇条書きにするけど、
・そのくせ短時間でアップしなければならない案件を3件も4件も一人で抱えて一人で目を回してる
・いつも眠そうにしてる(よく舟こいでる)
・机の上がぐちゃぐちゃ
・トイレ休憩が長い&多い(一日5回10分くらい、まあこれは個人の体調もあるのでまだ許容範囲)
・始業10分前の朝礼に間に合うように出勤しない(朝礼の途中で来たり最悪始業時間すら守れない)
・作業の確認のために引くマーカーを意味をわかって引いてない(確認したという意味で引くというルールなのに確認すべきところに前もって引くといってきかない)
・社員に対しては弱気なのに同じバイトであるこちらに対してはなぜか強気(他の優先すべき作業を先にするように促したら「今これやってるんで!」といってきかない)
・お世辞にも身なりが清潔とはいえない(猫の毛っぽいものはついてるわ髪テカテカだわ、ちゃんと洗ってるの?)
えとせとら、えとせとら。
自分は一時間遅い出勤の契約だけどほぼほぼ一時間前には駅について近くのコンビニでゆっくりするんだけど、まあ今日もいましたわ。通勤路に。
えっ今もう朝礼やってる時間だよね??ていうかその速度で遅刻しないの???いやするでしょ???ってぐらいのんびり歩いててびっくりしたわ。しかもヘッドホンしてなんか聴いてるし。そんな余裕あるなら急げよ。
しかもなんでこっちの方が歩くの速いんだよ。すぐ追いつくわ。(見つからないように別ルート取ったけど)
その手の人がいい気分しないの承知で言うけどたぶんその人発達の人で、そもそもうちの複雑な仕事向いてないんだよ。
でも新たに募集かけてもなかなか人来ないから仕方なく雇い続けてるだけで。
本音をいうとみんな辞めてほしいって思ってるよ。
こういうこと書くと差別ガーって言ってくる人いるけどさ、じゃああなたのところでこの人雇ってくださいよ、毎日毎日この地獄味わってくださいよ、って返したいよね。
再追記
piripenko サバサバ系に対するほんわか系だったのですが…。追記を読んで映像への印象も前より悪くなってしまい困惑。ゴミとプレゼント対比のために設定(ひどい)があるみたい。共感より筋をとって幸せなのは制作だけでは。
作品をちゃんと見た上での好き嫌いは全然普通のことではないでしょうか。
共感と筋が対になっているのではなく、共感させ方の種類が違うということではないかとは思います。繰り返しになりますが、主人公視点の作品です。主人公の内面での象徴としてのゴミとプレゼントであり、大切なものですら投げ出したくなることはあるよねという表現は受け入れられない人もいるでしょうが、共感する人もいると思います。
サバサバ系の話はすみません、別の人と同じ意味かと混同してました。ただ、考え方に差があるようなのであまりこちらの意見を押し付けても仕方ないですが、サバサバとほんわか程度なら、そんなに差が出る役ではないのではないかと思っています。
追記
simplemind 主人公の内面で迷いが吹っ切れただけで話が終わっててオチがないから伝わらないんだよ。次の日グローブをもう一個買うとか、子供の背中を洗ってやるとか。映像で語れてない
オチがないからわかり辛い、という意見もよくわかりますが、それはミスではなく意図的な選択だったということが、メイキングを見るとわかります。父親は子供とキャッチボールの約束をしているのです。
そういう明快なオチではなく、抽象的に変化を描くことで考える余地を与えたり、普遍性を得ようとしたのだと思っています。その賛否もわかりますが、あのCMを見るだけでもその部分は理解可能だと思ったので、増田を書きました。
piripenko 演技はもとより映像の出来がいいのは同意。キャラ設定とエピソードの練りこみが物足りない。ゴミを分別させては、女性はほんわかタイプではといったノイズ対策も甘く、総じて残念。一応そんなに怒らんでも派です。
トラバでも「気の強そうな妻」はどうかという意見がありましたが、妻が主人公に対して圧迫的だという意見は、個人的にはすごく疑問があります。
初登場時の妻は、笑顔でケーキのおつかいという「軽いお願い」を主人公にします。これが仁王立ちで登場しているとか、圧迫感のあるアップの演出であるなら別です。しかし彼女は外出の支度中のようで、笑顔でごく自然にお願いをしています。
その後のラインは状況がわからない(妻に用事ができたのかもしれないし、本当に無理矢理買い物を押し付けてきたのかもしれない)ので置いておきます。次に、父親が連絡なしに遅れて帰宅したときに怒っているのは、当然です。しかしその後父親が謝ったらすぐに態度を変え、楽しげに息子に呼びかけています。これが「気の強そうな妻」の演出だとは、個人的には全然思えません。
ケーキとプレゼントに関するやり取りから、妻のそういう性格を想像する人もいますが、状況が省略されているだけで、買い物を変わりに頼むことなどは、日常よくあることだ思います。省略されているのは、「それを否定的に捉えている父親の主観」のためです。省略されている部分に想像をめぐらすのは自然なことですが、それはまず「映像で描かれていること」を元にすべきであると思います。
ラインについても、1126(イイフロ)というCM中ではポジティブな意味を持つダジャレの時間に送られているので、俯瞰して考えればあまりネガティブな状況ではないと解釈しています。
ゴミの分別については、普通ゴミとビン・カンの日でちゃんと分別しているのでは?と思いますが、違う話でしょうか。
watapoco 初見が音声オフだったので、これと近い見方。映像だけ追うとこういう構成よね。でもケーキほったらかすとか生活のリアリティのなさは映像としても×。
要冷蔵とか、ケーキの扱いにこだわる人がいるのですが、ゴミと、ケーキとプレゼントを重ね合わせてるイメージ(本当ひどい)があるので、あの扱いはむしろ筋が通っていると思っています。
生活のリアリティのなさについては、意識差がありますしどの程度映像で再現するかは難しい問題ですが、あの家庭の映像に違和感があるという意味なら、それは家庭に疑問を抱く父親の主観と解釈できるのではないかと思いますが。通勤や職場の雰囲気などは出ていると思いました。
bt-shouichi 「自分が昔見た父親はそうだった」からといって、「孤独に仕事を頑張ることが本来の父親の役目だと思っている」となるもんなんですかね。そういう考えをもってる人って多いのかしら
家族の行動に無意識で根深い影響を受ける、またそれが誤解に基づくものであったりするというのは、すごく自然なキャラクターメイキングだと思います。
「孤独に仕事を頑張ることが本来の父親の役目だと思っている」は、映像から読み取れることをつないでいった結果、家庭との対比も合わせたら説明するのにわかりやすいと思い選んだ言葉ですが、違和感があったらすみません。
あと元は動画のURLを貼っていなかったので、念のため貼っておきます。
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「下手な映像」というブコメをいくつか見たので言わせてもらう。すごく丁寧でよくできてるよこのムービー。
このCMは「映像で語る」ということをしているので、台詞で説明されないとわからない人には伝わらなかったのかも知れない。そういう人向けに映像的な読み解きをしてみる。
このCMは時系列を変えてまでオープニングとエンディングをゴミ出しと出勤風景で揃えている。つまり同じ映像で心の違いを表現している。回想では、笑顔の妻に息子の誕生日ケーキを頼まれて、気のない返事をするダメな父親の姿が描かれる。そして映像作品で誕生日をモチーフに選ぶ場合は、普通は生まれ変わりの意味で、赦しの雨みたいな慣用表現(ついでにこれは雨の代わりに当然風呂)。要はオープニングは、このCM中に主人公の父親が成長しますよという説明だ。これが前提になって映像が綴られていく。
オープニングの時点では、家族思いを演じているつもりの父親は、孤独に仕事を頑張ることが本来の父親の役目だと思っている。自分が昔見た父親はそうだった。だから笑顔の妻との会話ではなく、孤独な出勤風景から始まる。
その仕事場では、部下が報告をしなかったことを上司に叱られている。部下を慰める父親。歩道橋から見おろされる部下は、父親より下の存在で同時に育ててももらえる、いわば息子のように描かれている。父親は仕事場の息子に対しては、面倒を見てやり、自分の失敗談を晒して、人は成長するもんだと助言も与えてやれる。仕事場での人間関係なら、うまく立ち回れるのに。
しかし家に帰れば自分も、家族の大事な日なのに酒を飲みに行くのを報告しなかったことで妻に怒られる。家庭ではダメな部下と同レベルだ。仕事はできても家庭では何もうまくいかない。家庭には、父親が頼れる上司はいない。
帰宅途中では「家族思いのパパが正しいのか」と毒を吐いていた。このときケーキとプレゼントを両手にぶら下げる。朝出したゴミのように。
グローブを買いながら思い出す。自分の父親は、自分がいて欲しい時に仕事でいなかった。自分も仕事だけ頑張っていればいいじゃないか。
しかし、子供じみた拗ね方をして湯船に浸かっているとき、父親と一緒に風呂に入ったことを思い出す。自分の父親は、仕事だけをしていたわけではなかったことにようやく気付く。覚えている父親の背中は、出勤する背中だけでは決してなかった。
あの頃の父親と今の自分がかけ離れているのは、何故か。世間の父親像が変わったんじゃなくて、自分がダメなだけじゃないか。風呂に入りながらやっと気付く。そういえば、妻からLINEが来た時刻は11:26だった。
帰ってきたときは座らなかったテーブルに、風呂から上がった父親はようやく座る。これは、やっと本当の父親の座に付けたということだ。だからこのシーンで初めて息子が出てくる。父親が座る場所は、部下と飲んだときと同じ席だ。仕事と同じように、家庭でもうまくやれる自信が湧いてきた。朝は敬語だった妻に、素直に、気さくに謝る。笑顔で見送ってくれた妻にようやく笑顔を返せた。息子の誕生日に、父親は生まれ変わる。
ラスト、昨日と同じようにゴミを出す。しかし両手にゴミをぶら下げた絵は映らない。同じく、昨日は孤独に歩いていたカットは挿入されず、代わりに父親が眺めている風景の映像が入る。
含み笑いしかける父親。昨日何かあったのか。これからいいことがあるのか。
と、こういう流れになっていて、子供じみたダメな父親がいい父親に成長する内容なわけです。
それを言葉での説明を省いて、なんてことのない日常を淡々と綴った映像はとてもよかったと思いました。なんで飲みに行くのかとか、何を語ろうとしてるのかとか普通に映像見てればわかると思うんですけどね。