はてなキーワード: 繁殖とは
「価値観は人それぞれだ」とはよく言ったものだが、これをミーム概念を知った今考えてみると「善悪の価値観を築けない」っていう状態になる事がある。
価値観、正義などはミームの集合体、情報のパッチワークとして、要は「個人がどのような情報を取得するかで善悪は決まる」という事だ。
俺たちは「人殺しは悪い」という情報を与えられているから殺人を原則として「いけない事」と認識する。その情報が与えられていないなら殺人は悪とはみなされなかった筈だ。まあ、人がミームを重視するようになった理由、進化からしてあり得ない事だが。
これに気づいたら、思想を「正しいか否か」ではなく「どのような構造をしているか」で見るようになってくると思う。今の俺がそうだ。
この状態で思想を正しいか否か判断する事は、例えば「どんな構造の建造物が正しいか、正義たり得るか」と論じているに等しい行為だと思うからだ。思想はその個人が取得した情報の寄せ集めにすぎん、して多角的に見たらその思想は間違っていることにも、正しい事にもなる。
ならば「何が正しいか判断する」というプログラムは意味を成さない事になる。それこそ自己というミームの集合に「善」として適応するか否かの問題になってくるわけで、それはそのミームが己の中でどのように繁殖するかにすぎない。
「善悪の領域が初めからあり、それを元に判断する」のではなく「既存のミームの集合体にどう適応するか」で善悪が決まるというのならば、個々のミーム自体は本質的に同じだ。この思想状態で「何が正しいか判断しろ」という指示自体が意味を成さないのだ。
ミーム・・・人の思想、物語がミームならば、アニメや漫画もまたミームの一つか。正確には情報が、だけど。
創作家達の脳内で育ったミームの集合体がメディアを通して我らの脳に入り、受け入れやすいか否かで繁殖率を広げる。哲学も技術も、言語も誇りも。全て心とはミームの集合体だ。肉体がgene(遺伝子)の乗り物であり、設計された城であり、集合体であるのと同じように。
ミームの存在を知ると、全てが単一の物としてではなく、構造的かつ集合的な物として見えてくるな。これが悟りか・・・? まさに東洋哲学、道教や仏教的精神と似たような物を感じる。全ては寄せ集まり、拡散し、蠢き合う「波」だ。この世とはまさしく海のような物かもしれない。
我らが祖先、原始的生物から「波」はどんどん大きくなり、波同士ぶつかり合い、同調し、ある波は消えてある波は興る。そして最後は静まっていく・・・嵐の後に必ず平穏が来るように、生の後に必ず死が来るように。
だが水という本質は変わっていない。我らもまた同様だ。全て等質の物が集まり、蠢き、形をとり、風に吹かれて消えていく。
物質が集まって体を造り、やがて死に、禽獣草木に食われ、同化して大きな波となり、糞となって土に還るこの摂理もまた、寄せ集めの一過性の物なのだろう。
心もまた同様だ。生まれた時に人はgeneからmeme(ミーム)を生み、惜しげもなく周囲に与え、さらにmemeを他から与えられ、geneから生み出された心はmemeによって形成されていき、memeが集まって自我となり、誇りとなり、思想となり、哲学となり、留まる事なく変化し続け、人に与えに与えた所で消えていく。
ここで、だ。
俺達の心=ミームの集合体、アニメや漫画の物語&世界観=ミームの集合体
ΩΩΩ
「いいか・・・今流行りの進撃の巨人とかで前線に立ってる強者並びに漫画・アニメの住人は・・・」
だがそうとしか考えられない。何故彼らは余りにも人間的な仕草をするのだろうか? そう!我々と同じ先祖を持っているからに違いないのである!
気付かなかったか!?何故ミカサがあんなに可愛いのか!? 小泉元首相の郵政民営化に違和感を感じた事は? ナチスの軍服があそこまでかっこいい理由は?
俺たちは侵略されているんだよ!クトゥルフの意思を継いだイカ娘、いや!ありとあらゆる二次キャラに若者は魅了され、やがて二次キャラそのものとなるのだ!
自我は掻き消え、彼女らのミームで全ては満たされてしまうんだよォーーーッ!
こんな所にいられるか!俺は部屋で寝るぞ!
そのお二方にスターをつけたので書こうと思ったが文がまとまらなくなってしまったので要点だけ。とか言いつつやっぱ長くなった。すみません。
自分は「子供を作るのはエゴで鬼畜か馬鹿の所業である」は正しいと思っている。でも『それだけ』が真実だとは思っていない。
「子供を作るのはたいがいの生き物があまり深く考えんと概ねやっている自然な行為である」ことや、「子供を作るのは幸せで種族反映の目的に叶った正しい行為である」ことと同じくらい、当たり前に並び立って存在する事実なのだと考えている。
「エゴで〜」だけではこの世はただの地獄になってしまう。「たいがいの〜」だけでは人間が理性と避妊の概念を持った生き物であることと矛盾してしまう。「幸せで〜」だけではこの世に不幸や苦しみを伴う死が存在している現実を無視してしまう。
どれかひとつだけが正しいとか、これは間違ってるから除外しようとか考えてはいけないものなのに、そこを見落とすから立場の違う人を傷つけたり、価値観を押し付けて不快にさせることになってしまうんじゃないかと思った。
キリンが逆立ちしたピアスの人が「たいがいの〜」「幸せで〜」という繁殖の一面だけを押し付けられて不快になったのと、ブコメで元増田を非難してる人たちが「エゴで〜」という繁殖の一面だけを押し付けられて不快になったのは、まるっきり鏡合わせのように同じことが起きただけの話じゃないかな。
そういう意味でブコメの反応はある意味素直というか、元増田の主張を「子供を作るのはエゴで鬼畜か馬鹿の所業である。これだけが唯一絶対無二の事実である」とストレートに読んでいる(あまりに過激な文体なので脊髄反射でそう読んじゃった)人が相当に多いように感じた。
増田もおおもとの増田を子作り否定派だと誤読しているようだけど、それは読み違えで「子供を作るな、子作りは悪だ」という主張は元増田ではされていない。ただ「作るなら不幸の可能性から目を背けるな、正当化するな」「『それが出来ないなら』作るな」ということだけしか書いていないんだよね。
つか元増田って2chの「子供作る奴が一番子供のことを考えていない!」スレやその姉妹スレのまとめだと思う。親に産まなきゃ良かったって言われたとかの下りも実際は元増田の経験じゃなく、名無しの誰かがどこかのスレに書き捨てたことの焼き直しじゃないかと。特に後半は句読点の付け方や文体もばらばらだし。
結局この人も「損得」の範囲でしかものを考えることができないのだなぁと思った。
ありとあらゆる生物が繁殖している。
「子どもに不幸が訪れる可能性を排除しきれない以上、子どもを作るのはエゴだ」というのは人間という特殊な生物のエゴの最たるものではないか。
犬や猫や象やキリンが繁殖することに疑問を感じるだろうか。そんなことは絶対無い。
生命体が生命体たる所以は遺伝子を後生につなぐことだ。
この大原則に反している生命体は地球上に一つたりとも存在しない
それを屁理屈を駆使して否定するなら、そもそも生きていること自体が無意味という結論にしかならない
生きるとは損得勘定を常に考えて合理的に振る舞うことではない。
生きるとは生きるこというトートロジーでしか語れないのだ。
そもそも増田が詭弁を嘯けるのは、この世に生を受けたからという事実を忘れている。
http://lovelykin-kin.seesaa.net/article/360376876.html
ようはペットボトル飲料に直接口を付けて飲むと、口腔の雑菌がペットボトルに入ってしまって
しかも高栄養状況下だから、雑菌が繁殖してしまって気持ち悪いという話だ。
ブコメをみると、口つけなければいいじゃん的な意見が出ている。自分も同感だ。そうしてる。
でも。たまにこぼすんだよな。勢いあまって。牛乳なんかを襟元あたりまでぶちまけると気力が著しくそがれる。
そこで考えた。
口にクチバシみたいなのを固定して、そのうえにペットボトルの入り口をのせて流し込めばいいのでは?と。
やってみた。
牛乳パックの入り口あたりを切り抜いて自分の口でくわえる。そこにペットボトルをのせて飲む。
できた。
悪くない。
でも問題にすぐ気づく。
このクチバシを洗うのが面倒。
そもそもコップを洗うのが面倒なので直飲みしているんだからクチバシを洗うんだったら本末転倒。
クチバシを洗わないとそれはそれで不衛生だ。
そこでもう一度思いついた。
クチバシを作って、クチバシは使うたびに食べちゃえばいい。材質はローかろりーな奴で。
おれ天才!
というわけで、だれかつくって。
まとめ。
ペットボトル直飲みで菌ウヨウヨ問題は、唇とペットボトルのあいだを
食べられる素材の導水管でわたしてしまえば解決。
犬や猫は商品であると同時に、商品を生産するための機械でもある。
ブリーダーは、ブリーダーである以上、常に生産をやめるわけにはいかない。
売れないからといって、生産を何年もやめる、というわけにはいかない。
じゃあ売れ残ったら殺すのか?
ところが、現代ではなかなかそれは許されなくなってきている。
ほかの動物ではどうだ?
家畜の場合、病気でない限り、売れない、ということはあまりない。
マーケット全体で、売りが過剰の場合、相場が安くなるわけだが、それでもほとんどタダみたいな値段であっても、肉として売れる。
実験動物ではどうだ?
商品価値のないゴミを店に置いておき、維持費をかける理由などない。
しかし、だ。
現代ではそれは許されない。
という方向で動いてる。
さて、いよいよ乙武さんの話に戻ろう。
障害者に対する対応も同じように、障害を理由に入店を拒んではならない。
という方向に動いてる。
人手がいなかったら、他の客に手伝ってもらっても、入店させるべきだ。
他の客に手伝ってもらうほうが、障害を理由に入店を拒むよりもずっと恥ずかしくない。
障害を理由に入店拒否なんかしちゃうことは、腹切って死なないといけないくらい恥ずかしい。
っと、世界の人々は思い始めている。
その場合であっても、ただただ頭を低くして、謝るべきで、断罪されるべき。
っとね。
今回の件で乙武さんを批判している人たちは、
パラリンピックを見て、障害者ごときが周囲に手伝わせて金にもならん道楽に興じてるんじゃねーよ!!
っと言い放ってるようなもの。
何十年か後には恥じることになるよ。
産む前より産んだあと(子育て)の方がもっとめんどくさくて長期間に渡る作業だと思うが……
自分はアーヴの繁殖方法がいいなぁ。気に入った適当な相手と遺伝子を掛け合わせて好きなだけ調整して人工子宮に突っ込み、、健康で才能あふれるイケメンおよび美女の遺伝子を持った子供を、衣食住全部自動でやってくれる(親は愛情と躾と教育だけ与えてれば済む)育児室みたいなので育てればおkってやつ。
アーヴの子は「自分の子を作りたいと申告した方」に親権が与えられるので、グダグダ子供の取り合いでもめる心配もないし、世の中の人間全員が遺伝子操作で優秀なのしか産まれなくなれば「私は優秀だ、お前は劣ってる」なんて格付けをして自尊心を満たし合うようなくだらないことも起きなくなるだろうし、ホントあの世界うらやましい。
何だか統失患者の文章みたいでまとまりがなくさっぱり文意がつかめないのですが。こういう文法は正しいけれど意味は支離滅裂という文章を書けるのもある種の才能なんでしょうか。
どうもここには一見、女に不利なことを書くと理路もへったくれもなく噛みつくことが目的で噛みつく頭がおかしい人が常駐しているみたいですけどね。
さて、それはさておき、意味が分かる部分について反論しておきましょう。
まず先述したように哺乳類での一夫一婦制はごく珍しい例で、一説では全種の3%のみとも言われています。これはオスもメスも「本来は子育てをしたくない」という当然の行動原理があることを踏まえれば、特に哺乳類で一夫一婦制がほとんど見られないのも当然です。
子育てをしない、もしくはオスかメスかのどちらか一方に押し付けることが可能なら、その間に押し付けた側の性は別の相手と繁殖活動が可能になりますので、そういう方向に進化するわけです。魚類でオスのみに育児行動が見られる例が割合あるのは、魚類の多くが体外受精をするせいです。つまりメスが卵を産み、オスが射精している間にメスが逃げれば、結果的に面倒を見るのはオスしかいなくなりますので、オスに育児行動が見られるように進化していくわけです。
哺乳類の場合は出産はもとより、哺乳行動が必ずありますから、メスが育児行動をすることはあらかじめ決定されています。メスが育児をする以上、オスは育児をしなくてもかまわない場合がほとんどになりますので、哺乳類では一般にオスの育児行動が見られない、オスの育児行動が見られるのはつまり一夫一婦制なので、一夫一婦制が見られない、ということになります。
鳥類では肉食が多いために一夫一婦制が一般的ですが、鳥類は哺乳類と違って雌ヘテロ型の性染色体の性決定様式なので、ここで述べているY染色体の劣化の問題は発生しません。
ヒト以外での一夫一婦制の哺乳類ではやはり肉食動物に多く見られるのですが、代表例であるオオカミの場合は、しばしばつがいの入れ替わりがある、集団の中において核となる夫婦だけが繁殖するなど、ヒトとは少し変則的なのですが、まあ一夫一婦制による子育て行動が見られます。オオカミの近縁種で他の繁殖形態をとる種がないので(家畜化されたイヌは別にして)、比較はできないのですが、他の種と比較すればやはりY染色体の劣化は程度としては見られますが、ほとんど問題になるレベルではありません。
これはオオカミの場合、ライフサイクルが短いこと、繁殖力が高いため個体数の増大においては繁殖力そのものよりも、空間的な制約の方が大きいことが挙げられます。1995年にイエローストーンでは31頭のオオカミが導入されましたが、それから20年を越えて、近隣三州での個体数は2000頭を越えていると見られます。
つまりY染色体が劣化してそのため絶滅する個体系統があっても、すぐにそれを補う数が補填されるということです。蓄積されてゆくエラーの中にはY染色体の機能向上させる方向に働くエラーもありますから、そういうY染色体を持ったオスの子孫がたちまち空いた空間を埋め尽くすので種全体としての健全性は保たれます。ヒトとは繁殖速度とライフサイクルがまるで違うので、比較になりません。ヒトの場合、狩猟採集生活下では人口置き換え水準をほんのわずか上回る程度の繁殖速度ですから、遺伝的に絶滅する夫婦の割合が高ければその空間を埋めることは出来ないのです。
Y染色体が劣化した場合、当然、残されてゆくY染色体は同質化していきますので、繁殖力の弱い個体は絶滅するだけで、種の多様化とは逆の現象が発生します。過剰繁殖かどうかは環境が決定するので、基本的に人口置き換え水準が維持されているならば過剰でもなければ過小でもありません。環境によって制約を受ける最大個体数に適応した人口置き換え水準がヒトの場合は、自然状態ではおおよそ特殊合計出生率にして4.2前後なのですから、これを下回る場合は絶滅、もしくは生息域の縮小へと至ります。一夫一婦制において結果的に特殊合計出生率が低下する現象がみられる場合、後になればなるほど遺伝的な同質性は強まっていきます。言うまでもなくそれは種の多様化とは正反対の現象であって、ここでのあなたの主張は「頭がおかしい」というしかありません。
また現在、イスラム圏など「一夫多妻制度」の人類社会があるが、そこが生殖能力が高いか? 人口比では一夫一妻制の社会の方がよほど大きい。つまり、個々人のうち、少数者が生殖子がよわかったとしてもそういう種は一夫一妻主義のもとでも淘汰されへっていくはずなのだから問題はなく、この主張は一夫多妻主義者の虚偽だ。
イスラム圏での婚姻形態について余りにも無知すぎます。そもそもイスラムにおける一夫多妻制は未亡人や孤児の扶養を目的としているため、扶養力がない時点での一夫多妻制は許容されていません。実際には9割以上が一夫一婦制での婚姻形態であり、比率から言えば圧倒的にイスラム社会は一夫一婦制の社会です。更に言えば、出生率がイスラム社会の方が高めであるのは言うまでもないことです。ナイジェリアなどにはイスラム教徒とキリスト教徒がそれぞれいますが、キリスト教徒の方が出生率は低いです。これは同様にエジプトのコプト教徒社会などでも言えます。
そもそも生物学における繁殖形態と、文明史上の婚姻形態の話は別です。オスとメスが性行為をすれば、その婚姻形態がいかなるものであれ妊娠しますので、文明史においてはありとあらゆる婚姻形態が見られます。完全に一夫多妻制の社会、完全に一夫一婦制の社会というものはないのです。日本や中国では圧倒的多数は一夫一婦制でしたが、権力者が一夫多妻制であったのは言うまでもないことです。厳格に一夫一婦制を求めるキリスト教社会にあっても、フランスにおけるロワイヤル・コンキュビーヌの制度に見られるように、多妻制は見られます。
生物学における一夫一婦制とは、繁殖形態が種のグランドデザインにまで及ぼす影響がある程度があることを指して言うのです。ヒトの場合は、雌雄差が小さい、性淘汰の影響が見られない、等々の理由から生物学的に一夫一婦制がデフォルトであることが立証されているのです。
正直言ってこの程度のことさえ知らないで、何かを言おうと思うこと自体、蛮勇と評するよりありませんが、何か衝動に駆られて物を言おうとする前に少しは頭を使うとか知識を得ようとしてはいかがでしょうか。
文明社会における婚姻形態の話と、生物学における繁殖形態の話はまったく異なると言うことを言いました。
本来、生物的にはあり得ない一夫多妻制が文明社会でしばしば見られるのも文明による干渉、歪みです。
例えば、南米や太平洋諸国ではY染色体とミトコンドリアDNAの不自然な組み合わせの例が見られます。Y染色体が男系のみを通して、ミトコンドリアDNAが母系のみを通して継承されることはよく知られていますが、南米や太平洋諸国では、ミトコンドリアDNAが現地由来、Y染色体がヨーロッパ由来である場合が多く見られます。南米で先住民系として扱われている例でも、Y染色体の割合では半数以上がヨーロッパ系という例もありました。これは言うまでもなく大航海時代以後のヨーロッパの帝国主義がもたらしたレイプと殺戮の影響であるわけですが、同様の例はアメリカの黒人でも見られます。
つまりY染色体を辿る限りアメリカ黒人男性のほとんどは実は白人の子孫なのであって、彼らをアフリカ系と呼ぶのは遺伝的には半分しか正確ではありません。オバマ大統領の場合は、こうした普通のアメリカ黒人男性と違って、ミトコンドリアDNAがヨーロッパ由来、Y染色体が東アフリカ由来になっています。これは彼の両親が自由結婚した結果であって、オバマ大統領はアメリカの黒人ではあっても、遺伝的にアメリカ黒人男性のメインストリームとは奴隷制の負の遺産を共有していません。
自然界における一夫多妻制は遺伝子の優劣によって決着がつきますが、文明社会ではそうではないわけです。それは武力や財産や社会的地位によって影響を受けますので、自然界における一夫多妻制のもたらすY染色体の競争が起きずに、Y染色体の弱体化をむしろ加速させます。本来、子を持つことが叶わない生物学的に弱い男子が、社会的影響などによって多くの妻を得ることは、弱い男子の遺伝的影響が狭い集団の中で蓄積してゆくことを意味します。
公家や皇族で男子が生まれにくいというのはまさしくこの影響であるわけです。おそらく公家の夫婦の間ではY染色体の劣化がいちじるしく蓄積しているために、男性の側で性染色体が母系由来のX染色体しか機能せずに結果的に女子しか生まれない、女子が生まれやすくなるのです。Y染色体は男系を通してしか継承されませんから、たとえば皇室で健康な女性をいくら導入しても、この問題は解消されません。
文明社会では確かに一夫多妻制は純粋な生物学的な競争ではなく社会制度によって干渉を受けるためにY染色体の劣化をむしろ加速させるでしょう。逆に言えば純粋に繁殖力や性的な魅力(ほぼ繁殖力と重なる場合が多いです)のみで一夫多妻制が行われれば、Y染色体の能力がかさ上げされます。
全国でそりゃ移入種が問題になっている。
国内からの移動でも遺伝子攪乱とか、問題が多い。イノシシとか、樹木もね。
さて、国内で人間が手を焼いている生物、主に雑食性小型ほ乳類でいえば、ヌートリア、ミンクにハクビシン、タヌキ、イタチ、マングース、アライグマ、リスもかな、似たようなのが一杯いる。
これに、在来のイタチや、タヌキや、テンが入り乱れて豊富な生態系を気付いている。かといえばそうではない。
なんせ、縄張りがかぶらないのだ。ミンクは北、マングースは南、その他、ちょっと調べて貰えばわかるが、以外に同じ区域に食性を同じにする複数主の外来種が根付くのは困難だ。
まあ、考えてみれば、当然で、資源は繁殖のために目一杯使われる。よそ者なんかに残したりはしない。土着、外来に係わらず、先住の種族が支配しているエリアを奪い取れなければあとから来たものは定着できない。
・
ここで、思考実験。
小さな島を用意する。
そんな夢の楽園にとりあえず雑食性の小動物群を全種類25組ずつツガイで放したい。
五年後に島で最も繁栄してるのはどれかな~。
オスの世界 http://d.hatena.ne.jp/pal-9999/20070725/p2
チンパンジ-やピグミーチンパンジーの睾丸は、人類のよりもずっと大きい。
乱交形態の類人猿の場合、メス側が、一度に5~6匹の相手をすることがあるので、できるだけ多くの精子をたくさんの相手に分配しないと生殖では不利になる。
乱交の場合、睾丸は大きくなる。つまり一人の女性をシェアするような形態、3Pとか5Pとかの世界になると、精子量が多いほうが着床しやすい、って事ですかね。
「ドパー!」と沢山でた方が優位に立てそう。
逆に一夫一婦制の場合、精子量が少なくてもパートナーに着床可能ってことになる。
これは『退化』かな。ペンギンの羽が小さくなったように少ない精子量で着床できるなら低コストの方に適応していくという。
更に一夫多妻性の場合、オス観点では多数のメスを独占できるので更に少ない精子量で子孫を残すことができる。
http://blogpal.seesaa.net/article/49296795.html
1、鳥類や、他の一夫一妻制の動物では、配偶関係にあるオスがメスと子供に対して、長期間の保護や食料を与える。そのため、オス側の資源調達能力は、非常に重要になる。そのため、子供や女性への資源調達能力が優れた男性ほど、優位にたてる。
2、基本的に、一夫多妻制の動物ほどには、オス同士の争いは少ない。複数のメスを独占しているオスを倒さないと繁殖できないという事はないから。結果として、オス同士の争いが少なく、体がでかいほうが強いという事は必ずしもない。そのため一夫多妻制の動物ほどには、オス側の体がメスよりでかくなるということはない。結果として、オスとメスで、極端な体格差は現れない。
3、強力な資源調達能力をもつオスをめぐってメス同士の争いが起こりうる。これは、すなわち次の淘汰圧を意味する。つまり、オスを巡るメス同士の争いが起こった場合に、より有利な特徴をもつメスほど優位に立てるという事である。
卵子の劣化の話をしている時に、何がスイッチになるのかは分かりませんが、でも精子も劣化するよね!とか、人類史的にはここ100万年、精子は劣化しているよね!というような話をしたがる人がいます。
精子の話と卵子の話はまったく異なるのですが、男性の場合、加齢とともに精巣の精子製造能力やその品質劣化が若干生じることはあります。ただしそれはほぼ誤差の範囲内で、男性の場合生殖でより問題になるのが勃起と射精の問題です。
はっきり言って、二十三十の時に例えば十人の女性と寝てそれぞれ妊娠させたような男性は、七十八十になっても子づくりすることには精子的にはほぼ確実に問題はありません。精子は毎日製造されていますので、それ自体が劣化することはないのです。劣化しているとすれば、最初からそういう精子なのであって、精子の数が少ない人、不具合のある精子が多い人は、年齢に関係なく自然妊娠をさせる力がありません。これは加齢の問題ではなくて、個体差の問題なのです。
ヒトの精子が運動率が悪く、特に近来、減少を続けているというのは事実です。
これはY染色体が交雑しないために、エラーの修正を受けることなく、エラーが蓄積されて、「劣化」してゆくのがそもそもの原因ですが、哺乳類の多くはヒトと同じく雄ヘテロXY型の性染色体であるのに、ヒトともっとも近縁のチンパンジーでは、同じ面積であればヒトの場合、精子はまばらにしかなくしかも動きが小さかったり、そもそも動かなかったり、変な行動が見られるのに対して、チンパンジーの場合は隙間なく、健康が精子が活発に動き回っているのが見られます。これはつまり、ヒトの精子の劣化は、Y染色体のエラーの蓄積だけでは説明できない、ということです。
ヒトは子育てに膨大な労力を注ぎ込み、自然状態では子供が育ちあがるまで15年はかかり、せいぜい、3人から4人の子を育てるのが限度と言われています(農耕社会はこの数を飛躍的に増大させましたが)。哺乳類は基本的には一夫多妻制がデフォルトで、オスは子育てに関与しません。その結果、オスにかかる性淘汰圧力が激しくなり(メスがオスを選ぶので)、哺乳類のオスには異形のものが数多くあります。一夫多妻制の社会では肉体的にも生殖能力的にも優れたオスが生殖機会を独占することで、絶えずY染色体の選別が行われ、その結果、Y染色体の健全性が維持されています。
チンパンジーの場合は、一夫多妻制ではなくて、メスが群れのあらゆるオスと交尾する乱婚制ですが、これは一夫多妻制における個体間の同性間競争がそのまま精子に置き換えられるのであって、複数のオスの精子が同時にメスの胎内にあり、精子間競争によって優秀な精子が選別されます。その結果、チンパンジーのY染色体の健全性が担保されているのです。
一夫多妻制や乱婚制の社会では子育てはメスのみが行うことになります。ヒトの場合は育児にかかる労力が桁外れに膨大なため、メスだけでは子育ては出来ず、子育てにおいてリソースが最大化される一夫一婦制を発達させてきました。哺乳類で一夫一婦制を採用している例は稀少で、鳥類等の例を見ても、基本は肉食動物、つまり育児にかかるコストがもともと大きな生物がほとんどです。
女性が一年に子供をひとり産めるとして、同じ期間に男性は原理的には何百人もの父親になることが可能です。この生産性の差が、生産性が低い方の性の不足を招き、その結果、ほとんどの種で性淘汰はメスによるオスの選別という形になるのですが、ヒトの場合は子を産ませるにしても、その後、子育てに父親も従事しなければならないので、結局、何百人産ませても育てられないわけで、この一般的な性淘汰が働きません。むしろ、メスはどのみち子育てからは逃れられないのに対して(特に哺乳類の場合は哺乳と言う育児が必ずある)、オスは本来、子育てには注がないでもいいリソースを一夫一婦制では注ぐということになりますから、オスがメスを選ぶのです。
ヒトの形態を見る限り、乳房や臀部の肥大化など、性淘汰による異形化が進んでいるのはむしろメス(女性)であって、人類においては一夫一婦制を採用したために、性淘汰圧力はむしろ女性に対してかかってきたと言えます。
一夫一婦制、つまり男が妻と子を養う体制は、生殖に関与する男性を最大化するシステムであり、生殖に関与する男性が最大化するということは同性間の性競争が極限にまで小さくなると言うことであり、男性が女性を巡って争う理由がなくなる、ということを意味します。この男性間の平和によって、男性と女性すべてを内包する社会を構築することが可能になったので、ヒトにおける社会とはそもそも男社会です。
それはともかく、ほぼすべての男性が生殖に参加するということはY染色体が淘汰されないということを意味します。その結果、ヒトにおいてはY染色体の劣化が飛躍的に加速してきたのです。
これがヒトにおいてY染色体と精子の劣化(他の近縁種と較べて)が起きているという意味です。
これは種としての問題ですから、ある特定の個人の男性が、妊娠させられないということとはまったく次元の異なる話です。そうした問題を抱えていない男性の場合、七十になっても八十になっても精子の老化は程度としては発生しないと断言してもいい、というかそうとらえておいた方がいいと思います(もちろん勃起不全など別の理由で性交渉が困難になる例は多いのですが)。
卵子の老化および個人差によって約10年の開きはありますが加齢による事実上の不妊化は無差別に発生する問題ですから、特定の女性個人の問題ではなく、女性全体が知っておくべき問題です(むろんその配偶者である男性も)。個人の特性の問題と生物としてのシステムの問題を、卵子の老化の話をする時に精子の話をしたがる女性はごっちゃにしている傾向があります。それによって何を守ろうとしているのかは分かりませんが、願望や「であるべき」論によって科学的事実の周知徹底が遅れたために、結果的に子が欲しくても妊娠出来ない女性を生み出してしまったのではないでしょうか。卵子の老化の話をしている時に、精子の話をして魂の安寧を得ようとするような女性がいるとしたら、そのマインド自体が批判されるべきだと思います。
あぁ、これは女性の年収があがったからにも関わらず、男性にはより上の年収を期待するからです(上昇婚で検索)
女性の年収は上がりつつありますが、男性の年収は下がりつつけています。つまり平均化してきているのですが、
それでも女性は男性に年収を求め続けているためです。 社会的な変化ですね。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20111101/289239/?ST=ecology&P=1
男性観点では「女性が結婚生活に求めるレベルが高すぎる」から結婚に踏み切れないのです。 経済的理由です。
『彼女の期待する生活レベルの年収に達するまでは、まだかかる』 実際には付き合ってる間も彼女の年収は上がっていくので、自然と理想も高くなるのですが。
この上昇婚ですが、年収が低い女性は相手に期待する年収も低いです。 そして若くキャリアが短い世代の方が一般的に貧しいです(男女ともにそう)
(高齢独女、高学歴独女のもつ男性への期待年収も下げればいいのにな、と思いますが難しいようです)
若い男性も、若い女性同様、金はありません。 ですので若い女性と結婚するのは必然的に「数歳年上の男性」となります。
(若い男性は数年間、女性の希望にマッチするレベルになるまで努力が必要な期間がでる)
これよく分からなかったんですが、「適齢期女性の『結婚、子どもプレッシャー』に答えない男性」って遊び人って事でしょうか?
そういう男性への配慮というか、そういう男性って結婚して子ども作るかな?と思ったんですが。
仮にそういった遊び人的な人に繁殖してもらうとなると、育児のバランスをガラッと変える必要がありますよね。 男性の育児参加ではなくて、社会が子どもの面倒を見るように切り替える必要がある。
P.S
「若い女性の方が期待する年収が低いっておかしくないか。等価交換って」「年収高い女性(一般的に高齢)の期待年収が高いっておかしいんじゃ」と思われると思います。
ただ男女ともに言える傾向ですが、「自分と近い層をパートナーとして選ぶ傾向」が男女ともにあります(Buston and Emlen 2003)
いろんなことがあったんだ。
氷がとけて、暖かくなり、たくさんの春が来て、それから冬も来て、また春が来た。
それからたくさんの友達が現れて、たくさんの友達が消えていき、たくさんの思い出が残った。
「あなたの目、とても素敵」
彼女が男である僕にそう言った。目が素敵だって。てっきり女性に言うための言葉かと思っていた。
泳げるようになってしばらくして、目が見えるようになった。
それからたくさんの鮮やかな色が出てきて、また見えない色も出てきた。
美しさがそこに現れ、綺麗なあの子にはそれが備わっていた。
僕は、無性に歩きたかった。彼女といっしょに、手をつないで、歩きたかった。
「いつまでも、きみと、歩きたい」なんて、恥ずかしくて、直接は言えなかったけれど。
すくっと立ち上がって、僕は歩く。きみの手をとって、僕は歩き出した。
言葉は出さない、ただ、手をとって歩き出したんだ。
それから、大きな空を見上げた。
青くてすがすがしい空気がそこには拡がっている。
「きみと、空を、飛びたいんだ」
「ええ、あたしもよ」
そう言うと僕たちは、ゆっくりと体を重ねて、飛ぶ準備をした。
手をつないで、体をぴったりと重ねて、綺麗な色の服を風にはためかせながら、ゆっくりと…。
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…そのような「ぼく」の映像を、俺は見ることができた。
「【ぼく】って何だい?」と俺は問うた。
そこには何千年も残る、巨大な何かがあり、答えてくれた。
「この世の原理は、ひとつなの。「在るものが在る」それだけよ。」
「数式で表した方がわかりやすいかしら。1=1.それだけなの。」
「滅びたきっかけはね、戦争なんかじゃないわ。進化しすぎてDNAプログラムが暴走したの」
「あなたたちは遺伝子にプログラムされてできているタンパク質なの」
「プログラムは意志をもたず、ランダムに変化してちょっとずつ進化していくの」
「さっき言った「在るものが在る」というルールに沿ってね。残った遺伝子が残ったの」
「ただね、プログラムは意志を持たないから、暴走したようにふるまうことがあって」
「たとえばね、巨大になった生物は巨大さが有利になり、より巨大化していくの」
「巨大さが有利な生物は、メスにモテるのはより巨大になったオスなの。いわゆる性淘汰ね」
「性淘汰が進むと、必要以上に巨大化する方向へどんどん進み、戻ることができなくなってしまうわ」
「巨大化した生物がことごとく滅んだのもその理由ね。そしてこれからも。」
「そして、暴走する手前のプログラムからまたやりもどすの。恐竜は滅んだけど、トカゲのプログラムは生きてる」
「さっきの話に戻ると、人間はね、知能が発達して、文化を持ったわ」
「文化それ自体も「残るものが残る」ルールに乗っ取って、まるで遺伝子のように文明が発達していったわ」
「余剰価値がうまれるようになり、IT革命がおき、年を重ねるごとに文化はべき乗で発達していった」
「それからどうなったと思う?」
「必要以上に発達した文明は、戻ることができなくなってしまったわ」
「そして、ヒトは滅んだわ。戦争すら起こらなかった。」
「完全に、1匹たりとも残らなかった。」
「いえ、でもね、文明が発達する前の、霊長類が残ったわ。プログラムが暴走する前の状態よ」
「そしてね、もうひとつ言っておくとね、ミクロな部分でもそうだけど、もっとマクロな部分でもそうなの」
「つまりね、遺伝子が拡がり過ぎること自体が自己増殖化で、それはプログラムのバグなの」
「宇宙もね、拡がったものが結果的に広がっているのだけど、それもプログラムの暴走なの」
「え?結局何なのかって?」
「さっき言ったじゃない。在るものが在る。それだけよ」
「そう、本当にそれだけなの。宇宙は1なの」
「それだけ…」
俺はその言葉を聞き、眠りについた。
繁殖期の男女の、輝いている生。
そして、その裏側にある死。
俺はここに在る。
女性手帳が出るらしい。思春期から女性はこどもを生み育てることを念頭においてライフスケジュールを考えろということだそうだ。
ところで女一人で繁殖できるわけじゃない。
オトコはパートナーを持つこと・こどもを家庭で育てて社会に出すまでのタイムテーブルを考えなくていいのか?
ニートなんて立場をとれちゃったり、そんな「年がいった子」を飼い続けている親がいるっていうことは、自発的にこどもを自分が養育し社会に出られるまで責任を持つってことを考えられない層がいるわけだが、そうした啓蒙は女性にだけにしようという=男性にはその啓蒙がいらないっていうことらしい。
ということは、繁殖したあとの養育部分は国が面倒をみるということなんだろうか。
現時点では平均的な女性一人の収入で、子育ては非常に難しい。保育園だって足りない。
その状態で女性にだけ、こどもを育てて社会に出すまでのタイムテーブルを考えさせるのだったら、応分の負担を男性が金銭で行ってくれるに違いない。
こどもを持つか持たないかに関わらず、15歳~50歳の男性にはすべて年間200万円の「男性税」を課して、それを子育て関連に充てれば、ええんでないだろうか。
で、男性は結婚して子どもを持ったら(養子縁組でも可)免税される。
実際に一人こどもを持てば出費は200万円では済まないのだから、こどもを持たないほうがお徳にはなるので、不公平感は無いんじゃないかな。
・少子化を解決するにはさ、一夫多妻を認めて、尚且つ未婚での出産子育てをふつうのコトにすればいいんじゃないの。婚外子への差別をやめて支援するとか
・一夫多妻だと法律上一人の夫にたくさんの妻がいるってことだけど、未婚での出産子育て自由化も実質は似たようなもんになるよ
・なんで
・たぶん優秀なオス人間がたくさんの種を撒き散らすということになるからだよ、扶養しないだけで
・それはだめなの
・だめじゃないけど、優秀でないオス人間がメス人間と子を持てない社会になるね
・子がもてればメス人間なんか持たなくても良いというオス人間は多いと思うが
・俺もそう思うね。でも子が持てないとなると辛いね
・どこかのメス人間に産んでもらえばいいじゃない
・まあ、誰かに精子をもらうというのは簡単だけどさ、10ヶ月身ごもって出産してくれというのはムズいでしょ
・たしかにね
・極端な話、オス人間がひとり入れば百人のメス人間が妊娠出産できるわけだし、オス人間がするのは射精だけでいいんだよね
・そうだけど?
・でも、オス人間が子を持つには、少なくとも10ヶ月間はメス人間との契約が必要だよね
・契約?
・ああそっか。メス人間はオス人間の精子さえあれば良いのにね。オス人間は最低10ヶ月、他人の子宮を借りる契約をしないといけないわけか
・あと「あなたの優秀な精子をくれ」と言ってイヤがるオス人間よりも「俺の子を孕んでくれ」と言われてイヤがるメス人間の方がずっと多いしね
・そうだよなあ。メス人間はブスでも精子を選べるのに、無能なオス人間が美人の秀才に身ごもらせ出産させるのは至難の業
・無能なオス人間が子だけ持つというのは難しいんだよね。だから婚外子支援というのは実質メス人間優遇のことなんだよね。
・なるほどなぁ。そういうふうに考えていくと、もしメス人間とオス人間が社会で完全に対等に扱われるようになって、尚且つ未婚での出産子育てがノーリスクになった場合、妊娠出産という能力を持つということが特権のようになるね
・どうしてさ
・メス人間とオス人間の社会的地位や経済的地位が全く同じなのに、子を出産するという能力はメス人間だけにしかなくて、生むかどうかも、父親を誰にするかもメス人間が自由に決められるんでしょ
・たしかになぁ。ある意味、特権、というか超能力だよね。人類の半分だけが持つスーパーパワー
・養子という手もあるが、全人類の半分は容易く血の繋がった子を得られるのに、もう一方はそれが難しいから養子を取る、というのもなんだか……。あぶれてしまった無能オス人間が可哀想になるな。
・そうだね。まあ、ある意味、繁殖!繁殖!という原始的な強迫観念から開放された(させられた?)新人類とも言えるかもしれない。あ、でもオス人間にもさ、メス人間より腕力が強いっていう特権があるじゃん
・ま、その話なんだけど……。昔は、出産する性=メス人間、であるということはそうとうなハンディキャップだったわけでしょ
・暴力が支配する時代には、メス人間は強姦され子の父親を選ぶ権利などなかったし、安全に暮らすには、強いオス人間に守ってもらうしかなかったわけだ
・そうそう。腕力がモノを言う労働がメインだった時代もそうだよね。腕力がなけりゃ今日の糧が得られないから、腕力のないメス人間はオス人間に縋るしかないという
・だから、メス人間とオス人間がツガイである必要があったし、一夫一妻でオス人間が自分固有の子を産ませ育てるということが簡単だった、と
・メス人間がオス人間に守ってもらうなり養ってもらうなりしなければ安定した暮らしはなかったわけだしね。メス人間は生きていくために一夫多妻であれ一夫一妻であれオス人間とセットにならざるを得なかった
・生む性=メス人間、であることのリスクがそれなりにあったからこそ、妊娠出産という機能がスーパーパワーな特権化せずにすんでたわけか
・つまり、オス人間にはオス人間のownスーパーパワーがあったということか、腕力=暴力という名の
・そう、その2つが合わさることでオス・メス人間のセットが都合よく生産されてたわけ
・ところが、時代が先に進むにつれて、労働に腕力があまり必要なくなってきたんだよね。んで、それはオス人間自身が進めてきた技術革新によるもの
・それにつれてメス人間も仕事を得、自立できるようになった、と
・ただし、当初その技術革新の恩恵を受けたのはメス人間というよりはむしろ、腕力のない弱いオス人間なわけだけどね。ただ突っ立って工業製品を右から左へ~とすれば良いから、マンモス狩るよりずっと楽。
・本当に有能なオス人間は常に技術革新を起こす側にいて、そのおこぼれに預かる身分じゃないってわけか
・そして現代になると、そのおこぼれパイを低能・虚弱オス人間とメス人間が分け合わなきゃならなくなったわけか
・ちなみに技術革新を起こすことに腕力は一切必要ない。瓶底眼鏡のガリガリ虚弱オス人間でも頭が良ければのし上がれる世界さ。そして彼らからすれば、自分にはない「暴力」というパワーで何かを得ることは禁止したいわけだよ。だって一所懸命作ったマシンを腹パンで奪われちゃうなんてクソでしょ。
・だから暴力というパワーを行使することは禁止されたんだ、現代において?
・そんなとこ。それで得をしたのは高IQへなちょこオス人間だけじゃない。
・メス人間!
・そうメス人間。そして損をしたのは、メス人間よりは腕力が強いということしか取り柄のない低IQオス人間。
・加えて、昔は出産そのもので死んじゃう確率が高かったけど、今は違う
・そう。今は医療も進歩したし、子育ても金で他人にやらせれば良いから、妊娠出産における負の面がなくなった
・まあメス人間も完全に自由になれたわけではないけどね。やはり腕力の弱さから犯罪に遭いやすかったりするのは確かだからね
・オス人間は、メス人間よりとても腕力がある(≠生物的にタフ)、メス人間より頭が良い
・でも時代とともに、オス人間の大きな長所である腕力の必要性が低くなってしまったんだよね
・すると、メス人間と同じくらいのIQしかないけれど、メス人間にはできない肉体労働で稼いでいたオス人間の層というのはだんだんあぶれてくる
・メス人間は逆に職につけるチャンスが増えたのにね
・オス人間は長所である腕力を活かすチャンスが減ってしまい、経済的な面でメス人間の優位にたつのが難しくなった、と
・腕力が強いことが積極的に活かせるのって、肉体労働、争い事、スポーツくらいだものな
・その上、肉体労働も戦争も、機械が代わりにやるようになりつつあるからね
・肉体労働は機械に代わられ、マニュアル化されたヤリ甲斐も糞もない単純作業は馬鹿のくせに異様に忍耐強いメス人間にぶん取られ、需要の増えた医療福祉関係の仕事はもともとメス人間がやってる仕事。一部の高級頭脳労働を有能なオス人間がやり、餓鬼と老人のシモの世話はメス人間がやり、低能なオス人間はゴミを漁る、と。ちなみに大昔は戦によって低能オス人間はバッタバッタ死んでたわけ。前線に送られてね。ま、それが本来の正しい低能脳筋オス人間の活用法なんだけど。ともかくそれでまあある意味バランスがとれてたわけだ。…最後の砦の名誉な戦死が減って、セックスも出来ず、金も儲けられず、精巣を不満でパンパンにした脳筋オス人間が大量発生という恐ろしい事態に陥った時には、革命と戦争が起こり、世界は動き出すわけよ。ただし、現代には風俗と充実したエロコンテンツが溢れてるからそういう事態は免れてるね、この国では。
・うわぁ……。現状はメス人間がオス人間の仕事をとってるというより、オス人間の特性を活かした仕事の需要、低能オス人間の居場所が減っているという感じだな
・だのに、まだ現時点では、妊娠出産という能力は依然メス人間だけのものなわけだ
・収入などの条件では限りなく差がなくなりつつあるのに、生む能力だけはメス人間のもの
・このままメス人間の経済的社会的自立が際限なく進んで、未婚での出産子育てを非タブー化すれば、女性が未婚で妊娠して一人で出産子育てというケースが多くなる
・で、そういうメス人間たちはもちろん優秀なオス人間の精子に殺到して、結果的に優秀でないオス人間は子を持てなくなる、と
・本来ならオス人間に見向きもされず、子を持てなかったようなブスメス人間は逆に子を持ちやすくなるんだけど
・まあ、人工授精で精子貰えばいいからね。ブスメス人間でもイケメンマッチョ高学歴白人の子を生むことが可能
・時代とともにオスであることの利点は失われていくのに、メスであることのリスクは減っていく……
・そうかな。子育てという重荷から開放され、シミシワ毛穴だらけの高齢メス人間に結婚を迫られずにすみ、高性能セクサロイドとセックス三昧……
・なんでセクサロイド
・若くて可愛いメス人間は一夫多妻で有能オス人間に総取りされる
・Oh...でもまあセクサロイドは老けないし、セクサロイドの製造工場でのオス人間雇用も増えるかもしれない。社員割引などあるのかな。それにしても、メス人間ばかりズルいね……
・それなら、いつまでも、メスであるということがあるていど足枷として機能するような社会を保てばいいじゃない。メスが一人で子を育てることが難しい世界を保つのだよ。メス人間を働きにくくするとか、妊娠を機に解雇するとか、保育所をなくしてメス人間に強制的に子育てさせるとか。
・馬鹿な
・中絶やピルの違法化、強姦の罰を軽くするとか……ま、それは冗談だけどさ。でもこうしてメス人間が自立できるようになったのも、オス人間がメス人間に良心的に接してやってるからだろう。セックスできるかもという淡い淡いレモン色の期待を抱いてね。
・良心的?
・性奴隷や生む機械のように扱ったていいんだよ、本当は。文明が発達しても力づくで言うことを聞かせるという概念がなくなったわけではないんだから。サウジアラビアやイランのような金持ち国家だって女を上手に扱ってるだろ? でもそれをしないでやってるんだ、良心的だろ。出産以外の総合的な能力では明らかにオス人間のほうが上なんだし。施してやってるわけよ、オス人間は
・まさか
・ま、これも冗談だけど
・本音に聞こえるけどね
・しかし、あぶれて子をもてなかったオス人間は、他人の子にばかり税金を払うことになるなぁ
・まあね。でもいいじゃない、将来はその子たちが社会をささえていくんだから
・そうだけど、それで納得すると思う?
・できない人が多いかもね
・無能な子無しオス人間からは税金を徴収しないことにしよう。救済措置として
・すると、無能な子無しオス人間は、無能で子無しの上に税金も払わない非国民として非難されるんじゃないたぶん
・それなんてディストピア
・ひどい、ひどすぎる
・だから、そういうオス人間は、自分の国よりも発展の遅れた国に行けばいいんじゃないかな
・しかし、世界はゆっくりとボーダレスにフラットになりつつあるから、そういうマジックもあと100年くらいしか使えないかもしれない
・まああと三十年くらい続いてくれれば僕は構わないよ。それに100年も経つ前に人工子宮ができるでしょ、たぶん、いやできてくれまじで
・ああ早く人工子宮とか赤ちゃん牧場的なものができれば良いのに
・ほんとだよ
http://www.amazon.co.jp/dp/4391140195
なんか増田で自炊の事書いてたの読んだんで俺もなんか書こうと思う
自炊はコスパ高いのどうのこうのよりも、どういう生活なのか書いてくと個人的には面白い
2週に一回くらい
鶏ムネを100g25円2kgくらい買う。
あとシーチキン缶を238円4個入りを買う
鶏ムネは蒸して、豚の切り落としは、塩水に付け血抜きしてから冷凍する。
今鶏ムネは値上がりしてるらしく結構高くなってるらしい。
1週間に一度魚
サンマや、鯖、あじの開き
大体一匹or一缶100円程度
二匹ぐらいだいたい買う
パスタ500g98円を5回か6回に分けて食べる。
それが週5日の昼。
ご飯は3日に1回炊いて、
電子レンジに炊きたてになるタッパに分ける。
大体七等分くらいわけて、
1つは昼飯のおにぎりとかチャ-ハンとかネコムライス(最近の流行)にする。
袋麺も買うけど(トップバリュ-の198円)の
トマト缶(78円)を月一回6個ぐらい買って、
野菜は腐りやすいのを除いて、週一100円均一のを1200円くらい買いだめする。
んで10円とかでも他の商品とかに見向きしないで買う。
意外と量のわりに高い事に気づいて買わなくなった。
あとス-パ-で、コンビニの3倍くらいの容量のサラダが105円で売られてるので、
それを週1,2回買ってる
あとは、ダイソ-の105円のナンプラ-とかオイスタ-ソ-ス使ってる。
ハ-ブミックス、花山椒とか色々。
食わない。
けど、このまえダウンした時甘い物くいたくなって。
週3千円以内
銀行から下ろした金は、大とか中が必要な場面(電力とか)を計算して、
残りは全部千円にして、必要な物に振り分けて、
残りを繰り越して、貯金してる。
強いので、強い洋酒を週一程度飲む。
ワインとかウィスキ-とか
大体予算は500円程度。酒は別費だけど、全く飲まない週とかもあったりする。
けど。
プレイズムとSteamから買う。大体予算月1,000円くらい
読書も図書館から借りるけど、ゲ-ムサイドと忍殺とマ-ジナルオペレ-ション買う)
火通す時電子ケトルの熱湯で野菜や肉を湯通して、ガスを使うのを極力時間を減らしたりする。
先に冷凍庫に入れて凍らせて、野菜の細胞を壊して旨味を出す事もある。(鉄鍋のジャン形式
調理は、一番面倒なのが切る作業なので朝頭が働かん時にアニメみながらジャガイモの皮むいたり、
して水をボ-ルにはっていれておいて、夜調理するとかある。
需要供給曲線の中で、「自分」という存在に需要が無ければ「給料」という供給は存在しないだろう。
誰もが求められ、そして誰かを求めて、生きている。
コンビニの店員がいなければ困るだろうし、怪我をした時に夜間の当直医がいなければもっと困る。
農家がいなければスーパーに野菜は並ばないし、運転手がいなければ電車は動かない。
世の中ってそういうものだと思うし、そうあるべきだとも思う。
そして誰もが誰かに求められて、誰かのために働いている中で、それでも休日というものが存在するのは、”休日がなければいつまでも供給できない”というコンセンサスがあるからだろう。
そういうことをぼんやり考えていると、ふと1つの疑問に辿り着く。
もっと言ってしまえば「それは本当に自分なのだろうか?」という疑問かもしれない。
コンビニバイトも、夜間の当直医も、農家も運転手も、あるボーダーをパスすれば自動的にキャリアアップされるこの世の中で、職業に密着したアイデンティティというものはなかなか希薄である。
「私が死んでも代わりはいるもの」……とは某ヒロインの言だが、実際、ほぼ全ての職業に対して代わりは用意されている。
勿論、それは非常に死にやすい1匹のホモ・サピエンスに掛け替えの無い仕事を任せるのは非常にリスキーだから、どうしようもなく、必然的に辿り着いた結果なのだが。
そういう疑問に(無意識下かもしれないが)辿り着くから、人は帰るべき場所=どこまでいっても自分を求めてくれる場所を求める。
しかし悲しいかな、それは自動的に、簡単に与えられる類のものではない。
人は、雄と雌は、簡単に恋に落ちる。
「1億人から君を見つけた」だとか「100年の恋」だとか言うけれど、実はそんなに大それたもんじゃない。
ある人が繁殖適齢期に出会う、繁殖適齢期の異性の数なんてたかが知れてる。
精々数百人、だろう。
そんな少ない中で人は何人にも恋をする。
色んな人を好きになり、色んな人とセックスをし、生きていく。
100年の愛を誓って結婚したとしても、意外と簡単に離婚して、また生きていく。
恋愛ですら、将来的には家庭ですら、その個人にとってオンリーワンなものではないのだ。
しかし、それは恐怖だ。
旧来の価値観では帰るべき場所になりうるはずの家庭ですら、絶対的なものではないというのは、アイデンティティを揺らがす恐怖だ。
果たして自分は、ここにいる自分は、誰かの代替品としてでなく、死ぬまで誰かに必要とされる人間で有りうるのだろうか。
それとも、ちっぽけだが美しいこの惑星に70億匹もしがみついて生きているこのホモ・サピエンスという種族は、そもそもどの個体をとっても代替可能な個体なのだろうか。
その美しい田園は、人がいないと保たれない
そしてその美しい田園を支えていた人たちが今、
都会で汚れた生活をおくっている。
同じ人たちが、だ。
それを踏まえると、考えなしの田園賛美は
例をあげよう。
都会にスプロールのように残る竹やぶ。
それを見て、かつてはあった田園の残り香に
胸を痛めているのだとしたら、その理解は浅い。
何故ならその竹やぶは、残り少ない雑木林を
竹の繁殖力は異常に高い。
著しく速い竹は、自然のままでは気候さえあれば
そこらじゅうの木を十年単位で確実に喰らいつくす。
人里がある限り問題にならなかったのは
人が定期的に刈り入れを行っていたからだ。
かつてはどこも田園だったのだ。
改めて問おう。
田園は人の手によってしかその美しさを保てない。
「男性の性欲が10代半ばがピークというのは、いかにも早すぎる」。
日本社会を前提に考えれば、社会人として生計を立てられる20代後半ないし30代前半に性欲ピークになれば
「万事うまく行く」のだが、そうなってないのは何故?
思うに、太古の昔、日本が縄文時代とかには、人類の平均寿命なんて、20~30年程度で、
中には60歳まで生きる個体もあっただろうが、天然痘とか結核とかで、20歳程度で早世していた個体も多かった、と思う。
そうなると、性欲のピークが20~30歳だと、いかにも都合悪い。
早世しないうちに、さっさと子を作る、さっさと性欲MAXになる、それが人類繁殖には最適だったんだろう。
また、当時子供を育てる能力というのは、つまるところ狩りをして食料をゲットする能力だったから、
体力がピークになる20歳の時点で、子供が5歳程度になるのが丁度良かったんだろう。
去年正社員の仕事を辞めて、パート職になった。お休みがきちんととれて平日の夕方には自宅に帰れる生活は以前とは比べようも無い位に快適だったけど、そのうち時間をもてあましてしまい、何かボランティアをしてみようと思い立った。
市役所のメルマガから動物愛護のボランティア情報を見つけて連絡したのは、猫が好きなのに猫アレルギーで飼えないから。せめて外で猫を撫でくりまわして溜まりに溜まった猫欲を発散させようと思ったのだ。
その団体はもう20年近く、この町の犬と猫の保護活動をやっているそうで、保護した犬の散歩や野良猫(地域猫と言うらしい)への餌やり、避妊手術、あとは定期的に開くバザーの手伝い(色々なものが寄付で集まるので、2ヶ月に1回くらいやっている)などが主なボランティアの内容だった。もちろん、保護した動物たちの里親募集もやっていたけど、それは一時預かりができるボランティアさんたちが担当しているらしく、私は担当外。
朝餌やりの場所である神社に行くと10匹を超える猫達がにゃあにゃあと鳴きながら
強いものが弱いものを押しのけ、若い猫が年老いた猫の餌を横取りする。
えさを食べる前は体をこすりつけて甘えてくるくせに、食べ終わったらクールに
去っていく。たまに甘えてくる奴もいるけど、どうやら私のバッグの中の特別な猫用のお菓子を狙っているらしい。まあでも、そのつれなさも含めて野良猫らしい。
さて、餌をやっている時に周囲から話しかけられることは結構ある。好意的なのが8割、否定的なのが2割くらい。この2割はけっこうきつい。近隣のおじちゃんやおばちゃんで、1時間くらい離してくれない時もある。
「猫の餌をやるから猫が集まってくる」「ふんやおしっこの被害を受けるのはこっち」「車のボンネットがおまえらの猫のせいで汚されるから毎日掃除をしろ」「動物愛護の気持ちはわかるけど、どこかもっと迷惑にならないとこでやって」
こちら側の主張は「避妊手術をすることでこの町の猫の数は以前よりずっと減った」「今いる猫達は野良が繁殖したんじゃなくて、飼い猫達が捨てられて増えたもの」「管理して、餌をあげる事で野良猫がゴミを荒らしたりする事も無い」「餌をこぼしたりしないように掃除もしている」
ただ、このお互いの意見は相容れない。こっち側は「野良猫が地域社会と共生できるように活動している。トータルで見たら私達が活動する事で野良猫の被害は減っている」と主張しても、やっぱり彼らにとっては「自分たちが特段に不利益を被っている」わけで、じゃあ彼らに完璧に迷惑をかけずに活動をすることが可能か、となったら、たぶんそれは不可能だ。
活動の趣旨はあくまで地域猫の愛護活動であって、この町の住民が野良猫の被害を受けない様にする事、ではないから。野良猫はだいたいが猫エイズか白血病にかかっていて、ある程度の歳になったら歯槽膿漏でご飯が食べられなくなり、縄張りの片隅で若くて強い猫に遠慮しながら生きている。餌やりボランティアが彼らの所に足を運ばなくては、確実に死んでしまう。山奥で誰にも迷惑をかけずに餌やりをしていろ、と言われてもそれでは助けられない猫がいるのだ。その時に、こちら側は愛護活動を優先する。
私は「あなたがやっていることは社会的に間違っているし迷惑な事だから辞めなさい。」と他人に言われた事が今までなかった。政治的主義主張も極端には無いし、イデオロギーも宗教も無縁な生活を送って来たし、学生時代もそこそこ真面目だったし。私は常になんとなーくこの日本の、マジョリティ側(世間一般側)にいた。社会的な問題に対して真剣に議論する事や自分の立ち位置を明確にする事無く、この歳まできちゃったのだ。
今まで自分が当然の事のように思っていた
「社会的に良い事はどんどんやったら良いけど、そのことで誰かに迷惑をかけるならやるべきではない」という考え方は一見公平なようでそうでもなかったんだなーとか、じゃあ私は社会的に良い事の為に自分が迷惑をかけられることに果たして寛容だっただろうか、とか。そんなことを考えている。