2013-04-26

竹やぶと田園の美しさの関係

その美しい田園は、人がいないと保たれない

寿命あるものだということをご存知だろうか?

そしてその美しい田園を支えていた人たちが今、

都会で汚れた生活をおくっている。

同じ人たちが、だ。

それを踏まえると、考えなしの田園賛美は

馬鹿がするものだとしか私には思えないのだが。

例をあげよう。

放置竹林の問題だ。

都会にスプロールのように残る竹やぶ。

それを見て、かつてはあった田園の残り香に

胸を痛めているのだとしたら、その理解は浅い。

何故ならその竹やぶは、残り少ない雑木林

根絶やしにして据え変わったものだろうから

竹の繁殖力は異常に高い。

地下茎から生殖なしに増え、しかも成長率が

著しく速い竹は、自然のままでは気候さえあれば

そこらじゅうの木を十年単位で確実に喰らいつくす。

人が生活のために移植した竹が

人里がある限り問題にならなかったのは

人が定期的に刈り入れを行っていたからだ。

生活のため。そして里山を守るため。

その竹を管理する者が、都会の暮らしへ切り替えた結果

管理放棄し、起こったのが放置竹林の問題だ。

かつてはどこも田園だったのだ。

改めて問おう。

田園は人の手によってしかその美しさを保てない。

増田の田園礼讃にはその視点が欠けている。

田園は享受するものではなく、維持するものだ。

増田は、自分が田園に根ざす意味を分かっているか

http://anond.hatelabo.jp/20130426215429

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん