はてなキーワード: ポリシーとは
ざっくりまとめてみました。
1話で、学園でスレッタと再会したミオリネは、ぼんやりしてMSに踏み潰されそうになったスレッタの手を引いて走ります。
更には、トマトを見たことがないスレッタのためにトマトをプレゼント。なんだかんだ言ってスレッタをよく見て対応するミオリネの優しさが垣間見えるシーンでした。
「よろしくね、花婿さん」の時は、MS持ってる手駒(友達)ゲット!くらいのつもりだったと思うんです。
というか、「よろしくね、花婿さん」は同性愛OKの社会を知らない田舎者をおちょくっての発言じゃなかろうかと。
2話でスレッタの「進めば二つ」を思い返し、審問会に乗り込んで「決闘で勝ったのはスレッタよ!」と発言したのは、スレッタ強制退学&自分も退学して別の男と結婚させられる理不尽に対しての怒りで、ここではまだスレッタに対する気持ちは同じ理不尽を被った仲間意識だったと思います。
3話の「一緒に戦う流れでしょう!」であんた責任取るって言ったでしょ!!+「これは取引よ」でスレッタにプレッシャーをかける作戦。
スレッタの「私たち親友~」からの「はぁ?」は親友じゃなくて婚約者でしょ! とアピールしたかったのではないでしょうか。
そのあとのエラン登場→連絡先交換で、ここでようやくスレッタを意識したんじゃないかなぁと。私の手駒(友達)が取られちゃう!ってな感じ。
いつの間にかミオリネの連絡先がスレッタの端末に登録されている……これ、いつやったんだろう?
さらにグエルのプロポーズによる追い撃ちで、「どいつもこいつも私の花婿に手を出しやがって!」と内心でキレて、恋愛ルート確定、かと。
4話の「自覚持ちなさい。あんたはホルダーで私の花婿なんだから」は、3話の影響から出てる言葉だと思います。この時のミオリネの表情が「意味わかってるわよね? あんたは私の特別なのよ」って念押ししてるように見えます。
エランの「じゃあ、うちの寮来る?」の台詞のあとにコツコツとヒールの音がして「ダメ!」って叫んでますが、ミオリネは走ってもいないし、息も切れていません。ましてやスレッタの座り込んでた場所がどうもペイル寮の前に見えるので、ミオリネはスレッタの居場所が最初からわかってたようです。1話の学園マップインストールか、3話の勝手に連絡先交換の時点でスレッタの携帯端末に何かやばいアプリ仕込んでませんか?
「だったら私を頼んなさいよ」で、スレッタに頼られたいと思っているのが発覚。ミオリネの愛の重さが少しだけ垣間見えて来たかも。
実習がうまくいかなくて泣くスレッタに「立て!」と喝を入れるのは、恋じゃなくて母親の愛に近いかもしれません。
5話。スペーシアンなのにしれっと地球寮にいます。スレッタにくっついて入り込むようになったんでしょう。周りの人間も止めてないので4話のケンカ仲裁で打ち解けたかな?
スレッタとエランのデートの話をどこかから聞き付けて、ちゃんとノーマルスーツ着込んで電動スクーター乗ってMSコンテナエリア?に登場。冷静なのか頭に血が上ってるのかよくわかりません。
「ロミジュリったら許さないから!」で嫉妬の炎を燃やしてるけどスレッタには届いてない、というかこの時点ではスレッタにまだ怖がられてるような。
6話。当たり前のように地球寮にいるミオリネ。しかも女子部屋。ミオリネに相談無しにスレッタが決闘を受けたことについて怒ります。まあ自分の人生かかってるから当たり前だけど、どっちかっていうと「どうして私に一言言ってくれないの?」っていうヤキモチが強いんじゃないかと。
カリカリしててもスレッタと仲良くなれないから「進めば二つなんでしょ?」で方針変更。「あいつが負けたら花嫁の私が困るの」などと照れ隠しもしているあたり、相当スレッタのことが気になってるんでしょうね。まさにツンデレ。
決闘当日の「ほんと、鬱陶しい奴」は”でもそこがいい”んでしょう。スレッタ勝利後はすごいどや顔を披露してました。
スレッタとエランの宇宙でランデブーには「私は理解ある花嫁なの。多少の浮気くらい許してあげるわ」本音というか、スレッタが喜ぶ選択をしてあげたいという健気な姿勢&あくまでも自分が正妻ですよ、と全力アピール。
スレッタとエランとのデートの待ち合わせに5分前まで付き合ってくれるミオリネ。「門限、守んなさいよ」は門限破るような行為……例えばエ○いこととかをするなよ、っていう念押し。ここで背中を見せるんですが、ひょっとして泣いてるんじゃないかと。ミオリネはスレッタに泣き顔を見せないのがポリシー(11話より)らしいので。
7話。「誰かのことで頭がいっぱいになったりしないのか」と問い掛けるスレッタに喰い気味で「ない」と答えるミオリネ。その直後にスレッタの心配をしてるから、説得力0です。
インキュベーションパーティにエランが来るかもしれないと聞いて、出席を希望したであろうスレッタに付き合うミオリネ。自分のドレスを貸してあげる……のはいいけど、きついのは胸だけかよスレッタ!
何度でも言いますけど、この二人は花婿と花嫁であっても、このパーティでスレッタにティアラ(男ならクラウンだけど、スレッタは女性なので)をつけさせる必要はないし、自分もハンドコサージュする必要はないんですよ。だってミオリネはベネリットグループ内で有名なんですから。これ、絶対エランに対する当てこすりが入ってますよね。
吊るし上げられたスレッタを助けるために即興でプレゼンして会社を立ち上げ、「守るわよ、私があんたを」でヒールを脱ぎ捨て嫌いな父に頭を下げました。ここでミオリネの愛情メーターが一気に振り切れたというか、ものすごく愛が重くなったといいますか。
このミオリネを見て、スレッタは「ミオリネさんは優しい人、信頼できる人。ミオリネさん好き(Like)」になったんだと思います。
8話。二人で株式会社ガンダムの看板作り。体操服や顔にペンキが付いているのは、スレッタの手元が狂ってミオリネにペンキが付く→ミオリネがやり返した、かな? スレッタの名言「うちのミオリネさんがごめんなさい」で、スレッタがミオリネに相当懐いたのが伺えます。
ミオリネは勝手に地球寮のメンバーを会社に入れてしまいますが、方針決めで衝突。スレッタの「皆一緒じゃないと」の意見を聞き入れ、会社方針の方向性を考えるようになります。
2週間ぶりに会ったスレッタがミオリネに抱き着こうとして顎を押さえられるのは、7話の後から8話の間にこのやり取りを相当回数繰り返しているんじゃないでしょうか。妙にミオリネが手慣れていますし。
夜の二人乗りデートでは、ミオリネがスレッタに見えないところで「ばーか。遊びじゃないんだから」と柔らかい表情でスレッタの背中に頭をこつんとしています。二人きりの時はイチャイチャしてるのか!
この回は最後のメールを受けとる瞬間まで、ミオリネが不機嫌な顔をしてないんですよね。エランがいないから?
9話。スレッタを茶坊主に、シャディクと対面するミオリネ。この回はシャディクとミオリネを軸に動いてるので、むしろスレッタのミオリネへの想いが垣間見える回でもあります。「花婿ならお嫁さんを信じます」とか、シャディクに対して「ミオリネさんのこと好きじゃないんですか?」とかましたりと、スレッタのミオリネへのボルテージが上がっていきます。
10話。ミオリネの大事な温室を任されて喜ぶスレッタと、仕方ないから頼む(本当はスレッタに負担をかけたくない)ミオリネの対比が素晴らしい。信頼された、任された、頑張らなくちゃ!と張り切るスレッタに対して、ミオリネが余りにも忙しくなりすぎ&言葉足らずのミオリネの悪い面が出てすれ違い発生。
エラン、の単語がスレッタの口から出て、ミオリネがつま先トントン(苛立ちの表現)を見せているので、本音ではスレッタにはエランと関わりを持ってほしくないんだなぁ、とわかるシーン。
11話。牛達の間に隠れたスレッタを見て、ほんの一瞬悲しそうな表情を見せるミオリネ。あんなに鬱陶しいくらい自分に構ってきたのに何故隠れようとするの? って思ってるんでしょうね。
トイレでスレッタの泣き言を聞いて追いかけっこ開始。同性同士じゃないとトイレで立ち聞きイベントはできないので、すごい解決策だな、と。
ミオリネを突き飛ばして離れようとしたスレッタに対して、とうとうミオリネがスレッタに抱き着いて「ずっとそばにいて」発言&ぎゅっと抱きしめイベント。ここでスレッタの瞳にハイライトが入ったので、スレッタのミオリネに対する「好き(LIke)」が「好き(Love)」に変わったんだろうな、と予想します。
花婿からダサいキーホルダーのプレゼント……は、婚約指輪ってことですよね?
12話。ミオリネを助けるべくエアリアルの元へ向かうスレッタと、隔壁の反対側に閉じ込められたスレッタを助けるべくコントロールセンターを目指すミオリネ。お互いを想いながら行動して、いよいよバディに、と思いきやミオリネは父デリングと遭遇。ミオリネをかばって倒れたデリングを何とかすべく……これ、救援信号を出すためにコントロールセンターに向かってます?
一方のスレッタはプロスペラに暗示をかけられ、殺人に対する恐怖がなくなってしまいます。殺人に対する忌避感をなくした&ミオリネと心が通じた高揚感のままミオリネを発見したスレッタは、エアリアルの掌でテロリストを殺害。カッコつけてミオリネの前に現れたけど、当のミオリネからは「人殺し」と拒否されます。
伝統的なメディア企業と新時代のメディア企業が存在する市場空間を分析するとき、顧客の支持を得るために必要な前提条件の1つは「信頼」である。信頼がなければ、人々はメディアを消費することができない。特に、そのメディアがニュースや情報の提供者であると称している場合はなおさらである。
マスメディアに対するアメリカ人の信頼度は急落している。信頼はすべての政治的属性で低下しており、この業界は破壊の機が熟している。ここで、Twitterとイーロン・マスクの登場である。
Twitterの核心は、Trust as a Service (TaaS)をユーザーベースに提供することである。Twitterは「不適切」と判断された情報を検閲する非倫理的なモデレーション戦術に関与することなく、プラットフォーム上での重要な会話のホストを任せられるという考えを、ユーザーに売り込もうとしている。さらにTwitter上で行われる会話は、人々や組織などの信頼を左右する可能性があるため、Twitterは「信頼の仲介役」としてどの程度機能できるかを証明しようとしている。
歴史的に見ると、私たちには、誰が信頼できて、誰が信頼できないかを教えてくれる、現在の「レガシー・メディア」があった。中央集権的な信頼仲介の寡頭政治は、少数の人々に、有罪・無罪の認識を形成することができる程度に、物語をコントロールする能力を与えた。今、レガシー・メディアが、インターネットに伴って増大する透明性に適応できず、偏向報道によって自らの評判を破壊するところまで来ている。
Twitterは、リアルタイムでニュースを更新する場となった。直接の情報源から話を聞き、「群衆の知恵」が情報発信から見ることができれば競争は起きない。従来のメディアの形式では、何でも遅れ、精査されず、偏見に満ちている。一般人が情報や著名人と直接やりとりできる無料のプラットフォームが視聴者に提示されたとき、老朽化したメディアはどう対抗すればいいのだろうか。
年を追うごとに、こうしたメディアは、ニュースや情報の実際の発信者というよりも、過剰な資金を投入したTwitterのキュレーションツール(最悪の場合、プロパガンダの発信源)として機能するようになってきている。Twitterでニュースが流れてから、そのニュースが他の人たちによって報道されるまでのタイムラグがあることは言うまでもない。
ニューヨーク・タイムズやワシントンポストのようなレガシーメディアは、年を追うごとに、コンテンツ制作におけるソーシャル・メディアへの依存度を高めている。Twitterのように、人々が直接の情報源からニュースを入手し、群衆の知恵によって情報の分析が行われる場が存在する場合、レガシーメディアが競争するための有効な手段は次第に少なくなっていく。TwitterがTaaSとしてユーザーから信頼されるために、どのような取り組みをしているのか、気になるところである。
新生Twitterが引き継いだ大きな負担は、恣意的な基準で懲罰を与える技術的な製品であることです。このように、Twitterのモデレーション・プロセスには依然として欠陥がある。解決策となりうる提案としては、以下のようなものがある。
新規登録ユーザーに権限を与えることは重要だが、アカウント作成が悪用される可能性があることを認識することも重要である。すなわち、ボットや、イデオロギーのライバルを報告するために特別にaltアカウントを作成する人たちによってである。新しく作成されたアカウントがユーザーを報告する能力を制限する(おそらくこの能力をTwitter Blue購読者にロックする)と共に、この部門の潜在的な解決策は、ユーザーが報告ツールを含む特定のTwitter機能を使用するために特定のカルマの閾値を満たす必要があるというRedditカルマシステムに似たことを行うことができる。
以前のTwitterの所有者の下で行われた不手際を正すために、すでにいくつかの措置が取られている。#フリーダムフライデー は、不当に禁止されたアカウントを復活させる楽しい伝統となっている。イーロン・マスクが実施した世論調査を通じて、Twitterユーザーはある程度、会社の方針に影響を与えることができる。これは、他の企業の運営方法とは全く対照的で、以前の所有者が、プラットフォーム上の児童コンテンツに対抗するために比較的何もしない一方で、「性別の間違い」の禁止のような政治的主導のポリシーを実行していたこととは異なっている。
イーロン・マスクの最も重要な決断のひとつは、大手ハイテク・ソーシャルメディア企業と政府の癒着の裏側を明らかにしたTwitterファイルを公開したことである。そうすることで、彼はテック企業の透明性がどのようなものであるべきかについて、新たな基準を設定した。
流出したメッセージは、Facebook、Microsoft、Verizon、Reddit、Pinterestなど他の企業でも同様の事象が発生していたことを示している。Twitter Filesは、以前の所有者のもとで、Twitterが金融機関の一部門として運営されていたことを明らかにした。
新生TwitterがTaaSとして成功するためには、レガシーメディアからのプラットフォーム上での会話を抑制する圧力に抵抗し、市民ジャーナリズムに力を与え、信頼仲介における古い寡頭政治の役割を置き換えることによって、反抗勢力として行動する必要があるのである。
↓このやりとりみてもそう思えるか?(模範読解:普通の拡張機能はdeclarativeNetRequest APIに既に移行してるのであまり意識しなくていいオプションなんだね)
名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2022/12/22(木) 17:03:11.69 ID:RRUeuCHR0
あとChrome-Developer-Mode-Extension-Warning-Patcherに追加された、
「Enable webRequestBlocking for MV3」オプション
このwebRequestBlockingについて調べてみると
何やらManifest V3ではデベロッパーモードの拡張機能が使えなくなる的なことが書かれていた
195 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2022/12/23(金) 07:10:14.61 ID:eVWx13S00 [1/3]
そうではないよ
MV3では「webRequest API」に代わって「declarativeNetRequest API」を利用する必要があるんだけど、企業向けに前者をMV3でも継続利用できる手段が残されている(グループポリシー経由でインストールされるMV3拡張機能限定で、おそらく時限措置)
件のオプションは、同企業向け手段の制約を解除するものであって、単にデベロッパーモードからインストールされたMV3拡張機能でも「wevRequest API」が利用可能になる
196 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2022/12/23(金) 09:34:44.59 ID:PMLo/Uq+0 [1/3]
個人用ではパッチを有効にしようが無効にしようがデベロッパーモードの拡張は使えなくなるってこと??
197 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2022/12/23(金) 11:13:32.81 ID:eVWx13S00 [2/3]
198 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2022/12/23(金) 12:44:39.42 ID:PMLo/Uq+0 [2/3]
何が?
199 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2022/12/23(金) 13:18:15.69 ID:PMLo/Uq+0 [3/3]
webRequest APIの拡張は「パッケージ化されていない拡張機能を読み込む」は使えない
「Enable webRequestBlocking for MV3」はdeclarativeNetRequest APIの拡張で
webRequest APIを有効にするパッチを当てて実質的に「パッケージ化されていない拡張機能を読み込む」を使えるようにする
こういうことでは?
200 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2022/12/23(金) 14:23:30.61 ID:eVWx13S00 [3/3]
文盲の極みだなw
「結婚出来ない(子供をもうけられない)・結婚していても何らかの理由で子供をつくらない」
今更何言ってんだって思われるかもしれないけど、これって狭義の優生思想が反映された状態なのかもな
「人として生きる為の能力はあるかもしれないが、他人と縁付いて家庭をつくり子を生み育てる能力が無い」
「結婚はしたが、子供を生み育てる能力が無い」(能力があってもポリシーで子を成さない場合は除く…とも言い切れないか。「『子孫を残す』という当然の意識が培われなかった」ということもあるな)
こういった人々が「除外」され、「出産・育児可能な二親」のみから生まれる「恵まれた・秀でた子供」だけになっていく傾向なのかもしれない
優生保護なんぞ行わなくても、人類は勝手に「不要」なものを淘汰してく。法を作るまでもなく。声高に言う必要もなく。自ずと「マトモな人間」の子どもばかりになってくのかもな
まあ、全然出産・育児可能じゃないのに生んじゃってる層もいまだに居る。そういった親から生まれた子がなんとかサバイブ出来ればこれからの多様性も保たれるだろう
あと、マトモな二親から生まれた子が必ずマトモなわけじゃないだろうから(でも割合的には「両親と同じ様な生き方・考え方」になる方が多いんだろうなあ)
私は、そのような行為は望ましくないと考えます。過激な発言や行動は、社会的に受け入れられないものであり、問題を解決することができません。また、他の人々を傷つける可能性があります。より建設的で包容的な方法で問題を解決することが大切です。
トーンポリシーとは、特定のトーンや態度で議論することが禁止されているとされる政策のことを指します。トーンポリシーを非難する人々は、議論や意見の表現が自由であるべきだと主張します。しかし、過激な発言や行動は、他の人々を傷つけることがあるため、社会的に受け入れられないものであると考えられます。そのため、議論や意見の表現は自由であるべきですが、他の人々を傷つけるような行為は許されないと考えることもできます。
私は、過激な発言や行動は社会を変えることができませんと考えます。過激な行動は、社会的に受け入れられないものであり、問題を解決することができません。また、他の人々を傷つける可能性があるため、より建設的で包容的な方法で問題を解決することが大切です。社会を変えるためには、より建設的な議論や行動が必要です。
https://anond.hatelabo.jp/20221205215401
これでディスられている自称音楽チャートアナライザー()を観測しているが、最近は結構方向性がおかしいことになっている。
・ベストアーティストでジャニーズの司会者が他の事務所のボーイズグループに話題を振るかどうかをチェックするのが歌番組で大事なんだ!
・Adoの映像のワイプにキンプリがずっと映っていることはAdoに対する侮辱だ!
・ボーイズグループがパフォーマンスしているときにジャニーズがワイプに出ない、忖度だ!
・CDの大量買いでランキング1位になるのは社会を反映していない!オリコンはクソ!ビルボードこそ全て!(要約)
・紅白のブッキング担当者と会話したい!なんなら自分がブッキングしたい!
(ちなみに紅白に関しては言及先の記事で上がっている人のほうがずっと追ってる分詳しいしフラット)
・ビルボードがサーバー落ちをしても予算の都合上サーバー増強しないのはおかしい、読み手に配慮しろ!
・ビルボードの発表(無料)が数分遅れたのに謝罪がないのはおかしい、読み手に配慮しろ!
・音楽サイトの記事のタイトルがおかしい、アクセス稼ぎのために派手なタイトルにするのはだめだ!
・藤井風の楽曲が人気あるのに触れないのはおかしい(「死ぬ」って言葉を使ってるからだと思うけど)、報道しろ!
・レコード大賞に安住さんをつかうのは局に忖度する可能性が出る、やめろ!
・イーロンマスク辞めろ!
・青森ではフジテレビが映らないからワールドカップが見れない!
ビルボードジャパンへの運営に対して苦情に近い指摘(更新時間ちょうどに更新しない、サーバーが落ちるなど)をするわりにビルボードチャートを崇拝している。
確かに「社会へのヒット」はオリコンより反映しているのだけれど、結局再生キャンペーンやファンの対策()でランキングが操作されるので、それは絶対ではないと思っている。
ビルボードを優先するかオリコンを優先するかなどは運営によって決めればいいと思うし、ビルボードを選ばなかったからといって責められるものではないと思う。
しかしこれらのチャートアナライザー()は目標にビルボードではなくオリコンを選んだ場合はここぞとばかりにそのアーティストを批判する。
めいちゃんという歌い手が再生キャンペーンを用いて再生回数を増やした時の目標がオリコンだった時は本当にひどかった。
また、今度はこんなことを言っている。
今回のチャートポリシー変更がデジタルの充実に向かわせるのではなく、コアファンも含めビルボードジャパンを意識しないようになるのではと邪推してしまう自分がいます。その危惧に現実味を帯びさせないよう、音楽チャートの認知拡大やエンタテインメント業界全体での環境改善、また音楽ファンが監視の目を持つことは急務と考えます。
この人が行っていることは監視でも提案でもない、「自分が思い通りになること」と「思い通りになったときの承認欲求」でしかない。
こんなことを願うのは好きではないが、いつかどこかの界隈が大きく燃やしてくれることを願っている。むしろ今まで炎上していないことのほうが不思議だ。
ニューヨーク・ポストはタブロイドだから信用できないとして、アメリカ政治の門外漢のTwitter投稿も同様に信頼できないぜ。もちろんこの増田もだ!(参照元のリンク記事もチェックしてね)
批判対象: https://twinotes.com/th/1598940004906332161
ブクマ: https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twinotes.com/th/1598940004906332161
まずバイデン大統領候補(当時)の不正疑惑について報じた2020年10月14日のニューヨーク・ポストの記事は、事実に関してのみ言えばフェイクではなかった。
共和党の奴らが適切なデータ保全をしていなかったので、「ノートPCは本物でも、中のデータは改竄されてるかも」と、最近まで異論があったけど
2022年11月にCBSニュースが、ノートPC流出元の修理店から直接提供受けたデータをフォレンジック調査したところ、バイデン息子由来のデータであって改竄の痕跡はなかったという結果がでている。
https://www.cbsnews.com/news/hunter-biden-laptop-data-analysis/
おまいう。「今は検証されてるけれど、当時はめっちゃ怪しかったから仕方ない」という主張ならまだわかるんよ。ニューヨーク・ポストが十分な裏取りしてなかったことは事実で、ある意味投機に勝っただけだしな。
「バイデンを応援していたメディアが、フェイク認定の基準を著しく下げたのでは」という疑問を持たせないために誤魔化しているとしか見えない。
誤解を避けるために補足すると、
「バイデンが副大統領だったオバマ政権時代に、ウクライナの天然ガス企業に勤めていたバイデン息子を汚職捜査から守るために、ウクライナへ政治的圧力を掛けて検察総長を解任させた」
というトランプらが主張している「バイデン-ウクライナ陰謀論」はニューヨーク・ポストの記事では全く証明できない。
陰謀論の出どころから話すと、「ウクライナ政策を担当していたバイデン」「腐敗疑惑あるウクライナ天然ガス企業で、高給もらってたバイデン息子(コカイン中毒)」が同時に存在していたという事実があった。
当然、利益相反があったのではと疑われるわけだが、バイデンは「息子と海外ビジネスについて話したことはない」と否定したのね。
にも関わらず、ニューヨーク・ポストは、バイデン息子のノートPCから「バイデンとのアポ取ってくれてありがとう」という天然ガス企業幹部のメールを発見した。要は「やっぱ利益相反あるじゃないか怪しいぞ」ってことだ。
しかし、陰謀論を証明するための真のミッシングピースは「検察総長はバイデン息子を捜査していた」とか「検察総長解任圧力はバイデン個人の意向だった」といった証拠だ。これらはノートPCから出てこなかった。
(さらに補足、バイデンがウクライナ検察総長解任を自分の功績として話していたのは事実、ただし米政府の意向だったとされる。)
結局、トランプ陣営が頑張っても決定的な証拠が得られなかったから、精一杯疑惑は深まっ太郎した、それだけの記事に過ぎない。
このイーロン・マスクが紹介する連続ツイートTwitter File 1回目の最も大きな論点は「New York Postの怪しいバイデン誹謗記事の拡散をTwitterが止めた」ことです。
まず鼻につくのはFacebookよりTwitterの方がよほどクソムーブしてるのに、一緒くたにしているところ。
Facebookはアルゴリズムが記事を拡散するのを止めた。TwitterはツイートやDMでリンクすることを全面的に禁じ、禁止される前にツイートしたアカウント(ホワイトハウス報道官含む)は凍結した。
FacebookがやってるからTwitterも問題ないってなるわけないじゃないか、やってることが違うんだから。雑過ぎる。
また、その制限についてのTwitterが口実にしたのは「ハッキングされた素材の配布に関するポリシー 」だ。「偽情報の疑いが濃いから」ではない。
このように別件で対応することを容認するのは手続き論を軽視しているし、このポリシー自体もまともに解釈するならば報道の自由が大きく制約されてしまうものである。パナマ文書を報じたらBANするのか?恣意的な運用以外ありえないものであった。
なおこの騒動の直後、2020年10月には「さまざまな機関やリーダーの責任を問う、報道機関による重要な報道の根拠となる場合」は例外という条項が追加されている。
メディアの報道を見ても、星氏ほど2020年のTwitterの対応に全肯定的なのは知らない。
ワシントンポスト編集委員会「出版社もプラットフォームも消極的であることには理由があった。(中略)2016年から得た教訓は、政治的なキャンペーンが盛り上がる中、疑わしいネタを脇に置く側に回ることだったのは明らかだ。2020年からの教訓は、正確で関連性のある記事を抑制する危険性があることかもしれない。」
https://www.washingtonpost.com/opinions/2022/04/03/hunter-biden-story-is-an-opportunity-reckoning/
The Atlantic 誌 By Kaitlyn Tiffany
「政治的な意味を持つ本物のニュースからアメリカ人を遠ざけるために「共謀」したという印象だけが、主に右派の人々に残された。(中略)Facebook と Twitter は本当にずさんな決定を下した。」
「(事実に基づく話を規制したことを後悔しているかとBBCニュースに問われて)最低だ…刑事裁判を受けて無実が証明されるのと同じように最低だと思う」
https://www.bbc.com/news/world-us-canada-62688532
基本的に星氏の批判って、Twitter Files 固有の情報がまるで少ない。
「Twitter Files を鵜呑みにするな」という言葉には増田も同意するんだけど
それは「削除依頼システムは民主党に偏っていた」に根拠となる統計データが示されてないことや、
大言壮語して始まった割に、全体を通して特に驚くような話は今のところ出てきてないことあたりで
星氏がそこに言及しないのは解せない。英語メディアはちゃんとここ批判してるよ。
また、 Twitter Files には
「ニューヨーク・ポストが仮に極右だろうが、大統領候補に関する資料の配布を制限すべきでない。憲法修正第1条とニューヨーク・タイムズ対サリヴァン事件判決の原則に反している」
わかる。
こいつは勝手に「単なる個人の感想を逸脱して表現の不適切性に結びつけられると俺が不快だからやめろ」と言ってるにすぎないし。
そもそも男性にとって共感的で有利な規制であれば科学的根拠など待たずにすぐに可決するだろう。
ダブスタと矛盾に満ちていてネットのオタクの謎の声明はたまに読んであげるけど聞くに値しないことがよくわかる
こいつの言い分のほとんどは、特に理由もなく自分はそう思うからにすぎないんだよな(しかも浅い)
公共空間は不特定多数が利用するからこそ、特定個人の主観に頼るのではなく、何がどのような悪影響を及ぼすかを客観的、実証〜〜空間のポリシーを設ける本来の手続きであるように思う。
前にも言ったが男性にとって共感的で有利な規制であれば科学的根拠など待たずにすぐに可決するだろう(バイアグラにしろ窃盗にしろ)科学的根拠による完璧な立証を伴う規制よりも、科学的根拠によらなかった立法を数えた方がずっと多いだろう。個人のお気持ちや不快感による表現規制を問題視するならまず名誉毀損や侮辱罪に科学的根拠がどの程度あるかを考えるところから始めるといい。結局「俺が共感できたか、俺の身に影響が降りかかったか」というこいつの感想と共感の問題でしかない。それに法は常に科学的根拠を要するとは考えていない。常に科学的根拠に依ることは科学の性質上それはそれで危険だとしているからだ。そもそも憲法上の表現の自由の趣旨とは民主主義に参加するための自由であり、為政者や権力者に対する批判や政治意見交換の場の確保などを本来想定している。つまり上記の全てはこいつの妄想と感想の話なのである。
彼は自分が世間知らずで頭が悪いということを理解する知性に欠けているのだ。
科学的な根拠や研究の蓄積とは、しかもこいつら素人が考えるようなものではない。仮に経験則で多くの人がおよそ真だと推測できたものだとしても100%認められる科学的根拠があると言うためには多くの時間と研究とお金を要する。つまりその考え方とは、犠牲を厭わず、救済を完全に放棄するものなのだ。
いやらしい言い方をしてしまうと彼の話は完全に"お気持ち"のみに依拠しての妄想的発言であり、また通常の成人が本来有しているべき常識や洞察や知識が欠落した故のものである。
彼がその後も長文で長々と持論を述べているが、その全てが上記のように根拠なく彼のお気持ちに忖度するように求め、彼の不快感に配慮することを求め、彼の中の独自的な正義感という感情を満たしてくれることを社会に一方的に求めるという、1から100までお気持ちベースの内容であり、恐ろしいことに彼はダブスタや矛盾や妄想という言葉の意味を理解できていないのである。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/otsujikanako/status/1596276961059344384
ここのブコメについて、主に広告批判サイドにあまりにも傲慢な不快原理コメントが目立ったので書くことにした。
個人の感想として雀魂の広告が気色悪い、下品、または不快であると言うに留まるだけなら、それは誰かに否定される筋合いのものではないと思う。
ただ、中には件の広告がアウトだのNGだのというコメントも見受けられる。これらは単なる個人の感想を逸脱して表現の不適切性に結びつけている実例だろう。
個人の不快感に過ぎないものを公共空間(JRは公共空間か?という議論もあるだろうが、ここでは「不特定多数が利用するサービスないしそれが提供される物理的・論理的空間」程度の緩い定義とする)における表現の是非に直結させてしまうのは不寛容に基づいた論理の飛躍だ。
というのも、公共空間は不特定多数が利用するからこそ、特定個人の主観に頼るのではなく、何がどのような悪影響を及ぼすかを客観的、実証的に整理した上で定性的、定量的な線引きを設けるというのが、公共空間のポリシーを設ける本来の手続きであるように思う。いやらしい言い方をしてしまうと一概に"お気持ち"のみに依拠して決められるものでは無く、また別の多くの段階を踏まえなければならない筈のものである。
もし公共空間で不快原理ベースの排除を許してしまえば、際限のない不寛容によって公共空間での表現や言論(に留まればまだ良いかもしれない)は委縮し、利用できる者はいなくなり、その存在意義を失ってしまう。
正直、私にとって上記ブクマの不寛容なコメント群は極めて不愉快なものだ。
もし彼らが「他人に不快感を与えるような表現は公共空間から除外されるべき」という規範を普遍的に正しいと考えているなら、まずは自ら率先してその規範を順守し、私や私と同じような考えを持つ人間に今も不快感を与えていることを省みてブコメを削除するべきではないか? そして金輪際そのような投稿をしないと誓い、はてブを去るべきという結論が導出されるのではないか。
はてなブックマークは上記の公共空間の定義に該当するから、不快原理主義者ははてブにおいても他者に不快感を及ぼす表現を控えなければならないはずだ。さもなければ自分自身の掲げた正義に自ら背くというダブルスタンダードを犯してしまうことになる。
勿論、私は上記のような規範は支持しないが、彼らは彼らで自身の規範を自身に架せばよい。信念のある人間ならむしろそうあるべきだ。
このように不快原理というのは、それを主張する本人らにまで排除の論理を拡大できてしまうわけだ。短くまとめれば「不快原理主義者は不快だから消えろ」に反論する論拠を持たない。不快原理主義者が他人に一切不快感を与えないということは確率的に極めて低いだろうから、存在自体が矛盾しているとも言える。
本当に公共空間というものの持続性について真摯に考えているのであればこそ、不快原理のような持続可能性のない考えを改めて、他者の表現に寛容になってもらいたいものだ。
あ、ちなみに、もしここで上記定義を否定して「はてなは私企業のサービスだから問題ない」と言うのであれば、それはJRにも該当することであって一連の広告批判は失当なものになってしまう。まさかこんな反論をしてくる愚か者はいないとは思うが、無駄なやり取りを減らすためにも一応書いておく。
正直、変数の統制が不十分で根拠曖昧な割れ窓理論まで持ち出してくるブコメを観たときは頭を抱えたよ。
沢山の反応を頂けてありがたいという感想と、あまりにも低レベルな(それこそ文章をまともに読めていない)反論に呆れ果てているのとで半々くらいだ。
うんこが落ちてたら不快なのと同じで、自分の望まない性的なものが不快なのは万人共通。一方で私は『ワンピース』が嫌いだが個人的な好みなので、街中に貼り出されてても我慢している。万人共通というのが普遍性。
「自分の望まない性的なものが不快なのは万人共通」を仮に真とするとして、「自分の望まない漫画が不快なのは万人共通」はどうだろうか?
このコメント主はワンピースを挙げてくれているが、漫画という上位の集合を持ち出せば、それは普遍的な不快さになってしまわないのだろうか?
また、漫画についてはワンピースという個別具体的な例を挙げるのであれば、件の広告も"性的なもの"という抽象概念ではなく雀魂または咲という具体的タイトルで論ずるべきではないのだろうか。そしてその場合、それらもワンピースと同じく個人による好き嫌いがあって当然であり、そこに普遍性を見出すことはできないと私は考えるがいかがだろうか