「自分たち」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 自分たちとは

2024-08-17

補足:趣味より儲かる本屋を残す必要性について

タイトル簡単に言えば「趣味的な本屋販売量だけでは、現在システムを維持出来ず書籍文化崩壊するから」という事になる。

これは他の経済活動でも同じで、趣味で採算度外視、あるいは薄給でもやりがいだけでやっています、と言うようなもの蔓延ってしまうと、後は滅ぶしかない。

一度滅んだ後に残存者利益が出てくると、改めて採算が取れるようになるのだが、その時は今の豊富で豊かな出版文化はなくなっているだろう。

と言うわけで、いただいた反応の中からいくつか補足としてワイの考えを述べておく。

何故客注を大事にする必要があるのか

上客、太客だから

書店顧客は、他の小売店と違い、売上の8割を2割の客が買っている、と言う極端な構造がある。色々な調査でひとりあたりの本の購入量の統計を取ると、左に大きなピーク、右に小さなピークの崩れたM字型になることが知られている。一つ目が年に数冊しか本を買わないライトユーザ。そしてもう一つが欲しい本があれば、後先考えず際限なく本を買ってしま病人である。つまりワイら。

そして、わざわざリアル書店で客注を出すような顧客というのは、大抵後者なのだ

「 客注は最速でも2,3日かかるのならば、ネット書店に勝てないのではないか」という話もあったけれども、こう言う後者顧客は、あえて意識的リアル書店を使っている。そしてお願いした本を仕入れてくれるという体験を求めている。

客注は儲からないのではないか

かに単体では儲からないが、その先にある最も儲かる「コンスタントに本を買ってくれる客」を育てる事に繋がるから


客注というのは今も昔も単体で儲かる仕事ではない。しかし、顧客サービスとしてはコスパが良いのだ。

日本書店委託販売という仕組みであり返品が自由在庫リスクがない一方で、利益率がかなり低くなっている。概ね売価の7割から8割ぐらいが仕入原価で、20%~30% ぐらいが小売店の取り分になる。ここから店の運営経費を賄うことになり、概ね原価率は9割を超える。一般食品スーパー利益目標が2割以上を指向することを考えると、利益率は低い。

そのため、一冊売る程度では全然からない。文庫本1冊注文されても仕入原価-売価が100円であり、客注対応の為に店員をひとり増やしたりすると赤字、と言うレベルである

が、当然ながら、人件費固定費に近い性質を持つのでこんなにシンプルではない。例えばコンビニ郵便はがきを売る・宅急便サービスをするのは、それらを利用するお客はついで利用を促すことが主だが、似たような性質と言えばイメージやすいだろうか。


さて、ネットの方が早いし面倒がない、と考える方の意見が多く見られており、これは事実である増田をみる様なユーザであれば尚更だろう。しかし、ネットリアル書店の間の配送期間というハンデがほぼ同じになる瞬間がある。

それが「新刊である新刊の発売日は統制が進み、現在ではネット書店ではフライング発売はほとんどない。

習慣的に本屋に行き、あるいは新刊が出ると、とりあえず自店で購入してくれる顧客をどれだけ確保できるかが店の成否に繋がるのである

そして、たくさんある書店の中から自店を選んでもらうには、価格統制がされている書籍では「体験」を育てるしかなく、客注とはそのための重要な機会なのだネットで買えばすぐに届くし、そうでなくてもコンビニコピー機で注文すれば早い事を知りながら、あえて書店を使う顧客を捕まえるチャンスなのだ

物流ではネット書店に勝てないのだからイベントやフェアを重視するべきだ

これはほとんどの場合間違っている。利益はでない。と言うのは、以下の様な性質があるためだ

この状況で、店頭型のフェアを増やす

  • 「本」という括りでは指向が広すぎて「フェア」などを開いても販売数量はほとんど増えない
  • 特定作家激推しフェアなどを開いても、その店に来る顧客の数は決まっているため、全体の販売額に繋がらない。
  • しかし、物流には負担をかける。例えば○○フェアをするからそのフェアに関する本を集めてくれ、というような依頼になるのだが、上記の通り販売量は期待できない中で結局返品になるからである。そして、データ的に今までフェアをやるからとたくさん仕入れても返品されていると言う実績が積み重なると、発注拒否されることが起きる。
    • こういった状況を「フェアをやろうと思ったのに取次が入荷させなかったからできなかった」と言うように言われがち。しかし、まずはその前に売上げの実績を立ててください、と言う事になる。今の取次は出版社はシビアデータを見て、返本やロスが出ないように配本するためこういうミスマッチが増えている。さら書店ちゃんデータを見て自店が持つ強みを伸ばすフェアをやるならば入荷されると思われるのだが。

またイベントを開くと

しかし、これらを承知の上で、上客を得るために実施するのは悪い事ではない。

が、それはいつもちゃんと本が買える、要望に応えてくれるという基礎があってこそであるので、そこを蔑ろにしたままやってもよくない。


さらに言うと、いつもちゃんと本が買える、と言う事に対して、イベントを開催するというと言うことは対立してしまうことがある。

本屋とは、ものすごい指向に幅があることを扱っているのが通常だから指向に合わないイベントをやっていると邪魔に感じることすらあるので結構気をつけなければならない。イベント顧客をゲットと繰り返したら、そのイベント指向自分にあわないと、居心地が悪く感じて顧客が離れてしまうと言うとは、残念ながらよくある話なのだ

大手書店が専用のスペースを設けるなどして、かなり気を遣っているのはこのためである

出版社や書店がフェアやイベント消極的だ、という事ではない。売れない事が問題なのだ。売れずにやりがいだけを消費してしまって持続性がないことが問題なのだ

Amazon楽天ヨドバシがあるから書店はいらないだろ

これはそう。

でも、Amazonの一番早い便でも半日であることに比べると、本屋店頭で買うのは見てすぐ実物を手に取れるので最速だし、本を読みたい欲を一瞬で満たしてくれるのはメリット

ん?電子書籍?  んん?ヨドの店頭受け取りだと30分でいける?  まぁそれはそう。

即配サービス使っても2,3日かかるの時間かかりすぎじゃね?

Amazonやヨドと比べられるとそれはそうなんだが、これでも他の小売業界向けの卸としてはめっちゃ早い。

Amazonやヨド、紀伊國屋などが取次在庫ありの場合、即配サービスより早いのは、彼らは自社で取次の倉庫まで取りにいっているからです。そこまでの出荷は一緒です。

それから大都市圏だと、午前中に出した客注が当日出荷になって翌日に届くことも仕組み上あります

パターン配本うんぬんかんうん

新刊の配本のうち8割以上が既にパターン配本でなくなっているので、認識がだいぶ古い。

パターン配本の批判が強まり出版社が指定した配本が行われるようになった。

が、結果から言うと、返本率が増加し出版社も在庫を抱える事になった。

そこで現在、取次は出版社や書店積極的データを開示し、配本を支援するシステムを用意して提供するようになった。取次のパターン配本だけに頼るのではなく、自分たちでも判断してもらおうと言う事である

これによって、中小出版社側もその注文に乗っかって大丈夫かと言うことをシステム的に判断するようになりつつある。


この状況で本が来ないと言うのは、出版社が数を減らしていると言う事だ。

結局は自分の店で売れるものは入荷するが、売りたいだけで売れそうにない本は入荷しないというだけ。出版社はベストセラー倒産などしたくはないのです。


ただ、最近買い切りの条件で注文数そのまま出荷する取り組みをやっている所も無いわけではないが、広がってはいない模様。

取次各社が、生き残らせる書店の取捨選択をやっている可能

これはもう間違い無い。

一般小売で考えると、趣味でやっていてきちんと経営していない店相手であると、卸売業者普通ここまで付き合わないが、取次という業態、あるいはその出自から考えて、半公共団体のようになっている面があるから今まで付き合ってたわけだが、それが限界に達しているのが今だ。


利益率という点では、実は取次の取り分(仕入原価-卸売価格)は書店よりもさらに低く、5~10%程度だと言われている。ここから経費が引かれて利益率になるとすると、一般卸売業者利益率の半額程度になってしまうと言う状況だ。

統計に寄れば、書店販売額は立地と坪数でほぼ決まると言われている。好立地の所では、ひと坪あたりの月商が13万円だという。仮にこれで15坪の小規模書店とすると、約200万円の売上げになる。さて、この書店から取次が得られる粗利(諸経費を一切含まない)は20万円が最大と言う計算になる。アルバイトひとりも雇えない金額だ。ここから人件費運送費、配達比、様々なリスク費用システム費用などを支払って利益になる訳がない。


取次が利益を上げるには、仕組み的に規模の商売を追求する一方で、流通コスト削減(これには返本率を下げる、と言った活動も含む)ぐらいしかやりようがない。小さな書店商売できる様に支えるのはほとんどボランティアである

儲かっていたころは良かったが、限界が近付く中、少なくとも黒字になること、自社が用意したサービス(即配や、データリブ経営を行うシステム提供など)をきちんと使いこなしてくれる事を条件に、それ以外の自然淘汰を止むなしと考えているのはそうなのだろうと思われる。


この取次の利益率が固定されている中で、一般流通流通スピードを上げろと言うのは無理だ。物流コストが上がりすぎているからだ。中小書店への配送を維持しつつコストをどう下げるか、そのためにはサービス水準を下げることもやむを得ないだろう。

そのような状況下で、その代わりに用意した早く配達するサービスも、追加で送料を負担せよと言うことも難しいと言われ、さらに即配サービスについて暴利を貪っているかのように言われるなどの状況で、手の打ちようがないことも理解してほしいところだ。

取次は多くの書店親会社でもないし、経済的合理性を考えた時には付き合う必要は全く無いのだから純粋に儲けるだけなら小規模書店を全部捨てた方がよいぐらいの状況だ。

電子書籍になるから印刷書籍はいらない

そう考えている人は少数派でかもしれない。市場の動きは違うようだ。

まず、ユーザー数、習慣的に有料の電子書籍を購入するユーザは30%~40%ぐらいが限度で、これ以上は伸びないことが知られている。

日本統計も、アメリカヨーロッパなど先に普及した統計などを見てもこの傾向で、電子書籍市場はほぼこれで大きな変動なく推移すると言われる。

また、販売量としても、雑誌を除く印刷書籍販売量はじわりと減っているが大幅な減少がみられない。特にコミックスを除くと、ここ10年ほどは横這い程度だ。

電子書籍が増えている、好調だ、という事の正体は、雑誌の減少と、それを補う電子コミックの伸びによるもの電子書籍印刷書籍を置き換えると言う動きにはなっていないのだ。もちろん数十年単位ではわからないが、ワイは現在の話をしているつもり。

志がある書店に対してこのような言い草は失礼ではないか

具体的にどこの書店のことを言っているのか分からないのだけれど(少なくともワイの文章特定書店念頭に置いたものではない)

勝手にどこかの書店を想定して、事実説明に対して、勝手に怒る方がよほど失礼では?

結局取次が問題だ・取次こそが癌だ

おそらくはちゃんと内容を読んでいないし、構造理解できてないからこういった結論になるのだろうと思うのであまり説明しても仕方が無いのかなと思いながら、なのだけれど、以下は一応認識しておいていただきたい。

趣味でやっている・やってないにかかわらず、取次が消えたのに、中小書店が残ると言うことはない。

同時に出版社の多くも吹っ飛びますこちらは中堅どころまで存在できなくなる。

Amazonヨドバシ紀伊國屋も維持できなくなります特にAmazonは取次を通さなイメージを持っている人も多いようだが、実際には取次在庫への依存度は高いまま。

もちろん数十年単位での緩やかな変化の先にはありうると思うが、この話は現在の話をしているつもり。

出版業界なんて残さなくていい、町の書店なんていらない、滅ぼしてしまえばいいと言うなら、Not for youですね。それこそ客じゃないのでお呼びじゃないです。客目線で話をしているので。自分が客じゃないと言う認識をしてほしい。

取次を挟まず、委託販売を外して買い切りで買えばいいじゃない

それは、そう。

ただその場合でも- 出版社側にそれに対応するリソースがないので

  • 物流コスト、送料が無茶かかって利益が飛んでしまう(取次の物流コストは徹底的に下げられている)
  • 出版社側が想定していない動きである為、結局売価が一緒になったりする
  • 小規模書店がやる程度の規模では、結局出版社側で行動を変える要員にならない。

と言う事で、基本は大手に頑張ってもらうしかないと思っています

anond:20240812214246

ぶっちゃけ働きたくないもんね

育児理由にして家にいて、乳児幼児のうちだけ会話通じねえけど頑張って耐えればあと小学校あがるともうちょい指示通るレベルになるし、そしたら自分時間もうちょい確保できる

やっと自分時間を確保できたのに働きたくねえわ

旦那の金だけで生きてたいし、ありがたいことに旦那の金だけでいま生活できてるし(子ども一人だし)、積極的に私が働く理由ないし〜って思ってるけど

働いてる独身の友人とか会話するときめちゃ気使ってるの感じる。

ご飯しろ遊びに行くにしろ旦那の金だろうからあんま高いとこ提案できないよなぁ、急に誘っても日帝融通させるの難しいだろうなあって気を使ってるのとか、部下や後輩との関係とか言っても無駄だろうなみたいな……一瞬仕事愚痴吐いても、あ、増田ちゃん無職からあん仕事の話すると悪いか、言ってもわからんか、みたいな空気感じる。

(ごめんね〜自分の話ばっかしちゃって…って言われる、謝られる…)

実際わからん28結婚したとき、みんな社会人としてのレベル同じくらいだった気がするのに、午後休取ったかランチ行けるよ〜って午前仕事してそのまま着た友人の身なり?とか、雰囲気とか、なんか、あ〜あの頃の社会人ではないんだな…とか感じた…

具体的に何がどうとは上手くいえないけど…

自分仕事してないのは働きたくねえからなのに、コンプレックス持ってしまってんだろうな

独身の友人、あんまインスタとかSNS更新しないけど、月1くらいで最近行った場所〜みたいな感じで写真だけアップしてんの見るとさ、いろいろ感じることあるわけ。

人生選択なんて人それぞれだって頭で理解してるけど、私の人生選択が昔で言ういわゆる『勝ち組』というか、社会に受け入れられる選択をしてて、間違いのない選択であって、独身貫いてるあの子たちは表立って揶揄されることは減っても後ろめたさがあるから自分たちの選択が正しいと必死アピールしてるんだ!とか、私は友人たちと同程度、もしくはそれ以上に幸福なんだということをアピールしないと!的ななんかこう必死になるメンタルがガーーーーッてやってきていかれそうになる。

フワちゃんみたいな過ちは犯したくないな……


独身や働く女性に対するコンプレックスと自信のなさなんだよな、完全に

うそれ受け入れるしかねえのよな…

臭い風呂はいってない」という発想がそもそも差別の原因なんだろうな

「すぐ腹を壊す人=サボってる」

「熱を出す人=サボってる」

寝不足な人=ゲームのしすぎ」

「肌の黒い人=遺伝子的にほぼ原人

こういった偏見眼差しを持って他人を測ろうとする態度こそが、あらゆる差別における根本的な原因であってそこに対して、感覚が敏感とか恵まれ環境暮らしているとかはあまり関係がないんじゃないだろうか?

まりは「自分が慣れ親しんだもの=素晴らしい」 「自分と接点の薄いもの存在のものが歪」という幼子のまま成長せず老害になったような価値観を全世界普遍的常識だと勘違いしていることが問題なんだろうな。

公教育というのはこういった狭い偏見を超えた広い視野を持たせるために様々な機会を提供するはずなのに、実際にやっているのはそれとは真逆で「地毛が茶髪なら黒に染めてこい」といった教職員側の偏見に基づく画一化を推し進めているわけで。

ではなぜそうなるかと言えば、この国の国民根本的な部分で差別意識に満ちていて画一的な隣人を求めているからなんだよな。

入れ墨をしている奴らはチンピラから公衆浴場に入って欲しくない」とか、「アイドルは偽の恋愛感情を売っているんだから本物の恋人を作ってはいけない」とか、そういった身勝手な言い分を振りまいてそれらをさも常識であると言い切る理論大手を振っているわけだ。

入れ墨をしていたらチンピラだというなら、成人の儀式などにおいて伝統的に入れ墨をしている部族はみんなチンピラであり、憎むべき文化の持ち主だからわざわざ集落に乗り込んでいって文化浄化するのが人類のためなのかという話だよ。

結局、人類ってのはどいつもこいつも高慢ちきで、自分たちの生まれ育った文化圏こそが唯一清く正しくご立派な人としての道を歩む絶対の正解だと勝手に思い込んでいるのさ。

凝り固まった『常識の殻』を知恵のハンマーで叩き割ってやるのが公教育の役目だろうに、先にも述べたように奴らと来たら殻の上をより分厚くコーティングすることに手一杯だ。

んでもって生まれてくるのが一生自分の殻から出ることもなく暮らしてきた『平等意識における盲人』の群れなわけだよな。

まあ、現代社会においては憐れなる無知蒙昧の輩と言うしかないわけで、キャンセルカルチャーされまくって然るべき無能という他ない。

まともな教育を受ける機会を得られずに生きてきた、教育の歪みの被害者ではあるのだろうけどな。

anond:20240728023355

登大遊っていうけしからんおじさんが、日本アメリカでは「エンジニア」って言葉意味全然違う、日本では「言われたものをつくる人」だけど、アメリカでは「ソフトウェアが使われるであろう全ての領域についてだいたいなんでもわかっていて、自分で決める人」だと言ってたのを思い出した。

https://www.youtube.com/watch?v=Uww1CZTXfXs&t=1459s

ITがつまらなくなったってよりは、ITなんてものはもともとつまんないよ。

ITがなんでつまんないかというと、(自分たちの課題がなんなのかもよくわかっていない阿呆な)顧客要求されたものをつくるのが仕事から

それが90年代くらいからなんでおもしろくなったかというと、「IT」をやめたから。

コードを書ける程度に頭の良い人たちが、他人に言われた通りにコードを書くのではなく、自分たちで自らビジネスを営むことに目覚めたから。

ビジネスパーソン」が試しもしなかった新しいやりかた + 動くコード で古いビジネスの習慣をどんどんディスラプトしたから、シリコンバレーみたいな面白いうえに儲かる世界ができあがった。

これは「テック業界」みたいな言葉で、(特にSIer的な意味での、顧客要求されたものをつくることが仕事の)従来の「IT」とはやんわり区別されてることからもわかる。

まりコードを書くことを「IT」だと思ってて、「IT」を一瞬面白いと思って、今は「IT」がつまんないと思うようになった元増田は、もともとつまんない奴だったわけ。

(余談だけど、ここ2,3年のシリコンバレーの崩落も、儲かった結果「ビジネスパーソン」の割合が増えちゃって、「他人の言う事を聞かず自らビジネスをやる、コードを書ける人たち」の割合が減っちゃったからかもね)

せっかくソフトウェアを書く能力を持ちながら、その能力を僅かな給金で他人に売り渡してしまうのは勿体ない。

だいたい、ソフトウェアについて知らないどころか、普通ビジネス日本語会話ですら怪しい阿呆な「ビジネスパーソン」の要求通りにソフトウェアを書くのって苦痛じゃない?(それについては元増田も同感のようで、マネーの虎だとか胡散臭いだとかさんざん馬鹿にしてるけど。このへんに関しては自分結構同感で、最近はほんとつまんないtoB SaaS増えたなって思う)

最近では「つまんない「IT」」の象徴だったデカSIerですら、「顧客に言われたとおりにソフトウェアをつくる」のではなく、「顧客と一緒に課題を深堀りして、新たな価値創造する」を商売にするところも増え始めた。

かつてはスタートアップ専売特許だと思われてたリーン・アジャイルデザイン思考を使いこなす大企業も増えてきた。

この先鋒にはみんなが馬鹿にしてるデジタル庁や東京都デジタルサービス局の姿がある。

いわゆるデジタルトランスフォーメーションだ。

まり、かつて「スタートアップ的」とされてたツールマインドセットが浸透するところには浸透してきて、世界が「大企業スタートアップ」ではなく、デカい小さい若い年寄政府民間関係なく、シンプルに「面白い奴とつまんない奴」って構造になってきたってわけ。

元増田の言う通り、つまんないものはつまんない。なぜならばそれは偽物だから

本物に出会うと常に「これはおもしろい」って気持ちにさせられる。

もっと自分意思に従って、自分の信ずるものソフトウェア表現して、世界面白く変えていけばいいのに、って思った。

2024-08-16

選挙行かない民を軽蔑する奴、小馬鹿にした風に嫌味を飛ばす奴

マジで理解不能

自分たち未来放棄するなんてうんちゃら〜」とか急にカマトトぶったこと言ってるけどあれ成人の麻疹だろ。

根本的な怒りや軽蔑心なんてそんな社会参画意識から来てるはず絶対ない。

選挙に行かない人間人非人や大馬鹿者と見なし軽蔑する自分」という像に酔ってるだけ。

これは間違いないよ。

だって

電車職場ちょっとムチムチのエロっちい顔した女を見たら、お前らパリッと背広着てるっていうのに

「ああマンコ舐めたい…」

とか

「ああ顔面ザーメンぶっかけたい…」

とか平気で考えちゃうくらいには動物なんだぜ?

いい年こいても。

国がどうとか社会がどうとか笑わせんなよ。

母乳風俗授乳手コキされながら真面目くさった感じで堀潤気取ってるくらいめちゃくちゃなんだぞお前ら。

から選挙行かない奴に説教たれたり、軽蔑したり、怒ってみたり、嫌味言ったりするのはやめろ。

気取るんじゃねえよド変態ども。

つうかお前らもも選挙行くな。

その時間使ってセンズリこいてろよ。本当はそうしたいんだろ?

嘘つきどもが。

戦争責任者の問題伊丹万作) 1/2

 最近自由映画連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見ときくようになつた。

 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのであるしかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組警防団婦人会といつたような民間組織いかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである

 たとえば、最も手近な服装問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき普通のあり合わせの帽子かぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想表現ではないのであるしかるに我が同胞諸君は、服装もつて唯一の思想表現なりと勘違いたか、そうでなかつたら思想カムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。

 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外百姓の顔であり、あるいは区役所郵便局交通機関や配給機関などの小役人や雇員労働者であり、あるいは学校先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君戦争中、ただの一度も自分の子うそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそ意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。

 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである

 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。

 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間範囲思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。

 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。

 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたもの責任が解消するであろうか。

 だまされたということは、不正者による被害意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つのである」ことを主張したいのである

 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである

 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪観念の交叉する余地はないはずであるしかし、有機生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題人間の行動と結びついた瞬間に意志感情コンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象善悪批判が介在し得るゆえんである

 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである

 つまりますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実のものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力無自覚、無反省無責任などが悪の本体なのである

 このことは、過去日本が、外国の力なしには封建制度鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実個人基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくそ本質を等しくするものである

 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配にゆるした国民奴隷根性とも密接につながるものである

 それは少なくとも個人尊厳冒涜、すなわち自我放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察官僚にの負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣反省しなかつたならば、日本国民というもの永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣自己反省努力がなければ人間進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在日本必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである

 こうして私のような性質のものは、まず自己反省方面思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである

 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。

 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである

 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任問題も、便宜的な一定規準を定め、その線を境として一応形式的区別をして行くより方法があるまい。つまり問題性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位職能によつて判断する方法である現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。

 しかし、それなら映画場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないかしかもこの場合は、いじめものいじめられたもの区別は実にはつきりしているのである

 いうまでもなく、いじめもの監督官庁であり、いじめられたもの業者である。これ以上に明白なるいかなる規準存在しないと私は考える。

 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである

 たとえば、自分場合を例にとると、私は戦争関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。

→ 続: 戦争責任者の問題伊丹万作) 2/2

https://anond.hatelabo.jp/20240816214517

日本語おかしくね?

DLsiteで合同誌を出してくださった作家さんに言いたい!

DLsite作品出してくれたら、お布施します。

いい作品だと思って、検索してみたらDLsite作品がない、メロンにもないとなると

「これが『振り込めない詐欺』『才能の不法投棄』か!」

ってなっちゃますね…

DLsiteで合同誌を出してくださった作家さんに言ってるんですよね?

どういうこと?






共産党の支持者ですら、立憲民主党の支持者ですら、「たしか自分たちにも問題はあるが、はてなブックマークユーザーよりはマシ」と思っているかもしれない

どうしてはてなブックマークユーザーは、陰湿ユーモアのかけらもなく何の勉強もせず他人を妬んだり嫌がらせするし可能がないいじめ加害者の集まりみたいに認識されてしまっているのか・

ネット界の上九一色村ネット限界集落とか散々言われても全く行動が改まらないばかりか、むしろworrisやanigokaみたいな老害ばっかりが元気になっていくし、メンタリティが、アップデート拒否した限界集落の住人並なのに地方民や低学歴の生徒をうっすら馬鹿にするその自意識も痛々しい。


思慮深く、繊細な人は思慮の深い人ははてなブックマークの思慮の浅さや無神経さが耐え難いのだと思います

私は思慮も深くないし、繊細の対極みたいな愚鈍人間なので、はてブで何を言われても続けていくことに支障はないので、

anond:20240816120450

出版社自力で電書プラットフォーム立ち上げることはできなくて

当分自分たちの食い扶持はあると思ってたんだろうな

anond:20240816021530

そう思うじゃん

実際は難民申請して生活保護やで

あと2世は「自分たち日本人なのに受け入れてもらえない」

つっていじけてテロリスト招集に応じて聖戦

2024-08-15

結局、「ぼっち・ざ・ろっく!」って、音楽だけでは勝負できないかアニメという皮を被った、みたいな音楽の敗北を感じるんだよね

ぼっち・ざ・ろっく!」自体面白試聴してたし、楽曲自体も嫌いではなかったけど、

なんか映画に合わせて曲増やしたりしてるの知ったら、なんか複雑な感情が湧き上がって来たんだよね

だってアニソンだよ?

そういえば、アニメ店長が言ったセリフは、天上天下唯我アニソン!だったっけ…(うろ覚え

アニメイトに行く奴なんてキモイスクールカースト最下位人間なわけじゃん…

自分もそのひとりだったわけじゃん…

まあ、この十数年間、アニメイトに行ったことは一度もない気がするんだけどさ…

自分世代で考えたら、「バブルガムクライシス」の「今夜はハリケーン」とか、そんな感じなわけですよ

アニメの中の主人公ボーカル架空バンド楽曲で、にわかアニメオタクとか、どっちかというと一般人が盛り上がってる

ちょっと気持ち悪いわけですよ

だって、俺、小中で周囲がジャンプ読んでるのに、俺だけモデルグラフィックスとかホビージャパンとかファンゴリアとか宇宙船とかニュータイプとかアニメ雑誌読んでるわけじゃないですか

完全に迫害対象でしたよ

My Chemical Romanceの"I’m Not Okay (I Promise)"のMVじゃないですか

もしくは、Lordiの"Hard Rock Hallelujah"のMVじゃないですか

https://www.youtube.com/watch?v=dhZTNgAs4Fc

https://www.youtube.com/watch?v=-6Xl9tBWt54

やばいわ、小中時代自分思い出して泣きそう…😟

クラス自分だけしか知らないアニメがあって、そのアニソンに夢中になってるとか、完全に迫害対象でしたよ

ヤンキーDQNに殴られたり蹴られたり、クラス女子にまで馬鹿にされたり、そんな青春

というか、どこが青い春なんだかさっぱりでしたよ

そんな自分でも、なんか一部の女子にはモテてたらしい、ような噂を後々になって聞きましたが、仮に本当だったとして、あのな、悲劇どん底ときに俺を助けろや…

話が完全にそれたけど、まあ、そんな自分の半生?もあるんで、なんかアニソンがもてはやされるの、ちょっとムカつくんですよ

正直言うと、涼宮ハルヒとかあの辺からうそうですよ

例えるなら、俺は黒人だったわけですよ、ブルースが好きな黒人

でも、白人社会では黒人音楽ゴミ扱いされて、忌み嫌われてた

俺と違う点があるとすれば、黒人音楽ブルース白人の不良にはウケてた

不良とか、ブルースの良さが分かる白人は隠れてコソコソ聴いてたわけですよ

ところが、エルビス・プレスリーが登場して、事態は一変するわけですよ

そこで黒人音楽ブルースイメージが逆転して、白人にとってカッコいい、ステータスなっちゃうわけですよ、"Johnny B. Goode"みたいに

ブルースロックンロールになり、白人ツイストして踊る、プロムというスクールカースト最下位には忌々しい場での音楽になってしまうわけですよ

back to the futureなわけですよ

みんなが陰キャの曲だって馬鹿にして、石投げたり、生ゴミ投げてたのに、ある日、陽キャがそれを自分たちのものにしてしまうわけですよ

悔しいと思いませんか?

まあ、なんだか話がまったくまとまらなくなっちゃったけど、アニメの皮なんて被らないで、音楽だけで勝負しろや、と思っちゃうんですよね

音楽だけで人をひきつけられない、吸引力がない、だったらアニメという物語を付けて楽曲意味を持たせよう、客を感動させようって、別に悪くはないけど、なんか卑怯なんじゃないかな、って思ったのでしたおわり

anond:20240815122212

ぶっちゃけ共産党とつるんでなかったら9条改正も(自民党案ではなく自分たちの案なら)賛成してそう

anond:20240815121710

自民党自分たちのことリベラルって言ったりするし、立憲民主党が我々こそ保守だと言ったりするから

anond:20240815121444

ただの逆張りガイジだから

断言できるけど、自民党改憲断念したら公約違反だのなんだので批判するし、反対に回ったら今度は自分たち改憲言い出すよ

anond:20240815114022

リベラル詐称している左翼がいつの間にかリベラルとは自分たちのことだと勘違いたからそういうこと言い出す。

それ以外のリベラル寄りの中道からはけっこう、政策自民の中ではマシな部類って言われてただろうに。

anond:20150211101701

幼少時からスイス留学でもさせるのかよ。

あながちこの考えは間違ってないのではないかという気がする。時代が進んで教育基準が上がったからとかいう話ではなく自分たちがそれくらいの教育を受けてきたか自分の子供にもそれくらいの教育必要と考えていたりするのではないか

anond:20240814222009

追記

ワイは栃木県出身高校演劇経験あり、創作脚本賞受賞、地区3位優秀賞受賞したことありの増田です。観劇して回ってたりわざわざ見に来たりするおぢさんは別に会場内一律でカメラ禁止だし話しかけもしないので無害だし、なんなら会場外に置いてある感想ボード感想貼り付けてくれるから嬉しいんすよ。栃木県地区,県、北関東大会(去年栃木だった)は全部入場料無料で、他にも地区ごとで大会ない時期にやる発表会の宇都宮地区の「夏研」とか、県南の「蔵の街」とかも無料。是非来てね。

あと、吹奏楽部自分たち演奏が高尚で金を払わせる価値があると思ってるから入場料を設定しがちだけど、演劇部的には自分たちの想いとか主張を見に来て欲しいか無料か少額が多いよ。

—-ここから本文—-

高校観劇高校生の演劇大会は入場料無料結構多い(一部地区自主公演は少額、数百円取られる)から仕事を片手間に全国の演劇地区大会とか県大会とかの下位大会を見に行って楽しんでる人とかいるよ。お金がかかる四季とか宝塚とかより独創的で面白いし。男子も含めて高校可愛いし。

anond:20240814222009

おしゃれとか真面目にやってみるのもいいかも。お金は少しかかるけれども買い物病的な人でなければそんなに心配ない。年収の10%くらいかけるとかなりお洒落できるよ。革靴とか真面目に手入れしてピカピカの仕立ての良い奴履いているとみる人がみるとすぐに分かってもらえるよ。(いまそんな人少ないので)50歳以上のおじさんおばさんは昔バブルときに高いもの自分たちも買ってたりするので見る目があるよ。ポロシャツも1500円じゃなくて2万円位出すとかなりおしゃれ感だせるよ。(おしゃれ品の中高級品価格/廉価品価格の倍率は結構すごいけどね)

2024-08-14

ユニコーン』や『弱者男性』を冷遇するな。

スーパーチャットプロデューサー面の長文改善案クレーム)を送り付けるVtuberファン、一流萌え女性漫画家を「王」だと慕い著書のキャラクターと重ね合わせる「ナイト」たち。そんな彼らを吊るし上げ弱者だと蔑み笑うのは、本当に正しいことだろうか。

昨今見られるオタクの「陽キャ化」が怖い。しかし一度わが身を振り返ってみて欲しい。推し幸せ自分幸せインフルエンサーとして活動してる者に交際している異性が存在するのは当然の認識。果ては性欲を都合のいいヴェールで覆い隠す「推し」という言葉のもの。  「ユニコーン」や「弱者男性」と日陰者を冷遇するが、そうやって追いやる自分たちにもまた本質的には彼らと同じところがあるのではないか人間本質だ。

『建前を抜きに公衆面前本質を曝け出してしまうことが問題だ』という反論は正しい。しかしそうやって臭い者に蓋をするような真似をしても意味がない。より強い光を当てればその分濃い影が生まれるだけなのだ構造を把握しなければ全く無意味なこと。

少し話は変わるが、何時の時代も創り出すのは弱者の側だ。と思う。現状の社会では自己実現が難しかった連中が隅に集まり、愛憎入り乱れる欲求を煮詰めてなにかを創り、それが発明と呼ばれるんじゃないだろうか。

どんな時代にもキモイ人たちはいる。それは女性蔑視的な思想であったり、恵まれていない故他人攻撃することが許されると本気で信じているどうしようもない人たちばかりだが、そんなキモイ人たちのキモイ欲求が今この場の土台を生み出したんだと一度発想を転換してみて欲しい。

キモイ人たちがキモイままでいられる場を潰さないで上げてください。キモい人たちの自己実現の場を潰さないで下さい。仮に潰したとしてもそういった方々はまた別の所で群れてキモイコミュニティを作って、そこで様々を創り出す。

そうした物はその時代の人の本能欲求に訴えかけて、また大きな数字需要を生み出すかもしれない。やがてそれで生計を立てる人が出てきて、そうやって場が整って来た頃にまた消費をしに来て、弱者を「キモイ」と追いやる。全く意味のない繰り返しだと思わないだろうか?

キモくてすみません。けどキモい人たちの欲求には価値がある。それをキモイ非難することも大事社会役割だ。

皆欠けてはいけない。だから今こそ相互理解必要だと思う。

ユニコーン殲滅せんと激しい怒りを燃やす皆さん、どうか一度臭い者に蓋をする手を一度休めて、臭い匂いを嗅いでみて欲しい。案外癖になるかもしれない。

anond:20240725210439

お恥ずかしながらAIについては実態を何も知らず

ほらな?自分たちが叩いてるモノを知ろうともせずに感情のままに騒いでるだけのアホだらけだろ反AIって

推進派が主張するAIに関する知識はすべて嘘という認識になってしまい、一切の主張や難しそうな話を遮断し続けていたように思います

エコーチェンバーのもの

勉強とか難しいからわかんないとお絵描き遊びに逃げてきた人生なのが手に取るようにわかるわ

岸田が総裁選に出ようが出まいが自民党は変わらん

岸田総理が次の総裁選には出馬しない事を表明した

理由自民党支持率が低迷しすぎて、ここで自分が出ないことで「自民党が変わった」事を示したいかららしい

でも、自民党が変わる、なんて事は絶対にありえないよな

だって支持者が何も変わってないんだから

自民党支持率が大きく低下した裏金カルトアベノミクスの失敗による円安不況なんてのは、そもそも岸田総理個人責任じゃなくて

自民党とそれを支持した連中全員の責任でしょ

そんな政党を作り上げといて、自民党の支持者は自分たちが馬鹿にされたり愚民呼ばわりされる事を嫌がってる

終わってる支持者が作り上げた終わってる政党、それが自民党なんだよな、結局

極めて私は不愉快ですよ極めて私は不愉快なんです

anond:20240814102211

フェミ他責思考とか言われてたが、ミソジニーこそが他責思考なのでは?

非難していた欠点を、自分たちに取り入れる意味が分からない。

・・・ミソジニーはひょっとしてフェミ嫉妬してるのか?

フェミが羨ましいからなじり、自分たちフェミマネをしてる考えるとスジは通る。

anond:20240814102211

世界の全てが自分たちより不幸になる世界を目指してるって?

anond:20240814101406

割と自覚あるミソジニスト(≠インセル)だが所感を話す。

この手の炎上沙汰に首を突っ込んだりしないが、思う所はある。

まず、オレらが何を理想にして、どんな世界を目指してるかだが。

誤解だ。

オレらが目指してるんじゃあない、フェミが目指してるんだ

フェミがはじめた物語で、その続きに後悔したとしても、もう遅い。

自分たちが男にしでかしてきた過ちを嘆き、泣いて謝っても、もう遅い。

大学は成果出せよ金は出さんぞ産業を盛り上げろ国際化しろお金は減らすみたいなこと言ってる文科省やら黒幕財務省

自分たちはなんの成果も出してないどころか学術界の凋落比較にならないレベルで、日本経済終焉に向かっている事実とどう向き合ってるんだろうか

努力が足りないし国際的になんの取り組みをしてるんだろうね?偉そうなことばっか言って責め立ててくるけど君らちゃん世界リードできてるの?

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん