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弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがわからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場の人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事や増田やブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図を作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的におかしい部分もあるけど、あくまで自分用のメモとして。
「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合的弱者派」の中にも、弱者男性は所得が低いから女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方(経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性や他者と関係を持てていないこと自体が弱者男性の生きづらさの核心だという見方(関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得の多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係や承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。
なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念を提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的、客観的、定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく、男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。
あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルートで弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近は非モテ・上昇婚・負の性欲・インセル・エマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念と性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージの錯綜を招いているように感じた。
何か思いついたらまた追記するかも。
弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがわからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場の人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事や増田やブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図を作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的におかしい部分もあるけど、あくまで自分用のメモとして。
「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合的弱者派」の中にも、弱者男性は所得が低いから女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方(経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性や他者と関係を持てていないこと自体が弱者男性の生きづらさの核心だという見方(関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得の多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係や承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。
なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念を提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的、客観的、定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく、男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。
あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルートで弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近は非モテ・上昇婚・負の性欲・インセル・エマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念と性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージの錯綜を招いているように感じた。
何か思いついたらまた追記するかも。
弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがわからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場の人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事や増田やブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図を作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的におかしい部分もあるけど、あくまで自分用のメモとして。
「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合的弱者派」の中にも、弱者男性は所得が低いから女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方(経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性や他者と関係を持てていないこと自体が弱者男性の生きづらさの核心だという見方(関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得の多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係や承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。
なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念を提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的、客観的、定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく、男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。
あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルートで弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近は非モテ・上昇婚・負の性欲・インセル・エマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念と性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージの錯綜を招いているように感じた。
何か思いついたらまた追記するかも。
弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがわからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場の人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事や増田やブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図を作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的におかしい部分もあるけど、あくまで自分用のメモとして。
「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合的弱者派」の中にも、弱者男性は所得が低いから女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方(経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性や他者と関係を持てていないこと自体が弱者男性の生きづらさの核心だという見方(関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得の多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係や承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。
なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念を提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的、客観的、定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく、男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。
あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルートで弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともと赤木智弘氏がフリーターという就労状態をもとに立ち上げた切り口で、基本的には「属性弱者派」のうちの
「経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近は非モテ・上昇婚・負の性欲・インセル・エマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念と性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージの錯綜を招いているように感じた。
何か思いついたらまた追記するかも。
長すぎて分割になったわ。しかもまだ続く。
el-condor 国会議員の「議席」にクォータ制を適用しているところは然程多くない(世界で見ても2011年で17)。議員クォータ即議席割当というのは短絡で候補者クォータが多数派。制度の実装は多様なのよ。
上にも書いたが、候補者クォータでも同じだろ。
haha64 じゃ、フェミニストへの「カウンター」とやらが最優先で、自分の置かれた状況に関する主張は何もないのか。こういうフェミ叩きに夢中なだけのバカを「弱者男性」諸氏は同類と見なしていいの? 何も救われないけど。
「弱者男性論はフェミニストへのカウンタとして生まれた」を「フェミニストへのカウンターが最優先」って読むやつ、日本語力おかしいよ。
具体的には「弱者男性論は」という主語をどっかに飛ばしてる。論外。
「なにも救われない」というのはその通りだが、フェミニストを野放しにしていると犠牲になる文化やそれを愛する人がいる。
「救うため」じゃなく、「犠牲を減らすため」にフェミニストは叩く。徹底的に。
murishinai 個人的ピンポイント意見だけど「Quota制(あるいは女性専用車両)みたいな施策は不平等な措置」だと思うけど「それを超える権利侵害が生じているので解決されるまで一時的に導入されること」はあり得ると感じています。
1.「それを超える権利侵害」など生じてない。女性は今も入れたい候補に入れている。
2.「一時的に導入」で済むわけない。一度設定されたクォータが解除された例があるか?御茶ノ水大はまだあるぞ。
zyzy 女を議席と同じ地位という道具扱いする時点で「自称弱者男性は女性差別主義者の逆ギレ」と証明していくスタイル。というかまんま「女はトロフィー」というド直球差別思想がないとこんな事言えないよね。
「地位」ではなく、「人権」の話をしてると読み取れない(書いてあるぞ)時点で論外。
frantic87 自分の頭で考えろと言いつつ自分の中の正解しか認めないタイプに思える。少なくとも対話するつもりはないよね。これには返信不要です。
どうしてそう思ったのか知らんけど、全くブーメランになってると書いてて気づかんのか。
他のブコメであっさり指摘されてるぞ。論外をくれてやる。
grdgs 人間と権利を同一視するとは蒙昧がすぎるな。まともに反論できてないだけを「論外」でうまく誤魔化した気になって精神的勝利を図るとは愚昧がすぎるな / 「フェミは口が悪い」とよくいう方々は身内の口調には超優しい
人間と権利を同一視?人間が人間として尊重されるその根拠を「人権」というんだぞ?論外。
「精神的勝利」という、具体性ゼロの精神的勝利ワードに乾杯。ダブル論外。
paper7802 再反論した。文句があるならかかってこい、と言わせてもらおう。/「正論」鵜呑み勢が多すぎ。ちょっとは自分の頭を使いなさい。/「論外」の理由も一々書いてやったろ。ワンセンテンス同じ罵倒二回は語彙がpoorすぎ
これは俺だ。論外。じゃなかった、次。
mobile_neko クオーター制に関するフェミニストの主な活動は「政治分野の男女共同参画推進法」で定められた候補者の男女比を適正する努力を政党に求める事だろ。議席数制限は憲法上日本では無理だし改正案でも議論されてない
それにアンタは見えないのかもしれないが、「議席をあてがえ」論を公然と口にするフェミニストは五万といる。
もっとよく見ろ。
fourddoor あっ、やっぱりただのカウンター概念なんだ。了解です。/「弱者男性」全般がそうだとは思ってないけど、この増田的にはね。
「弱者男性論」はカウンター概念だが、「弱者男性」は現実に存在する。
この違いは覚えておいてもらいたいな。
msukasuka 完璧な男社会を作り上げられてしまった政界に女がのし上がるのは恐ろしく高く厚い壁が立ちはだかってるのはわかるでしょう?そこをこじ開けるのに我々はその利権に絡め取られた男共が死に絶えるまで我慢せよと?
「KKO」とまで言われた非モテが彼女作ったり承認を得るよりは低い壁だろ。現に超えた女性はいる。
我慢なんかしなくていいんだよ、立候補すれば。同性の指示を100パーセント集めるだけで勝てるよ?
mogmognya ”氷河期世代の雇用促進?努力じゃなんともならなかったろ、世代丸ごと男女問わず” 確認。氷河期世代の雇用促進の施策は肯定するってことでOK?
それ以外にどう読めるんだ。次。
mukudori69 まあなんつうかそれであなたが幸せになれるならそうしていればいいよ。/一応伝えておくと、仮にクオータ制の導入が可決された場合、それを裏打ちするのもあなた以外の人の参政権=人権とそれを代弁する代議士だよ。
「人権の自殺」論は長くなるからあんまりやりたくないが、言いたいことはわかる。
そうなった暁には、大手を振って「女をあてがえ」論を唱えられる社会が来るだろうな。
何せ、「特定属性の特権のために他人の人権を奪ってよい」という実例ができてしまうのだから。
誰だよ。俺はおなじIDでTwitterもやってるから、どんな人か知りたきゃ身にこい。
あと対人論証は論外だ。
white_rose 氷河期世代の雇用促進は努力ではどうにもならなかったからOKで、議員枠と女をあてがうのは努力が足りないせいor人権に抵触するから駄目?よくわからない。
氷河期世代に決定権はなかった。
「議席をあてがえ」論での女性に関しては「過半数の票を持っている」という、客観的な「決定権」が存在する。あと犠牲になる人権がデカすぎる。
「女をあてがえ」論での弱者男性については決定権はないものの、犠牲になる人権がデカすぎる。
hammondb3 民主主義を絶対視すると少数派の弱者男性は今以上に切り捨てられる。だから憲法の価値序列を認めるのが通説/非正規雇用の待遇改善は弱者全体に利益。クオータ制かはともかく弱者の声を政治に届ける何らかの仕組み要
「今以上」があるとすれば、それはフェミニストが天下を取ったときだろうよ。
非正規雇用の待遇改善は別に議席をあてがわなくても実現できる。
そもそも過半数の票を持っている属性が「弱者」なわけないだろ。
xorzx あてがえ論だって弱者同士で結婚しても生活出来るように制度で補完する事で弱者男性も救われるって話であって、嫌がる女性を無理やり結婚させる話ではないよね?
フェミニストが藁人形にしてる「女をあてがえ」論は後者なんだ。
anmin7 それでもやっぱり議員が大体半々にならないのはおかしいと考えるけどな。その上でパートナーがいない男性を異常とする考え方を左翼的な人達が持っているのもまたその通りだと思うね。あてがえ論には断固反対するが。
率直に言うが、あんたの「おかしいと考える」なんかどうでもいいんだよ。
後、右とか左とかどうでもいいよ。フェミニストが右であろうが左であろうが、有害なことに変わりなし。「議席をあてがえ」論は言うに及ばず。
REV 「地域の代表」という側面から莫大な一票の格差を容認したくらいだから、「性別の代表」という側面からクォータ制を導入してもいいと思うんだけどね。でも、「履歴書の性別欄」とか廃止傾向じゃなかったっけ?
今時、性別での分断を起こすようなこと言ってるなよ。
cdijopvw 「自分のは雑な攻撃へのカウンターだ」ってのはみんな思ってて、でもそのカウンターも雑で誰かに流れ弾食らわしたら本末転倒だろ。ただ自分も弱者男性を雑に罵ってる人見たら腹立つし増田だけを責めるつもりはない
今のところ流れ弾は出てないみたいだね。次。
interferobserver やっぱり噛み合わんなーという感想。賛同するかは別として、一般的にクオータ制がどういう理屈で正当化されてるか理解されていないのでは。いいテキストがあった→ http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10310077_po_20170207.pdf
「書誌が見つかりません」。次。
spark7 男女格差が根付いた社会下で議席数に差が出てるのは努力不足じゃないと思うけどな。増田は統計的差別とかに足元掬われるタイプぽい。「氷河期世代の雇用促進?努力じゃなんともならなかったろ」
同性の票さえ集めれば勝てるのに、そのための努力はおろか戦場に上がることすらほぼしない。「努力不足」でも優しく言ってる方だよ。
論外。
kunitaka クオーター制はエエと思うで。上位が排除される訳ではない。性別で優位になっとるだけのカスが排除されるだけよ。男女が入れ替わっても継続されるべき、非常にロジカルな制度やと思うで。違うかね?
違うも違う、大間違いよ。
「議席をあてがえ」論で性別枠を理由に排除される者というのは、投票者全体でみれば上位なんだよ。少なくとも拾われる奴よりは票を取ってる。
そいつが「性別で優位になっとるだけのカス」と決めつけてるのは完全にアンタの偏見であり、ロジカルな要素は微塵もない。
大論外、だ。
worris 弱者+男性という語義矛盾の概念が、フェミニストへのカウンターでしかなく、権力勾配を無効化するための嘘で藁人形だと白状してしまっている。権力勾配という用語が嫌いな人も多いけど、権力に勾配はあるよね。
「権力勾配」などという存在しないものを前提にしてる時点で論外。
一票の重さは男女等しい。
フェミニストが建てた藁人形こと「女をあてがえ論」とは違うのだよ。
elusin いやお前が一番論外だ。
俺が論外?だとしても日本じゃ二番目だ。
お前こそナンバーワン論外だ。
具体性ゼロ。
kazuau 社会構造的に分断があるなら、クオータ制は有効。少数民族枠や宗教枠がないと全く議会に声が届けられない場合など。男女枠を新たに設けなければならないような状況ならば、結構深刻かもしれないね
フェミニストが分断を作り、フェミニストが「議席をあてがえ」論を唱える。人、それを「マッチポンプ」という。
そしてフェミニストが唱えてるのは「少数民族枠」でも「宗教枠」でもない。本邦第一の有権者数を保有する巨大な属性だ。
「全員が」じゃないだろ。次。
B2igwzEE 「はっきり言おう。それが現実だ。もし違うなら、もっと切実なら、自分で動くはずだ。立候補してな。」女性の議員も障害者の議員も存在しない世界線の人だった
一体何を読んだんだ?
女性に「議席をあてがえ」といわなきゃならんような切実さなら、もっと立候補するだろ。その危機感の持ち主だ。
ところがフェミニストはどうだ?
oakbow さすがに参政権と自由権を同じ尺度で考えるのは厳しいと思うんだよな。参政権は現時点でも年齢や供託金などの制限があり、選挙制度による不平等も起こりうるものだし。
参政権がないと、自由権を定義している「法」や「憲法」へのアクセスが失われる。
Betty999 「弱者男性」の一部には、理想(理想なのに標準・普通と認識)とする男性像に縛られている層があり、さらに理想とする社会像があり、そこからのズレを頑なに認められないから勝手に不幸になっている人がいるように思う
関係ない話はヨソでやってくれ。別に否定も肯定もここではしない。
いや、しょう。そのフェミニスト的「解脱論」はクソだ。脳下垂体を切り取って、空腹感を感じなくしても人は餓死するんだぞ。
vkara 議員は任期あっていずれまた選挙するわけだから追い出すってのも違う気がするし、定員制に変わると思えば。現状金と後ろ盾ある人達の声を届ける政治になってるし。
任期あっていずれまた選挙するから公平なわけだが、「議席をあてがえ」論はそこに手を加えるからevil。
「定員制に変わると思えば」って言いかえにもなっとらんわ。論外。
didididigda 私が選挙で投票した人が通らなくても、私の意見や人権も加味して政策を決めるのが民主主義であり人権主義なのではないかと思います。選挙は人権の大きな部分ですが、この論でのクォータ制批判は同意できない。
あなたが投票した人が通らなくても民主主義だが、多くの人が投票した人が通らないのは民主主義とは言わんのだ。
そして「人が通らなくても意見や人権も加味して政策を決めるのが民主主義」なんだったら、別に議席をあてがわんでもいいってことになるだろ。
deztecjp 拡大された「あてがえ」論なら、私は支持に回る。例えば私的団体である個々の政党が立候補者数にクォータ制を導入する……なんてのは全然OKと考える。議席数自体を縛るのも、比例代表制限定なら反対しない。
cleome088 女性専用車もクオータ制も社会通念の変革やルール変更の為の基本的には一時的なものであるべきのもの。今のルールだと勝った人が公共にとって相応しくないことをするからルールを変えるの。
「一時的」で済んだためしがない。お茶の水女子大はまだあるぞ。フェミニストのバイブル「ジェンダーギャップ指数」でも教育はほぼ等しいのにな。
「公共にとってふさわしい」かどうかの判断も投票によって行われるのが民主主義。
そこに介入する「議席をあてがえ」論を擁護するために「公共にとってふさわしくないことをするからルールを変える」?
keytracker 民主主義の制度自体が不完全で、多数に支持された人が代表で政治を行えば皆の参政権が反映されるとするのが間違いだから、そこを弄る事でより良い形って存在すると思うが?婚姻は両姓の合意だから、絶対侵害になる
「制度自体が不完全で」なんて言い出したら、「婚姻は両性の合意という制度自体が不完全で」と言い出して「女をあてがえ論」を唱えることすらできる。
じゃあその「制度自体の不完全」をどうやって決めるのか?民主主義の国家ではそれを投票で決めている。正確には投票で選んだ代理人が。
そこに介入することは「不完全」の定義を握ることであり、絶対侵害になる。
何度目かの論外
hedgehogx 結局さ、生意気な女を黙らせるカウンター以外で弱者男性は存在しないってことで増田的にはいいわけ?正直彼らがここまで徹底して自分の問題自分のこととして語れないと思わなかった。
「生意気な女」じゃなくて「反人権派であるフェミニスト」な。生意気でも筋が通ってりゃいいんだよ。
そしてフェミニストの加害はもはや「自分事」。身を守らねばならないひどさ。
goadbin そもそもクォータ制自体が民主制との相性が良くない。よく言われるガラスの天井論もじゃあ来年マリーヌルペンが仏大統領になったらどう評されるか?結局都合のいい女性議員が欲しいという本音が見えちゃっている。
丸川珠代議員とか、小池百合子知事への反応を見れば顕著だな。俺は両方嫌いだが。
unnmo 喧嘩したいだけの人かな。弱者男性への救済策が「女をあてがえ」でベストと思う?より良い手段も沢山提示されてる(探せ)。お前も考えろ。クオータ制が既存参政権の侵害?その既存が疑われてるんだよ。
ベストかどうか決めるのは俺じゃない、弱者男性たち一人一人だ。
私見だが、フェミニストが「より良い手段」を挙げているところは一度も見たことない。使い古しの解脱論が関の山。
「既存が疑われている」?大多数の人間が疑ってるなら、議席をあてがわなくても選挙で勝てるだろ。
疑ってるのはお前とわずかなお仲間だけってことだ
俺は反自民、反立憲、反共産。右でもなければ左でもない。論外。
今からでも遅くない。来な。
つづく
男性の性的な欠乏感の強さは女性に想像してもらうのが難しい。モテるモテない関係なく人に優しく出来るようになるにも性的に満たされるのがまず前提で、男性のモテカースト上位10%ぐらいにならないと無理なんだよ。サルになったらセックスできるならサルになりたいよ。人間性も含めて認めて貰いたいのはその前提を満たしたあとだ。人間性を承認してくれる相手を捨ててでもセックスしたくなることもある。そのぐらい男性は性的にしょうも無い生き物なんだよ。気持ち悪いというなら去勢してくれよ。殺してくれよ。その覚悟もないのにキモいキモい言う女の負の性欲もしょうがねえと思うが、男のセックスしたい欲はそれ以上にどうしようもないんだよ。だから弱者男性は女は楽で良いよなといつまでも言い続けるんだよ
https://news.yahoo.co.jp/articles/9fdc8426dd579b08718b4e06f46df141e452191e/comments
治療薬の承認はないわ、医療体制は整えないわ、政府も医師会も努力はせず、国民の気の緩みだとか緊張感が足りないなんて、人の非難ばっかり。
1年以上少々陽性者数が増えただけで大袈裟過ぎ。
同じ事しか言えないの恥ずかしくないのかしら。
だからこそ抑え込めているんだろ。一日5万人や10万人とかの感染者の国はまだまだあるんだぞ。
自分たちがやるべきことをやってから言ってくださいね。だいたい、人口の1%やそこらの人のために社会活動を止めること自体おかしいのだから。
ツイッターには、男が女に説教したがるのには生物学的基盤があるからかもしれないと主張しただけで発狂して否定にかかるフェミニストがいるらしい。生物的基盤があるからこれは仕方がないとか許容されるべきとかは一切言っていないにも関わらず。
フェミニストはいつも、議論に社会的に構築された有害な男らしさを持ち出す。結婚したいと思うのも、競争して自分の地位を得たいと思うのも、有害な男らしさを社会から押し付けられたせいであり、降りれば楽になる。降りずに不幸になるのは馬鹿だからで、自己責任。降りるべきだと。いつだって悪いのは男なのだと。
一方でフェミニストは、女が出産とキャリアアップを両立できないのは制度が悪い!改善せよ!と叫ぶ。これは矛盾した態度ではないのか。
出産もキャリアアップも、べつに誰も誰にも強要していない。個人が社会的に押し付けられた偏見から来る欲望であって、それを無反省に受け入れているのは女であっても同じだろう。出産もキャリアアップもやめようと思えばやめられるし、なくても幸せになれるのだから、片方だけにせよ両立したいにせよ、やろうと思ってしまうのは自己責任であり、欲望を捨てられないお前が悪いと言うべきじゃないのか。降りて幸せになるべきじゃないのか。
フェミニズムは自分が仏教徒やストア主義者であることを自覚すべきだ。人間の全ての活動はどこかから押し付けられた人工的な欲望であると考える限り、人工的ならば解体されるべきだという考えに必然的に陥る。役割規範に限らず欲望に拘束されるのが不幸を導くのならば全て捨てるべきであり、何もせずとも精神的に充足した状態である解脱やアクラシアやアタラクシアを目指すぺきだと言うべきだ。反出生主義にも賛同すべきだ。子供を持ちたいなどと欲望を持つから不幸になるのだ。何もこの世でなせなかった自分の代品として人間ペットを作り出し、搾取はダメだけど自分の子供はより低い立場である保育士に預け自分はホワイトカラー労働でさらなるキャリアアップを目指し、多様性は大事だけど自分の子供は塾に入れて私立の上流階級の上品な空間で育て、生産性差別はダメだけど自分の子供は社会で貢献できる素晴らしい人材になってほしいと考えるような、そんな思考は今すぐ捨てるべきだ。やめるべきだ。さっさと全ての欲望から自由になれ。捨てられるんだろ?降りられるんだろ?降りないのは有害な男らしさにとらわれてるからなんだろ?嫌だとは言わせないぞ。
大体、昨今の生産性がなくてもいい!みたいな議論にも無理がある。社会の中で何の役割も果たせなかったら無力感で強い苦痛を感じるに決まっている。生産性とは社会の中で役割を果たすことに他ならないのだから。そんな人たちに居場所を与えない社会が悪いと言うかもしれない。だが、そんな居場所でやるべきことが何もできないからこそ弱者なのだと言うこと、誰かがその負担を引き受ける必要があるということを忘れている。生産性がなくても肯定されるべきというのは、あなたがバリバリ働く横でとなりのおっさんがもたもたもたもた、機械は苦手、ミスも多発で全体にダメージ、それでもその男を会社に必要な存在として同じ給料で受け入れることを意味する。精神的に受け入れるなんて絵空事で、カネがなければ生きていけない以上カネを払わないなら受け入れないのと同じことだからだ。同じ給料なのは、競争志向は有害な男らしさである以上それを促進する効果を持つ社会制度は撤廃されるべきだからだ。能力に応じた地位配分であるメリトクラシ―は撤廃すべきだ。そもそも能力なんて、生まれと育ちに大部分決定されたものである以上、個人にその果実を与えるのはおかしいのだ。もしこれを拒否するなら、フェミニストはこれを利用して、自分たちはフェミニズムという学問を修めた以上それにふさわしい支配階級としての地位を求めるに決まっている。他の人に競争させたくないのは、自分達こそが高い地位を独占してカネを手にし支配力と欲望を思うままに発揮しホストを侍らせ酒池肉林をやりたいからではないのか。そうでないなら、全ての人は全ての欲望を捨てろと言うべきで、男は有害だとばかり言わず女にもカレシ作るな、競争志向やめろ、そんなものはいらないはずだと主張しゆるやかな社会の滅亡を目指すべきではないのか。女の欲望はこれまで優先されてこなかったのだから優先して叶えられるべきだなんて差別論理で女が全肯定されるとでも思っているのか。女批判は全部ミソジニ―でマンスプレイニングだと言えば聞く必要がなくなるのか。男批判も女批判も平等にツイッターで叫ばないのはなぜか。生産性がなくてもいいなら、出産と労働への欲望だけ特別の地位を与える必要はあるのか。わきまえていないのは社会に対してでなく、自分の叶いもしない無際限の欲望に対してではないのか。
フェミニズムは生産性を拒否した果てに、相互承認の相互ケア社会を夢見ているのかもしれない。そんなものは無理に決まっている。誰が、何日も風呂に入っていないホームレスの人間を受け入れ、肯定し、ひいては抱き締めるようなことができるのか。フェミニストはそれを積極的にやれているのか?誰も何の役割も求められない社会で、承認を得る手段として家族も労働も拒否するなら、相互ケアしか道がない。なら、キモくてカネのないおっさんおばさんクソガキ不良反社不潔人間障害者重病人外国人、ケアする能力を持たない不幸な孤独者を誰がケアするのか?女にだけ求められていると誤読される恐れがあるから、フェミニストも、男も、LGBTも、社会の全ての構成員が全ての構成員をケアする義務を持つ社会と化す、と強調する。解決策としてケア役割を職業にしようとするならば、結局自分はフェミニズムという上流学問を修めた以上上流階級がふさわしくそんな下品で誰もやりたくない仕事はフェミニストはやらなくていいはずだという傲慢ではないのか。社会から疎外された弱者がその役目を負うことになることに目を向けるべきだ。相互ケアなんてできるわけないのだ。誰もがケアされる側になりたいに決まっていて、他人のケアなんてまっぴらごめん、誰かに押し付けたいに決まっているからだ。念のため言うがカレシカノジョパートナーを作って承認を得るなんて可能性があるはずはない。好みの顔面や肉体による他者選別なんて、誰も配慮する必要のない社会的に構築された欲望でしかないからだ。欲望する存在としての人間は全て否定されるのだ。
以上見たように、「社会的に構築された欲望」理論からは、全ての人間は全ての役割規範と欲望を放棄し、全ての承認の根源を失い、静かに死んでいき社会を滅亡させるのが善だという結論以外はあり得ない。東京スカイツリーの展望台から、一人一人丁寧に飛び降りるのだ。環境問題も少子化問題も解決され、最高の未来が約束されている。死は救済だ。
ガチで幻覚見てるのはこの4人かな。上から順番にカルマ値5、11、6、9とだいぶ啓蒙が高まってるメンツ。そりゃ幻覚見てもしょうがない。
legnum 弱者女性は既に酷い扱いなわけだけど弱者男性は強者女性だけ見て文句言ってるから叩かれて当然て感じがする。モテたがってるが決めつけ?弱者女性が決してしない絡み方しといて何言ってんだ言葉遊びか?
pikopikopan 弱者男性はまず家族以外の他人との交流からスタートで、一足飛びに女って言うてるのは、女性でいう白馬の王子様と理解し始めた
kusa93and93 弱者男性を自称する奴らがママを求めてると言われるのは女叩きばかりしておいて優しくしろ承認しろと赤ん坊以下の幼稚な要求をしてるからだよな
xnikki 弱者男性のセックスできるママを求める異様な幼稚さと、すぐに癇癪を起こす攻撃性を見るにそもそも男性云々は関係なく人として不出来なだけ
女をあてがえと騒ぐ弱者男性の具体的なIDの提示はまだかー!なぜ出来ないー!!! 一体どうなってるんだーー!!!遅すぎるぞォォーーー!!!早く・・・ 現れてくれ……
『誰も・・・具体的な弱者男性についてイメージできていないのである!!!』
誰か早く名指ししてくれー!どの人のことを指してるのかー! 誰かーー!!!
『そう!!誰も!!具体的にどの人のことを指しているのかわからないのである!!!』
「えっ??」
はてブ民といえばファクトチェック大好きな集団だ。(そうか?)
毎日頼まれもしないのに他人のもめごとに首を突っ込んでは己の知識をひけらかして帰っていく。先日は万馬券を当てた声優さん(個人事業主)の記事に群がって、税金についての知識をどや顔で披露していた(アイタタタ……)
『ウマ娘声優・Lynn、大阪杯3連単的中で馬券1000円→100万円に「手が震えてます」 1着レイパパレ血統に自身の担当キャラ | ORICON NEWS』へのコメント
うむ。マスコミが自粛していて名前を伏せていても空気を読まずに実名をコメントしてドヤ顔をするお節介人間が湧いてくる、そういう下世話な集団なのだ。はてなブックの連中に「女をあてがえと喚く弱者男性」の心当たりがあればすぐに出てくるだろう。
そんな承認欲求に飢えたはてなブックマークの連中が集まっているのに、未だに具体的な名前をあげずにイメージだけで殴り合っている…。
はてな村で何かが、あったに・・・ 違いない・・・ 「一体何が・・・」
『そう、もうお分かりだろう・・・ 誰も!!実際の弱者男性について知らないのである!』
legnum 弱者女性は既に酷い扱いなわけだけど弱者男性は強者女性だけ見て文句言ってるから叩かれて当然て感じがする。モテたがってるが決めつけ?弱者女性が決してしない絡み方しといて何言ってんだ言葉遊びか?
pikopikopan 弱者男性はまず家族以外の他人との交流からスタートで、一足飛びに女って言うてるのは、女性でいう白馬の王子様と理解し始めた
kusa93and93 弱者男性を自称する奴らがママを求めてると言われるのは女叩きばかりしておいて優しくしろ承認しろと赤ん坊以下の幼稚な要求をしてるからだよな
xnikki 弱者男性のセックスできるママを求める異様な幼稚さと、すぐに癇癪を起こす攻撃性を見るにそもそも男性云々は関係なく人として不出来なだけ
この説明だと、突き詰めると表出の部分ではすべて経済力・収入が問題ということになるね。
「なぜ②」以降の要因(メリトクラシーでの不利な条件)があったとしても、
「交際相手(配偶者)がいない男性」から脱却できるわけだから。
でも弱者男性論を語る人達って、この問題を収入格差とか社会階層の話としては語りたがらないんだよ。
労働や格差だけじゃない「何か」があるんだと彼らは言いたいんだろうけど、それが何なのか俺にもわからん。
「女をあてがえ」論者は藁人形じゃなくて実際にいるよ。以下に具体例を出してやる。
■赤木智弘
弱者男性論の元祖ともいえる赤木智弘は、2006年に「私は男女平等の実践として「私を養ってくれるお嫁さん」を募集します」「応募がなければないで、「男女平等なんて言ったって、本当に平等にしようなんて誰も考えていないじゃないか」ということを実証したことになります」と言っていた。
http://journalism.jp/t-akagi/2006/07/post_136.html
■島本
白饅頭が「「女をあてがえ」論者マジでいるのだろうか」「フェミニズムが女性を自由にしたせいでオレらが結婚できなくなった」と主張している人って本当にいるの?」と問いかけたときに、「僕です」と名乗り出た 島本 @pannacottaso_v2 というTwitterアカウントがいる。「『アンチフェミは女をあてがえと言ってる』というの、全くそのとおりだしそれの何が悪いのかさっぱり僕にはわからない」「『女を充てがう方法』として税制を使えと言うてるわけです、我々は。それを『直接じゃないから充てがえと言うてるわけではない(徴税というペナルティを被れば拒否する権利はある)』みたいなのはただのレトリックだと自分は思う」と主張している。ちなみに彼は2回「僕です」と白饅頭にリプライしたが、返事をもらえなかった。
https://togetter.com/li/1121535
■黒屋ぶるー
「非モテに女をあてがえ」と主張している 黒屋ぶるー @kuroya_blue というTwitterアカウントがいる。彼は「「非モテに女を宛がう」で僕自身が想定してるのは男の年収改善(それが女の年収低下を意味することは否定しない)と独身者への社会的圧力の強化、マッチングの強化で結婚しやすくしようというもの」「人口維持を目的とするなら「非モテに宛がわれる女性にあるメリット」はズバリ人口維持でしょ」と主張している。
https://togetter.com/li/1408490
「弱者男性差別をなくそう」というTwitterアカウント @tufozi2 がある。「共学が諸悪の根源」「自由恋愛が諸悪の根源」「やはり自由恋愛は廃止してお見合い制度を見直すべきであろう」「それが女性の幸せにもつながる」と主張している。
すもも @sumomodane が「そもそも「男に女をあてがえ」って言っている人、いるんですか?」と問いかけたときに「私とかがそうですね。」と答えた黒猫使いの鈴木
@kuronekomasters というTwitterアカウントがいる。「基本的には、戦争や絶滅を望まないなら、あてがえ論をベストと考えます」「妥協点として30くらいまでに自由恋愛で結婚できないなら国や自治体が選択肢を提示、離婚は可能だが繰り返す」と提案している。
https://twitter.com/kuronekomasters
■すもも
上で出てきたすもも本人は自分が弱者男性だと思っていないし、自分が「男に女をあてがえ」論者ではないと自認しているが、一方で氏は「女性の上昇婚志向の高さは男性のモテと関係している。男性にとって女性の上昇婚志向が高まることは結婚しにくさにつながる」「女性が高望みをやめることは社会的メリットにもなる。①日本の少子化対策になる、②男性の幸福度を高められる、③日本の男女平等度を高められる」「現在未婚者において経済的な理由で結婚できない人が多いため女性が高望みをやめればマッチング機会が増えるだろう」「日本男性は幸福度が低い。それは未婚男性の幸福度が低いことが寄与している。日本では家族以外の共同体の希薄なので未婚男性は孤立しやすい。女性が高望みをやめマッチングが増えれば男性の幸福度が高まるだろう」とも言っている。つまり、女性が高望みをやめて強者男性以外も選ぶようになれば、今は結婚できない日本男性も結婚できるようになり、家族共同体を持ち、孤立が解消され、幸福になる、と主張している。自分には、これは弱者男性外部から見た「あてがえ」論の変形に見える。
https://note.com/sumomodane/n/nda55d2cf494e
少なからぬアカウントが、マッチングのシステムを変えたり(自由恋愛→お見合い)女性側の価値観そのものを変える(上方婚志向→下方婚の許容)ことで、弱者男性や非モテ男性(上に挙げた人達のほとんどはこの2つをはっきり区別していない)が女性とマッチングされる機会が増える、増やせ、と言っている。また彼らの一部は、自分の主張が「あてがえ論」だと明言している。
ここで挙げたのは一部の例で、はてな他で非モテについての議論が盛り上がっていた時代には、こういう論調は(かなり極端な側には属していたが)そう珍しいものでもなかった。増田で過去検索してみれば同じような意見が出てくるだろう。今回炎上をめぐって「『女をあてがえ』論者は存在しない」とか「藁人形だ」という意見を目にするが、事実はそうではないし、白饅頭やすももがそう言いだした時にも実際に「女をあてがえ」論者が名乗り出てきている。
おれは性的承認の問題を抜きにして弱者男性の話をしたい人達がいるのは理解できるけど、彼らが「性的承認の問題を重要視し、その問題の解消のために制度的な解決を求めている弱者男性達」をいないことにするのはよくないと思う。弱者男性界隈が弱者男性内部の多様な声を抑圧してたらマジで救いがなくなる。まずは「女をあてがえ」論者が存在すること自体は認めて、彼らを弱者男性論の中でどう位置づけるのか、真面目に考える必要がある。少なくともこのエントリを読んでまだ「『女をあてがえ』論者は藁人形だ」という人間がいたら、そいつは事実より先入観や願望を優先して、弱者男性内部の多様な意見を封殺するやつだ。言うならせめて「弱者男性みんなが『女をあてがえ』論者ではない」とか「チェリーピッキングだ」ぐらいにしとけ。わかったな。
おまけ:米国のインセル界隈では「女をあてがえ」という主張は割と普通にある。保守派論客のRoss Douthatは、インセルの問題提起を受けてニューヨークタイムズのコラムで堂々と「セックスへのアクセスが困難な人々にセックスを再分配しろ」と言っていた。これも弱者男性の外部から見た「あてがえ」論だろう。
https://www.nytimes.com/2018/05/02/opinion/incels-sex-robots-redistribution.html
烏賊さぶという自称「非モテ弱者男性」のアカウントがいる(別アカで顔出し)。彼は「おれは今37歳の青年男性だが、この歳になっても20代の若い女と付き合う権利は当然あると思っている」「したくもない中学受験をさせられ中高一貫男子校に入れられた結果、思春期に同年代の女子と交流する機会を極端に制限されたから。その補償として今こそ若い女との交流権が付与されて然るべき」「そうしないと中高一貫男子校育ちの男が救われないから。共学男子ばかりいい思いして、おれらだけが辛酸を舐めるのは不公平」と言っている。彼は単に「交流しても咎められない」という意味ではなく、積極的に交流の機会を提供されるべき、という意味で「交流権」という言葉を使っている。
コミュニケーション能力が無いと配偶者が得られないというのは分かるんだけど、
生きるための尊厳が一切得られないのはどうすれば良いの
どうすれば生きていることを承認してもらえるの
福祉サービスで承認欲求を得ようとしたら俺よりも重い障害の人のケアをさせられたんだけど
俺は疲れるだけだったよ…
そもそもなぜ「承認」が異性による身体的な・・じゃないといけない前提が多々あるのか理解ができてない。
仕事や学業による承認だってあまたあるし、それこそネットになんかしっかりした意見文でも書けば多少は同意してくれる人ぐらい要るかもしれんし
少なくとも救いは「結婚」ではないことは明らかだと思う。
「女あてがえ論」ってのはもしかすると、結婚ではなくて「奴隷」として女をあてがえという意味で言ってるのかもしれないけど、それだと女性側の人権を毀損することになるので、「女あてがえ」=「結婚」と思って考える。
でそう思って考えた時、結婚生活っておそらく「弱者男性」と呼ばれるような人にとっては、きつすぎるんじゃないかなと思う。
結婚生活ってはっきり言って小さな会社を経営するようなもんだし、お互いの価値観のすり合わせと妥協とか、家計の運営とかそういうものを家人で分担しながらやりくりして、さらには子供が生まれたりなんなりの新たなライフステージにおける価値観の変化とかにも合わせていかないとならないので、結婚によって幸せになるためには凄まじいレベルのコミュニケーション能力が必要になる。
ここで要求されるのって「異性と付き合う」とかいうレベルではとてもすまないコミュニケーション能力なので、コミュ強で且つ自身の価値観を妥協できるような懐の広さがないとかなり辛い生活になっていくんじゃないかな。で、そういうものがあったらおそらく「弱者男性」というようなカテゴリに入ることもないと思うので、結局救済にはならないと思う。
自分が個人的に考える救済は「承認」なんじゃないかなと思う。一定の経済的な支援は必要かと思うけど、それよりも何よりもおそらく社会に阻害されているという感覚自体が、こうした「弱者男性」と呼ばれる人を不幸にしている気がするので、なんらか承認欲求が満たされるような居場所が出来れば良いのではないかと思う。
具体的に書くのは非常に難しいのだけど、一番最初のステップとしては、安心して所属できるコミュニティをたくさん作っていくというのが対策になるんじゃないかなと思う。まあ、もうすでにそういう活動はあるのだと思うけど、結局そういった場所をどんどん増やしていくしかないのではないかなと。
他者を外部から「インセル」と認定することはナンセンスであると考える、と最初に書いておく(そもそも誰かの独身性がvoluntaryなのかinvoluntaryなのか、当事者以外には判断できるまい)。
これはインセルフォーラムに入り浸ったある一定の期間から得た知見の共有である。
インセルフォーラムでは、一般的な欧米社会での名前とそれにまつわるイメージからいわゆる「強者(白人)男性」はChadやTyroneと呼ばれ、一方女性はほぼ純粋に見た目によって分けられ、最も上位がStacy、いわゆる平均以上〜平均がBeckyと呼ばれることが多いようだ。人種による表記揺れなどは数多くあるが今回は割愛する。
フォーラム利用者の多くは「すべての女性は、彼女自信の見た目に関わらず、現実的な恋愛相手を見つけるよりもほんの一握りしかいないChadやTyroneと寝たがっており、また女性の性的解放やインターネット・デーティングの発達がそれを可能にしている。仮に今ChadやTyroneではない男性と付き合っている女性がいてもそれは金目当て(betabuxなどと呼称される)等の理由であり、彼女らもまたチャンスがあれば迷わずChadらと寝ることを選ぶ。現代社会において自分たちには結局チャンスはないのだ」と信じ、主張している。
彼らがこう語る時、彼らはChadを憎まない。IncelからChadへ注がれる視線はむしろ尊敬や連帯に近い。嫉妬ですらないことも多々ある。女性がChadと寝たがるのは、Chadが悪いわけじゃない。Chadが多数の女性と寝るのも、Chadが悪いわけじゃない。全ては身の程を弁えず、Chadらと寝たがる女が、そしてそれを許すべく変化してきた社会が悪いのだ。
彼らはlooksmatchという言葉も用いる。訳せば「自分と同程度の容姿レベルの異性」といったところで、一昔前であれば自分たち(インセル)にも同程度の見た目の異性=looksmatchが最終的にはあてがわれ、結婚し家庭を築けていた、「普通に幸せ」になれていたはずだ、しかし自由恋愛・社会の変化・フェミニズム等々がこれを崩した、というわけだ。
これは非常に面白いポイントで、彼らの多くは「自分は女とは違い、なにも絶対にStacyと付き合いたいわけじゃない、誰でもいいから誰かに愛されたいだけだ」と主張する。一方で、彼らの語る恋愛はカップル成立で終わることが非常に多い。「めでたしめでたし」的な、「そして二人は末長く幸せに暮らしました」調のイメージを彼らの多くが抱いていることが観測できるのである。月並みな言葉で言えば「恋に恋する」と言ったところなのだが、この非常にセンチメンタルながら切実な「愛されたい」という願いと、その内容物として見て取れる「異性として肯定されたい、性的に欲求されたい」という直球の願いを彼らが裏表として(意識的にせよ無意識的にせよ)使い分けていること、これがとても興味深いのだ。
彼らの「性的に欲求されたい」の奥にあるのは、「性的に欲求されている自分を見て欲しい」なのではないだろうか。だから誰でもいいのだ。恋愛における「相手は誰でもいい」は現実的には美徳でもなんでもないのだが、彼らにとっては真にどうでもいい。惚れた相手に愛されたいわけではなく、誰かに愛される自分を見ている誰か(理想を言えばやはりChadだろう)による尊敬・承認の獲得によって自分を愛せるようになりたい、というのが「誰かに愛されたいだけ」という主張の正体だからだ。だから彼らは、自分は異性に愛されないと苦悶しながらも、女性はすべからく浅く表面的で、そんなものをパートナーとして獲得することに意義を見いだせない、とも毒づくのである。この二つは彼らの中で矛盾しない。
インセルは自分を愛したいのではないか。もちろん、自分を愛したくない人などいるのか?という話にはなるが、彼らの多くは性愛を介さない形のセルフケア、及び自己愛に非常に懐疑的・嘲笑的である。彼らにとって自己愛とは異性からの性的関心の獲得によってのみ得られるものであり、自己愛とは人間に必須のものなのだから、「女をあてがえ」、となっているのではないか。
だから彼らが正しいとか、だから彼らに女をあてがうべきだというのではない。インセルフォーラムの主張の多くは誇張され、歪み、仲間内でのノリが膨れ上がった醜悪なものであり、あなたがもし覗いてみようと思っているならお勧めはしない。ヘドが出るからである。