はてなキーワード: 恩恵とは
私は東京育ちのオタクだ。都心ではないが、三十分もあれば新宿に出られる場所に住んでいる。
オタクにとって東京住みの恩恵は凄まじい。公式だって同人だってイベントが開催されるのはいつだって東京だ。行こうと思えば昼過ぎからでも行ける距離。正直、ものすごく恵まれていると思う。
しかし、そんな自覚があるからこそ「東京住みが羨ましい」と言われると困るのだ。
私は同人活動をしているから、同じ趣味の人たちと接する機会が多い。SNSで繋がっているといつでも気軽に話せるため忘れがちだが、みんなが住んでいる地域は本当にバラバラだ。北海道から沖縄まで幅広い。
そして、イベントで会うと必ずと言っていいほど挙がるのは居住地の話題だ。地方住みの人たちがいわゆる「地方あるある」で盛り上がっている中、自分に話を振られるとすごく気まずくなる。
「どこ住みですか?」「東京です……」「羨ましい!」
ここまでが1セット。困る。だって「いいだろう」なんて口が裂けても言えないから。
東京のオタクは東京の恩恵なんて十二分に理解している。なんでもあるもの、東京。苦し紛れに「でも帰る田舎はないですから……」と言うけれど、正直、そんなもんいらない。ビッグサイトと映画館の方が何万倍も大切だ。地方住みの人たちに東京の素晴らしさを力説されることも多々あるが、そんなことは言われなくても分かっている。
羨ましいと言われると本当に困るし、地味にストレスが溜まるのだ。自分の出身地を言うのになんとなく後ろめたさを感じないといけないって何なんだろう。
若い頃、悪いことは色々やった。
何年も前に増田でその中でも最も軽い方のエピソードを書いたら、ブクマコメ等で「社会のゴミ」「死ね」「同じ空気を吸いたくない」「今どんな顔して生きてるんだ」と袋叩きにされた。記憶で書いてるので実際は少し違ったかもしれない。
そういう反応になることは分かってはいた。分かってはいたから増田でしか書いてないし、軽い話にしたのだ。
日本にも下層はあるし、あなたの隣人が善良な大人に見えていても昔どんなことをやっていたのかはわからない。
恐ろしくなっただろうか?
生まれと親の所得と学歴で住む街を分け、エリートだけで暮らしたいと思うだろうか?
それが可能であるならそうされても構わないと私は思う。何をするかわからない獣と共に住むなんてありえない、そう思うのは当然だろうから。
下層のそういう生き方をしてきた人間はそうでない人間に同程度の思考能力のある生物とさえ思われていない可能性がある。だからこそ、うまく紛れていればそうそうバレることもないのだが。
生まれは選択できないし、子供時代にそこを抜け出す手段は下層であるほど無いに等しい。上層であれば良質の情報と教育が与えられ子供にも発言権があり機会と努力次第で行きたい所に行けるから、下層の子供がその地位に甘んじているのが能力と努力の足りなさ故と思われるだろうと想像する。互いに想像力が及ばない。私も上層の価値観というものは本当の意味では一生わからない。
幸運か、社会にとっては不幸か。インターネットの恩恵により、私はまあまあ普通の育ちの人間のふりをするための知見を得て、ネットがなければ対等に接することもなかっただろう層の人々と交流する。
一年に数度かは考えるのだ。
もし昔のことをこの人達が知ったらどんな反応をするのだろうかと。谷の底を覗きたい好奇心が背中を押すも、最も柔らかめな反応であっても「昔ワルだったとかかっこいいとでも思ってるの?ありえんわ」あたりだろうことを想像すると、この危険なチャレンジと得られる経験とこれからのデメリットの割の合わなさにすぐに考えを捨てる事になる。実際はそんな軽い言葉を投げかけてくれる人などまず残らないだろう。今の人間関係を全て破壊するくらいの覚悟があれば、語ってもよいかもしれない。
そうする理由は全くないので、恐らく墓まで抱えて持って行くんだろうなと思う。
発達障害とうつ病、その他もろもろの精神系の病気で精神障害者保健福祉手帳2級を持っている。
手帳を取得した時は病状がかなり悪かったため2級と下されたが、今は一人暮らしで自炊もして日中散歩に出られる程度には回復している。
私は仕事を始めても決められた時間に職場に行けない、朝弱くて遅刻気味、欠勤を繰り返してしまうなどで一つの職場に定着することが難しく、職を転々としてきた。
今回それらの障害を克服したい、手帳を使って障害者雇用で働けるなら働きたいと思い、地域の障害者向け職業センターを利用することにした。
職業センターではまず「適職を考えてみましょう」と、一週間の職業評価を受けることになった。
一週間決められた時間にセンターに通い、半日程度事務作業をするというものだった。
しかし、私はこの職業評価を一日行っただけで辞退してしまった。他の利用者を見て、正直ショックを受けてしまった。
「ここに座って待機してください」が理解できないのか、別の部屋に行ってしまう人。
服装はオフィスカジュアル指定なのに、パーカーにデニムに裸足にスニーカー、ボサボサの髪にすっぴんの人。
声が不自然に大きな人。
みんな様々な困難を抱えて、それでも社会に適応したくて来ているのはわかっている。私もその一人だ。
でも、周りの障害者を見たらしんどくなってしまった。私も障害者として世間からこのように見えているのだろうかと考えてしまった。そう感じる自分は最悪だとも思った。
ただ思ってしまったことは事実なので、担当のカウンセラーにほぼ正直に伝え、辞退した。
周囲のことなど気にせずに自分のやるべきことをするべきだったのに、なぜ同じ障害を持った人を否定、拒否してしまったんだろう。
優生思想や実力主義についてはその恩恵を受けているし納得できる部分もあるし自分の存在否定になるので両手を上げて肯定もできない
自分は朝7時と昼12時にNHKのニュースを食事中にサッと見る程度でしか見てないのだけど、
アメリカ大統領選挙の野党民主党の候補者選びの選挙のニュースをかなり枠を取って報道している。それもここ最近何度もだ。私はこれはおかしいしスピン報道だと思いとても憤りを感じている。
大統領選挙ですらなくそれの候補者を選ぶ野党の選挙である。そもそもNHKの視聴者にそれの選挙権がある人間が居るのだろうか(いや殆ど居ない)。選挙の報道をするのは候補者の情報を有権者に伝えて誰を選ぶかの材料にしてもらうという大事な役割があるが、それは視聴者が有権者の場合で、殆どの視聴者は有権者ではない。誰が大統領になって何かしらの政策(例えば医療制度改革)が進められようが殆どの視聴者はアメリカの国民じゃないから直接その恩恵を受ける事はほぼ無い。大統領の場合でもそうなのに大統領選挙の候補者選びの時点での報道とかニュースとしての価値なんて小さすぎるだろ。
何故このような報道をするのだろうか。自分なりに考察してみたのでここに記述する。
2. 報道番組には一定時間を政治に割かねばならない「政治枠」がある(想像)
1. NHK ニュースを見ていると明確に現政権に偏った報道だなと思っている。(虎ノ門ニュースとかあのプロパガンダに比べればそりゃ左寄りにはなるだろうけど(笑))。桜を見る会の件も報道するにはするが、あの首相のクソガキみたいな下痢便答弁とか面白すぎる…じゃなくて明確に違法だろう大問題なのに報道しない。NHK のニュースだけ見てると今の首相があんなに面白キャラ…じゃなくてクソみたいな人間だって事は判らないと思う。普通の人間は「ニュースでやってないって事は今は国会では特にニュースでやらなければならないような問題は起きておらず順調なんだな」って思いがちなので、そういう意味では現政権のメディア掌握は成功してると言えるだろう。現政権の支持率が高い(けど消極的な支持が多い)のも特に問題が無い(と思ってる)から現状維持で良いんじゃないって人が多いのだと思う。多くの人はネットで政治の話題に触れる事は殆どないのだよ。
2. は安陪政権への忖度ならば(日本の)政治の話題に触れないで適当なニュースを報道すれば良いのだろうけど、恐らくは一定時間政治について報道する必要があるのだと思う。確かそういった規制があった気がするがめんどいので調べない。そこで「政治のニュース」だけど「安陪政権のダメージにならない」という事でアメリカの政治ってのは好都合なのだと思う。
3. は争いってのは人間にとって「楽しい」という側面があるのだと思う。当然当事者で命がかかわるようなの(戦場の兵士とか)は辛いのだろうけど、命に関わらないし肉体的な痛い思いもしないものは基本的に楽しいのだと思う。競馬やらもそうだしスポーツもそう、争いってのは楽しいものなのよ。なのでアメリカの政治の中でも大統領選挙ってのは格好のスピン報道の材料になったのだと思う。
黄金のマリオ像、というものを知っているだろうか? 1990年代の子供たちの憧れであり、ゲーム屋の怨念を掻き立てるアレのことだ。
任天堂が始めた「任天堂エンタテインメント」というフランチャイズシステムがある。任天堂の卸を担当している初心会に金を払うことで、大作ソフトが多数回してもらえるようになるのだ。通常はゼルダの伝説が20本しか入らないのに、これに入会していると400本入ってくるというわけのわからないシステムだ。かわりに敷地が何畳以上とか、保証金が最低百万だとか、それなりにリスクも追うわけだが。で、入会すると貰えた店用販促物がこの黄金のマリオ像だ。これがおいてある店は結構子供心に輝いて見えたものだ。店主からしたら忌々しさもあったものだろう。
今ではなぜか初心会がかつてゲーム業界を牛耳っていた悪の大組織に扱われ、その象徴としてこのマリオ像がやり玉に挙がることもあるのだが、もうちょっと詳しくここらの事情を書き残すことにする。おっと、私は決して業界内の人間でないので、そんな人間でもわかる範囲内のことと、想像できるものの話ししかしないぞ。
昭和の時代、ファミコンというものが生まれておもちゃ市場は一気に変わっていった。玩具のなかにデジタルデバイスが入り込み、子供たちは夢中でファミコンゲームを買い漁った。マリオ、ドラクエ、ロックマン、スターソルジャー……いろんなゲームが生まれ飛ぶように売れていった。するとどうなるか。街にファミコンショップというものがどんどん増えていった。
任天堂はおもちゃ流通として使っていた初心会を利用してファミコンソフトを全国に出荷した。この初心会とはようするに任天堂と付き合いのあったおもちゃ卸業の親睦会だ。もともとそんな大それた組織というわけではない。
もちろん昭和の時代からすべての小売店が初心会の問屋と取引しているわけではないし、おもちゃ卸業の会社の大多数が初心会に入っているわけではない。そのため初心会に非参加の二次問屋も多数いた。その二次問屋を通ってファミコンソフトを仕入れる小売店もまた非常に多かった。ファミコンが売れると嗅ぎつけた奴らはこぞって店を立ち上げ、夢中でソフトを仕入れ売りさばいた。ゲーム市場がどんどん大きくなり、セガやNECも独自の流通をつかってゲーム市場に乗り込んできた(一部セガは初心会を使ったりもしていたそうだが)。
ファミコンからスーパーファミコンへとプラットフォームを移した頃、いよいよ任天堂と初心会に難題が降り掛かってきた。「小売店が多すぎる」問題だ。
スーパーマリオコレクションを例にあげようか。どうやっても200万本は売れるゲームソフトだ。工場もそれを見込んで確保する。ところが小売店からの注文を吸い上げた初心会への注文は、それを遥かに超える500万本になる。
なぜこのようなことが起きるのか? 小売店が欲しい数をそのまま問屋に注文するからだ。その地方にすむ子供の数を見込んで小売店は注文する。しかし近隣のライバル店も同じ数だけ発注しているのだ。品切れを恐れた小売店の注文は初心会でまとめられたところで重複に重複を重ねた数字になってしまう。
ではそのまま工場をフル生産して500万本作るべきだろうか? 論外だ。そんなことをしたら小売店には大量の売れ残ったマリオコレクションが棚を締めることになるだろう。その結果はどうなるか。値崩れだ。そしてアタリショックの二の舞になってしまう。
よく「クソゲーの氾濫でアタリショックが起きた」といわれるが、事実はまたもうちょっと違う。クソゲーの氾濫の他に「価格の崩壊」もあげられる。小売店は売れなかったクソゲーを値引きする。値引きしたソフトで消費者は買う。そうすると正規の価格ではそもそも見向きがされなくなる。そのため正規の価格が守られなくなりどんどん値下げに走り、撤退・倒産したメーカーが放出した在庫がさらに市場に流れ、価格はさらに落ち込み……というデス・スパイラルが、アタリショックだ。任天堂は絶対にこの現象を起こしてはならなかった。
適正量を見極め適正量の製品を出荷する。その結果は「儲けさせる小売と、そうではない小売とを選別する」必要に強いられる。すべての店に平等にマリオを出荷すべきだろうか? いや、そうではない。不人気ソフトでも買い取ってくれる、不良在庫を引き取ってくれる小売店を初心会は優遇しようと考えた。人気ソフトしか買わない小売店は卸からしたら不要なのだ。そんな店なら上得意の店に回したほうがマシだ、というわけだ。
それまで抱き合わせ販売をして初心会は小売店を選別してきたが、さすがにいよいよ無理がでてきた。この状況を打破するための小売店選別システム。それが上記の任天堂エンタテインメントであり、黄金のマリオ像なのだ。なんなら小売が卸を担当してマージン取って他の小売店にまわしてもよい(まあこれは表向きはNGということになっていたが)。なお、「敷地面積○畳以上」という条件を満たせなかったプレハブのようなファミコンショップも当時は結構あった。
ところがこのシステムもスーパーファミコン末期には崩壊する。任天堂エンタテインメントに参入する小売自体が増えすぎてきたのだ。さらにはその地方に一店も任天堂エンタテインメントに参入していないような状況だとむしろ在庫は拮抗して小売店にとっては不都合がなくなる。そうなると「誰も参入せずに困らない地方」と「全員参入してしまって困っている地方」とが生まれてくる。最終的に「入れば儲かる商材が大量に仕入れられる」から「入らないとそもそも入荷しない」にまで悪化する地方すら生まれたという。小売の選定にも限界が来てしまった。
そうした状況がプレイステーションによって完全に破壊された。ソニーは独自流通で直接小売店に卸たのだ。問屋は不要になった。問屋は今まで選定する立場にいたが、以降は選定される側に回った。初心会内で吸収合併が続き、数をどんどんと減らしていった。初心会外の問屋も潰れるか、吸収されるかになっていった。初心会はいくつかの改革を行ってきたものの、結局プレイステーションの攻勢に太刀打ちできず解散した。解散後も任天堂の意向を汲んだり任天堂に意見をいったりとしてそれなりに機能していたが、岩田社長へと社長交代が行われたあたりでその動きもだいぶ削がれていった。
なおソニー流通でもいくつかのごたごたがあり、最終的にはゲームメーカーが自社独自の流通を持ち直接小売店に卸すようになった。これがPS1後期。今では大手ゲームメーカーの自主流通に、中小サードがぶら下がる形でゲームは流通されている。みんな大好き日本ファルコムはコナミが流通を担当しているぞ。
初心会は決して業界を牛耳っていた悪の組織ではない。アタリショックの幻影に怯えそれを阻止しようと尽力し、結果滅んでいった(厳密にいえば滅びてはいないんだが……)清濁併せ呑む存在だ。黄金のマリオ像は小売からしてみたら忌々しさを覚える象徴だろう。しかし初心会からしてみたら、それなりに自己の正義というものがあったんじゃないだろうか。
※追記
こんなつまらない日記をブックマークしていただけて感謝。すごく嬉しい。いくつかブコメに返信する
>従事る
多数指摘をいただき大変申し訳無い。何分脳が8bit故許してもらいたい
>任天堂を絶賛するやつってこの話題絶対触れないよな。これのせいでメガドライブとPCエンジンのソフトがどれだけ買いづらかったか(入荷数が極端に少ないという意味)
たしかに小売に対して問屋が「他の所とは取引するなよ」と圧力をかけたという証言はあるのだけれど、じゃあ実際どうだったかというとNECがPCエンジンのCD-ROM2ユニットを売り出したときには至るところから寄越せ寄越せの大合唱になったということもあるんで、「上手いこと小売もやっていた」んじゃないかと思う。もしくは問屋も自分のところを経由する形なら文句言わなかったとかかな。
PCエンジンとメガドライブはただただ出荷量が少なかった。めちゃくちゃ売れたイース1・2やソニック・ザ・ヘッジホッグで30万本くらいだ。同時期のスーパーファミコンはミリオンソフトがずらりと並んでいる。小売は当然売れる商材を中心に揃えるわけだから、圧されてしまうのは仕方ないんじゃなかろうか。
そうして売れる商材を揃えている初心会だからこそ、横暴なことをやっても小売は耐えてきたわけだ。単純に販路が弱いっていうのもあるはずだ。スーパーファミコンは初心会とそれに非参加の二次問屋を巻き込んで在庫のやり取りをしていたので品切れをしてもリピートの確保ができた。PCエンジン、メガドライブはそこに余裕がなかったので即メーカー発注になり、そこにも在庫がなければリピート待ちだ。
>権力もってる人間がオトモダチ優遇したりグレーな事やってたりするのを悪の組織と呼ぶべきではないかって言うと・・・
オトモダチ優遇なんて話しじゃないよ。単純なビジネス上の付き合い。ドラクエとマリオしか欲しくない小売は多かっただろうけれど、そんな小売は問屋からしたら何の魅力もない取引先だってことだね。
>ゴールドマリオ像懐かしいな/最近の任天堂絶賛派はこの件を知らないか、知ってても「流石山内組長は商売上手!」みたいに言うのではなかろうか
山内社長から出た案ではないと思う。というか任天堂発案ではないんじゃないかな。マリオ像も販促物も初心会名義だったので、集まった金は初心会で管理していたのだろう。任天堂からしたらどこの小売に儲けさせるか云々はさすがに範囲外だからね。
これに関しても面白い証言があった。確かにROMはリピートに二ヶ月以上かかり、CD-ROMは3週間ほどで生産できたというんだが、「在庫がなくても問屋にある。問屋になくてもメーカーにある。メーカーになかったらいよいよリピート待ちになるが、3週間後でも二ヶ月後でも結局熱が覚めてしまうから同じことだ」というもの。プレイステーションは問屋とメーカーが一体化していたから、初心会内でやりくりしていた任天堂と比較して在庫の数という面では不利になったかもしれない。ファイナルファンタジーみたいなリピート待ち必須の超人気ソフトはさすがに恩恵があっただろうね。
続きを希望されてて嬉しい。実はネタはあるから、気長に待っていて欲しい。初心会から開放された小売がどうなったかというと、あんまり明るい話題じゃないんだけどね。
吐き出させて下さい。
私は産まれて30余年、常に独りでした。
別に孤児でもなければ、天涯孤独でもありません。話し相手は少ないながらもどの年齢でもいたし、いじめを受けたわけではありません。
それでも私は、どうしようもなく孤独でした。どこで誰と何をしていても、自分が何物とも繋がっていないような感覚ばかりがありました。
理由は何とでもこじつけられる気がします。望まれて産まれたとは到底信じられない家庭環境。遺伝的、精神的欠陥。それらを覆せなかった自分の弱さ。
…思い出せる昔の記憶は、階下から響く両親の罵り合い、私が男でありながら腰を振る兄。視線ひとつくれず、仏頂面で鬱陶しそうな顔で過ごす母。家事をろくにしない母への憎しみを私にぶつける父。
記憶にある唯一の母の声は、休日の朝に朝食をせがんだときに聞いた、「風邪ひいたから」という子供でも分かるような嘘。塩ごはんや牛乳ごはんなどという手料理も、それが普通だと信じたかった。
両親は自分の問題だけで手一杯で、明らかに私を愛していなかったが、それでも奇妙なバランスの上で形を保っていた。だから消極的にも期待していた。いつか両親が真っ直ぐな愛情と関心を私に向けてくれることに。だから耐えるように、道化を演じてみたり問題を起こさないよう強く自分を抑え込む術を自然と身に付けていった。
同級生達とは、関わる度に違和感を感じていた。彼らから発せられる、家族からの温かい愛情やそれに基づく自信めいたものを感じるのが辛く、眩しく、何より悔しかった。私もそうありたいと願い同じように振る舞うのだが、自分を偽った罰なのか、常に自分の中にヘドロのような憎しみが募り、それがときに漏れだしては、私の人間関係を破綻させていった。
…ある日、母が消えた。言葉ひとつも、書き置きも無く、突然と。だが何の感情も湧かず、涙も流れなかった。幼心に予想と覚悟はしていたのだろう。そうして、孤独と共に生きるというテーマが課せられた気がした。…それからは、忍耐から麻痺が生きる手段だった。
家はまるで会社のように感じた。父という経営者の下、勉強という仕事の対価に衣食住という報酬を得るような環境。己を律しきれず感情を顕にすれば、待っているのはクビ、つまり死ぬこと。逃げ出す勇気も、自分で環境を変える強さも無かった。経を淡々と読み上げるような修験者のように、無痛のうちに日々が流れていった。
不幸にも中途半端に事務処理能力が高かったのか、大学に入学できた。大学は理系で、物理を専攻する学部だった。今にして思えば私はそれそのものには興味は無く、ただただ盲信できる唯一無二の真実を、家族や自己の内面ではなく、外側の世界に求めていたのかも知れない。
契機はすぐに訪れた。その頃の私は誰の、何の助けも無く生きることに歪んだプライドを懸けており、独りの力で講義をこなそうとしていた。しかし当然のように挫折した。当然のように孤立した。
ある朝、いつもと同じように無痛のまま大学へ向かおうとしたが、体が動かず、講義をサボった。その日からぷっつりと糸が切れたように、大学に行けなくなった。
そしてそのまま2年間引きこもった。無痛という手段も通じないと分かってしまった私には、生きるために何をすればいいのか分からなくなってしまった。しかし罪悪感以上に、解放感と、呪縛から逃れたような安心感があった。そして同時に、いよいよプライドも生きる理由も意欲も自負も、全て失った。
兆候はあったがその頃から急激に死に惹かれるようになった。自分が事故や病気でいきなり死ぬ妄想をしたり、楽に死ねるという情報から練炭と七輪を買い、日常的に自傷をし、着々と死に近付いていった。流れる血と生々しい傷に、不気味なほど安堵と溜飲が下がる思いを感じた。堆積した恨みの攻撃性の解消と、自罰感情と、ボロボロの精神の投影先を見出せる行為だった。それゆえ日々エスカレートし、あるとき刃が大きな血管を切った。噴水のように噴き出す血を眺めながら、まだ死ぬ準備が整っていなかったため、止血の処置をした。特に感慨は無かった。ああ…あのまま放っておけば死ねるんだ…と、妙に冷静になっていた。
そこから、少し何かが変わった。本当に死の一歩手前にまで陥っても、やっぱり私に救いの手は差し伸べられず、また自分の力で生き残ってしまった、と思うと、諦めを通り越した何かが芽生えた。自分は生きることも死ぬこともできない、苦しみ抜いて幽鬼のように漂うのだろう。歪んだ悟りのような暗い閃きを覚え、そこから自傷は少なくなっていった。そこからの記憶はほとんど無い。大学へ行かず引きこもっていることがばれ、地元へ戻った。また無痛から忍耐の日々へ逆戻りした。挫折を経験したが再起を図る息子を演じつつも、心の底では誰かが殺してくれることを願うばかりだった。
そしてまた不幸にも、さほど時間は掛からず定職に就いた。待っていたのは、学生時代より遥かに開いていた周囲との差。普通の人々が青春や友情や愛情を経験している間に自分がしたことといえば、暗闇の中でもがき蠢いていただけ。真の孤独は人と人の間にあるという言葉通り、人に近付く度に遠く感じた。
…しかしそんな生活もそれなりの期間が経てば慣れていった。相変わらず人間の振りをするような不自然な過ごし方であったが、歳を重ねた恩恵なのか、排斥に対するヒリヒリとした警戒心、切迫感は和らいでいった。多様性を容認する組織だったからかも知れない。孤独は続いていたが、別種の孤独を抱えた年上の人々との関わりが、私の乾いた傷口を薄く濡らした。
そんな積み重ねから、ようやく初めて「人間」というもの形の一端に触れられた気がした。同時に、自分の家系の歪さを思い知らされた。そして、ようやく家系が受け継いできた負の連鎖に気が付いた。
狡猾さと傲慢さ。口では愛を語り、家族を意のままに操作し、自分の理想を叶えるための道具としようとする悪辣さ。その邪悪な気質を、互いに感じ取っているからこそ罵り合い、また山彦のように帰ってゆき、自分をも傷付ける。そんな不毛なやり取りをしながらも、本当は誰よりも自分が得をしたい、愛されたいと思っているからこそ離れられない。その矛盾と混沌の中で、私の家系は奇妙な内臓のようにぐぎゅるぐぎゅると腐って混ざりあっていた。
私は先月、家族と絶縁した。帰省しない私に業を煮やし職場に押し掛けてきたとき、従わぬ者に実力行使をする傲慢さに、どうやらこの人達とは一生分かり合えないらしいと確信した。
いよいよ社会的にも孤独になったが、さしたる感慨も無かった。きっとこれもどこかで予想と覚悟を済ませていたのだろう。私の手元には、いつの間にか独りで生きるには充分な資金があったのも、このことを予見していたからのような気さえする。
今になって思う。私は無意識のうちに、生きるための最善を選択していた。代償や失ったものは多いが、今では孤独も不幸も憎しみも、その先にある役割、天命のようなものを果たすためだと感じるようになった。両親や神の寵愛を受けて産まれた者と、孤独に魅入れられように産まれる者もいる。そうしてその中間が中庸となり、人々の生き方の基準が出来上がる。そういう仕組みなのかも知れないと、ぼんやりと考える。
相変わらず生きる理由も意欲も無いが、自分が生き続けることには何らかの意味があるから、こうして結果的に死んでいないのだと思う。人生のどの段階でも、死のイメージといつか自分は人を殺すだろうという直感があった。人生のどの段階でも、自分を解放して周囲を巻き込んで破滅することはできた。だがその度にそれを踏み留ませてきた何かを知ることが、目下の関心だ。天寿を全うする気はさらさら無いが、何らかの答えを得るまでは生きてみようと思う。それをもし得られたとき、孤独の意味と真の栄光を手に入れられると信じて。
…長くなりました。ここまで見ていただいてありがとうございます。
もう何年もピル飲んでるから、飲んでない頃の生理痛を忘れちゃったけど
私の場合は7割減って感じだなあ
そんで自分の場合は腹痛より頭痛のが酷いタイプだったから、ピルの恩恵はあまり感じない
結局この辺も人によるよなあと思う
飲んだことない人は飲んで試した方がいいとは思うけど
これ飲めば元気!万能!とかではないよね
どうも、大学で論理学をかじったマンです。あなたの話には論理的な誤りがあるので解説します。あまり知られていないことですが、「AイコールB」を証明するには実は、「AならばB」かつ「BならばA」を示す必要があります。
だったからと言って
とは言えない。フェイジョアかもしれない。
なるほど確かに、「殺人が多い」ならば「軽犯罪・性犯罪が多い」の説明は見事なものでしたが、厳密にはさらに、「軽犯罪・性犯罪が多い」ならば「殺人が多い」の説得が必要で、これは必ずしもそうとは言えない訳です。
論理学に通じていない一般の方は、特によくこのミスを犯します。「明日は晴れの日」は、「明日ならば晴れの日」という意味で「明日以外は晴れの日ではない」という意味ではありません。しかし「今回の犯人はコナンだ」は、「今回の犯人イコール、コナン」の意味です。「コナン以外の人は今回の犯人ではない」のです。本質的な問題はここにあります。"~は~"が本当は論理学上で二種類の意味を持っていて、区別せずにカジュアルに使われているために、混乱をもたらしているのです。私は親に大学に入れて貰えたお陰で高等教育の恩恵に預かることができて、誤りを判別する特殊スキルを身につけられました。しかし誤謬は友人との会話の最中にさえ顔を出し、その度に弁明しなければと思うのですが、訂正できたためしがありません。
このブクマについたブコメが色々香ばしかったのでまとめておく。
スカタンなブクマを眺めていく前に振り返っておきたい点がふたつある。
まずひとつめは、元記事で回答者氏が述べているのは「日本は他国や過去と比較して相対的に治安がいい」という事実だけであり、そこに絶対的な尺度はないということ。「いや犯罪は起きてるじゃん」という反論は意味がないのである。日本で起きてることが他国ではもっとたくさん起きてるんですよ、ということを言っているので「うん起きてるね」で終わりである。
ふたつめは、治安レベルの指標として殺人件数を採用している意味について。回答者氏は「治安のレベルを測るのには、一般的に人口10万人あたりの殺人件数(過失やテロによる死者を含む)を利用することが多いので、以下でもその慣行に従」うと述べており、これは言い換えると殺人件数は学術研究レベルで慣行とされうる程度には治安レベルを測る指標としての妥当性を持っているということになる。
id:takamocchi 「口に粘着テープを貼りアイマスクをして飛び降り」う~ん自殺!「土管を腰に結び両手足をロープで縛って海に投身」これは自殺!「証拠品の銃を奪い自分に発射、飛び散った血をふき取って死亡」うん自殺!
↑殺人事件であるはずのものが自殺として扱われて数字に入っていない(ので日本の治安がいいとは言えない)と言いたいのだろう。そうしたケースを殺人に算入した結果統計にどんな影響が出るのか見てみたいものである。年に何件あるのだろう。元記事の論拠が覆るほどの件数だとしたらたいへんなことである。
id:speedworld1231 殺人事件に関してはそうかも知れないがもうこの国はだめだよ
↑微妙な判定でセーフだが、殺人事件を治安レベルの指標としていることに不服がありそうなので加えた。「もうこの国はだめだ」に関しては同感である。
id:tableturning 日本いうほど治安良くないよ。怒鳴ってくる男の人多いし痴漢も多いし身を乗り出してツイッター覗いてくるし、都内の方なんて夜道は怖くて歩けない。酒に薬入れて女子大生が十数人昏睡状態とかニュースになってるし
↑前置きの1点目がわかっていないケース。誰もお前の体感治安の話などしていない。
id:kyo_ju 殺人の件数だけで治安の良し悪しを論じられましても/凶悪犯罪や少年犯罪が減少を続けているのは確かで、ならば警察規模縮小を論ずべきところ、体感治安ガーとか各種理屈を総動員して警察組織は拡大の一途なのがね。
↑これは前置きの2点目がわかっていないケース。殺人が多いくらいならばほかの軽犯罪や性犯罪も相関して多そうだとは思わないのか。人殺しするやつは万引やレイプだって平気でするだろ。
↑同上
id:ponkotukko 自死する人が多いことも考えに入れてほしい
↑自殺率と治安に何の関係があるのかさっぱりわからない。なぜ突然自殺の話をする?
id:kuroan 治安の良さを「殺人」で測るか「軽犯罪」で測るか。犯罪を「実際に起きた数」で測るか「警察に握りつぶされたものを除いた数」で測るか。
↑とりわけスカタンなこのコメントが星を集めてるのが心底嘆かわしい。殺人がぼこぼこ起きるような国じゃ軽犯罪なんかもはや取り締ってらんないくらい無数に起きてんだろ。なぜ軽犯罪で比べたら違う結果が出ると思うのか。そして治安が悪いってことは警察が無能か腐敗してるかその両方かだろ。なんで日本の警察のほうが無能って前提なんだよ。ほかの国より警察が優秀だから殺人が少ないんだよ。お前もその恩恵受けてんの。認知件数じゃなくて発生件数(神様にしかわからない)で比べたらむしろ差が開くわ。アホか。
id:amunku 普通に暮らしてればアメリカもイギリスも安全だし私NY市内の電車で寝てたよ。殺されなくても日本でレイプは現時点で無罪だよ。セクハラパワハラ過労死は横行してて自殺率は他国より高い。殺人にカウントされないけど
↑どこの世界線から来たのか知らないがこっちの世界線の日本ではレイプはれっきとした犯罪(強制性交等罪)で認知件数は年間3ケタある。そのすべてが有罪になるとは言えないだろうが(示談成立や容疑者不明のまま不起訴があるだろうから)少なくとも起訴されれば有罪になるはずである。また、セクハラパワハラ過労死自殺率については何言ってるかわからない。
↑誰も女性の体感治安の話などしていないので届く必要ももちろんないと思う。
↑お前がそう思うんならそうなんだろう。お前の中ではな。前置きのひとつめをよく見ろ。
id:nowa_s 安全な国とは思うし殺人や強盗の被害は身近にないけど、性犯罪なら多すぎる。/"日本で30年犯罪に遭ったことない"人すげーな。自分一人に限っても匿名電話で強姦の脅迫、体操服や自転車の盗難、複数回の痴漢とかある
id:nanakoso 殺人は死体が残って「実際に起きた数」を操作しづらいから国際比較の基準にされる。いじめや軽犯罪は警察、担当官らの胸先三寸で数字が変わる。追記:反論したい人は数字出して記事かいてよ。
↑これも前置きの2つめに乗っかれなかった人。日本で数字が操作されるなら諸外国ではもっとひどい操作をされているかもしれないという想像力すら働かず、自分の導きたい結論に都合よく世界ができていると思っちゃえる人。しかもその立証責任は他人に求めちゃう人。意見を述べる資格なし。
id:princo_matsuri 道路の治安はその限りではない
↑諸外国の交通秩序のほうが日本よりまともだと言いたげである。それは本当か?
id:yanosworkout 浅い。マクロ視点で治安がいいのは分かっているが、度々エントリで上がる性被害や弱者への暴力は一体何なんだろうって思う。
↑いやその話をしたいのはお前個人だろ。
id:iGCN 殺人の件数が少ないことを根拠にしているけど、エクストリーム自殺として処理されている暗数がそれなりにある気がする。
↑既出。略。
id:hotelsekininsya でも、都会で痴漢にあった女性ってすっごい多いんだよね?確か半数軽く超えてたはず
↑「でも」があるのでセーフ判定。「ところで」だったらなお良かった。
↑なんでこんなに自殺を殺人にカウントしたい人が多いんだこの国……
↑もう……
飽きた。まだこれでもブコメ全体の半分まで見きれてない。スカタンなブコメ書いたけど拾われなかった人たち、ごめん。
反響が大きくて驚いた。良くて「ヒマ人乙」くらいのブコメがふたつみっつついてすぐ埋もれる予定だったのに反応の質も量も意外だった。
しかしこれだけ注目されると、「論拠があやふやだけどいいや、書いちまえ!」って雑に書き飛ばした筆のすさびがきちんとツッコまれるので、さすがだなと思った。おっしゃる通りです、お恥ずかしい、という指摘がいくつもあった。どれとは言わないけどあなたが正しい。
IMSLPという、無料で使用できる楽譜などの電子図書館を目指すプロジェクトがある。
これができたお陰で、楽譜の入手コストが劇的に下がり、演奏可能になった楽曲は非常に多い。
ただ、それでも気になることがある。
こういう、汚くてとてもじゃないが演奏不可能な楽譜を平気で上げているケースが散見されるのだ。
作曲家の手書きによる「貴重な歴史的資料」ではなく、上の例のように演奏用のパート譜がこれって、ふざけるにも程があるというか、一体どういうつもりで上げているんだと思う。
使えないもの上げても意味ないじゃん。だったら上げないほうがマシ。
何よりこういうのがあるせいで、中身の可読性関係なく「演奏できるじゃん、大丈夫だよ」などとほざくクソな輩に言いくるめられるのがすげー不愉快。
そりゃお前が耳コピで弾いてるから大丈夫ってだけだろ。音符きっちり読まないと弾けない奴に喧嘩売ってんのか。
そんなに文句があるならお前が書いてアップしろって?そういう問題じゃねーんだよ。
こっちは「読むのにストレスを感じない楽譜」が入手できる曲だけ弾きたいんであって、汚い楽譜を書き直すために音楽やってるわけじゃねーから。
あと買えって意見がトラバにあったけど、こういう曲に限って日本で楽譜買えるかどうか全く分からない曲だったりするんだよなあ。
甘ったれたことを言っていることは分かっているし、過去の人たちを侮辱する気も一切ない。
けど、リモートワークやノマドワーク、マルチワークなんて横文字の21世紀っぽい甘い響きに惑わされてそんな仕事に従事するも、自己管理能力の低さゆえにオンラインMTGをすっぽかして、納期が遅れて、遅れることも連絡しなくて、家にこもるから昼夜逆転して、あと1時間後に着手するぞと決意して1時間だけゲーム実況動画を見ていたら2時間、3時間と引き伸ばされて朝になっていて、クソの役にも立たないようなモンスターの倒し方だけが知識として蓄えられて、納期を守れない罪悪感で更に連絡が取れなくなって、結局誰からも信頼されなくなって、生活はひたすら荒んでいって、老けて金もなくなって気づけば友人も減っていて。
「自由な生活」という夢を本気で信じてしまった馬鹿者が、こうした社会の穴ぼこに埋まっていく。
結局自己管理ができない人間には理想でしかないことを、誰も教えてくれないから。
自由という釣り餌を垂らすビジネスをやっているイケダハヤトみたいな人もいるけど、若くて理性が足りない僕のような人間には「自由は限られた人しか手にできない?じゃあ俺ならいけるぞ」と勘違いしてしまう。
敗北者の声は常に小さくて、ロールモデルたちの存在感が大きすぎる。
立派なオトナである彼らはきっと、ちゃんと社会に揉まれて信頼の重要性を知っていて、一日8時間もYoutubeを見るなんて愚行はしない。
インターネットの恩恵を、上手に恩恵だけすくい取ることができるから成功するのだろう。
ひろゆきが言っていた「嘘を嘘と見抜けないと云々……」に似ているけれど、特に自律が求められるリモートワーカーたちにとって「益か益でないか見抜けないとインターネットは難しい」のである。
今、くそしょーもない内輪のネット論壇ができあがっていたり、PVだけが目的の嘘つきが闊歩していたり、インターネットに希望を持てない時代になっているとは思いつつも、少なくとも希望が全く無い時代の方が良かったんじゃないかとすら思っている。