「嘲笑」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 嘲笑とは

2022-01-18

はてサのみなさんに質問

日本スゴイ系のコンテンツに対してよく文句を言っているけど、他人押し付けて来ない限りは別に日本スゴイしていても全く関係ないし、日本スゴイコンテンツを楽しんでいる人もいるかもしれないのにコンテンツを楽しんでいる人を全否定してネトウヨ嘲笑するのは差別ではないのですか?

ゲームするオタクロリコンから犯罪者とか韓流楽しむ人は親韓から在日とかそういうのと変わらないと思うのですが、ネトウヨ認定は差別ではないのですか?

anond:20220117194922

真性かまってちゃん絵描き(笑)

承認欲求創作活動メジャー欲望だ。そんなことも知らんのか。

界隈に無知のくせに、「それがなぜ間違っているのか」の説明も一切せずに、嘲笑だけで自論をわかってもらいたがる。

真性かまってちゃんコメント書き(笑)

創作活動として絵を描けとは言わないから、せめて一行で駄々をこねていきがるのは終わりにしろな。見てるこっちが恥ずかしいから。

2022-01-17

anond:20220117191515

オタクが平均以上の男性に「彼女なんていらない」って言ったら「出来ないの間違いだろ」って嘲笑われて終わりだよ

anond:20220117021532

東大早慶ぐらいなると生活保護一歩手前の障害持ちに対しては同情こそあれ嘲笑はなさそう

まれ育った環境が違いすぎて、見下そうという気持ちにならんだろう

2022-01-09

youtubeショートを見ていると下品気持ちの悪い動画が流れてくる

俺は低評価を押す

また流れてくる

評価を押す

また流れてくる

評価を押す為にショートを見ている気分になってくる

イライラが増して本気の殺意が生まれ

怒りでどうしようもなくなる

このショートに流れてくるヘラヘラした顔をぶち殺せたらどんなにスカッとするだろうか

なんの関わりもない人間なのにどうしてこんなにも憎しみが消えないのだろうか

俺は頭がおかしいのだろうか

好きなチャンネルだけ見ろって?

それはそう

ただ俺は検索結果等から嫌なチャンネルが見たくないだけなのに消せば消すほど出てくるせいで気が狂いそうになってる

嫌いな名前を避ければ避けるほど気になって目の前に出てきてまた嫌になる

嫌な内容を避けても避けても嘲笑うかのように出てきて消えない

まるで社会から虐められてるような感覚になる

あなたへおすすめって言葉が俺の感情逆撫でする

俺が嫌いで見たくもないものをわかってて目の前で見せびらかされている

メディアが俺を馬鹿にしてる

youtube見なければ解決するんだがな

2022-01-07

ファミレス明太子パスタを頼んだら、隣の席の老婆に批判された

今日昼の出来事、在宅勤務中によく行く都内の近所のファミレス明太子パスタサラダを頼んだところ

隣の席の老婆(恐らく母)と老婆(恐らく娘)が小声で

老婆A「外食スパゲッティーなんてねー」

老婆B「ファミレスなんだからそんなもんでしょう」

俺が知らないだけで、世間ではファミレスパスタを頼むと嘲笑対象になるのか?

もしくは、上の世代では非常識な行動なのか?

かにその2人は和風ハンバーグステーキのような定食を食べていたが、別に他人があっさりしたもの食べるのは自由だよなぁ

子供というのは言わば新品のストレージを持ったコンピュータなんだから、古いストレージデータを詰め込んだ大人よりもある意味では「賢い」(の定義自明ではないが)のは当たり前。

子供には子供なりの理がある」ということを今更発見する親というのは、別に珍しくもない平均的な普通の親なので小言を言うのも下らないのだが、ポリコレだのなんだのにうんざりしたときにふと揶揄したくなることもなくもない。「"おまえら"の方がよっぽど意識アップデートすべきだろ」と。

おまえら」って誰だよw 我ながらアホくさい。

でもまあ細かい日常のしぐさはともかく、サンタクロースという嘘を子供に教えて嘲笑文化はいい加減に虐待だと認識されるべき。これは何かの揶揄皮肉ではなくストレート本音

2022-01-06

饅頭氏の問題点あるいは閉鎖コミュニティ問題点

 数年前からTwitterその他で色々話題になる白饅頭氏が実際問題どういう思想/人格の持ち主なのか、ちゃんと知りたくてしばらく彼のnoteを購読して読んでいた。正直なところ、いわゆる「ツイフェミ」に関する言説などは乱暴過ぎるとはいえ賛同できるところは多々あったものの、どうにも「気持ち悪さ」が拭えない文章が多かった。で、その一番の気持ち悪さを言語化すると「自分は知恵者である」という傲慢さが色々な記事で滲み出ているところなのかなと思った(「表」の記事は多少抑制的だけど)。

1.相手の状況がわかっていないのに相手人生を変えかねない危険アドバイスをしたがる

 彼のnoteではよくマシュマロ経由で人生相談をしてきた若者中年男性婚活女性などにアドバイスをしている。そのこと自体はいい。ただ、問題なのは相談内容から「白饅頭氏が想像した人物像」をまるで事実かのように話を進めて、ああしましょうこうしましょうとアドバイスしているところ。傍から見てて、なんで情報が不足しているなかで相手の苦悩の原因を断言できるのだろう?と気持ち悪くて仕方なかった。かれは発達障害など弱者支援をする業種にもいるらしいので、ある程度想像がつくというのはあるかもしれないけど、それにしても「やり過ぎ」なアドバイスが目につく。相談者は白饅頭氏を神のように慕っているだろうし、それを忠実に実行するだろうけど、新興宗教教祖様ぽい不気味さを感じる。これはマジな意味で。

2.学問素養がないわりに、進化心理学などについて浅い理解のまま、都合よく曲解して持論の補強に使う

 典型的には上方婚などの女性に関わる問題で顕著にみられるのだけど、これははっきり言ってまともに学問やってる人からする目を疑う内容。もちろん、現在社会的性差の一部は生物学性差の一部に基づくのはほぼ間違いないけど、男と女のすれ違いをすべてそういう生物学的なもの説明しようとするのは行き過ぎもいいところ。

3.時事ネタについてとにかく逆張りをする

 もう見事なまでに。その時々で色々理屈はつけるけど、大体においてその話題で少数派である側を擁護する言説を展開する傾向がある。彼があえてやってるのか気づいていないのかは定かじゃないけど。

4.自分反論する者はアンチだと思っている節がある

 彼のnoteを見ると、まっとうな「他者との議論」が展開されているケースは非常に少ない。まあ、これは彼をやたら嘲笑する側も似たような態度をとることがあるのでどっちもどっちかもだけど、noteの中で批判されない持論をひたすら展開しているうちに、「自分が正しいんだ」と思いこんじゃったタイプじゃないだろうかとすら思える。

5.専門家嫌い

 たとえば、コロナ禍で奮闘している専門家について、薄っすら嫌われているだの、アドバイスをするなら相応の品格を見せるべきだのなんだの(この辺りは雑要約)。多くの専門家そもそも研究者であって、別に政治にしゃしゃり出る必要ないにも関わらず善意ボランティアやってるのに、とにかく見下しているだのなんだの、彼の思い込みに基づいて態度を問題にしたがる。一方で「学問的」な成果は自分の都合のいいように誤用したがる(統計しろ進化心理学だの)。

 他にも色々あるのだけど、白饅頭氏の言説はしばしば部分的には「公には言えないけどそうなんだよなー」というある種同意できるところがあるだけに性質が悪いように感じる。他のところで間違いだらけなんだけど、気づけない人が「俺たちに言えないことを言ってくれた!」とばかりに支持してる感じが。彼の言論掣肘するつもりは毛頭ないけど、noteを購読して感じた彼の危険性、特に一面の真理を突いているが故に取り込まれやすいそうな面については書き残しておこうと思った。

 あと、これは推測に過ぎないけどnoteで有料マガジン始める前の氏はそこまでやばくなかったのかもしれない。批判されない安全地帯でひたすら言論を繰り出す内にどうも変質したんじゃなかろうかとも考えている。これはサロンやってる教祖様にも言えることかもしれないけど、安全地帯で誰にも批判されずに言論を展開できるのが本質的危険な気がしている。

れいわと共産あたりはもっとネチネチ維新公明嘲笑を続けて欲しい

お前らはそういう汚い仕事しか出来ないんだ

2022-01-05

anond:20220104132052

ネット広告も何度も取り上げたよ

その度に表現の自由嫌なら見るなエロ規制するなと反発して、挙句エロ広告が出るのはお前らが普段からエロものを見てるからだ!キリッ」とか言って嘲笑ってきたのは表現の自由戦士じゃん

一貫しろ

ネット女性蔑視批判した日々の全てが黒歴史に思える

小学校先生がなかなか嫌な(婉曲表現)先生で、何かにつけて「男のくせに~~するな」「男なら~~しろ」というのが口癖だった。私はその先生が本当に嫌で、誇張や比喩ではなく学校が怖くて夜にはよく泣いていたし、割と慢性的自殺を考えたりしていた。そんな経験があったので、私がジェンダー論や性差別に興味を持つのはごく自然な流れだった。「女性になりたい」と思ったことや、「私はもしかしたら"男性"ではないのかもしれない」と思ったこともある。今となってはそれはトラウマ思春期による揺らぎの一種であったと認識していて、性自認に関しては私はシス男性だと自認しているけれども。

私の初恋は、とある絵本キャラクターだった。絵本児童文学を読みながら、キャラクター同士の親密な関係(カップリング)や、窮地に陥ったキャラクター(ヒロピン)などに触れて、何かいけないものを見ている気分で、こっそり楽しんだ。同級生達の、「どの女の子かわいい」とか、「誰とそれが付き合ってる」とか、そういう話は嫌いだった。その頃から私はフィクトセクシュアルだったと思う。

ふたりはともだち』はBLですよね?異論は認めません。

当時放送していたアニメと言えば、『幻想魔伝 最遊記』とか、『しあわせ荘のオコジョさん』とか。テレビゲームだと『テイルズシリーズ』とか。そういうのを見て育ったオタクなので、「オタクたるもの、男でもBLくらい嗜んでしかるべし!」くらいに思っていたし、今でも思ってる。ちょうどニコニコ動画流行った世代でもあって、(今の倫理観では褒められたことではないにせよ、)「ホモネタ」でケラケラ笑うのも楽しかった。

先にオタクになったのは私よりも兄の方だった。当時の私は兄を「ホモソーシャル(という言葉は当時知らなかったが)に親和的な人」と見下していたが、兄は兄で色々と思うところがあったと今では思う。兄はあまり頭が良くないので、私のように細かく言語化したりはしないが、おそらく私たち世代の平均的な「オタク」だと思う。美少女美少年が好きで、百合BLが好きで、口では「恋人欲しい」なんて言うけど、内心エロゲで満足してる。そういう人。『ガンダムSEED』が「腐女子向け」と叩かれていたのを兄も知らないはずはないが、兄はそんなSEEDに心からハマっていた。『テイルズシリーズ』については私よりも兄の方がハマっていたから、いのまたむつみ美少年絵は兄の琴線に強く触れたのだろうと思う。

兄が好んだ「ちょっとえっち」な漫画ゲームを、私は内心見下しながらも、それは常に身近にあった。エロ漫画について伊藤剛先生が『MANGAの自由 平成から令和へ』の中で、「あんまいいもんじゃないだろうという感じで、手に取ろうとはしなかった。」と語っているけど、私もそういう感じ。読まず嫌いだった。でも実際にはむしろその中にこそ多様なジェンダーセクシュアリティが描かれていることに気付いた。セックスパロディし、時に嘲笑うことが、セックスを相対化するのだと。

少なくとも私にとって、ジェンダーセクシュアリティ呪いから逃げられる空間が、オタク文化だった。


2ちゃんねる(今は5ちゃんねる)というのは、今も昔も治安悪い場所だった。大学院生から無敵の人」まで、全く知識・知能・倫理観レベルの違う人々が同じ空間で同じ顔をして過ごしている。まともな精神じゃできない書き込みなんていくらでもあったが、それはほんのひと握りの底辺書き込みしかなかったのだろう。そしてそんな底辺書き込みの一つは「女性蔑視」だった。当時の私はまだ子供で、ジェンダーセクシュアリティ話題に興味のある子供だったから、それがどうしても許せなくて、「論破しなければいけない」ものだと思い込んでいた。今思えばそれは逆効果だったのかもしれない。私が来る日も来る日も女性蔑視的な書き込みを「論破」しても、その勢力が衰えることは無かった。昨日論破したばかりの同じような書き込みを、今日明日も繰り返すような、そんな連中ばかりだった。

しかし、ネット空間というものが、誰もが使う表の空間に成り下がると同時に、そうしたネットの闇はあっさりと自然消滅していった。厳密に言うと消滅はしていないが、その権威はもはや見る影もなくなった。犯罪誹謗中傷は取り締まられ、多くの暴言も各種サービス規約によって削除されやすくなった。何よりも、そのような暴言を吐くのは、少数の異常者であることが露呈した。

私は安堵した。しかし、そんな時代になっても、「表現の自由」を掲げて「フェミ叩き」を頑張っている人達がいるらしい。私は呆れた。非実在児童ポルノ騒動の時、表に立って漫画擁護してくれたフェミニストの人々のことを忘れたのかと。

私はほんの少し、Twitterフェミニストの人々と繋がってみた。とても勉強になる話をたくさん聞いた。その話は納得できるものが多かった。しかし、次第に違和感を覚えてくるようになった。その違和感がなんなのか、すぐに言語化することは出来なかったが、どうも彼らは「フィクション性的対象とする」というセクシュアリティについて、全くと言っていいほど無知で、配慮がないどころか、むしろ憎んでさえいるのだ。恥ずかしながら私自身、「エロ漫画」や「えっち表現」というものを読まず嫌いしていた時期もあるから他人のことは言えないのかもしれない。しかし、ジェンダー論や文学研究している大学教授などが、そうしたセクシュアリティについて全くの無知で、研究など出来るのだろうかと心配になった。そして怖くなった。現代の「ジェンダー論」というものは、そのような前提の元に立脚しているのかと。そして「エロ漫画女性蔑視」のような前時代封印したはずのトンデモ言説が、再び亡霊のように復活しつつあることを。あの「非実在児童ポルノ騒動の時、表に立って漫画擁護してくれたフェミニストの人々」ですら、彼らが味方する対象ではなかった。

結局私は苦しくなってTwitterもやめてしまった。トランプ大統領当選した時、オバマは「国の歩みはジグザグだ」と言った。もしもわたし第三者立場であれば、昨今のフェミニズムの暴走も、「ミソジニーに対する反動」として呑み込む事が出来たと思う。「今はまだ無知でも、時間解決してくれる」と、民衆の成長を待つことができたと思う。でも残念なことに私は当事者だった。私は、性差別を憎む二次元性愛者の一人だった。

とにかく怖くて仕方がない。苦しくて仕方がない。そして、憎い。ああ、これは、かつて2ちゃんねる女性蔑視の書き込みを見た時と同じ感情だと思った。

今では私は子供ではないから、もう少しだけ冷静に論じたいと思う。でも、行動を多少抑えることは出来ても、感情それ自体を抑えることは難しい。悔しいとか情けないとか。無力感とか徒労感とか。

2ちゃんねる女性蔑視を批判した日々は無駄だったのだろうか。実際、無駄だったのかもしれない。でも、せめて、それをした私自身のことは誇りたい。誇りに思えるだろうか。彼らをのさばらせた責任の一端は、私にもある。

2022-01-02

いじめられた人のことを嘲笑う人がいる。

なんでそんな酷いことができるんだろう。

心が壊れてるのか?

2022-01-01

誰か私をボコボコにしてくれ 頼むから

以下、一般マゾ独り言です、下品ワードが飛び交っています。吐き出したかったので書きました。

不快気持ちになった人がいたらごめんね。

私は 顔のいい男にボコボコに殴られたり、蹴られたり、踏みつけられたりするのがめちゃくちゃ好きで好きで堪らなくて、

歴代彼氏にはよく殴ったり切ったり首を絞めたりしてもらっていた。

単純に誰でもいいかボコられたい、という話であればこんな悶々としないんだろうけど、私はエゴマゾなので、

かなーり相手を選んでしまう節がある。

絶対条件は顔のいい男であるということ。

色白で、筋肉が付きすぎておらず、細身。

これが私の条件だ。

ともなると全然いない。

私がまだ23歳で、あんまりにも年の離れた人は嫌だという我儘を付け加えると、

ほんとに全然いないし、そもそもに探し方がわからなかった。

男性マゾは、SMクラブ女王様にやってもらえるけど、女の子はそうもいかない。

そもそも私は異性に本気でボコされたいのだ。

SMバーや、ハプバーにも行ったりしたけど好みの人はいなくて、悩みに悩んだ結果、

女性風俗に行った。

好みの男性がいたからこの人しかいない!と思って、秒で予約した。

こういう時 ちゃんと金持ってて良かったと思った。(あ、風俗嬢ではないです)

呼んだのは、なんか、歌舞伎町トー横に屯してたり、メンチカしてそうな男の子にした。顔がメンヘラっぽくていいなと思った。通ずるなにかを感じてしまったな。

カウンセリングの時にボコボコにして欲しいって伝えたら 「いいよぉ~~~」と言われたので笑ってしまった。

ODしてるんか?ってくらい変な喋り方で泣いちゃった。

一緒にお風呂に入った後、さっそくボコって貰った。

髪の毛を掴まれたまま、ラブホのベッドに叩きつけられた。

興奮と嬉しさからふふ、と笑ってしまったら

「何笑ってんの」と冷たく言い放たれて、腹部を容赦なく踏みつけられたり、殴られたりした。

お腹じんじん痛くて気持ちよくて、最高に興奮してるところでマウントとられて首を絞められて、これ以上ない程の幸福を感じた。

首絞めされてる間も膝やもう片方の手で殴ったり蹴ったりしてもらって、

あぁもう酸欠で落ちちゃう、ってところでキスされた

あんまりキスきじゃないけど、これは脳みそが蕩けてたせいもあって、人生の中でいちばん気持ちいいキスだったと思う。

その後もボコボコにされたりなんだりして、もうズタボロになって荒い呼吸を繰り返してたら、突然ちんぽ挿入された。

※当たり前だが、女性風俗は本番禁止である

急速に脳みそが冷やされていく。

「え、ちょっとまって、」と制止しようとしたら、そいつは もうニタァ、という表現が適切としか言いようがない笑みを浮かべた後、黙れと言わんばかり私の口を手のひらでオモクソ塞いだまま、犯してきた。

最初はクソほど抵抗してたんだけど、圧倒的な体格差だし、動かせるのは足しかない。

どうにも抜け出せないし、喋れないし、もう諦めた。

ただ、めちゃくちゃムカついたのは最後ザーメン顔にぶっかけられたことです。

人に暴行を働くのって疲れるだろうし、こんな異常性癖に付き合わせてしまった手前、まんこくらい差し出して然るべきなのかもしれないが、さすがに無断でぶっかけるのは違うと私は思う。

終わったあとはたくさんハグキスしてくれたり一緒にゴロゴロしたりして、飴と鞭を実感した。でもやっぱり終始冷たくされたいし嘲笑われたいしゴミみたいに扱われたいし、恐怖で私を支配して欲しい....。甘いのは違うんだよなぁ。

ホテル出て、駅まで手を繋いで歩いたけど、

手よりも髪の毛を引っ張って歩いて欲しい派なので、微塵もキュンと出来なかった

この後このお兄さんを2回呼んだけど、結局そのどの回も無断で犯されたので、今年からはどうするか悩んでいる。

あとなんか私の好きって言ってたブランドのものをもらってしまって逆にめちゃくちゃ気まずくなって、LINE既読無視してたら

ますます鬼連絡きて怖くて開いてない。

LINEの通知音がなると心臓痛くなる。

2人目は、ハーフっぽくて童顔で、V系とかメンチカ系に居そうなお兄さんにした。

こちらのお兄さんは身長も高いし、細身の割に体もがっしりしてて、いいボコりをしてくれそうだ。

カウンセリングの時に、「ボコボコにされたい」って言ったら、普通にOKしてくれて、

1人目の時同様、一緒にお風呂に入った後、

ボコボコにしてもらう、はずだった。

なんか、催眠術かけられた。

???と思うでしょ?私もね、思った。

でも私はめちゃくちゃ催眠に掛かりやすい体質らしく、あっという間にかかった挙句、脳イキ地獄に落とされ、意識朦朧としていた。事実、この間のことは何一つ覚えていない。

意識がはっきりとしてきた頃にはまたもや犯されていた。ビビっちゃった。

もうおわかりかと思うが暴行要素は一切ない。

上にも書いたが、この日のことは、あんまり記憶が無い。

そいつのちんぽがクソでかくて子宮口がオモクソ潰されて ギィン!!って痛くて絶叫した記憶はある。帰ってる時も生理痛?みたいな痛みに襲われていた。

物証として、ベッドに普通に精液入ったコンドーム落ちてたので間違いない。

というか、いつの間にか裸だったしその人。

いつ脱いだ?!私が脳イキ キメすぎて失神してる間??それとも酸欠で落ちた瞬間.....???

ボコボコにして欲しいって言うから子宮ボコボコにしちゃった」ってニコニコしながらいわれて

「そういうことじゃねンだわ」と思ったけど、

子宮ボコボコにする、という言葉の響きエロいなと思って2割くらい許してしまった(は?)

あとその人手がおっきくて首絞めがいい感じに決まるのと、クソほど犯しながら紐みたいなやつで首絞めてくれたのが好感度高かったです。

罵りワードも私好みのキショキショヤンデレ風味だったし、子宮を抉られるような鈍痛と、恐怖と若干の興奮で泣きじゃくる私を押さえつけて犯しながら「着床しろ」って囁いてきたのがポイント高かったです。

顔も好みだし、催眠術できるの普通にすごいし、脳イキも気持ちよかったけどやっぱりsexが入ってしまうと、別の世界になってしまう気がします。

そんなわけで私のボコられ体験は1度幕を閉じたわけだが、未だに正解が見つからないままでいる。

どちらかというと、以前都内にあるSMクラブ女王様時間いっぱいボコられ続けた時の方が完成度・満足度ともに高かった。

でもやっぱり男の人に殴られたいと思ってしまう。

実際、女王様と1人目の人を比べると、圧倒的にお兄さんの方が力が強かった。あんなにモンエナしか飲んでなさそうな体型なのに。

あと多分声フェチ?みたいな部分もあるので、殴られてる時に女性の声が入ってきてしまうと冷めてしまう。

男性サンドバッグにされたいのだ。sex抜きで。

めんどくさい自覚はある。

顔のいい男はたくさんいても、なかなか理想ボコリストには出会えなくてつらい。

欲を言えば、カッティングや、スカリフィケーションと焼印と根性焼きもして欲しい。でもここまで来るとしてくれる人がほんとにいない。

こないだもようやく顔のいいサド出会えたので有頂天になってたら

電気首輪を〇〇ちゃんわたし)につけて家に軟禁して肉オナホにしたい。』という性癖の人だったので、

さようならした。

ボコボコは出来ないそうだ。

なんでだよ....

私には居場所がない。ひとりぼっちだ。苦しい。

気持ち悪い存在だという自覚もある、だからこそこんな私を〇して欲しいと、罰してほしいと思う。

ますます気持ちけが昂っていってしまう。

私はどうしたらいいんだろうか。

もう自傷行為タトゥーピアッシング、スカリフィケーション程度の痛みでは、つまらないし、オナニーにすらならなくなってしまった。

そもそも彫り師さんも ピアッサーさんも、皆お仕事真摯にやってくれてるのに、

変態要素を出すのって失礼だなとおもって、

最近施術中に邪な考えをしないよう、読経をしている(????)

ちなみに、SMパートナー探す掲示板に書き込んだらネカマ扱いされた上に、

sex目的オッサンとか、自分のことをイケメンだと自称するオッサン(よくわからん角度で取られた自撮り付き)とか、サディストではなく ただ単に女嫌いこじらせたチー牛みたいなやつしかいなくて地獄だった。

まだtinderで捕まえた カスバンドマンホストの方がマシでした。

あと、こういうことを話すと、家庭環境などを心配されるんだけど、

しろめちゃくちゃ大切に愛されて育ちました。裕福な家庭で、何不自由なく育ててもらって、今もめちゃくちゃ仲良しだ。

学生時代普通にいじめとかなく平和に楽しく過ごしてきた。

からこそなんでこうなってしまったのかは分からない。

私はマゾなので何を言われても構わないが、大切な家族に言われると悲しくなるので書いておく。

今年はいボコリストに巡り会えますように。

そして、変態の同士たちも、ノーマル性癖な人も、らみんなに幸あれと思います

2021-12-30

いやいや!草サッカーエンジョイしてる人、結構いるぞ

日本に足りないのは「めっちゃ楽しそうにサッカーをする下手なおっさん欧州で目撃した、勝利(とビール)を真剣に目指す大人たち

https://number.bunshun.jp/articles/-/851448

今日この記事を読んだのだが、私が知る現状とは違うと思ったので、少し書いてみる。

私は高校時代クラブチームプレーをし、その後は学生時代の友人や仕事を通じで知り合った人々と草サッカーを楽しんできた。そんなわけで、引退した今でもサッカー真剣ガチ勢や、テレビ試合ウイニングイレブンを通じて、ちょっと自分プレーしてみたいな」なんて思って飛び込んでくる、サッカーエンジョイ勢の両方を私は知ってる。

地域としては関東圏に限定されるが、他の地域もそれほど誤差は無いと思う。

見えない序列。草サッカー階層について

僕は、日本に一番足りていないのは、「めっちゃ楽しそうにサッカーをする、死ぬほどサッカーが下手なおっさん」だと思っています

 週末に、仕事終わりに、競技レベルの高低とは全く関係のない次元で、おっさんがユラユラと集まって、しか真剣に、サッカーをする。1111である必要は全くなくて(どうせ最後は走れなくなって2対3くらいになるのだから)4対4でも、6対6でも構わない。

 僕は大学卒業まで日本サッカーしましたが、各年代チームメイトで、週末だけでもサッカーを続けている人間は数えるほどしかいません。皆、短くない期間打ち込んできたにも関わらず、です。

 それはサッカープレーするに足らない、魅力のないスポーツからではなく、熱中していた時にあった序列的な空気構造サッカーを「つまらなく」感じさせてしまたからではないでしょうか。「サッカー自分蜜月関係」の間に、上手くいかない、嘲笑される、誰かにジャッジされる、という横槍ザクザクと入り込んで、サッカーを「誰かより劣っていた記憶」として、あるいは「自らを序列に当てはめた記憶」として刻んでしまう。好きで始めたサッカーが、ヒエラルキー象徴に化けてしまう。

引用:https://number.bunshun.jp/articles/-/851448?page=2

このようにあるが、これは一部の世界だと思う。と言うよりも草サッカーにも階層があって、サッカーの上手い人は上手い人同士でつるみたがる。サッカーの上手い人達にとって、素人と一緒にプレーするのは基本的には歯痒いモノなのだ

ボールの蹴り方からディフェンス時のボジション取り、チームメイトの狙いを汲み取っての連動的なオフボールの動き、挙げればキリが無いが素人プレーをすると、その全てがどうしても気になってしまう。

実際に草サッカーと言えど、ある一定レベルにあるメンバーがいないと分かると、予定をキャンセルするサッカー上級者も私は見たことがある。いわゆる介護プレイはゴメンだぜ」ってやつだ。悪く言えば差別と言えるかもしれないが、実際にハイレベル人間同士でないと実現できない領域はあって、それが実現できた時の快楽が何ものにも変えられない魅力に包まれてるのも事実だ。

エンジョイ勢を受け入れないと、存続が難しい草サッカーチーム

かに冒頭の記事中野遼太郎さんが語るように、見えない序列はある。ただし一部の世界で。ガチガチ序列がある草サッカーチームは、そもそもチームの存続が難しい。

東京都内で考えてみる。

サッカーグランドを借りようと思うと、2時間で5000円~10000円ほどかかる。しかナイターの照明代金が30分ごとに1700円なんでプラン場所がちらほら……。結構お金がかかる上に時間制限であるのだ。

「それなら埼玉千葉河川敷に行って勝手ボール蹴ってれば良いだろ?」と思うかもしれない。実はそれもNGだ。地域職員さんが勝手に利用してないかチェックするために車で巡回をしている。河川敷もその地域に住む人が抽選をして初めて使える仕組みだったりする。意外にも誰でも自由に使って良い場所都内には少ないのだ。

さらにまともにサッカーをやるには10人以上は確実に必要だ。10人でも5対5のミニゲームができるくらい。その人数を忙しい社会人の中から集めるのは至難の技だ。22人ならもっと難易度が上がるのは想像に難しくないと思う。

これは私の妄想だが、あらゆる草サッカーチームは慢性的人手不足なんだと思う。

変にサッカーの上手い人には従うべき」だとか、学生時代のノリでやろうと思うものなら、金はかかるしマウントは取られるしで簡単に人は離れ、そのチームは満足にサッカーができない状態に陥るだろう。

サッカー個人個人技術向上を常に考え、常に大会勝利することを目指すガチ勢のチームの運用は、本当に難易度が高い。だから私が知る限りサッカーをしたい人には、どれだけボールを蹴ったことがなかろうが、基本的にはウェルカム姿勢のチームが多いと思う。

サッカーガチ勢に。エンジョイ勢フットサル

上の項で書いたが、サッカー都心では金がかかる。しかも人数を集めるのが難しく、それを継続するのも、相当なサッカーに対するモチベーションメンバー同士の絆が無いと難しい。

フットサル場もサッカーと変わらずあるいはそれ以上の料金(10,000円以上など)を覚悟しなくてはならない。しかし、仲間内だけでやるなら10人集めれば条件はクリアさらに当日に集まった知らないメンバー同士でフットサルをする個サルのチョイスもある。個サルなら1人2000円程度で参加可能だ。

なのでサッカーよりもフットサルの方が、現状ではエンジョイ向きであり、そっちに多くの人が流れているのではないかと私は推測してる。

まとめ

おそらく冒頭の記事中野遼太郎さんは、草サッカーの中でも上手い人達世界しか見てなかったのかもしれない。ちゃんと目を凝らすとめっちゃ楽しそうにサッカーをする、死ぬほどサッカーが下手なおっさん結構見つけることが出来るハズだ。

今回の記事日本サッカー未来を憂いて書いたと推察する。しか僭越ながら言わせてもらうと、あなたもっと危機感を持つべきは、『金のかかるグラウンド存在だ。

現在東京を中心に関東圏では、どこでボールを蹴るにしても金がかかる。しか時間制限もある。サッカーフットサルにおいて2時間なんてスグだ。ちょっとプレイしてスグにその場所をどかないといけない。そんな状態で例え経験者と言えど、サッカーをわざわざチョイスする人が、どれだけいるのだろう??

また、これから未来を担うサッカー少年に対しても、この現状はマイナス自由無料サッカーができる場所があるから自分の技を磨けるのにその場所が有料で時間制限があるのだから、どうやってサッカーを上手くなるのだろうか??高校サッカーでもクラブユースでも、首都圏ではなく地方のチームが強い理由が、ここに表れてると私は思う。

本来サッカーとはボールと仲間さえいれば、どこでも楽しめるものだが、その本質とズレた状態が、今の日本の大きな問題なんだと私は思う。

1970年代舞台にした新作アメリカ映画で「日本人の顔は見分けがつかない」という事実に基づかない人種差別描写があり抗議殺到

@iso_zin_

世界中映画賞を席巻しているポール・トーマス・アンダーソン監督の最新作『リコリスピザ』で日本人に対する差別的ジョークアジア系アクセント嘲笑など)があるとの事でアジア人人権団体から糾弾されている模様。楽しみにしてただけに残念…。

あとは劇中に登場する二人の日本人女性の見分けがつかない、みたいな台詞もあるそう。時代設定がまだまだ人権意識の低い1970年代から必然性のあるジョークかもしれないし何とも言えないけど観てて嫌な気持ちになってしま可能性はある。


https://screenrant.com/licorice-pizza-boycott-media-action-network-asian-americans/

ソース機械翻訳

問題人種差別ジョークは、ジョン・マイケル・ヒギンズ演じる実業家ジェリーフリックが、『リコリスピザ』で二人の異なる日本人妻と共に二度登場することに関係している。どちらのシーンでも、彼は漫画のようなステレオタイプアジア訛りを使って女性たち(水井ゆみと安城めぐみが演じる)に声をかけている。

さらに、ジェリー再婚したことに気づかず、ゲイリーが2番目の妻を最初の妻と間違えるというジョークもある。MANAAの声明によると、アンダーソン監督インタビューでこれらのジョークについて、『Licorice Pizza』が舞台とする時代に正直でありたいと主張し、弁明している。

また、ゲイリーアラーナの年齢差についても話題になったが、この点についてはグレーゾーンのようである人種差別的なジョークについては、設定に忠実であるというアンダーソンの説明だけでは不十分だと言ってよいだろう。

ジェリーキャラクターストーリーほとんど影響を与えず、単純なジョークのために彼にあからさまな人種差別的行動を取らせる理由はない。リコリスピザ』は、プロダクションデザイン衣装サウンドトラックなど、70年代を生き生きと再現するために、すでに十分な役割果たしている。

MANAAはこれに反対する立場をとったが、他の人々が彼らと一緒に立ち上がるかどうかは、時間が経ってみなければわからない。

2021-12-29

anond:20211229034023

こうやってボッチを嘲笑ってコケにする人だらけだから

ジョーカーが居なくならないわけだ

嘲笑するなんて

しょうもない

なんつって

ぷぷ

anond:20211229024322

都合が悪いか嘲笑して黙らせたいのだろう

2021-12-26

Japanese hierarchical society have had the skills to bully

who have tried to save poor by giving them knowledge

Acquired people deteriorated him in health laughing at him

Abusers love abusers and monetary autocracy

And the words "Isshi Hokoku", or "Die for our Nation" was coined

日本ピラミッド社会には虐待技術があった

底辺の人々を教え、救おうとした人物に対するもの

買収された人々は彼をやせ細らせ、嘲笑った

虐待者は虐待者を愛し、金融専制政治を愛する

そして一死報国(私の国のためにアンタが死ね)のキャッチフレーズが作られた

2021-12-25

撮り鉄って四面楚歌状態なんだな

鉄道会社に注意され

他のオタクから嘲笑され

一般人からも白い目で見られてるかと思いきや

最近反差別からもきっしょい集団として批判されて、もはやすげえよ

2021-12-24

クリぼっち回避から他人の不幸は美味しい!

今日1人でパンケーキ食べようと予約したら予約直後に電話がかかってきた

なんと今日臨時休業だったらしく予約をキャンセルしたいと連絡が

話によると身内に不幸があったようで明日から営業再開らしい

俺はポイント消費のためのクリぼっちパンケーキすら食べられなかった

でもよく考えたらクリスマス・イブというめでたい日に身内死んでるやつの方が可哀想だよな

電話ではご冥福をお祈りしますと言ったが感情に出なくてよかった

明日は行けるらしいのでどの店員の身内に不幸があったか聞いて心の中で嘲笑うつもり

それよりクリぼっち予約でどのみち助かったわ2人だったらこっちも不幸になるところだった

ざまぁ

2021-12-23

仕事やってるフリ」ばかりしてた人の話。

https://blog.tinect.jp/?p=74400

採用をしていると、

「この方は、「仕事やってるフリ」ばかりしてたのでは」

と感じるときがある。

特に仕事の成果について聞くとき、これは顕著だった。

例えば、前職がマーケティング仕事だった、という方。

彼は、「コーポレートサイト改善し、お客様に使いやすサイトを実現しました。」とアピールしていた。

そこで、我々は

「具体的には、「使いやすい」とは何を意味しているのですか」と尋ねた。

彼は、戸惑ったような表情を見せたが

「見やすかったり、わかりやすかったり、という意味です。」

と言った。

なんとも、抽象的な話だ。

そこで、我々はもっと具体的な意見を求めるため、自分たちコーポレートサイトを見せた。

「では、このサイトを見てアドバイスいただきたいのですが、これは「見やすい」ですか?そうでないなら、具体的な改善事項を指摘してください。」と要求した。

しばらく後、彼はモゴモゴ何かを言っていたが、結局

「見やすいと思います。」と言うだけで、意見らしい意見はもらえなかった。

結局、彼を採用することはなかった。

彼の言動から、「仕事やってるフリ」の人である判断されたからだ。

企業教育」に携わっていた、という方がいた。

彼は「研修などを通じて、活躍できる人材を送り出すことに、価値を感じていた」と、前職での仕事アピールした。

そこで我々は、「どのような研修を行っていたのですか。」と聞いた。

彼が主に担当していたのは、新任向けの「管理職研修」と、新卒採用後の「新人研修」だった。

知識を与え、同じような立場の方々とディスカッションすることを目的としたという。

そこで、我々は

研修の成果をどのように定義していましたか活躍できる人材とは、どのような定義でしたか。」

と、彼に尋ねた。

彼は言った。

「受講者にアンケートをとっており、高い満足度を実現できるようにしていました。」

しかし、考えてみれば「研修満足度が高いこと」は、「活躍できる人材を送り出すこと」とは全く異なる。

我々は、それを彼に指摘した。

「どうなんでしょう?」と。

彼は

「そうですね。ただ、研修を受けることで、知識やほかの人の経験を共有できるので、効果はあったと思います。」

と言った。

表層的な回答だ。回答になっていない。

「この場で考えてくれてもいいですよ」と勧めたが、彼は考えず、答えられもしなかった。

から結局、彼も採用には至らなかった。

彼も「仕事やってるフリ」の人物だと判断されたからだ。

昔、研修サービスを売っていた時に、クライアント一社に、

研修効果測定を、1年程度、モニタリングしませんか。費用は要りませんので。」

と持ち掛けたことがある。

実際、どの程度役に立っているかどうかを知ることが先決だったので、費用をもらわずともデータが採れれば良い、と思ったのだ。

だが、帰ってきた反応は予想外だった。

その方は人事担当役員だったが、面倒くさそうに私を一瞥し、

「忙しいからねぇ」と言った。

他に声をかけた多くの会社でも、やはり同じような反応だったため、なぜ研修効果測定を真面目にやろうとしないのか、私は不思議だった。

そんな時、私の大学時代の知人が、ある大手企業で人事をやっていると聞き、現状のヒントになればと

企業研修効果測定について、話を聞かせてくれ」

と彼に連絡を取った。

久々に再会した知人は、率直に話してくれた。

「いやー、「忙しいからねぇ」というのは、まさに本音だよね。」と。

私は尋ねた。

本音といっても、研修にこれだけお金を使っていて、「忙しいか効果測定はしない」じゃ、まずいだろう。」

知人は迷うことなく言った。

余計なお世話なんだよ。たぶんそういう人たちは「研修満足度が高くて、参加後のレポートを書いてもらえれば、それで十分」と思ってるよ。」

「なんで。」

「余計な仕事が増えるからさ。」

効果測定は「余計な仕事」なのかい。」

「もちろん。だって効果がない」と分かったら、場合によっては研修を取りやめないといけない。予算も削られる。だいたい、研修やってさえいれば人事は「仕事やってるフリ」ができる。」

私は知人が皮肉を言っているのかと思ったが、彼の目は笑ってなかった。

私はようやく理解した。

「ああ……なるほど。そういうことね。」

コンサルタントをやっていて、驚いたことの一つは、上のように、「仕事やってるフリ」をしている人が、かなりいる、という事実だった。

もちろん、「成果」が定義しにくく、「ひとまずやってみよう」という活動があることは理解できる。

しかし、成果を熟考する取り組みさえ行っていない方も多く、「なんのための仕事?」と首をかしげることも多々あった。

ピーター・ドラッカーは、「成果をあげる8つの習慣」を著作の中で紹介している。

(1)なされるべきことを考える

(2)組織のことを考える

(3)アクションプランをつくる

(4)意思決定を行う

(5)コミュニケーションを行う

(6)機会に焦点を合わせる

(7)会議生産性をあげる

(8)「私は」でなく「われわれは」を考える

もちろんこれは、多くの人にとって「もう知ってるよ」と言われてしまうくらい、単純なことだろう。

だが実践である、「成果にこだわりぬいて仕事をすること」は、とても大変だ。

疲れる。きつい。ドキドキする。失敗して怒られるかもしれない。

うまくいかない事の方が圧倒的に多いし、そもそも成果とは何なのかを定義するのも、簡単仕事ではない。

しかも、「成果は何か」を追及すると、疎まれることすらある。

意識たけーなー」と嘲笑され、「何ムキになってんの?」と蔑まれることもある。

しかし、だからといって「仕事やってるフリ」ばかりしていると、キャリアチェンジはままならず、収入も伸びず、組織から「飼い殺される」人生が待っている。

そうなった果てに言われるのは、「お前は単なる作業者で、頭を使う必要はない」だ。

そうなりたくないならば。

若いころから、成果を意識し、成果を追及する技能を身につけるしかない。

それには、たくさんのチャレンジと、失敗が必要だ。

成果とは何かを理解しなければならない。成果とは百発百中のことではない。百発百中は曲芸である。成果とは長期のものである

すなわち、まちがいや失敗をしない者を信用してはならないということである

それは、見せかけか、無難なこと、下らないことにしか手をつけない者である。成果とは打率である

真剣打席に立った時のみ、成果をあげる技能が身につく。

成果について熟慮したときのみ、成長という、自己革新が得られる。

から仕事やってるフリ」は、今すぐ、やめたほうがいい。

2021-12-21

「1人で4人介護可能に 政府生産性向上へ規制緩和」って奴でさ。

人手不足を補いたいなら給料上げろ!とか言ってるけど、介護ってさ何も産まない職な訳で、そもそも社会にとってマイナスなんだよね。これが病院なら現役世代病気を治すことで間接的に生産性に貢献してるけど、働けないボケ老人を生きながらえさせても税金無駄

 

から少しでも1人にかかる費用を抑えて効率しましょうって話なんだけど、それが何の問題があるんだろう。結果として、1人1人への介護品質が下がってもどうせボケてるんだから認識もできないだろうし、夜中とかベッドに拘束しときゃいいんだよ。

 

介護職員待遇については、もう十数年前から介護じゃ食っていけないって言われてたのにその食を選ぶ方が悪いか自己責任。国が待遇改善とかを訴えるのは筋違い社会主義国家じゃないんだから施設裁量に任せるべき。待遇が嫌なら転職すればいい。人手不足が深刻化すればもっと技術革新も進むだろ。上手く行けば1人で5人、6人と管理できるようになるかも知れない。そうなればいいことじゃないか

 

なり手がいなくなると言う心配無用移民入れればいいし、そもそも日本人大学いけない人間が増えるし、工場とかの低学歴で働ける場所もなくなるから、受け皿としては介護しかなくなる。むしろ事業所側有利となって、賃金を下げる方向になるだろう。ただそれは個人努力不足なので国が保障するものでもない。

 

デスクワークブラックなら月の残業時間200h超えで残業代なしの時給換算最低賃金半分以下とか当たり前で、でもそれは個人努力不足で切り捨ててむしろ嘲笑すらされるのに、介護だけ特別扱いしろとかも気に食わない。

 

介護職は最低賃金で月200h残業代なしで働いてから文句言え。

twitterの医クラを中心とした反ワク叩きは罪深いな。コロワクに懐疑的な人たちで反ワクはむしろ少数派なのに。とにかく自分たちに疑いを挟む奴は取り巻きを使って嘲笑の的に持っていこうとする。コロワクの被害はまだこれからも拡大するだろうが、彼らはすべて因果関係不明にして逃げるんだろうな。

anond:20211220181345

コミカル容姿、要するにデブスだからこそ面白がられてテレビに出ている田辺さんやあんりやかなでがデブ、ブスと男性芸人から罵られることは一切と言っていいほどなくなっている

マジでカテゴリの女か「嘲笑う」と書く方のお笑いお笑いだと思ってる倫理意識の低い低脳しか支持してないよな

そのくせ他虐はダメってこっちがフラストレーション貯まる一方じゃないか

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん