はてなキーワード: 初恋とは
小学校の先生がなかなか嫌な(婉曲表現)先生で、何かにつけて「男のくせに~~するな」「男なら~~しろ」というのが口癖だった。私はその先生が本当に嫌で、誇張や比喩ではなく学校が怖くて夜にはよく泣いていたし、割と慢性的に自殺を考えたりしていた。そんな経験があったので、私がジェンダー論や性差別に興味を持つのはごく自然な流れだった。「女性になりたい」と思ったことや、「私はもしかしたら"男性"ではないのかもしれない」と思ったこともある。今となってはそれはトラウマや思春期による揺らぎの一種であったと認識していて、性自認に関しては私はシス男性だと自認しているけれども。
私の初恋は、とある絵本のキャラクターだった。絵本や児童文学を読みながら、キャラクター同士の親密な関係(カップリング)や、窮地に陥ったキャラクター(ヒロピン)などに触れて、何かいけないものを見ている気分で、こっそり楽しんだ。同級生達の、「どの女の子がかわいい」とか、「誰とそれが付き合ってる」とか、そういう話は嫌いだった。その頃から私はフィクトセクシュアルだったと思う。
当時放送していたアニメと言えば、『幻想魔伝 最遊記』とか、『しあわせ荘のオコジョさん』とか。テレビゲームだと『テイルズシリーズ』とか。そういうのを見て育ったオタクなので、「オタクたるもの、男でもBLくらい嗜んでしかるべし!」くらいに思っていたし、今でも思ってる。ちょうどニコニコ動画が流行った世代でもあって、(今の倫理観では褒められたことではないにせよ、)「ホモネタ」でケラケラ笑うのも楽しかった。
先にオタクになったのは私よりも兄の方だった。当時の私は兄を「ホモソーシャル(という言葉は当時知らなかったが)に親和的な人」と見下していたが、兄は兄で色々と思うところがあったと今では思う。兄はあまり頭が良くないので、私のように細かく言語化したりはしないが、おそらく私たちの世代の平均的な「オタク」だと思う。美少女と美少年が好きで、百合とBLが好きで、口では「恋人欲しい」なんて言うけど、内心エロゲで満足してる。そういう人。『ガンダムSEED』が「腐女子向け」と叩かれていたのを兄も知らないはずはないが、兄はそんなSEEDに心からハマっていた。『テイルズシリーズ』については私よりも兄の方がハマっていたから、いのまたむつみの美少年絵は兄の琴線に強く触れたのだろうと思う。
兄が好んだ「ちょっとえっち」な漫画やゲームを、私は内心見下しながらも、それは常に身近にあった。エロ漫画について伊藤剛先生が『MANGAの自由 平成から令和へ』の中で、「あんまいいもんじゃないだろうという感じで、手に取ろうとはしなかった。」と語っているけど、私もそういう感じ。読まず嫌いだった。でも実際にはむしろその中にこそ多様なジェンダーとセクシュアリティが描かれていることに気付いた。セックスをパロディし、時に嘲笑うことが、セックスを相対化するのだと。
少なくとも私にとって、ジェンダーやセクシュアリティの呪いから逃げられる空間が、オタク文化だった。
2ちゃんねる(今は5ちゃんねる)というのは、今も昔も治安の悪い場所だった。大学院生から「無敵の人」まで、全く知識・知能・倫理観レベルの違う人々が同じ空間で同じ顔をして過ごしている。まともな精神じゃできない書き込みなんていくらでもあったが、それはほんのひと握りの底辺の書き込みでしかなかったのだろう。そしてそんな底辺の書き込みの一つは「女性蔑視」だった。当時の私はまだ子供で、ジェンダーとセクシュアリティの話題に興味のある子供だったから、それがどうしても許せなくて、「論破しなければいけない」ものだと思い込んでいた。今思えばそれは逆効果だったのかもしれない。私が来る日も来る日も女性蔑視的な書き込みを「論破」しても、その勢力が衰えることは無かった。昨日論破したばかりの同じような書き込みを、今日も明日も繰り返すような、そんな連中ばかりだった。
しかし、ネット空間というものが、誰もが使う表の空間に成り下がると同時に、そうしたネットの闇はあっさりと自然消滅していった。厳密に言うと消滅はしていないが、その権威はもはや見る影もなくなった。犯罪や誹謗中傷は取り締まられ、多くの暴言も各種サービスの規約によって削除されやすくなった。何よりも、そのような暴言を吐くのは、少数の異常者であることが露呈した。
私は安堵した。しかし、そんな時代になっても、「表現の自由」を掲げて「フェミ叩き」を頑張っている人達がいるらしい。私は呆れた。非実在児童ポルノ騒動の時、表に立って漫画を擁護してくれたフェミニストの人々のことを忘れたのかと。
私はほんの少し、Twitterのフェミニストの人々と繋がってみた。とても勉強になる話をたくさん聞いた。その話は納得できるものが多かった。しかし、次第に違和感を覚えてくるようになった。その違和感がなんなのか、すぐに言語化することは出来なかったが、どうも彼らは「フィクションを性的対象とする」というセクシュアリティについて、全くと言っていいほど無知で、配慮がないどころか、むしろ憎んでさえいるのだ。恥ずかしながら私自身、「エロ漫画」や「えっちな表現」というものを読まず嫌いしていた時期もあるから、他人のことは言えないのかもしれない。しかし、ジェンダー論や文学を研究している大学教授などが、そうしたセクシュアリティについて全くの無知で、研究など出来るのだろうかと心配になった。そして怖くなった。現代の「ジェンダー論」というものは、そのような前提の元に立脚しているのかと。そして「エロ漫画は女性蔑視」のような前時代に封印したはずのトンデモ言説が、再び亡霊のように復活しつつあることを。あの「非実在児童ポルノ騒動の時、表に立って漫画を擁護してくれたフェミニストの人々」ですら、彼らが味方する対象ではなかった。
結局私は苦しくなってTwitterもやめてしまった。トランプが大統領に当選した時、オバマは「国の歩みはジグザグだ」と言った。もしもわたしが第三者の立場であれば、昨今のフェミニズムの暴走も、「ミソジニーに対する反動」として呑み込む事が出来たと思う。「今はまだ無知でも、時間が解決してくれる」と、民衆の成長を待つことができたと思う。でも残念なことに私は当事者だった。私は、性差別を憎む二次元性愛者の一人だった。
とにかく怖くて仕方がない。苦しくて仕方がない。そして、憎い。ああ、これは、かつて2ちゃんねるで女性蔑視の書き込みを見た時と同じ感情だと思った。
今では私は子供ではないから、もう少しだけ冷静に論じたいと思う。でも、行動を多少抑えることは出来ても、感情それ自体を抑えることは難しい。悔しいとか情けないとか。無力感とか徒労感とか。
2ちゃんねるで女性蔑視を批判した日々は無駄だったのだろうか。実際、無駄だったのかもしれない。でも、せめて、それをした私自身のことは誇りたい。誇りに思えるだろうか。彼らをのさばらせた責任の一端は、私にもある。
彼女と過ごしてるとき何をしてるか?ってのを考えてみると、けっこうな時間をGoogleマップを見ることに費やしていることがわかってきた
いまは遠距離恋愛状態なので、ほとんど毎晩通話をしてんだけど、そういうときには互いの家の近くの飲食店だったりスポットだったりをGoogleマップで見て、ここは気になるから今度行ってみようとか、行ってみなよとか、そういうことを言い合う
一緒にいるときにも、出かける先だったり家の周りだったりをGoogleマップで見て、いろんな場所のクチコミを読む
異常に評価の低いラーメン屋のクチコミを全部読む、みたいな楽しみ方もあるし、普通に行きたい店の情報を調べることもあるし、特定のチェーンがこの辺にはない!といって嘆くこともある
すげえ楽しいんですよね
実際Googleマップとかどうでもよくて、俺はもう、彼女と結婚したいんだ
結婚っていうか、法律婚なんかはどうでもよくて、なんなら事実婚もどうでもよくて、なんというか、一緒に過ごしたいですねと思う
この感情になるのは初めてだし、今後ほかの人にたいしてこういう感情を抱くか?っていうと、なかなか抱かないんじゃないかな
正直、うわ、この人めっちゃかわいいやんけ!って人は結構な頻度でいるんだけど、ゆっくり考えてみると、別に一緒に過ごしたくはねえなという結論に落ち着く
この傾向は昔からあって、6年間片想いした初恋の人とも、よく考えると一緒に暮らしたい感じはしなかった
ハグしたいとかチューしたいとか、そういうプリミティブな感じじゃなくて、一緒にスーパー行きたいとか川沿いを散歩したいとか、そういうようわからん欲求が彼女には向いている
なんの話かというと、彼女とGoogleマップを見るのがメチャクチャ楽しいんですよね
実際どうなんだこれ
皆さんもやってますか?やってるよね?
一緒に見なくても楽しいもんな
色々あれなので暈す
さすがに目無しだとはわかってた。卒業して一般人になったので、普通は完全に撤退するのだろうけど、ほんまに好きすぎてアイドルと一般人よりも一般人と一般人のほうがワンチャンあると思って、条令とかは破れないし、向こうが18歳超えるのをひたすら待ってる(エゴサしてくれたらすぐ見つかる)
今でも普通に会うんだけど、同年代のクズ男に引っ掛かっては騙されて(数万~数十万貢いでそこで貢がされてるのに気づいて)を繰り返してる娘。
最初に出会ってからもう数年経ってるけど、途中何度も冷めつつも(結局男居たんかい! とか、やっぱり金としてしか見られてないとか)、数か月会わないとかはあったけど、ずるずる続いてる。
馬鹿でお人好しで、凄く損する人生歩んでるんだけど、正直なのが好き。
お金払いつつ、いいように使われてるのはわかってるんだけど、見守り枠としての座をキープし続けてる
多分人生で一番好き(ワンチャンのワンチャンがノーチャンではない中で)
C)Bのこに見切りをつけようと思ってた時期に増田を救ってくれた夜のお仕事系のNちゃん
夜のお仕事系のこに入れあげても何にもいいことないって思ってしまった時(まあAのアイドルなんてもっと目無しだが)に出会った人。
全てを受け入れて包んでくれた。
コロナのせいでもう一度会えるかどうかわからない(新幹線で日帰り絶対無理なところの実家に帰ってしまった)けど、どん底から救ってくれた恩人
夜の仕事してる理由が専門学校行く(から学費貯めたい)っていうテンプレで普通に考えたら怪しさ満点だったけど、2年でも4年でも学費と生活費ぐらい出そうと考えてた。それを言いだす前に、実家に帰るって決めてしまった。
ちょうど、お別れのちょっと前がそのこの誕生日で(それに合わせて嘘誕生日の可能性も考えたけど)、何を贈るか、で、結局換金しやすい、強い石と強い金属のアクセサリーを買ってプレゼントした。
今思い出しても泣けてくるんだけど、意地で、「これつけていい?」って言われたけど、拒んで、結局身に着けてるところをみないまま
ダイアモンドだったんだけど、金剛石ってゆったから価値がわかってないかもしれないけど、最後のプレゼントとしてこちらとしては最善を選んだつもり。。
意地はって装着を拒んだのは、もう一回会える時に、その旨で輝くダイアモンドを見たかったから(もうデザインとか忘れたから、言われないと気づかないんだけど)
で、今繋がりがあるのはBのこだけなんだけど、3人とも平行してるっちゃしてるんだけど、全員好き、大好きだった(ていうか現在進行形)のだ
あと、近所に住んでる人妻的なセフレも好きというか、唯一増田に損得とか金勘定無しで接してくれるから妥協点とかいう以上に全然好きなんだけど、コロナ的なのの関係で全然会えてない
小学校中学校時代は顔が不細工だったのと、高校が男子校で全然モテなかったから、初恋とか好きな子は居るけどうまく行く可能性ほぼないっていう若い頃に比べたら、今(40代)のほうがなんとなく可能性というか希望だけはあるのが不思議で幸せ。
おっさんになっても意外とおっさん風貌が好きな若い女子とか、金とか性格(優しさ)で戦えるから、みんな諦めずに頑張って欲しい
増田も頑張る
馳星周先生のデビュー作『不夜城』のシリーズ第二弾。ゴリゴリのノワール小説だが、某BLレビューサイトによれば、本作を読んでBL沼にハマったという姐様もおられるようだ。
私は確か二十年前に本作を一度読んだ記憶があるんだけれども、面白かったという感想だけが残り、内容はほとんど覚えていなかった。闇落ちした劉健一のクズさ最高潮ぶりはぼんやり記憶していたのだけれど。郭秋生のキャラがかなり立ってるのに存在ごと綺麗さっぱり忘れていた、私の記憶力は一体……。
ろくでなしの警察官崩れ滝沢と、凄腕の殺し屋郭秋生のダブル主人公で、物語は秋生視点と滝沢視点が交互となって進行する。
郭秋生は、楊偉民の子飼いの殺し屋だ。暗殺の依頼を請負い、秋生は一年ぶりに歌舞伎町に戻った。いつものように卒なく仕事を片付けた秋生。ところが、楊偉民はいつものように秋生に逃亡先を用意してはくれず、歌舞伎町に留まれと命じた。そればかりか、楊偉民は秋生を歌舞伎町を支配する二大勢力のうちの一つ、上海の老板・朱宏と引き合わせた。朱宏の情婦のボディーガードとして雇われる事になった秋生。いつもとは違う仕事に戸惑い、不安を覚える秋生だった。
その少し後、滝沢誠は彼のボスである北京の老板・崔虎に呼び出された。崔虎の直属の部下である四大天王の一人・張道明が殺されたという。おそらくプロの犯行だった。だが、張道明の居場所を知るものはいなかったはず。すなわち、内部に裏切り者がいて、プロを雇い張道明を暗殺させたに違いない。崔虎は滝沢に裏切り者を探せと命じた。
初恋に囚われ続ける美貌の殺し屋と、ろくでなしの変態サディスト元警官。交わることのないはずだった二人の運命が、交差しようとしていた。
BL描写のある面白い小説を読みたいと思ったらむしろBLレーベル外から探せって事で、二十年ぶりに手に取ってみた本作。何となく面白かったなという記憶しか残っていなかったのだけれども、いざ読んでみたら本当に面白い。ものすごいページターナーっぷり。次はどうなるんだろうと気になってしまい、つい夜更ししてまで読んでしまった。
一般レーベルでのBLっぽい作品ということだけど、お互いに相手に恋し合ってイチャイチャするっていう訳ではなかった。まあ、非BL作品なんだから当たり前だけれど。
しかし、滝沢が秋生に恋に落ちるシーンとか、秋生の声を聞く、秋生に視線を向けられる、秋生と会話をする……その時々の滝沢の反応がめっちゃ乙女チックなピュアラブさかげんで、エモいの通り越して面白かったなw 複雑に絡み合う欲と謀略、大陸にまで及びそうな意外にもスケールのデカい話、とか、最終的にはどうでも良くなって来るくらいの一方通行ラブロマンスだったー! なにこれ。ごめんなさい、こんな時どんな顔すればいいのか、わからないの……………。笑えば、いいと思うよ……………。
滝沢は秋生をどうしようもなく好きなんだけれども、秋生は「正直どうでもいい(早くリタイアして犬飼って暮らしたい」っていうスタンスを崩さない。っていう、無情感が最高すぎる。実に萌えた。滝沢が恋する乙女モードの目で見た秋生は本当にカッコよくて、つられて恋しそうになる。
が、秋生が史上最悪のピロートークをする場面(無論相手は滝沢ではない)で、「日本にいてわかったんだ。おれはホモにもてる」と断言したせいで、脳内に固まりつつあった秋生のイメージ画像に亀裂が入った。ちょ、ちょっとまって。滝沢の乙女チックな秋生描写と世間一般の日本人の乙女に好かれる美男子描写は大体一致すると思うけど、ゲイにモテるとなるとだいぶ違くなる気がする。一体、どのようにイメージを修正したらよいの!? 女にもゲイにもモテる優男とは、どんな風な奴のことを言うのだろうか……。例えば昔のケイン・コスギみたいな人とか? いやでもそれはマッチョ過ぎないだろうか。てか、ケイン・コスギのことなんて、十五年ぶりくらいに思い出したな、私。
かなり脱線してしまった。ともかく、ストーリー展開の面白さを楽しみつつ滝沢の純愛についニヤニヤしちゃう感じで、感動して泣いたりとかはしなかった。
いい加減時効だと思うので吐き出してみる。
相手は年上の女性で、初恋だなんて書いているが知り合った時点で子供もいる人妻だった。
同じ漫画の話題でよく話してて、話がよく合う人だった。普段の日記も穏やかで優しい人柄が伝わってくるような人だった。
同人活動をしている人で、自分と知り合う前に何冊か同人誌を出していた。その人の描く漫画は特別上手いわけではなかったけれど、その漫画の解釈が自分とあっていて好きだった。影響されて自分も同人誌を描き始めた。
元々は自己満足程度の絵しか描いていなかったので、本にするまでには結構な時間がかかった。それでもその人からアドバイスを貰いながら少しずつ描き進めて、ようやく一冊完成させられた。イベントで本を出すことにした。当時の自分に下心があったのかはわからないけど、顔も知らない人だったので、イベントでその人と会えればいいなと思っていた。
結局その人には会えなかった。その人は第二子(第三子だったかもしれないが)を妊娠していて、イベントに参加できるタイミングではなかったのだ。
そのあと何冊か同人誌を出したしイベントにも参加したが、やはり生まれたばかりの子供がいると参加は難しかったのだろう。そこでも会えることはなかった。原作も完結してしまっていたので自分自身もそのうちにジャンルから離れてしまって、その後はその人とジャンルが被ることもなかった。相手が同性であればイベントと関係なく会いましょうと誘えたのだが、成人した男が夫のいる女性を誘うのはさすがにはばかられた。誘ったところで断られていたと思う。だからその人とはもう会える機会はなかった。
それからしばらく経って、ペアーズを始めた。何人かの女性とメッセージのやりとりで切られたときは特になんとも思わなかったのだが、直接会って何度かデートして、いいなと思った人から別れを切り出されたとき、その人の妊娠したという報告を見たときと同じような感覚を抱いた。胸の奥がギューッと絞られるような、それまで経験したことのない感情だった。
人妻相手で、顔も知らなくて、会ったこともなくて。失恋というのもおこがましい経験だけど、もしかしたらあれが初恋だったのかもしれないとそのとき思った。一目だけでも会いたかったと今でも思う。
マジレスする。
恐らく商業やイベントではなくデジタル同人だと思うので、その前提で書く。
最近は白黒の漫画でも売れるが、デジタル同人サイトの登録者的には、やはりフルカラーの方が人気だとは思う。
元々慣れているならともかく、「フルカラーの漫画」なんて異様に手間がかかって作るのが苦しいだけだと思う。
客側も、「フルカラーエロ漫画ってスペシャル感あるくせに、ページ数も少なくて結局いまいちだよな...」と過去の経験から学んでいるので、フルカラー漫画自体にはあまり覚えがよろしくない印象がある。
(自分が買う側になったときのことを考えるとわかりやすいカモ)
フルカラー漫画を出すなら、一度白黒で出して後からフルカラーでリメイクして再販するくらいでいいと思う。
(せこい、と思うかもしれないが大丈夫、世間はそんなにあなたというサークルに注目してるわけではない)
いくら表紙がよさそうでも、ボリュームが少ない場合、「数百円上乗せして何十枚も多い他のCG集を買った方が満足できるんじゃ...」と思うのが客側の心理だ。
(相手は数百円をぎりぎり買い詰める学生ではなく、ある程度余裕のあるエロ社会人)
CG集なら大体この値段とボリュームという相場があるので、まずはそれをチェックした方がいい。
(少ないボリュームでも売れてる作品はあるじゃん!と思うだろうが、よほど突出した才能のサークルか、大抵は既に何作もヒットを出している人気サークルだ)
CG集ならボリュームを増やすのも(フルカラー漫画に比べれば)ある程度簡単である。
ちなみに個人的には、エロの背景のイラストや小物に無駄に凝るより、その分エロ自体のボリュームを増やした方が客からは喜ばれるイメージがある。
白黒は、フルカラーのモザイク修正と違って「性器が線修正」でいける。
作者にとってこれは大きなアドバンテージだと思っている。
注意点としては、スマホで閲覧する客が多いので、あまり細かい絵、小さな文字、細かいコマは避けた方がいいという点。
見開きも多用しない方がいい。
また、「普通のエロ漫画」だと、やはりこれもインパクトが弱いと思う。
なんでも派手にしろというのではなく、「客のツボ」にはまるシチュエーションを事前にしっかり固めた方がいいということ。
よく言われることだが、dlsiteの場合は「触手などマニアックな性癖」が売れやすい。
FANZAの場合は、AVからの流れで「人妻などのAV的なシチュ」が売れやすい。
「どのようなシチュエーションにすれば、より多くのお客さんに興味を持ってもらえるだろうか」ということはしっかりと考えた方がいい。
出来ることはやったほうがいい。
実は「宣伝行為」も、作品作りの重要な一部だということをわかってほしい。
デジタル同人ではサイト内で事前に「作品の予告」を出せるのだが、そういう宣伝活動はした方が「絶対に」いい。
売上がどうこうという話ではなく、やはり多くのお客さんに見てもらえる方が「作者として単純にうれしい」からだ。
売上が低いことよりも、「あまり人に読んでもらえないこと」の方が寂しいのだ。
「事前の作品予告」「タイトル」「説明文」「サンプル画像」「作品のタグ」だろうか。
これらは作品作りと同じように力を入れた方がいい。
タイトルは、「揺籃の儀式」などと、あまり抽象的にしない方がいい。
作品を読まないと理解できないタイトルでは、誰も読まなかったら意味がない。
「地味な三つ編みセーラー服のあの子がイキまくり!放課後ラブラブ着床デート」
とかでいいのだ。
(ここまでではなくとも、作品の傾向やプレイに期待できるものがいい)
作品内の描写で迷ったときに「ラブラブ着床デートだもんな、こっちの方がいいか」となったりする。
他にも作品が腐るほど溢れていて、客はそれらと比較しながらあなたの作品を買うかどうか決めるのだ。
たった一行、「初恋の女の子とのセックスです」ではあまりに弱すぎる。
「三つ編みに射精して、亀頭で精子を髪になすりつける場面があります」
「ソックスは白です」と、
このように細かく書けば、客側も「うおーこれは俺の性癖にとてもマッチしてそうだ!ふがー」と想像力が広がり、作品を買いたくなるはずだ。
逆にこうした説明文もなしに、「よく知らん人のよくわからんエロ漫画」を数百円払って買うのかキミは、という話である。
エロ漫画を描くくらいエロにこだわりのある人間なら、自分がエロを買う場合にどれほど厳しく作品を選定していくか、よーくわかるはずだ。
他の客も同じである。
なんならフィニッシュシーンをサンプルに入れるサークルもある。
これも、別に何もフィニッシュをサンプルに入れろという話ではなく、「そういうサークルがライバル」であり、その中でいかにアピールをするかという話である。
余談だが、同人ではこだわりが強いあまり、「セックス前のストーリー」を詰め込みたくなることがある。
これはよほどうまくやらないと、客からはあまり好かれるやり方ではない。
そこでちょっとしたテクニックだが、そのセックス前のストーリーを「サンプル画像」に全部詰め込んでしまうこともできるのだ。
無料部分で見せているので文句を言われる筋合いもなく、客側も事前にサンプルを見ていればちょうどいい塩梅で読み流してくれる。
(それでも導入が長いとか言われたりするのだが)
このように、デジタル同人ならではの宣伝の仕方というのもあるので、ぜひ色々考えて活用してほしい。
ありきたりなワードではなく、なるべくニッチでこだわりが伝わりやすいものを採用した方がいい。
母乳ものであるなら、おそらくみんなも使うであろう「おっぱい」「巨乳」タグより、「甘々」「膝枕(こんなタグはなかったかも)」とか他の重要なワードを入れた方がいいと思う。
※※注意!
ただし、デジタル同人サイトが行う「割引キャンペーン」というものが年に何回かあり、自動で「巨乳」などの(割とありきたりな)タグのついた作品が割引になることがある。
割引になると特集欄に掲載されたり、専用の検索ページに一覧で表示されたりと、客の目に留まる機会も増える。
もしそれを期待するなら、あえて「ありきたりなタグ」を一つくらいつけておくのも手だと思う。
※※
商業作家が作品を出しても、「あの有名作家なのにこれしか売れないの?」という状態なのはよくある話だ。
他にもごまんとエロ作品がしのぎを削る中で、「いかに自分のエロ作品を読んでもらうか」ということを工夫していく世界だ。
また、それが楽しいのだ。
作品のアピールを工夫するだけで、届けたい人にばっちり作品が届く喜びがある。
是非素晴らしい作品をつくって、客(同人仲間だ)と楽しみを共有して欲しい。
個人的には、こうした「宣伝」の作りこみも含めてデジタル同人の面白さだと思っている。
とにかく、「自分の作った作品はいい作品なんだ、買ってくれたら何度も抜きたくなる最高のエロなんだ!」と信じて、恥ずかしがらずに高らかにアピールしてほしい。
それをしないのは、もったいない。
そして、自己アピールをするためには、やはりシチュエーションや「売り」を意識して作らないと難しい。
デジタル同人のサイトを眺めて、「この中で自分のやりたいエロをどう見せるか」という部分を考えた方がいいのではないかと思う。
バカはどうにもならない。
顔の美醜なんかどうでもいいこと。
他人として眺めて嫌悪感がわくような造形でなければそれ以上はどうでもいい。
ちょっとやそっとのブサイクなんか全然OKだけど「初恋、ざらり」の男版みたいなのはきつすぎる。一番避けるべきやつじゃん。
さらには新しい情報とか取り入れてきて勝手にやりはじめて生活を積極的豊かにしたり明るくしたりするところがあるかどうか。
自分と同等以上にそういう知性があって、自分と違う視野や考え方を持った自分として頼りになるかどうか。
自分の情緒感情を客観的に眺めてコントロールする(人に助けを求めることも含む)ことが出来るかどうか。
これが出来る男こそ価値があって美貌なんかマジでどうでもいい。
だから私は自分の夫を愛してるとか尊敬してるなんてありきたりな言葉で表現できない。そんなのすごく安っぽいし別の意味になるんだよね。
私はまだ結婚してない友達から結婚相手や彼氏について相談されること結構ある。
いつも「あんたそいつが女だったら親友として付き合ってる?ノーならやめとけ」って言う。
この選び方だと候補が激減する代わりに失敗は少ない。
たとえば話し合いになった時に不機嫌になったり怒ったりするやつ、そんな低レベルなやつ友達には出来ないのに異性なら許容しちゃってるやつがいる。それおかしくね?っていうこと。
自分でなにかに取り組んでてこの人と話すと明るくなるな元気もらえるなってやつと友達になりたいでしょ。なら異性だってそういう風に選べよってこと。
頭さえよければブサイクとかインキャとかそんなんどうでもいいこと。30過ぎたらそれくらいわかれよと。
障害とか自閉症の人は気の毒だと思うし社会的に救われてほしいと思う。けど頭が悪くて感情に客観的でなくて人生のパートナーにならんって人を配偶者にはしたくないでしょ。冷静に考えたら。
もちろん後天的に事故とか病気でダメになる可能性はみんなにあるけど、一旦結婚したからにはそれを支えるってことと元からダメな人を選ぶかってのは別のことよ。
マジで頭いい男がたくさんいる場所ってどこにあるんだろうな。私の夫は兄の紹介だった。後輩が結婚したがってて変な男だけどお前に合ってるかもしれないと。すごい合ってた。
「尊敬」って「性欲」から一番遠いところにあるってマツコが言ってた。
「尊敬してる相手にチンコ入れて腰振るなんてできるわけない」と言ってる奴もいた(多分誰かのブコメ)。
で実際『初恋、ざらり』みたいな軽度知的障害女を嫁にしようとしてる奴って何より性欲を最優先してるわけだし、
逆にこの増田は正しいんだけどこの基準で女選ぶと別途セフレが必要になる(可能性がある)よね。
それはそれで厳しい。
物を捨てるのが好きだと思う。
ボロボロになった服や完全に故障した家電を捨てる時、楽しい気持ちになる。正しい方法で新しいものに買い替える事ができるから。
厳密に言えば新しいものを買うのが好きなのかもしれないが、同じものを2つ所持したり壊れてもいないのに買い替えるのが嫌なタチなので結果捨てる時にワクワクする。
職業柄引っ越しが多い事もあり、所持品を少なくしたくてお気に入りの本も全部電子書籍にした。CDもサブスクを使うようになってほぼ捨てた。
そういう風にスペースを整理できた時もワクワクする。データは将来的に失われて云々とかよりも現状のスペースが重要だと思う。
そんな自分でも捨てられないものがあって、まぁ、単に言えば思い出深いもの。
子供のころお金貯めてはじめて買ったCDとか、部活を引退する時に後輩から貰った色紙とか、死んだばあちゃんが最後に買ってくれた謎の置物とか。
でも思い出って年を取れば取るだけ増えていくし、古い思い出が要らなくなる事もないので段々ものも増えていってしまう。
そうして毎年断捨離をしようとするたびに、これは捨てられない・・・を繰り返してちょっと恐怖に陥る。このままでは思い出の品に埋もれてしまうのでは?!
思い切ってそういう品を捨てた事もある。
小学生の頃、初恋の女の子に貰ったキーホルダーをまだ持っていてたまに眺めるという話をしたら大層キモがられたので捨ててみたりした。
のだが定期的に捨ててしまった事を後悔している。なんだかんだたまに眺める事が拠り所だったのかもしれない。
そんなに大事なものなら捨てなきゃいいじゃん、と言われてその後は取り戻せなさそうなものは取っておいているのだが、やっぱりいずれこのままでは思い出に埋もれてしまう気がする。
卒業アルバムとかも全然捨てられないものの一つなのだが、周囲に尋ねると全員「捨てた」と言うのでやっぱり自分がおかしいのだろうか。
みんながずっと言ってた恋愛ってやつってこれかー、って、全てのことに周回遅れで納得がいってる。
ほんとにドキドキするし、ずっとすきな人のことを考えている。
すきな人は寡黙で人見知りで人付き合いがあんまりうまくないけど、ものすごく優しいので慕われている。
だからたぶん友情とかに飢えてて、わたしは下心しかないけど、ずっと話しかけていたら仲良くなれた。
すきな人は酔っぱらうと私のすぐ近くに座ってくれて、話したそうにしてくれるので、大変かわいい。
左肩がちょっとだけ触れてても逃げたりしないのが嬉しい。
すきな人に手を出したい。
無理やりでもものにしたい、と思うことがあって、自分でかなりびっくりしている。
男じゃなくてよかったと思う。
私はフィジカルですきな人に絶対にかなわない。見ただけでわかる。どう見ても私は貧弱で、筋肉と脂肪の割合が半々くらいじゃないかってくらい、腕とか脚とかぷにぷにしている。
まずもってすきな人のことを抑え込めない。馬乗りになっても秒で振り落とされて終わりだ。
殴って怯えさせておとなしくさせるのも無理だ。
貧弱な人間が蚊の鳴くようなパンチをしてきたところで逆上するだけだと思う。
それでよかったと思う。
自分の理性なんてまるで信用できないから、綿密な計画でも立てない限りそういうことができない貧弱な人間でよかったと思う。
恋愛の最悪なところだと思うが、好きなひとを傷つけたくないわけではない(むしろ、わたしが原因で傷ついたり動揺したりしているすきな人をたくさん見たい)。
でも、すきな人に憎まれたくない。
好きで好きでしょうがなかったけど、パリンパリンの童貞だった自分には彼女にアプローチを仕掛けていく術など無く、「彼女に触れたい」という思いはいつしか「彼女が触れたものに触れたい」という気持ちに転化して、必然的に変態行為に走ることになった。
しかし変態行為が彼女に発覚してしまってはすべてが終わってしまう。表面ではあくまで紳士的にふるまいつつ、悟られぬように事を行わなければならない。言ってみれば変態紳士だ。
手はじめに、蔵書整理の時に彼女が使った軍手を持って帰って匂いをかいだ。ホコリの匂いがした。
それからおもむろに股間にはめてオ○ニーをしたが、終わったあとはものすごい罪悪感におそわれて、彼女をそういう卑猥な対象にするのはやめようと思った。ホコリまみれの軍手をはめたせいで股間に雑菌が入って大変なことになったが、天罰だと思って耐えた。
彼女が使っている髪留めと全く同じものを買い求め、こっそりとすり替えて匂いをかいだ。ゴムの匂いがした。
もっと強く嗅げば彼女の匂いがするかもと鼻の穴にねじ込んだら、奥まで入りすぎて勉強机の上に嘔吐した。親から勉強のしすぎでストレスがたまったかと疑われて検査入院させられたり、いない間に机の掃除をされて秘蔵のエロ本が軒並み廃棄されたが、天罰だと思って耐えた。
ある夏の日、彼女の水泳バッグが準備室に置いてあった。準備室には自分ひとり。逡巡の後バッグを開けて顔を突っ込んで、思いっきり匂いを吸い込んで元に戻した。塩素の匂いがした。次の日の水泳の授業の時にそのことを思い出して勃起してしまい「勃起ング」という不名誉かつ月並みなあだ名をつけられたが、天罰だと思って耐えた。
放課後の貸出カウンターで彼女は私物の本を持ち込んで読んでいることが多かった。図書館にはこんなに蔵書があるのに、それ以外にも読む本があるとは!との畏敬の念と、集中して本を読むその横顔を眺めるのに夢中でついぞ声を掛けることなどなかったのだけど、勇気を出して何を読んでいるのか聞いてみた。尾崎翠の「第七官界彷徨」だった。もう何回も読んでいるから興味があるなら貸すよ、という申し出に一も二もなくうなづいて借りて帰った。
自室で正座して本を広げると、わずかに花のような香りがした。劣情を催すよりも、どうしてお互い図書委員で本が好きなのは分かっているのにこういう普通の交流が思いつかなかったのかと、自分の浅はかさに慟哭した。
一週間かけて何度も読み直し、いかに素晴らしい本であったかを控えめかつ熱意をこめて感想を述べると彼女は微笑んで「気に入ってもらえて良かった。今度は君のお気に入りの本を貸してね」と言った。
しかし自分は吉川英治や山岡荘八などの時代小説しか読まないうえに、自分で本を買う金を惜しんで図書委員になっているくらいだったから蔵書というものもなく、あれこれ悩んでいるうちに受験シーズンとなり貸出業務のローテーションから外されて、彼女に本を貸す機会にはついに恵まれなかった。
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彼女は女子高に進学し、それから全くの音信不通となった。クラスも違えば共通の知り合いもなかったので、彼女がどこで何をしているのか知らないままに僕は大学を出て地元に戻って就職した。
働き始めて1年たってようやく気持ちに余裕が出てきたので、久しぶりに本でも読もうと市の図書館へと足を運んだ。何冊か物色して貸出カウンターに行くと、そこには彼女が、当時の面影を残したまま、いや、それよりもだいぶ/かなり/相当きれいになった彼女がいた。
「「こんなところで何やってんの?」」
貸出の手続きを終えて「それじゃあ」と言って図書館を出た後、しばらく外のベンチに座って頭の中を整理して、もう一度貸出カウンターに向かった。
「どうしたの?」
「裏にケータイのアドレス書いてるから、時間があるときにでもメールちょうだい」
と言って返事もまたずに家に帰った。本当は、
「借りるのを忘れた本があるんだ。君という一冊の本を。あの時読みたくて、読めなかった本。貸出期限は無期限で頼むよ」
と言うつもりだったが、言うのをやめて本当によかった。言っていたら多分、天罰だと思っても耐えきれなかっただろう。
幸いなことに彼女からはその日の夜すぐにメールがあって、何度かのやりとりの後には映画に行ったり美術館に行ったりして、なんやかんやあって今年の秋、彼女と結婚することになった。
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中学高校大学と、華やかで彩られた学生生活とは無縁の人生を過ごしてきたけれど、人間地道に真面目に生きていればいいことが起こるんだなあと、しみじみ思っている。なので、現在のところ暗い学生生活を送っている人も、自暴自棄にならないでいい感じに頑張るといいと思う。
それと、件の変態行為については彼女は全く気がついていなかったようだ(勃起ングという不名誉なあだ名は伝わっていたけれど)。そのおかげで今の生活があるのだと思うと、変態行為を行うのは男として仕方のないことだけれでも、あくまで紳士的に、相手になるべく迷惑のかけない形で行うのが良いよ、と伝えたくてこの文章を書いた。今では思う存分、彼女の脱いだ靴下や下着の匂いを嗅いでいます。
初恋の人の家族が出てきた。初恋の人とその母親が口論している。初恋の人がなんでお父さんと離婚したんだよ!!!と泣きながら怒っている。それに逆上した母親が初恋の人とその父親をナイフで刺してしまう。命に別状はなかったが重体だ。
という夢。
生まれて数十年が経つが初めて人が死にかける夢を見た。しかもそれが初恋の人の家族で登場だなんて。なんか怖くなって速攻調べたら吉夢ぽくてよかった。というか夢でよかった。どうやら自分の理想の相手が変わった暗示らしい。確かに当たっている。今好きな人がいる。初恋の人とは家族ぐるみで仲が良かった。相手のいとことも親しいくらい、家族同然の付き合いだった。お互い惹かれあっていた幸せだった私の初恋。親同士が揉めたらしく、自然消滅してしまったが風の噂で私の両親と彼の両親が離婚したタイミングがほぼ一緒だったらしい。私と彼はよく似てるよねと回りから言われるくらい似ている要素を持っていたから、そんなシビアなことまで似てしまうのかと笑ってしまうくらい、何年経ってもたまに思い出す、忘れられない最初で最後の初恋の人だった。
ついにその初恋の人と決別する日が来たんだなと夢から覚めて思った。これからも彼が初恋の人であることは変わりないし、続いていくが、私の理想の男性像が彼のような人から違うものに変わっていく、というのが不思議であり、同時に解放感もあった。今の好きな人とこれからどうなるか分からないが、私の人生にアクションをかけてくれたのは間違いない存在だから、この先どうなったとしても感謝するのだと思う。
準備はできていた
叶わない恋を血液の隅々まで行き渡らせて腐らせた挙げ句の果てに
もし万が一自分の死がニュースになれば彼女も自分の存在を知るかもしれないと思った
それくらいに浅はかで人生を占めた恋だった
いざ死のうと思って誰もいない海岸に座っていた
自分は大失敗したが万が一真似しようと思う人がいたら困るからな
私の笑いの基本はよしもとではなくイノッチだ
ニコニコでトレスされまくる前から修学旅行は擦り切れるほど見た
それだけだったらきっと死ぬことを思いとどまることはなかっただろう
だけど、私はオタクだった
その当時V6は既に2年に1度新曲を出せばいいほどの活動量に落ち着いていた
そしてその新曲はフラゲ日前でもわかるほどものすごく、良かった
今自分が死んだら、母は一生この曲を楽しく聴けなくなってしまうだろう
そのことは容易に想像できた
オタクだからこそ久しぶりに出る推しグループの新曲の重みがわかってしまったのだ
だけど私は自惚れか気の迷いか、私が死ぬことで母はV6の新譜を楽しめないと思ったのだった
そのことは私の中のオタクとしての理性を呼び覚ました
それでも、オタクとしての本能が「母のフラゲを邪魔してはいけない」と叫んだのである
これ以上細かく描写すると怖いので伏せるが、
色々な親切をもとにびしょ濡れの私は見事に生還した
母はきっとこのことを知らない
私はもうフラゲ日の心配も、私の死がそれを妨害することを心配することもない
私のことを母がどれくらい愛しているのか、
そんなことよりも確かなことは
それだけを今、ここに残したかった
26年、本当にお疲れ様でした
どうかみんな幸せで