はてなキーワード: 冷戦とは
物語や設定が変わったときに「ポリコレ」という軸で是非を考えてんのがおまえじゃん。
つまり、新キャラが白人だったら、それをフラットに見てそのキャラが好きかどうかを判断するだけなのに、
新キャラが黒人だったら、キャラが好きかどうか以前に「ポリコレのせいで元の設定を歪めて黒人を出したんだ」と認識してしまう。
新キャラが黒人でも白人でもオモシロけりゃいいが、しかし現実には特定の思想の元にキャラが動かされてるんだよ。
例えば黒人は悪党にならない(最近はチャイニーズも割とそうだ)、仲間内に同性愛者が絶対いる(明らかに10%より多い割合の同性愛者)とかな。
それは冷戦時代の「敵はすべてソ連」みたいにべったりとこびりついてる。
それだけならまだしも、旧キャラの設定に「LGBT」とか書き加えることすらする。
ゆるキャン△がアニメ化されて最初の秋だ。当然これから冬だ。道具をそろえるには十分な時間だっただろう。ゆるキャンをあしらったキャンプ道具もしこたま発売された。それらを買い揃え、さぁ、冬キャンプと意気込む気持ちはよくわかる。
だが、そこでいったん待って欲しい。できれば原作6巻を読んで待って欲しい。読み終われば冬キャンプについて理解が深まるだろう。これからのキャンプ、とりわけ冬キャンプはゆるキャンというよりは、ゆる八甲田山だ。最近きのことりで落命する事件の報道が相次いでいる。そこで疑問を持って欲しい。どうしてキャンプでの死亡事故は報道されないのだろうか、と。
答えは珍しくないからだ。過激な冬キャンプといえる冬山登山の事故はまま報道される。なぜなら冬山登山は事前に手続きが必要だからだ。保険も加入が義務付けられている。だがキャンプには事前に提出する書類も保険もない。
そんな危機感から、これからゆるーくキャンプを楽しむ、適当にキャンパーになる道を適当に書く。
しまりんにあこがれてモンベルムーンライト3型を買った貴兄らにはもうしわけないが、まずはスリーブ式テントがよい。部品がすくないこと、テントそのものは一体型であること、なによりペグがいらないからだ。吊り下げ式はペグ打ちが必要で、これが設営のコストのほとんどを占める。痛いし。なでしこみたいに「いたっ」では済まない。最悪もう帰るまである。
旧式のかわいくもない、リアルな熊が使われているムーンライト3型ならまだしも、今年生産のムーンライト3型を買ったのなら、まず自宅そばの公園で設営を最低5回はしてほしい。新しいテントはなにもかもが硬い。フライシートは重いし硬い。幸いにして「テント設営禁止」と書かれた公園をみかけないのでなんら問題はない。ないんだ。スリーブ式なら条件さえあうなら自宅の庭、ベランダとかでも設営練習ができるのだが……。
スマホで写真を撮りながら、ひとつひとつ設営する。後片付けは写真を見ながら。はっきりいってキャンプの片づけほど面倒くさいものはない。しかしそれすら楽しくなってくるときは来る。しかし、それは今じゃないんだ。
照明、テーブル、ガスコンロ、クッカーなどなど。まずは自宅で使ってほしい。特にそこのメイフライチェアを買ったお前、いますぐ組み立てて使うんだ。お前の体重を支えられるかチェックしろ。
これは先のテントと同様で、片付け方を理解しておくことが重要なんだ。とっとと片付けられるかがどうかが、またキャンプに行こうと思えるかの分水嶺だ。
もうシュラフを買ってしまった君。いますぐ出して寝る練習をしろ。新品のシュラフは硬い。暖かくないんだ。また寝るのに慣れが必要。自宅でシュラフで寝るのならなにも問題はない。できれば窓をあけて外気と同じ温度にして寝るとよりよい。しまりんのように枕を作るテクも身につく。すぐにしまりんにはなれない。
いきなり山梨に行ってはならない。まずは自宅もよりのキャンプ場で。しかもできればデイキャンプを繰り返してほしい。山梨で生まれ育って体が順応していなければ、あの標高と気温、天候の中でのキャンプは難しい。いきなり山梨でキャンプをしようとしても、おまえはハッピードリンクショップの前ででみにくくしぬだけだろう。山梨はメキシコより過酷なのだ。真の男ならまずみぢかなキャンプ場からだ。
普通免許があり、東京都近く暮らしでない貴兄らはビーノではなく車中泊もかしこい選択だ。レンタカーで十分。さすがにラシーンは借りられないがハスラーがある。レンタカーなんて追加の星5サーヴァントを引き当てるのに比べればずいぶん安くで2日借りられる。いろいろあって道の駅では泊まれなくなってしまったが、事前に場所を探さなくてもどこぞで1泊は簡単だ。車なら2日がかりで苺の雫、小作、おもろカレー、うなぎ、しぐれ焼き、さわやか、はくさいを廻れるぞ! クリキャンなみに太れ!
それでも冬にソロキャンを望むのであれば、自分をしまりんではなく、スネーク、いや、ビッグボスだと思い込んで欲しい。ゆるシャドーモセス。ゆるコスタリカ。ゆる冷戦。それこそソロキャンのいろはは最新7巻でしまりん様がご説明くださっている。トイレ情報ほんと大切。要ハサミだ。性欲をもてあます。
非正規空母はある。要するに最初から空母として建造していない空母は全て非正規空母だと言って良い(ただし、日本海軍の類別に従う場合に限る)。
空母は任務別・設計別・役割別に異なる名称で呼ばれることがあるので混乱する
当初から航空母艦として設計された戦闘用艦艇のこと。日本海軍独自の言い方。
既存の戦闘用艦艇、または、商船から改造された航空母艦のこと。日本海軍独自の言い方。
フューリアス(大型軽巡洋艦から改装)や赤城(巡洋戦艦から改装)、神鷹(貨客船から改装)はこれに該当する。
現代には存在しないが、『かが』などの全通甲板型DDHが固定翼機の運用能力を獲得したら、事実上この類別として扱われる可能性がある。
飛行甲板を乗っけた輸送船。
格納庫は無い、と言われると驚くかもしれないが、これでも商船にカタパルトを乗っけただけのCAMシップよりは良かったんだ。理由……は書く必要ないよな。
現代には存在しないが、フォークランド紛争で王立海軍が運用したコンテナ船をこれと見なすことは出来るかもしれない。
アメリカのニミッツ級、フォード級、そして、フランスのシャルル・ド・ゴール級のみが該当。
ロシア海軍が原子力空母と原子力駆逐艦からなる原子力艦隊の整備を計画している……が果たして可能だろうか?
また、中国の003型は原子力となる予定。彼等は原潜を運用しているので、ド・ゴールと同じく原潜用原子炉を転用する方法を採れば建造は可能だろう。
飛行甲板を装甲甲板化した航空母艦のことで、第二次大戦期特有の類別(というか、現代の空母を指して装甲空母なんてわざわざ言わないだけだが)。
急降下爆撃で用いられる中小型爆弾に対する抗堪性が得られる代わり、トップヘビーとなるために格納庫を小さくせざるを得ず、同時期の空母に比べて排水量の割に搭載機数が少ない。
ハバクック計画(または、ハボクック計画)で建造予定だった航空母艦の俗称。
大西洋の戦いで空母不足に直面していた王立海軍が、カナダから切り出した氷塊を海に浮かべて空母を作ろうとした計画。
後に氷塊では無く、パイクリートと呼ばれるおかくずと水を混ぜた液体を凍らせた氷を使うように計画変更された。
膨大な予算と鋼鉄の消費が見込まれ、また、アメリカが山ほど護衛空母を作ってしまったり、レーダーの性能向上などの影響もあって不要と判断され、計画は放棄された。
テレビ番組『怪しい伝説』でパイクリートの再現実験が放映されている。一見の価値はある。
冷戦期のアメリカに20年ほど存在した攻撃目的の空母を指す類別。
後にCV/CVN(多目的航空母艦/多目的原子力空母)になった。
冷戦期のアメリカに20年ほど存在した対潜目的の空母を指す類別。
一線級機を運用できなくなった旧式空母は軒並みこちらに割り当てられた。
後に類別は無くなったが、それはこの種別に該当する空母が軒並み廃艦やヘリ揚陸艦に改装されたため。
ほぼ商船構造。いわゆる週刊空母はこれ(エセックス級みたいな立派な空母はアメリカといえども隔月刊でしかないよ)。
アメリカが冷戦期に計画した廉価な艦艇。計画は勧められたが、強襲揚陸艦に吸収される形で消滅した。
その面影はスペインのプリンシペ・デ・アストゥリアスと、タイのチャクリ・ナルエベトに残っている。
CV(航空母艦)ではなく、IX(雑役船)として就役していたアメリカ特有の区分。
Uボートや日本海軍の攻撃を受けない安全な五大湖で空母搭乗員を育成するために、五大湖用の客船を改造して用いられた。
第二次大戦の影の殊勲者。
ウルヴァリンなど。
1959年から1992年まで、空白期を持ちつつアメリカに存在した。
一線級機を運用できなくなった退役空母を訓練用途に割り振ったものである。
なお、空白期の1971年から1978年までは、CVTという別艦種が存在している。
何故なら強襲揚陸艦の主兵装はあくまでも海兵隊であり、主任務は海兵隊の上陸であるため。
搭載する固定翼機はS/VTOL機であるハリアーIIかF-35B。
ヘリやオスプレイなどの輸送用艦載機を搭載せずにS/VTOL機を主に搭載する制海艦的な艦載機編成もある。
このため飛行甲板ではなく、水上に着水した水上機を引き上げるためのデリックを持っている。
航空巡洋艦は歴史上2種類存在していて、1つは既存の巡洋艦を改装し、比較的多数の艦載機の運用能力を付与した艦である。
もう片方はソビエト海軍・ロシア海軍が現在も運用するアドミラル・クズネツォフと、キエフ級。
前者は日本海軍の最上型で、前甲板の主兵装はそのままに後甲板を飛行甲板化している。類型に伊勢型航空戦艦がある。
似たような重巡・戦艦級の主砲を持ちつつ航空機運用能力も持った艦は戦間期にはアメリカなどでも計画されている他、モスクワ級やしらね型などの汎用艦よりも艦載機運用能力が高い現代戦闘用艦艇はこの系譜とみなしても良いかもしれない。
後者はモントルー条約との兼ね合いと、ソビエト海軍の戦略上の問題で大型対艦ミサイルを搭載した航空機搭載巡洋艦として就役した。
※モントルー条約は勘違いしやすい。まず、空母は名指しで海峡通過を禁止されているわけではない。
空母の海峡通過が事実上禁止されているのはArticle 10とArticle 11、Annex IIの合わせ技による。
Article 10では、如何なる国家に所属するのであれ、マイナー戦闘艦艇と補助艦船の自由通行権を認めている(ただし、Article 14によって15,000tに制限される)。
Article 11では、黒海沿岸国は『主力艦』であれば、トン数の上限無く通過が可能であることが記述されている。
Annex IIでは、航空母艦は『主力艦』、および、マイナー戦闘艦艇とは別枠として扱われている。
このため、如何なる国家であれ、航空母艦の通過は不許可になると解釈できる。
ちなみに、空母の定義そのものは1936年ロンドン海軍条約に依っており、『航空機の運用を主目的とする戦闘艦艇』である。このため、水上機母艦も含まれる。
ソビエト海軍・ロシア海軍のアドミラル・クズネツォフとキエフ級は大型対艦ミサイルを搭載し、『主力艦』の定義の一つである10,000t以上の水上戦闘艦である、と主張することによってArticle 11の対象として海峡を通過できるようにしている。
また、ソビエト海軍には対艦ミサイルを搭載できる水上戦闘艦艇が少なく、条約抜きにしても両艦級は対艦ミサイルを搭載した可能性は高い(例えば、9月に舞鶴に来たウダロイ級のあの大げさなミサイル発射管の中身は対潜ミサイルであり、IIRC、対艦ミサイルは搭載できない。あのサイズになっているのはミサイルの下に対潜魚雷をぶら下げているため)。
最も非正規っぽいのはMACシップだと思う(名前的にも、来歴的にも)
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IXとAVTを追加
氷山空母を追加
「切り替わるタイミング」は決まっているものではなく、社会情勢や社会通念の変化に依る、以上のことは多分言えないです。曖昧な言い方で申し訳ないが。
安全保障論(と言われてもぱっとわかりづらいかもなので、ざっくり「国家同士が戦争をしないためにどうしていけばいいか」に関する理論、くらいに捉えてほしい)辺りを例に挙げると、安全保障モデルは時代によって様々に移り変わっている。
「ある一つの国が別の国々を支配下に置くことで一つの秩序を構築し、結果戦争は起きない」という理論。帝国主義的な考えの理論は、そういった国々が沢山出てきた結果いくつかの国々による権力の均衡関係で秩序が保たれるという理論が生まれる。
しかしそれらはしだいに米ソ冷戦での軍事力の肥大化と相互抑制を生み出し、キューバ危機を代表とする潜在的な戦争の恐怖を生み出したため、それは流石にまずくね?という話になる。
結果、2国間だけの均衡関係でなく多国間での協調を重視したり、軍事力ではなく経済協力や経済制裁による均衡関係を生み出すのが得策、という話が出る。
まあ、曖昧な言い方だし、結局は現実の追認として理論を後付けしているだけなのではないか、という批判は絶対にあるし、それは一面において正しい。
じゃあ、現実問題社会現象をどのように説明することが「正しい」のか、という問題に関して、絶対的な答えは存在するのか、という話もまた存在する。
正解は存在しないけど、正解を求めづつけることで発生する諸運動が、世界の在り方を「より正しい方向(≠絶対的な正解)」に近づけていくのではないのか。
そういう試みそのもの、「その試みによって生まれるもの」ではなく「その試みそのもの」が社会科学の価値なのではないかと思っています。
教育勅語のことが話題になっているけど、教育勅語の内容の是非について議論してもあまり意味はないと思う。
負けた以上は、それ以前の日本という国の国体や社会の仕組み、価値観などを捨てなければならないということである。
(私も含めて)今の日本人は、1945年以前と1945年以後の日本は全くの別物だと思っている。
とは言っても君が代や国旗は戦前と同じままだし、首都も東京のままである。
天皇は人間宣言を行って、神に等しい存在から国の象徴になった。
まあGHQの思惑や、冷戦が始まっている当時の世界情勢の影響が大きいんだけど。
このように、1945年以後の日本では、戦前と比べて変わったものもあれば変わっていないものもある。
では何を変えるべきで何を変えるべきではないか、と言うのは議論の的になるだろう。
「天皇家の扱いはどうする?」
問題の教育勅語であるが、1948年に衆議院が「教育勅語等排除に関する決議」をして、新しい教育基本法にその機能は引き継がれている。
1980年台頃までは国が借金と、税金で国の資金循環を制御していたケインズ主義。まあ、法人税、累進所得税も高かったが。
1980年に冷戦崩壊でマルクス主義が消えたが、ケインズ主義も実情ガン無視自由にしたらいいという新自由主義に乗っ取られてしまった。
政府が大きくなるから、官僚主義非効率の側面はあったが、税制までフラット税制にしたのは良くなかった。
で、金の量、金の回転数ガン無視、景気をズルズル悪化、それでも金回り完全無視で財政均衡が~ということで何度も地獄のどん底に。
金の量を見るようになってちょっと改善し始めているが、金の回転数はまだまだ見ていないから吹き上がりが弱い。
だけど、金の回転数を落とすのは富裕層と企業なので、このあたりにベッタリの奴らは手出しできない。経団連共がこの期に及んで設備投資に使わんのに法人税下げろーと叫んでる。
自民もだいぶそれに押されてる。
野党もたまに内部留保課税(希望の党)や法人税、累進所得増税(立憲民主党、共産党)に口出ししてるが、なぜそれが良いのか理解してないから、
翁長県政時代の流れを見ていれば辺野古への基地建設が遅らせこそすれ止めようがないことは誰だって少しは分かる。(そんなことは誰も口には出さないだろうが。)
それでも、玉城候補はおそらく事前の予想より差をつけて当選したことになるだろう。
自民の支援を受けた佐喜真候補は辺野古を争点にすることを避けた。或いは、受け入れることを明言して、論戦になれば、選挙戦の展開はまた変わっていたのではないか。
基地問題と一言で言っても普天間以外にも、嘉手納や名護だって基地や関連施設は存在するし、辺野古に移せば沖縄から米兵がいなくなるわけではない。
結局のところ、本当に米軍とその基地から生ずる沖縄の歪みを解決するためには、行き着く先は日本とアメリカ、その関係のあり方を問いただすほかにないのだ。米軍の傘の下冷戦にあっても経済の発展を成し遂げ平和を享受してきた日本にとって、あまりにも難しい問いかもしれない。沖縄県民だってその傘の下で生きてきたことは事実だ。
それでも我々はメッセージを発してきたし、これからも発し続けていくのだろう。我々の訴え方にもおかしなところもあるように見えるかもしれないが、それは県民それぞれの心のうちにも葛藤を抱えていて、立場が変われば抱える事情も異なるからこそである。
長い愚痴。
22歳の女。私って生きている意味がないなとつくづく思う。
まず仕事。入社半年。職場はそれなりに大手で、旧帝国大レベルの高学歴や司法試験に受かっている優秀な人ばかり。こんなダメ人間にも優しい人が多いけれど、私は頭悪すぎて一部の人にイラつかれてる。何でここに入れたのか自分でもよくわからない。受付兼事務みたいな業務内容だけど、お客様を怒らせてしまうこともある。
仕事の話もよく分からないし、向いてないのかもしれない。ただ、福利厚生は良いし、今より良い条件の職場に転職できるとも思えないからバカなりにここで頑張らせてもらうしかない、と仕事の勉強もしてるけど、全然追いつかないし分からないことだらけで、毎日自己嫌悪で苦しくて泣いてる。根本的に頭が悪い。
次にプライベート。こっちは最悪。信じられないかもしれないけど22年間彼氏がいたことがない。喪女っていう言葉を最近知ったけどそれだ。誰にも承認されないで生きていることが辛い。
理由は単純でブスだから。もちろん努力しました。10キロのダイエットもして美容体重だし、オシャレとよく言われるくらいには身だしなみに気を遣ってる。でも努力ではどうにもならないくらいブスです。遺伝子レベルのブス。謙遜でしょ?と思う人もいるかもしれないけど、そもそも可愛かったらこんな歳まで彼氏ができないなんてありえない。
私はこの醜い容姿が嫌いで、ずっと整形したいと思っている。整形までいかなくてもせめて歯の矯正はしたい。(歯並びは綺麗ですが上顎前突)女でブスなんて生きてる価値ないと思うし、自分の醜さが嫌で外に出られない日もある。一日中引きこもって鏡を見て泣いてる。異常だと自覚はしてる。昔外見のせいでいじめられていて、容姿に強いコンプレックスがある。高校生までは都内に住んでいて、知らない人にすれ違いざまにブスと言われることもあった。今は地方にいるからか昔よりはマシになったからか分からないけど言われない。
友達も、その時々ではそれなりに浅く広く付き合えるタイプだけど、一生の親友!みたいな子は2人しかいない。2人いれば十分かもしれないけど、私みたいな薄っぺらいつまらない人間といつまで一緒にいてくれるんだろう。そろそろ愛想つかされそう。2人とも本当に素敵な人間で、本当にこんなクソみたいな女と友達でいてくれることが不思議だからね。
実家も祖父が亡くなってから遺産関係で親族大揉めで冷戦状態。怖くて近寄りたくない。母親だけは優しくて明るくて大好きだけど。
彼氏もいないし友達も少ない。仕事もできなくて必要とされていない。仕事頑張ろう、って思うときもあるけど、仕事こんなに頑張ったところで何のために頑張るんだろう、誰も褒めてくれないし養う子供がいるわけでもないのに。私の存在自体職場のお荷物だし、何のために働いてるのかわからないくらいなら辞めちゃっても良いような気がする。こんな気持ちで働いていたら他の社員にも失礼だ。まあ、辞めた後どうするのかわからないから辞められないけど。
しかもこのまま歳をとってずっとこの最悪な人生を続けていく意味って何かあるのかな。考えても仕方ないけど私ってつくづくゴミみたいな人間だし早く死んだほうが世の中のためになる気がする。
生きててもつまらない。ブスに生まれた時点で女としては楽しく生きられないし、バカに生まれたら仕事もできない。もう死んじゃいたい。
長々とごめん。誰にもこんな話を聞いてもらえないけど誰かに見て欲しくて書きました。
自分は安倍政権についてはなんとなく支持となんとなく不支持を繰り返すような緩い中間層なんだけど、ネット上だと安倍政権の極端な信者とかアンチとかをよく見かけるので、彼らがどんな理由で親安倍・反安倍になってるかをちょっと考察してみた。
当事者じゃないから粗がある分析かもしれないけど、この理由は違うというのがあれば教えてください。
こっちは一応考えてみたけどよく分からん。とりあえず現時点での考察。
結局は全部安倍政権が改憲に熱心なことに帰結して、他は「坊主憎けりゃ袈裟まで」なのかなと。
でも団塊の年少組(1950年前後)とか、浪人、留年、就職浪人組は就職シーズンにかかってた者もいたはず
さらに、すでに就職していても、就職して3年目あたりで当時としては未曾有の経済混乱と大インフレに直面だ
生活用品が買えんだの、下手すっと原材料の高騰に耐えられなくて会社が潰れただのという話も少なくはなかったはず
現代に生きてる俺らは、長期的視野でみればこの混乱期は数年で、1980年代にはバブルが来たと知ってる
でも1970年代当時に20代だった人間には、そんな未来は知らないから、本気でお先真っ暗と思った奴は結構いたはず
*
さらに少し先の話をすると、1980年代になってもしばらくは「低成長時代」だの「円高不況」だの「日米貿易摩擦」だの、さんざん暗いことが言われてた
バブル時代で世に貧困はなくなったと誰もが思うようになったのはだいたい1988年ごろかあな
*
あと石油ショック以外に、公害、米ソ冷戦核戦争の恐怖、凶悪犯罪などなどで1960年代は暗かったという傍証はウソだという反論はないの?
1945~1950年生まれの団塊世代が、冷戦に直面したのは物心ついてすぐ
昭和30年代にはさんざん「今すぐ米ソ核戦争!」みたいに騒がれてた
当時の超有名作品だから観てない子供でも内容は大まかには知ってたろう
このころはしょっちゅう地上や離島で核実験やってたから死の灰も降ってた
公害が問題視されるようになったのは1960年代後半(水俣病工場廃液説が公認されたのは1964年)
*
オイルショック(1973年)に直面した時期に団塊世代は20代前半
下手すっと就職の時期にちょうどぶち当たってる
連合赤貧だの中核革マル内ゲバだの陰惨な事件が相次いだのも団塊が20代前半の時期
「それでも未来があった」とか言うんだろうけど、団塊が20代の1970年代には
『日本沈没』や『ノストラダムスの大予言』が大ベストセラーになって終末論が流行
「環境汚染や核戦争で人類の将来はヤバイヤバイ」てな言説もさんざん広まった
*
いっけん関係ないかも知れないけど、団塊世代が10代の1960年代には
幼児が誘拐されて殺されてすごく騒ぎになった「吉展ちゃん事件」(1963年)とか
女子高生が殺されて冤罪疑惑が根強い「狭山事件」(1963年)
在日韓国人が差別にブチ切れて起こしたといわれる金嬉老事件(1968年)
などなどが起きてる
団塊が若かった頃「ひたすら明るくハッピー、暗い世相はいっさい無し」とかウソです
*
兄弟たくさんで汚い小屋みたいな家に住んでるとかごろごろあった
団塊世代が10歳前後で『月光仮面』の放送が始まった1958年のテレビ普及率は50%以下
テレビが見られない、裕福な友人宅に頭を下げて見たなんて子がごろごろいたはず
団塊世代の高卒中卒が現代人よりも一貫してハッピーな経験しかしなかった苦労知らずのように一方的に決めつけるのは、さすがに後世の人間の高慢を感じる……
そういう側面もあろうが、そりゃ団塊ちゃんたちが能天気に見えるのはしゃーない。
そもそも増田には世代論や社会論を誰かに伝えるための知識とボキャブラリーが欠けているとも感じる。
団塊世代が後の世代と比べて異なる点は、単に数が多いだけではなく、「未来はただ明るく希望に満ちている」と思える時期に若者だったという点だ。
団塊の世代は戦争を知らない世代でもあり、朝鮮戦争特需のころに子供時代を過ごし、生活が「どんどん良く変わっていく」ことを実感して育った世代。
一方でそんな都合のいい景気成長が続くわけでもなく、また、社会が豊かになるにつれて入ってくる情報量自体も増えるから耳触りの悪い情報も増えてく。
なので、団塊世代以降は、成長する日本の恩恵と同時に公害やら高齢化やらオイルショックやら冷戦やらなんやかんやの事件や社会情勢を見ながら、未来は必ずしも明るいと限ったわけでもないと感じて育ってきた(らしい。自分の親がそんなことを言ってた)。
この辺は自分で戦後史と戦後風俗の年表でも作ってみたら。年表に団塊世代の年齢とその後の「シラケ世代」とか言われたりしてる世代の年齢をあてはめたりすると実感しやすくなるよ。彼らが14歳の時に、17歳の時に何が起こったかと見ていくと面白いし、少しはマシなことを考えるための材料にはなる。ついでに自分の年齢も現代史年表にあてはめてみてみると面白いよ。
『COMIC LO』『COMIC快楽天』『COMIC快楽天ビースト』『コミックメガストアα』『ANGEL CLUB』『BugBug (バグバグ)』『COMIC失楽天』『COMIC HOT MILK (ホットミルク)』『COMIC 夢幻転生』『COMIC阿吽』『COMIC華漫』『COMIC真激』『MEN’S GOLD (メンズゴールド)』『TECH GIAN(テックジャイアン)』『アクション・ピザッツ』『アクションピザッツDX』『ゲッチュ』『コミックアンリアル』『ペンギンクラブ』『ペンギンクラブ山賊版』『まんがシャワー』『メガストア』『ヤングコミックチェリー』『人妻本当にあった Hな話』『二次元ドリームマガジン』『魔翔』『漫画ボン』『漫画ローレンス』『comicキャンドール』『Comicバズーカ』『G-type(ジータイプ)』『Men’s Young(メンズヤング)』『PUSH!!』『アクションピザッツスペシャル』『コミック戦国無頼』『ドキッ!』『ドキュメント実録 ! 人妻姦熟コミック』『愛の体験スペシャルデラックス』『増刊 コミックメイト』
昔ながらの劇画誌っぽい物を除いたオタ向けだけで30誌以上ある。雑誌コードではなくアンソロ形式なども含めれば、さらに膨大な数になるだろう。
30年以上オタクをやってるじじいの昔話をすると、1990年代当時はここまで多くなかったはずだ。1980年代はもっと少なく、ことオタ向けとなると『レモンピープル』とか、同時に10誌もなかった(よく休刊して入れかわった)
そんな80年代当時のオタは『レモンピープル』がコンビニで売られる事態なんて考えてもなかったろうし、そうなって欲しいと希望してたとも思えない。
***
1990年ごろになるとオタ向けエロ漫画誌も数が増えてコンビニでも売られるようになり、目立つようになって、遊人だの山本直樹の作品がやり玉に挙がるようになった。
このころから「ここでエロ漫画規制を容認すれば、日本は表現の自由がない言論弾圧国家になるぞ!!」と力説する者は多かった、今はなき米沢嘉博(初代コミックマーケット主催)とか。当時からその手の連中は、自分らを強権力に対するレジスタンスに見立てて自己陶酔してるような反体制きどり臭が鼻についたものだった。
しかしそれから約30年、本当に日本は表現の自由がない言論弾圧国家になったの? いつまで経っても、朝日新聞と産経新聞どっちも廃刊させられてないじゃん(ネット上で一個人が別の一個人の発言に噛みつくことは「弾圧」ではないですよ)
当時と今の変化と言えば成年コミックマークが導入されて、「建前上」漫画にも18禁が導入されたぐらいじゃね。18禁コードは昔から映画にもビデオにもあった、漫画にも導入された一点で「言論弾圧時代の始まり」と言うのは論理の飛躍としか思えない。
成年コミックマークの導入直後は、エロ漫画業界縮小を本気で恐れる者は多かったけど、結局そんなことは起きなかったのは冒頭のリストの通り。エロ漫画誌が都の条例とかに引っかかって休刊したが、同じ編集部が新雑誌を創刊(ようは誌名変更)して、問題視された作品が平然と連載を続けたケースもめずらしくない。
そういや1980年代当時は、メロンブックスやとらあなみたいに「市井の個人が作ったエロ同人誌を町中で買える書店」もなかった。イベント行くか雑誌の通販欄に頼るしかなかった。この点でも今のほうがよほどいい時代になったもんだと思う。
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表現の中身はどうか? 1990年代以降、実写ヌードじゃ陰毛がはっきり見える写真集がOKになった、この点なんかむしろ表現規制が解除されてるじゃん。
80年代当時のオタ向けエロ漫画は今よりずっと修正がきびしく、男女とも股間は広範囲にわたってべったり黒塗りでまったく何が描かれているのかわからん場合が少なくなかった。そもそも性器を精密に描くような絵柄も少なくなかった。
ところが、現在流通しているエロ漫画誌を見れば、ちんちんもおまんまんもリアルに描いたうえで、うっすらスクリーントーンを貼っただけという場合が平然とごろごろある。ジャンルの幅も、ロリ専門誌、ショタ専門誌、ファンタジー系専門とかずいぶん広がった。
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袋だたきを承知で書くが、表現規制反対派は、この30年ずっと「狼が来た」少年にしか見えない。じじいの実感としては、1980年代当時よりむしろ今のほうがずっとエロ漫画誌の刊行点数も増え、エロ表現はオープンになった気がしてならんのだ。
***
つい先日も「ラノベの表紙」のエロ表現が問題になったが、叩いてる奴はほとんど、政治家でも権力者でもない市井のブロガー風情じゃないの。よほど政府与党の大臣が言い出せば実際に規制される可能性は高いだろうが、表現規制を言い立てるのは一部の左翼フェミニストだけで、国民の大多数が支持する長期政権の保守自民党はオタクの味方なんだろ?
要するに「エロ漫画表現規制は言論弾圧の危機だ!!」って騒いでる奴は、「今すぐ日本は中国みたいな左翼独裁国家になる!!」と言ってるのと同じようにしか思えない。そんなもん、まったくもって現実味が感じられないのだが。
戦後1980年代まで続いた冷戦時代、右派は何十年も「今すぐソ連のアカが攻めてくる攻めてくる!!」と言い続け、ついにその日は来なかった。左派は「今すぐ軍国主義復活だ!!」と言い続け、ついにその日は来なかった。冷戦体制崩壊後、右派は「中国経済崩壊」と言い続けてそろそろ30年になる……この手の予言が当たったことって何回あったっけ?
左翼リベラル派としては「冷戦時代は良かった」と思ってるかも知れない
しかし本当にそうだろうか?
確かに、現在のような中国韓国への悪しざまなヘイトや排外主義は、少なくとも戦後、1980年代までは目立たなかった
が、その手の言説が庶民大衆にまで熱烈に支持されてるかというと少し微妙
在特会や主権回復はすでに「右派のプロ市民化」して現状以上に幅広く人が増える気配は感じられない
(本物の庶民大衆てのは、活字のヘイト本なんか読まず、昨日の野球の試合や今日の夕食、人気タレントの出てるドラマ、学校や職場の愚痴、身近な男女の誰それがくっついた別れたといった話をしてる奴のことだ)
排外主義政党の日本のこころ(旧・次世代の党)はちっとも議席が伸びず消滅した
自民党支持派の中でもコアな連中は極端な復古主義・排外主義だろうが、大多数は経済政策を支持してるだけで、深く考えてない
ひょっとして21世紀に入って以降の右傾化って、単に論壇インテリ業界の枠内で右派が目立つようになっただけじゃね? という気がしている
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冷戦時代の1980年代まで(つまり昭和の時代)、世の庶民には、男尊女卑、セクハラ、体罰、運動部は水飲んじゃいけない、年功序列、社員は会社に滅私奉公、嫁は姑に逆らっちゃいけない等々の、家父長的体育会系的価値観が蔓延して、みんなそれを当たり前だと思ってた
が、現在ではそれらを露骨に前面に出せばひんしゅくを買う、論壇インテリ業界内の話でなく、なんの変哲もない庶民の多数が、そういうのを嫌う価値観になった
これって、伝統的保守的価値観の否定なんだから「左傾化」じゃねえのw
無論、これらは小難しい社会主義や共産主義イデオロギーと何の関係もない
しかしそもそも、右翼左翼という概念は、フランス大革命のあと議会で伝統保守派(王政と教会の価値観を踏襲)が右側、改革派が左側に座ったことに由来する
つまり右派つうのは「昔ながらの価値観」を大事にする人たちのことだ
「『昔ながらの価値観』なんてキツいからヤダ」という思想こそが左翼なのだとすれば、8時間労働制やら週休二日やら近代以降の世の中はもうずっと左翼化してる
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ある意味では、一部のリベラル派インテリ(言い換えればインドア派のオタク)だけでなく、世の庶民の多数が、男尊女卑、セクハラ、体罰、運動部は水飲んじゃいけない、年功序列、社員は会社に滅私奉公、嫁は姑に逆らっちゃいけない等々の、家父長的体育会系的価値観を平然と嫌がるようになった現在の方が、昭和期より世の中が良くなったという気がする
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こういう現実にあるものを直接的にモチーフに落としたようなものは、原型となる作品を1個に定めるのって無理じゃね?
現代ファンタジーの原型なら指輪物語だとか、異世界転生の原型がゼロ魔で一度まとまったとか、スペースオペラの類型がスターウォーズとか、そういうことはある程度は言える。
あるいは60年代SFが冷戦と切っては切れないとか、ゼロ年代中期の
世界の(特にハリウッド映画)作品は9.11の影響を受けてるとか、ゼロ年代後期の日本の作品が3.11の影響を受けてるとか、そういう話はやはり出来る。
けれど、集団の小競り合い的なのは人類史のごく初期からあるようなことなんだから、原型を作品に求めるのは無理あるんでは?