はてなキーワード: 三世とは
祖父は床だけ磨いていたそうです。
父の代になって壁を磨くようになりました。
「子は親を超えていくものだ」と説得され、私は天井も磨いています。ツラいです。
私の子にはこんなツラい思いはしてほしくないので、床だけ磨いていればいいと教えています。
自分でそう躾けておいてアレなんですが、天井にしがみついて磨いている時に下を見れば、床の上でヘコヘコダラダラしている息子を見ると殺意が少し湧くのは事実です。
↑に色々お返事的な物書いておいたよ。はてな記法よくわからないので読みにくかったらごめんなさい🙇
一連の事件で、創価あたりと一緒に佼成会の名前もでてきてるのでさすがに一緒にされるのは厳しいなーと思ったので軽く。
俺本人は無神論者だが、祖母が一世母が二世。子供の頃や親と一緒に住んでた時は行事にたまに顔を出したくらい。
会員綱領の「立正佼成会会員は本物釈尊に帰依し、在家仏教の精神にのっとり云々」とかはうろ覚えかな。
基本熱心ではない会員として時々参加してただけなので、その範囲で。
大正生まれの祖母はまさに佼成会が拡大した昭和20年代からの信者で支部長とかもしてたらしい。会員ではない祖父の葬儀には100人以上の会員の人がきて、3間ふすま取り払ったぶち抜きにも収まらなかったくらいだったかな。
で、金と政治に関して。
まず会費は月100円。あと親は教会に行くたびにお布施袋という、なんか祝儀袋の簡素化したやつに100円入れてたな。団参といって本部へ行くときは1000円だったかな?まあ、身施ていってお金ではなく働くこともあるけど教会やらの当番やお役、あと本部に団参行ったときに婦人部で本部にある食堂の手伝いとかなので、フルタイムで働かせてとかはないよ。
お経やらのグッズも普通に売店で買う感じ。値段はむしろ安い感じで、実質販売なのに寄付扱いにするとかない。家の仏壇にご本尊をお迎えするとかも、まあ1万とか2万くらいとかかな?基本、金額はお気持ちということでいくら以上とか、教会関係者が献金を強く求めることはないよ。ましてや、家や土地、あるいは金を借りさせて寄付なんてありえない。まあ、会員数はそれなりいるから関係者すべてがそうだとはいわないが、会の方針としてはそうだよ。50年代とかは色々やらかしてたみたいだが、その後改善したみたい。
資産家の老人が高額な寄付をすることはあるだろうし、家族にとっては相続するはずの財産が目減りして悲しいとかはあるだろうけど、本人の意思に反して寄付を求めるような事はしてないよ。
政治に関しては自公政権成立前は自民べったりで選挙期間に教会へ行くと、これでもかと議員のポスターがはってあったよ。で、自公政権以降は野党に肩入れが強くなったよ。
自民支持だった親が、普通に立憲支持してて、今回の選挙では俺の所に白しんくんの選挙のはがき送ってきてもいいかきいてきたよ。
普通に検索すればでてきたけど会員専用のページだからほかの人には秘密ねってページなんでリンクははらないけど今回は比例は白真勲と藤末健三、選挙区は立憲候補を応援しますとかあるよ。
ただ、今回は本部レベルではなく、一部の地域だけだったみたいで、得票数はかなり減ってるね。そこあたりの判断はどうなされたかまでは知らないよ。
あと、佼成会=立憲と思っている人もいるみたいだけど、自民の議員も政治思想によって応援してるよ。
ボランティアや、応援演説の動員はするけどいやなら別に参加しなくてOKで、その結果退会させられたり、村八分にされたり、非難されるようなことはないよ。献金もそうだけど基本ゆるい。
投票所へ車で送るとかはやってるかもしれないけど、日常的に教会へ行くときに会員が自分の車に他の会員を載せてとかやってる延長で、つよく投票先を指示まではしないんじゃないかな?
そういえば一緒に住んでる時も特に選挙でどこに投票してと親にはいわれなかったな。
あと、教会の新年の行事に、管内の市長や隣の市長が挨拶に来てたりはしたな。
https://www.kosei-kai.or.jp/%e6%9c%ac%e4%bc%9a%e3%81%ae%e8%80%83%e3%81%88/
を見れば分かるけど、政治的立場は中道左派くらいかな?基本平和主義、人権尊重で、靖国問題も信徒個人が行くことは問題ないが、総理大臣の参拝は問題だという立場。
他の宗派やキリスト教やイスラームなどの他宗教とも、仲いい感じ。ただし、創価は敵。いや敵と言っても今はそこまで敵意を持つ人は多くないかもだが、「だが、てめーはダメだ」くらいかな?
共産党はソ連の手先だから絶対駄目だと言っていた祖母は、同じくらい公明党もダメだと言ってたな。まあ祖母の世代だとライバルとしてバチバチやりあってたからね。
祖父母の代が創価学会の強信者で、親もそれなりな学会三世。(今は名前だけ会員になっていて、活動していないし、来ても追い返してる)
実家に帰れば親と一緒に勤行したり座談会に出席はするけど、それで親が喜ぶなら吝かではないというスタンス。
選挙に関しては親に公明に入れろとしつこく言われたけど、拒否していたら最近は諦めたようだ。
「謗法」の他宗の寺や神社、聖地にもよく出かけて写真撮ったりしてる。
これは地域にもよるのかも。
親や祖父母も地域の婦人部長・壮年部長・学術部長みたいなのやっていたけど、後進に譲っていた。
特に昔は結婚も早かったから婦人部も20台から老人までいて、若い婦人部は「ヤングミセス」って名前で個別に集まっていた。(昔の話)
金がかかるイメージ
入会時 (御授会) のときには形式的に少額求められるくらいだし、それも必須では無い。
新年勤行会などのイベント時に受付ブースが出たり (本部などでは常設) するけど、10人に1人も財務 (寄付) してない。
聞いたことがない。
市区町村の住民数に表れてくるから、組織的にやっているなら統計を見れば確実に証拠が出てくる。
これは本当に良くない。
うちにも (電話は教えてないので) 選挙前だけ訪ねてきてたので追い返した。いや、普段来られても困るけど。
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あと、学会の話になると「政教分離ガー」って人がよく出てくるけど、日本の憲法上求められる政教分離は国が宗教に関与したり特権を与えることを禁止しているだけだからね。そこんところは注意。(学会を擁護する義理は無いけど、間違っていることは指摘するスタイル)
私も同じような環境だったので少しでも元増田さんの参考になればと思い書きます。増田書くのは何年ぶりか。
元増田さんは20代でリアルタイムで家庭内DVの被害にあっていると思いますが、私はそれを約40〜30年ほど前に経験して、いま独立した家族持ちの50代のおっさんになるまでにどう感じたかということを伝えられればと思いました。
元増田さんの環境でも記述がありますが、孫に対するDVの難しさというのは、本来子供の生育環境を適切に準備すべき親の世代で適切な対応を取れないことにあります。やや教科書的な言い方になってしまうのですが(つまりそのとおりに行動することはなかなか難しい)、まともな大人であれば親戚のおばさんがされているように、問題のある親との距離をとれるのが理想ですが、なかなかDVで洗脳された親は自分の毒親(祖父母)を切り捨てることが難しいようです。私の場合もそうでしたが、なかなかつらいお立場と思います。
私は、アル中でDVを繰り返す祖父を含む三世代同居の家族で育った影響は自分自身の性格形成にはかりし得ない影響を与えたと思っています。平たくいえば、普通の話の通じるまともな家族に恵まれた友人などが羨ましくて仕方がなかったですね。自分の家庭・家族に引け目があると、自分の友達との付き合いもなかなか疎遠になりがちだし。今思えば年相応の社会的コミュニケーション能力の獲得になかなか難儀したということになると思います。
それを防ぐためにも、元増田さんはなるべく今の環境からの悪影響を断ちきるために、独立するなりすることをおすすめします。今の元増田さんの感覚としてはなかなか現実的ではないかもしれません。更に、下記に述べるお母さんとの関係性の影響もあるのでなおのこと難しいかと思いますが。。。
私には同じ環境にいた2つ上の姉がいました。ですが、10年ほど前にアルコール依存と双極性障害に苦しみつつ死にました。死ぬ間際は本当に周囲に大変な迷惑をかけていました。1週間に1回は警察沙汰を起こして警察から母に連絡があるような状態で、また母もイネーブラーとして色々サポートしてしまう。そんな悪循環の家族を持って救いようのない徒労感を覚えていました。
私はアルコール依存を含む精神を病んだ原因がDV家庭に育ったことにあると考えています。彼女は本当に気に毒な人でした、虐げられた環境にいたがゆえに、自分の主張や希望を上手く説明できずストレスをためて、非行に走るそんな悪循環です。
元増田さんはそんな風になっていただきたくないです。おそらくそのような環境にいるがゆえに、ご自身の精神的な不健康さもある程度わかっていらっしゃると思いますが、ぜひご自身の精神的な健康を維持できる環境を準備できるように願ってやみません。
どうしたらよいか?ということを具体的に提示できればよいのですが、ネットのテキストでやり取りできる範囲では上手く思いつかないです。せめていろいろな本を読んで自分自身の可能性を判断できる自律性が持てるのを期待します。
次は、お母さんとの関係性です。
いずれおばあちゃんは時間の問題で死ぬと思います。しかし、お母さんとの関係はもう少し続きます。そのときに元増田さんに悪影響をもたらさないのか。どうなのか。そのあたりが少し気になります。
私の両親についていえば、父親は存命ですがはっきり言って当事者意識がないふわふわした人です。もっとも、生まれてから死ぬまで同居していた自分の父親(祖父)が非道い人であることを考えると、まともに自己を確立することも困難だと思うので、同情の余地はありますが。。。そこに嫁いだ母親ももちろんDVの被害者でしたが、よくも悪くも我慢強く、DV家庭を存続させたことに一役買ってしまった人生でした。高校生時代の私と何度か夜逃げしようと相談したこともありますが、はやりそこは女性なのか、踏ん切りがつかなかったですね。
さらに、自分の娘(私の姉)がアルコール依存になっても、積極的に社会的体裁を整えようとするのには本当に閉口しました。いわゆるイネーブラーですね。
http://alcoholic-navi.jp/about/therapy/ineibuling/
そのあたりの自分の母親との関係はおばあさんが亡くなっても続くでしょうから、今後どうなるとよいのか、ご自身の生活環境を今後どう構築されるかも合わせて考えて置かれると良いと思います。
私自身は当時常に殺したいと思っていました。しかし、未必の故意を装ったとしても、何らか自分の手を下すのは自分自身に跳ね返ってきます。今思えば、自分から手をくださなくてよかったなと思いました。(当時は遅行性の毒とか、自然を装って早く死んで貰う方法を無い知識の中で調べたりはしていました。)ですが、死んだ祖父を一発でも殴っておけばよかった。という後悔が今でもあります。元増田さんも、一言ぐらい罵声を浴びせたり、言いたいことを生きているうちに伝えたほうが良いと思います。
>> もう82で体も弱いんだから一回ぐらいボロクソに罵倒して帳尻合わせておかないと呪いを精算するまえに死んじまうぞ。 <<
おばあさんが死んだあとで、アルコール依存の家族がいたことによるいろいろな影響、できなかったことについて、たくさん気づいてしまうんです。それが割と辛い。どうしても普通の家庭の方と比べて自分の社会的環境の不遇を感じてしまいます。それに耐えていくためにも、今時分の気持ちに正直に言いたいことは言っておくべきです。
ブコメでもありますが、役所が頼りになればよいのですが、はっきり言って役所も警察も全然役に立たないです。なので、元増田さんが取りうる選択肢を冷静に考えて実行できるための精神的余裕や前向きさをいち早く取り戻されることを願っています。
乱文乱筆ご容赦ください。
久しぶりの休日出勤は午前で終わるはずだった。
でも、なぜか午後も仕事をすることになった。
お昼を用意していないのでコンビニに行きたいが面倒なので
自販機のカップ麺とデニッシュと麦茶(各100円)が今日のお昼食になった。
気分が晴れない。
休日出勤が原因ではない。このところずっと塞ぎ込むことが多い。数ヶ月前までは三食自炊してお弁当を持参し職場で食べて、洗濯も掃除もしていたけど、ここ最近はご飯も作れず洗濯もほとんどできず散らかしっぱなし。服を洗っても畳まず部屋の隅に置いているので、多分これが洗ったものだろうと探しながら服を着ている。シンクは少し前まで自炊していたときの鍋や食器が洗わずにそのままにしてある。酒は毎日のように飲み続け、0時を過ぎたら飲まないと決めていたが平日でも3時まで飲んでいた。人と会わないときはシャワーを浴びることも髭を剃ることも着替えることもしない。今まで毎日資格の勉強をしていたそれも最近全くやっていない。
何故この生活になったかわからない。それまでは健康的にご飯を作ってそれなりに楽しく過ごしてきたけど何かがポッキリ折れたのか生活の水準が過去にないぐらい酷いレベルに落ち込んでしまった。
この感情をイメージするならば、よどんだ池の中に浮きがあり、それがずっと沈んでいる状態。
たまに水面に浮きが顔を出すことはあるがすぐに沈んで見えなくなってしまう。
何度か浮くことはあるが、浮き続けることができない状態が今である。
僕の仕事は工場の設備管理。学校でいうと用務員さんみたいなものだ。製造と直接関わらず保守管理をしている。
今日は工場の設備の更新工事がありその立ち会いだった。作業は午前だけのはずだったが夕方まで作業をする
と言う話になっており仕方なく夕方まで待った。
それまでは特にすることがないのでないので工場内のエアコンのフィルターをケルヒャーで洗って干して
立ち会いも常に現場にいるわけでなく朝と夕方に打ち合わせをしたり、業者さんが廃材や道具を
置きたいけど現場に置いても良いですか?と電話で聞かれたら「はい、いいですよ。」と言うだけ。これもたいした仕事でない。
せっかく職業訓練校で1年勉強して、それなりの会社に入れたけど技術的な面で全然向上でず
資格の勉強もはかどらず、今年で40歳になるのに結婚もせず彼女もいなくてかなり焦っている。
そのせいか人と話すことも上手くできず余計に落ち込み負のスパイラルに陥ってる。
今日も、ボールペンを落としそれが机の下の取りにくいところに入ってしまっただけで気持ちが塞ぎ込んだ。
池の浮きが水面からどんどん離れていき底に沈むようだった。
こうなったら何か美味しいものを食べようと決めた。ただ最近は外食をよくするが、どれも美味しいと感じない。
だから普段行かない店にしようと調べたら職場の近くに昭和からあるステーキハウスを見つけた。
肉はそんな好きな方ではない。どちらかというと魚派で焼き魚が好きだった。
鯖塩とかアジの干物、さんまの灰干しなどが好きだ。でも行ってみることにした。
仕事を終えたら店に向かう。行ってみると地方の幹線道路沿いというのもあり駐車場は20台ほどあり
うち三分の一は埋まってた。店はえんじ色の布看板で「ステーキハウス マスダ」(仮名)と白い文字で
書かれており「キ」と「マ」と「ダ」の上または下あたりが少し破けていた。レトロ風の建物にしているのではなく
入り口には何年か前の地元の新聞のコピーがあり余白に「○○新聞さんに紹介されました」と手書きで書かれていた。
中に入ると内装も古い印象だった。純喫茶のようなモダンな作りだけど奥には畳の座敷席もあった。
最近の飲食店ではワンオペも珍しくないのに、この規模にしては多い5人ほどのホールスタッフがいた。
メニューを見てこの店の人気メニューとされるハラミステーキ200gとスープ・ドリンクのセットを頼んだ。
最初にコーヒーと同時におかわり自由のサラダが出てきた。サラダはとても細い千切りのキャベツと少量の紫キャベツと人参にフレンチドレッシングがかかっており、ドレッシングはそんなに酸っぱくも甘くもなかった。
食べ終わってからコーンポタージュが出てきたが最近ではあまり見かけないタイプのものだった。
定番のコーンポタージュは黄色く甘くでつぶつぶコーンが入っているものだが、この店はほのかに甘い程度でコクのあるスープで粒もなくドロドロなスープだった。色も発色のいい黄色でなく、ややくすんだ茶色みがかった色だった。美味しかった。
しばらくするとメインディッシュのステーキがライスとともに来た。思ったより大きめの肉で
パセリ入りのバターがのっていてステーキ自体にも味が付いていたのでソースを掛ける必要は無かった。
肉は柔らかく脂もほどよくありとても美味しかった。美味しい肉なので味わうためにゆっくり食べた。
ほとんど関係ない話だが、僕は逆流性食道炎になったことがあり医者からはゆっくり食べるように言われたが守れていない。
(酒を減らすことも言われたがそれも守れていない。)
付け合わせはインゲン二本とスパゲッティとコーン。ステーキハウスなので本格的なステーキを出すはずなのに
付け合わせが社食にあるようなスパゲティ?と少し違和感があったが悪くはなかった。
不思議だったのはこのステーキを食べて「美味しい」と感じたことだった。ここ最近何を食べても何も満たされず
食べたあとは「何で食べたんだろ…」とガッカリすることが多かったので久しぶりに感じる「美味しい」だった。
このステーキより美味しいものは今まで食べてきたはずなのに何故かこのステーキは美味しいと素直に感じた。
斜向かいの席でビールを飲んでいる夫婦がいた。自分も飲みたいがバイクなので飲め無かったが落ち込むことはなかった。
さっきまではこんな事でも深く落ち込んで傷ついていたのに。
隣の席は親子三世代で来ていて一番小さい子は2歳ぐらいの女の子でその両脇に両親が座っていた。向かいには
お爺さんいて、孫と同じピンクの上着を着ていた。お爺さんは機嫌の良いオカメインコのように肩を上げたり下げたりして
孫の気を引こうとしていたが孫は無反応だった。
それをみたら少し可笑しかった。それまでだったら未婚の僕にとって小さい子供を囲み食事をする光景はつらかったが
今は微笑ましいと明るく思える。今ここで何かが変わったかも知れない。
食べ終わって一息つくと会計を済ませる。値段は3000円。今日の昼食の10倍だが特別高いとは思わなかった。
帰りのスーパーで普段は買わない併設されてるパン屋で、朝ご飯の惣菜パンを買う。毎日買ってる酒を買わず
朝ご飯用のフルーツゼリーとインスタントのカフェオレを買った。
シャワーをきちんと浴びて服も着替え久しぶりにノートPCを出して机に向かってこの文章を書いている。
なんか気分がだいぶ良くなった。酒も飲みたいとはそんなに思わない。
あのステーキに助けられたのかも知れない。よどんだ池の浮きがようやく水面から顔を出し浮き続けようとしていた
この気持ちをできるだけ維持したい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1873394
教科書無償は今では当たり前に思ってるかもしれないけど、戦後の日本国憲法が制定されて即時に無償制度ができたわけではない。
戦後でも農作業を優先させるため学校行かせるより仕事優先させようとしてた家だってあったし、特に女子には教育は不要、むしろ有害と思う文化だって残ってたなかで有償で教科書買ってもらえない子はいた。
(もちろん買ってもらえないことの直接的な原因は貧しさからだが)
「国民全体の願いをこめて、」とかの文言は教科書無償運動の結果、子どもたちだけでなく、教職員、保護者に向けて子どもの学ぶ権利とそのツールとしての教科書(と学ぶ権利)を守るための文言。
どちらかというと、教科書無償の権利を守るために引っ張りだされている言葉としての「国民全体の願い」だよ。
なろう系のテンプレじゃないけど、教科書捨てられるとか汚される系のいじめは昭和で結構あったし、平成、令和でも完全に根絶してないでしょ。いじめそのものが問題ではあるけど人の教科書を粗末にするのは重い過失だと理解してほしい。
日本国憲法前文の「日本国民は、~政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」に近い意味での国民全体の願いだよ。
政府の行為によって教科書無償がなくならないように、国民全体の願いによって国に税金で出させているってこと。
だから、政府が偉そうに恩着せがましく施してやってるって内容ではなくて、むしろ「国民が」政府へ求めた権利としての税金の使い方という内容だよ。
今回の話は、恩着せがましいの勘弁って、親がツイートしてるのがスタートだけど、先人の勝ち取った権利とそれを大事にって内容をみて恩着せがましいことは書くなってのは恥ずかしいよ。
政府に向かって恩着せがましいと言っているつもりだったかもだけど、国民>政府の構図の中で政府に認めさせた先人たちからもらった権利・恩を享受してるんだからそのことは知っておいた方がよい。
恩を受けているのは政府にではなくて、二~三世代くらい前の無償化を制度にまで認めさせた国民に対してだよ。(昭和30年代に子どものために頑張った親たち)
恩を着せられたっておこるのではなくて、次の世代に渡していく必要があるよ。
あと、どちらかというとリベラルな人たちが勝ち取って、揺り戻しで後退させないために行われてる啓蒙が、約二~三世代程度の時間が過ぎただけで
どちらかというとリベラルな人たちにより「恩着せがましい」とか批判されてるのって、まるで歴史の教科書を焼いてるようなものだと思う。
教科書はタダが当たり前なんだからとおもってたら、歴史的に勝ち取った権利が失われるのは、そんな劇的な歴史事件がなくてもさらっと起きるよ。
国の制度としての話なので国民国家的な色合いが強かったり、教科書検定制度とか
教科書についてはいろいろあるので、教科書に関すること手放しで礼賛とは思わないが、享受できている制度でもあまり当たり前だと思わない方がよい部類の事だと思う。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1873394
教科書無償は今では当たり前に思ってるかもしれないけど、戦後の日本国憲法が制定されて即時に無償制度ができたわけではない。
戦後でも農作業を優先させるため学校行かせるより仕事優先させようとしてた家だってあったし、特に女子には教育は不要、むしろ有害と思う文化だって残ってたなかで有償で教科書買ってもらえない子はいた。
(もちろん買ってもらえないことの直接的な原因は貧しさからだが)
「国民全体の願いをこめて、」とかの文言は教科書無償運動の結果、子どもたちだけでなく、教職員、保護者に向けて子どもの学ぶ権利とそのツールとしての教科書(と学権利)を守るための文言。
どちらかというと、教科書無償の権利を守るために引っ張りだされている言葉としての「国民全体の願い」だよ。
なろう系のテンプレじゃないけど、教科書捨てられるとか汚される系のいじめは昭和で結構あったし、平成、令和でも完全に根絶してないでしょ。いじめそのものが問題ではあるけど人の教科書を粗末にするのは重い過失だと理解してほしい。
日本国憲法前文の「日本国民は、~政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」に近い意味での国民全体の願いだよ。
政府の行為によって教科書無償がなくならないように、国民全体の願いによって国に税金で出させているってこと。
だから、政府が偉そうに恩着せがましく施してやってるって内容ではなくて、むしろ「国民が」政府へ求めた権利としての税金の使い方という内容だよ。
今回の話は、恩着せがましいの勘弁って、親がツイートしてるのがスタートだけど、先人の勝ち取った権利とそれを大事にって内容をみて恩着せがましいことは書くなってのは恥ずかしいよ。
政府に向かって恩着せがましいと言っているつもりだったかもだけど、国民>政府の構図の中で政府に認めさせた先人たちからもらった権利・恩を享受してるんだからそのことは知っておいた方がよい。
恩を受けているのは政府にではなくて、二~三世代くらい前の無償化を制度にまで認めさせた国民に対してだよ。(昭和30年代に子どものために頑張った親たち)
恩を着せられたっておこるのではなくて、次の世代に渡していく必要があるよ。
あと、どちらかというとリベラルな人たちが勝ち取って、揺り戻しで後退させないために行われてる啓蒙が、約二~三世代程度の時間が過ぎただけで
どちらかというとリベラルな人たちにより「恩着せがましい」とか批判されてるのって、まるで歴史の教科書を焼いてるようなものだと思う。
教科書はタダが当たり前なんだからとおもってたら、歴史的に勝ち取った権利が失われるのは、そんな劇的な歴史事件がなくてもさらっと起きるよ。
国の制度としての話なので国民国家的な色合いが強かったり、教科書検定制度とか
教科書についてはいろいろあるので、教科書に関すること手放しで礼賛とは思わないが、享受できている制度でもあまり当たり前だと思わない方がよい部類の事だと思う。
家制度の大事さを論ずる人がいますが、これってもうほぼ崩壊してますよねって話。
家ってなんで成立するかと言うと、家と結びついた職業や生産手段があってこそだ。
例えば古代でいうと、摂政や関白になれる家、大臣までなれる家、大納言までの家、などがある。
親から子へ、親のついた地位や経済的要因(荘園など)が継承される。だから家が生まれる。
その土地や、その土地から生まれる利益の継承者を明確に定める必要がある。
芸事でもそうで、親の芸を継承しうる芸術であれば家元となりうる。
商家も同様で、百貨店でも呉服屋でも、親が築いた商売上の生産手段を継承する場合、家制度と相性が良い。
政治家も同じだ。親が築いた信用や政治基盤を継承するのであれば、家が生まれ、結果二世三世議員が生まれる余地を生む。
皆さんは親が引退したら、親の職業や親の地位につけるだろうか。
もちろんそうなる人もいるだろうけれども、多くの人は親の社会的地位を継承しないだろう。
私の親が副市長を引退したら、私が副市長になるだろうか? そんなことは許されない。
一方で、会社の社長が息子に移り先代社長は会長になるだとか、芸事で何代目だれそれを襲名した、とかは違和感が薄いと思う。
二つの事例を見たが現代社会ではどちらの職業のパターンが多いだろうか。
圧倒的に前者ではないだろうか。
もちろん、後者のシステムを否定することに直結しないことも重要だ。
ということで現代では、家産や家職の関係から、家制度はほぼ質的要因を失っていると結論づけられる。
個人的には(といっても見田宗介あたりの受け売りなのだが)、1961年の農業基本法が重要と思う。
人口の多くが農業をしていた日本において農業を機械化し、余剰人員を2次産業3次産業に従事させる動きを生んだ。
明治時代以降、第二次大戦後でも解体できなかった江戸時代以降の家制度はこの法律によりついに解体された。
日本人の多くが農民だったから、田畑という家産で生活していた関係上、多くの人々が家制度の中にあった。
サラリーマンになった農家の子孫たちは、もうその地位を子孫に継承できない。
親の地位を継承できない子孫たちはやがてマイナビ・リクナビを頼ることになるだろう。
高度経済成長は経済成長だけが起こったわけではない。家族の観点からしても革新的政策だったのだ。
だから家職や家産を継承しないところに生まれ育った場合では、気軽に別姓にしたり、あるいは現段階だと妻の姓をなのってもいいんじゃないかな、って思う。
そうなったらオマージュした方が色々早い
創作物のインプットを行わずにガラパゴスのまま成長できるほど現代は甘くない
あるジャンルが流行る初期というのは、別ジャンルのオマージュから始まることが多い
そういう消化作業は新しさを生む
そのジャンルが育つと、同ジャンルを吸収して同ジャンルを作るという流れになる
こうなると最初に居た人の一部は出ていく、別物になったと、オマージュ先がちらついて目の前のものに集中できない
そういう第二世代はジャンルの危機だと思っていた、90年代後半くらいからはそういうのが多かったと思う
今は「どのジャンルもほぼ第二世代以降」という創作第三世代だと思う(これ第四の方がしっくり来そうだけど)
何を見ても「あれっぽい」となる
良いと思ったコンテンツは何らかのオマージュであり、オマージュの枝を辿っていく作業はエキサイティングだろう
ただ売れようと思わなければ楽しいと思う