茹だるような暑さ、積乱雲、夕焼け、屋台の熱気、盆踊り、始まりと終わりの境が判然としない花火大会。
金魚みたいにカラフルな帯をしめた浴衣姿の子を連れた女性。彼女を連れているのが、同級生であることに気づく。
突き刺すような太陽光と入れ替わりに辺りを包んだ優しい闇に誘われ、祭り気分を味わいたい人々が続々と戸外へ繰り出す。ワンマイルウェアに身を包んだ老若男女、体操服で屋台に繰り出す中学生、社命で祭りに参加した地元企業の若手社員、支持基盤のイベントは全通を旨としているのであろう市議会議員。この町のどこにこれほどの人が潜んでいたのかと驚く。
完璧。夏が始まる前から求めて止まなかったのだ。この空気感を。
あとは焼きそばだけがあればいい。夏祭りを完結させよう。地元有志が出す屋台を覗く。
ない。
枝豆、りんご飴、フライドポテトに金魚すくい、フランクフルト、ビールに白玉団子に鮎の塩焼きまであって、焼きそばがない。全ての臓器がレッドカーペットを敷いて焼きそばを迎え入れる準備を整えているのに肝心の焼きそばだけがそこにいない。もう麺ならなんでもいい。浮気を決意し、近所のラーメン屋に片っ端から電話をかけた。「貸切」「売り切れ」「食べ物がほとんどない」時刻は20時。丸見えの繁忙期を前に、どんな作戦立てて戦に臨んだらそうなるんだ。実家まで徒歩20分の距離でこんなにひもじい思いをする日が来るとは思わなかった。朝からパフェとクッキーしか食べていない上に、夕方炎天下で全力ダッシュをした後の空腹感はもう無視できない。
浮気心を捨て冷静になった頭で今夜やきそばにありつく方法を再考する。近くにコンビニがある。コンビニにはカップ焼きそばがある。見えた。願わくばゆっくり食べられる場所が欲しい。悩む我々の隣をその辺に住む知り合いが通りがかった。彼を逃す手はない。挨拶もそこそこに、「あなたの家で今からカップ焼きそばを作らせてほしい。」と頼み込んだ。暑さで頭がおかしくなった人みたいな頼みを彼は快諾してくれた。神だ。もしくは頭が暑さでやられていたのかもしれない。
神に供える焼きそばも買い込み、意気揚々と神の家へ上がりこむ。カップ焼きそば用のお湯を沸かす間に神は飢えた人間に食べ物を振舞ってくれた。
神の生活水準は高かった。
無添加の佃煮、火照った体に心地よい喉ごしのもずく酢、余りものだという炊き込みおこわのおにぎりを手際よく並べ、産直で見たことがある体に良さそうなお茶を人数分のグラスに注ぎ、遠慮せずに食べなさいと言った。歪だけどハリがあって味が濃そうなトマトを切る係を仰せつかった私は、嘘みたいに切れ味の良い包丁でトマトを切り分け、作家ものの器に不恰好に盛り付けた。この空間にカップ焼きそばを持ち込んで本当にごめんなさいとみんなで神に謝罪した。いいよいいよと神はわらった。
恥と共に飲み込んだカップ焼きそばは相変わらず駄菓子みたいでおいしかった。神に会う前だったら食事としておいしいと感じただろう。夏は人を少し大人に変えるな。と感傷に浸っていたら、神から「人生はあっという間だから、毎日ちゃんと生きなさい。」という言葉を頂いた。神は手厳しくて優しい。
自己陶酔してるきめえ文章 消えろカス
カップ焼きそばは焼いてないぞ