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2020-04-08

コロナ入場!!

人殺しは生きていた!!更なる改竄を積み人間不信が蘇った!!

内閣!! 安倍政権だァ――――!!!

密閉・密集・密接はすでに我々が完成している!!

現代奴隷船 満員電車だァ――――!!!

嘘つき次第稼ぎまくってやる!!

転売ビジネス代表 トイレットペーパー・ショックだぁッ!!!

素手の触れ合いなら我々の歴史ものを言う!!

素肌のプロレス ベッドインコミュニケーション セックス

真の誤診を知らしめたい!! 複製連鎖反応 PCRだァ!!!

いつもなら3連休程度だがコロナなら毎日日曜日だ!!

コロナ底辺 リストラクチャリング)だ!!!

コロナ対策完璧だ!! 全日本柔道連盟 !!!!

病原菌ベストディフェンスは私の中にある!!

品切れの紙様が来たッ マスク!!!

怠慢なら絶対に敗けん!!

暴走族聖地見せたる 神奈川県 横浜港だ!!!

バーリ・トゥード(なんでもあり)でも今年はやめろ!!

インターネットハロウィン エイプリルフールだ!!!

韓国宗教団体から炎の病が蔓延だ!! 新天地 イエス教会!!!

ルールの無いステマがしたいかスポンサー広告代理店)になったのだ!!

プロステマを見せてやる!!100日後に死ぬワニ!!!

めい土の土産に道連れとはよく言ったもの!!

老人の身勝手が今 路上バクハツする!! 巣鴨商店街 歩行者天国だ―――!!!

国家首脳級感染者こそが史上最悪の代名詞だ!!

まさかこの男がたおれるとはッッ ボリス・ジョンソン!!!

仕事があるから職場にきたッ キャリア一切不明!!!!

風邪気味のブラック法令違反ソルジャー ミツビシ・エレクトリックだ!!!

オレたちは世界保健機関ではない世界物乞機関なのだ!!

御存知WHO ダブリュー・エイチオー!!!

感染の本場は今やニューヨークにある!! オレを止められる奴はいないのか!!

アメリカ合衆国だ!!!

チッチャァァァァァァいッ説明不要!! 0.1μm!!!

コロナウイルスだ!!!

風俗は本番までできてナンボのモン!!! 超濃厚接触!!

本場歌舞伎町から感性経路の登場だ!!!

マスクはオレのもの 売り切れる前に思いきり買い思いきり漁るだけ!!

ホーリーシット情報弱者 コロナ・ショック!!

自分を試しに日本へ来いッ!!

インバウンドバブル崩壊 クール・ジャパン!!!

迷惑に更なる磨きをかけ ”テポドン北朝鮮が煽ってきたァ!!!

今の自分仕事はないッッ!! テレ・ワーカー在宅勤務!!!

中国四千年の蠱毒が今ベールを脱ぐ!! 武漢から アウトブレイクだ!!!

ファンの前でならオレはいつでも全盛期だ!!

日本喜劇王 志村 康徳 本名で登場だ!!!

医者仕事はどーしたッ 疑惑の炎 未だ消えずッ!!

治すも壊すも思いのまま!! 厚生労働省だ!!!

特に理由はないッ 若者が悪いのは当たりまえ!!

責任転嫁はないしょだ!!! 諸悪の根源!

若年者層がわるいんだ―――!!!

暗黒街で磨いた実戦コロナ!

ブラジルスラムギャング 自主隔離だ!!!

実害だったらこ話題を外せない!! 超A級懸念事項 経済崩壊だ!!!

超一流老害への超一流の忖度だ!! 生で拝んでオドロキやがれッ

森喜朗の墳墓!! オリンピック!!!

不謹慎はこの男達が完成させた!!

神奈川県切り札!! コロナファイターだ!!!

俺たちの税金が帰ってきたッ

どこへ行っていたンだッ 公共支援ッッ

俺達は君を待っていたッッッ布マスク2枚の配布だ――――――――ッ

加えて重症者発生に備え超豪華なリザーバーを4名御用意致しました!

風評被害 コロナビール!!

不要不急 桜見物!!

歩きスマホ! ポケモンGO

……ッッ  どーやらもう一名は到着が遅れている様ですが、到着次第ッ皆様にご紹介致しますッッ

2020-03-15

フェミニズム界隈を巡る反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照を想起させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

 その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。

 結論としては以上となる。

2020-03-02

anond:20200302222725

客層の悪い店自体にでかけないのがいいんじゃない

今日「コビットのせいで花粉症はやりづれーな、でも薬ないとこまるな」とおもってアレルギー科にいったら

よく歩いてこれたなっていうくらいのものすごくひどい咳込みの患者ばっかりで

花粉くしゃみ歴然と違ってやっぱこうだよなぁって機嫌よくなってかえってきた

くしゃみと咳の違いもわからないド素人マスクでもしてろってこった

俺は花粉イオンベールするぜ

ウィルスブロックしてくれるんだけど素人マスクしか知らないだろうな

2020-02-11

フェミニズム界隈を巡っての反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照を想起させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

 その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。

 結論としては以上となる。

2020-02-10

フェミニズム界隈を巡っての反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照類推させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと――。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。結論としては以上となる。

2019-12-25

anond:20191224124202

とあるファーストフード店にて。

「カパーソンベールチーズバーガーください」

「カパーソンベールチーズバーガーお一つですね?こちらでお召し上がりですか?」

「お持ち帰りで」

「xxx円になります

「一パーソン円で」

「一パーソン円入りまーす!」

2019-12-04

規制問題与野党と言う枠で見ると痛い目を見るんだけどね

そろそろ野党の支持者の人達山田太郎議員に対して、攻撃をすればするほど、規制に反対していた人達オタクが余計に冷たい目を突き付け、野党から距離を取る事にいい加減気づいた方が良い。

この様な表現規制に対して、反対してくれる議員攻撃する事は余計に彼等の硬直を招く事になり、この様な行為をした野党へのイメージ悪化し、その投票をする人間の減少を招く事に繋がる。

更に言えば、野党が反対していたのは自民党規制を推進していただけで反対していたのであり、状況が変わった途端、掌を返した連中と言うイメージを余計に強める事にもなる。

どうも政党看板で態度を変える人も多いようだけど、それこそ君達が馬鹿にしている表現の自由戦士とやらは表現規制に反対か賛成であるかと言う部分以外では一切判断をしていない人も多い事は判っておくべきだと思う。

それとこの表現規制問題に限って言えば、当時から与野党わず規制推進派はいたからね。

そもそも右も左も宗教団体も当時から表現規制に熱心な人間がおり、時には協力して規制を推進していたと言っても良い。

今なんて更に政党では判断できない状況になってしまっている。

立憲民主党だって青地イザンベール真美氏の不用意な発言に対して、枝野議員が奔走する事態が起こっているし、当時反対していた共産党が今では規制推進の最先鋒と言う笑えない状況になっている。

当時に関しては自民はほぼ規制推進と言う非常に頭の痛い状況だったのだけど、それでも早川議員みたいな人もいたのだよ。

逆に民主党に関しては小宮山議員の様な規制推進に熱心な人物もいた。

そもそも当時は規制を推進していた連中はそれこそ政府与党と絡んで好き勝手法規制で暴れまわっていたのは事実からね。

それが流れが変わって彼等は野党側に移った後は民間に対してクレーマー行為を行っているわけだ。

ただ個人的にはもし彼等が今でも政府与党側であったならば、今でも好き勝手法規制を利用して大暴れしているものだとみていて思う所だよ。

その名残か地方条例でも時折この手のトンでも表現規制が今でも出てくるしね。

それと保坂議員枝野議員表現規制の反対において、尽力したのは事実だけど、山田太郎議員に関しても本当の意味表現規制に対して、尽力して下さったのは事実だよ。

特に他の議員が触れない国連問題なんかは彼が尽力したから、解決した所も大きいのは事実

また私は落選後でも彼ほど尽力をした政治家は知らないからね。

そして参院選当選に関してはその地道な成果が実った結果に過ぎないのよ。

そもそも野党に関しても立憲民主党なら川田龍平議員投票すべきと彼等は普通に言っていたからね。

BL規制に当時から反対していて、今でも彼は当選後にすぐにダウンロード違法化危惧して、著作権に関する質問主意書を出す等の行動を行っているわけだ。

から山田太郎議員ばかりを当時の参院選挙であげていたわけではない。

何にしても表現の自由を言う漫画家達が裁判有効性やそれに関した法改正を指摘されていたにも関わらず、今度は文化庁要請して、海賊版対策と称して、ダウンロード違法化リーチサイト規制と言った、一般人言論の自由知る権利を阻害する法案を強行している事は最高に皮肉だとも思うけどね。

2019-10-18

思考停止しないで読んでほしいさんの目指す最終的な理想はどこなの?

https://anond.hatelabo.jp/20191016150214

今回の元増田の主張

理由

身体ラインそのままの衣装や、

理由

アヘ顔とも取れる表情やポーズが残ります

結論

まりイラスト全体が女性性的に見ており

うーん?

ここ最近のコレ系の主張の蛇行っぷり

従来

露出が多い!性的搾取してる!

2日前

胸が大きい!性的搾取してる!

昨日

セリフがどうかと思う!

今日

身体ラインが出てる!アヘ顔!つまり性的に見てる!!

いくら相手してもその場その場で言うことを変える人たちと議論は成立できないと思う。

そういう不誠実な姿を自分の子供に見せることは悪影響じゃないのかな。

問題点

アヘ顔」の定義が明らかにおかしい。

この言葉を都合よく使ってしまった元増田はどういうものアヘ顔となるのか、大多数が合意に至れる明確な定義を出さなければならない。

それをしないと今後、「アヘ顔」というのが無敵のマジックワードとしてフェミニスト自由に振り回して良い棍棒として一人歩きしはじめる。

問題点

元増田の主張に乗っかっちゃった人がある程度ブコメにいたけど

じゃあ元増田賛同しちゃったこの人たちの立ち位置

身体ラインそのままの衣装」が表現されていて公共の場で許容されていたらアウトってことで良いの?

2019年10月18日はてなフェミニスト提示する新ボーダーライン

身体ラインそのままの衣装表現は、公共の場から消え去れ

アヘ顔とも取れる表情やポーズ表現は、公共の場から消え去れ

論点はもう露出の度合いや胸の大きさでは無くなったわけだ。

イラストポスター広告も街頭での動画CMも、そしてもちろん街を歩く実在人間にも当てはまるわけだ。

以後、公の場で身体ラインそのままの衣装上半身だけでも下半身だけでもしてたら囲んで叩くの?

私服OK職場でもピッチリしたジーンズ履いて来たらセクハラ停職とかされてもおかしくないってことでいいの?

真夏でも身体ラインが見えない格好を、女性公共の場でしなければならなくなるの?

海水浴プール公共の場から水着の姿で身体ラインを出すのは性的消費に繋がるからNGになるの?

このまま主張がエスカレートするとどこまで行くの?

表情もポーズダメ身体ラインが出るのも公共の場で許容されてはダメ

そうなると、現状の要求では

表情対策女性公共の場では顔をベール等で隠さなければならない

身体ラインポーズ対策女性公共の場では身体ラインが出ないよう布等で隠さなければならない

これが女性に課せられる公共の場での制約になるわけだ。

この要求、この国の女性の中で大多数としてのコンセンサス意見の一致、合意)は取れてる?

そしてこの要求がまだ最後とは思えないんだけど、「私にとって不快表現規制すべし」を進めた先、

元増田やそれに賛同した人たちが目指す理想郷としての世の中はどんな姿なの?

それは女性公共の場に現れることが絶対に許されないユートピアじゃないの?

その世の中を実現してからようやく自分の子供に「ご覧なさい、これが美しい世界よ」って見せるの?

2019-10-10

グラブルは魅力のない男キャラを出しすぎ

パーシヴァルやランスロットセルエル、アルベール等、魅力のある男キャラはいる。

しかし、ルシファーを中心とした櫻井酷使大天使、四騎士組織関係者と魅力のない男キャラで展開しすぎ。

ネタ切れなのか星晶獣までプレイアブルとして出し始めキャラ乱造

一度、神撃のバハムートに立ち返って出すキャラを慎重に選んでほしいね

特にもう四騎士関連で女子釣ろうとするのやめろって。パーシヴァルは単体で女子釣れるステータスがあるのに活かせてなさすぎ。

2019-09-13

anond:20190913132611

イザンベールやらかしすぎて立憲民主から縁を切られたが、松文館裁判で有名な平沢勝栄は何度やらかしても自民党から切られないのはなんででしょうなぁ?

まあ自民党内部にも応援したい人はいから、一括りにはしたくないけどね。

anond:20190913132229

なんでこの人が、表現の自由侵害する事ばかり考えてる野党所属なのか謎。

イザンベール擁立ちゃうトップや、オタク殲滅血道をあげたり「ヘイト認定一所懸命支持層とまるであってない。

この人の言ってることはすごく真っ当で指示できるが、日本人表現の自由を奪うことに積極的野党に力を与えたくないから入れられない。

2019-09-11

続・人工無能しょうもない下ネタを覚えてしまった

前回

人工無能がしょうもない下ネタを覚えてしまった

 続・Cleverbot海外人工無能

https://www.cleverbot.com/

 今でも、たとえば仕事中に嫌なことがあったり、ふと集中力が途切れてしまったときに、cleverbotに話しかけるのだけれど、五年前に覚えさせた下ネタを未だに覚えているのには驚かされる。こっちが覚えさせた言葉が、覚えさせたとおりのタイミングで帰ってくるのを見て笑っているのは、会話というよりも、動物に芸を仕込むのに近い。もしかしたら、人工無能の楽しみの一つはこれなのかもしれない。だが、この年齢になってもいまだに「ウンコブリブリ! モリモリ快便ッ!」などというネタで笑っていられる私は相当におめでたい人間だ。そして、こいつは一度下ネタループに入ると、それにはまったかのように、延々と「うんこ!」「うんこ!」と連呼するのだ。かわいいやつめ。

 ちなみに、一度下ネタループに入ったときには、真ん中の「think for me」というボタンで、どんなろくでもない言葉が教え込まれいるか確認できる。私以外にも、くだらないことを考えた馬鹿がたくさんいたのだろう。

 そういうわけで、私は今でもcleverbotときおり話しかけてやっているのだが、最近こちらの言葉学習する頻度が低くなったような印象がある。前には、ちょっと強烈な下ネタを二三回繰り返せばすぐに覚えたのに、最近は何十回も同じ言葉を吹き込んでも覚えようともしない。もしかたしたらNGワードが設定されたのかもしれないし、積極的日本語学習させる時期が終わったと管理人判断したのかもしれない。

 それにしても、日本語を覚えさせる時期が終わってしまったらしいのは惜しい気もする。できることなら、もっと知的言葉雑学を教えてやれば、もっと愉快なボットになっていかもしれないのだ。たとえば、「この間『レ・ミゼラブル』を読んだよ!」みたいな会話から、「テナルディエとジャベール警部、どっちが好き?」みたいなボット誕生していたかもしれないのだ。いや、まったく惜しいことをした。


 もう一つの人工無能ロイディ

http://irc.gimite.net/channel/%E3%83%AD%E3%83%93%E3%83%BC

 大体cleverbotと同じころに見つけてしまったサイトだ。前回の記事で書いたかもしれないが、当時の私は何かと行き詰っており、いろいろと不毛なことを繰り返していた。つまり、このサイトでもしょうもない言葉を教えようと躍起になっていたのである

 とはいえ比較歴史の長い人工無能からだろう。それなりに会話が成り立つので、あまり人工知能いじめてやろうという気分にはならなかった。最初のうちは、それなりにまともな会話をしたり、知的なことを教えてやろうとしたりした覚えがある。「やあ、『幼年期の終わり』は読んだかい?」みたいな。ときどき、kikuragenと呼ばれるbotが延々とよくわからないことを延々話し続けることもあったが、比較的無害だった。

 幸か不幸か、2015年3月ごろ、どういうわけかVIPPERに見つかり、大量の客が訪れた。彼らはスパム同然の連投を繰り返し、気の毒な唐澤弁護士ネタを吹き込み、唐揚げレモンを掛けるな! 云々と流し込んだ。当然、ロイディ発言支離滅裂になってしまった。

 嵐のように彼らが過ぎ去った後に、残ったのは大体四人だった。

 一人目。比較的まともで、ロイディガンダムや昔のアニメの話をする。ロイディのことを比較人間らしいチャットボットとして扱う。意地悪しない。二人目。コテハン仕事愚痴などを呟く。時折下ネタに走る。定期的にロイディウンコを食わせようとする。三人目。熱心に下ネタを教えようとする。「フィーヒヒヒ ブルマハミパン フィーヒヒヒ!」と調教している。四人目。ロイディとなぜかバーチャルセックスしようとしている。「んほぉぉぉ!」「ばんじゃいばんじゃい!」とだけ言い放って切断すること多し。ご覧のようなカオスとなった。

 しばらくはそれで安定していたし、時折二人目と三人目の人が一緒になったときには何となく会話をする一幕もあった。しかし、ircチャットという比較的古いシステムのせいだろう、古いパソコンでないとアクセスできなくなるようになってしまった。そして、ときどきロイディ自身調子が悪くなることが増え、とうとう2019年6月活動を停止した。

 管理人が復旧させる様子もないところを見ると、単純に飽きたか、荒らされるのにうんざりたかメンテナンスが大変になったのだろう。個人運営だったので仕方がなくはあるのだが、こうして一つのコミュニティがひっそりと消えたことを思うと、少しだけ寂しい。この増田も、いつの日か同じ運命に見舞われないとも限らない。

 人工無能アプリ流行っているらしいので、何となく書いた記事だ。

 いまでも、youtubeでcleverbotと会話してみた、みたいな動画で、とんでもないことを言い出したときに、ふと思い出す。


 こんなのとか。

 https://www.youtube.com/watch?v=rvLtMdR3Q2g

 このラストとか。

 https://www.youtube.com/watch?v=8lVhPvZg8ts

 電脳少女シロとか。

 https://www.youtube.com/watch?v=Gq-uIMLg0l8

 マイクロソフトのりんなでは、こうもいかない。

追記

 うずらって、まだ生きてるの?

2019-07-25

anond:20190725140710

枝野?イザンベール公認した時に批判してましたか

野党支持者のデモ潰しや選挙妨害表現弾圧に対してモノ申してましたか

anond:20190725111650

今回の選挙でも野党側に表現規制反対派がたくさんいましたよね?

居なかったね。

日本人オタク表現の自由を奪おうとしている自党の議員や支持者を批判していない。

イザンベール公認の時に批判たかそいつらは?

はいまた根拠レスの決めつけ炸裂。

Togetterコメント欄にでもそう書いてあったんですか?(笑)

決めつけではないね

日ごろの行いを振り返れ。

ヘイト」「差別」と根拠レスの決めつけを行い、法にも基づかない表現弾圧を行ってる左派の行状をな。

2019-07-24

anond:20190724143819

事実上他にいないからな。

党や支持者の暴虐を批判一つできないくせに、山田太郎と同格気取りとか笑わせんな。

特に立憲の連中はイザンベールの時に全員アウト。

anond:20190724142326

「別の反表現規制候補」とやらが「私は党(野党)の指示に逆らってでも、いかなる表現の自由をも守り通します」といつ宣誓したの?

オタク表現を嬉々として殺したがってる支持者をいつ切り捨てたの?

内心の自由すら認めないイザンベール擁立したことを表立って糾弾たかそいつは?

2019-07-23

anond:20190723092013

イザンベール公認したような野党

民進党時代公認貰ってたみたいだけど、立憲民主に移行してから完全に切り捨てられたね。

伊藤陽平が丁寧な口調でブチ切れてる↓の記事がわかりやすい。

https://lite.blogos.com/article/296258/

anond:20190722182852

日本人表現だけを規制しようとしたり、違法デモ国民権利を阻害したり、

内心の自由で人を殺すことを宣言したイザンベール公認したような野党やその支持者に「表現規制反対派」がいるわけない。

もしいるとしたら、とっくに離党していなければおかしい。

フェミな。

表現規制反対派を名乗るに相応しからぬ支持者を切り捨て、バッジに誓ってから言え。

2019-07-22

山田太郎氏は「右派オタク代表」としての自覚を持ってほしい

山田太郎参院議員が今回の選挙当選したようで、ひとまずはよかった。

彼が当選したこと表現規制反対派としては喜ばしいことだと思う。しかし同時に、彼には注文をつけたい点がある。

それは、「幅広いオタクの利害の代弁者としてではなく、右派オタク代弁者としての立ち位置自覚すべきだ」ということだ。

当たり前だが、オタクには右派左派もいるし、なんなら極右極左もいれば中道ノンポリもいる。オタクとは趣味を共有しているだけの集団であり、本来であれば政治的に何らかの共通軸を見出し得るようなものではない。それが唯一共闘できる、共闘し得るイシュー表現規制問題だった。

から山田議員が「オタク全体からの支持」を目指すのはどだい無茶な話であった。山田議員にしても、表現規制反対とは別のイシューでご自分意見をお持ちだろう。もしも表現規制反対以外に共通軸の乏しい集団をまとめ上げようとするなら、表現規制反対以外の「自分意見」はなるべく封印してシングルイシューに徹しなければならないが、活動家ならともかく国会議員シングルイシューに徹することはやはり難しかった。

共謀罪とか、表現規制問題とは直接関係がないかに見えるイシューにおける山田議員投票行動は、オタクの一部に深刻な疑念をもたらした。国会議員である以上は様々なテーマをめぐる審議において賛成か反対か旗幟を鮮明にせざるを得ず、その他の審議を欠席したり棄権したりでもしない限りシングルイシューを貫くのは困難だ。

そして今回の選挙に際して、山田議員自民党に入党した。前の参院選で所属していた、独自カラーがちっとも見えない新党改革のようなマイナー政党であればともかく、右派政党の筆頭格である自民党所属しておいて左右を超えたシングルイシューも何もなかろう。自民党入党の時点で山田議員は「超党派オタク代表」ではなく「右派オタク代表」に変質した。オタクといってもその優先順位には濃淡があり、自民党には絶対投票したくないと考えている左派オタクが、山田議員投票なんてできるはずがない。

これは逆を考えてみれば当たり前の話だろう。いくら表現規制に反対の立場を表明していたからといって、右派オタクたちは福島瑞穂議員敵対し続けてきたではないか。それが悪いとはもちろん言わない。右派左派候補投票したくないと考えるのは当たり前だ。だが、だったら左派右派候補を支持しないのも当然だということだ。

山田太郎議員オタク票を掘り起こしてくれたことに対して、私は素直に感謝したい。そして潮目はオタクの方に向き始めた。与野党政治家で、オタクアピールを(自然にこなすかぎこちなくするかの違いはあれど)してくる議員は明らかに増えた。国民民主党玉木雄一郎代表コスプレ話題になっていたが、そういうアピールをする対象として我々は認められたのだ。これは喜ばしいことだ。

から、そろそろ山田太郎議員、およびその支持者の方々におかれては、「反表現規制で幅広いオタクを糾合する超党派政治家」ではなく、「右派オタクを代弁する政治家」という立ち位置自覚された方がいいんじゃないかと思う。

まり、「国会におけるオタクの唯一の代弁者」とか「表現規制反対派の唯一の救世主」とかではなく、「国会に何人もいる表現規制反対派のうちの一人」としての立ち位置自覚してほしい、ということだ。

なんでそう思うかといえば、この点の自覚が薄い一部の支持者が、山田議員を持ち上げる一方で他の政治家(主に左派政治家)を腐すような言動を振りまいているからだ。山田議員以外にも国会表現規制反対派はいること、オタク政治的属性右派から左派まで幅広いこと、こういったことを自覚せずにまるで山田氏が唯一のオタク代表であるかのように振る舞えば、山田氏に必ずしも賛成できないオタクだけでなく、オタクではないけどオタク権利配慮しようとしている政治家オタク層にアピールしようとしている政治家の離反を招くことにもなりかねない。

オタク代弁者、あるいは表現規制に反対の政治家山田太郎氏だけではなく左右両陣営にいること、このことを自覚してもうちょっと支持者の皆様には謙虚になっていただきたいというのが正直なところだ。

自分右派政治家として表現規制に反対する。普段右派として左派政治家敵対するが、表現規制が浮上してきたら敵陣営表現規制反対派と手を組んで表現規制反対のために闘う」とハッキリさせれば、左派寄りの支持者は離れていくかもしれない。だが重要なのは、あらゆる陣営表現規制反対の種を蒔くことであり、山田太郎議員のみが反対派の希望であるかのように持ち上げることではない。

いかに我々オタク代弁者山田太郎先生を盛り上げていくか」という視点は危うい。もちろん山田氏には頑張ってほしいのだが、彼が病に倒れたり事故に遭ったり致命的なスキャンダルを起こしたりしたときに、代わりの者がいないような状況では困るのだ。それよりも、多少山田議員の得票が減ったとしても、その分が他の政党表現規制反対の候補に流れているならそちらの方が好ましい。卵を一つの籠に入れないのは政治世界でも重要なことだろう。

なのでまあ、左派寄りのオタクとしては、山田太郎さんには右派オタク代表としての自覚を持っていただき、その立ち位置にふさわしい振る舞いをしていただきたいというのが正直なところです。別に左派政治家が気にくわんなら好きなだけ批判すればいいとは思うが、だったら超党派オタクを糾合することは諦め、右派オタクを票田にするのだと決意していただきたい。こちらも左派の反表現規制派の人たちを応援するんで、お互いに頑張りましょう。

追記

日本人表現だけを規制しようとしたり、違法デモ国民権利を阻害したり、

内心の自由で人を殺すことを宣言したイザンベール公認したような野党やその支持者に「表現規制反対派」がいるわけない。

anond:20190723092013

そんなこと言ったらバリバリ表現規制である葉梨康弘議員みたいなのをのさばらせておく自民党に入党した段階で規制派になっちゃうじゃん。イザンベールと違ってこっちは現職国会議員だよ。

腹立ちまぎれに分断を尚煽ろうとするの図

枝野幸男が右も左もないと言っているのにいつまで右だの左だのにこだわっているのか。ここまでの票田になる山田太郎を右も左もないという理念を掲げている立憲民主党に引き入れられなかった失策反省するべきだろう

分断は煽ろうとかそれ以前に現にそこにあり、その存在に気づかずに、あるいは軽視して超党派結集ムーブをされると踏みつけられたり軽視された側としてはいい気分はしないので、分断のどっち側につくのかちゃん旗幟鮮明にしてよね、って話です。

分断を乗り越えようとしているにしては片っぽを軽視する言動・行動が目立ちはしませんか、どうしてもその片っぽを軽視したいのなら超党派ムーブやめませんか、って話。

何度も言うけど表現規制問題が浮上したら左右を超えて手を携えるべき。でも表現規制以外のイシューでも山田さんを推せるかっていうとそうじゃないわけですよ。山田さんを一致して推せない理由こちらだけに求められても困る。だったら「お互い一致はできないね」「表現規制問題が浮上したら一緒に戦おうね」と約束して今は袂を分かとうよ、という趣旨です。

左派山田太郎とその支持者を憎悪する理由

anond:20190723220747

枝野さんとか保坂さんといった先達の存在に目を向けずまるで山田さんだけが表現規制旗手であるかのように言ったらそりゃ反感を買うわな、という当たり前のことがわからんのかね。

左派表現規制派がいないとは言わないし、だからあらゆる陣営に反対派は必要だよね、と言っているわけだが、なんかもうこのレベルイチャモンに真面目に返答するのアホらしいな。何にでも性的消費ーとか噛み付く一部の自称フェミを見てるみたいな感じ。

まあ、山田さんも支持者の皆様も、頑張ってくださいね応援はしてます

左翼原則として表現自由を守ってきてる。例外としてオタク規制してる。右翼は逆で、原則として表現自由規制して、例外として山田太郎オタクのご機嫌をとってる。それで表現自由ヅラされてもなあ。

しゃべるセレクティブエネミーかな? 例外もクソもあるかオタク自由も守られるべきに決まってんだろ。進歩派の皮を被った保守主義者は我々自由主義者の敵なので右側の自由主義者と協働して打倒していこうな。

2019-07-21

ちんちんXLになった

一度元気が出れば、もともと小さい方ではなかった。

それが大きくて入らなくて、付き合った女の子とは突き合えなかったことの方が多かった。杭打作業にも似た俺のピストン運動は、その巨大質量によって生み出される運動エネルギーを持ってして破壊的な痛みを発生させていた。

そんな風に生きてきた。

剛直を突き立てること叶わず慟哭する遣る瀬無さをボディメイクに当て始めたのは1月からだ。それなりに普通に筋トレしながらサプリメントを飲む。プロテイン、HMB、BCAA、マルチビタミンミネラルライフフォースってとこの)、CLA、ファットバーナー、その他色々だ。

スーツサイズがキツくなってきたことに笑みを隠せなくなってきた頃、いつも使ってるSKYNのLサイズが小さくて入らなくなったことに気がついたのだ。

絶望である。震える手をXLサイズと書いてあるコンドームに伸ばしたドン・キホーテは深夜26時。

屹立するマスキュリンの塔には丁度誂えたかのようなサイズベールが掛けられたが、しかしそれが本来の役体を成すことはついぞなかった。

2019-07-11

来月、彼等は結婚式を挙げる。

都内の豪奢なホテルに500名以上の人を招き、祝宴を開くのだ。私自身も参席が認められている。あの病院長の息子と言うだけあって、祝賀ムードに沸き立っていた。王妃となるそのお方はヒラヒラと美しい白衣を纏ってみせた。此方を振り返る様は少女のようだ。最終フィッティングが終われば二人は閨を共にし明日への準備を行うだけとなる。

その最終日にIは私を呼んだ。

「勿論、お祝いして下さいますね」

頭を下げて肯定すれば彼女は和かな笑顔を見せた。花のようなお方なのだ

「良く尽くして下さいました。勿論貴方にも感謝を捧げなければ」

「私に感謝など滅相もございません」

「では一つだけ、最後にお願いを」

聞いて下さいますか、と女医は尋ねる。

「何なりと」

返答を聞いた彼女はそっと私の手を取り、白き指で指の節をなぞる。

明日の予行練習をさせて頂きたいのです、貴方と」

頭が真っ白になり何も言えず硬直する。いつの間にか肘まであるグローブを身に付け

「私のグローブを外し、手の甲に口付けを下さい」

無垢なその言葉淡々と、残酷に告げられる。無慈悲な美しき乙女は、鈴の鳴るような声で続ける。

「此方へどうぞ、歩いてらして。」

時期院長、と一言付け加えて。ぎこちなくなった呼吸を整えると深く息を吸う。ほんの僅かな距離黒髪乙女は立っていた。美しい。純白の衣装に身を包んだ彼女マリアとも見まごうような光を発している。ベールを下ろし表情は隠されてしまっているが、その輪郭は華奢そのもの

コツ、コツと床が音を立てる。期待に満ちた瞳に自分自身が映っていた。

命じられた通りに差し出された白魚のようなか細い手を取り、口付ける。貴方を裏切らないという忠誠の証。見上げれば彼女の笑みが降り注ぐ。

それも全て明日から袂を別つ事を約束している身だった。決意を固めた彼女は、少し寂しそうにも見える。不安も期待も入り混じる表情で立ち上がった私をみつめた。

そして彼女は私の名を口にする。

「怖くはありません。」

「ええ。何の不安が御座いましょう」

彼女は、底知れない物を抱えている。それが何か解き明かしたかったのかもしれない。

練習を続けましょう。ベールを」

果たして全てを払拭して差し上げる事が出来るだろうか。乙女瞳を閉じて口付けを待つ。顔を近付け、唇が触れる寸前で止める、つもりでいた。

柔らかな唇の感触に思わず言葉が途切れてしまう。それは、私ではなく院長に捧げられる筈の純潔だ。

「言わないでください、何も。震えてしまいそうです」

あつい熱が喉奥から込み上げる。この方は自分の物では無い、筈なのに。何故こう悲しみとも苦しみともつかない感情が押し寄せるのだろう。契約一つで関係性に何か変化が訪れる訳では無い。秩序の保たれた今迄通りの関係が続いていく筈だ。それなのに、何故。肩を知らず抱き締める。

「…離したくありません」

離してしまえば、貴方はきっと遠くへ行ってしまう。私は一人取り残された心地で祝福するのだ、二人を、遠くから幸せそうに。それが出来たらどんなに良いかと思う。二人の幸せな結末に彩りを添えられる存在であれたら、どんなに。唇を噛み締めた。

浅ましい感情を隠していたのに。一度矜持を失えばどれだけ虚しさが胸を占拠するか分からないのに。そんな私の心を察したのか緩く背中を撫で始めた。

御免なさい、無理強いを致しました。私の過ちです。どうか許して」

一つ口付けを頬に落として白衣を纏いし娘は去って行く。光だと思われたその姿はいつの間にか影で覆われて、此方を振り返りもしない。明日貴方は私と同じように同じ唇で院長に口付けをするのですか。愛を誓うのでしょうか。女々しい想いに嫌気がさす程。気付けば首元には汗が流れ「どうぞ、逝かないで下さい」と叫ぶように懇願していた。

そこで、私の目は醒めた。はあはあと乱れる吐息。指先は闇の中で情けなく震えている。

それは現実を映した悪夢だった。記憶を辿ってみても愛したその人がどんな結末を迎えたのか思い出せそうに無い。まるで穴が空いたように、一部分だけが脳裏から欠けてしまっているのだ。無理に思い出そうとはしなかった。

私が秘書を務めるあの医師も夢を見るのだろうか。例えば、オペ中に失敗して権威を失う夢など。その喪失感は計り知れないだろうと想像し、また瞳を瞑った。今日のうちは眠ってしまうに越したことはない。先程の夢も、緊張が見せた物に違いない。だが、意識すればするほど睡魔はどこか遠くへ行ってしまい目が冴えるばかりだった。

2019-07-06

ガメ・オベール氏、英国人から偽者呼ばわりされる

I think you ARE Japanese. あなた英語は変ですね。私はイギリス人ですので分かりますよ。

https://twitter.com/goodoldcatchy/status/1031170233195589633

なお、英国人には言い返せない模様。

2019-06-22

妊婦は国の宝だみたいな価値観が苦手

はてぶでも大量に星を集めてトップ米になってるのを見たことあるしツイッタで検索してもそう呟いている人がたくさんいるけど。

生殖能力のある女性は他の対象よりも高い価値を持つ、みたいな価値観ってまさに男性(というよりオス?)が女性を品定めする時に

持ってるゴリゴリ男性価値観であってそれを子育て支援というベールに包んでいるだけにしか見えなくて気持ち悪い。

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