はてなキーワード: サッカー部とは
おめでとう、俺。
高三になった。自由登校が始まった。
だからもう体育なんてしないで済むぞ。
大縄大会で引っかかった時のみんなの顔も、リレーで前の人から引き離された時のみんなの顔も、他にもたくさん、たくさん。
みんなの顔をもう見なくて済むんだぞ。
出来ないだけなのにやる気がないって陰口言われたよな。
チーム決めの時、誰も俺をチームに入れようとしないから、最後の最後まで残ってたよな。
いつもは教室で話してくれる友達が、体育の時だけぎこちなくなるんだ。チームになってくれないんだ。
そういう空気を小学生の時から、ずっと一身で受けて続けてたよな。
いつからクラスみんなやってる鬼ごっこに参加しなくなったんだろうな。
体育の時に傷つけられた自尊心を、誰か偉い人に賠償してほしかったよな。
小一の時の俺が今の俺をみたら、羨ましくて羨ましくて、たくさん泣くだろう。
だってお前、体育がある日はどうにか休んでしまおうと、いつも頑張ってたもんな。
でも、本当は。
体育が嫌いなんじゃない。
優しくしてくれないサッカー部が嫌いなんじゃない。
体育必修じゃない大学を選んだ。
絶対受かろう。
そしてチー牛ばっかりのサークルに入ろう。
おめでとう、俺。
もう体育なんてしなくて済むんだぞ!
これ以上嬉しいことなんてない!
でも大前提としてフィジカルやボールセンス、つまりは身体能力と運動神経が圧倒的であることを求めているスポーツなんだと感じる。
その世界に身を置いているといつの間にか「運動神経も身体能力もない奴は論外」という思想に染まるリスクが出てくるんじゃないだろうか?
実際に俺は、その価値観に染まったとしか思えないサッカー部の奴らに、体育の授業でボロカスにされた思い出を今でも忘れてないよ。
あっちに行けそっちに行け絞れ散れよく見てろと怒鳴られ、必死に走ってフラフラになりながら最後はうろたえている所に飛んできたボールが腕にあたってハンドを取られた。
当時の記憶はボヤけていて不鮮明だけど、あのときの腕の開き方を考えるとアレはそもそもハンドじゃなかった可能性のほうが高い。
そんなのもよく知らない俺はとりあえず謝ったし、周りも小学生だったので曖昧なルールで俺は退場させられた。
んでもって試合に負けた。
授業中のたった1試合に負けただけなのにサッカー部の奴らはひたすら俺に文句言ってきたし、最後には「お前なんて居ないほうが良かったんだから隅っこで立ってたほうがマシだった」と言いやがった。
確かに足元の技術がおぼつかないような奴が変にフィールドに居るよりは、消えたほうがオフサイドの心配とかは減るのかもな。
でも俺にそんなこと言われても困ったよ。
ただ元々運動神経が鈍くてスポーツが嫌いだった俺は、それをサボる口実に使おうと次のサッカーの授業で教師に相談したんだ。
そしたらどうなったか。
教師が怒り出したんだよね。
突然全員を集めて説教になった。
内容は覚えてないけど「運動がちょっと出来るぐらいで天狗になってるようだが、そこまで偉ぶれるほど上手くもないくせにえばんなよ」みたいな話を3分ぐらいしてた気がする。
んなことになるならそもそもサッカーをやるんじゃねえよって俺は内心思いながらそれを聞いてた。
普通にそれ以降もチームスポーツはあったし、毎回俺みたいな運動音痴があちこちのチームで足を引っ張っていたし、ソレに対して運動部の連中はキレ散らかしていた。
何も変わってない。
まあ実際ソレで良かったと思うよ。
もしも大きな変化があったら俺がイジメられる原因になっただろうから。
でもやっぱ一度こういうことがあるともう無理だな。
もう俺はサッカーなり野球なりバレーなりやったり見たりする度にそのことを思い出す。
「運動能力が低い人間から人権を剥奪する装置」みたいな認識がずっと付き纏ってくる。
戦術の話を見るのは楽しいけど、試合を見ていて選手を応援する気分にはならない。
どいつもこいつも性格の捻くれた戦闘力至上主義のスポーツキチガイなんじゃないだろうかってよぎった瞬間に感情移入度が完全な0で固定されてしまう。
こんな奴らがニュースで褒められてるのだって本当は見たくないんだって気持ちが湧き上がってきてイライラする。
俺はサッカー楽しめないよ。
観戦でも楽しめない。
ぶっちゃけ他のスポーツもそうだけど、サッカーはその中でもとびっきりに無理なんだ。
中学だとテニス部の奴らがクッソうざかったけど、まあ中学まで行くと皆おとなになったのかクラスの雰囲気でも「テニス部うぜー死んでほしいよね」って感じでウザさに対してのツケを払わされてる感じだったしなんか割り切れるんだよな。
小学校の教室のサッカー部はさ、なんかこう本当に誰もがコイツらに逆らえないような特権階級みたいなところがあって、人格破綻者なのに人気もあって、本当に手に負えなかったよ。
サッカー選手がテレビで褒められて国を代表したヒーローみたいに扱われててるのを見ると、今のこの人達もまさに手におえないなあ、こんだけ凄いなら裏で何でもやり放題なのかなとよぎってしまうんだよ。
小学校のトラウマから抜け出せてない俺の個人的な感想にすぎないのは分かってるけど、論理を積み上げても感想は覆せないときには覆せないせいで、感情だからこそ厄介だなと思うよ。
どうしたらいいのかは分からないから、結果だけ確認して職場では愛想笑いしながら「凄いっすよね。まあ俺あんま興味ないですけど」って感じで流してる。
サッカーなんかに必死になって暴れまわる人嫌いだからさ、自分もサッカー嫌いなんかで暴れまわりたくないんだよな。
一段高みにいる気分にでもならないと、余裕が無くなりそうだよこの時期は。
サッカーおたく(サッカーオタク/サカおた/サカオタ)という表現は電子掲示板2ちゃんねるのみで使われていたと言っても過言では無いくらい利用される環境が限られていた蔑称だった。
別サービスで使われることもあったがほぼ2ちゃんねる用語みたいなものでリアルでサッカー好きへ「サッカーおたくなんですね」なんて言うと決まって言われた方のサッカー好きは不機嫌になったものだ。
特にその不機嫌となる傾向は国内サッカーだけでなく欧州サッカーをもフォローしているようなサッカーへ深い理解を持っているサッカー好きほど強く、何ならサッカーおたくと言われたサッカー好きは暴言を返すまであった。
その当時の国内サッカー普及度を考えれば欧州サッカーを知ってるサッカー好きなんてサッカーおたく以外なにものでも無いのだが自身がオタクであることを決して認めないどころか怒り狂うほどオタクと呼ばれるのを毛嫌いしたのだ。
ちなみに野球好きはどうなのよ?と思うかも知れないが、“野球おたく„なんて言葉が登場する前から“野球狂い„や“虎キチ„“ドラキチ„などという“野球おたく„の上位互換のような表現があったので、そのように呼ばれる野球好きは別に怒り狂うなんてことはなかった。
野球狂いなんて呼ばれても不機嫌になる人も居たが極少数だった。“アンチ巨人„なんてむしろ誉れくらいに思ってる人が居るような文化だったのだ。
今はTwitterなどでサッカーおたくやサカオタなどと検索すると普通に自称しているヒットするようになっており時代は変わるもんだなぁとしみじみ思う。
約30年前はサッカー部員が、というよりも運動部員がオタクをいじめてたりもしてたわけだけど、20年くらい前、2ちゃんねる登場以降から状況が変わり始めて、今やサッカー好きもサカオタですよ。
そう言えば女子も“ジャニーズ女おたく„なんて言われると嫌がってたなぁ。
あぁそうそう“おたく„って当時は男性詞だったのよ。男性詞だったから女性のおたくは“女おたく„だったわけ。
そんなことを考えると、これから10年20年も経てば“フェミニズムおたく„って表現が一般化したりしてね。
フェミオタの皆さん、同じオタク同士仲良くしようぜ?サカオタだってコチラ側に来たんだからフェミニズムもオタク趣味の一部になれるよ。
子供の頃から積み重ねられたサッカーに関わる人間への憎悪が消えない。
とにかく子供の頃から印象が悪い。Jリーグ元年辺りがほんのりと子供の頃の記憶にある年齢だが、とにかくサッカーが大嫌いだ。
プレイヤーもファン(サポーター)も、W杯の時だけバカみたいに盛り上がる民衆も、周辺の物すべてに腹が立つ。
第一にプレイヤーがいけ好かない。クラスの上澄み、カースト最上位の人間がやっていた印象が強い。
自分たちの言ったことすべてが通ると思いこんでいるクソ性根。少人数の別意見とか見えない聞こえない。陰キャには人権ないと言わんばかりの扱い。ど田舎なのでサッカー派はほぼヤンキーと同意。ソリが合わない奴のほとんどがサッカー派だった。
そういう何でも出来る奴に見下されるようなタイプだからこそ余計に苛立つ。ポールをぶつけられた事すらある(サッカープレイヤー様からすれば避けられない方が悪いことになる)
サッカー見てない、見たくないと言ったら非国民扱いされたこともある。別に日本代表で世界と戦ってくれとか頼んでねぇんだけど、応援しないと国籍すら取り上げてくるのかよ。
サッカー部は規律クソゆるで素行不良の数も多かった。近付くだけで派手な馬鹿が移りそうなのがサッカー野郎共。徒党を組んで他人を馬鹿にすることでカーストを確定させるクズども。格好いいを履き違えて派手な格好をしてるやつもサッカー部ばかりだった。社会のルールやマナーなんて存在してない世界に生きてる奴らが多すぎる。
成人したプレイヤーすらも見た目が派手で苛々する。幸い近年はマイナー寄りの扱いで中継などは少ないが、ニュースなどで目に入るとこいつ等がこんな格好してるのが諸悪の根源なんだろうと苛々する。
派手な広告塔が格好つけて見せることでそれに憧れたバカガキどもが真似をする悪循環。パフォーマンスと言う名の自己満足、自己陶酔が酷すぎる。他のスポーツでも大なり小なりあるだろうがサッカーはあまりにも鼻につく。
頭の変な紐も手首足首の変な紐(ミサンガ)もそのバサバサの髪型もスポーツには要らんだろ。たくさん走るんだから乱れる髪で格好つけはなくていいだろ。どんなスポーツも選手が必死にやってるだけで十分格好良く見えるわ。派手な見た目にしてるのはただ目立ちたいだけだろ。
サポーターも輪をかけてクソだ。サッカーが好きというだけで自分が上にいるつもりになっている勘違い共の集まり。
応援の仕方の強制は他のスポーツにもアイドルのライブにもあるが、サッカーのサポーターは常軌を逸している。サポーターの取材レポを読んだだけでも近づきたくなさ過ぎる。勝手にルールを決めて強制的に押し付けてくるのは子供の頃のサッカー野郎共とほぼ変わらない。
あと熱量が異常なサポーターの数が多すぎ。興味のない素人にまで同じ熱量を要求するし、海外はもっとやばいってどんな民度だよ。サッカーが好きなやつくらいだよ、ここまで他人に自分たちのやり方を押しつけてくるのは。
今、とあるサッカー漫画を読んでいる。読み始めたのは偶然だがとても面白くてサッカーを好きになれるかもしれないとほんの一瞬思った。
せいぜいポジションの名前と位置関係くらいしかわかってなかったのが解像度が上がって楽しくなった。
でも結局現実側は派手好きのおカッコいいサッカープレイヤー様と熱心なサポーター様共がクソでか大声を出して威嚇してるから、陰キャは入ってくんなって感じだし異様なコミュニティになってて近づきたくない。
中高ではサッカー部に所属しそこそこ活躍していたため陽キャと連んでいた。しかし俺だけ告白されず告白しても振られ、彼女ができなかった。イケメンでもないのに周囲のイケメンと同じノリで騒ぎ振る舞う、痛い自分を「発見」した俺は大学で変わることを決意。
・服はルーカ、アディダス等→無印、ユニクロ、ビームス等(中高は地元のヤンキーかぶれだった)
・初見で「か…かわいい!」と思う子を狙う→歯並びが悪くなく、笑う時歯茎が見えず、太っていない子を狙う
・勢いで笑わせようとしたり、俺のことすごいと思ってもらえるような話題で話す→相手の情報を自然に収集できるようなテーマで会話をする
・目立とうとする→目立たないようにする
継続的なコミュニティ(授業、サークル、バイト先など)をいくつか確保→1コミュニティにつき1人ターゲット絞る→挨拶する→会話をする→名前と顔を覚えてもらう→顔を合わせれば話す関係を作る→数回ご飯を食べに行く
このフローはとにかくスピードが大事。ダラダラしてはいけない。またこの時点で好意を伝える必要はないが、変にラフになってもいけない。それから、
明らかなデートスポットに誘う→普通に楽しむ→帰り際に手を繋ぐ
デートスポットに誘う時は変な理由付けや言い訳はダメ。直球で誘うのが大事。手を繋ぐ時に了承はいらない。相手に嫌がられたら辞めればいいし、相手は嫌だけどNOを言えないなら向こうの自業自得だ。イケメンやモテ男なら手を繋いだ所から一気に最後まで駆け抜けるが俺は非モテなので1ターン置く。それから、
「コミュニティの近場・夜・日常」という状況で会う→手を繋ぐ→ハグ→キス→上がり
マッチングアプリはイケメンでないと厳しいため最初から参入しなかった。
俺は試行錯誤の末に、めちゃくちゃ可愛いわけではないがブスでもない女の子を上記のパターンでセックスに持ち込むAIを自分の脳に搭載することができた。レイ・カーツワイルの唱える「バイオロジカルな思考と非バイオロジカルな思考の融合」は既に日本の東京で達成されているのだ。大学を卒業し社会人3年目になった俺の経験人数は30人を超えた。
非モテの人間は羨ましいと思うだろうか。昔の俺なら今の俺の羨むだろう。しかし、いくら女を抱いた所で自分が益々空虚な人間になっていることに気づくだけだったとさ。
これは私が実際に見た状況を模した例え話である。
中には、友人同士で結果について語り合う者もいる。
その中の1人、お調子者のAは周りの仲間にこう言った。
「やっべー、赤点ギリギリだったわ。てかこの問題の答えって2番?」
その声は大きく、クラス全体に聞こえるほどだった。
クラスの片隅で話を聞いたぼっちのBは、小声でぼそっとつぶやいた。
「そんなのもわかんねーのかよ。1番だよ、馬鹿じゃねーの」
Bの声は当然Aに届くこともなく、Aは気付かずに仲間と談笑を続けている。
Bのとなりの席に座っていたCである。
Cはサッカー部のエースであり、クラスでもカースト上位の人気者、教師からの信頼も厚い。
当然Aとも親交がある。
Bの声を耳にしたCは、周りにも聞こえる声でBに意見した。
「なぁB、Bは確かに勉強が得意で、Bにとっては簡単な問題なのかもしれないけどさ、だからって他の人に対して『馬鹿』ってのは言い過ぎじゃないのか?」
一拍おいてCは続ける。
「確かに正しいのはBかもしれないけどさ、言っていいことと悪いことってものがあるだろ?相手の気持ちも考えようぜ?」
言われたBは黙ってCを見つめ、何も言い返さない。
Cはさらに続ける。
「俺、何か間違ったこと言ってるか?反応してくれないとわからないよ」
様子を見た周りのクラスメイトは口々に話し合う。
「Bって勉強はできるけどそういうところあるよね」
「何も言い返さないってことはCの言う通りなんだね」
「Cってやっぱりいいやつだよな」
「Cは正義感強いなぁ!」
例え話はここまでである。
これを読んだあなたは、何を感じただろうか。
確かに、陰口をつぶやいたBは糾弾されても仕方ないのかもしれない。
Cが本当に「いいやつ」ならば、ここでBを糾弾する必要があっただろうか?
本当に正義感からBの言動を正したいだけなのであれば、周りには聞こえないように小声でBに指摘をすることもできたはずだ。
テスト返しが終わった後の休み時間にBと1対1で話し合ってもいいだろう。
だがCはそうしなかった。
クラスメイトに囲まれた教室の中という圧倒的に自分が優位な状況で。
わざわざ周りに聞こえるような声で。
誰にも明かしたことはないけれど、恋多き人生を送ってきた。10代の頃はそれはそれは惚れっぽく、けれどお付き合いの具体的なイメージが沸かないから、すべての恋を胸に埋めて大人になった。大人になると途端に恋は人間関係と結びつき、恋人になるなり、失恋するなり、別れたり復縁したりと暮らしに影響を及ぼすようになった。
けれど、ただ胸の中にアルバムをこしらえて、目が奪われ体に火がついたような一瞬を大切にスクラップし、眠れない夜や開放的な歌を耳にしたときついページをめくってしまうような、眩しく淡い恋はあの頃で終わっている。そして夏が私にそれを思い出させる。
入学したときはぽっちゃりした坊ちゃんみたいだった佐野くん。実はピアノが上手くてプログラミングにも長けていて、卒業する頃には背まで伸びて花より男子に出てきそうだったのに、おっとりと優しく人を立てる性格がずっと変わらなかった。
クラス替えの自己紹介で将来の夢を聞かれて、低い声でぶっきらぼうに「DJ」って答えた佐伯くん。全く意味がわからなくて、大人っぽすぎてドキドキした。家に帰って辞書で調べて、ラジオのディスクジョッキーのことと理解して、その夜はラジオから佐伯くんの声が流れ出るのを想像した。
ずっと一匹狼だった小山くん。いじめスレスレのいじりが起こるとすっと話題を変えていた。先生含め全方位につれない対応だったのに、裏表のない態度が一目置かれる存在だった。同じ小学校から進学してきたユカちゃんと話すときの笑顔だけが特別だった。
ロッカーが隣で、ふっと中を覗かせてもらったら、ぴしっと教科書が整列していた坂上くん。ゲラゲラ笑う大胆な人なのに几帳面なんだ!と驚いて、自分のロッカーを見られないようにあわてて閉めたら目があってニヤッとされた。扉の裏にコピーした時間割がまっすぐ留めてあった。
くるくる天然パーマがキュートだった加藤くん。ずっと冴ちゃんに片思いしていて、冴ちゃんが誰と付き合ってても視線の熱が変わらなかった。一度男女混ぜこぜで鎌倉の花火大会に行ったとき、一番はしゃいで盛り上げてくれたことを思い出す。あのとき冴ちゃんが彼氏の呼び出しで早く帰ってしまい、それでも続く明るいトークには抱きしめたくなるほど痺れた。
その花火大会の日に家に寄せてくれた吉住くん。浮いた噂一つない柔和なカタブツで、誰にも平等に接するフェアなところを尊敬してた。ご両親とのやりとりも穏やかでユーモラスで、その後何度もみんなで家に通わせてもらった。高校で柔道部に入ってあれよあれよと体が分厚くなり、人懐っこい熊のようだった。
眉毛を一生懸命整えていた竹内くん。今思えばきっとノンバイナリーな人だった。男子グループに上手く馴染めていなかったけど、料理部に入って人は人自分は自分って感じに対処していた。ミステリアスで目が奪われた。
バスケ部の永田くん。学校ではまるで話したことなんてなかったけど、偶然電車で会ったとき、家のことや好きな本の話など、横浜〜藤沢まで楽しくおしゃべりできた。クラスメイトの陰口など一切言わなかった。鞄の角がすり切れていて、でも持ち手はきれいにしてあって、ものを大切に使うんだなと感心した。
テニス部の藤本くん。華やかな容姿で人目を引いたのに、結局誰とも付き合わず、いつも友達とふざけているか本を読んでいた。一度バスの中で何を読んでいるか聞いたら水滸伝だった。読書するとお小遣いもらえるんだよねと言っていたけど、きっと本当に本が好きだったんだな。
藤本くんの親友で、ある日突然私に現国を教えてと持ちかけて水木くん。勉強なんてしてこなかったけれど、医学部に行くって決めたからと言っていた。弟の病気を直せる医者になりたいってそんな漫画みたいな‥と思ったけど、全力で学ぼうとする姿勢にはむしろ教わることばかりだった。卒業生総代になって、答辞の添削を任せてもらえたときは胸が詰まった。
サッカー部で副キャプテンをしていたのに、引退試合の直前で怪我をしてしまい、試合には出れずコート外から大声で指示を出していた榎木くん。試合終了が近づくともう何も声を出すことなく、ただ制服の白シャツがはためいていた。
回転ドアの向こうに、自転車の後ろ姿に、夏の朝夕、暑さが残る淡く眩しい光のなかに男子学生を見かけると思い出す。みんな素敵だった。私恋ばかりしていたけど、それは当たり前だった。
自分は典型的な学会2世で、2000年代前半に創価中学・創価高校(創価学園)に通っていた。
いかんせん20年近く前のことなので中学・高校を混同してたり不正確かもしれないけど許して。
地元の5歳ほど上の代に創価中学に合格したひとがいて、それなりの田舎だったこともありレジェンドのように語られていた。
そのレジェンドが通っていたのと同じ地元の塾に小4から通った。創価学会員はこの手の験担ぎが大好きなのだ。
前日に38度の熱を出してしまった。前述のレジェンドも同じようなことがあったなかで合格したらしく、カーチャンは興奮しながら唱題していた。創価学会員はこの手の(ry
当日は携帯ご本尊(お守りご本尊とも呼ばれる)をカーチャンに持たされた。どんなものかはググってくれ。
お決まりの「公共交通機関でお越しください」であったが、トーチャンの車の後部座席に寝ながら向かった。ゲートで係員に止められていたが、後部座席で寝込む俺を見て敷地内の駐車場に誘導してくれた。俺は眠くて寝てただけなのに。
通常の会場とは別室に設けられた体調不良者が集められた部屋で試験を受けた。ポカリ飲み放題で、毛布にくるまって行儀悪く立膝しながら快適に試験を解いた。
俺が受けた年は倍率11倍で過去最高だったとかそのあと聞いた気がする。
創価学園だからといって必ずしも池ちゃんと接触の機会があるわけではないが、俺のいた頃は入学式と卒業式は確定で池ちゃんが来ていた。
普段は会館で見る衛星放送の映像の中にいる池ちゃん(とそのスピーチ)を生で見られるということで、たぶん保護者が一番テンション高かったんじゃないかな。
うちもカーチャンがテンション爆上がりしていて、出席できるのは保護者の片方だけだったがトーチャンは問答無用で蚊帳の外に置かれていた。かわいそう。
ちなみに俺の在校中に池ちゃんが入学式・卒業式に出なかったことが2回ぐらいあって、それまでは皆勤だったから中々の衝撃を学会シーンに与えていたような記憶がある。
あとスピーチ中の池ちゃんはアゲどころで机を手でバンバン叩くことが多く、その少し後に流行ったやる夫AAの「だっておwwwwwバンバン」を見たときに池ちゃんだろこれって悪友と笑ったことがある。
入学式・卒業式ほどじゃない節目イベントのときに池ちゃんからメッセージや差し入れが届くことがあった。
終業式のときなんかに学年主任が「池田先生から差し入れいただきました!」って言って全校生徒にかっぱえびせんが配られるのが定番だった。
コンビニで売ってるようなサイズ感ではなく一回り小さいものだったので「けちくせー」と思った記憶がある。貰い物に文句をつけるな。
何より面倒くさくてウザかったのが、その手のことがあるたびにクラスでA5の便箋が配られて「今回の感想と決意を書いて提出しなさい」と先生から言われたことだった。学会員決意するの好きすぎる。
かっぱえびせんに感想も決意も出るわけもなく、俺は一回も提出したことないがそれで怒られた記憶はない。真面目な生徒は毎回提出していたように思う。
創価学会においては、唱題という行為をすればするほどえらいという価値観がある。本尊にむかってみんなで「なんみょーほーれんげきょー」と連呼するあれね。
校舎の一階に謎の立派な扉があって、その奥に20畳ぐらいの和室と本尊があった。
体育会系のメインストリームなひとたち(サッカー部や野球部)なんかは大きな大会の前になると、朝や昼休みに総出で唱題をしていた。練習すればいいのに。
ほかにも生徒会とかの意識の高い優等生は自発的に空き時間に唱題しに来てた。
ちょっと記憶があいまいなんだけど、誰でもアクセスできる部屋というわけではなく、部活で唱題する人と一緒に応援をしたい人とか、招待制というかクローズドな場所だったような気がする。誰も唱題していない時間に潜り込んで畳の上で昼寝した思い出。
小学生のころ休み時間にサッカーをするのが好きだった。地域のサッカークラブみたいなところにも入りたかったが親に許されず、そのまま下手の横好きで休み時間サッカーを続けていた。
中学に入学してすぐのころ、休み時間サッカーに混ざりたくてそれとなく輪に入ったら横で同級生同士が「なんで増田がここにいんの?プゲラw」と話しているのが聞こえてそれ以降休み時間に中庭に近寄るのはやめた。体育もスポーツも大嫌いになった。
当たり前だが同級生はみんなどこにでもいる普通の思春期10代だった。それまで接した創価学会の大人たちはみんな優しかったので、こんなんだったらこの学校に進んだ意味ないじゃんと思った。
創価学園を語るうえで欠かせないのが愛唱歌の存在で、校歌や寮歌のほかに10種類以上の愛唱歌と呼ばれる歌があった。
昼休みの中庭で、掲揚された三色旗の前で有志で愛唱歌を歌う活動があった気がする。
愛唱歌のうちとりわけ記憶に残っているのは「負けじ魂ここにあり」という歌で、気になる人は歌詞をググってもらえるとわかるけどテンションの上がりそうな勇ましい感じの曲だ。ここぞという機会で歌われていた。
1番から5番まである長い曲で、平時は1番と3番と5番が歌われていた。式典とかの機会だとフルバージョンだったかな。Radio MixとOriginal Mixみたいな。
いわく5番が一番大事だそうで、5番だけが池ちゃんが書いた歌詞だったかな?1番~4番の長い前振りがあって、5番に本命が来る。クラブミュージックか?
これを書きながらググった歌詞を見直したらメロディー覚えてて歌えちゃった。人間の記憶すごい。
創価学会では、学会本部に依頼すると池ちゃんに子供の名前を付けてもらえるサービスがあるのは有名。
池ちゃんネームの割合が結構高かった気がする。クラスに2,3人ぐらいはいた。
中学を卒業してエスカレーターで高校へ進学すると、創価大学への推薦を見据えて学校生活を送る必要が出てくる。
成績に関しては赤点取りまくらなければ大丈夫、ぐらいのラインだったと思う。欠席と遅刻は年間だったか累計だったかで10回まで、みたいな感じだった。
自分は創価大学へ行く気は早々に失っていたので、面倒くさいと思ったら勝手に早退して家でラグナロクオンラインやったりしてた。
成績はボロクソだったが赤点補習をきっちりとこなせば問題なかったので、留年とかそういう問題は皆無だった。なんだかんだで寛容で優しい学校だったと思う。
体育の赤点だけは、夏休みに登校して体育教師が顧問をするサッカー部と一緒にトレーニングをする、みたいな内容でそれが嫌で最低ラインの出席3分の2を維持するハックで乗り切った。
ちなみに一度受けた体育の赤点補習では、俺の休み時間サッカーの件の当事者がサッカー部だったのでそいつが居たが、妙に気遣ってくれたりしてむずがゆかった。あいつ良いやつだったな。
創価学会にはとにかく記念日が多いのだが、記念日の会合で池ちゃんがスピーチをぶると翌日には聖教新聞に全文が掲載される。
総合学習みたいな時間にはその聖教新聞がクラスで配られ一文読みをしていた。ここでもかっぱえびせんのときと同じようにA5の便箋に感想と決意を書かされる。一度も提出したことはないが(ry
池ちゃんのスピーチの全文を読んだことある人がはてなにどれぐらい居るかわからないが、池ちゃんのスピーチって基本的に中身がない(個人の感想です)
「〇〇(歴史上の偉人)は言った、ほにゃららほにゃらら。だから君たちも勉学に努めなさい」一同「ハイッ!」っていうのが池ちゃんスピーチの定番のやり取りで、勉強しろって説法をするときに引用でしか言えないのかこの人、と常に思っていた。
他には「戦争は悲惨だ、最低の行為だ」「いじめはよくない、いじめた人間が100%悪い」みたいなありふれた内容で、何をみんなそんなにありがたがっているのか分からなかった。そのためにはどうしたらいいのか、どうすべきなのか、具体的な方法や理論に言及することが皆無だった。せいぜい本を読めとか勉学に励めとかそれぐらいで、マセガキだった俺の好みの内容ではなかった。
「いついつの会合のスピーチ、めっちゃよかったよね~」と言っている同級生もいたが、松屋と吉野家ぐらいの違いしか俺には分からなかった。
創価学会は独特な語彙やネーミングが多いが、学校にもそれはあらわれていた。
中学のロッカールームは「鳳雛ホール」という名称だった。ほかにも学校内の講堂は「池田講堂」だったり、食堂が「栄光ホール」みたいな名前だった気がする。一番大きい体育館も何か独特の名前があったと思うが覚えていない。俺の卒業後に校舎が建て直されたりしてググっても情報が全然出てこない。
最寄り駅の鷹の台駅から学校までは10分以上玉川上水沿いを歩くのだが、玉川上水沿いの道は「哲学者の道」と呼ばれていた。哲学者の道を横に外れた場所に昔ながらの林があって、そこでエロ本を見つけたことがある。なるほど哲学者の道。
ちなみに近隣の武蔵野美術大学や白梅学園の生徒もここを使って通学していて、妙に大人の女性に見えたなあ。
白梅学園のバス停が前後を創価学園と朝鮮大学校に囲まれている画像なんかが有名だけど、不思議と朝鮮大学校に関する記憶がない。
終業式だか始業式を飛ばして悪友と学校を抜け出して武蔵野美術大学の学祭に遊びに行ったのは楽しかった。
悪友が「創価学園の生徒だけど質問ある?」みたいなスレを立ててVIPで爆伸びしていた。創価系の質問スレはググると結構多いけど、当時2chにどっぷり浸かっていた俺の知る限りでは悪友のスレが元祖だと思う。
校内の写真とかをガンガン上げていて大丈夫かと思った。今でもインターネットで出回る創価学園にまつわる有名画像のいくつかは悪友がアップしたもののはず。
基本的には学会二世しかいないので、典型的な創価学会員の世界観を持っている生徒が多い。
一方俺はネットde真実をゴリゴリにこじらせていたので、普段から池ちゃんや創価学会へ懐疑的なスタンスを公言していたが、それでいじめられたりするようなことはなかった。池ちゃんのいじめを許さないご指導が活きていたのかもしれない。
池ちゃんへのおかしいと思った点を熱心な生徒に話してみたりしたが、全否定されたり人格否定されるようなことはなくまともに議論じ応じてくれたように記憶している。
なにかの学校行事の決意発表大会みたいな学年集会の場で「俺は正直池田大作という人は別に好きではなくて~」みたいに自分の考えを披露したことがあるが(今思うとこじらせすぎている)、それでも「こう考えてる人がいることが分かってよかった。増田の言葉で聞けて良かった」とニュートラルな反応をしてくれた同級生もいたことが印象的。
一方で先生は頑迷な人が多かったように思う。一度英語の先生に「創価学会員はどうして個人なのに人の投票行動に介入するんですか?自分で決めるべきことなのでおかしいと思う」と言ってみたことがあるが、「人は選挙権のほかにも、個人として選挙をお願いする権利もあるんだよ」と答えになっていない返答をされた。いまでも意味わからん。
基本的にあまり好きな先生はいなかったが、現代文のH先生だけは好きだった。
やたらと情熱的な語り口で面白い授業をするひとで、いろんな国へ旅するのが好きで授業の雑談ではその話を臭いぐらいロマンチックに話すので好きだった。
ほかの教科はやる気皆無だったが、現代文だけはノートもしっかり取っていたし、試験前のノート提出もしていた。
あるときH先生に提出したノートを紛失された。丁重に謝罪されてノート点も満点つけてもらった(らしい)が、それ以降H先生の授業へ興味を失った。クソガキすぎる。大人だって失敗するときはあると今ならわかる。
平等や平和を謳う創価学会員もしょせんは人の子なので、スクールカーストは存在していた。
今でいう陽キャは「メジャー」と呼ばれ、陰キャは「マイナー」と呼ばれていた。
ちなみに親が幹部かどうかはスクールカーストには関係なかった。ただディベート大会で全国レベルの成績を残したり、生徒会役員だったりするようなインテリ勢は親が幹部っていうパターンが多かった。そしてインテリ勢はメジャーマイナーの括りにも縛られないアウトサイダー的雰囲気があった。
世は前略プロフィール全盛期、同級生のメジャー勢の女子が前略プロフィール(というかそれに付随するいわゆる「リアル」のページ)で飲酒パーティーの写メ(死語)をアップしていて、学校に垂れ込まれて停学になってた。
停学になったメジャーの女子たちはほとんどその後創価大学へ進学し、銀行員になったり不動産屋になったり売れないクラブDJから水商売の世界に入ったり、様々なよう。
履歴書の学歴の呪いについてのブコメをしている人がいるが、今のところ特に困難だと感じたことはない。
転職もしつつ順当にキャリアと年収を上げて生きてきたけど、「親が創価なんで」の一言でそれ以上深掘りされることも差別されることもない。
山を削ってないはいいんだけどそもそもメガソーラーという言葉の認識を間違ってる増田。
メガソーラーという場合のメガは、めちゃでかい!みたいな意味で使われてるんではなく定義上1000kwあれば、1mwなので、メガソーラー。私立の中高の野球部やサッカー部の練習グランドくらいの大きさが多いと思う。
自分も今の仕事でメガソーラーというものに接するようになった最初の頃は、こんな小さくてメガってw と思ったりしたが、別に超大規模じゃなくてもメガなのだ。なのでメガソーラーはその辺の田舎の自治体にボコボコある。
増田の言う通りたいして山は削ってないけど、それでも増水とか台風とかで土砂崩れを起こして周りの土地や公道にダメージを与えるのは普通にちょいちょいある。でと別にメガソーラーになってなくても土砂崩れくらい起きると思う。ちゃんと保険かけてるだけマシまである。
昨日、スポーツバーで海外サッカーの話で初対面の男と意気投合して、近くのホテルで寝た。高校まで強豪校のサッカー部でレギュラーだったという男の身体は引き締まっていて、魅力的だった。
ただ、その男は夜風呂派だった。夜、寝る前に風呂に入り、普段なら風呂上がりにパンツを履き替え、翌朝は髭を剃り、髪を整える程度だと言う。私は朝風呂派で、夜はメイクを落とす程度、翌朝に風呂に入り、パンツを履き替え、真新しい気持ちで朝日を浴びる。この違いは大きい。見解の相違、埋めがたい溝、いわば宗教観の違い。
眠りというのは、死である。意識の電源を落とし、完全に無防備な状態で、魂の抜けた肉体を横たえて翌日生まれ変わるための力を回復する。死と復活の儀式。太陽が沈み、また登るように、肉体は眠りという死を経て復活する。この儀式をどう捉えるか。ここに夜風呂派と朝風呂派の意識の違いが現れる。
眠りという死を重視し、身体を清めて布団に入るのが夜風呂派である。新しいパンツを履き、神妙な面持ちでパジャマという正装に着替え、神聖なる死の床に就く。対して朝風呂派は、死は復活の儀式の一環であり、朝の目覚め、そして復活の後の清めを重視する。何よりその日の生を祝福するために、身を清めて一日を迎えいれる。
とにかく私としとは、夜風呂派と長く一緒にいることはできない。眠る前には気持ちがすっかり冷めていて、おかげで熟睡することができた。朝、まだ眠る夜風呂の男を起こさないように、静かに身支度をし、さっさと電車に乗った。