はてなキーワード: グラフィーとは
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……ッッ どーやらもう一名は到着が遅れている様ですが、到着次第ッ皆様にご紹介致しますッッ
「100選」って書いたけど、多分50冊もないわ。トラバやブコメで埋めてくれ。順番とかは重要度とかではなくて、単に思いついた順。
スティーブン・ピンカー 『暴力の人類史』
ロビン・ハンソン、ケヴィン・シムラー 『人が自分をだます理由』
A.R.ホックシールド 『壁の向こうの住人たち』
セス・スティーブンズ=ダヴィドウィッツ 『誰もが嘘をついている』
デイヴィッド・ハルバースタム 『ベスト&ブライテスト』
ウィリアム・マッカスキル 『<効果的な利他主義>宣言!』
井上達夫 『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』
倉本圭造 『「みんなで豊かになる社会」はどうすれば実現するのか?』
東京大学社会科学研究所付属社会調査データアーカイブ研究センター 『人生の歩みを追跡する』
John R Hibbing 『Predisposed』
Charles Murray 『Human Diversity』
Thomas Frank 『People Without Power』
Douglas Murray 『The Madness of Crowds』
Jonathan Haidt 『The Codding of the American Mind』
Geoffrey Miler 『Virture Signaling』
Thomas Piketty 『Capital and Ideology』
Cornellの議論は、ポルノグラフィの危害を認める一方で、ラディカル・フェミニズムの主張するような形での危害を相対化する。「さらに言えば、マッキノンによると、ポルノグラフィは男性をレイプへと駆り立てることによって産業の外においても女性への直接的な暴力を引き起こす原因になるという。これから見ていくように、私はポルノグラフィの直接的効果としてレイプを輪郭づける因果モデルの適切性を疑問視する。……私は原因―結果モデル自体に関して疑問を呈したいのである。これほどまでに複雑で多層的に象徴が刻み込まれているセクシュアリティの世界でこのようなモデルを使うことは難しい。しかし、このモデルはドゥウォーキン/マッキノンの条例案の基礎として決定的な意味を持っているのである」 。実際に、McKinnonのポルノグラフィ観は、その表象性を(意図的に)無視したものであり、その点について法による規制という強力かつ一方的な手段を用いることには強い疑問がある。「……しかし忘れてはならないのは、ポルノグラフィーは、「グラフィー」という接尾辞が示すように、何よりもまずひとつの表象、ひいては表現作品で……ある。人種差別と同列に語りうるのは性差別であってポルノグラフィーではない(性差別は様々な形をとりうる)。ところがマッキノンらにとっては、結局のところ、ポルノグラフィーと性差別は同義語なのである。彼女らが、ポルノグラフィーにおいて重要なのはそれが「する」ことであって「いう」ことではない、行為であって思想ではないと、ことさらに強調するのはそのためである。……ある表現物が「いう」ことは、なにも(一義的な)「思想」や「メッセージ」に限られるわけではない。言語というものは、自然言語であれ映像言語であれ、ある奥行きをもった立体であり、そこには多重な意味作用が畳み込まれうる……。マッキノンらの議論は、……ジョン・R・サールが「間接的言語行為」と呼んだような現象をいっさい捨象した議論である」 という批判は、言語と行為の間に明確な区別を設けずに、ポルノグラフィが性差別そのものであるという一種のイデオロギーに依存した議論に対する批判そのものである。
もちろん、McKinnonらの条例案は、ポルノグラフィという言葉を制限的に定義することによって、そうした一般的な議論ではなく、特に女性に対して酷薄なもののみを定義域に含めている。しかし、それですらなお表象の問題は不可避であり、言語と行為を限定なく同一視する立場には、疑念がある。まして、直接的効果が後年の研究によって疑問視されている状況にあって、規制の根拠は果たしてどこまでの力を持つといえるだろうか。仮に、McKinnonの主張がなされた当時においてそうした言語と行為が一致するような時代的状況が存在したということを承認したとしても、その射程は現代日本には必ずしも及ばないだろう。つまり、日本におけるポルノグラフィの製作が必然的にそうした女性虐待を表彰ではなく行為として含み、またそうして製作されたポルノグラフィの表象が必然的に(fuckerとしての)男性をレイプに至らしめ、(fuckeeとしての)女性の従属化を固定化する構造を持っているということが実証的に明らかでない限り、法による規制という手段は困難であろうと考えられる。
また、Cornellの依拠するポストモダン・フェミニズムは、立場としてのポストモダン主義を前提としており、そこでは、男性性/女性性といった二項対立的な概念整理はそれ自体批判の対象となる。McKinnonらの議論は、女性解放というフェミニズムの根底的目的に対して、一定の文化コードとしての女性性を再定義し書き込むものである、というのがCornellの分析である。そしてこれは、ポストモダニズムにコミットするか否かというメタ的な問題を抜きにしても、汲むべきところのある議論であろう。つまり、ポルノグラフィの規制根拠として、加害者/fuckerとしての男性と被害者/fuckeeとしての女性を暗黙裡に前提し、それを基盤として提示される議論は、必ずしも現代において盲目的に首肯されるべきものではないというところである。
そもそも、ポルノグラフィは、男性のみによって消費されるものではない。これは、少なくとも現代日本においては議論に際して念頭に置かれてよいことであるように思われる。レディースコミックと言われるジャンルは、1980~90年代ごろから、女性向けの(広義での )ポルノグラフィとして書店に並ぶこととなった。また、同人誌として、いわゆる「やおい本」や「BL」というジャンルもこの頃から一定の勢力として存在していた。これらは全く女性が使用し、消費することを前提に(そしてその多くは女性たちの手によって)制作されたものである。ここでは、ポルノグラフィの概念として当然に前提されていた男性消費者ということさえもが相対化されている。それは、女性の性的欲望、セクシュアリティがfuckeeとして規定されていたことからの解放であるとも評価できるのではないだろうか。そこでは、主体として性的願望を抱く女性が前提されている。ここでは、主体-男性/客体-女性というメタな二項対立の接続が否定されている。これは、ポルノグラフィ危害論において、根底を掘り崩す事実であるのではないか、と考える。これに対して、メインストリームは男性が製作し、男性が消費するポルノグラフィであるという反論はまた、十分に考えられる。しかし、仮にメインストリームは男性向けであって、女性向けがサブストリームであるという主張を容れたとしても、なおポルノグラフィが必然的に男女を社会的に構造化し、差別を直接的効果として助長し、あるいは引き起こすものであるという根本主張は、強く相対化されたものとしてとらえられなくてはならなくなるということは言ってよいように思われる。
4. 結び
前章において、ポルノグラフィの及ぼす危害について、その直接性が少なくとも現代日本においては相対化されるべきであることを示し、また、McKinnonやDworkinの議論それ自体に潜む女性性のコード化はフェミニズムの本義からしてなお批判可能性を有するものであるというポストモダン的フェミニズムの見解を紹介した。そのうえで、表現の自由という価値原理はポルノグラフィに対していかに向き合うべきかということを簡単に整理する。
日本において、表現の自由の価値は高く見積もられる 一方で、定義づけ衡量のもとでポルノグラフィを含む一定の表現について規制を肯定する。そして、ことポルノグラフィにおいてはそれが善良なる性風俗や最低限の社会道徳の維持という目的のもとに正当化されてきた歴史を判例上有する。McKinnonらの議論において革新的であったのは、ポルノグラフィの規制は道徳的な問題と訣別し、女性に対する危害の面から規制を検討されるべきである、ということであった。この指摘は、法と道徳を可能な限り切り分けようとする立場をとるならば高い妥当性を持つものであり、その危害が現実的に認められる限りにおいて表現の自由に対する制約は当然に許されるものとして考えられる。しかし、この危害に関しても、「(リューベン・)オジアンの著作[ポルノグラフィーを考える(2003):筆者註]は、ポルノグラフィーに対する道徳哲学の立場からのアプローチであるという点で注目に値する。彼は、ジョン・ステュアート・ミルの「危害原理harm principle」……の流れを汲む自身の「最小倫理éthique minimale」に基づいて、ポルノ規制を正当化する議論……に反駁している。ポルノグラフィーがもたらすとされる「危害」について、オジアンが反ポルノ派フェミニストとは大きく見解を異にしていることは容易に想像できるだろう。興味ぶかいのは、オジアン同様「善」ではなく「正義」の問題として……ポルノグラフィーをとらえたはずのフェミニストの議論すらじつはある「善」概念を暗黙裡に前提していると彼が指摘している点である」 という指摘がある。つまり、特定の善概念に基づいた特殊的な危害が主張されているに過ぎないのではないか、ということである。例えば、守旧派的なキリスト教における「善」の概念が同性愛を悪と断じたことを考えれば、一定の善が前提されたうえで主張される危害は、相対化してとらえられるべきであろう。
こうした危害についての理解は、法規制についてネガティヴである。さらにMcKinnonらの主張には逆行することとなるが、むしろその主張における「道徳から危害へ」の転換は現在の規制すら過剰なものであるという結論への親和性を有している。もちろんこれは、女性に対してポルノグラフィ制作現場において発生する暴力や虐待を許容せよということを決して意味しない。むしろ、そうした事態が発生した場合に、適切に法が救済を与えることは、考えるまでもなく必要なことである。そのためにいかなる手段が妥当であるかが問われるべきではないだろうか。
一部のフェミニストが主張するように、ポルノ出演や売春を含めたセックスワーカーである女性が、法規制の対象となるのではなく、むしろ一つの「職業」そのものであり、合法であるという社会的及び法的な認知が必要となるのではないだろうか、と考える。それが社会的に正業であると認知されることは、その「職場」におけるハラスメントや虐待を看過しないことにつながりうる。問題が発生した場合に、自らの「クリーン・ハンド」において司法の救済を要求することが可能となる。そして、そうした「解放」は男女(あるいは性的少数者性)を問わずに自らのセクシュアリティに対して真剣に向き合うことを要求する。それによって、直接的は生じないものの、間接的にあるいは無意識的に発生しうる「危害」は社会的に相対化されうるのではないだろうか。
以上のポルノグラフィ規制緩和論が、法が向き合うべき一つの筋道ではないだろうかという主張をもって、本レポートの結びとする。
参考文献
・キャサリン・マッキノン,アンドレア・ドウォーキン著 中里見博,森田成也訳「ポルノグラフィと性差別」(青木書店, 2002)
・ドゥルシラ・コーネル著 仲正昌樹監訳「イマジナリーな領域」(御茶の水書房, 2006)
・大浦康介編「共同研究 ポルノグラフィー」(平凡社, 2011)
・キャサリン・マッキノン著 森田成也ら訳「女の生、男の法」(岩波書店, 2011)
オリンピックや都知事に全く興味なかったのに北方領土くらいでというあれをみて、は?ふざけんなよと思った。
郷土愛なんて自分は持ってないと思って三十年生きてきたし、道民は郷土愛に薄いなと思っていたが、あの発言に対する周囲の反応を見て道民にもそういうのがあったんだと気づいた。
(SNSなど見ているとこの道民の反感を「北方領土と北海道を一緒にするなんてふざけるな、そんなに田舎じゃない」という意味だと勘違いしている方がいたので、念のため断っておくと、多分多くはそういう意味じゃないと思うよ)
同時に領土問題は道外ではジョークにできる程度の話題なのだと、逆に北海道では今まで意識してこなかったが自然と領土問題が根付いてるのだと気付いた。
政治に興味がなく政治的な立場を持っていなくても、土着の感覚として世代に生きているというか。
考えてみれば、特に地理が得意ではない自分でも北方四島の名前を言えるし、北海道の地図に四島あることに何の違和感も感じない。
天気予報の地図にも普通は北方四島のシルエットが入ってるし、まだ感動が記憶に新しいコンサドーレのサポーター達のコレオグラフィーにも入っていた。ずっとそういうのを見て育ってるからそれが普通だと思ってる。政治的立場がはっきりしている人からみれば、それは知らずに洗脳されてるだけだと言うのかもしれない。
重ねていうが自分自身には明確な政治的な立場はない。正直、政治に興味がない。
ただ、ずっと北海道で暮らしてきた自分にとって領土問題はファンタジーではなく実際にあって、北方四島は実際にそこにあるものなのだと再確認したのだ。どこで学んだかなんてわからないが…例えば納沙布岬にいけば歯舞は見えたし、ひいばあちゃんとばあちゃんは四島ではないが樺太に住んでいた。この樺太という言葉も道外だとかなり忘れられてきていると今調べて知ったし、サハリンと言わず樺太と言えば政治的意図と取られかねないようだ。俺はただ樺太に住んでた時の話を聞いてるから、それが記憶にあるから樺太というだけでそこに政治的な意図はないのだ。
なにもかも自然とそう知って当たり前すぎて意識することがなかった。
そういう基盤があって、あの発言への反感に繋がっているのだと思う。
言いたいことも分かるけど、余りに粗雑で本人がデタラメすぎる。
"就活で学業がおろそかになる"はデタラメ/採用日程の見直しは教育にプラス
法政大学 キャリアデザイン学部 教授 田中 研之輔https://president.jp/articles/-/26540
しかし、「就活のせいで、学業がおろそかになる」というのは、本当なのでしょうか?
この主張が正しいとするならば、
ということが、立証されなければなりません。
この時点でこの自称「教授」が、論理学の基礎もわきまえないアホか、詭弁を弄する詐欺師のどちらかであることが決定です。
「AのせいでBになる」という文は、必ずしも「AがBの唯一の原因である」ことを意味しません。特に今回のケースで、誰も「学業がおろそかになる唯一の原因は就活だ」と主張しているわけではないです。
従って、「就活が学業をおろそかにさせる」という主張は、別に「就活がなければ学業がおろそかにならない」ことを証明しなくても成立します。
要するに、学業をおろそかにさせる原因はいくつかあって、別に就活を無くしても学業がおろそかになる原因は他にもあるかもしれないわけです。
だからといってそれは就活が学業に悪影響が「ない」ことの証明には全くなりません。
「喫煙しなければ肺がんにならない」ことを立証しなくてはいけないでしょうか?
おかしいですね。喫煙が肺がんの「唯一の原因」ではないからです。
「ゲームをするからお前は勉強しないだ!」という母ちゃんのお怒りの言葉に対して、
「いや、ゲームしないからといって勉強するとは限らないから同じだよ。」
と言ってゲームをし続ければどうなりますか? ちょっと大変なことになりそうですね。
母ちゃんは別に「ゲームが宿題をやらない唯一の原因だ」と主張しているわけではないからです。
「就活のせいで、学業がおろそかになる」と主張する人も、同じように「就活が学業をおろそかにする唯一の原因だ」と言っているわけではないのです。
なのに「就活がなくても学業をおろそかにしないとは限らないから同じだよ。」と主張するのは、どういうことでしょう?
これも、「相手の言っていないことを準備して、それに反論して論破する」いわゆる「藁人形(ストローマン)論法」の一種です。
いやしくも、まともな大学の教授職を名乗る人が、こんな屁理屈を署名記事で書いていいんでしょうか。
大学の問題か、この横文字学部の体質なのか、それとも全く本人の問題なのか…
本人の博士論文
「都市下位文化集団の相互行為に関する社会学的研究 スケートボーダーの都市エスノグラフィー」2016,一橋
「多年にわたる参与観察により、文化的行為を媒介にして形成されたこの若年集団の軌跡へと迫」る
を見るに、そもそも(あまり論理・科学的手法を用いないフィールドタイプの社会学者としての)本人の資質の問題ではないかと想像されますが、それにしても余りにお粗末でクラクラしますね。
――手法としては経済学に影響を受けつつ、世界観としてそれ採用するのではないわけですね。
山口 ないですね。社会学というわれわれの学問は自由なわけですね。悪く言えばいい加減。分析の最終的な評価にあたっては方法論的厳密さが求められるけれど、その背後には多種多様な研究者がいるんですね。エスノグラフィーをやっている人や街へ出てインタビューする事例研究をやっている人なのです。そういった研究はある意味で科学的ではないと僕は思っているけれど、彼らは時々すごくいい洞察をする。すると、彼らの洞察はデータで裏づけできるか、一般化可能か、といった問題へと発展していくので、分業だと思っています。
ただ、そういう観点から見ると、日本の社会学は総じて科学的ではないということになってしまいますね。相変わらず古典的理論家が何をどう言ったという文脈の解釈とエスノグラフィーが中心ですから。例外はたくさんいますが、やはり少数です。4000人ぐらいが所属している日本社会学会では、計量分析に真面目に取り組んでいる研究者は1割程度しかいないと聞きました(笑)。アメリカ社会学会では逆に計量分析が7割程度、エスノグラフィーや純粋理論は非常に少ない。ましてや古典理論の解釈をやっている人はほとんど希少価値を帯びているといっていいです。
山口 日本の社会学教育、研究では、社会学とヒューマニティと分離していないんでしょうね。ヒューマニティ自体は重要ですが、それと社会科学としての分析は意識的に分けなければいけません。たとえば僕の本『ダイバーシティ』にもヒューマニティと呼べる内容が入っていますね。それから、たとえば大学の学部の教養教育では人に考える力を与え、人を育てることを考えますから、ヒューマニティを含め雑多な要素が全て入ってくるわけです。それはいいんですよ。ですが、大学院は研究の専門家を育てるための訓練をする場所のはずです。日本の研究者は、しばしばその境界を意識せずヒューマニティと科学をまったく区別しないんです。その結果、研究においてさえ、たとえばドメスティックバイオレンスの研究をしている研究者が、計量的分析などほとんどせずに、被害者から聞いた話だけに基づくフェミニスト的解釈で男はこんなものだといった論評をしたりするわけです。まったく科学ではないよ。そういった論評は、自分はこう考えるという意見として発言しても構わない。アメリカであっても思想や政策を中心とした雑誌でそういった意見を発表して社会的影響を与えている研究者は多いですし、総じて尊敬を集めています。けれど、科学者としての分析とは区別しなければならないですね。論文を書くときは思想部分は禁欲的に落とし、検証しえた分析結果だけを書かなければならない。
社会「科学」としての社会学に対する意識が希薄な背景には、日本では多くの社会学科が文学部にあることも影響しているのかもしれませんね。計量なんかやったって人の本音のところはわからないよ、みたいなことを言う人もかなりいました(笑)。僕は実証しなければ、一般的なことは何も言えないよって言うんですが。
b:id:sabacurry です。こんにちわ。
最近あまりブクマやってないのでこんなのを主催できる立場にはないのですが、12月から3月の間にはてなブックマーカーオフ会をやろうと思いました。人数は無制限になると収集つかないので20人から30人でおさめようと思います。
あと最低条件としてあくまでブックマーカーのオフ会なので、ブログメインでやられてる方お断りなのと、自身のプロポーズの場に使う方はお断りにしたいと思います。
そんなわけで、これから準備していきたいと思いますのでよろしくお願いします。
あと、グラフィー早くリリースしろよ。グラフィーで検索しても美容院出てくるじゃねーか。
別記事にするとホッテントリにあがってきたりして邪魔になるので、今日はとりあえず追記することにしました。
今回増田に書いてホッテントリになったのであとは、え?あれやったの?って言われるくらいひっそりとやれるように進めていきたいとおもいます。
人類の半分は女子だし、ネットは広大なのに、なんでまだ地雷原みたいな人に向かって行くのか、わからん。ムラの中のサークル内恋愛で兄弟がたくさん、みたいな伝奇的な展開にすら思える。
わかってて言ってるだろ
鬼か
青26才を相手にしてくれる相手なんてもうほとんどいないの
昔はちゃんといたの
何人かはいたの
ナースとも付き合いがあったの
でも今はいないの
西尾維新ファンの大学生とはリアルで会って早稲田巡りするくらい仲が良かったけどしてたのにその子との関係もなくなったの
そして青26才は付き合いがなくなったらすぐわすれちゃうの
青26才と一定の距離より近くなった人はみんなうんざりしていなくなっちゃうの
残ってるのは距離をとって遠くから石を投げるような人間のクズと一方的に遠くから見てるけど必要以上に近寄らないようにしてる賢い人達のどっちかなの
青26才は悪い子じゃないの
そういう意味では気の毒に思えるくらいいい子なの
でもバカなの
頭が悪いということじゃなくて相手に合わせられないという意味でのバカなの
彼は対人関係の蓄積があまりに乏しい上に発達障害だからTPOが分からないの
彼は倫理観や社会的常識が薄いからすぐに他人の個人情報をばらしちゃうの
彼は感情の制御ができないからすぐカッとなって見苦しい姿や女性蔑視の発言をついやっちゃうの
彼は悪い子じゃないけど一般的な社会の基準からみたら周りが見えてないバカなの
でもこうなっちゃうのは青26才が悪いわけじゃないの
生まれつきの問題なんだ、自分が悪いんじゃなくて脳の障害なんだって彼が欠点を受け入れられれば救いは有るの
でも躁うつ病のことはいろいろ考えても発達障害のことはなぜか全く学ぼうとしないの
自分が劣った人間だって思いたくないからなのかよくわからないけど全く向き合わずに3年間過ごしてきたの
だから全く成長してないの
躁うつ病が治癒しても発達障害への向き合い方がちっとも変わってないの
相変わらず自分の欠点のカバーを全部相手に押し付けようとするの
会話が噛み合わなかったら全部あいてが悪いことにしようとするの
なんでも自分が正しくて相手が間違ってることにして自分を守ろうとしちゃうの
そういうふうにしないと生きていくのがしんどかったのはわかるの
そんなことされたら親しく付きあおうとすればするほど相手は消耗しちゃうの
そうやってずっと来ちゃったの
何度も何度もチャンスが有ったのに全部それを台無しにしてきたの
ブロガーフェスの人もWordPressの人たちも結局だめになりそうなの
通りすがりに一言二言かわしてくれる人ならともかくちゃんと相手してくれる人が彼の周りにはもういないの
そういう人間を求めたら残ってるのがかあみっとと斎藤ショッカービバっていうメンツしかいなかったの
そっちに行ったら普通の人がますます近寄れなく成るってことがわかっててそれでも寂しさに耐え切れなかったの
社会復帰の芽はもはや完全に潰えてるの
自慢のブログも3年以上やってるのに悪名ばかり立ってしまって継続的な仕事を依頼してくる人なんていないの
ライター仕事してるって言ってるけど知り合いからの単発だけのお情けなの
イケダハヤトみたいにブロガーとして活躍する夢ももうすぐ潰えるのが目に見えてきてるの
もう八方ふさがりなのが自分でもわかってるからどんどんやさぐれてるの
ブロガーフェスの記事やらWordPressの連中に呼ばれてウェーイみたいなのだってカラ元気だと思えば可哀相って思って温かい目で見守ってあげるべきなの
はてな民は思いやりがなくてそっけいない態度しか示さないもんだからますますいじけちゃったの
そういう時にシロクマが空気読まずに巣穴から出てきてちょっかい出したから余計にこじらせちゃってるの
それではしごたんのところに行き着いちゃったの
もう手遅れなの
すべてが終わったの
ちょっとだけ素で喋るけどたとえ青26才が悪い人じゃなくてもかあみっとやはしごたんみたいな人と付き合ってたらやだよいつ彼女らの矛先がこっちに向くかわかったもんじゃない。ここらへんと絡むとはてな女子ウォッチスレにも陰で悪口叩かれるし。青26才と付き合うメリットが多少あったとしてもとばっちりが来るかわからないんだからデメリットのほうが大きいよ。そことの縁が切れるまで近寄りたくないよ。今そういうヤバイ状態なんだってことを青26才が全く理解するまではえんがちょ状態だよ。
後は看取りの段階なのわかる?
モフモフ社長はコウモリに対してもそうだったけど途中で適当な感じで煽って勘違いを助長させて手に負えなくなったらそっぽ向いていなくなったくせに今更戻ってきて適当なこといってんじゃないの。
はてな村に関してはあなた面白半分に首を突っ込んで飽きたら投げ出す無責任なクズだと思われてるんだから黙っててほしいの
そんなことよりグラフィー頑張ってほしいの
そっちはすごく応援してるの
http://anond.hatelabo.jp/20150812194203 への返信
ども、id:shields-pikes こと、モフモフ社長です。
いやあ、マジで開発が延びちゃっててね。
早目にシンプルなプロトタイプをリリースして様子を見る予定だったんだけど、SNSとしての構造がしっかりしていないと、単なるマイベストまとめ投稿サービスでしかなくて、本来のサービスのコアバリューを感じられないという結論に至って、徹底的に作り直したんですわ。
その間も、収益を得るための本業であるB2Bのコンサル業務と並行して、サービス開発を進めていたんだけど、もう予定が延びる延びる。
結局、あっという間に1年以上過ぎてしまったわけです。
スタートアップが、調達した資金を溶かしながらも専業でやることのメリットが良くわかったよね。
出す出す詐欺、って言われたりもしますが、開発自体は日々よどみなく進んでます。ただ、スケジュールの見通しが甘かっただけ。SNSなめてた。
そして、実際のところ画面も機能も99%完成していて、今はフロントエンドの微修正とか、バグ取りとか、負荷テストとか、そういう最終段階。
この夏には、α版(利用者を限定したサービス)をスタートし、夏の終わりから秋口くらいには、オープンなβ版もスタートします。
長らくお待たせしてるけど、楽しみにしててね。
グラフィー事前登録はこちらへ http://graphy.me/
追伸: サイバーメガネとコウモリ、最近どうしてんのかね。係争中だから表に出て来ないのか。コウモリのプロポーズ、俺はすげー応援してたんだけどなー。オフパコ問題で全部持って行かれたよね。
http://anond.hatelabo.jp/20150812134001
はてなブログオフでコウモリ焚き付けといて騒ぎになったら責任取らずにフェイドアウトしようとする姿勢が不愉快だったのではてブ非表示にしてしまって見えなくなってた上
ブログやリアルで特に目立った動きなかったから消えたものかと思ってたわ。
はてな匿名ダイアリーだとはてブ非表示にしてる人も一覧ででてくるんだね。それで存在を久々に知った。お元気そうで何よりです。
全くガーゴイルだかアーガイルだかの会社でやってたはずのグラフィーの続報聞かないんだけど宣伝とかもっと頑張らなくていいのかな。
この手のサービスははてなでよく話題になるし、まして中の人がはてなユーザーならちょっとくらい耳に入ってくるはずなんだけど全く話に出てこないのでうまくいってないのかな。
はてな外で頑張ってるんだったらそれでいいけど。はてななんかにかかわらずに成長できるにこしたことはないしね。
そういえばこの人で思い出したけど、この人が絡んでたサイバーメガネやコウモリも見かけなくなったな。みんな元気にしてるのかな。訴訟するとか言ってたけどどうなったのかな
インタレストグラフ系サービスは、ライフログを目指すのかSNSを目指すのかで、方向性が分かれると思う。
グラフィー(Graphy)マイベストでつながる、趣味が同じひと限定SNS http://graphy.me/
また、新しいインタレストグラフ系のサービスが登場したらしい。
グラフィー(Graphy)マイベストでつながる、趣味が同じひと限定SNS http://graphy.me/
しかし、趣味や興味のカテゴリでつながるSNSでは、国内外での大成功事例はひとつもない。
国内で、ギリギリ成功事例なら、かつてのmixiコミュか、2ちゃんねるか、今ならLINE cafeとかになるのかね。
どれも、パソコン通信時代のフォーラムとかの延長線で、まったく進化してない。
はてなハイク、はてなモノリス、はてなスペースなんかは、頑張って色々作ってみたけど見るも無残だ。
海外では、Get Glueとかなのかな。とてもじゃないが大きく成功しているようには見えない。
Facebookもインタレストグラフ系の機能を拡充しようとしてるけど、使いこなしてる人を見たことがない。
インタレストグラフ系の総合プラットフォームは、なぜ成立しないんだろうか。
ブクログとか読書メーターみたいに、個々の趣味ごとにサービスがあればいいから?
最初に紹介したグラフィーは、まだβテスト開始前らしいけど、カテゴリを4つに絞ってスタートするというのは良さげ。
ユーザーがまだ少ないのにカテゴリが多すぎて分散してるのは最悪で、ピエリ守山みたいな廃墟SNSになるから。
レコメンドじゃなくて、強制的に相互フォローする仕組みというのも、わりと面白い。