はてなキーワード: オーラとは
認めてオーラの人が苦手だ。
それはラクだけど結局自信にならないので、それやるくらいなら自分で自分を認める努力をした方が早いのに。
私は我ながら聞くのが上手いのでこの手の人によく頼られる。
たぶん他の人からはウザそうにされて聞かれないんだと思う。
相手が欲しがる言葉を返せるので、どんどん対話の頻度が上がっていって
自分で頑張ろうとしているのに行き詰まってる人には喜んで手を貸すけど
我が身の不幸を語ってくる女性も
本質は同じだ。慰められたい。
私はそうやって一人で立てない人を支えるパーツになるのは御免だ。
なぜなら彼らは他人をそうやって消費することに何の違和感も感じていない。
付き合っても時間とお金の無駄な上にこちらの心が疲弊するだけなのだ。
そういうのは来られたら避けるし出来るだけ来られないような振る舞いを心がける。
例えそれを冷たいと言われても、そこだけは譲れない。
http://anond.hatelabo.jp/20161227172441(この増田な)
ググったらどんな歯ブラシか見たら分かると思うんだけど、
ドリルみたいな細いブラシで歯を1本1本ちまちま磨く感じ。
が、これが効果絶大。
先に欠点を挙げておくと、
だけど、いままで犬歯の裏の諦めてたザラつきも、
一切磨き落とすことができたので自分にとっては超新発見な歯ブラシ。
今までの自分の最終最強はブラシは、
もちろん、これも面に対しては磨き上げる力は弱い、
歯と歯茎の間、そして歯の面に対する最強の構えだと思ってた。
だけど、
犬歯の裏のザラつきの残りはこんなもんだと思ってた。
もちろん、歯ブラシの使い方を駆使して、
縦に向かって犬歯を磨くって方法もあるんだけど、
解消磨ききれなかった。
一歩上行く歯を磨き上げるブラシに加わることになった。
口腔ケアをこだわってて、
ワンタフトブラシ知らない人がいたら、
もうぜひ使って欲しい!
しっかり磨いて健康を保とう。
歯磨きにこだわりのあるヤツはぜひ試して欲しい!
とりとめもない話だ。まさしく便所の落書きと思って欲しい。
今まで、たくさんセックスした。
正直なところ、美人よりブスの人が多かったと思う。何しろちょいブス好きだしストライクゾーン広いし、セックス出来ればいいやって思っているところもあったし、ナンパなど出来ないのでブスとしかセックス出来ない手段を使っていたらこうなった。
そのセックスが、僕にストレスをかけていたのかも知れない、と最近思うようになってきた。
去年は数ヶ月無職の期間があり、その間、沢山の不特定多数の女性とえっちをした。
ある人が言うには、セックスをする度に、業を背負ってしまう人がいる。そして、僕はそれに当てはまる人らしい。
小学生の時に大人のお姉さんに犯され、それ以来非モテなコミュニティで友達とつるみ、社会人になって女子校生の彼女を作ってようやく本当っぽい脱童貞。
プライベートなセックスは大体好みの女性や美人の女性としていた。充実していた。
しかし、岡山に行った時に状況が変わる。道を歩いていたら、オッサンに「全部込みで2万円でええで」「僕はオバサンは抱けないよ」「大丈夫!若いから!」というやり取りで騙されて、50近いオバサンを抱いてしまった。
それ以降、何か人生が転落していったように思う。
色々あって、ひとつ年下の子と結婚した。彼女は妊娠したが彼女は子供を望まず、彼女に子供をおろされた。
そこで1つ、心の中の不安が弾けた。
当時の僕は、セックスが下手な事がコンプレックスだったし、何故か大量の女性を抱きたくて抱きたくて仕方がなかった。
そこで、とにかくたくさんセックスが出来るコミュニティ(男も女もただ単に出会ってセックスする場)に参加して、セックスしまくった。とにかく女性を抱いた。80人ぐらいだろうか。そういうコミュニティは美人0.5割、フツー8割、残り超絶ブス。そして僕は分け隔てなく抱いて、セックスの腕を磨いてきた。
そして、鬱は進行していった。セックスが下手というコンプレックスは解消した。むしろコンプレックスと沢山の経験で、恐ろしく上手くなってしまったと思う。
しかし、子供をおろされたという事で心に受けた傷は何も解消しなかったし、ブスを抱く事で心に織が積もっていくような気がしていた。
そして、会社でパワハラを受けた事で、鬱がはっきりと表面化した。
直接的な原因はパワハラだったと思うけど、恐らく、沢山のブス女性とのセックス、子供をおろされた事、その2つが大きな原因だったと思う。鬱になって余裕がなくなり、自分の心とはっきりと向き合い、そう感じた。
でも、若い子の肌はたまらなかった。たまに会う、美人とのセックスは、生きていて良かった、と思える充実度の高いものだった。
だけど実はナンパなどした事が無いため、主にネットでのやり取りとなり、結果、お互いに相手が判らないまま約束をする事になり、若いけどブスみたいな子も抱く事が多かった。
去年は、プレイ日記を出会い系日記に書き込み、そのプレイ内容を見た女性が「私も抱いて!」と連絡をしてきて抱く、というパターンで何人もの女性とセックスした。何故かそのパターンだと美人ばかりだった。
私生活も充実していそうだし、輝くようなオーラを持った女性たちだった。彼女たちとセックスできるなんて(そして、そういう美女を快楽で満たす事が出来るなんて)自分は本当に生まれて良かったと思った。
でも、鬱は治ってない。
そして。
美人とのセックスだろうがなんだろうが、男にとって、セックスは他人の業を負う行為のようだ。結局、美人とセックスしまくっても、僕の鬱はひどくなるばかりだった。
そしてとうとう、僕は、不特定多数の女性とセックスをするのをやめるべきだ、とはっきりと思うようになった。あれだけ輝くような美女達とのおつきあいも縁を切るべきだ、と感じるようになった。
僕の、この業を消す方法は、あるのだろうか。
今でも、何かの拍子に、不安が表面化してしまう。もう次の仕事は決まっていて、もうすぐ社会人に復帰する。復帰できるだろうか。
吐き出したかったんだ。それだけだったんだ。済まない。
僕はあと2週間後、25歳になる。社会人2年目も終わりに近づき、仕事にもなんとなく慣れた気がしている。
東京で大学生活を過ごし、自分よりも親の事が(あまりにも頼りない親たちなので)気になって地元に就職した。
働きはじめた頃、親からは「地元に帰ってきてほしいなんて言った覚えはない」と言われたことがある。
しかし僕ははっきりと、親は僕に帰ってきてほしいというようなオーラを出していたと確信している。
そういう言動が確実に、過去にあったからだ。(証拠を出せと言われたらそれは難しいけれど)
そんなこともあり、なんで地元に帰ってきて「しまった」のだろうかと後悔する日々が今日にいたるまで1年くらい続いている。
25歳と言えばアラサーに入るし、そろそろ転職をして地元を抜け出し、あらためて東京でやり直そうかと考えている。
今の職場は正社員(会社ではなく団体職員だけど)で、東京でもできれば正社員の職についたほうがいいのだろうか、と疑問に思うところがある。
険しい道だとは承知なのだけれど、はっきりと、今僕は翻訳関係の仕事に就きたいと思っている。そういう仕事を得るためのステップとして
色々な仕事が考えられるわけで、それらは派遣社員や契約社員であるケースが多いようだ。(僕が調べた限り)
親は、僕の今の仕事を「地元で、安定」だと思っており、転職しようとしている僕の行動や考えに対して理解をしようとしない。理解したくないそうだ。
結局のところ彼らは、息子の精神的な安寧や安らぎといったものを願っているということはこれっぽっちもなくて、自分たちの心のモヤモヤが無い生活を送りたいという
ただ、それだけを祈っているのだろう。だから余計に腹が立つ。
自分自身の人生の意味とか、使命とかを作ろう・見出そう・探そうといったことをしないまま親になった大人たちを見ていると、
僕自身もそうなのだろうけど、彼らの平凡な日常生活の刹那であった平凡なセックスによって生み出された命というものは
相当に大きな足かせを、腹の中から飛び出した時点で課せられているのではないかと思う。
平凡な人間の平凡な生活の一風景にすぎない平凡なセックスで俺は面倒臭い世の中に放りだされたのかとおもうと無性に腹が立って仕方がない。
「安定」は結構なことだ。しかし、その安定という型の中に入りきらない夢とか希望とかそういったものを
25歳になる僕はまだ抱いていてもいいはずだ。だからやっぱり転職したい。実家を離れて。できれば家の始末とかもしたくないし。
女の察してよイライラと違い、他のことにイライラしていてあたってくる場合が多い。
そうなると絶対なんで怒ってんの?と聞いちゃいけないんですよね。
図星なことを言われるとまた怒るから。
こういう子供なご主人には何を言っても反省や改善は見込めません。
いつも優しいはずなのに。
こんなひどい人だったっけ?
ご主人に悪気はありません。
単に子供なのです。
何かにイライラしているけど、感情の整理がつかずに奥さんにあたってくる子供です。
これに対していちいちイライラしたり、泣いたりしていてはこちらの時間の無駄です。
そんな子供に振り回されるなんてせっかくの一日がもったいない。
美味しいものでも食べましょう。
奥さんが精神的に大人であることは揺るぎようのない事実なのです。
ご主人が大人になるのを長い目であたたかく見守ってあげましょう。
とか誰かに言って欲しくて自分で書いてみた。
主婦って誰にも褒められない上に、夫にあたられると本当に辛いんです。
私の家にはテレビがないが、実家、友人や恋人の家、旅行先や出張先のホテルなどでテレビをつけると、
何らかの犯罪をおかしたり、あるいは巻き込まれて死んだり怪我をした人についての報道がよくされている。
それを見るたび、私が今まで無事に生きてこれたという事実が奇跡としか思えなくなる。
サーカスの綱渡りのように、恐ろしいほどギリギリのバランスを保っているように感じて怖くなる。
私はとても不注意な人間だ。
病院に行ったことはないが、多分何らかの発達障害なのではないかと疑っている。
今は、私は自分という人間の特質をかなり把握していて、問題が起こらないように気をつけて生活できている、と思う。
子供の頃は本当にひどかった。
どういう訳なのか今の自分からは想像がつかないのだが、とにかく自分の身を危険に晒したがっているとしか考えられない行為をしていた。
例えば…
学校で彫刻刀セットをもらったら、自分の膝で試し切りをして血だらけになる。
あえて車のドアやエレベーターの扉に手をはさむ。
道路で、車が通りかかると走って近づいて、轢かれそうになるスリルを楽しむ。
思い出しただけでもこんな感じだ。多分忘れていることもあるので、まだまだ余罪?はあるだろう。
頭は3ケタを超える回数ぶつけていると思う。ひどい場合には車に轢かれてふっとんで頭から着地して、救急車で運ばれたこともある。
私の親は教師で、すごく厳しかったが上記のことで心配はされても怒られたことはなかった。
馬鹿ではあったが、わざとやっていたわけではなかったからだと思う。
ど田舎で、学校は少し荒れていたしヤンキーみたいな子もいたけど、
親に迷惑をかけたらまずいという抑止力がはたらいて、自分は品行方正を心がけていた。
今は20代後半だが、今までずっと健康そのものだし、犯罪をおかしたり巻き込まれたりすることなくここまできた。
犯罪などの危機(したりされたり)を回避する能力というのはどのようにして養われるのだろうとよく考える。
私のような不注意な人間が、今までどうして無事でいられたんだろう。
それは、やっぱり環境だろうなと思う。
ここでいう環境というのは、家庭のことだ。
私は、前述したように子供の頃はかなりヤバめの奴で変な人オーラ全開だったと思うので、結構嫌がらせをされたりした。
でも、両親の仲が良くて、いつでも見守ってくれて励ましてくれたから、
無意識のうちに色々な場面で踏みとどまって危険から逃れることができたのだと思う。
今、私や君が立っている「こちら側」と、犯罪に関わってしまった人がいる「あちら側」の境目は
私は、「あちら側」に行きたくないし、他の人にも絶対に行ってほしくない。
私は結局親と同じように教師になった。
まだまだ未熟でできることも少ないが、自分の生徒たちが「あちら側」に行かないよういつも気を配っているつもりだ。
だけどニュースは今日も「あちら側」に行ってしまった人のことを報道しているのだろう。
私はちっぽけな一人の人間に過ぎないので思い上がりも甚だしいのだが、そういうことを考えるとものすごい無力感に襲われる。
そして、自分が今にも「あちら側」に行ってしまいそうな気がして怖くて仕方なくなる。
私と同じように考えている人はいるのだろうか?
会社の人が「前の会社では若くして何十人もの部下を抱えてた、仕事がすごいできるから」って言うんだけど。
大企業から色々訳あって小さな我が社に来た理由は、まあ納得できるけど
言うことが本当ならば、部下の人々はさぞかし大変だっただろうと思う。
でもさあ、だからといって仕事外のイライラを同僚にぶつけないでほしいな。
過去の栄光を度々披露するのは、今は大して誰にも求められていないからであって
そんなに認めてほしいオーラ全開にするんなら、元の大きな会社に戻ればいいのになあって思う。
仕事がとてもできたんでしょ?若くして部下もたくさんいて惜しまれて退社したんでしょ?
なら、まだ戻っても有難られること間違いなしだよ、ファイトだょ☆って言いたい。
実際は会社が女性中間管理職を支援するためのプロトタイプとなるべく、なるべく低学歴で根性ある人を抜擢したまでだろう。
じゃなきゃ、あんなに指示が下手というか、もう人格障害レベルで人を育てるスキルのない人を多くの人の上に立たせるなんてことは普通しない。
会社がアホなのかウソついてるかのどっちかと思ったけど、たぶんそうじゃない。
全然無宗教なんだけど、ここのところ「仏教入門」みたいなのをいくつか読んでいる。
昔話とか「昔の人も生きるの大変だったのね〜」的なノリでとても興味深いし、
たぶんお釈迦様って「あの人いっつも良いこと言うよね!」的な人だったのかなあーとか想像するのも楽しい。
(ちなみに、お釈迦様自体は静かに悟りを開いて手の届く範囲で教えを説いた人で、死後に弟子たちが教えを編纂することで、れっきとした「宗教」になった。らしい)
『日本では、幕末・明治維新以後から近年にかけて創始された比較的新しい宗教のことをいう。』
らしい(Wikipediaより)。
で、そういうのって、得てしてものすごくうさんくさい(完全に主観だけど)。
いや、古い仏教もうさんくさいこと言ってる部分はあるし、キリスト教やイスラム教みたいな世界宗教もかなり怪しいところはある。
けど世界宗教の怪しいところって、時間を経るごとに権力者が良いように解釈した結果ついてきた怪しさだったり、
時代の流れ的にしょうがないよね的な不合理性だったりすることが大半なので(な気がするので)、
教えの本質だけみてみると、「はえー良いこと言う」くらいの気持ちでは理解・納得できる気がするんだ。
じゃあ、新興宗教の「うさんくささ」の正体ってなんだろうか。
暇なのでいくつかその理由を考えてみる。
もちろん信教の自由はあると思ってるので、別にその新興宗教を信じてる人をどうこう言うつもりはないけど
自分自身の中で何が「怪しさ」だと思ってるのか言語化してみたい。
Wikipediaなんかでそれぞれの新興宗教のページをみると、難しくて全然頭に入ってこない。
固有名詞が多いのと、概念的な話が多いのと、仏教系だと漢字が多いからかなあ。
だから、共感するとか云々の前に、そもそも理解できない。わからないものは「怪しい」と思う。という論理かな?
ただ、聖書とかも自分で読むとかなり意味不明というか回りくどい言い方多いし、「で?」みたいな逸話が多いし
経典なんかもすげーわかりにくいから、「誰でもわかる!xxx教のおしえ」みたいなのがあるといいのかしら。
デートとかしてて会話が途切れた時、「あ、あの建物変わってる!面白いね!」とか言った後調べて
なんとか教本部 とかだとなんとも言えない気分になりませんか。
考えられるのは、
・目立たせることで文字通り目を引いて、その宗教に興味を持ってもらいたいから
・でかかったり変わってたりすると、その宗教が流行ってる・勢いがあると思わせられそうだから
・お金持ちはアートが好きだから(宗教団体がやってる美術館とかあるし)
...あたりでしょうか。
なんか他に理由思いつく人、ご存知の人いらしたら教えてください。
仏教でもお坊さんが政治に介入してきた時代は途端にうさんくさくなったし。
ちなみにお釈迦様のもともとの教えでは、
お坊さんは働きもせず、他人からの施しで生計を立てているくらいなんだから、政治に介入とかしちゃダメ!って考え方だから
その意味で、お坊さんの政治介入はもともとの仏教的には「間違ってる」。はず。
新興宗教にしたって、そういう過去の経緯を経て(お坊さんは働かずにお布施で生活する等)税制とかいろいろ優遇されてる存在なのに、
さらに政治にまで介入してくると、なんか図々しいなと思ってしまうのかな?
あとその宗教が「この人に投票せよ」みたいな統制ができちゃうから、トンデモな政治家が当選する可能性もある。
あーでもこれは、候補者が演説したり後援会がいたりすることとどう違うんだろう?
xxx教の人だから無批判に応援しよう、ってなってるから違和感があるのかも。
その宗教に加入せよ も然り、私はxxx教です!も然り、それに興味のない相手に空気読まずにバシバシアピールしてくる感じが苦手なのかも。
ただ、宗教と布教活動は大昔からセットだったし、何を信じるのも自由だから別にいいはずなんだけどなあ...。
あれかな、アプローチしてくるのはいいとして、「やたら」ってとこがダメなのかも。
胡散臭いというか、興味のない相手に対して「しつこい」「鬱陶しい」って感じかな。
これは世界宗教にも一部言えることだけど、
「こういう考え方をすると、心に拠り所ができて、何もないときより精神的に安定するよ」はわかるけど
「これを信じないと不幸が起きるだろう」
「これを信じて実践する者のみが幸福になる」とかになると胡散臭さはぐっとアップするよね。
「霊波が」「オーラが」とか、「波動」「飛行」とか言い出すとまじでやばい。
ちなみにお釈迦様の肩ばかり持つわけじゃないけど、お釈迦様の教え的には
「絶対的な超越者などいない」「常に合理的であれ」って感じだから、かなり地に足がついててほーと思った。
政治介入についてもそうだけど、信仰すること=無欲であること、だと思うからなのか
宗教活動をするのに必要な以上の献金を迫るというのに違和感がある。
というかそもそも、「施し」ってそれに価値を見出した人が自発的にするもののはずなので、
月謝とかノルマとかみたいにお金を出せってのはおかしな話だよね。
ただ、今これを書きながら「信仰すること=無欲であること」という前提に偏りがあるのでは?とも思った。
で、信徒個人であれば、その宗教を信仰しつつバリバリお金稼ぐぞ!ってマインドの人がいても全然普通だけど、
「宗教」それ自体が分不相応なお金や権力を求めて身につけちゃうっていうのが危険だし間違ってるのかな
なお、檀家制度とか云々で分不相応にお金を持ってるお寺がある現状についても、同様の違和感を抱いてます。
*****
だいたいこんな感じかなあ。
自分の中でのモヤモヤはだいぶ整理できた気がするんですが、あまり頭が良い方ではないので
というか、そもそも別に議論することでもないし、着地「勝手にすれば」って話なんですが
もしなんかあったら教えてもらえると嬉しいです。
掛川花鳥園に行ってきましたわ。鳥最高でしたわ〜!
こちらではフクロウやケープペンギン、インコなどの鳥と熱帯の植物、魚が
いけないのですけど、他の鳥さんは普通に触れる場合が多いです。
常連さんなのか、インコの止まり木と化している方を何人もみました。
でも、わたくしには高貴なオーラのせいで、なかなか鳥さんが寄ってきてくれませんの。およよ。
掛川花鳥園のアイドル、オニオオハシさんに近づいてもらうのに有料の餌のブドウ1/4粒、
手に乗ってもらうのに残りの1/4粒を使って、やっと止まってもらったのですけど、
餌を食べたら用済みとばかりに、瞬時に飛び立たれてしまいました・・・・・・
そんな傷心のわたくしを慰めてくれたのがハイイロエボシドリさんです。
背中側の死角に回り込んでわたくしを乗り物にしてくださいました。
そこから左腕に移動して、また右腕、背中とわたくしの上を2周半ですわ。
見た目はやや地味な鳥ですけど、なつかれない中こんなことをされたら
まぁ、餌をもった他のお客様が近づくとハイイロエボシドリさんは
そちらに移動してしまったのですが、
ベンチに座っている間、ずっと肩に留まってくださいましたので満足でした。
その後はコガネメキシコインコさんにも留まっていただきました。
垂直の金網に留まって体勢が厳しそうなところに腕を出したことが、
功をそうしたようです。
腕ではなく指に来たので、ちょっと痛かったですけど、
マズローの三段階ですわ。
危ない施設ですわ。
簡単には触れないフクロウの仲間では、ベンガルワシミミズクルチカさんを魅力的に感じました。
ゴルゴ13のごとき鋭い視線からあくびの連発まで表情ゆたかですっかりファンになりました。
フクロウ類は瞳が大きく前を向いているため「表情」を読みとった気になりやすいのですわ。
でも、ユーラシアワシミミズクさんの展示室の壁に空いていた弾痕みたいな
くぼみのことは忘れない方がよさそうです。
また、オナガフクロウの首のスムーズで素早い回転は戦車の砲塔を連想させました。
あと、三羽同室のフクロウが手前の止まり木に2羽、奥の止まり木に1羽の形で留まっていて、
フィリピンのエアボ兄弟のevery bodyの配置と完全に一致していたことが
面白かったですの。
フクロウやホークの部屋が狭いことや足に鎖がついていることに痛々しいものは感じましたが、
職員の説明文からはそれぞれの個体への深い愛も感じられました。
夜行性ですし、飛び回れる調教やショーがストレス発散になっているのかもしれません。
ペリカンやフラミンゴの餌にお魚はありましたけど、鯖はなかったと思います。
ホッと鰭で胸をなで下ろしました。
今のジャニーズはどんどん高学歴化が進んできていると思う。デビュー組でもジュニアでも、有名な大学を出ていたり、大学院に通っていたりする人もいる。
私の担当だった人も、当時大学に通っていた。私は大学に入学した当初、自分の大学にジャニーズがいるなんて知らなかったし、ましてや彼の存在さえ知らなかった。
しかしひょんなことから、私は彼を知り、彼のファンになった。ステージの上で、キラキラした笑顔で踊る彼をとっても好きになった。
好きになってから彼のことをネットなどで調べているうちに、彼が大学に通っているということを知った。もっと調べていくうちに、彼が私と同じ大学に通っているかもしれないということが分かった。だけど所詮ネットの噂。いくらなんでもそんなことあるわけない、なんて思っていた。大学に通っていることは本人も公言していたからそれは事実として、私はそれ以上のこと、どこの大学で何学部なのかなどは特に詮索しなかった。
それから3か月たったある日のことだった。
今でも覚えている。
金曜日の、3限終わりだったと思う。
3号館だか4号館だかの階段。
4限の教室へ移動するために、友達と話しながら階段を上っていたときだった。
階段を下りてくる人に見覚えがあった。でも別にサークルの人でも同じ学科の人でもない。
その人の顔を見たとき、漫画みたいに、本当に鼓動が大きくドクンと鳴ったような気がした。
自担だ。
階段から下りてきた自担は、当たり前だけどステージ衣装ではなく、普通の大学生の格好をしていた。
普通の大学生の格好をし、普通の大学生の友達と普通に会話をしていた。
3か月前わたしが所詮ネットの噂だと信じなかった情報は真実だったと、私はその時自分の目で確かめて知った。
その衝撃の出会い以降も、何度かキャンパス内で見かけることがあった。学年も違うし学部もどうやら違うらしかったので、授業がかぶることはなかった。
キャンパス内で自担を見かけるときは、本当に奇跡みたいな偶然が多かった。昼休みにご飯を食べるためにたまたま入った空き教室に彼もお昼を食べにやって来たり、試験前日に友達に「試験問題の回答を一緒に作ろう」と呼びだされ食堂に行ったら近くのテーブルで自担も友達と一緒に勉強をしていたりしたこともあった。
でも何度見かけても、私は話しかけることは絶対にしなかった。というかできなかった。
友達に「話しかけなよ!『ファンです!』って言われたら向こうも嬉しいと思うよ!」と何度も言われたが、私はできなかった。
大学内で見かけた自担はどこからどうみても正真正銘「普通の大学生」だった。ある意味「ジャニーズオーラ」というものは全くなかった。
大学に通っている自担は、仕事の一環でも何でもなく、完全に彼のプライベートだ。そこに踏み込んで、「ファンです!」と言うのは違うと思ったし、彼にとっても迷惑だろうと思った。
自担と私が同じ大学に通っていると知ってからも、私は自担を見にコンサートや舞台などに行っていた。
だけどいつからか、ステージに立つ自担を見て違和感をもっている自分に気が付いた。
私はいつからか自分が、ステージに立ってキラキラの笑顔で踊っている自担を「○○大に通っている大学生」というフィルターを通して見ていることに気が付いた。
ステージに立っている自担と、大学に通い真面目に勉学に励んでいる自担のギャップというものをリアルに感じてしまい、感じすぎてしまい、とても戸惑った。
そして私はいつからか、アイドルの自担が好きなのか、大学生の自担が好きなのか、分からなくなってしまっていた。それはとても怖いことだった。
そしてもっと怖かったのは、「私は自担と同じ大学に通っているんだ」という謎の優越感を持っていたこと。彼のプライベートをのぞき見しているような罪悪感や戸惑いを感じているのと同時に、ある種の優越感を感じていた自分は、本当に馬鹿らしくて卑しくて嫌だった。
私はアイドルが好きだ。アイドルのプライベートは、雑誌などで近況を知る程度で良かった。
だから私はいつのまにか、「自担と同じ大学に通っている」ということすら嫌になってきた。そして私は程なくして彼の「担当」を辞めた。
ステージでキラキラしている自担が本当に大好きだったから、大学で見かける彼は別の存在として割り切って応援できれば良かった。でも私はそれができなかった。
彼が「担当」でなくなってからは、もうキャンパスで見かけても何とも思わなくなった。アイドルの彼を見に行くこともなくなったから、キャンパスで彼を見かけてもそのギャップすら感じなくなった。不純な担降り理由だとは思うけど、少なくとも私自身にとってはこれで良かった。
クズ系クズの俺は、いわゆる、真面目系クズの一人から完全に見下されているのだが、
テストの成績などは、若干、俺の方が良いというケースが多い。
奴がどんなに真面目ぶったところで、所詮、お互い留年しているのだから、
多少、俺より真面目だからといって、現役生から見たら、どちらもクズに変わりはない。
奴は教室の前から3列目の席で真面目ぶって講義を聞いているのだが、
寒くなってきたせいで、上着の袖を通さず、肩に羽織るという着こなしで
俺はこの、上着の袖を通さないで肩に羽織るという奴のスタイルがまーーーー嫌いだ。
そんな寒いなら、ちゃんと袖通すか、家帰って暖房効かせろよといつも思っているのだが、
教室を見てみると、意外と支持されているスタイルらしく、男女問わず羽織っている人を見かける。
袖通せ。
イライラすんだよ。
そんなに袖通したくないなら、切っちゃえよバカ。
【目撃者】
海の向こうで反知性主義が始まったと嘆く人々がいる。
反知性「主義」?
すごいなあ、人間はいかなるときも、その日常生活でさえ、知性的な判断をするんだそうだ。
決して、衝動買いなんてしたりしないし、後輩にいいところを見せようと、奢ったりもしない。
僕には、かの国の新大統領が掲げる偉大なるアメリカというのが本国の人のようにピンとはきていない。
ただ、「感覚的に」わかるのは、あの時代のアメリカを、いい時代の自分たちを取り戻してくれる、と明言してくれた候補にすがりたくなったその人間的な感情だ。
人間は知性だけで動くはずはない。衝動買いもしたりするし、カっとなったり、かと思えば気前が良くなって人に料理や鞄を奢ったりするだろう。
それが人間だ。
「ありがとう」と愛しのあの子に言われたならば、つい破産の仕方をgoogle検索で探してしまう。
ただ、「ありがとう」と言われたくて。
アカデミズムの世界で、その知性を轟かせる先生方も、SNSではつい感情的になる。
今回、「知性」を信じた人々は、対になる概念を黙殺してしまった。
本当に知性的ならば、見落としなんてなかったかもしれないけれどね。
人間は自分の信じたいことだけを信じ、自分に有利な情報を仕入れ、確証バイアスで頭の中はフロートソーダさ。
僕は、昔から繁華街でバカをやっていた友人とカフェバーで、そいつを待った。
しかし、待てども待てども、来やしない彼女に業を煮やした僕らがウエイターを呼び止めようとしたとき、後ろの席から声がした。
「気づきなよ」
僕の記憶の中の彼女は(どちらかというと)美人顔でとても薄幸なオーラを醸していた。
僕と一緒に彼女を待っていた友人は、人違いだ帰ろう、と言った。
僕は、目の前の彼女の目(整った二重にタレ目でどちらかというとかわいい系だ)の奥に、鈍いものを感じた。
彼女は僕の手をとって、私の家に泊めてあげた恩を忘れたの?とのたまう。
ああ、こいつだ。
この恩着せがましい話し方。間違いない。彼女だ。
僕が、東京に来たばかりの頃、彼女に振られて、自暴自棄な状態で歌舞伎町で朝を迎えたことがあった。
ホストたちは僕に邪魔だ、うっぜーなと声をかけて、みんなして帰宅していた。
僕が道の真ん中から端っこに移動して、寒さに凍えている頃。
彼女は現れた。
泥酔していた僕は、彼女の家の廊下で倒れて、数時間経つと頭痛と吐き気と共に起きた。
便器と友達になった後、僕はお風呂を拝借して、置手紙をして帰った。
ヴィトンのバッグからは、睡眠薬や安定剤、精神薬に痛み止めが溢れ出ていた。
僕は、その光景を見て、みんな苦労して生きているんだな、と思った。
彼女は、当時キャバ嬢だったが、風落ち(風俗で働くようになることをギョーカイではそのように称す)して、その後、AV嬢になった。
僕が自暴自棄だった頃、僕は彼女に連れられて、ホストクラブに行った。
男の僕が行って楽しいのか、とは思ったが、思いの外、楽しかった。
ホストたちは、召使のように注文を取りに訪れ(跪いて御用聞きだ)彼女の横に座る。
そして、僕にも飽きないように話を振る。
僕は、好奇心が旺盛なのでギョーカイの話を聞くだけでも楽しかった。
彼女がドンペリやリシャールをぽんぽこ入れるので、どのテーブルよりも彼女への待遇は手厚く、そして連れてこられた僕もまるで、どこかの国の王子のように振る舞えるのだった。
僕は、その時思った。
理性や合理的判断は論文を書く時だけで十分で好きな人や頼れる人を探すのに、直感、感情、その発露を起源にして何故いけないのか、と。
楽しい毎日を望まない人々がいたら、なんだか、ロボットみたいだし、現実的でも、夢がなければ、きっと快楽の世界に溺れようとするよ。
ある種の人々は。
ついでに、胸の方も少し眺めた。
僕は少し思案した。(隠しておきたいのか?でも、真反対だからなあ、気づかないふりは……)
僕は彼女に言った。
「可愛く整形してもらったな。どこのクリニックだ。腕がいい。
でも、胸はパッドを詰めりゃいいんじゃないか。代わりに可愛いワンピースでも買うといい」
「君にはばれるか。500万でこれだから安いよー、シャンパン開けてたら、1000万以上なくなったのに笑」
僕と彼女の会話の間中、僕の連れは口をあんぐり開けて、小声で人違いに失礼だぞ、と言っていた。
(シーッ、静かに。愛は静寂に包まれて割れてしまうクリスタル)
僕は笑いながら
「あんたじゃなかったか、人を見た目で判断するのは良くないつったのは。
ついでだから、言っとくが正義の味方にでもなりたいんだったら、何をもってしても人を判断してはいけない。
人は等価値だ。例え、悪人でも愛すべき人間だ。そうだろ、正義の味方くん」
僕は、つい本音を口にしてしまったが、彼はそれを気にもとめなかったようだ。
どうでもいい。僕は、人を見た目で判断するが、その人物が同一かどうかを見た目以外で判断することができる。
見た目で人を判断しないと言っている人に限って、見た目で人を確認しているのはどうにかならんかね、全くw
彼女は
「足が朝から痛くて、つっちゃって」
「仕事か」
「単価上がって、万々歳よ、整形代の元は取れるよ。人は見た目だねえ、だって、私だって人を見た目で選ぶもん」
彼女のこういうあっけらかんとした本音で話すところは嫌いになれない。
公共の福祉や他人を害するのでなければ、シンプルに生きたっていいじゃないか。
「私、復讐する。だって、モテるようになったんだもの。金も稼いで、男をはべらかして、復讐する。あの頃の、自分に聞かせてあげるの。
シンデレラになったよって」
「いいぞいいぞ」
「まあ、この際、それもいい」
「ところで、君、私の意見に賛成しているのは、私が可愛いから?それとも私の意見が納得できるから?」
「難しい質問だ。ねえ、世界って複雑なんだよ。復讐のしがいがあると思わない」
「ポエマーはすぐポエる」
「ツンツンしたこと言っても、容姿が良ければ、言い返す手間がいらなくていいな」
世界は、整理されていない。
たくさんの人々がいて、たくさんの考えがあって。
岡井ちゃんがはじめて私たちの前に姿を現した2002年6月のハロモニを
当時20歳だった私は、一人暮らしのワンルームマンションの14型のテレビデオでぼんやりと見ていた。
8歳の岡井ちゃんはアイドルとは無関係に思える「カントリー・ロード」をたどたどしく歌っていた。
その姿はどうしても有名になりたい才気あふれる特別な女の子というよりは、
大人が笑ってくれたり褒めてくれたり叱ってくれたりすることがうれしくてしょうがない、
ただの人懐っこいひとりの子どもというように見えた。
私はハロプロキッズに対して得体の知れない忌避感と哀れみを感じた。
あんなにもかわいい子どもたちにも関わらず、なにかマズいことが起きているという直感は
それをどういう言葉で表したかは人それぞれだが、ネット上ではそれなりに共有されていたように思う。
ただ、彼女たちが成長し魅力を増していく過程のなかで、それは杞憂だったと誰もが手のひらを返した。
私もその一人だ。
ところで、「今2016年にアイドルになろうとしている15歳くらいの女の子」がいるとして
(それに何を感じ、どう行動するかは個人差はあれど)
私やこれを読んでいるあなたと大きく違わないのではないだろうか。
どうしたって突き付けられる事件が多すぎる。
そしてそこに無頓着なのは私だけではなかったのではないかと思う。
モーニング娘。がブレイクする1999年まではアイドル冬の時代と言われていた。
諸説あるだろうが、その始まりをおニャン子クラブが解散する1987年とするなら
もはやその連続性のなかでアイドル文化を捉えられる人たちはきわめて少数になっていた。
多くの人々が祝福し、「CAN YOU CELEBRATE?」が日本中の結婚式で歌われた。
ジャニーズでも20代になれば結婚してアイドルのまま家族を持つ時代がやってきたのだと誰もが思った。
そのようなおおらかな空気の中でモーニング娘。が女性アイドルを復活させ、岡井ちゃんはオーディションに合格した。
意志をもってアイドルになった、というより気づいた時にはなっていたというほうが近いのかもしれない。
ハロプロが女性アイドルに再び春を呼び戻した頃も、恋愛は絶対的な禁忌ではなかった。
週刊誌報道はスルーされ、ファンのため息がなにか風を起こすようなことはなかった。
今とあまりにも違う。
その時代の空気の変化の中に一番最初に巻き込まれ傷ついてきたのが
実は℃-uteであるということはもっと知られてもいいと思うし、
℃-uteのファンでも忘れてしまっている人もいるのではないだろうか。
詳しくは書かないが、ファンや事務所の締め付けが厳しくなる中で
実績のある先輩たちはある種の図太さを見せながらサヴァイヴしていったが
℃-uteのメンバーはいきなり力尽きるように表舞台から次々と姿を消していった。
℃-uteやBerryz工房のことを、きれいな空気のなかで大切に育てられ
人生の大半をアイドルに捧げた純粋性の高いエリートであるように言う人は多い。
長い時間をかけて深く引き裂かれてしまったのもまた彼女たちなのではないだろうか。
そして、岡井ちゃんやまいまいや梨沙子のような、本当に幼い頃からキャリアをスタートさせた子ほど、
その欺瞞を合理化するような術をいまだ持てず、混乱の中にいるのではないだろうか。
「今2016年にアイドルになろうとしている15歳くらいの女の子」や
ここ数年でアイドルを好きになったファンたちとは見えている世界があまりに違うのだ。
舞美ちゃんのブログの更新を待っている間、夢幻クライマックスを何回も聴きながら
岡井ちゃんにとって「強くなりすぎた」とはどういうことなのか、
なにが舞美ちゃんを「さみし」くさせているのか、私はずっと考えていた。
全部はないよ、観た分だけ。
×期待せず △様子見 ○視聴決定 ◎本命、楽しみ
わかりやすいお馬鹿アニメ。ノリと勢いは好きな感じ。ただ、妻子がいるリビングでは観れない(クギを刺された)。
極めて普通の変身少女もの。個性的なキャラデザは悪くは無いけど、あえて観たいとも思えず。
原作はだいぶ前に既読、嫌いじゃなかった。ただアニメで観たいかと言えばそうでもない。演出が凝ってれば行けたかもしれないけど、そうでは無かったので残念。
ほぼ期待通りに仕上がってきた。しょっぱなからイチャコラとギスギスの両方見れて幸せです。主役の演技が若干変わった?とりあえずは横綱相撲を楽しみたい。
いきなりのシリアスと前期ボス復活に少し興ざめ。このアニメに求めてるのはこういう事じゃない。
知恵も度胸も行動力もある気高い姫はとても魅力的なキャラだが、Bパートからの微妙演出と、シナリオが陳腐で吉野だなと思った。イゼッタの主役オーラの無さも不安要素。
声優業界内幕もの、毒舌な主人公。なかなか攻めた内容で期待が持てる。作画は良いが動きが不安動きも見直したら悪くなかった。
予想を大幅に上回る出来で大本命に出世。作画演出テンポどれも素晴らしい。幼なじみヒロインの結婚子持ち設定で一瞬心が折れかけた笑
ヒラコー漫画はリズムが独特で上手くアニメに落とし込めないと常々思ってるし、今作もそうだった。作画は良いのでしばらくは観る。
とにかくウザくて痛い主人公ズが全く受け付けない。物語シリーズはまだ耐えられたがこれは無理。ヒロインの奇乳も気持ち悪い。塗りの質感とか、アニメーション的な部分は悪くなさそうだっただけに残念。
どうにもノリが合わず。ばからもん、甘々とかあの辺の系列。この手ので大丈夫だったのはうさぎドロップくらいか。
ああストパン3ねハイハイと軽く流していたら丁寧な展開で見直した。前作とはまた違う主人公像を提示できていると思う。CG作画は、まあ、うん。
可愛かった(小並
未見 まあノイタだしね、それなりのクオリティは…(バッテリーから目を逸らす
(追記)
お叱りごもっとも、整形してみました